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開会挨拶

長瀬修(日本障害フォーラム国際委員)

 こんばんは。そして、ようこそ。私はユニセフに対抗しているわけではありませんが、あなた方の何人かは、彼らの受付に行きたかったかもしれないと確信しています。しかし、あなた方はここに来てくださいました。私は、このイベントの主催者である日本障害フォーラムを代表してあいさつをいたします。
 大野様や石井様がいらっしゃる日本財団と一緒にこのイベントを開催することをとてもうれしく思っております。日本障害フォーラムは、障害のある人の権利運動を代表とした国際的なネットワークです。私たちは、障害のある人の為の13の団体で構成されており、障害者権利条約を推進しています。
 最初に、2011年3月11日に起こった巨大地震、津波、原発事故の時の支援活動や皆様の優しい心遣いに深く感謝申し上げます。私はこの機会にケニアの人々に感謝の意を表したいと思います。私は、若い時に3年間ケニアで過ごしました。津波のあった日、ケニアのホストファミリーは、携帯電話からすぐにメールを送ってくれました。彼らはまだ水道水がありません。電気も固定電話もありません。30年もの間、私と連絡を取っていて、私と私の家族のことを心配してくれました。私の心はケニアの同僚と友達と共にあります。
 2011年3月から日本障害フォーラムは生き残った障害者に最善のサポートをしてきました。私もまたJDFのボランティアとして宮城と福島に行きました。私は今でも荒廃した光景、そして生臭い海水のすさまじいにおいを覚えています。個人的に、現在も進行中の原発事故による環境被害、そしてもちろん障害者への影響に対して深くお詫びいたします。かつて原子力発電所の近くに住んでいた人々のうちの何人かは、今、養護施設に住んでいてこの先何年も、自分の故郷に帰ることが出来ないかもしれません。
 この地震から2つの主な惨事(sad tragedy)が浮かび上がりました。一つ目は、被災地で障害者の死者が住民の死者の2倍であったことです。二つ目は、地域に住んでいる障害者の死者が、養護施設に住んでいる障害者に比べて高かったことです。障害者権利条約の第19条にある"障害者が地域社会で生活すること"は、日本障害フォーラムの最優先事項のうちの一つであります。その点からすると、この結果は本当に辛いものです。
 他のスピーカーからこれらの課題について詳しく聞くことになります。障害者権利条約に沿って、国際協力を改正した障害者基本法に含めるよう提案した一人として、ポスト2015年の枠組みの中で障害者を含めるよう取り組み続けることは、私たち日本障害フォーラムにとって本当に重要なことであります。災害と障害者は私たちが優先する分野のうちのひとつです。後ほど、ワルストロムさんの講演で聞くと思いますが、被災地の一つである宮城県で、2015年3月にDRR会議のホストに日本がなるでしょう。開発と災害の2つのプロセスにおいて、日本障害フォーラムは世界中の友達と同僚に私たちの悲惨な教訓を共有したいと思っております。最後に、"ありがとうございます"と今夜参加して下さった人々に言うことによって、日本障害フォーラムの代表としての挨拶を終わりにしたいと思います。