障がい者制度改革推進会議 第27回(H22.12.6) 資料2
各委員提出意見・資料
第27回障がい者制度改革推進会議(H22.12.6) 資料2-1 大濱眞委員 提出
平成22年12月6日
障がい者制度改革推進会議
議長 小川 榮一 様
障がい者制度改革推進会議 構成員
社団法人全国脊髄損傷者連合会 副理事長
大濱 眞
第二次意見の策定にあたって(意見)
1.障害者の地域生活について
○障害者基本法改正の「基本的理念」(現行法第3条第2項関係)については、障害者でない者と等しく、特定の生活様式で生活するよう強いられることなく、自らの判断により地域において生活する権利を有することを盛り込むべきである。
○障害者基本法改正の「医療、介護等」(現行法第12条関係)については、国及び地方公共団体が、重度障害者が地域において生活できるように支援する上で必要な財政上の措置を、特に講じなければならないことを明記するべきである。
(理由)特に重度障害者に対する支援体制が十分でないために、入所施設や病院などの「特定の生活様式」を選択せざるを得ないのが現状であることから。
規定ぶりイメージ(現行法第3条第2項関係)
すべて障害者は、障害者でない者と等しく、特定の生活様式で生活するよう強いられることなく、自らの判断により地域において生活する権利を有するとともに、自らの決定に基づき、社会を構成する一員として、社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会を有するものとすること。
規定ぶりイメージ(現行法第12条関係)
国及び地方公共団体は、特に重度障害者が地域において生活できるように支援する上で必要な財政上の措置を講じなければならないこと。
2.障害の原因の1つである傷病の治癒・治療について(再掲)
○【「障害の予防」に対する基本的考え方】
障害者基本法改正の「障害の予防に関する基本的施策」(現行法第23条関係)については、障害の原因となる傷病や疾病に対する予防対策は、障害者施策としてではなく、一般公衆衛生の中で行われていることから、「障害は不幸である」という差別や偏見を与えかねない「障害の予防」という表現は使わないようにする方が良いではなく「障害の原因となる傷病の治癒・治療」とするべきである。
また、必要な情報提供の下で快適な生活を送るための健康の増進・治療・回復に不可欠な条件整備の一部一環として、障害の原因となる傷病の治癒や疾病へのの原因・発生解明のための基礎研究、及び、研究成果に基づいた臨床試験や治験に対して、積極的な対策を講ずるべきである。
(理由) 障害者基本法改正にあたっての「新たに議論した分野についての推進会議の問題認識」の「2.障害の予防」について、「健康の増進」の条件整備の一環として新たな治療(先端医療を含む)も不可欠であることを、【難病を始めとする疾患等に対する適切な理解の促進及び調査研究の推進】だけではなく【「障害の予防」に対する基本的考え方】でも明記すべきであるから。
3.障害のある子に対する早期支援について
○障害者基本法改正の「障害のある子に対する早期支援」(新設)については、国および地方公共団体は、第1項の権利を実現障害のある子の権利を保障するために、障害のある子(乳幼児においては早期に適切な支援を得られなければ後に障害を持つ可能性が高い子を含む)及びその家族もしくは家族による監護が得られない場合にはこれに代わる代替的な監護を提供するものに対し、早期からの継続的な支援を提供するための必要な施策を講じなければならない。また、代替的監護に対する支援は家庭的な環境のなかで提供されなければならない。
(理由) 新生児特定集中治療室(NICU)に象徴される医療技術の発達により、重症心身障害児をはじめとする障害児に対する支援ニーズが急速に増大している。特に重症児を養育する家族に過重な負担がかかっている現状に対して、本人や家族に対する支援を拡充することは急務である。よって、障害児支援合同作業チームから提案されている「障害者基本法・障害児条項イメージ修正案」のうち「4.早期支援」について、ぜひとも障害者基本法の改正に盛り込むべきであると考える。また、「家族による監護が得られない場合にはこれに代わる代替的な監護」における里親に対する支援を含めて、障害児の養育に対する支援をさらに強調する規定ぶりが必要だと考える。
4.障害者政策委員会と地方障害者政策委員会の当事者参加について
○障害者基本法改正の「障害者政策委員会の組織」(現行法第25条関係)及び「地方障害者政策委員会」(現行法第26条関係)については、委員の過半数を障害者とするべきである。
(理由) 障害者自立支援法の地域自立支援協議会のような形骸化に陥らないようにするために、国と地方公共団体のモニタリング機関については当事者参加を明確にするべきであるから。
参考1.障害者基本法改正における「障害者の範囲」について
○「障害者の範囲」について、「機能障害」(医療モデル)の概念に「社会的な障壁」(社会モデル)の理念を組み込んで定義する必要がある。もしくは、「機能障害」(医療モデル)の概念を重視し、現行以上に幅広く定義するか、を議論のポイントとすることを提案する。詳しくは別紙1を参照されたい。
参考2.教育場面での介助サービスの利用について
○障害者総合福祉法(仮称)におけるパーソナル・アシスタンスとして、就労、就学、入院などを横断するシームレスな介護制度が、総合福祉部会の訪問系作業チームで検討されているところであるが、これに関連して、全国障害学生支援センターからの要望書を別紙2として添付する。
別紙1
権利条約における「障害者の定義」
- 障害者には、長期的な身体的、精神的、知的又は感覚的な機能障害であって、様々な障壁との相互作用により他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げ得るものを有する者を含む。(政府公定訳文案)
- Persons with disabilities include those who have long-term physical, mental, intellectualor sensory impairments which in interaction with various barriers may hinder their fulland effective participation in society on an equal basis with others.(原文)
権利条約による障害者の定義の平面モデル
図の説明テキスト: 長期的な機能障害(継続的/断片的)
(例)近視のためにメガネをかけている人
「谷間の障害者」
身体、知的、精神
(例)難病患者
(例)ユニークフェイス
日本の現行法制における「障害者」
社会的な障壁による排除
(例)人種差別を受けている人
障害者制度改革における「障害者の定義」
- 権利条約における障害者の定義は、少なくとも「長期的な機能障害を有すること」と「社会的な障壁によって排除されていること」が重なった集合を含む、としている(以下「集合①」)。
- 日本の現行制度における障害者の定義は、身体障害者と知的障害者と精神障害者の合計とされており、これは集合①の部分集合だと考えられる(以下「集合②」)。
- 障害者制度改革(特に障害者基本法改正)における「障害者の定義」では、少なくとも、集合①から集合②を差し引いた差集合に向けて拡張することが不可欠ではないか?
代表的な2つの議論
- そのうえで、集合①よりもさらに拡張して障害者を定義づける必要があるか否かが問題になるのではないか?
- このとき、「社会的な障壁によって排除されていること」を以って障害者の定義とすることは困難である(たとえば「人種差別を受けている人」も「社会的な障壁によって排除されている」から)。
- そこで、考えられる代表的な議論を2つ例示する。
- A案:「長期的な機能障害を有すること」と「社会的な障壁によって排除されていること」の2条件に適合すること(集合①)を以って障害者の定義とする。
- B案:「長期的な機能障害を有すること」を以って障害者の定義とする。
「機能障害」と「社会的な障壁」の重なり
- A案は、権利条約が要求する最低ラインの定義である。この場合、「長期的な機能障害」と「社会的な障壁による排除」は、それぞれが「障害者であること」の必要条件となる。
- したがって、「障害者の定義」の問題は、「長期的な機能障害」と「社会的な障壁による排除」をいかに定義するかという問題に帰結すると考えられる。
図の説明テキスト:B案(機能障害)
日本の原稿制度における障害者(集合2)
社会的な障壁
A案(集合1)
「機能障害」だけで障害者を定義
- これに対して、B案は、医療モデルを最大限に拡張したものである。この場合、「長期的な機能障害」は「障害者であること」の必要十分条件となる。
- しかし、たとえば「近視であるがメガネをかければ日常生活に支障のない人」は、「長期的な機能障害」を有しているが、「社会的な障壁による排除」はほとんど受けていない(飛行機のパイロットになれない、など)。
- 単に「長期的な機能障害」だけで障害者を定義すると、このような人も包含されることになるが、それで良いのか? あるいは、そのような人を障害者に含めないとすれば、「長期的な機能障害」をどのように定義すれば良いのか?
支援の必要度を加味した立体モデル
図の説明テキスト:支援の必要度
長期的な機能障害(継続的/断片的)
難病患者
近視
重心ALS
軽度障害者
社会的な障壁による排除
ユニークフェイス
人種差別を受けている人
- 権利条約による障害者の定義の平面モデル(p2)
この図は、「長期的な機能障害(継続的/断続的)」と「社会的な障壁による排除」の2つの集合によるベン図で、2つの集合の重なり(積集合)が「権利条約における障害者の定義」である。「日本の現行制度における障害者の定義」の集合は、身体障害者と知的障害者と精神障害者の3つの集合の合計(和集合)であり、「権利条約における障害者の定義」の内部に位置している(部分集合)。「権利条約における障害者の定義」から「日本の現行制度における障害者の定義」を差し引いた部分(差集合)が「谷間の障害者」となる。 - 支援の必要度を加味した立体モデル(p7)
この図は、前述の「権利条約による障害者の定義の平面モデル」を底面とする円錐である。この円錐の高さは「支援の必要度」に対応しており、底面に軽度障害者が位置し、頂点に重症心身障害児者やALS患者が位置している。
別紙2
平成22年12月6日
障がい者制度改革推進会議
構成員 各位
全国障害学生支援センター
代表 殿岡 翼
高等教育での差別禁止と教育場面での介助サービス利用についての要望書
私たちは、障害をもつ当事者の立場から大学進学や学生生活についての情報提供をして いる、非営利の民間団体です。障害をもつ学生の高等教育については、これまで障害者施 策の中で十分位置づけられてきませんでした。そのため、入学後の障害学生に対するサー ビスが大学によって異なっているばかりでなく、障害を理由に受験や入学を大学などが拒 否しても、直ちには違法とならず差別禁止が明確にされていないのが現状です。
当センターでは、これまで実施してきた「大学における障害学生の受け入れ状況に関す る調査」の結果を踏まえ、高等教育での差別禁止を要望いたします。
また、障害者福祉施策の分野でも、障害をもつ学生の高等教育への進学は、制度の前提 とされていません。前提とされていないばかりでなく、現行の制度では教育場面での自立 支援法の利用は極めて制限されております。
障害者自立支援法(以下、自立支援法と略す)が施行されて以来、当センターには障害 学生から自立支援法についての相談が、数多く寄せられてきました。その中で、大学など 教育機関と自立支援法行政との間で、障害学生の介助(授業内の補助、授業以外の学生生 活、通学など)をめぐり実施主体、費用などの押し付け合いが発生しております。その結 果、障害学生が必要な介助を受けられない状況も発生しています。また、大学への入学が できなかったり、学生生活を継続できなくなることも起こっています。当センターは、そ うした状況のもとで過ごす障害学生の教育場面での人的なサポートのニーズと課題を明ら かにするため、アンケートを実施しました。アンケート結果および当センターに寄せられ ている相談事例から、教育場面での介助サービス利用について、要望いたします。
【政府・推進会議への要望事項】
- 障害者権利条約で、「あらゆる教育段階において障害者にとってインクルーシブな教育制度を確保することが必要とされている」ことをふまえ、大学など高等教育機関での障害者差別の禁止と合理的配慮を法制度に盛り込むことともに、障害学生支援を障害者施策の中にしっかりと位置づけること。
- 高等教育機関において、障害や、そのサポートができないことを理由とした出願拒否・受験拒否・入学拒否の禁止
- 合理的な配慮をしないなど、障害者にとって不利な条件で、高等教育機関への入学試験を実施することの禁止
- 高等教育機関において、障害者が十分に学び、学生生活を送れるよう、制度的・物理的・人的サポート環境を整備すること
- パーソナルアシスタントの理念にのっとり、障害者本人がどの場面で介助を受けても同じサービスが受けられるよう、教育場面(授業内・学生生活・通学)でも必要な介助サービスが使えるようにすること。
- 厚生労働省、文部科学省の垣根を越え、障害者本人がひとつのサービスとして介助を受けられるよう制度設計し、必要な財政支援については省庁間で協力して確保すること。
- 推進会議が発足以来目指してきた「制度の谷間」のない新総合福祉法制定に際して、教育分野が再び制度の谷間に落ちることのないよう、必要な施策を追加すること。
【要望の背景】
- 大学における障害学生の受け入れ状況
障害を理由に受験や入学を拒否する大学があり、入学後の障害学生に対するサービスが大学によって異なっている。※別紙2-1参照 - 教育場面で自立支援法が使えない現状での課題
課題1:自立支援法が授業内・学生生活・通学などで使えないことで、教育場面での介助が確保できず、それが理由となって、合格したにもかかわらず大学などへの進学をあきらめなければならない学生がいる。
課題2:日常生活での介助とその必要性は同じなのに、教育場面で自立支援法が使えないことで、入学後の教育場面での介助を友人やボランティアに依存するなど、確実性の低い、不十分な状況で本人が介助を受けなければならない状況が続いている。
※アンケート結果および当センターに寄せられている相談事例を集約。課題の具体的な状況は、別紙2-2を参照。
【今回実施したアンケートの概要】
調査名:障害学生と自立支援法利用についてのアンケート(肢体障害者向け)
実施団体:全国障害学生支援センター
協力:DPI(障害者インターナショナル)日本会議
目的:障害学生の教育場面での人的なサポートのニーズを明らかにして、障害者自立支援法(以下、自立支援法と略す)に代わる新たな制度を制定する際に、制度の不備で使いにくいものが残らないよう事例を収集して課題を明らかにすることを目的とする。
対象:18歳以上の肢体障害のある当事者で、自立支援法が完全施行された2006年10月以降に大学などの教育機関に在籍した経験のある方
調査期間:2010年10月7日から末日
回答数:10
要望書についての連絡先 全国障害学生支援センター
所在地 〒252-0318 神奈川県相模原市南区
上鶴間本町3-14-22 田園コーポ3号
TEL・FAX 042-746-7719 Eメール info@nscsd.jp
高等教育での差別禁止と教育場面での介助サービス利用についての要望書 別紙2-1
大学における障害学生受け入れの現状(2008調査より)
全国障害学生支援センター
障害学生の受験を認めるかどうか、入学試験や入学後に、障害学生の支援をするかどうかは、各大学に任されており、対応が不十分。そのため、障害学生が希望する大学を受験できない、障害をもたない学生と同質の学生生活が送れない状況が、各地で起こっている。
表1 障害学生の在籍状況 ※「在籍あり」と回答した大学295校の内訳
障害種別
|
大学数 (校)
|
人数 (人)
|
平均在籍人数 (人)
|
肢体障害 |
235
|
756
|
3.2
|
聴覚障害 |
180
|
543
|
3.0
|
内部障害 |
87
|
355
|
4.1
|
視覚障害 |
101
|
222
|
2.2
|
発達障害 |
33
|
110
|
3.3
|
精神障害 |
25
|
78
|
3.1
|
重複障害 |
22
|
24
|
1.1
|
知的障害 |
5
|
4
|
0.8
|
1.障害学生の受験可否
受験可:障害学生が大学に志願する前の段階で、受験を認めている状態。
受験可否未定:個々の障害学生の障害程度や、入学後のサポート可否を検討した上で、大学が受験を認めるかどうかを判断する状態。
受験不可:障害学生の受験を認めていない状態。
表2 障害学生の受験可否
受験可
|
受験可否未定
|
受験不可
|
||||
大学数(校)
|
有効回答比
|
大学数(校)
|
有効回答比
|
大学数(校)
|
有効回答比
|
|
肢体障害 |
244
|
56.5%
|
181
|
41.9%
|
7
|
1.6%
|
聴覚障害 |
230
|
53.2%
|
187
|
43.3%
|
15
|
3.5%
|
視覚障害 |
194
|
44.9%
|
218
|
50.5%
|
20
|
4.6%
|
内部障害 |
188
|
43.5%
|
233
|
53.9%
|
11
|
2.5%
|
精神障害 |
112
|
25.9%
|
284
|
65.7%
|
36
|
8.3%
|
発達障害 |
85
|
19.7%
|
305
|
70.6%
|
42
|
9.7%
|
知的障害 |
78
|
18.1%
|
301
|
69.7%
|
53
|
12.3%
|
2.受験時の配慮
何らかの配慮をする大学は増えてきているが、必ずしも障害学生が望む形になっていない。受験を認めても、配慮が不十分なため、結果的に障害学生の能力が十分に評価されない現実がある。
表3 肢体障害 受験時配慮内容 ※「入学試験で配慮あり」と回答した大学350校の詳細
配慮内容 |
大学数(校)
|
有効回答比
|
拡大文字用紙に解答 |
52
|
14.9%
|
チェックによる解答 |
32
|
9.1%
|
代筆での解答 |
19
|
5.4%
|
パソコンによる解答 |
16
|
4.6%
|
車での来校を認める |
149
|
42.6%
|
試験室入り口までの付き添いを認める |
137
|
39.1%
|
別室受験 |
132
|
37.7%
|
表4 聴覚障害 受験時配慮内容 ※「入学試験で配慮あり」と回答した大学332校の詳細
配慮内容 |
大学数(校)
|
有効回答比
|
面接時の筆談 |
66
|
19.9%
|
手話通訳者の利用 |
18
|
5.4%
|
手書き要約筆記者の利用 |
11
|
3.3%
|
パソコン通訳者の利用 |
3
|
0.9%
|
座席位置の配慮 |
141
|
42.5%
|
補聴器の使用 |
126
|
38.0%
|
注意事項の文書伝達 |
104
|
31.3%
|
表5 視覚障害 受験時配慮内容 ※「入学試験で配慮あり」と回答した大学324校の詳細
配慮内容 |
大学数(校)
|
有効回答比
|
拡大文字による出題 |
94
|
29.0%
|
点字による出題 |
67
|
20.7%
|
パソコンでの出題 |
6
|
1.9%
|
車での来校を認める |
130
|
40.1%
|
別室受験 |
128
|
39.5%
|
試験室入り口までの付き添いを認める |
125
|
38.6%
|
3.入学後の支援
障害学生は、入学後もさまざまな分野での支援が必要だが、下表のように実施は不十分。
表6 入学後の支援内容
支援内容 |
大学数(校)
|
有効回答比
|
一般講義での配慮 |
210
|
48.6%
|
定期試験での配慮 |
193
|
44.7%
|
体育実技での配慮 |
162
|
37.5%
|
語学授業での配慮 |
101
|
23.4%
|
実習での配慮 |
92
|
21.3%
|
実験での配慮 |
55
|
12.7%
|
肢体障害学生への支援 |
174
|
40.3%
|
聴覚障害学生への支援 |
139
|
32.2%
|
視覚障害学生への支援 |
111
|
25.7%
|
注1:上記の表は、全国障害学生支援センターが実施した「大学における障害学生の受け入れ状況に関する調査」の結果をもとにしている。調査期間:2006年12月~2007年3月実施 調査対象:全国すべての大学・大学校 745校 回答数:420校(56%) 数字は、特別な表記がない場合、回答大学数420校に学部別回答を含めた、計432校中の内訳。各大学の詳細なデータは、書籍『大学案内2008 障害者版』にて公表。
注2:調査・書籍について参考154国会 衆議院 厚生労働委員会6号2002年4月5日 石毛えい子議員 154国会 参議院 内閣委員会8号2002年4月9日 田嶋陽子議員
注3:全国障害学生支援センターは、障害をもつスタッフが中心に、調査、相談・情報提供、機関誌の発行、障害学生交流会の開催等を行うボランティア団体。平成20年度バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰の「内閣府特命担当大臣表彰優良賞」に選ばれた。
全国障害学生支援センター問い合わせ先
〒228-0818 神奈川県相模原市上鶴間本町3-14-22 田園コーポ3号室
電話・FAX 042-746-7719 E-mail info@nscsd.jp URL http://www.nscsd.jp/
高等教育での差別禁止と教育場面での介助サービス利用についての要望書 別紙2-2
~アンケート結果および当センターに寄せられている相談事例を集約~
課題1:自立支援法が授業内・学生生活・通学などで使えないことで、教育場面での介助が確保できず、それが理由となって、合格したにもかかわらず大学などへの進学をあきらめなければならない学生がいる。
※以下5件は、別々の事例です。
①本人から
スクーリングにはヘルパーを使ってはダメですと行政から言われました。
②障害学生の親から
18歳になる娘が大学に合格しました。しかし、生まれつき障害があり四肢麻痺で座位不能です。大学でも常時介助者を付けないとノート取り、トイレ等何もできない状態です。大学からも介助者をつけるよういわれていて介助者なしでの登校は拒否されております。市役所等相談しておりますが、「障害学生支援」の助成を活用した運用を大学に打診しましたが断られ、障害者自立支援法の活用でヘルパー派遣を厚生労働省に打診しましたが、こちらも在宅介護が基本で断られました。折角合格しましたが、このままでは進学できないことになりそうです。何か手立てがありませんでしょうか。
③福祉事務所から
行政から大学に介助派遣できない。ボランティアなどを集めるにはどうしたらよいか?
④ボランティアセンターから
学内で使える公的支援を教えて欲しい。
⑤肢体不自由特別支援学校教員から
現在、本校の高等部には、3年生に大学希望の生徒がいます。トイレや食事、授業補助等の支援が必要な生徒です。大学側としては、経営を考え、社会保障としての公的支援が制度上はないものの利用できないか等の話もしてもらっていますが、行政としては「大学がすべきこと」で話が平行します。本人は、学内の支援を保護者に求めることは拒否しています。このような状況でなかなか具体的な動きの展望が見失いかけてきました。
課題2:日常生活での介助とその必要性は同じなのに、教育場面で自立支援法が使えないことで、入学後の教育場面での介助を友人やボランティアに依存するなど、確実性の低い、不十分な状況で本人が介助を受けなければならない状況が続いている。
「授業内」「授業以外の学生生活」「大学への通学」に分けて集約。
・授業内
①基本的に私は通信学生なので自宅でリポートを書き、時々テストを受けたり、スクーリングに行ったりしています。
しかし実際のところ通信大学の書類はかなり煩雑で、なかなか今のヘルパー制度では人材が足りず、またパソコン操作が苦手なヘルパーさんも多いため毎回ふうふう言っております。
また学内でのサポートは学内から派遣された介助者が、学校までの行き帰りについては学外のボランティア団体が数珠繋ぎで行ってくれてはいますが、やはり時間に制約があったり、遅刻せず到着して欲しいのに、それができなかったりするととても迷惑をかけるので非常に神経を使います。また技術がまちまち、研修ができない等により、トラブルが生じることはありますが、とりあえず今は少ない資源の中で何とか回していかなければならないのでそう贅沢を言っている場合ではありません。
ただやはり連絡不行き届き、介助内容を勝手に主催者側が決める等は問題だと思います。
②ノートテイク:人によって情報保障に差があり、ヘルパーの判断で情報が限られてしまうことがある。授業内容の要点をつかめていないことがあり、復習をする際に不便が生じる。主にPCを利用しているが、タイピングの速さがノートテイクの内容量を左右する。コミュニケーション支援:私はアウトプットに時間がかかる為、ディスカッションの場面などでは、言いたいことを発言する頃には、話題が変わっているということが多々ある。私自身は、言いたいことをより速く伝えられるように、短い単語でアウトプットする工夫をしている。しかし、ヘルパーがその意図を汲んで意味を広げて文章化したり、わかりやすく説明出来なければ、私が伝えたい内容は他者にまで届かないことがある。私とヘルパーの感情の相違が、正確な言葉を読み取ることの妨げにもなる。さらに、発言のタイミングがヘルパーの積極性や個人が持つボキャブラリーの量に左右され、会話の質に差が生じる。
③実費でヘルパーを使ったり自分でボランティアを募ったりしなくてはならないため、金銭や労力がかかる。
④学校の授業に関係することにヘルパーを利用出来ない際、ボランティアや友人に依頼していた。ヘルパーのような責任感をもって仕事をしてくれない人もおり、授業に遅刻するなどの事態が多く発生した。授業を受ける権利を奪われた。ヘルパーには給料が発生するため、私から無駄な用事や頼みにくいことも依頼しやすい。
・授業以外の学生生活
①学内の身辺介助や移動の補助は、自立支援法では行えないため、学内でボランティアを募ったり、有料のヘルパーを使ったりしていた。ボランティアの人数は決して十分とは言えず、また、有料だと金銭の負担が大きい。ヘルパーだと(ボランティアに比べて)確実にくるが、時間単位のため、生理的なトイレの時間を意識的に決めなくてはならない。
②基本的にその場その場で、最低限度のことを、その場にいる人に頼まなければならないので、もし断られたりした場合、どうすることもできない状況になります。また究極にどうしようもなくなると、学生課に行けば良いんだとは思いますが、入り口に高い段が2個あるために私は入ることができません。
ただ介助者を付けてしまうことが他の学生との交流をできなくさせる要因になったり、スケジュールを固定化することに繋がり、自由度が下がる気もしていて介助者を付ければ良いの一言ではかたづけられない気もしています。
ただ実際はそんな余裕は無いというのが、実情ではありますが。
③サポートに関する学内の人員不足と、自立支援法の現行制度の対象外となってしまうため必要なサポートが受けられない。
④大学でも自立支援法が適用されれば、もっと自由に動くことができる、いろんなことに参加できるのにと思います。
・大学への通学
①ヘルパーを探すことが困難。
②サポートの人数を増やすため、通学介助については異性も募った。そのため、トイレ介助のようなデリケートな介助は通学中は頼めなかった。
③基本的にボランティアなので、時間やスキルに差があり、時間通りに到着できるかが未知である。
また最寄り駅までの移動になるので、電車にきちんと時間通り乗せてもらえるかも皆無である。
④通学は、自立支援法の現行制度の対象外となってしまうため必要なサポートが受けられない。また、下校時に通学路上にあるスーパーなどで買い物やその他の移動支援が必要なときであっても、いったん下宿に戻らなければ、ヘルパーが使えないのは、かなり不便である。
⑤宿泊介助で、スクーリングに同行し、スクーリング時の介助全般を引き受けて欲しい。(私専属に一人雇ってやり方等を教育すれば可能です。)またテスト等の付き添いもそのやり方で来て貰えれば慣れた介助者が来るので、安心です。
⑥雨風が強い日の通学が心配。
以上
第27回障がい者制度改革推進会議(H22.12.6) 資料2-2 大谷恭子委員 提出
「交流及び共同学習」では「インクルーシブ教育」は実現できない
障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワーク
(2010.10.18)
1.分けていることを問わずして、「交流」を評価すべきではない
「交流はやらないよりやったほうがよい」と言われてきた。それは、分けられた側の子どもたちや教師からの要求からはじまったことであり、分けられている現状がある以上、そうせざるを得ないからである。しかし、分けていることを問わずして、「交流」を評価すべきではない。
「適正就学」を盾にずっと子どもたちを分け続けてきた文科省が、こんどは「交流及び共同学習」を「インクルーシブ教育システム構築のための漸進的取組」だと言っている。以下、「交流及び共同学習」が障害者権利条約の言う「インクルーシブ教育」につながるものではないことを、その歴史的経緯から明らかにしていきたい。
2.原則分離の姿勢を貫き通してきている文科省
(1)分けたうえでの交流
- 1961年「我が国の特殊教育」(文部省広報資料18)にみられる、障害児教育の二つの意味
①障害のある子のための「能力に応じた教育の機会均等」②障害児が普通学級にいることで、『障害の無い子の教育そのものが、大きな障害を受けずにはいられません。』障害児を分けることによって『普通学級における教師の指導が容易になり、教育の効果があがる』とある。 - 1979年 国際障害者年(障害者の完全参加と平等)を前に養護学校義務化
「盲・聾・養護学校学習指導要領」に交流について記載される
『児童又は生徒の経験を広め、社会性を養い、好ましい人関係を育てるため、学校の教育活動全体を通じて、小学校の児童又は中学校の生徒と活動をともにする機会を積極的に設けるよう配慮する』 - 1980年 普通学級に対しては、事務次官通達として「心身障害児理解・認識推進事業」を出し、交流教育の趣旨理解の徹底を促した。以後、研修会・啓発資料配布・研究指定校などに取り組む。
文科省は研究指定校での成果をさかんに発表したが、日教組の教研集会などでは、交流を拒む子のことや問題点が報告されている。まさに「いっしょがいいなら、なぜ分けた」という障害児学級の子どもの声がそれを象徴している。また、交流教育の徹底などはされておらず、現場では「交流」をするかどうかは、担任教師に任されていた。交流を実施しないことで批判を受けることはなかったが、交流をより進めようとすると「行きすぎた交流」と批判され、時間制限がされていた。このことからも、文科省が本腰を入れて、交流に取り組んできたとは言えない。一方、保護者に向けては、障害児教育の正しい理解と適正就学のための啓発資料を毎年作成し配布してきている。 - 1998年「小学校学習指導要領:総則第5 指導計画の作成にあたって配慮すべき事項」に交流について記載される。
『小学校間や幼稚園、中学校、特別支援学校などとの間の連携や交流を図るとともに、障害のある幼児児童生徒や高齢者などとの交流の機会を設けること。』と、普通学級における交流の教育的意義が明記されたが、高齢者の交流と同じ扱いがされている。
「解説」では、『障害のある幼児児童生徒との交流は、児童が障害のある幼児児童生徒とその教育に対する正しい理解と認識を深めるための絶好の機会であり、同じ社会に生きる人間として、お互いに正しく理解し、共に助け合い、支え合って生きていくことの大切さを学ぶ場でもあると考えられる。』とその目的が書かれている。内容として『直接的な交流(学校行事や学習を中心に活動を共にする)と間接的な交流(文通や作品の交換)』が紹介されている。
指導要領に書かれたからと言って、現場に交流の強い指導があったわけでもなく、担任任せであったことは変わらなかった。 - 2004年 障害者基本法の一部改正において、「交流及び共同学習」が表記される 「共同学習」は「どの子も分け隔てなく共に学び育つ」という「統合」の趣旨を踏まえたものとして提起されたが、これまでの「交流」と合わされて「交流及び共同学習」として表記された。
- 2007年 学校教育法一部改正 特別支援教育実施
- 2008年 「小・中学校新学習指導要領総則:第4 指導計画の作成にあたって配慮すべき事項」に個別指導計画の作成と交流及び共同学習について記載される。
『(7)個々の児童の障害の状態等に応じた指導内容や指導方法を工夫し計画的、組織的に行うこと。(12)小学校間や幼稚園、中学校、特別支援学校などとの間の連携や交流を図るとともに、障害のある幼児児童生徒との交流及び共同学習や高齢者などとの交流の機会を設けること。』
「交流」については、文言が「交流及び共同学習」に変わっただけであるが、個別指導計画の作成によって、目的や効果等が強調されるようになってきている。
(2)世界的な「統合」に対する動きに対して文科省が行ってきたこと
- 1981年8月 「文科省が中央心身障害者対策協議会の国際障害者年特別委員会に提出した文書」
障害の重い子どもを小・中学校で教育することの問題点として、以下4点を指摘している。①障害の重い子どもに対しては、小・中学校では、適切な教育ができない。②一般の子どもたちの教育に支障が生じる恐れがある。③多額の財政負担を強いられる。④現行の特殊教育制度、ひいては学校教育制度全体の根幹に触れる大きな問題となる。 - 1993年 国連 障害者の機会均等化に関する基準規則
役人を派遣し「規則六 教育条項 第8項」を入れさせ、特殊教育の必要性を訴えた。 - 1994年 ユネスコ サラマンカ宣言
役人を派遣していたにも関わらず、文科省からはすぐには内容の紹介がなかった。また、同年ドイツが統合教育に変わったことも、文科省が公表したのは2 年後だった。 - 2008年 過去2回にわたり国連の子ども権利条約委員会から、分離別学体制を改め、統合教育を進めるよう勧告を受けていた。それに対して、「交流及び共同学習によって、統合教育が進展している」と報告している。
(3)意味が変質して使われるようになった「共同学習」
「交流及び共同学習」は2004年の障害者基本法の一部改正において、生まれた言葉である。その審議過程では、普通学級に在籍している障害をもつ子の存在が認められ、どの子も分け隔てられることなく共に学び育つためのものとして「共同学習」が提起されが、当時の政治状況の中で「交流及び共同学習」という形で表記された経過がある。付帯決議 には、「分け隔てられることなく共に」という文言が残され、その趣旨から、「交流学習」と「共同学習」は、「分離した上でいっしょにおこなう学習」と「統合した上でおこなう学習」として、本来、別の意味を持つものであった。しかし、文科省は、障害者基本法の一部改正以降、「交流及び共同学習」として、一つの言葉として使うようになり、現在に至っている。
文科省HP:「交流及び共同学習ガイド」によると
- 障害のある子どもと障害のない子どもが一緒に参加する活動は、相互のふれ合いを通じて豊かな人間性をはぐくむことを目的とする交流の側面と、教科等の狙いの達成を目的とする共同学習の側面があるものと考えられます。「交流及び共同学習」とは、このように両面の側面は一体としてあることを明確に表したものです。また、この二つの側面は分かちがたいものと捉え、推進していく必要があります。
- 活動場所がどこであっても、在籍校の授業として位置付けられていることに十分留意し、教育課程の位置付け、指導の目標などを明確にし、適切な評価を行うことが必要です。
と解説されている。「分け隔てられることなく共に」として出された「共同学習」は、それまでもおこなわれていた教科における交流の意味に変質させられてしまい、分けた上でのそれぞれの教育課程における教科学習として位置づけられるようになったのである。つまり、「交流及び共同学習」は以前の「交流学習」となんら違いがないのである。そればかりか、新学習指導要領では、「教科の目的達成」までもが問われ、交流も「できる・できない」の評価のもとで行われるようになり、「できない」ことで更に巧みに分けられはじめているのである。
3.分離したままの交流ではなく、統合したうえで、必要な配慮と支援を
「交流」のはじまりは、分けられた側からの、社会性や人間関係の豊かさを求めるものであり、本来は、「統合」に向かうべきものであった。しかし、文科省は一貫して「原則分離」の教育制度を変えず、国内外の「統合」の動きに対しても、積極的に関わろうとしてこなかった。にもかかわらず、「交流及び共同学習」の進展によって「インクルーシブ教育」が実現するかのように論じている。その論理が詭弁であることは、以上の経緯からも明らかである。障害によって分けた上で編成したそれぞれの教育課程の目的に見合った「交流及び共同学習」の進展は、結局、さらなる分離を進めていくことになり、インクルーシブ教育とは反するものである。
障害者権利条約のめざす共生社会の実現のためには、「共に学び共に育つ」という根本的な教育の目的をたて、原則分離の教育制度を改め、どの子も普通学級に籍を置き、その上で、必要な配慮と支援をおこなっていくべきである。
交流及び共同学習は本当に共生社会に貢献しているの?
~アンケート調査の結果より(抜粋)~
文部科学省は「交流及び共同学習は、障害のある子どもの自立と社会参加を促進するとともに、社会を構成する様々な人々と共に助け合い支え合って生きていくことを学ぶ機会となり、ひいては共生社会の形成に役立つ」としています。(『交流及び共同学習ガイド』文科省HP より引用 2010/8/5)そこで、インクルネットでは、交流及び共同学習の意義に関するアンケート調査を行いました。アンケートはインターネット及びインクルネットの賛同団体を通じて配布・回収(2010年8月15日~9月15日)。その結果、見えてきたことは以下の4点です。
1 「交流及び共同学習をして良かった」という意見
- (交流学校の児童に)地域で声をかけられうれしかったと保護者から聞いた。(教員 特別支援学校)
- 回を重ねる毎に、一緒に活動に誘ってくれたりと関わりが増えてきた。(教員 特別支援学校)
- 児童が同世代の子どもとかかわるとき、教師には見せない楽しい表情をする。(教員 特別支援学校)
- 車いすの子でも、学校生活が送れることを、子どもたちや父兄にもわかってもらえた。(保護者)
- いろんな行事に参加できるよう、学校全体で考えてくれた。(保護者)
- 普通校という世界を知らない生徒と保護者に、地元校での生活を垣間見させることができた。でも、相手校の生徒が遠巻きに眺めているだけだった。(教員 特別支援学校)
→でも、これらは異なった学校にいるために起こるマイナス点(子どもや保護者が地域で 知られていない、偏見がある、子どもたちや地域の学校が障害のある子への関わり方が わからない等)を補うものでしかないのでは?
2 交流及び共同学習は共生社会の「きっかけ作り」にはなるという意見
- 形式的は年間行事としての交流は、きっかけ作りにはうまくやればなるかもしれないけど、実のあるものにはならないと思う。(教員 特別支援学校)
- 交流及び共同学習ではやはり限界があり、共生教育の実現という目標は達成できないと思う。「やらないよりもやったほうがまし」(生涯の早いうちに「障がい」者と出会う、体験するという意味で)という程度だと思う。(教員 特別支援学校)
- 現実の別学体制で限られた回数での交流では深まりは難しいと思う。だが、交流しないよりはしたほうが、お互いに理解し合うことで地域で生きやすい場作りや経験の広がりにおいては意味があると思う。(教員 特別支援学校)
- 交流学級で、お客さん扱いになるのがほとんどです。(保護者)
→共生社会を実現するかは疑問であるという声が多く見られました。
3 交流及び共同学習の取り組みは、障害のある子とない子が接することは日常的ではないことを子どもたちに教えてしまう
(1)障害当事者本人から
- 長い学校生活のうち、一時期だけ交流及び共同学習をしても何の意味もない。(本人、特別支援学校卒業)
- 特別支援学校から年に一~二回居住地交流をしていたが、近所の友達が作れなく遊べないから、一般学校に行きたかった。(本人、特別支援学校卒業)
(2)交流先の子どもたちの様子から
- 交流先の児童の感想が、「(障害があっても)一生懸命生きている」とか「僕もがんばろうと思った」等が多く、そこで止まってしまうこと。(教員 特別支援学校)
- いかにもその場限りの態度であったり、教員に言われて仕方なく介助などをしている場面に遭遇した。(教員 特別支援学校)
(3)結果として障害や違いを強調し、自然な人間関係にはならない
- 何もやらないよりは少しでもやった方が良いのかもしれないと思う反面、特別支援学校の人たちと自分たちとは違う存在だと言うことのみ、強調されてしまう危険性を常に感じている。本来ならばあなたと一緒に勉強したり生活していたりしたかもしれない存在、同世代の仲間だという意識になるのか、疑問に思ってしまう。小中学校まで同じクラスであった同級生が、たまたま交流会で再会して、複雑な表情を見せていたのが忘れられない。(特別支援学校 教員)
- 一つのきっかけになるかもしれないが、その学校で生活していないことは、ともに生き、いやなことも好きなことも共有できる人間関係にはなりにくい。どうしても表面だけの(形だけの)知識と理解になり、深い人間関係は築けない。(保護者)
- 障害のある人は必ず誰か近くに世話する人がいるという印象を持たせやすい現在の交流では、取り出す発想を生むが、「ともに」という考えが出にくいのではないでしょうか。(保護者)
4 交流及び共同学習ではなく地域の学校で日常的に一緒に過ごすことが共生社会につながる
(1)特別支援学校から地域の学校に転籍した子どもの保護者の回答から
交流は年に3回。交流ではやはり「自分たちとは違う子」という意識が子どもたちにあったように思う。近づいて話しかけたりする子は1~2人で、本人に話すというよりも保護者に話しかけていた。
地域の学校に転籍して普通学級で過ごすようになると、子どもたちは「自分たちの仲間」という意識で接してくれる。本人に話しかけ、車いすを押し、よだれを拭き、手をつなぎ、図工で作った作品をプレゼントしてくれた。誰かに言われたのではなく、子どもたちが自然にやっている。言葉によるコミュニケーションが苦手なうちの子を前に、子どもたちは会話をする。水筒を前にしてさわったら「お茶がほしい」。さわらなかったら「いらない」。うちの子がさわると「ほしいと言っているから飲ませてあげよう」という。子どもたちが日常を共に過ごしたからこそ成り立つ会話。
交流では得られなかったこと。それは近所を散歩しているときに名前を呼んで駆け寄ってくれること、大きなお祭りの人混みの中で声をかけてくれること。地域にあるスーパーでじろじろ見られないこと。全て普通学級で過ごすようになってから得られたこと。
兄は弟が自分と同じ学校に入ったことをとても喜び、また、弟の車いすを押し、二人だけで近所を散歩するなどしている。堂々とこの町で生きている。
以上のことは、交流をしていた特別支援学校時代にはとうていあり得なかったことで、想像すらできなかったこと。日常を共に過ごすからこそ、「こういう時はこうなんだ」ということを感じ取れる。だからこそ共に助け合うことができるし、人権と個性を尊重し会えるし、共生社会の実現を目指すことができる。ゆえに、交流及び共同学習はインクルーシブ教育とは言えない。(保護者)
(2)交流及び共同学習をインクルーシブ教育へつなげる実践を
- 数年前に担任していた児童のことであるが、6年間の居住地交流の結果、卒業に当たり交流校の友だちから一緒の中学校に行こうの一言で迷いが吹き飛び地域の学校に進学しました。その後も友だちの支えで苦しいこともあるが学校生活を楽しんでいる。とてもたくましく成長したし友だちもごく自然なことをして接しているように感じる。(教員 特別支援学校)
障害者基本法に権利規定を設けることの必要性についての意見
2010年12月2日
大谷 恭子
総則基本理念に基本的な権利を書き込むべきことは、10 月12 日総則たたき台において意見提出したが、これに加え、以下の理由で、各則においても、各施策義務の前提として、それぞれの権利の内容を規定するべきである。
1、障害者権利条約の権利性
国連は、1947 年世界人権宣言を宣言して以来、国際人権規約においてこの内容を条約化し、さらに個別に人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、障害者権利条約と、各人権条約を採択してきた。これは、宣言から法規範性のある規約へ、さらに全ての人権を網羅的に保障する国際人権規約から、人種、女性、子ども等属性ごとに各人権の内容を個別的に確定し、具体的に保障しようとしてきた歴史であるともいえる。すなわち人権の保障は、各人権の抽象的、網羅的、カタログ的な保障から、これを具体化する過程で、各人権の内容を個別に明確にし、更にこれを実現する手段を意識したものに発展してきているのである。その根拠はこれを必要とする立法事実が存していたということに尽きる。抽象的な規定だけでは解消しえない根深い差別と人権侵害の広範な事実が存していることを、共通に認識したからこそ、各種人権条約を採択し、これの批准を各国に迫り、国際監視の中で人権の国際水準を維持しようとしてきた。
障害者権利条約はまさに障害者の人権の具体的保障のための条約であり、障害者を権利主体とし、各権利の内容を確定し、さらに国際監視を政府報告だけではなく、個人通報制度を設け、また国内においてもモニタリング機構の必要性を明記したものとなっている。この人権条約としての障害者権利条約の国内法整備として障害者基本法を改正するのであるから、障害者がどのような権利を有しているかを明記することの必要性は自明のことであるように思われる。
2、人権条約批准と国内法整備
にもかかわらず、従来わが国は人権条約批准時の国内法整備の過程にあっても、差別の禁止を明記せず、また各権利を明文で規定することを避け、福祉として規定してきた。たとえば以下の条約批准時の国内法整備は以下のとおりである。
(1)女性差別撤廃条約(1985 年批准)と『雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律』(雇用機会均等法)(1985年)
女性差別撤廃条約はあらゆる分野における差別を禁止したものであるが、わが国にはそれまで、雇用段階の差別を禁止した法律を有していなかった。よって批准時にこの段階の差別を禁止する法律が必要だったのであるが、政府は、これを1972年制定された勤労婦人福祉法を改正することによって、しかも差別の禁止ではなく努力義務にとどまり(女性差別撤廃委員会からの数度の勧告を受けて1997年にようやく禁止規定に改正された)、女性が働き続けるために必要な妊娠出産時の「保護規定」は雇用における権利というよりも福祉として規定された。
(2)家族的責任を有する男女労働者の機会及び待遇の均等に関する条約(家族的責任条約)(1995 年批准)と『育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律』(育児・介護休業法)(育児休業については1993年)
家族的責任条約は明確に「家族的責任を有する労働者が、差別されることなく、また、できる限り職業上の責任と家族的責任との間に抵触が生じることなく職業に従事する権利を行使することができるよう・・・」(条約第3 条)とし、差別されることなく働き続ける権利があることが前提となっている。しかし、これの国内法である育児・介護休業法は、労働者の福祉を増進することを目的(第1条)とし、育児・介護休業を労働者の権利ではなく、福祉として位置づけられた。
(3)人種差別撤廃条約(1995 年批准)と『アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律』(アイヌ文化振興法)(1997 年)
国際人権規約は少数民族の権利を規定しているが、政府はアイヌ民族を少数民族として認めず、よって国内法整備はされてこなかったのであるが、人種差別撤廃条約批准時に、ようやく北海道旧土人保護法を廃止した。そして、このとき、これに代わる少数民族に対する差別を禁止し、アイデンティティの保障としての言語使用権を含めたアイヌ人権法が必要であったのであるが、文化振興法を制定するにとどまった。
3、人権条約の実効性
以上のごとく、従来わが国は条約の各権利規定を国内法化することを避け、個人の権利規定とせず、福祉として行政の施策義務として位置づけるか、文化振興の問題にとどめてきたのであるが、これは、国際社会が認知した立法事実を無視もしくは軽んじたからに他ならない。法は立法の必要性を立法事実として認識することによって制定される。国際社会がその必要性を認め、各権利を条約として成文化し、これを批准したにもかかわらず、国内法としては権利性を認めないなどということは、条約の優位性からも論理的に首肯しえない。この結果、わが国の人権条約の実効性は誠に不十分であり、再三にわたり国連の各人権委員会から勧告が出されているのである。また裁判における法規範性としても軽んじられている。要するに条約をより実効性のあるものとするためにも、条約に規定されている各権利を国内法に明記することが必要なのである。
これとの関連で、わが国は国際人権規約以降、各人権条約の個人通報制度(選択議定書)を留保し、未だに一つも批准していないが、これも人権条約に規定された個人の権利を国内法に個人の権利として規定しない姿勢と共通であると思われる。
しかし現政権は、個人通報制度の批准を公約しており、近い将来、これが実現することが予想されている。よってこの観点からも、今までの姿勢を大きく改め、権利規定を各法律に盛り込むべきである。
4、障害者基本法に盛り込むべきもの
以上の理由から、障害者基本法に以下の点を盛り込むべきである。
- 条約の基本理念を可能な限り盛り込むべきこと
- 各権利、特に現行法に明文規定のないものを明文化すること
たとえば地域で自立して生活する権利、インクルーシブ教育の規定は不可欠である - 法律名を『障害者の権利と施策に関する基本法』に改めること
- 前文をつけること
- 各施策の推進監督機構を設けること
以上
第27回障がい者制度改革推進会議(H22.12.6) 資料2-3 勝又幸子委員 提出
提案:「障害のある女性」を障害者基本法の総則および各則に加える
推進会議 構成員 勝又幸子
第25回長瀬委員の「障害のある女性」を入れるべきとのご意見に賛同し、以下のように条文のたたき台案を提出いたします。なお、この案は第26 回に提出したものに、各則部分の後半を追加し、更新しています。検討をお願いします。
10. 施策の基本方針
※(2)を追加することを提案。
<条文イメージ>
(1)障害者に関する施策は、障害者の自立及び社会参加を困難にする社会的な要因を除去する観点から、障害者の性別、年齢、障害の状態及び生活の実態に応じて、かつ、有機的連携の下に総合的に、策定され、及び実施されなければならないこと。
(現行法第8条第1項関係)<第22回資料2p.23>
※(2)施策を講ずるに当たっては、現状で障害のある女性が複合的な差別を受けていることを改善すべき重要課題と位置付け、障害者すべての人権及び基本的自由を完全かつ平等に享有することが確保されなければならない。
各則においては、新たに加えることを提案。
追加 各則
第○○条 障害のある女性の権利保障
日本が女子差別撤廃条約を批准したことを政策に反映すべく、国及び地方公共団体は、障害のある女性が、性の違いに基づくあらゆる区別、排除又は制限を受けることなく、すべての人権及び基本的自由を享受する権利を行使できるようあらゆる施策を講じなければならない。
また、国及び地方公共団体は、障害のある女性が、家庭の内外で暴力の犠牲になりやすい存在であること、すべての女性が当然享受できるはずの性と生殖の権利を認められなかった過去の歴史等、不当に取り扱われてきた事実を受け止め、障害のある女性の人権が、あらゆる施策の下に優先順位の低いものとして扱われることのないよう、最大限の注意をはらわなければならない。