いま わたしたちの けんりを うばうことだ
いつまで まっていれば いいんだ
わたしたちの けんり は まっていても
だれもわたしたちの けんりは くれない
だからこそ わたしたちが
わたしたちじしんで けんり しちょうを
しないと だれの けんりなのか
どうやっても わたしたちがえらんで
きめること させないでいる
けんりや
わたしたちが てのひらにのらずに
わたしたちが だれと どこですむか
いきたいところや したいこと
まなぶことえらんで きめられるし
ちいきですむことも できるぞ
ちいきですむのには お
なったりすることも もうやだ
ハンセン
こどもや こうれいしゃ しょうがいしゃは
これからもかくりされ だれもあやまることはしない
めんどうが みきれないから
はいじょし わけへだてられていき
かべをつくり ここからはいるなと いっている。
このことも
けんりをしんがいをしていることを ふせていれば
わからないといっているとおなじだ。
えらばらた
えらばれない
ひとめにみせないところにとじこめる。
いままでなにもかわろうともしない。
いままでほっとかされてきた しょうがいしゃきほんほうを
けんりじょうやくに ひじゅんをするときっかけに
しょうがいしゃきほんほうをかえると ゆうことになってきた。
いままで ほっとかされてきたことが それを
わたしたちしょうがいしゃ そのかんけいしゃでやってきた ことを
おおくの
わたしたち しょうがいしゃが かわるのじゃなく
だれでも あたりまえに くらしやすいものに
していかなければならない。
そのときに わたしたちに かんけいすることを きめるときは
かならず わたしたちの いけんをきいてきめることを
わすれてはいけない。
わたしたちはこれからも だれでも いきいき のびのび ゆうゆうとした
ちいきで くらすけんりがあると うったえていくぞ
かくりしゅうようを してきたことが
その かくり しゅうようをやめるべきだ。
わたしたちは
けんりも あるぞ
ピープルファースト
2011