障がい者制度改革推進会議
第7回(H22.4.12) 資料4
障害者施策の予算確保に向けた課題に関する意見一覧
第七回障がい者制度改革推進会議 意見提出フォーマット
障害者施策の予算確保に向けた課題等
○障害者予算の意義について
1.日本の障害者関係の公的支出(対GDP比)がOECD諸国の中でも低水準であるというデータもあることを踏まえて、障害者施策に財政を投入することの社会的意義や経済的効果についてご意見を賜りたい。
【大久保委員】
我が国の障害者関係の公的支出(対GDP比)がOECD諸国に比べ低い傾向であることは確かであるが、これだけをもって我が国の障害者施策関係の予算の大幅な拡大を求めることには無理があると考える。
まず、我が国における障害者施策関係予算が低水準である背景として、障害者率がOECD諸国(平均14%)に比べて、4.4%と目立って少ないということに注目する必要があると考える。つまり、障害の定義がOECD諸国に比べ狭く限定されたものになっており、言い換えれば、支援が必要な「障害者」に対して、その支援が行われていないという見方もできる。
なお、社会的意義や経済的効果の視点からは、障害者施策を含めた社会保障の推進が、安心できる生活基盤を確保することにより、安定した社会や経済を形成するとともに、それらに関係する新たな産業と雇用の創出という効果も期待できる。
また、障害者関係の公的支出(対GDP比)が上位の国においては、「障害者」を特別なものとして、その障害者施策の費用をネガティブな社会的コストとして考えるのではなく、「障害者」は社会を構成する市民として位置づけ、その障害者施策はポジティブな費用対効果を期待するものとなっているのではないかと考える。それは、障害者が救貧や保護の対象ではなく、市民としての消費者さらには納税者となって、経済社会への貢献をも期待していると考えられる。
我が国においても、方向性としては近いものと思われるが、「障害」の定義の見直しを含め、社会的意義や費用対効果について積極的に検討する必要があると考える。
【大谷委員】
障害者施策に、より財政を投入するべきである。
その社会的意義は、1981年国際障害者年に発表された世界行動計画において「ある社会がその構成員のいくらかの人々を締め出すような場合、それは弱く脆い社会である」と宣言されたように、共生と連帯に基づいた強靭な社会を作り出すことにあり、そのための費用として位置づけられるべきである。
よって障害者施策への財政投入は、あくまでインクルーシブな方向性においてなされなければならない。
この点において、現在の入院中心主義・施設収容主義の精神医療予算は抜本的に見直されるべきである。
精神科医療費の75%、1兆4535億円は入院医療費であるが(平成21年版障害者白書図表1-47)、入院者は精神障害のある人の総数(302万人)の約10%(32万人)である。この入院者のうち7万人余は社会的入院者とされている。さらに入院中心主義を改め地域移行を図るならば、本来、この入院人口は半減ないし3分の1に減少させることは可能である(OECD諸国の人口1000人当たりの精神科病床数は日本が約3倍である)。そうすれば、その分の入院医療費が不要となる。入院外の医療費は270万人に対して5000億円に満たない現状であるから、15万人から20万人の入院者を退院させても、入院医療費の減少分に対して入院外の医療費が増加しても、7000億円から9000億円に及ぶ予算を充実した地域生活支援に投入することが可能なはずである。
また、医療観察法では、一人の入院者に年間2200万円の入院医療費を投入しており(1か月分の入院費は生活保護費の1年分を上回る)、ほぼ毎年200億円を超える予算を投入して施設建設も進めている。この制度については入院中心主義・施設収容主義である点でも問題があり、さらに、病気や障害の重さとは関係のない対象行為によって精神障害のある人を選別しているため、他の精神障害のある人よりも重度でない人が、過大な予算を投入された施設に収容されて多額の医療費を投入され、反面で本当に充実した医療と支援が必要な状態にある人には十分な医療と支援が行われていないという偏った現状にある。医療観察法の対象とされる人は年間200人程度で、医療観察法による特殊施設に収容されている人も現在500人に満たない。この人員数に毎年200億円を超える施設収容費を投入するのは効率的で公平な予算配分とは考えられない。施設側でも、裁判所で入院決定を受けた人のうち、15%~25%は入院させるべきではない人であるという見解を示している(数億円の不要な入院費になる)。また、医療観察法の特殊施設でも、結局、社会資源が乏しいなかで偏見が助長されているために、社会的入院の傾向がでている。不必要な入院のために一人あたり毎月200万円前後の入院が浪費されていることも見逃せない(退院が5カ月遅れれば一人当たり1000万円、10人で1億円の冗費になる)。
精神医療では、入院中心主義・施設収容主義を改めることで、従来の不要な冗費を建設的な地域生活の支援に向ける余地がある。
図 OECD加盟10か国の精神病床数推移
人口千対病床数
1960
1965
1970
1975
1980
1985
1990
1995
2000
2005
Japan
Canada
France
Germany
Italy
Japan
Korea
Spain
Sweden
U.K.
USA
【大濱委員】
1)社会的意義
高福祉の北欧等に比べて、日本や米国の場合は、国民が疾病・障害・高齢の備えにと、貯蓄を過剰にしなければ安心して暮らせない現状がある。この不安への備えとして貯蓄性向が高くなり、家計で自由に使える金額が少なく、消費税等の税率を上げることに抵抗がある。国民の不安を取り除くための施策への支出を行えば、税率アップも許容される。
具体的には、①現行の小負担、中福祉中福祉施策は税政的に不可能である事 ②当面、中負担中負担、中福祉中福祉へ ③高負担、高福祉(北欧型)の選択を国民が望むのかどうか国政で問うべきである。
<日本の個人金融資産の特徴点>(注)日本銀行のHPより
- 総額、一人当たり残高ともG5諸国中第2位(1400兆円)
- 日本の個人は米国に比べ貯蓄好き(所得に占める金融資産の純取得額の割合が高い)
- 安全資産中心の資産構成
- 安全資産重視のスタンスが近年強まっている
http://www.boj.or.jp/type/exp/seisaku/exphikaku.htm#d
安心、安全な社会構築
2)経済効果
○障害者施策に財政を投入=介護者の増員(雇用誘発効果が高い)
「そのうち特に重度訪問介護は雇用対策として優れている。」
障害者自立支援法に基づくサービス類型の1つ重度訪問介護は、全身性重度障害者を対象とする長時間滞在型の訪問系サービス。重度訪問介護の利用拡大は以下の点で雇用対策として優れている。
☆公共事業に比べて雇用誘発効果が高い
もともと介護事業は公共事業よりも雇用誘発効果が高い。そのなかでも、重度訪問介護の事業者報酬額に対する給与費の比率は89.6%(平成20年障害福祉サービス等経営実態調査)であり、介護保険の訪問介護の81.5%(平成20年介護事業経営実態調査)を上回っている。
総波及効果 | 一次波及効果の雇用誘発係数 | |
---|---|---|
介護(居宅) | 4.2323 | 0.24786(全産業56部門中1位) |
公共事業 | 4.1149 | 0.09970(全産業56部門中22位) |
全産業平均 | 4.0671 | - |
「平成20年版厚生労働白書」より
公共事業に支出して地方に雇用を創出するよりも、ヘルパー制度(投入した事業費が人件費として支払われる割合が最も高い)に集中的に予算を投下し、雇用を創出する方が効果的である。
そのためには、市町村の負担(事業費の25%)を下げる、長時間介護部分は国が全額負担する、毎日24時間の介護が必要な障害者には24時間の支給決定を行うことを市町村に義務付ける、同居家族がいても家事援助を使えるようにする、通勤や仕事の介護も行うようにする、など思い切った改善が必要。
また質の向上が重要であるので、1対多数の集団介護(入所や通所やケアホーム)ではなく、1対1のヘルパーでの介護を基本にすべきである。
【尾上委員】
周知の通り、1981年の国際障害者年の行動計画では「障害者を締め出す社会は弱くもろい社会」であるとの指摘がなされた。
以降も、「障害者は高齢化社会の水先案内人」、「障害者問題は、その社会の豊かさのバロメーター」といったように、障害者の権利に関わる問題への取り組みは、(障害者のみならず)社会全体の豊かさや安心に大きく関係するとの提起がなされてきた。また、ユニバーサルデザインの理念やそれに基づく取り組みも広がってきている。
障害者権利条約の原則であるインクルージョンは、障害者をはじめ、誰も排除しない・されない社会を構築していくことを、私たちに要請している。
ある意味、障害者問題への取り組みの社会的意義は、すでに確認されてきているといってよい。
また、障害者は福祉サービス等の消費者としての雇用創出への関わりを持つことをはじめ、交通機関や建物・まちづくりのバリアフリー投資、そして、賃金補てん制度も含めた障害者の労働政策の展開は労働者全体の「処遇改善」-権利確立等にもつながっていくといえる。
障害者施策は、狭義の意味での福祉施策のみならず、労働、教育、まちづくりといった様々な分野に関連しており、そのもたらす効果は、本来大きいことを認識しておく必要がある。
しかし、にもかかわらず、政治の立場から、障害者分野への取り組みは大きく遅れてきたと言わざるを得ない。そのことが、設問にある、「OECD諸国の中でも低水準(最低水準)の障害者関係の公的支出」という結果をもたらしてきた。
この間、日本では、格差社会とセイフティネットの危機が大きな問題となっている。日本の社会保障制度は、企業と家族が代替・補完してきたのが大きな特徴として言われてきた。しかし、障害者は若年期の段階で雇用からも排除され、介護の期間も時には数十年に及ぶ。その意味では、日本の障害者の人権問題の深刻さには、元々、企業や家族によってカバーされ得ないという事情があったとも言える。現在の社会状況を先取りしたような形で、障害者問題は日本社会の矛盾を照らしている。
今、新しい排除が生み出されるのか、それとも障害者も含む全ての人がインクルージョンされる社会に進んでいくのかが問われている。
全ての人々がインクルージョンされる社会に、日本社会が歩みだしていくためにも、障害者予算の大幅アップの意義・必要性を認識して、国政で取り組んでもらうことを、強く求めたい。
【勝又委員】
社会的意義としては、貧困・格差社会の是正の方法のひとつとして、障害をもつ人をいかに社会的に支援できるかを考え実行していくことが重要であるとの国民的価値観の共有が必要。
経済的効果については、社会保障の一定の水準を達成した国として、一部の人の排除や差別の上に成り立っているような経済社会は恥ずかしいと思えるような国民的価値観の共有が必要。
【門川委員・福島オブザーバー】
障害者施策に財政を投入すること、すなわち障害者施策への公的支出を増加させることには、大きく分けて少なくとも次の三つの社会的意義があると考える。
第一は、障害者施策への公的支出の増加によって、一人ひとりの障害者の生活の質が向上するということ自体に意義があるということである。なぜなら、障害学の成果によれば、一人ひとりの障害者は社会との関係によって障害者となるのであって、一人ひとりの障害者と社会全体とは密接不可分の関係にあることから、障害者の生活の質の向上はそれ自体が社会全体の生活の質の向上を意味するものであるからである。
第二は、障害者施策への公的支出を増加させることで、一人ひとりの障害者をより適切に支援するための「仕組み(制度・実践)」を構築することができる、ということに意義があるということである。なぜなら、一人ひとりの障害者をより適切に支援するための「仕組み」は、それが一人ひとりの障害者にとって真に役立つものとなることを通じて、社会全体の共有財産となるからであり、そうした「仕組み」が「きちんと動いている」ことが、障害者のみならず、障害者でない人々(すなわち障害者になる可能性がある人々)にとっても大きな安心感をもたらすからである。
第三は、障害者施策への公的支出を増加させることは、そのための議論を必須とするわけだが、その議論のプロセス自体にも大きな意義があるだろうという点である。すなわち、それは、国会での議論をはじめとする公共の場において、どのように障害者施策への公的支出を増加することが望ましいのかという多くの議論を経てはじめて実現することであり、障害者施策への公的支出を増加させなければならないということを前提として、活発な議論がなされることそのものに意義があるということである。なぜなら、障害者施策への公的支出の増加を前提とせずに、障害者施策の「内部」において配分の振り分け方を変えようとしても、結局それは現状とは別の様々な「ゆがみ」を生じさせるだけであるのに対し、障害者施策への公的支出を増加させることを前提として活発な議論を行うことで、現状の障害者を取り巻く諸問題の多くを徐々に解決していくことができるからである。そうした諸問題の解決は、当然、社会の安定に寄与するものであるし、社会の持続可能性を高めることになることから、その社会的意義は非常に大きいといえる。ただし、障害者施策への公的支出の増加は社会保障における障害者以外の部門の縮小と引き換えに実現するべきものではなく、社会保障全体の底上げの中で障害者施策への公的支出の増加を実現させていくべきであるということに注意しなければならない。
なお、障害者施策への公的支出の水準がOECD諸国の中でも低水準であるということは、障害者施策への公的支出の水準の低さの一つの目安にはなるが、諸外国における障害者の定義の違いや施策体系の違いなどを考慮したとき、諸外国の水準を目標とすることは必ずしも適切ではないだろう。重要なことは、一人ひとりの障害者の生活の質を現実に向上させるために、公的支出の水準を引き上げなければいけないということ自体の方にあるだろう。
また、障害者施策への公的支出の増加には、見方により様々な経済的効果があるという指摘がある。しかし、経済的効果を計測することは一つの参考にはなるものの、経済的効果の有無によって障害者施策への公的支出の増減を正当化することは不適切だと考える。あくまでも障害者を含めたすべての人の安心・安全・自由と尊厳を守ることが社会全体の持続可能性を高め、社会の真の活性化に繋がる、という基本理念が重要であることも強調したい。
【川﨑委員】
資料を見るといかにも低すぎる。障害者施策に十分な支出をすることは、その国の文化度、成熟度に関係していると思う。そういう意味で日本はまだ発展途上国である。障がい者にやさしい国は、人にやさしい国であり、人への配慮に富んだ国作りである。ただ現在は全くそうではないのは、障害者施策に熱心でなかった結果であったともいえるか。
障害者がボランティアや就労など普通に社会参加すれば、その社会的意義や経済効果も大きい。また高齢者にとっても生きやすい社会となる。
また障害者の世話をしている家族を支援することによって、家族の社会参加、就労継続を進めるといった経済効果もある。
【北野委員】
A.わが国の障害者関連の公的支出の対GDP比が、OECD諸国の最低ラインである理由が2つある。
1つは、先進諸国では特異な、家族扶養におんぶにだっこの国だからである。もう1つは、障害者が社会の一員として社会参加・参画する権利が認められていないことである。
例えば、イギリスの王立委員会の1999年の長期ケア報告書では、65歳までの障害者の長期ケア費用は、65歳以上の高齢者の長期ケア費用の2倍を超えている。それは、65歳までの障害者の長期ケアが、就労支援や社会活動支援等の社会参加支援が多いだけでなく、高齢者ケアが、社会的ケアと家族的ケアのケアミックスであるのに対して、65歳までの障害者が社会的ケアを中心としているからだと思われる。
スウェーデンやデンマークが障害者・高齢者共に社会的ケアを基本としているのに対して、他の欧米諸国は障害者は社会的ケアを基本に、障害児と高齢者は、家族的ケアと社会的ケアのケアミックスとしている。これは、成人となった障害者を家族介助に縛りつけておくことが、本人の社会的自立にとってもその家族の社会的自立にとっても、ノーマライゼーションや自立と共生の理念に反するからである。
いやもっといえば、障害者が地域での就労を含めた普通の市民としての社会参加と社会的役割を遂行する『自立と共生』の理念は、障害者本人とその家族へのメリットを超えて、ただただサービスを消費するだけの依存的な弱者としての障害者像を変革し、将来の社会的総負担を減少させてゆくことが期待できる。
【清原委員】
障がい者を含む国民の誰もが、健康で文化的で人間として尊厳ある生活を維持する権利のあることから、国の障がい者の基本施策にそのことを位置づけることが求められる。
また、ユニバーサル社会の構築は目指すべき社会像のひとつであり、障がい者の視点に立った施策は、ユニバーサル社会構築の先導的な役割を果たすことが期待される。
そして、ユニバーサル社会を推進することを目指した技術開発は、新しい技術革新を生み出し、関係産業の活性化をもたらすとともに、ユニバーサル社会構築は国際的な共通課題でもあり、日本からの国際貢献の分野の創出をもたらすものと考える。
【佐藤委員】
大きな、かつ多くの意義がある。
第1に、障害者施策のサービス事業(現物給付)は経済成長に大きく貢献する。これは社会福祉や介護全体に共通する。公共事業以上の効果がある。厚生労働白書が指摘している。
「社会保障分野の総波及効果」(平成20年版厚生労働白書 図表1-3-10)によれば、福祉・介護分野の経済的波及効果はかなり高い。すなわち、「総波及効果」(生産波及効果(1次効果)プラス追加波及効果)を一部の産業についてみると、全産業平均=4.0671(総波及係数)、輸送機械=4.7741、社会福祉=4.2889、住宅建築=4.2631、精密機械=4.2437、介護(居宅)=4.2332、公共事業=4.1149、運輸=4.0149、不動産=3.2207、などとなっている。つまり、福祉や介護は全産業平均よりも、公共事業よりも経済成長に貢献する。
第2に、障害者施策のサービス事業(現物給付)はまた高い雇用誘発効果を示す。
「社会保障分野の雇用誘発効果」(平成20年版厚生労働白書 図表1-3-11)によれば、100万円の需要で何人の雇用が生まれるかをみる「雇用誘発係数」では、介護が1位で0.24786、社会福祉が3位で0.18609、医療が15位で0.10572となっており、住宅建築の19位0.10177、公共事業の22位0.09970、輸送機械の39位0.07785などより雇用を生み出す効果が高い。(順位は全産業を56部門に分けて比較したもの)。
福祉・介護は人件費比率が高く、また平均賃金が低いという事情も反映しているとはいえ、雇用を拡大する効果が非常に高いものといえる。公共事業の2倍以上である。
第3に、障害者施策のサービス事業(現物給付)は、雇用を拡大する。第2の効果は、サービス事業そのものが雇用労働によって行われるために雇用を生み出す効果であるが、第3の効果は、サービス事業の「結果」生み出される雇用である。つまり、福祉・介護により家族が介護から解放されて働けるようになる例は多く、本人も就労移行支援などを経て働くことになったり、治療や医学的リハビリテーションで職場復帰することも多い。
第4に、これが最も重要な目的であるが、障害者施策は(現物給付、現金給付を含め)障害者と家族の生活を安定させ、自分の選択による社会参加を促進し、生きがいを高める。
第5に、こうした公的な制度による生活の安定と社会参加の可能性とは障害者と家族を安心させる。さらにこうした制度の存在を知る非障害者も将来安心できる。安心すれば過度に貯金する必要もなくなり、消費が伸びる。また障害者世帯は一般に低所得であり、低所得者への金銭給付は、貯金に回らずすぐに使われる可能性が高く、経済循環を活性化させる。
第6に、障害者施策の改善は、すべての人々の社会参加と貢献を促す。
たとえば、昼間都内のバス・電車などにたくさんの高齢者が乗っている。平日でもしばしば満員に近い。物理的バリアフリー対策は、高齢者への運賃割引きなどとも相まって、高齢者の社会参加を確実に拡大している。これは高齢者の生活の質を高め、就労を含む社会参加と社会貢献を広げ、健康増進にも役立っている。「障害者施策」の社会的意義を典型的に物語るものである。
第7に、障害者施策によって障害者、とくに重度障害者が社会参加することにともない、非障害者の人間観・社会観が影響を受ける。能力主義的で一面的な価値観に縛られることなく、違いや多様性を尊重することができるようになる。より自信を持って自分の多様な興味や個性を発揮できるようになる。この点は、かつて糸賀一雄が「この子らを世の光に」と述べた点であり、国連が「一部の構成員を締め出す社会は貧しい社会である」と指摘した点である。
【新谷委員】
社会的弱者の放置・排除が結局はその社会自身の自己否定、崩壊を招くことの歴史的な経験を踏まえて、私たちは「個人の自由な競争による市場経済の仕組みを前提とし、そこで生じる経済格差ないし富の分配の不平等といった問題を社会保障などによって事後的に是正する」福祉社会という考え方を手に入れることができました。また、対価のある労働だけではなく、主婦の育児や家事に代表される多くの対価のない労働によっても社会が維持されていることを学びました。また、「青い芝の会」は「障害者にとって労働とは生きていくことそのもの」と主張しました。経済的効果といった不確かな指標ではなく、私たちの社会にとって共生の維持が現実的な理念であることを改めて考えるべきと思います。そして、福祉社会の基盤となる社会保障のための費用は、私たちの社会を維持するコストと考えるべきです。社会維持コストは、その額の適正さを論じる余地はありますが、「経済的効果が少ない」として維持コストを負担しないわけにはいきません。それは、社会の崩壊につながります。
障害者施策は、教育・医療・介護などと並ぶ重要な公的社会支出でありながら、余りにも低い水準に置かれています。東京大学の松井教授の資料では、「2007年のOECD統計で、日本の公的社会支出はGDP比18.6%であって、OECD平均の20.5%よりやや低い程度であるのに対し、日本の障害関連の公的支出はわずか0.7%と、OECD平均の2.3%の3分の1以下に留まっている。」とあります。日本の公的支出の低さも問題ですが、わけても障害者関連支出の低さは抜きんでています。
障害者の範囲を権利条約に合ったものに見直し、その人たちの社会生活を営むためのコストがどれくらい必要なのか、その費用を社会全体でどのような仕組みで負担していくのか?推進会議では、時間をかけて、様々な角度からこの問題を議論していくべきと考えます。
なお、経済的効果という面では、一般論として下記の点が指摘できると思います。
1)障害者支援枠への執行
福祉関連企業に財政がまわることで(健常者の)雇用確保につながり家計に余裕をもつことで消費及び納税に効果等がみこまれる。
2)障害者自立への執行
障害者が一人(介護者も含め)で行動することで社会的な消費をおこなうことができる。また障害者が働く事により納税可能となればそれだけ効果は現れてくると考えられる。
【関口委員】
社会的意義も経済的効果も12分にあるとかんがえる。
社会的意義については、障害者が生きやすい社会は、市民も生きやすい社会であると考える。俗に言う、公助、共助、自助、と言う点からみても、自助の困難な障害者には、まず十分な公助が無ければ、障害者の尊厳が保障されないと考える。共助というのは、何らの担保も権利・義務も無いからである。これらは、構造改革のもと、作り出された虚構の概念である。
経済的効果については、医療と福祉への財政投入は必ず消費に回されるものであり、経済的効果とりわけ疲弊した地方経済回復に好影響を与える。新たな雇用を生むし、消費も嵩上げする。付随して必要な工事等を含めれば経済的波及効果は大きいと考える。
【中西委員】
キデンスと渡辺は「日本の新たな「第三の道」」において、イギリスは国家介入主義的な傾向の極めて強い社会民主主義的国家であり、完璧な福祉国家をすでに経験し、さらにレッセ・フェール(自由放任主義)的な自由市場経済も経験してきたが、日本型市場主義は平等を重視し、格差を小さくし、その為に政府が自由競争を制限して、その上福祉制度は不全で企業が終身雇用制度や住宅手当などを出して保管していたとしている。アメリカやイギリスのようなアングロサクソン型市場主義は、冷徹な個人主義、他人に対する冷淡な無関心、自己責任の概念をもつ代わりに、完璧な福祉制度と競争に敗れたもののためのセーフティーネットが用意されていた。それに反して日本でこの制度を導入した小泉政権では、格差社会をセーフティーネットや福祉制度を未整備なまま導入したため混乱が起こった。
小泉政権では、福祉予算への支出は無駄金ととらえられてきたが、民主党政権では、重要な内需を生み出す要素というとらえ方がされている。実際雇用創出効果という点において、介助サービスは建設業をはるかにしのぐ率を示している。
日本は福祉の充実した国であるといつのまにか思い込まされてきた感がある。しかし、実態はOECDの中でアメリカと最下位を競い合っている状況であり、劣悪な福祉制度で我慢させられるのが当たり前のようになってきた。
日本の障害者予算は年間860億円で高速道路1Km分である。このわずかな予算を三障害で分け合っており、特に精神、知的障害者に対する地域生活のための予算は皆無に等しい。施設からの地域移行が理念としては唱えられても、その財政的基盤は無である。せめてOECD諸国の平均値である今の予算の4倍の財政を投入すべきである。
【長瀬委員】
私たちの社会は何を目指しているのかという原点から日本の社会のビジョンを考え直す必要がある。それが、日本国憲法第13条が示す、「個人としての尊重」であり、「生命、自由、幸福追求」であるならば、一人ひとりが自らの人生をさまざまな意味で充実させ、幸福に暮らせる社会作りであろう。そのビジョンの一環としての障害施策の充実という位置づけが必要である。
たとえば自殺率や相対貧困率の高さに示されるように、日本社会を「板子一枚下は地獄」と感じさせるものでなく、「大船に乗った」とまではいかなくても、安心感が持てる社会にするという道を私たちは選ぶことができる。
日本の障害関係の公的支出がOECD諸国の中でも最下位グループであるのは周知のとおりである。たとえば、「2007年のOECDの統計によると、日本の公的社会支出は国内総生産(GDP)比18.6%であって、OECD平均の20.5%よりやや低い程度であるのに対し、日本の障害関連の公的支出はわずか0.7%と、OECD平均の2.3%の3分の1以下に留まっている」(松井彰彦、「「ふつう」の人の国の福祉制度とスティグマ」『経済セミナー』、2009年8・9月号)。
障害者の権利条約が、その一般的原則(第3条)として「差異の尊重」を挙げているように、「障害者」と呼ばれる人たちの存在は社会全体にとって多様性という観点からも重要である。しかし、上記の過少な公的支出のひとつの結果として、私たちの社会は、「障害者」と呼ばれる人たちと、その家族に、あまりにも過重な負担を強いてしまっている。負担を特定の個人や家庭、世帯の私的なものから、公的な、社会全体で分かち合う方向性に向かう機会として、そして、さまざまな違いのある「個人としての尊重」実現の一環として、障害者の権利条約の批准をとらえたい。障害分野の支出はそうした社会作りへの必要な投資である。
未来への投資として、まさに経済の活性化のためにこそ、障害分野への財政投入の意義はあることを示す研究の蓄積が進んでいる。そして、「個人としての尊重」と、「生命、自由、幸福追求」を保証する社会作りの財源確保のために、租税負担率の上昇、具体的には所得税(高額所得部分の課税累進性の復活)、消費税、相続税(ストックの部分の平等推進という観点から)の増税を障害分野の私たちこそが訴えることができるのではないだろうか。
【久松委員】
日本の財政投入は公共事業に偏っており、社会保障対策は先進国最低である。今日の高齢化社会にふさわしい社会保障重視の財政投入への変換が求められている。
障害者の地域生活を可能にする福祉諸施策を実施する地方公共団体への予算配分を増やし、また、サービス提供事業所や施設の整備、介護人材育成等は雇用創出・地域経済振興などに結びつき、その社会的意義は大きいと考える。
【松井委員】
OECD諸国、とくに欧米諸国とくらべ、日本の障害者関係の公的支出(対GDP比)の比率が低い要因のひとつは、障害者の範囲が狭いことにある。それにしても他のOECD諸国とくらべ、日本の水準は低く、それを少なくともOECD諸国の平均程度まで引き上げる必要があろう。
最近国内でも病気やケガで働けなくなるというリスクにそなえ、「長期所得保障保険」に加入する人が増えているが、公的保障を拡充することでそうしたしリスクにも対応できるようにすれば、障害者も含め、多くの人びとが安心して生活できるようになることからその社会的意義は大きく、またそれらの人びとの経済生活維持可能にするによる経済的波及効果も少なくないといえる。
【森委員】
OECD加盟国の障害・労災・傷病関連支出の対GDP比が他の国と比較して最も低く、加盟国平均の2.8%に較べ、3分の1以下という0.8%というわが国の状況は由々しきところである。わが国では、障害者施策に財政を投入することに関する理解を進める必要がある。
社会保障の充実と経済成長は相反的なものではなく、ポジティブウエルフェアという考え方のもと、社会保障の充実を図ることが障害のある人の潜在的な能力を引き出し、経済成長の戦力として活用できる状況をもたらすのみならず、社会保障の充実により格差が少なくなってもたらされる安心感が健康生活や消費活動などの活性化をもたらされると考えられる。すなわち、障害者施策に財政を投入することに関しては社会的意義が大きいのみならず、経済的効果も期待されると考えられる。
2.財政措置の水準は広い国民的な合意・理解・支援があるかどうかによって左右されるといわれ、国でも自治体でも障害者施策への予算配分の強化には国民の障害者理解の程度が大きな意味を持つ。この点で、障害者理解を広げ高める取り組みの改善についてどう考えるか、ご意見を賜りたい。
【大久保委員】
障害者施策への予算配分の強化について、国民の理解を得る取り組みが重要と考える。
既述したように、我が国において支援を必要とする「障害者」が支援をうけられていないという現状を踏まえた、対象拡大による障害者施策予算の増額については、国民の理解を得ることは可能と考える。
一方、現行の障害者施策における質的充実を根拠とする大幅な予算の増額を求めるのであれば、医療や年金、福祉等を含めた社会保障全般との関連のなかで理解を求める必要があると考える。
特に、国民にとって身近といえる、障害者である要介護の高齢者の問題に十分配慮した取り組みが肝要と考える。
【大谷委員】
障害者に対する理解は、それぞれの生活空間に障害のある人が生活し、ごく自然に出会い、触れ合うことによって最も確実にかつ完全に広げることができる。よってそのためにはそれぞれの成長の早期の段階で障害のある人と出会うことが必要である。地域の保育園、幼稚園に障害のある子がいて、教育段階で分離されていないことがまずは保障されていなければならない。
共に育つことによって、障害のある人には何が必要であるかを体感しえるのであり、社会全体としてなすべきことへの理解も促進される。
【大濱委員】
全ての障害者が社会にインクルージョンされることで、社会のごくあたりまえの一人。その社会の一員としてどのような重度の障害者であっても地域で普通に暮らせるような仕組みは当然。このような国民的合意形成の根源が障害者の権利条約での「インクルーシブな社会」の実践であろう。
障害者の権利条約での「インクルーシブな社会」を実践することで、
① 全ての障害者が社会にインクルージョンされることで、障害者も社会のごくあたりまえの一員であるとの社会認識を得ることが重要。
② 同時に、「誰でもが何時、障害者になるか知もしれない。10人に一人1人の割合で障害者がいて、障害が有っても、非障害者と同じ人、特別な存在、特別な人でない。」
③ その社会の一員としてどのような重度の障害者であっても地域で普通に暮らせるような仕組みは当然。
重い障害があって「引きこもり」状態にある人たちも「社会的認知」を受けることが大切。
たとえば、頚損頚損のAさんは1日24時間の介護が必要だが入所施設を出て商店街の一角のアパートに1人で暮らし、NPOでのボランティア活動にヘルパーと通勤し、毎日帰りに商店街で買い物(ヘルパーとともに)をして店で会話する中でご近所さんとして商店や町の人に認知されている。
施設ではなく、地域住民の生活の場に障害者がヘルパーの良質なサービスを使いながら毎日外出し地域に溶け込んでいくことが1番重要である。それを毎日見ることで、住民は障害者を仲間として身近に感じ、「自分や家族が病気や事故で障害者になっても、このような良質なサービスを使って、マンションで暮らせ、仕事にも余暇にも参加できる」と実感する。これが障害福祉予算の拡大拡大への理解につながる。
つまり、重度の障害者を施設・病院から町のなかに戻し(ヘルパー制度の推進)、地域の行事や買い物や職場に外出できる取り組み(ガイドヘルパー制度の推進)をまず行うべき。また、学校は統合合し、職場に義務付ける障害者雇用率を上げることが重要。環境をユニバーサルにすることも必要。これらを行えば、消費税増税時時、障害者施策に増税の一部を充てることなども国民の理解を得られやすい。
【尾上委員】
まず、第一に、設問1にあった「OECD加盟諸国の中に最低水準の障害者予算」ということについて、政府として確認をする必要がある。
今までも色々なところで、日本の障害者関連予算の低さが指摘されてきたが、これまで政府は様々な理由をあげて、その事実を認めてこなかった。
一方、この障害者制度改革推進会議設置の元になった、民主党の障がい者政策PT報告書では、「諸外国との比較において、GDP比で低い社会支出(北欧諸国の約1/6、イギリスの約1/3、アメリカの約1/2、OECD調査による)」と、日本の障害者予算がきわめて低い水準にあることを認めている。
そして、その事実認識に立った上で、「改革17項目」の、その15として、「その15 障がい関係予算に数値目標を定めます。わが国における障がい者に係る予算は、諸外国との比較において、GDP比で低い社会支出と国民負担率となっているため、立ち遅れている社会的地域基盤の整備と経済的自立を促進し、障がい者福祉施策を推進するため、施策項目と達成期間等を定めた総合的な福祉計画と財政的な数値目標を定める」としている。
政権として、こうした事実認識と、今後の障害者関係予算への政府一体となった取り組み姿勢を確認して、市民にアピールすることが、ぜひとも必要である。その点から、中間報告がまとまった段階で、その内容を元にして、今後の障害者制度改革への取り組み方針を閣議決定して、広く市民に示してほしい。
第二に、障害者問題を身近な、市民全体の問題として、その認識を広げていくためにも、子どもの時から地域で分けられずに育ち、インクルーシブな教育制度のもと、共に学び、そして、共に生き、働くといった政策に転換していくことが必要である。
設問にある「障害者理解」という表現に見られるように、これまで障害者は理解される客体として見なされてきた。しかし、それは障害者を社会全体と切り離された集団として取り扱う制度・仕組みが、暗黙の前提となっている。
当推進会議で教育の項目を検討した際にも指摘したが、現行の障害者基本法・第14 条3項の「交流及び共同学習を進める」としている規定で、「交流」とは障害のある子とない子を分けることが前提となっているからこそ生じる記述である。
障害のある者とない者を分けないことを原則とした政策への転換こそ、理解を広げていく意味でも求められている。
第三に、障害者権利条約が提起している社会モデルへの転換を、社会全体の認識として広めていくための研修プログラムの開発や、広報を進めていくことが必要である。
以上、提起してきたことを進めていく第一歩として、当・推進会議で中間報告などがまとまった段階で、ぜひ、全国各地で、タウンミーティングを展開することを提案したい。障害者制度改革推進本部・推進会議・推進室のメンバーが、自ら赴き、障害者や関係者はもちろん広く市民が参画する中、意見交換を重ねる形で、今後の障害者制度改革を共に考える機会をぜひ持ってもらいたい。
【勝又委員】
障害者理解を広げ高める取り組みは「かわいそうな人を助ける」というような意識ではだめ。共に生きる社会は自分にとっても生きやすい社会だと認識できるような効果的な方法を考えるべき。たとえばどんな時に人は障害者に偏見をいだくのか、などの調査研究を行い、偏見を与えるような事象(たとえばマスコミ報道など)を是正するなど、積極的方法を開発すべき。
【門川委員・福島オブザーバー】
障害者理解を広げ高める取り組みのうち、いわゆるイベントやキャンペーンのような啓発活動は、わかりやすいが、その実効性については大いに疑問がある。確かにそのようなイベントに参加した人々が一定程度障害者について理解したとして、それは一時的・限定的なものにとどまり、広がりと継続性に欠ける。少なくとも、障害者施策への予算配分の強化のためにイベント的な啓発活動をする、すなわちそうした啓発活動への支出を増やすということにはあまり意味がないと考える。
これまで少しずつしかし確実に障害者理解が広がってきているとすれば、その理由としては、啓発活動のようなものへの支出ではなく、一人ひとりの障害者が様々な困難に直面しつつも社会的な活動に取り組むようになったことや、そうした活動を契機としてインフラが整備され、実際に障害者を目にする機会、障害者と触れ合う機会が増えてきたということの方がより重要であると考える。
したがって、障害者理解を広げ高める取り組みとして行うべきことは、インクルージョン教育の推進や大学での障害学生の受け入れの推進といった教育分野での取り組みの強化や、欠格条項の撤廃や就労支援施策の充実といった労働分野での取り組みの強化であると考える。これらの取り組みを通じて、実際に障害者の社会参加が促進されれば、それが最も効果的な、障害者理解を広げ高める取り組みとなるだろう。それと共に、イベント的な啓発活動は、こうした取り組みの成果を紹介し、ノウハウを交換し、人と人とが交流する、といった継続的で広がりのある取り組みにつながるものとしていく必要がある。
【川﨑委員】
今まで障害者理解を広げる取り組みをどの様にしてきたのか、いまひとつ印象が薄いが(パラリンピックの報道も扱いが小さい)、短期的にはマスコミなどを使ったキャンペーンがよいか。中長期的にはあらゆる場面への障害者の参加や統合教育の実施が効果的と考える。
【北野委員】
A.2種類の社会的合意の形成を行う必要があると考える。
たとえば、アメリカで1990年に、障害者運動が、その総力で持ってADA(障害のあるアメリカ人法)を勝取った時、彼らが展開した各種の全国(民)的運動、各種の社会的連帯をして、社会(国民)的合意の形成というのであれば、それはその強制力の付与のため、絶対必要である。しかし一方、これまで市民の一員として、あたりまえの社会参加・参画すらできなかった市民としての一般的な権利が、障害者にも適応されることについてまで、その合意を求める必要はないと障害者が考えるのもまた当然だと言える。
前者については、①障害者の定義と範囲を大幅に拡大して、影響力を高める。つまりは、多くの市民とその家族自身の課題としての理解を深める。②自分自身や家族の障害をカミングアウトできる、地域と文化を作る。③障害者(運動)と連帯できる、高齢者運動や女性運動や労働運動や反貧困運動や消費者運動を支援し連帯する。④参考になる諸外国の実践や制度をともに学ぶ機会をつくる。⑤自治体レベルでの差別禁止条例づくりにむけて、地域レベルで多くの住民を巻き込んで協働する。⑥広く、マスメディアや音楽・芸術・芸能界等に呼び掛け、協賛・協働する。
等の展開が求められる。
一方、後者についても、わが国ではいまだそれが当然の権利として確立されてはいないことをふまえて、
⑦それは、障害者の権利なんかではなく、市民(国民)一般の権利が、これまで市民(国民)の一員としてすら認められていなかった障害者にも適応されるだけであることを、障害者を含め市民(国民)全体に理解してもらう。
⑧学校や職場や地域で、女性や高齢者や多国籍・多文化の人や障害者など(Diversity)が、うまく参加・参画できることは、それ以外の学生・労働者・市民にも学びやすい・働きやすい・過ごしやすい場であることを、ユニバーサル・デザインを含めて、さまざまな実践を通して相互に会得してゆく。
と言ったことが必要となろう。
要は、障害者施策への特別な支出などではなく、市民生活全体に及ぶ大切な課題であることを、相互に共有してゆくプロセスが大切だと思われる。
【清原委員】
障がい者を含む国民の誰もが、地域での生活を営む上で、手助けや介護が必要な状態となった場合には、社会のセーフティネットとして機能するような、普遍的な介護に関する保障制度が求められる。
それとともに国民相互の社会連帯や支えあいの精神を制度やシステムに反映していく必要がある。
【佐藤委員】
障害者理解を高めることが予算確保のためにも重要である。障害者理解を高めるために、第1に、障害当事者自身の力を活用することが重要と思う。障害理解のために最も大きな教育力を持っているのは障害当事者だと思われる。学校、職場、地域などでの障害理解プログラムへの当事者参加、職場・学校などでの同僚・級友としてのふれあい、国・自治体などでの政策・計画作りの委員会などへの参加、などを推進すべきである。
第2に、テレビなどのマスメデイアのあり方を障害当事者を含めた検討機関を設けて改善すべきである。事件報道のあり方を見直すとともに、ドラマで背景・風景に(も)障害者を描くなどを含めて協議をすべきである。
第3に、なにが障害者差別か、合理的配慮か、具体的イメージを関係者が共有するために、各業界団体と障害者団体が協力して「○○業界サービス提供ガイドライン」、「合理的配慮好事例集」などを作成すべきである。そのために内閣府の2008年調査に寄せられた当事者の生の声などを関係者で検討すべきである。またアメリカのADAの実施のための合理的配慮の例示集など、諸外国の経験を学ぶ必要がある。
第4に、市民の障害者理解の最大の影響因子は国・自治体の政策・計画とその基礎となる考え方であることに心すべきである。
内閣府は2007年、日本、ドイツ、アメリカの国民の無作為抽出による各国約千名を対象に、障害者観などについての調査を行った。(内閣府、「平成18年度障害者の社会参加促進等に関する国際比較調査の概要」)。ここから「日本人の障害者観」の特徴が伺える。それは、障害者とは人口のごく一部で、一般の人とは異なった生活をしており、気楽に接することができない、自分が障害者になるのはごめんだ、という理解である。バリアフリーを知っているがノーマライゼイションを知らないということは、障害を主に身体障害と考えており、物理的環境のみに目が向けられていることを表している。
障害者とはごく一部の特別な存在であるとの日本人の障害(者)観は、実はそうした障害(者)観による政策の反映であるように思われる。大部分は自助努力・家族負担に任せ、放置できないほどに社会問題化してから渋々と支援対象として来た。支援対象に認定するハードルも高いものであった。プライバシーもないような施設や病院に10年以上もとどまらせるような処遇を続けてきた。こうした事実に囲まれていれば、「通常の人間的ニーズを満たすのに特別な困難をもつ普通の市民」との国連の障害者観は定着しない。共生社会などのきれいな言葉やスローガンよりも、国民は政策の実態をもとに障害(者)観を形成する。日本人の心性かどうか政府・自治体の影響が強いので、市民の障害者理解の最大の影響因子は政策・計画とその基礎となる考え方であることを心すべきと思う。
【新谷委員】
障害者福祉施策は現在の障害者のみを対象とするものであってはなりません。事故、病気、加齢によりだれもが障害者となる可能性はあります。つまり、障害者を支援をすることは結果として国民全体への支援であるとも言えます。国民の理解というよりは国の施策への考え方をそのように変えていく必要があります。
子ども手当、高等学校無償化についても独身世帯には無縁のようでありますが、その人たちも将来家庭をもち、子どもを養っていく可能性があります。また高齢者にとって子ども手当は無縁かもしれませんが自身の子の子(孫)に関わる可能性があります。
広い国民的な合意・理解・支援の仕組みとして、権利条約第8条は「意識の向上」を規定しています。障害者基本法は、わずかに「障害者週間」の規定や「障害者基本計画」などを規定するのみですが、権利条約第8条は非常に豊富な内容を持っています。障害者基本法に権利条約第8条の規定を盛り込み、現行の「障害者基本計画」の見直しと詳細な実行プログラムを作成すべきです。
権利条約第8条の川島・長瀬訳を下記します。
(第8条)
1 締約国は、次のための即時的、効果的かつ適切な措置をとることを約束する。
(a) 障害のある人の置かれた状況に対する社会全体(家族を含む。)の意識の向上、並びに障害のある人の権利及び尊厳に対する尊重の促進。
(b) あらゆる生活領域における障害のある人に対する固定観念、偏見及び有害慣行(性及び年齢を理由とするものを含む。)との闘い。
(c) 障害のある人の能力及び貢献に対する意識の促進。
2 このため、締約国が講ずる措置には、次のことを含む。
(a) 次のために、効果的な公衆啓発活動を開始し及び維持すること。
(i) 障害のある人の権利を受容する態度の育成。
(ii) 障害のある人に対する肯定的認識及び一層高い社会的意識の促進。
(iii) 障害のある人の技能、功績及び能力並びに職場及び労働市場への貢献に対する認識の促進。
(b) すべての段階の教育制度、特に幼年期からのすべての子どもの教育制度において、障害のある人の権利を尊重する態度を促進すること。
(c) すべての媒体〔メディア〕機関が、この条約の目的に合致するように障害のある人を描写するよう奨励すること。
(d) 障害のある人及びその権利に対する意識を向上させるための訓練計画を促進すること。
【関口委員】
国民の理解が先か、実行が先かの問題と考える。実行することにより、障害者理解が進む側面があることも忘れてはならない。この意味であくまでも国民の理解を先に求めるのは、百年河清を待つ、がごとしである。
介護保険優先原則の撤廃により高齢者も障害者福祉サービスを使えることになれば、多数の国民の理解が得られることとなると考える。
また、いかなる障害を得ても安心して地域で生活できることは基本的人権の問題であり、人権問題としての主張が重要と考える。
障害者理解を広げる取り組みも、そのための財政措置が先行すべきである。
参考意見: 大阪精神障害者連絡会 塚本正治
まず教育現場において、児童・生徒に精神障害者問題を学ぶ機会を保障する必要がある。それは医者・専門家中心ではなく、精神障害者自身が病の体験を語る-語り部活動を事業化し推進する必要がある。
一般国民は「精神障害者はなにをするのかわからない」という根強い社会的偏見をもっており、精神障害者への社会的偏見を助長する施策の停止(医療観察法の廃止等)を行うと同時に、精神障害者自身が病の体験を一般国民に対して語ること-語り部活動を事業化し推進する必要がある。
【中西委員】
国民の合意は、自分も最重度障害者になっても安心してこの国では暮らしていけると感じた時に初めて得られる。実際に充実した福祉サービスを体感した時に国民はこのサービスをなくされては困るとサービスの提供を支援し、最重度の障害者が24時間の介助者をつけて充実した人生を送っているのをみて理解するのである。
政府はまず実行してみることである。スウェーデンにおいても24時間介助について高額すぎるという声がサービス発足前にはあったが、始まってからは国民がこれで安心して暮らせるとおおいに賛成したという話である。
【長瀬委員】
「社会モデルの定着という課題」
日本の障害者運動が果たしてきた社会的な役割は非常に大きい。そして多くの功績を挙げてきた。たとえば、1970年代からの優生思想への取り組みは、現在でも出生前診断への抑制的な日本政府の姿勢(世界の中でも例外的)となって実っている。また、その所得保障の取り組みは1985年に障害基礎年金の創設となって結実した。国際的にも、自立生活運動やろう者はアジア地域を中心に、障害者同士による国際協力を展開してきた。
また、障害の社会モデルと呼ばれる、社会の障壁が作り出す不利益、抑圧としての「障害者問題」(もしくは「健常者問題」)に日本の障害者運動は長く取り組んできた。それは国際的に見てもすばらしい実践であり、成果である。
しかし、私たちの社会は、多くのメディアが障害者に関する大量の報道を続けているが、「障害を克服する」という表現に示されるように、障害の個人(医学)モデルに依然として基づき、障害者と呼ばれる人たちの「身体的・知的・精神的障害(損傷)」が問題の焦点であるという見方を根強く持ち続けている。「障害者」という表現に抵抗感が示されるのも、障害の個人モデルが背景にある。
障害者運動が多くの成果を挙げてきたにもかかわらず、障害の社会モデルの社会的な浸透が達成できていない現状がある。したがって障害の社会モデルに立脚する障害者の権利条約の批准に向けての取り組みを通じて、社会モデルすなわち、「障害者」と呼ばれる個人ではなく、社会の課題としての障害問題という認識を広めることが、結局は適正な予算配分にもつながる。
「オーナーシップとパートナーシップ両方の推進という課題」
社会モデルの定着の主役となるのは、障害者自身である。そして、1月12日の第1回の推進会議で述べさせていただいた点であるが、国連事務局が用いている「オーナーシップとパートナーシップ」という枠組みが鍵となる。
オーナーシップとは、自分がオーナーであるという意味で、障害者の権利条約交渉において、「私たち抜きに私たちのことを決めないで」をモットーに、中心的な役割を果たした障害者が、この条約は「自分たちのものである」と感じられることを意味している。この推進会議も、障害者代表が多数含まれている構成から、障害者のオーナーシップが確立されている。その意義は非常に大きい。この推進会議の歴史的意義はまさにそこにある。
他方、オーナーシップが確立されればされるほど、すなわち、障害者自身が中心的な役割を果たすようになればなるほど、同時に重要になるのは、パートナーシップと呼ばれる、社会全体との連帯、協力関係である。
パートナーシップの確立のためには、障害者自身の主張の説得力が重要であり、特に課題となるのは障害者の位置づけとして①マイノリティとしての障害者、②マジョリティとしての障害者という二つの切り口両方をいかに効果的に提示できるかにかかっている。
マイノリティとしての障害者は、たとえば、1970年以降の青い芝の会や1995年以降のろう文化運動が象徴するように差異を強調する、障害者の位置づけである。「マイノリティをどのように位置づけるかで、その社会のあり方がしめされる」というような形で、社会への問いかけを行い、他のマイノリティ問題、たとえば、ジェンダー、民族問題や性的志向問題と連携していく方向性がありえる。これは、ひとつの異文化として障害と障害集団をとらえる考え方でもある。
マジョリティとしての障害者は、社会の普遍的なニーズを強調するアプローチである。たとえば、駅のバリアフリーの「当事者」として、障害者運動は、足腰の弱い高齢者や、ベビーカーの利用者を位置づけたが、これもそうしたアプローチの例である。
社会モデルを浸透、定着するための戦略として、自らのマイノリティ性を強調し、「多様性を重んじ、さまざまな違いが尊重される社会を創るための切り口」として「障害」を提示する方向性と同時に、「社会の普遍的なニーズを最も敏感かつ、最も明確に提示し、社会の進路を示す切り口」としての「障害」を提示することが有効であろう。
オーナーシップとパートナーシップの課題は「障害者」と社会全般だけでなく、障害者間にも存在している。一例が今回の推進会議の構成員にひとまず入らなかったさまざまな「障害者」、たとえば、支援のニーズが非常に大きい知的障害者、発達障害者、難病者、高次脳機能障害者、容貌により差別を受ける人たち(「ユニークフェイス」など、「障害者」とみなされる人たち)の存在である。総合福祉法部会への参加によって一部は解決されるだろうが、本質的な「代表」の課題は常に残る。それが解決できない限り発言できないということではなく、それを意識し続けることによって解決に向かって努力し続けるしか道はない。
【久松委員】
現在の障害者週間等の国や地方自治体の啓発の取り組みは形骸化している。障害当事者団体等が中心となり、国や地方公共団体・マスコミ等をリードする形で世論を盛り上げることが必要である。今後、国や地方公共団体が行う啓発活動は、障害当事者団体を中心に企画運営を行うことが望ましく、その財政支援を行うべきである。
全日本ろうあ連盟は、創立60周年記念映画「ゆずり葉」を今までに全国各地に500回近く上映して13万人以上の観客を集めた。地域住民、地域議会関係者、地域行政関係者に多数観賞していただき、住民にろう者と手話への国民的理解を訴える独自の取り組みを行った。この映画は、ろう者自身が監督し、出演者の多くがろう者である。多くの障害者が楽しめない日本映画が制作されている状況を変えるために、障害者自ら誰でもが楽しめる日本映画をつくることに挑戦した。映画を楽しむことができただけでなく、多くの人たちに勇気と感動を与えたと思う。きょうされんも同様に「ふるさとをください」という映画をつくってすでに900回以上上映会を行い26万人以上が観たと聞く。多くの観賞者に感動を与え、精神障害者に対する理解を広げてきたその効果は計り知れない。障害者をテーマにする映画はややもすると同情をさそうことが多いが、障害当事者団体が企画し監修することで、多くの国民に正しい理解を広げていくことができるものである。
全国の障害者団体が集う日本障害フォーラム(JDF)が障害者権利条約の理念を広げるためにパンフレットを発行し、全国各地でフォーラムを開催している。そのような企画に財政的な支援をしたほうが国民への啓発活動の効果は大きいと考える。
【松井委員】
従来わが国では障害者の範囲が狭く規定されてきたが、前述したように、病気やケガで働けなくなるというリスクは誰にでもあるわけで、そうした人びとまで含めるよう、障害者の範囲を広くとらえることにより、国民の障害者理解はもっと深まるものと思われる。また、障害者権利条約で規定されているように、障害が、機能障害と環境との相互作用で生じるという理解が深まれば、国や地方自治体が障害者施策により多くの予算を配分することについて国民や市民のサポートがより得やすくなると思われる。
【森委員】
わが国の障害者施策に対する財政措置の水準の低さやポジティブウエルフェアに関する海外の取り組みの成功例などを広く国民に周知し、社会保障の充実と経済成長が相互に好影響を与える状況に関する情報周知、合理的配慮が「誰にも暮らしやすいまちづくりにつながる」という意義について、国民の理解を促進することが重要である。
○国と地方の財政負担について
1.スウェーデンでは個人が福祉サービスを利用した場合の費用を一定額までは地方が負担し、それを超える場合は国が負担するという仕組みを導入することで、長時間介護が必要な場合も必要なだけの支援を受けることができるようにしている。わが国において、地域間格差があるという現状を改善する上で、障害者施策に関する国と地方の財政負担の在り方はどうあるべきか、ご意見を賜りたい。
【大久保委員】
確かに、スウェーデンでは、地方(コミューン)の負担限度額を超える福祉サービスについては、国が費用負担するようではあるが、それらの地方は、裁量権のもとで障害者施策を推進し、福祉サービス予算についても一定の枠組みのなかで効率化を志向しているように聞く。そのような中で、サービス基盤の整備の状況なども含め、地域間格差(地域の独自性)はスウェーデンにおいてもあると思われる。
我が国における地域間格差の状況は、義務的経費においても、地方自治体が4分の1負担の支出を抑制したいとする傾向もあると思われる。裁量的経費においては、さらに事業実施の拡大がそのまま地方自治体の負担増に結びつくため、地域間格差につながりやすいと考えられる。
この背景には、わが国の景気の低迷を背景とした、地方財政の逼迫や財政赤字があるものと考える。しかし、全てを義務的経費化することは、地方分権や地域福祉の流れにあって望ましいものとは思われない。また、義務的経費における国庫負担率の引き上げは、他の制度との整合性とともに現在の国の財政状況からも厳しい状況と思われる。
地方交付税や税源移譲などによる地方財政の強化もあるが、必ずしも地方によっては障害者施策に反映されず、地域間格差の是正につながらないことも想定される。現在、障害者施策において、国と地方の役割・機能が十分整理されていないことや地方の意識に大きな開きがあるように思われる。これらの点の改善と併せて、国と地方の財政負担の在り方を検討する必要があると考える。
【大谷委員】
我が国においても地域間格差を解消するために、国と自治体とで財政負担を分け合い、均等化するべきである。
因みに、現在障がいのある子の教育費は特別支援教育と普通教育に区分され、しかも更に学校設置主体が基本的に都道府県である特別支援学校と市町村である普通学校とで異なることから、学校種別間においても、また各自治体によっても支援の内容に地域間格差が生じている。
例えば、特別支援学校と普通小中学校の子ども一人あたりの学校教育費(2005年度)は、特別支援学校(盲・ろう・養護学校)では一人870万5439円、小学校では89万4799円、中学校では103万6623円と、学ぶ場によって小学校では9.9倍、中学校では8.4倍の格差がある。
更に国の予算である特別支援教育就学奨励費については別表のように小中学校の普通学級に在籍している障がいのある子には保障されていず、これは明らかな差別である。これの見直しも必要である。
地域の小中学校で学ぶ障害のある子に必要な支援を確保するためには、この予算配分のあり方も見直す必要がある。
【大濱委員】
①(もちろん、国庫負担基準は廃止した上で)
個人がホームヘルパーを利用した場合の費用を一定額(例えば1日8時間)までは地方+国が負担し、それを超える場合は国が負担する(もしくは市町村負担1%程度に引き下げ)という仕組みを導入すべき。
入所施設での生活の推進になってしまわないように、ヘルパー制度等の1対1のサービスに限ってこのような措置をとるべき。
(スウェーデンは所得税は自治体が徴収しており(一部の高額所得者の高額部分を除く)、国と自治体の税収は55%対45%なので、地方自治体は国からの補助金なしで自らの税収でホームヘルプサービスを行っている(長時間の利用者のみは国が実施)。日本では税収の多くは国税であり、国は補助金や交付税で地方自治体に送金している。このため、ホームヘルプの短時間部分を地方の負担のみで行うと、市町村はホームヘルプよりも国庫負担のある施設入所やデイサービスやグループホームを志向するので、
・短時間ヘルパー利用者は今の国庫補助のしくみ「国50%・県25%・市町村25%」のままで、
・長時間ヘルパー利用者は国が全額(もしくは市町村負担を極力減らす)という方法がふさわしい。
なお、当面の予算確保が難しい場合は、24時間介護の全自治体での実施義務化を優先し、障害福祉サービス全体の国の負担割合(50%)を0.3%~0.5%程度下げて、その資金で、1日8時間を超える部分を国の負担とすべきである。
スウェーデンのように地方がヘルパー制度(長時間以外)を全部負担するのは、将来、所得税を地方が直接徴集するようになって、施設解体して、在宅介護制度だけになってからの話。
②1つの市町村に障害者が集中した場合の対策(施設からの地域移行対策)
なお、1日8時間未満の利用の障害者であっても、1つの市町村に障害者が集まると財政負担が過剰になる(元国立療養所筋療養所筋ジス病棟がある市町村や、施設や親元からの地域移行支援を活発に行う団体がある市町村など、他市町村から障害者が集まっている実態がある)。
このため、障害者が集まる市町村へは、広域的に支援が必要。(例えば、障害者の出身市町村が市町村負担25%分の半分を負担するなど。ただし、支給決定はあくまで今住んでいる市町村だけの判断で行うべき(出身地が離島や県外の場合、遠方から話し合いに行くことが困難のため))
③人口密度の少ない地方では、ヘルパーの移動に要する時間とサービスの合間の待機時間が拘束時間との関連で事業所の経営を圧迫している。このため、過疎地では障害者がサービスをあまり受けられない。こうした問題をクリアにしないと地方で暮らす重度の障害者の地域生活のサービスの確保は困難で、地方に現状より手厚い報酬体系(加算)を作り、全国均一の質の高い介護を何時いつでも受けられるようにするため、その加算部分は全額国が負担すべきである。
【尾上委員】
「障害者自立支援法」は、「在宅サービスも含めて義務的経費化する」ということをうたい文句に、導入された。しかし、実際には、国や都道府県が義務的に負担するのは、「障害程度区分ごとに決まる国庫負担基準の範囲内」に過ぎない。「自立支援法」第94条・95条)。
そのために、国庫負担基準が、介護サービスの事実上の上限とされている自治体が多い。国庫負担基準を超えて、支給決定をしようとすると、自治体の財政力等で大きく左右されることになった。
そうしたことをふまえるならば、
まず、第一に、「国庫負担基準の範囲内での義務的経費化」ではなく、実際に自治体が介護サービス等に要した費用の国2分の1、都道府県4分の1を義務的に負担するという、正真正銘の義務的経費とすることが必要である。
第二に、正真正銘の義務的経費にしても、なおかつ、4分の1の負担が難しい市町村(人口規模や財政力)に対して、その負担を緩和して、全国どの地域でも必要な支援を得られるようにすることが必要である。
この部分は、特に、長時間介護を必要とする障害者がどの地域においても必要なサービスを確保していくために重要な課題である。
設問のスウェーデンのように週20時間(月に100時間程度)以上の場合は、国全体の財源で賄う仕組みや、都道府県に調整基金を積んで調整をする方法等もあり得る。
具体的な方法はともあれ、障害者本人のニードに基づく協議・調整ができるように、国+都道府県レベルで財源調整ができるような仕組みが、ぜひとも必要である。【尾上追加資料 説明図1】
【勝又委員】
国と地方の財政負担の在り方は、障害者施策に限ったことではなく、すべての社会施策について議論されるべきである。地方分権によって財源も地方に移っていく傾向にあるが、自治体においてかならずしも障害者施策に財源を投入することを優先順位で高くおくところばかりではない。首長たる政治家は大衆迎合的な政策選択をする人も多く、少数派の障害者施策にかならずしも熱心ではない場合がある。
人権にかかわる問題は、ある程度国が責任と財源をもって地方自治体を指導していく必要があると思う。
【門川委員・福島オブザーバー】
スウェーデンは地方分権が進んだ国であり、それゆえに、障害者施策についても地方によって様々であって、地域間格差を生じている面もある、という考え方もある。スウェーデンのように地方分権を前提とした国において、地方政府が基本的に全面的な権限と責任を有して福祉サービスを提供することを原則としたうえで、例外的な措置として、「上限を超えた場合に国が負担する」という仕組みは、そのまま日本に導入することができるのかどうか、大いに検討すべき課題だと考える。
とりわけ、障害者施策への公的支出の水準が低い日本においては、福祉サービスの給付のための支出を国と地方が全面的に分担する方式となっていることが、地方自治体の支出水準を引き上げるために一定程度の効果を有することも否定できないということに留意すべきである。
また、日本において「地方」といっても、県、市町村、あるいは広域事務組合や障害保健福祉圏域、さらには現在議論が進められている道州制といったような、様々なとらえ方の中で考えるべきであるし、財政負担の在り方がどのようなものであるべきかということは、様々なとらえ方が可能である「地方」と国とのそもそもの役割・権限・責任の分担の在り方と密接にかかわっている。したがって、むしろ障害者のための福祉サービスをどのように給付するかということを考えることを出発点として、国と地方の在り方全体を考えるような検討が必要であるし、そうした検討を進めるうえでは、財源をどのように確保するかという問題も併せて検討する必要があると考える。
【北野委員】
A.スウェーデンではどうなっているのかについての元厚生大臣ベンクト・リンクビストへのインタビュー(2001年に大熊由紀子さん、竹端寛さんといっしょに)を要約すれば以下の通りである。
①社会サービス法における普遍的なサービスの中で、知的障害者や精神障害者等の支援サービスが十分明確で強力に実行されていれば、それで良かったのだが、完全ではなかった。
②もっといえば、強い地方分権システムを持つスウェーデンにおいては、障害者支援に対して積極的ではない自治体に対しても、LSS法のような、国のレベルで法的な規制が必要となった。
③ところがLSS法は特定の重度障害者に対して、かなり大きな支出を必要とするために、それを拒む自治体も出てくる。
④そのためにLSS法の第9条の2にもあるように、特別に支出の大きい65才未満で週20時間以上パーソナルアシスタント(介助者)を必要とする重度の障害者の場合は、この法律とは別のパーソナルアシスタント(介助)手当法に基づいて、自治体ではなく国の社会保険が直接に実施の責任機関となったわけである。
⑤LSS法の他のサービスの実施主体は自治体があるが、必要なサービスを受給できなかった障害者が行政裁判所に起こす不服申し立てに対して、行政裁判所の勧告を無視する自治体も存在する。
⑥国はLSS法の実施規則を有しているが、それを自治体に対して強制できないだけでなく、行政裁判所もまた強制的な執行権を持たない。
⑦そのこともあり、ベンクトの報告書に基づいて、国は行政裁判所の判決に従わない自治体に対しては罰金を科すという判決を行い、最近ある自治体に30万クローナの罰金を科した。
このように、地方分権化におけるサービス受給権とサービス実施側の責務との関係は、それほど簡単ではない。
今後、わが国で地域主権化が展開された場合以下のことが重要である。
①基本的に、アメリカのカリフォルニア州の知的障害者等への支援のように、ミーンズテストがなく、サービス受給権(Entitlement)を有する支援は、予算制約性を超えて権利性を有する。つまりは、地域主権化の如何にかかわらず、必要なサービスは展開される。わが国の障害者総合福祉法上のサービス受給権の重要点である。
②しかし、それは州予算全体の制約性をもちろん免れる事はできない。
③特に、税源上も分権化の強いスウェーデンでは、ちいさな自治体では、議会に対する高齢者委員会とりわけ障害者委員会の影響力が弱いかそもそも存在しないために、障害者の権利性の強いLSS法ですら、弱められしまう場合が出てくる。
④それに対する方策の一つは不服申し立ての仕組みの簡便性と強制力である。
⑤もうひとつは、パーソナルアシスタント(介助)手当法のような、自治体を超えて、一定以上の支出のケースを手当する方策である。
⑥可能な方策をこの国はトライしてみて、最適の解を徐々に発見してゆくしかあるまい。
【清原委員】
地域間格差の生じる原因の一つには、「国庫負担基準」を超えた部分を地方負担としていることにより、地方では、財政上の理由から、やむを得ず、一部の求められるサービスについて抑制せざるを得ない場合がある。
基準ありきから福祉サービスを考えるのではなく、利用者の立場に立った福祉サービス(支給量やメニュー)を考えていく必要があることは言うまでもないことであり、三鷹市ではできるかぎりの財政措置を講じてきている。けれども、現在の国と地方の財政負担の仕組みでは、現実問題として長時間介護のニーズにそえない地域の事例が存在することは残念である。
「国庫負担基準」というしばりをなくし、本来必要なサービスについては、国が責任を持って財政負担を行うことが、財政的理由による地域間格差解消に不可欠である。
【佐藤委員】
スエーデンの方式は日本でも参考になると思われる。ただしスエーデンでは介護は原則としてすべて市町村の責任で行うが、長時間介護部分のみを国の責任で行うものである。今日の日本では、すべての介護について国が1/2、都道府県が1/4責任を持つことを原則としつつも、障害程度区分に従った「基準額」を超える部分は市町村が負担するよう求めている。長時間介護部分を国が見るスエーデンと(端的に言えば)市町村が見る日本という違いがある。このため日本では市町村の財政力によって大きな格差が生まれている。
【新谷委員】
地域格差の問題は、障害者分野にとどまりませんので、他の分野も含めた国と地方の財政負担問題として議論すべきと考えます。国と地方の関係は基本的に全国一律で格差のないサービスの最低基準(ナショナルミニマム)というものを設定し、それについての地方の負担及び国の負担を明確にする(全国均等のサービス)、その基準以上のものを設定する場合は、地方行政の裁量に任せるのが原則と考えます。
【関口委員】
国としての責任を果たすという意味で、地域間格差に国が是正の責任があると考える。
地域間格差については、最も進んでいる地域に合わせて、他の地域に国が必要となる分を負担するのが望ましい。いずれにせよ、あらゆるサービスを行政が義務的に行うべきである。負担の割合は、地域間で自治体と国との割合に格差が生じるのはやむを得ない。問題は障害者が国内のどこに住もうと、同様なサービス提供が受けられることである。
【中西委員】
例えば介助サービスにおいては、平均の介助利用時間である1日8時間の基礎的部分を市町村が分担し、それ以上の長時間の介助時間については国が分担するという方式が優れている。現状の介助サービス制度では、24時間の介助サービスを支給すると市町村の負担は重く、市町村は支給決定をしたがらなくなる。基本時間の支給であれば、重度軽度に関係なく支給決定をすることになり、利用者が必要なサービスを受ける権利を保障しやすい。
【長瀬委員】
過疎と高齢化の進行に伴い、特に地方の自治体の財政の疲弊は深刻であり、財政負担については、(所得税、消費税等の増税による財政状況の改善を行いつつ)国が中心的な役割を果たすべきである。
【久松委員】
コミュニケーション支援事業(手話通訳者派遣事業、手話通訳設置事業、要約筆記者派遣事業)が市町村事業になったことにより、手話通訳者派遣事業の広域(県外、市外等)派遣ができず、制度の効果的な運用ができていない。これは財政負担のあり方以前の制度設計・法体系のあり方に問題があると考えるので、早急な改善を求める。その一例として、スウェーデンの政策は参考にできるものと思う。
【松井委員】
地域での生活維持に必要な介護など、基本的な福祉サービスについての地域間格差を是正するには、財政基盤の弱い地方自治体に対して、国からより厚い予算配分がなされるような仕組みをつくることで、障害者がどこに住んでいても、介護など生活維持に係る基本的な福祉サービスが受けられるようにすることが求められる。つまり、障害者の生活維持に係る基本的な福祉サービスに要する経費は、国の負担でまかない、基本的な福祉サービス以外のサービスメニューについては、地方自治体ごとの特徴をだせるような選択肢が用意されてよい。
【森委員】
地域間格差の改善は、最重要視すべき課題であると考える。従って、財政負担のあり方については、厚生労働省実施の「障害者自立支援法の施行前後における利用者の負担等に係る実態調査結果について」(平成21年11月28日公表)を踏まえ早急に見直すとともに、事業の財政責任を明確にし、地域生活支援事業のあり方を検討するとともに、事業経費を義務的経費とするべきである。
○障害者施策の予算確保について
1.障害者施策の予算を確保するために、地域基盤整備の施策項目と達成期間を定めた総合的な福祉計画を、財源を明らかにした上で定めるべきという考え方について、ご意見を賜りたい。
【大久保委員】
現行の障害者基本計画と障害福祉計画の実効性を強化することは賛成である。
【大濱委員】
①
地域基盤整備の施策項目と達成期間を定めた総合的な福祉計画を、財源を明らかにした上で定めるべきである。ただし、福祉計画を上回るヘルパー利用者が出た場合などに、福祉計画が支給抑制につながらないことが担保されるべきである。
総合的な福祉計画の策定委員は障害当事者や家族が過半数であることは当然だが、自治体での計画づくりにおいては、予算を抑えたい市町村の意向に沿った障害者が選任されることを避けるために、「現在サービスを利用しているが、サービスが不足しており(またはサービスがないので)困っている障害者」やその家族を委員の過半数とすべきである。また、1人暮らしの24時間介護利用者や人工呼吸器利用者などは、まだ小規模の市町村に1人もいない場合でも、将来地域移行が進めば長時間のサービスを使い始めることが予想されるので、必ず関係者を他市町村から呼んででも入れるなどが必要。
②
財源については、障害施策の介護サービスは特別会計にし、介護保険の保険料徴収年齢拡大時時にその何割かを障害介護の特別会計に組み入れる、雇用保険(通勤や職場でのヘルパー費用として)・労災保険(労災による障害者のヘルパー費用として)・障害者雇用率を上げた上で障害者雇用特別会計(通勤や職場でのヘルパー費用として)などからも組み入れる方法、消費税の一定パーセンテージを障害特別会計に当てる、などを検討すべき。
【尾上委員】
第一に、民主党・障がい者政策PT報告の「改革17項目」のその15を、政府として確認をし、実行していくことである。再度、その15を引用する。
「その15障がい関係予算に数値目標を定めます。わが国における障がい者に係る予算は、諸外国との比較において、GDP比で低い社会支出と国民負担率となっているため、立ち遅れている社会的地域基盤の整備と経済的自立を促進し、障がい者福祉施策を推進するため、施策項目と達成期間等を定めた総合的な福祉計画と財政的な数値目標を定める。」
すでに、ここに、
- 「国際比較において障がい者予算が低水準にとどまっている」という現状認識。
- 「立ち遅れている社会的地域基盤の整備と経済的自立を促進し、障がい者福祉施策を推進」とした今後の基本方針。
- 「施策項目と達成期間等を定めた総合的な福祉計画と財政的な数値目標を定める」とした、そのための方法が盛り込まれている。
これを、政府方針として決定して、実行に移していくことが必要である。
第二に、その障害者予算全体の拡充という前提の上で、障害者権利条約第19条の「自立した生活及び地域社会へのインクルージョン」を進めていくためのサービス・財源構成に転換していくことが必要である。そのため地域基盤整備を重点的に行う、時限立法的な仕掛けを検討する必要がある。
施設と在宅という費目の仕分けで追いかけられる2003年からの支援費制度で「在宅サービスが急増」、「ニード爆発」と言われた、その後の2005年時点で、在宅サービスの占める割合は4分の1に過ぎない【尾上追加資料 説明図2 ※2006年度以降は「自立支援法」のために在宅・施設の費目での分類データが入手できない】。
障害者予算の総額が少ない上に、その中でも在宅サービス関連の予算はわずか4分の1という状態をそのままにして、障害者の地域で生活する権利の実現は困難である。
こうした施設中心の財源・サービス構成から、在宅・地域生活中心への構造転換が必要である。そのために、未整備が目立つ障害者介護等の地域生活支援に関するサービス基盤を重点的に整備していく時限立法と、国-自治体の一貫した整備・財源配分計画が必要である。
第三に、地域間格差の解消、施設から地域自立生活移行の推進のためにも、地域生活基盤整備の一方、脱施設化のための時限立法を設けて、順次、地域生活に移行する仕組みをつくる必要がある。
入所施設を中心に整備してきた自治体では、介護を必要とする障害者が地域で暮らす事例があまりなく、そのために在宅サービスの整備が進まず大きな地域格差になった。このことをふまえて、まずは、地域生活基盤を重点的に整備しつつ、脱施設化のための時限立法を設けて、順次、移行していく必要がある。
支援費制度から「自立支援法」への転換を図る際に、当時の厚労省は、障害者ホームヘルプについて、「利用率の一番高い大阪と、一番少ない秋田では6倍以上もある」と、地域間格差をあげていた。しかし、問題は、その地域間格差が何故生じたかということである。
一つは、高齢者の老人健康福祉計画は1993年に義務づけられたのに比べて、障害者分野では自治体レベルでのサービス基盤整備計画の義務づけはなかった。その意味で、地域生活基盤を整備するような方針をこれまで国は示してこなかった歴史のツケと言える。そのツケを解消するためにも、地域生活基盤の計画を重点的に行う必要がある。
もう一つは、ホームヘルプの利用が低いと言われる秋田県は入所施設の整備は全国でトップレベルにある【尾上追加資料 説明図3】。そのため、一定の介護を要する状態の者が家族介護で支えられなくなると入所施設が当たり前で、そのために地域でホームヘルプを利用して生活する障害者がいない(おれない)ために、在宅サービスの利用が少ないということが、背景にある。こうしたことを考えれば、まずは、どの地域においても一定の地域生活支援サービスが得られるような地域基盤の整備を行いつつ、他方で、順次、入所施設から地域生活への移行を進めていく、脱施設化-地域移行の時限立法が求められる。
また、諸外国の事例をふまえれば、その脱施設化-地域移行計画の中には、現在入所施設等で支援にあたっている職員を再トレーニングした上での地域生活支援への転換等の職員の地域移行も含めることも必要になろう。そのことによって、脱施設化に対して、無用な反発や不安を取り除くことも可能となる。
【勝又委員】
実効性を少しでも担保できるのであれば、行うべき。単に絵に描いた餅であれば意味がない。
【門川委員・福島オブザーバー】
「地域基盤整備の施策項目」が何を指すのかが不明確なので、賛否を表明することは難しい。
もしこれを、仮に、「満たすべき障害者のニーズ」を満たすための「供給」を確保するための施設整備・事業者支援・人材育成、といったことであるとするならば、「予算は増えたが実際には担うべき人材や事業者がいないために障害者のニーズが満たされない」ということを防ぎ、そうした「供給」を確保するための計画を、財源とセットで定めるということには、一定程度の有効性があると考えられる。
また、ここでいう「総合的な福祉計画」が、現在努力義務とされている各自治体における障害者施策の実施計画の策定を義務化すると共に実施時期や財源を明示するということなのであれば、賛成であり、それは中央(国)についても同様に実現すべきであると考える。
ただし、そうした「総合的な福祉計画」がどのように策定されるのか、策定する主体は誰か、財源はどうするのか(支出額を確定するということでは財源の確保にはならないため)、策定された計画の内容の適否をどこで判定するのか、法的根拠をどのように与えるのか、といったようなことを十分に考慮した仕組み作りや検討が必要であると考える。
【佐藤委員】
予算確保のための2つの基準を設けるのがよいと思う。1つは、障害者権利条約であり、もう一つはOECDの公的社会支出である。
障害者権利条約は、非障害者との平等な社会参加を実現するという目標を掲げており、それをわが国でも近い将来批准しようとしている。したがって、雇用、情報通信、スポーツへの参加など色々な分野について、障害者と非障害者とを統計調査で実態を把握し、年齢構成などの補正をした上で比較し、その格差を縮小することを目指す。
もう一つの基準はOECD(経済協力開発機構)の加盟30カ国の中で、障害分野の公的支出(対GDP比率)を、現在の下から3位、を上位10位以内にすることである。日本は現在GDPの0.7%を障害分野に支出しているが、第10位のチェコ共和国とニュージーランドが2.9%であり、現在の約4倍の財源とすることを目標にすることでもある。
2009年8月の衆議院選挙にあたって日本障害者協議会は自民、公明、民主、共産、社民および国民新党にアンケート調査を行った。そこでの「障害者関係予算について」では、
「日本の障害者関係の公的支出はOECD諸国の中でも極めて低い水準(対GDP比で30カ国中下から3位、2003年)にあります。<中略>障害者関係公的支出の対GDP比を
①早急に上位10位以内に引き上げるべきである。
②早急に中間グループにまで高めるべきである。
③ほぼ現状でよい。
④何ともいえない。」
として、選択を依頼し、その理由の記述も要請した。
その結果、自民党が「④なんともいえない」を選び、サービス基盤強化のための予算確保に取り組むと回答、公明党が「②早急に中間グループに」、民主党が「①をめざす」、共産党・社民党・国民新党がいずれも「①早急に上位10位以内に」を選択した。したがって「上位10位以内を目指す」とすることはほとんどの政党が合意できる目標である。
注:OECDの公的社会支出のデータベースの説明
「障害関連給付」(Incapacity-related Benefits)には、在宅・施設の福祉サービス、リハビリテーションサービス、障害年金、労災給付、傷病手当など、障害に関連する現金・現物給付が含まれる。ただし「医療」、「障害者雇用」、「住宅」に含まれるものは除く。
日本の障害関連支出のGDP比(2003年のデータ)をみると、OECD加盟の30カ国の中で、データ不明のトルコを除く29か国中では、メキシコ、韓国についで下から3番目である。
なお、実際にこのOECDの指標を政策評価と目標設定に活用する場合、現状のままで活用するのが便利であるが、上記のように我が国で一般に「障害者施策」としている分野とは必ずしも同じではない。障害者雇用なども含めるべきであり、バリアフリーなどの扱いについても注意深く検討すべきである。
OECD(2007)“The Social Expenditure database: An Interpretive Guide SOCX 1980-2003”
障害関連公的支出の対GDP比(%)
国 | 2003年 | 順位 | 国 | 2003年 | 順位 |
---|---|---|---|---|---|
Sweden | 6.0 | 1 | Spain | 2.4 | 17 |
Norway | 5.4 | 2 | Belgium | 2.3 | 18 |
Denmark | 4.2 | 3 | Slovak Republic | 2.2 | 19 |
Netherlands | 3.9 | 4 | Germany | 2.0 | 20 |
Luxembourg | 3.6 | 5 | Italy | 1.8 | 21 |
Finland | 3.5 | 6 | France | 1.7 | 22 |
Poland | 3.4 | 7 | Ireland | 1.5 | 23 |
Switzerland | 3.3 | 8 | United States | 1.3 | 24 |
Hungary | 3.0 | 9 | Canada | 1.0 | 25 |
Czech Republic | 2.9 | 10 | Greece | 1.0 | 25 |
New Zealand | 2.9 | 10 | Japan | 0.7 | 27 |
Iceland | 2.8 | 12 | Korea | 0.5 | 28 |
Austria | 2.6 | 13 | Mexico | 0.1 | 29 |
Portugal | 2.6 | 13 | Turkey | 不明 | |
Australia | 2.5 | 15 | |||
United Kingdom | 2.5 | 15 | OECD - Total | 2.5 |
OECD 公的社会支出 2007より
【新谷委員】
総合的な福祉計画の必要性は論を俟ちませんが、前提としての障害の定義、障害者の範囲の議論、それに基づく障害者の実態調査を先行させる必要があります。総合的な福祉計画は、医療・年金などその他の大きなテーマも含むものとなりますので、時間もかかると予想されます。一方、障害者施策は障害者自立支援法見直しを含む緊急課題も多くあり、また障害者分野の公的支出がGDP比0.8%という劣悪な水準にありますので、短期計画の立案・実行の緊急性が高く、長期的な計画と同時並行させる必要があります。
【関口委員】
定めるべきである。
現状、障害者基本法に基づく計画、障害者自立支援法に基づく計画、さらには自立支援協議会による検討、等、中身的には重複しているものが多い。予算確保の為には、重複を省けとまでは言わないが、連携して、地域の特性を加味して、総合的な福祉計画を作ることが望まれる。地域特性を加味すると言うことが、特定の障害者の排除に繋がってはいけないので、障害者のナショナルミニマムを明らかにしてから着手すべきである。ナショナルミニマムを担保するためには、予算面で国が積極的に関与する必要がある。
【中西委員】
地域基盤整備の施策項目と達成期間を定めた総合的な福祉計画の財源を明らかにして、定めるべきである。現在自立支援法を基にした障害福祉計画と障害基本法を基にした障害者計画を当事者参画の基に定めることになっているが、今後はこれと類似の制度を総合福祉法の中で予算を十分につけて行うべきである。それと共に「施設地域移行10カ年緊急整備計画」を策定し、施設職員の職場を地域移行計画の中で創り出し、施設閉鎖に向かうタイムテーブルを作成すべきである。
【長瀬委員】
地域基盤整備の施策項目と達成期間を定める総合的な計画の策定には賛成である。財源については国庫負担が中心となる。
【久松委員】
現在の障害者福祉計画は財源の見通しがないため低い目標数値になっている。憲法で保障する健康で文化的な生活を営むための財源を明らかにした総合的福祉計画が必要である。
【松井委員】
障害者施策の予算を確保するため、地域基盤整備の施策項目と達成目標、および達成期間を定めた総合的な福祉計画をつくることには賛成である。しかし、その財源について明らかにすることは、国の財政のあり方にもかかわるだけに、容易なことではないと思われる。
【森委員】
必要な予算を確保するために、地域基盤整備の施策項目と達成期間を定めた総合的な福祉計画について財源を明らかにした上で定めることは重要である。さらに総合的な福祉計画を絵に描いた餅にしないためには、常に当事者の目線に立った施策の策定と実施を行う必要があり、障害当事者が施策策定に主体的に関与し、計画策定の過程、計画の進行に関して、適宜、モニタリングやアンケート調査等を行い、住民として常に意識して関心をもち続けられる状況を作り出す必要がある。
○その他
【大久保委員】
・我が国の財政状況と少子高齢化
本年度の国家予算(一般会計)は約92兆円であり、そのうち税収約37兆、で、国債発行は約44兆となっている。現在、国と地方を合わせた債務残高は1,100兆円を超え、世界的にも突出した財政赤字を抱えている。
一方、我が国は世界でも類を見ない少子高齢化社会を迎えており、このままのペースで行けば、2030年には65歳以上が32%(75歳以上20%)と推計されている。当然、それを支える年金、医療、福祉などの社会保障制度のあり方とその財源確保は、我が国にとって大きな課題となっている。
障害者施策に係る制度並びに予算の問題は、これらと切り離して検討することは困難と考える。
・我が国の国民負担率
今後の我が国における障害者施策を含めた社会保障制度のあり方を検討する上で、国民負担率についても注目する必要があると考える。潜在的な国民負担率からみれば、我が国の2010年度は52.3%となっており、ドイツやイギリスに近い水準となっている。
国民負担率は、経済活力や可処分所得への影響なども考えられ、特に、個人消費がGDPの6割を占める我が国において、国民の暮らしや景気に大きく関わるものと思われる。また、我が国のあり方にも及ぶものと考えられ、今後の社会保障制度を検討する上で、国民負担率を勘案する必要があると考える。
・消費税への対応
既述したように、我が国の財政状況が厳しい中でも、社会保障費は増大し続けているが、今後も増大し続けることは間違いない。しかし、裏づけとなる財源は不確かであり、社会保障給付の過度の抑制を強いられることも想定される。
したがって、財源確保のための増税は避けて通れないものと考える。その場合、景気への影響や安定的税収の確保の視点から間接税である消費税が適当であり、また、世界に比しても低率であるところから、その税率を引き上げ、福祉目的税化することが現実的と考える。
【大濱委員】
基礎的に高い労働生産性をもつ脊髄損傷者の場合、通勤の手段の確保、職場環境のバリアフリー化、職場での介助者の配置、OA機器のユニバーサル化を図ることで社会参加意義の高揚と日常生活の多様性が向向上し、所得を得ることで納税も可能となります。要は、働く環境支援を行うことにより、「眠れる労働力を覚醒」させることが重要です。障害者が就労して稼働所得を得ることにより、新しい家庭が生まれ、家族が生まれ、地域の障害者の健康が回復し、消費能力が向上することにより、経済が活性化する要素が生まれます。働くためのインフラ整備に必要な支出は、インフラの整備をしないで「閉じこもり」・「寝たきり」の障害者を増やし、財政負担を増やすことと比較すれば、前者のインフラ整備に社会的投資をすることの方が優れた政策と言えます。人間の尊厳とはどんなに重い障害があっても「社会に必要にされている存在である」ということが大きな要素です。その意義では「就労に結びつける」施策に国は重点的に財政を投入すべきです。結果として豊かな障害者の生活が保障されます。
その一方で、働くことのできない(困難な)障害者には、障害者施策に諸外国並みの十分な財政を投入することが必要です。
意思伝達装置の予算確保について
(1)必要かつ十分なものを選んでいるのに、自治体では「予算が無いから次年度にして」「安いものにして」と言われる。高額になるため、意思伝達装置については国が全額負担で貸付等をすべき。また、申請から判定まで時間がかかりすぎる。窓口担当が判っていないため遅れているのに、「時間がかかる」などと言われる場合も見受けられる。
(2)不況のあおりを受けて企業は不採算部門の縮小を行っているが、重度障害者の意思伝達に必要な機器やソフトの開発・販売事業は国が保護してほしい。意思伝達装置がなければ、コミュニケーションが断たれてしまう障害者にとっては、これらの産業の保護は農業を保護するのと同じくらい重要である。
【尾上委員】
障害者制度改革推進室がある内閣府の中に、地域主権戦略会議が設けられ検討が進められている。
その検討資料では、地方分権施策として地方自治体に義務化されている障害者自立支援法に定められている「障害福祉計画」について廃止または努力規定化が、方針として示されている。
しかし、まだまだ、総体としての量も、施設から地域へといった方向においてもきわめて大きな地域間格差がある現状のまま、単に「地方に任せればよい」という一般論での議論には大きな懸念を持つものである。また、相談支援の一般財源化(2003年)、「自立支援法」による地域生活支援事業(2006年)等の、地方自治体の裁量に任せてきた障害者施策は、きわめて大きな地域間格差をもたらしたという事実に対する総括がふまえられていないと言わざるを得ない。
しかも、今回の会議で「障害者施策の予算を確保するために、地域基盤整備の施策項目と達成期間を定めた総合的な福祉計画を、財源を明らかにした上で定めるべき」との論点が示された通り、現状の「障害者福祉計画」以上のバージョンアップが障害者制度改革上、重要な課題となってくる。
また、これ以外にも「障害者基本法」に基づく「障害者計画」及び「障害者雇用促進法」に基づく「障害者雇用」も同様に、地方自治体に対する現在の義務規定を廃止または努力規定に変更することも方針として示している。これらも、当推進会議で議論した障害者基本法の抜本改正等にかかわる事項である。
当推進会議で議論している内容・方向で障害者制度改革を進めていくためには、国と地方の関係はきわめて重要なことがらである。当推進会議での議論内容を、地域主権戦略会議ではどう受け止めているのか確認をして頂きたい。また、今後、機会があるならば、ぜひ、関係者からのヒアリングをお願いしたい。
【門川委員・福島オブザーバー】
障害者施策への公的支出を増加させなければいけないということを前提としても、具体的に、実際に、障害者施策の予算を確保するためには、なぜどのような予算がどの程度必要なのかということを、より明確にする必要があるだろう。すなわち、障害者の地域生活を推進するためにはどのような支援が必要でそれにはどの程度のお金がかかるのかということを、きちんと積み上げるということである。それには、多くの障害者団体が築き上げてきた、障害者の地域生活を実現するための様々なノウハウと、地域生活を実現してきた多くの障害者の声とを根拠に、障害者施策の予算という「実質」を作るという作業を、行政が密室で行うのではなく、公開の場での議論を通じて行う必要があると考える。
【関口委員】
精神障害者の福祉が、医療予算からだされるような事態があり、総合福祉法では、社会保障予算として出されるようにすべきである。
【土本委員】
おかね が ない なんて うそ だ。
おかね を むだな ものに つかうからだ。
しゃかい ほしょうは くにの せきにん です。
ちほうに せきにんを おしつけないで ほしい。
おかねのある しちょうそん と そうでない しちょうそん に くらしている なかまたちが すむところ に よって うけられる サービスが ちがうのは さべつ です。
【森委員】
今こそ、今後の人口構成、社会構造を見据えた社会福祉のあり方について国民全体で考える時期であり、そのとき、障害者福祉のあり方がわが国における社会福祉全体のあり方に大きく影響するという可能性も含めた取り組みとそのための予算の確保が求められる。すなわち、障害者権利条約の批准とそれに関連する取り組みの充実を図る必要がある。