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気になるカタカナ

パラリンピック

金田安正

 1964年、東京オリンピックに引き続いて、第13回国際ストーク・マンデビル競技大会が東京で開催された。この大会は脊髄損傷者をはじめとする下肢マヒ者の大会であるが、日本では、身体障害者全体の国際的スポーツ競技大会を多くの人々に認識させることを目的として、パラリンピック(Paralympic)という愛称を用いて大会を開催した。パラプレジア(paraplegia=下肢マヒ)のパラ(para)とオリンピック(Olympic)のリンピック(lympic)を合成してできた語である。
 1976年、カナダで行われた大会では、視覚障害者や切断者も参加するようになったため、名称は「国際身体障害者スポーツ大会」となり、下肢マヒ者を意味するパラリンピックという愛称は使われなくなった。
 1988年に開催されたソウルでの大会からは、再びパラリンピックの名称が用いられるようになった。オリンピック大会後、オリンピックとパラレル(parallel=並行、同方向、並列などの意)に開催される大会、すなわち「オリンピックと対応する大会」、あるいは「もう1つのオリンピック」という意味で用いられるようになった。
 身体障害者スポーツは、リハビリテーションの一環として行われ発展してきた。その結果、障害者のスポーツが盛んになり、多くの障害者がスポーツ活動を楽しみや健康維持のために行うようになった。さらに、ハイレベルの技術で競いたいという障害者も増えた。
 1989年、障害別の国際的競技団体と世界各国の障害別競技団体の代表により、国際パラリンピック委員会(IPC)が結成された。IPCの主な目的は、障害者スポーツのレベル向上と身体障害者スポーツ種目をオリンピックの正式種目に統合させることである。
 このように障害者のオリンピックへの加入に対する強い意向があること、障害者のメインストリーミングという考え方に添っていること、そして医学的なリハビリテーションの範ちゅうを超えたスポーツ活動のあり方、すなわち障害者のスポーツに自立した姿勢が、パラリンピックという語を再び登場させた背景といえる。
 1998年2月、長野県で冬季オリンピックが開催されるが、3月には同じ長野の会場で、冬季パラリンピック大会が開催される。アルペン、クロスカントリー、バイアスロン、スレッジスピードレース、スレッジホッケーの5競技が行われる予定である。

(かねだやすただ 国立身体障害者リハビリテーションセンター学院主任教官)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年7月号(第17巻 通巻192号)30頁