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文学にみる障害者像 47

野上彌生子著
『準三とその兄弟』4部作

-不屈の精神で社会に挑戦する障害者-

関義男

1.少女は生まれおちてすぐ山奥の百姓家に預けられ、親の顔も名前も知らぬまま極貧の中で育てられた。7歳の時、突然実父に引き取られることになった。少女の親は偉い学者で金持ちだとの噂である。
 養父と共に訪問した東京の邸内で、少女は父と名乗る人を見て驚愕した。目の前の大きな椅子に悠然と腰掛けた人は、背丈が子どものように低く、大きな袋を背負った蜘蛛を思はせる傴僂男だった。少女は養父にしっかりしがみついて、すぐにも泣きだしそうに構えながら、怖れといくらかの軽蔑を含んだ好奇心に充ちた目で父親を凝視した。
 「あれが私のほんとうのお父さんだって。何の事づら。あれは去年の秋のお祭の時、八幡様の横の小屋で足芸をした一寸法師でねえか」

作品〈澄子〉


2.13、4歳になった少女が父親と共に汽船に乗り、九州の故郷へ行く途上のことである。父親の異常な身体は船上のすべての旅客の好奇の目にさらされた。少女は、父親の姿を人々が笑ったり、嘲ったりする露骨な態度を憎むと共に、父親に対する強い愛が燃え上がった。
 「お父様のことを笑って、何という悪い人たちだろう」
 少女はそうした人たちを懲らしめてやりたい激しい敵愾心に捉えられた。で、彼らの前では、自分も父親に負けないくらい平気に落ちつき払っていなければならぬと考え、恐ろしくすまし込んで、威張って父親の後について歩いた。

作品〈準三とその兄弟〉


 1と2は二つの作品の中の、少女澄子から見た父親準三の障害について描いた部分の要約である。
 1は見世物小屋という特殊な状況でしか知ることがなかった障害者に対する澄子の「差別的蔑視の目」で、当時の社会一般の人々の障害者観を象徴している。
 2は澄子の、障害に捉われずに父親そのものを見ようとする成長した姿である。そのために、佝僂という表面上の身体の異常だけを見て人間の価値を決めつけようとする人々に対して、激しい憤りを感じるのである。

 野上彌生子は大正12年から14年にかけて、障害者「横井準三」の生き方をめぐる四つの連作小説を発表した。
 彌生子は明治、大正そして昭和の戦前、戦後を経て昭和60年まで創作活動をつづけた作家で、その時代時代に話題作、問題作を残しているが、ここで取り上げる作品も、障害者を描いたものとしては、近代文学の成立以降例をみないものであった。明治・大正期の文学に現れた障害者は、貧困、病苦、孤独、同情と憐憫、騙され虐げられる弱者等の概念でくくられ、社会の底辺で生きる負の存在として描かれたものがほとんどであった。
 これに対し野上彌生子は、社会に自立して生きるだけでなく、人々の頭上で羽ばたく地位を獲得して、自己の理想を実現しようとする厳しい精神をもった強い障害者を創造した。

 準三は九州のある商家に生まれたが、虚弱で7歳になっても立つこともできず、医者に15、6歳までの生命だと宣告されていた。飛んだり跳ねたりする自由を奪われていた彼の少年時代は、病的な熱心をもって勉強し、学問という高貴な力によって生きるより外に自分の生き方はないと信じ込んだ。不思議なことに彼は次第に健康になり、死ぬだろうと言われた年頃にはいっそう元気になって、知識に対する激しい渇きと共に将来へ向けて野心を燃えたたせるまでになった。
 幼児期に彼が自分の身体の異常に気がついた時の心の痛みは、それに対する他人の侮蔑や嘲笑を嗅ぎつけるたびに、恐ろしい怒りと敵対の念に成長していく。そして単に身体に不具があるというだけのことが、人間としての価値にどれだけの相違があるのだ、「勝負なら学問で来い、智慧で来い、才能で来い、決して負けるものか」と、社会のすべての健康な人間に対して心の中で叫びつづける勝気で、癇癪もちで、時には傲慢でもある性格が形成されたのだった。
 準三は思う。「愚図々々していると、醜い一匹の寄生虫として社会の最も悲惨な一隅を這いずり廻った末に、強い人間の足の下に踏み潰されるだろう。自分は絶対にそのようにはなるまい。むしろ彼らの頭上に輝かしく存在する力を有する人間となるのだ」。
 しかし準三の目指す道は厳しく、学問するために上の学校へ行こうとするほど彼の不具が支障となって、進もうとする道はことごとく閉ざされてしまう。そこで彼は差別制限の緩やかなアメリカヘ渡って大学に入り、学位を取って帰郷する。アメリカの学長からは彼の熱心な勉強と優れた学才を賞賛されていた。故郷の町は、準三の瘤を笑うのと同じ調子でその肩書を嘲笑する人たちと、少年時代から不具を乗り越えようとする勉強ぶりや努力ぶりからみて、その名誉も価値も数倍高く評価されてよいと考える人たちの二派に分かれた。
 準三は賞められても悪く言われても、平気で昂然とし、この小さな故郷などより、中央の政治社会こそ自分が活動する舞台であるという野心をもっていた。
 野上彌生子は、このように自己の理想の実現のために生命を燃やす挑戦的障害者を描くが、安易な立身出世や成功談に終わらせることが目的ではない。作者の目が社会的視野へ広げはじめた時期の社会小説のおもむきをもつ作品として、社会と個人の相剋を主題におき、自分の進むべき道を狂熱的努力で切り開こうと戦う一青年の姿とその運命を、冷徹な筆致で描いていく。
 作者が意図した主題は、社会全般に強固に根を張る障害者への、蔑視と偏見、差別や制限の問題を絡ませることによって、いっそう鮮やかに印象づける作品になっているのである。
 野上彌生子は叔父豊次郎が佝僂の障害で、モデルをそこに求めたと言われているが、主人公横井準三は、もちろん作者の創作である。
 準三は、善良とか道徳的とかいう言葉とは縁がない。戦いの姿勢を些かも緩めない不屈の精神力をもち、不遜で自己中心的な人間でもある。娘澄子の出生の秘密は、第4作『狂った時計』で明らかにされるが、準三が雇い人の女に生ませた私生児である。美しい妻お加代とは正式に結婚しているのではなく、「女は綺麗でなければ女ではない」という準三の女性観にしたがって金で買ったのである。自分は決して女から人並みに愛され得ないと思っている準三は、「自分が醜い身体をしているだけそれだけ、女の美しさに無上の価値を置く」。したがって「醜い片輪の身で美しい妻を持つという特権のためには」、自分の手許から逃げて行きさえしなければ、我儘も、無知も、ヒステリーも、浮気も、すべて耐え忍ぶのである。
 第3作『お加代』は、加代が愛人の画家と駆け落ちし、準三が異常な執着心をもってその行方を追う話である。この作品で作者は、加代の目から見た準三を描くと同時に、純粋な愛を求めて裏切られる女のあわれさを描き、社会的に弱い立場に置かれていた女性問題にも気配りしている。

 準三は東京の銀行、会社、雑誌・新聞社等の役職を転々としながら、多くの論文を発表するなどの活動をする。この世界でも差別的な目に晒される彼は、健康な体格をした者と些かの差別も許さないという信念を貫くが、彼を寛容と好意で引き立ててくれた有力者がいなくなると、「一寸法師のくせに、大きな不遜な口をきいて、何と言う化物だ」と、しだいに疎んじられていくのである。
 準三が故郷の町で立候補した代議士選挙は、このような状況を打開するためでもあった。
 第2作『準三とその兄弟』は連作小説の中核的作品で、準三を気遣う兄たちとのかかわり(兄弟愛)を軸に、町を二分しての誹謗と悪意に満ちた猛烈な選挙戦が描かれる。選挙戦は票集めの買収合戦へと発展し、準三や兄たちの資産を蕩尽していく。
 第4作『狂った時計』は、選挙で敗北し、資産を使い果たした準三の、高利貸しに転落した暗く荒れた日々が描かれる。
 準三の茶の間ででたらめの時報を響かせる狂った柱時計は、理想を失い、進むべき道を見失った準三の悲劇的な運命を暗示しているだけでなく、準三が生きた時代の、大企業に操られ否められていく政治社会、そして障害をもつ者への侮蔑や自立を不当に阻む差別的社会をも暗示しているのである。
 準三は、自己の理想を求めて挫折したが、社会の差別や偏見に屈したという意識はなかった。周囲の人々からどのように悪く言われようと、決して弱者になるまいという信念をつらぬいて、挑戦的な生き方をつづけていく-。
 野上彌生子はこのような準三の戦う姿を通して、障害者の自立、障害者と地域社会、障害者と家族、障害者の愛と性等等を視点を変えながら精緻な筆力で描いた。準三の生き方から生じるさまざまな出来事は、作者がこの作品で意図した主題を越えて、現代にも通じる重い問題を重層的に提示していると言えるだろう。

(せきよしお 東京都障害者福祉会館)


(注)
●『澄子』『準三とその兄弟』『お加代』『狂った時計』の4作品は岩波書店版野上彌生子全集第5巻に収録されている。
●本文の差別的な用語は、当時の状況を伝える意昧で、原作にそって使用した。

(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
2000年3月号(第20巻 通巻224号)