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キャンペーン‘99マレーシア会議
「肢体不自由」分科会

 1999年11月29日から12月4日までの6日間、クアラルンプールにおいて「キャンペーン‘99マレーシア会議」が開催された。参加者数は、マレーシアを含む17か国から760人(事務局、ボランティアも含む)であった。
 この会議がマレーシアで開催されたことは、同国の障害者福祉の分野に大きな影響を与えた。具体的には、次の5点があげられる。1.「アジア太平洋障害者の十年」に至る国連を中心とした障害分野への取り組みと各国におけるその成果を理解した。
2.マレーシア政府は初めて障害者施策の全体を明らかにし、現状の評価を行動課題に沿って公表した。
3.RNN(「アジア太平洋障害者の十年」推進NGO会議)として行動課題の各国における達成度を調査し、その結果を全体会で発表した。
4.本会議開催を契機に、国内関係者の最大の会議がもたれ、総選挙による日程変更にもかかわらず、国内・海外の参加者(特に身体・知的・精神の障害のある人々)に大いに触発されて活発な意義のある会議となった。
5.本会議に障害者団体から多くの参加があり、初めて行政や専門家との合同会合となり、率直な意思表現や施策への要望批判もなされた。
 また、ポスト会議として開かれた国内会議では、マレーシアの障害者団体が要望書を政府に提出し、政府は半年後にフォローアップのための会議を開くことを約束した。
 会期中は、シンポジウムを含む5つの全体会や17の分科会、施設見学など、さまざまなプログラムが用意された。その一部として開かれた障害別意見交換会のうち、日本からコーディネーターとして参加した各氏に、「肢体不自由」「視覚障害」「聴覚障害」「精神障害」の分科会の様子を報告していただいた。なお、「知的障害」については、同会議報告書から転載した。

 今回私は、香港とスリランカから出席された2人の障害者の方と共に司会進行役を務めさせていただきました。
 まず、約40人の参加者に対し、1人1分ずつ自己紹介をしていただきました。当初予定していた三つのトピック(1.交通アクセス、2.教育・研修、3.職探し)は、会場にいた方々の多数決で、終始「交通アクセス」の一本に絞って議論することになりました。
 日本やシンガポール側からは、自国の事情紹介や活動の「コツ」等について積極的な発言がありました。たとえば、日本からは「青い芝の会」の紹介から最近のバリアフリーのさまざまな動向に至るまでが要領よく説明されました。また、個々の団体が別々に行動するのではなくて、組織間、団体間の横のつながりがとても大切であり、さまざまな意見を集約して「要望書」のような形にまとめ、諸団体の代表から政府の関連省庁に提出することが大変効果的であるとの意見が強く出されました。マレーシア側からは現状の説明や、障害者の当事者としての意見が細かく述べられました。短い時間の枠内とは言え、結構突っ込んだ議論ができました。
 帰国後、会議事務局から肢体不自由グループ意見交換会での日本側の発言がマレーシアの障害者団体のリーダーたちに大きな影響を与え、国際会議直後に開催されたマレーシア国内の障害者団体全体会議では、日本の先例にならって、各福祉団体の意見を一本にまとめて、公共交通機関をバリアフリーにするよう要望書を政府宛てに提出したもようです。これに対し、マレーシア政府は前向きに検討し、6か月以内に回答を出すと関連団体の代表に約束した、といううれしい知らせが届いています。

(阪本英樹 東京都身体障害者団体連合会)

「視覚障害」分科会

 このセッションにはマレーシア(9人)、日本(8人)、香港(2人)からの参加者があった。香港失明人協進會の廬副会長と筆者が司会を担当し、約1時間、各国の雇用状況や政策決定への当事者の関与などについて話し合った。

雇用状況

 マレーシアでは政府が1%の雇用努力義務を定めている。職業訓練を修了した者の約60%が就職している。香港には雇用率制度はなく、視覚障害者の就業率は20~30%で、マレーシアほど高くない。また大学卒業者には公務員への道が開かれているが、普通校での教師はマレーシアよりも少ない。あんま・マッサージ業についてみると、マレーシアでは3か月程度の訓練が行われているが、資格制度はなく、技術があれば仕事として成り立っている。香港では非学卒者がこの職業に就く例が多い。また97年の返還後、大企業が中国本土に移転していることから、視覚障害者の雇用にも影響が出ている。

政策決定への関与

 香港では、1996年の差別禁止条例(DDO)制定後、障害者の政策決定への参加が進み、草の根運動の要求が直接反映されるようになってきている。しかしDDO自体、雇用や教育面ではあまり影響をもっていない。マレーシアでは、視覚障害者のためのサービス提供団体にも視覚障害当事者がポストを占めるようになってきている。
 最後に、マレーシアの参加者から、立法推進運動に対する率直な疑問が出された。社会保障制度が整備されていないマレーシアでも、人々はそれなりに暮らしており、あえて差別禁止法を制定しようという動きはない。香港や日本では、そうした立法によって具体的にどのようなメリットがあったのかを知りたいという意見がでた。これについては討論する時間がなかったが、工業化が進んでいる社会では、社会関係も複雑化していることから、障害者の人権を保障していくためにはどうしてもそのための法律を制定していく必要があるのだと、筆者なりに考えた次第である。

(指田忠司 障害者職業総合センター)

「聴覚障害」分科会

 私がマレーシアのサザリ氏とともにコーディネーターを務めた「聴覚障害意見交流会」では、約30人が参加し、ほぼ満場だった。まず、参加国の状況についての報告から始めた。日本では、「ろう者としての意識が高まり、権利にも自覚してきた。国連の後押しもあって、社会啓発が進み、法令制度における差別条項撤廃に向かっている。しかし、機会均等に基づく法律改正はいまだ達成されず、ろう者への高等教育の配慮が不十分であることが課題」という報告があった。
 マレーシアの報告では、「毎年、日本で実施されているJICA研修で学び得ることが多かった」とあった。マレーシアでは民族、宗教などの違いでろう者活動が地域によって独自に行われている実態があり、全国ろう者組織の基盤強化、手話通訳の養成・派遣事業に加えて、高齢のろう者へのサービスを課題としたこと、またYMCAがろう者組織と別のサービスやプログラムを提供していると報告された。
 シンガポールでは、「聾学校ではトータルコミュニケーション(口話と手話の両方)、一般学校ではリソースルームでコミュニケーションが確保されている。海外留学するろう学生が多いが、コンピュータ会社や工場で働いている」と述べられた。香港では、ろう協会が権利擁護を推進する活動をしており、カウンセリングや職業あっせん、職業訓練などを行っているとの報告があった。
 参加者の中から、ろう者社会の定義、発音訓練の重要性、聴力程度による聴覚障害の区別などの質問が出されたが、世界ろう連盟理事と同連盟アジア太平洋地域事務局長を兼任している高田英一氏は、アジア太平洋地域では、聞こえる人によるろう者団体の運営、手話への抑圧、通訳者の不十分さなどの課題が共通しており、ろう者の意見への尊重、従来の状況の改善に向けたろう者組織の活動とその強化及びそれへの支援が必要であると締めくくった。
 意見交流会では、日本とマレーシアのろう者のみで、それ以外の国のろう者の参加がみられず、寂しい限りであった。しかし、問題の追求及び解決策などについて結論がでなかったとはいえ、英語、マレーシア手話、日本語、日本手話が通訳を介して使われたため、聞こえる人も加わって活発に意見交換を行えたことは、まことに有意義であった。

(土谷道子 聴力障害者情報文化センター)

「精神障害」分科会

 「精神障害」の意見交換会には、香港、タイ、マレーシア、日本から14人が集まりました。前回の開催地香港からは、「ニューライフ」(社会就労施設)から本人2人を含む7人の参加がありました。香港ではメールサービスをはじめいくつかの仕事に加えて、最近、KIOSKと契約をし、清掃サービス業を始めたということです。実際に清掃の仕事をしている本人から、「病院での生活から授産施設(ニューライフ)に通うようになり、毎日規則的に働くことに慣れるトレーニングから始めた。そして仕事を覚え、それがうまくできるようになり、今では公園の清掃チームのリーダーとなるまでになった。そして、現在、民間会社の清掃の仕事を求職しているところである。自分のような障害があっても、仕事をしたいという意志をもつこと、そして、それを受けとめ、仕事をさせてくれるところが見つかれば、就労することができる」と、しっかりとした口調で話してくれました。
 これは、中国語(広東語?)で話されたものを、施設長のデボラ女史が英語に、それをまた日本語に訳した内容です。デボラさんは、昨年の香港での会議で、次回はきっと本人を参加させる、と話していたため、それを実現させるために、「英語ができなくてもいいからぜひ参加しましょう」、と2人の当事者の方を連れて来てくださったのです。この発言の内容と、そういうデボラさんの誠意の両方にとても感激しました。もうひとりの方も、同様に積極的に発言してくださいました。障害関係の集まりでは、精神障害本人は、他の障害に比べてなかなか参加が難しい状況にあります。この精神障害の意見交換会に集まった人数も最も少なかったことを思うと、このような小さな一歩から少しずつ前向きに変わってきていることを実感できました。
 また、どこの国も一様に、精神障害者にとっての最も厚い壁は社会の偏見であり、人々の理解を得ることがいちばんの課題であることを改めて認識し合いました。

(荒木薫 東京コロニー)

「知的障害」分科会

 司会役の香港の人がさまざまな企画を用意してきた。たとえば、初めにゲームを行って、出席者が親しくなれるように工夫した。
 また、香港からは数人の知的障害をもつ当事者が参加し、本人たち全員も活動紹介を行い、施設で困っていることなどが話し合われた。そのあと、香港グループが準備した寸劇により施設の一場面を紹介したり、当事者が作った工芸品を配ったりするなど、香港の人たちの積極的な参加があった。

(Ms.Fung Wai-Ying,Emily コーディネーター・香港)