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ひろがれ!APネットワーク

バングラディシュ
バングラディシュの首都、ダッカの障害者たち

奥平真砂子(当協会職員)

バングラディシュという国

 バングラディシュと聞いて思い浮かべることは、“たびたび洪水の被害に遭う”や“クーデターや政権交代が多い”、“飢餓が発生するほど貧しい国”といったことで、明るいイメージはなかった。人口は日本と同じくらいの約1億3千万人で、その98パーセントはベンガル人で公用語はベンガル語である。人口の80パーセント以上がイスラム教徒で、休日もイスラムの決まりに従い金曜日である。1947年に東パキスタンとしてインドから独立したが、その後1971年にバングラディシュとしてパキスタンより独立した。経済的な面では一人あたりの年間国民総生産は約350ドルで、現在、最貧国のひとつとして数えられている。
 そのバングラディシュに、今年の2月26日から3月2日にかけて、ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業第5期生の候補者2人の面接をするため、バングラディシュの首都であるダッカを訪れる機会があった。滞在期間は短かったが、二つの障害者団体を訪ね多くの障害者と交流することができた。

首都、ダッカの印象

 私たちの乗った飛行機は、2月26日の夜10時過ぎにダッカ空港に到着した。空港内は以外に明るかった。しかし、エレベーターやエスカレーターの設備は整っているようには見えず、階段の嫌いな私は「優しい空港ではない」と思った。外は街灯やネオンが少ないので空港を出ると真っ暗闇に近い状態で、ホテルまで約40分を要したが、その日は街の様子を何も見ることができなかった。
 次の日の朝、起きて窓から外を見ると空は灰色だったので、曇っているのかと思ったが、それはスモッグのせいだった。外へ出て驚いた。スモッグと騒音、そして蚊の大群。まず空気が汚い。車の数はそんなに多いように見えないのに、なぜ? 排気ガス規制が全くできていない。そして、交通ルールが守られていない。そして次に襲ってきたのは、蚊の大群である。道はごみだらけ…。雨が多いダッカはデルタ地帯としても有名だが、“豊富な水は豊かな緑を生む”というよりも、“水溜りからぼうふらを生む”という感じであった。とにかく、街の印象はただひとつ、“灰色”だった。

ダッカで見た障害者の状況

 朝、ホテルのロビーで人を待っているときに、ホテルの前の舗装されていない水溜りがある道を手で這って歩いている障害者を見かけた。多分ポリオだと思うが、「車いすがあれば…」と、その姿にショックを受けた。また、車で移動中の交差点で信号待ちをしている時、視覚障害をもつと思われる年配の女性が近づいてきて物乞いをしていた。それも1回だけでなく、何度も同じような光景に出会った。なんとなく暗い気持ちで1人目の面接者の所属団体に向かった。
 まず訪れたのは、1985年に設立された障害当事者団体BPKSというダッカに拠点を置き、全国的に障害者運動を展開している団体だった。今はまだ市街地に事務所を構えているが、現在、郊外にコンピュータ・クラスや車いす製造所などを併設した、障害者に総合的なサービスを提供できる施設を建設中だった。新しい施設は、肢体に障害をもつ人だけでなく聴覚障害や視覚障害をもつ人もともに働く当事者主導の組織である。この団体の代表はデゥラル・サタール氏というバングラディシュ国内だけでなく、DPI世界会議の評議員も務め国際的にも活躍し、忙しく国内外を駆け回っている人である。彼は1980年代初頭から障害当事者の力を信じて活動を続けてきて、最近ようやく行政も彼の活動を認め、新しい建物を建てる土地や資金の援助をするようになったという。そのため、そこで働く障害者の生活は、ある程度安定しているように見えた。
 次の日は2人目の候補者を面接し、彼女の活動する団体の事務所を訪問した。そこはダッカの郊外に位置するガジプールにある、リハビリテーションセンターに通っている障害者たちが自主的に集まり活動している組織であった。前の日に訪ねたBPSKとは対照的に、2年程前に設立されたばかりの新しい組織で事務所はたった1部屋しかなく、自分たちのポケットマネーで運営しているという。そこで、20人ほどのメンバーが私たちを迎えてくれた。メンバーたちの熱い情熱は伝わってくるが、活動内容や運営についても依然として手探りでやっているという状態のようだった。メンバーたちの通っているセンターは職に就くことに重点を置いているようで、自営で働いている2人の障害者のお店を見せてくれた。1人は大通りに面した小さな露天で雑貨を売っており、もう1人はわき道に入った小さいお店で仕立屋をやっていた。皆、一日一日を生き延びるために必死という感じがした。
 今回、二つの障害者団体を見ることができた。一つは世界的に活躍しているがリーダー率いる団体、そして他方は設立されたばかりのもの。どちらも障害者主導で運営されていたが、活動内容や経済面は対照的だった。しかし、共通することは、どちらも障害者が元気だったということである。

ひとつずつ

 これまでダスキン事業の候補者を面接するためにいろいろな国を訪れているが、また一つ「何とかしなくては!」と思わせる国と出会ってしまった。この広い世界、困難な状況下で暮らしている障害者は数え切れない。やらなければいけないことは山積みである。
 一人でできることは限られているが、皆が協力すればいつか良くなっていくだろうか?「そう信じて活動を続けよう」と思いながら帰国した。