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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年8月号

文学にみる障害者像

ギャスケルの『ペン・モーファの泉』
―ケアすることとされること―

高橋正雄

19世紀イギリスの女性作家エリザベス・ギャスケル(1810~1865)が1850年に発表した『ペン・モーファの泉』1)には、身体障害者となって世をはかなんでいた女性が精神障害者をケアすることで自らも立ち直っていく姿が描かれている。

この物語の主人公であるネストは、北ウエールズの片田舎ペン・モーファの村でも評判の美人だった。母親と2人で暮らしていた彼女は、老若男女すべての人を喜ばせずにおられないような性質で、裕福な農夫であるエドワードと結婚の約束を交わすまでになっていた。

しかし、結婚を間近かに控えたある日、ネストは水汲みに行った村の泉で足をすべらせて転んでしまい、股関節をはずして半身不随の身となったのである。何か月も彼女は床に伏し、時にはうわごとを言い、時には疲れのためにふさぎ込んだが、彼女の母親はこの上なく優しく介護したし、近所の人たちも家庭料理を作って見舞いに訪れた。エドワードもかなりの間見舞いに来て優しい心づかいを見せていたが、次第に彼の足は遠のいていった。

ネストの母親は、エドワードの家に出向いて、「あの子は半身不随だけど、かわいそうに心は昔のままなんだよ」と、必死になってネストへの愛を取り戻させようとするが、エドワードは「ぼくの所には家畜がたくさんいます。農場の仕事だって、健康で有能な女性でないかぎりできないような、きついものです」「半身不随の女と結婚するなんてとんでもない」と断るのだった。

ネストの母親はやむなく娘に向って、「おまえの体は不具だから農夫の奥さんになるには失格なのだ」と言わざるを得なかった。しかし、この言葉を聞いたネストは以来、母親に対して反感を持ち、世間にも背を向けるようになった。「彼女は悲しみを胸のうちにしっかりと閉じ込め、心に食い込んで腐食させるようになった」のである。

片足が短くなったネストは、松葉杖をついて足を引きずりながら歩くようになったが、体力が回復すると自分に耐えられるだけの仕事をしたがった。彼女は、あえて肉体的な疲労を伴う仕事をすることで無感覚になることを望んでいるようでもあり、自分に割り当てられていた家庭の仕事を母がしようとすると、荒れ狂わんばかりになった。しかし、ネストは、外出することは拒みがちだった。彼女は、変わり果てた姿を隣人たちにさらすことよりも、恋人に捨てられたのを村人たちに哀れまれることの方を、恐れたのである。

ネストは、母親に対して横柄で取り付く島もないような態度をとるようになり、母が少しでも涙や哀れみの兆候を見せると苛立った。ネストと母親の暮らしには、それまでの無頓着な気楽さはなくなり、一言しゃべるにも警戒や準備を要するようになったのである。

エドワードが別の娘と結婚するという噂を聞いた日、ネストは「お母さん、どうして私を死なせてくれなかったの?どうして私を生きながらえさせて、こんな目に遭わせたの?」と言ったり、「お母さん、私が間違っていたわ。お母さんは最善を尽くしたのよ。どうして私はこんなに頑なで冷酷な女になったのか、自分でも分からないわ」と言って取り乱したが、そんなネストにも母親は次のような共感的な態度を示すのだった。「おまえの頑なな心はほんの一時的なもんだよ。ちょっと待ってごらん。自分を責めるんじゃないよ、ネスト。おまえの態度は理解できるよ。母さんは気になんかしてないからね、おまえ。思いやりのある心は、またすぐに戻ってくるさ。(中略)母さんは悲しんでなんかないよ、おまえ。大抵の場合は、楽しくやってるじゃないか、私たちは」。

これ以後、ネストと母親は心を寄せ合うようになったが、自分には傷ついた娘の心を慰める力のないことを知った母親は、ほどなく亡くなる。その時、1人取り残されたネストが、巡回説教師に「今では私を愛してくれる人は誰もいません」と言うと、巡回説教師は、「もし誰も愛してくれる人がいないのであれば、今こそおまえが自分から人を愛し始める時なのだ」として、次のように語ったのである。「病んだ人や疲弊した人を喜んで受け入れて愛してやらねばならぬ。そうした愛こそ、おまえを世の中の嵐から救い、神御自身の安らぎの世界へと導いてくれるのだ」、「おまえには哀れみなど必要ない。おまえには自分の悲しみを踏み台にして、それを他の人々に対する天の恵みに変えるだけの力がある。他の人たちにとっては、おまえ自身が天からの恵みとなるだろう」。

こうした説教師の預言者めいた言葉を聞いたネストは、その後、村人から「知恵おくれの女」とか「哀れな狂った女」と呼ばれていたメアリを自宅に引き取って、一緒に暮らすようになる。それまでの母親に対する行いを後悔していたネストは、彼女の名前が意味する「避難所」に保護を求めてやってきた最初の寄る辺ない者であるメアリを受け入れ、「最も困難な、いとわしい仕事」をすることで気休めを得ようとしたのである。

メアリは時にほとんど人間のものとは思えないような怒号を発して取り乱したが、ネストは自ら半身不随の身でありながら、なだめるような言葉を小声でかけながら彼女と一緒に歩いて、落ち着くのを待った。自分が世話をするのをやめれば彼女には暴力と飢餓と悲惨だけが待っていることを知っていたネストは、メアリが時おり荒れ狂って錯乱状態になることなど誰にも話さず、むしろ彼女がいかに従順で愛情深いかを村人に話すのだった。

こうしたメアリをケアする中で、ネストの心の扉は開かれていく。「無力で、寄る辺ない、彼女以外に頼る人がいない狂女メアリに対して愛を抱くようになって、その扉は広く開け放たれた」のである。

結局ネストは、村の泉でけがをしてから30年後に亡くなる。ネストの死後、メアリは救貧院に入り、時おり激しい発作を起こすこともあったが、そんな時でもネストの名前を聞くと彼女の発作はピタリと治まったという。

このように、『ペン・モーファの泉』には、19世紀半ばのイギリスの農村において身体に障害のある娘が置かれた立場や心理、あるいはそうした娘を抱えた母親の心情や対応などが描かれている。いかに美貌の娘といえども、身体に障害を抱えた身では農家の嫁として認められず、公的なサポートもない状況の中で、かつて快活だったネストの心は荒んでいき、母親の献身的な愛も素直に受け取ることができなくなっている。ネストには、母親が見せる哀れみやいたわりさえも苛立ちの対象となったのである。

そんなネストを救ったのは、精神に障害のある娘をケアするという行為だった。ネストには、周囲のいたわりや障害の受容などよりも、自分はこの世でなすべき仕事があり、必要とされているという感覚こそが大切だったようである。この時ネストは、自分の人生に意味を見出すことによって精神的に安定したとも言えるのだが、あるいは、自分よりも弱い立場にある者のケアをすることで、相対的に自ら健常者たらねばならないという状況がネストを立ち直らせる要因として重要だったのかもしれない。

ちなみに、これと似たような状況は、孤児を育てることで人間性を回復するというエリオットの『サイラス・マーナー』2)(1861年)にも描かれているし、障害のある者が良きケア者になるという設定はディケンズの『クリスマス・キャロル』3)(1843年)にもみられるなど、19世紀の英国文学に共通する特徴のようにも思われるが、いずれにしても、ネストは自分以上に苦しんでいる人間とともに生きる中で、自らの不幸を嘆き運命を呪うだけの存在であることをやめ、他者に寛容な存在になっている。ネストは、ケアすることがケアされることにつながるということや、良き患者は良き治療者たりうるという、ケアの真髄を体現したような女性として描かれているのである。

(たかはしまさお 筑波大学障害科学系)

【参考文献】

1)ギャスケル、E(松岡光治訳);『ギャスケル短編集』岩波書店、2000.

2)ジョージ・エリオット(土井治訳);『サイラス・マーナー』岩波書店、1988.

3)高橋正雄;『クリスマス・キャロル』と『カラマーゾフの兄弟』、ノーマライゼーション第28巻第2号;44~46、2008.