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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年2月号

1000字提言

6階整形外科病棟

高久加世子

昨春、家の中で右手首骨折、対処が遅れた結果手術ということになり、地元の病院に1か月入院した。病院生活は過去にも経験したが、けがによる入院は初めてだった。

不安と緊張のうちに迎えた初日、3人のルームメイトと対面。すると奇遇にも隣のベッドは友人だったので驚きながらほっとして、気が軽くなった。しかも今回は苦しかった手術を除けばすべてが上手くいき、今振り返れば楽しい1か月だった。

ドクターもナースも、リハビリ室の先生も、出会う人皆が誠実にして爽やか、なに一つ嫌な思いをせず、自分が視覚障害者であることも忘れるほど軽やかに過ごせた。ナースは日々担当を変わるけれど、だれもが自然に接してくださり、コミュニケーションの取り方もさり気なくて愉快だった。

食事のメニューは必ず時計の位置で説明されたので困らなかったし、朝夕の洗面やトイレへ行くにも遠慮なくコールボタンを押せるのだった。

私たち整形外科の患者には必ず全快して帰れるという希望が保証されているせいか、病棟全体の雰囲気も極めて明るい。だからこの階のスタッフは皆生き生きと動き、時に笑い声さえ弾けたりすることもあって、患者が気兼ねなく過ごせるように配慮する姿がうれしかった。

読書のできない分を音楽で埋めようと、持ってきたCDをイヤフォンで聞いていると、傍らのケースを見て「フォークソングが好きなのね。ちょっと聞かせて!」と言うナースがいたり、度々メールする私に「その携帯、声が出るの?」などと問いながら、必要なものには工夫がされていて、自分たちと何も変わらないことを知ると、会話の内容もいっそう深まるのだった。

「ねえ高久さん、担当の先生、イケメンで独身よ。とってもかっこいいの」と話してくれるナースもいて、「うん、うん。実はそういう情報が一番大事なのよ!!」と、内心私は密かなる微笑を禁じえないのだった。SMAPの草薙君事件が起きたときも「彼よりもっと悪いことしてる人はいっぱいいるのに、酷(ひど)いわ!!」と共に憤慨して盛り上がったナースもいて、私としても溜飲が下がる思いだった。こんなふうに彼女たちと私の間には、「障害」を越えたごく当たり前の会話が成立していたのだった。

同室の仲間も和気藹々(わきあいあい)、だれかが出かければ「いってらっしゃい」、帰ってくれば「お帰りなさい」と言い合うほどの連帯感があって抜群のチームワークだったので、訪れるナースたちも「この部屋に来るとほっとするし安らぎがあるわ」と言って楽しそうだった。ここにはまさに「心のバリアフリー」が、ノーマライゼーションの世界が実現していた!!

(たかくかよこ 元神奈川県ライトセンター職員)