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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年5月号

映画の中の障害者像
―その変遷から見えるもの―

二通諭

1 それは、ダスティン・ホフマンから始まった

1990年代は障害者映画の時代であった。

火付け役は、「レインマン」(89年)である。国際障害者年の終盤にして障害者映画大展開時代の幕開けとなった。ダスティン・ホフマンというスーパースターが自閉症者を演じ、アカデミー賞(監督、脚本、主演男優)を受賞したのだから、他の名だたるスターも、自分もやらなくては、と思ったはず。

早速、「レインマン」でダスティン・ホフマンの弟役を担ったトム・クルーズが、「7月4日に生まれて」(90年)で下半身マヒのベトナム帰還兵を演じた。ベトナム戦争批判とともに、セックスができない無念さを描き、障害者と性の問題を浮上させた。アカデミー賞監督賞(オリバー・ストーン)受賞作品である。

これに呼応するが如く、障害者の恋愛と性の課題と真正面から向き合ったのが「マイレフト・フット」(90年)。主人公のクリスティ・ブラウンはアイルランドの実在のアーティストであり、重度の脳性マヒ者。クリスティは、思いを寄せていた女性から、別の男性と婚約したことを告げられる。クリスティは、酔った勢いで、次のように語る。私はいつも愛されていると言われる。しかし、それは心の中でだ。私は心も肉体も全部愛してもらいたいのだ、と。これは私(障害者)にも性的欲求があるぞという、当時としては画期的な宣言であった。この役を演じたダニエル・ディ・ルイスはアカデミー賞主演男優賞を受賞。

障害者の恋愛と性というテーマについては、この後も深められる。事故で下半身マヒの障害を負った男性作家とその恋人が、思考の枠組みを変えることで困難を乗り越える「ウォーターダンス」(91年)、通過儀礼としての性の課題を女性身体障害者のロストバージン騒動をとおして提示した「ヴァージン・フライト」(99年)、女性知的障害者の自己決定宣言としての「カーラの結婚宣言」(2000年)などだ。

自己決定への流れは、その後、「海を飛ぶ夢」(05年)、「ミリオンダラー・ベイビー」(05年)にみられるように死の自己決定というネガティブな人生観へと傾斜するが、それは、新世紀に入っても希望に満ちた世界を描けなかったという漠然とした閉塞感の反映であるし、「マイナス感情」という特別支援的課題をせり上がらせた。

2 山田洋次の奮闘

映画監督の山田洋次をして、講演で「この映画は日本では作れない」と言わしめたのが「レナードの朝」(91年)。嗜眠性脳炎による30年にわたる半昏睡状態の障害者レナード役のロバート・デ・ニーロの、ここまでやるか、という演技に山田が舌を巻いたのだ。障害者映画に取り組んでいた山田は、日本にはここまでやれる俳優がいない、と思ったに違いない。レナードは一時眠りから覚めるが、症状が悪化して再び眠りにつく。眠りの世界に戻る前の愛する人とのラストダンスは、究極のラブシーンと言ってもよい。

ここで、障害者映画では、日本でひとり気を吐いている山田洋次の作品群。聴覚障害者をヒロインにした「息子」(91年)、知的障害高等養護学校を舞台にした「学校2」(96年)、自閉症の一人息子を育てる母親を主人公にした「学校3」(98年)、木村拓哉が全盲の剣の使い手を演じた「武士の一分」(07年)など、日本映画史において燦然と輝くタイトルばかりだ。特別支援映画にまで範囲を広げるなら、末尾の表で示したとおり「十五才 学校4」(00年)、「おとうと」(10年)も加わる。

3 障害を肯定的にとらえる巨大な流れ

インディ・ジョーンズなど当代一のヒーローを演じていたハリソン・フォードも、「心の旅」(91年)で頭部に銃弾を受けて記憶を喪失。かっては大企業など強者の側につく野心的な腕利き弁護士だったが、障害を負った後は、過去の自分のあり方を否定し、良心に基づく行動をとる。障害に内面形成上の意味を与えたという点で本作は際立っていたが、これこそ1990年代の障害者映画群に通底する特徴なのだ。

つまり、主人公が障害を負うことで、古い自分を否定して新しい人生の価値に気づいたり、障害者と触れ合うことで周囲の人たちが精神的に救済されたり、人間性に目覚めたり、さらには新しい認識をもつといったように、内面形成ものとして括ることができるのだ。

「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」(93年)では、アル・パチーノが全盲の退役軍人を演じる。自身の自殺を思いとどまらせてくれた高校生を救うために学校に乗り込んで大演説をぶつのだが、チャップリンの「独裁者」の最後の演説をほうふつさせる格調高いものであった。アル・パチーノはアカデミー賞主演男優賞を受賞。

「ロレンツォのオイル」(93年)では、寝たきり重症心身障害児の両親をニック・ノルティとスーザン・サランドンが演じる。近未来SFバイオレンス映画の傑作「マッドマックス」シリーズのジョージ・ミラー監督が製作・脚本まで手がけた驚きのノンストップムービーである。副腎白質ジストロフィーを発病したわが子を救うために特効薬を発見した両親の物語であり、実話の映画化である。

「マッドマックス」で一躍トップスターになったメル・ギブソンは、自身の監督作「顔のない天使」(93年)で、顔に火傷を負い、隠遁生活を送っている元教師を演じた。士官学校入学をめざすちょっとワケありの少年との「教え・学ぶ」関係の構築によって、前向きな気持ちになっていくのだが、その一方、忌まわしい過去と周囲の誤解や偏見に苦悶する。顔面損傷ものは、この後、障害受容に失敗した男の物語である「オープン・ユア・アイズ」(99年)と、それをリメイクしたトム・クルーズの「バニラ・スカイ」(02年)へとつながっていく。なお、1993年には、後にトップスターとなるレオナルド・ディカプリオが「ギルバート・グレイプ」で知的障害の少年役を好演している。そのときの兄役がジョニー・デップである。障害者映画群には、いわゆるイケメンスターがキラ星のごとく並び、障害理解と支援の裾野を広げることにつながった。

トム・ハンクスも患者・障害者映画で2年続けてアカデミー主演男優賞を受賞。

「フィラデルフィア」(94年)では、エイズに冒された弁護士役。エイズを理由に法律事務所を解雇され、法廷で闘うことになるが、その際、武器になったのは、障害者の解雇を不当とした1970年代の判例。障害者の権利を守り発展させてきた成果が1990年代のエイズ患者の権利を支え、救済したという物語であり、障害者の権利擁護の運動は当事者のためだけではなく、近未来人をも助ける性格をもっているということを明らかにした。

「フォレスト・ガンプ/一期一会」(95年)では、IQ75の軽度知的障害者ガンプを演じる。本作で描いたのは、ベトナム戦争、黒人差別、テロなどガンプをフィルターにしたアメリカ現代史。ガンプは癒しを求める人たちによって教祖的な存在になっていくが、それは、心の空隙を埋めたいという現代人の心模様を象徴するものであった。

ジョディ・フォスター製作・主演の「ネル」(95年)。ネルは野生児に近い形で育った女性。ネル語とでもいうべき独自の言葉を話す。信頼できる一人の人間を得て、人間社会との交流がある程度可能になり、やがて、周囲の人たちがネルに癒されるようになる。

かくして1990年代の障害者映画群は、障害を肯定的にとらえる巨大な流れをつくり、障害観を変える強い風となった。

ただし、精神障害者だけには逆風が吹いていたことを付記しておく。

4 映画もまた特別支援時代を迎えた

特別支援教育推進体制モデル事業の実施(03年)、発達障害者支援法の施行(05年)、特殊教育から特別支援教育への移行(07年)といったように、今世紀に入ってからのこの10年は特別支援時代と言ってもよい。映画もまた時代の空気に感応し、かつ牽引するように、特別な支援を要する人や周囲の人々を活写するようになった。

は今世紀に先立つ1年前の2000年以降に限定して、これらの作品を、障害種別、障害傾向別にまとめたものである1)。紙幅の都合もあり、このような形式にさせていただいたが、筆者は4作品を除いて他誌の連載で取り上げているので、関心のある方は参照していただきたい2)

映画の中の障害者は、いつも人々を励まし、時代の先頭に立ってきた。それは、これからも続くであろう。

(につうさとし 札幌学院大学人文学部人間科学科)


 2000年以降の特別支援映画(筆者未見作品は除外)

アスペルガー症候群 「カミュなんて知らない」、「モーツァルトとクジラ」
自閉症 「マラソン」、「自転車でいこう」、「彼女の名はサビーヌ」、「ぼくはうみがみたくなりました」
学習障害(LD) 「パーフェクト・カップル」
注意欠陥多動性障害(ADHD)
*一部LDも含む
「イン・ハー・シューズ」、「サンシャイン・クリーニング」
注意欠陥障害・不安障害 「天国はまだ遠く」
強迫神経症 「アビエイター」
食べ吐き・幻聴 「ヴァイブレータ」
性嗜好異常 「ピアニスト」、「消えた天使」、「リトル・チルドレン」、「闇の子供たち」
夢遊病 「情痴 アヴァンチュール」
鬱病 「やわらかい生活」、「ぐるりのこと」
パニック障害 「阿弥陀堂だより」
統合失調症 「ビューティフル・マインド」
精神障害全般 「17歳のカルテ」、「ふるさとをください」、「精神」
憑依 「エミリー・ローズ」
パラノイア 「ランド・オブ・プレンティ」
戦争トラウマ 「ハンニバル・ライジング」、「サラエボの花」、「告発のとき」、「戦場でワルツを」
不登校・ひきこもり 「十五才 学校4」、「ヒノキオ」、「home」、「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」、「アンダンテ ~稲の旋律~」
高次脳機能障害 「博士が愛した数式」、「ガチ・ボーイ」 *関連?→「メメント」
反社会性人格障害 「コントロール」、「黒い家(韓国版)」、「エスター」
共感覚 「ギミー・ヘブン」
虐待 「誰も知らない」、「いつか読書する日」、「長い散歩」、「クヒオ大佐」
カルト教団での洗脳 「カナリア」、「愛のむきだし」
オタク 「電車男」
性同一性障害 「ボーイズ・ドント・クライ」、「トランス・アメリカ」
同性愛 「メゾン・ド・ヒミコ」、「ミルク」
バッシング被害 「バッシング」、「相棒―劇場版―」、「誰も守ってくれない」
吃音 「独立少年合唱団」、「青い鳥」
死体フェチシズム 「あおげば尊し」
コミュニケーション不全 「おとうと」
閉じこめ症候群 「潜水服は蝶の夢を見る」
色素性乾皮症(XP) 「タイヨウのうた」

【注】

1)作品中で障害を特定していないものについては、筆者が得た印象によって判断した。また、バッシング被害など現代において黙過できない精神的困難や、オタクやカルト教団での洗脳などの特異的困難、性同一性障害や同性愛などマイノリティ(少数者)としての困難についても視野に入れた。

2)『総合リハビリテーション』(医学書院)「映画に見るリハビリテーション」欄に1996年11月号より連載を始める。2010年4月現在執筆本数161。