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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年5月号

視覚障害者にももっと映画を

斉藤恵子

私の視力は左右とも0.01以下の強度弱視である。映画館を訪れ、前方の席に座っても字幕を読むことは全くできず、映像も人や物の動きが大まかに分かる程度。音声ガイドや字幕朗読の助けがない状態では、果たしてどれくらい映画を鑑賞できていると言えるだろうか。そんな状態の私であるが、ボランティアグループ・シティ・ライツとの出会いによって、映画鑑賞という新たな趣味への扉を開いていただき、現在は解説のないものも多数観るようになっている。そのような私が考えている、映画鑑賞のバリアフリーについて少し書かせていただく。

視覚障害者の映画鑑賞環境のバリアフリー化と一口に言っても、さまざまな側面があることは言うまでもない。それぞれの見え方の違い、障碍を受けた時期の違い、生活環境の違い等が作用して異なるニーズが生じてくるのが実情であろう。

たとえば、音声ガイドに対する要望一つをとってみても、カメラワークや俳優の表情の変化などに至るまで細かく説明してほしい人、衣装やセットの様子を詳しく知りたい人、逆に、映画そのものの雰囲気や音を十分に味わう余白を好む人とさまざまで、これが正解という完成形を見出すのは非常に難しい。

また、映画館に足を運ぶことそのものが困難であり、しかも、現状では1作品についてガイド付きの上映が行われる回数も極めて限定されており、制約を受けざるを得ないといった問題もある。

このような現状から、映画鑑賞を娯楽としてより気軽に楽しめる理想の環境に近づけていくにはどうしたらよいだろうか。それを考えるとき、最も大切でだれにでもすぐに始められることがある、と私は考えている。

それは、見えない・見えにくいからとあきらめている視覚障害者に、映画の面白さを体験できる機会をできるだけ多く提供していただくこと。具体的には、市販の音声ガイド付きDVDを家族で観ることからでも、周辺で開催される上映会の情報を知らせて一緒に出かけて行くことからでも良い。まだまだ十分とは言えない数とは言え、徐々に増えてきている音声ガイドによって映画を楽しむことができるようになった視覚障害者の声が製作者側に届くことは、必ずや次へとつながる原動力となるに違いない。

そうした良い循環を生むためには、やはり人の存在が不可欠なのではないかと考えるからだ。私自身のことを振り返ってみても、単に音声ガイド付きの映画が準備されていただけでは、ここまで映画の世界にのめりこむことはなかったのではないかと思う。

音声ガイドづくりには多くの手間や時間、そして本格的なナレーション収録ともなれば、ある程度まとまったお金も必要となる。究極の理想としては、いつでもどの作品でも好きな映画館で鑑賞できるようなシステムが構築され、自分の好みで音声ガイドの量なども選択できるようになる。視覚障害者だけではなく、字幕を読むのが難しい高齢の方や漢字の苦手な方々にも、気軽に楽しんでいただけるような環境ができあがれば素晴らしい。

とは言え、そのようなところに一気に進むのは難しい。理想の実現に向けて、配給その他映画関係者の方々に働きかけていく一方で、まずは映画の新しい見方の発見を楽しみながらガイドづくりにチャレンジしてくださる方々、共に感動を味わおうと行動してくださる方々を増やしていくことが大切ではないだろうか。そして、それらの情報をより手軽に楽しく伝えてくれるツールの一つとして、映画の作品サイトなどのホームページのバリアフリーも進んでいってほしいと思っている。

(さいとうけいこ 横浜市在住)