脳損傷児の指導計画

脳損傷児の指導計画

H. R. Myklebust

武田洋*

最近、脳性マヒ児についても、精神薄弱児の一部についても、脳損傷児という概念で学習問題をとらえようとする努力が積み重ねられてきている。その中でも、いろいろな立場から多くの提案があり、Cruickshank をはじめ多くの業績が紹介されている。

 しかし、それらの提案も、ある学習問題の原因についての仮説があり、それに立脚して学習計画を提案しているわけである。したがって、脳性マヒ児や精神薄弱児についての啓蒙的ではあるが、 断片的な知見を学び参考とするだけでなく、それらを全体としてとらえ計画し、学ぶべきところは学ぶべきだと思われる。

 ここでは、言語の面から学習問題を研究し、指導計画を提案している例をとりあげることとする。

 Helmer R.Myklebustは聾(1947、1954、1960)や失語症(1952、1954、1955、1957a)の子供たちの言語障害の診断や治療の研究によって、有名である。言語と言語病理学の知識を用いて、彼は最近学習障害のわかりやすい理論を提案した(Myklebust,1964,1968;Myklebust & Boshes, 1960 ; Boshes & Myklebust, 1964 )。Myklebust の聴覚障害の初期の研究が、彼の言語理論と精神神経学的学習障害の理論にかなり影響を及ぼしたので、ここではその研究から多くを引用する。15年以上の間、彼の研究と訓練活動は、わく組の発達、教育原理の系統化、学習障害児に対して用いるための効果的な治療技術を完成することにむけられた。最近Myklebust は言語病理学と心理学の教授になり、現在Northwestern大学の言語障害研究所の所長である。

半自律的系

 Myklebust は、脳の中に半自律的に機能する「系」という概念を導入した。これは学習過程の基礎となり、またそれを統御するものである。独立的に機能するとともに、系どうしが補いあっても働く。たとえば話しことばの修得のように、視覚系や他の系とは独立的に機能すると同時に、統合的学習は「同時に機能しているこれらの系をすべて利用している」(Johnson & Myklebust )ことを意味する。

 この独立的に機能する学習の場合、これを神経感覚内のみの学習といい、ひとつの系から他の系に情報を伝える役をするものとして、伝達系(transducer system )を仮定し、これがあるため統合学習が可能となるわけである。これらが完全に機能することにより、正常の学習が成立するわけであり、この機能が損なわれると学習に障害が起こる。それを彼は次のカテゴリーに分類し提案している。

1.知覚障害──同一視、弁別または解釈的感覚。感覚の面での日常の経験の貧弱な認知としてよくみられるもの。

2. 表象障害(disturbance of imagery)──知覚しているにもかかわらず、心の中にいつもの経験を呼び起こすことができないもの。聴知覚的なものと視知覚的なものの欠陥としてみられる。

3. 象徴的過程の障害──象徴的に経験を表現するのが容易にできないもの。失語、失読、失算、言語障害としてみられる。

4. 概念化障害──経験を一般化したり、類別したりできないもの。論理的な関係や具体的なことを含むことがらを類別できないようなこと(1964、P.359 )。

 中枢神経系の完全さを学習障害に関係あるものとして考える場合、知的能力と運動能力の両方について考えられなければならない。知的能力に限界のある子供は、中枢神経系の完全性に問題があり、運動能力に問題がある場合も同様のことがいえる。また、心理的過程も密接にこれとかかわっている。

精神神経学的学習障害

 定義・病因学:一般的な用法の術語、特に「脳損傷」や「学習障害」のような用語に対して不満を感じ、Myklebust は「精神神経学的学習障害(psychoneurological learning disability)」という別の用語を選ぶことを思いついた。これはこれらの子供の示す問題に含まれる行動的あるいは生理学的媒介変数を含むことを意味して用いられているのである。

 Myklebust とBoshes(1960)によれば、精神神経学的学習障害を持っている子供は、しばしばわずかなぎこちなさ、ある種の行動障害、そして読むことや書くことや数えることや話すことが困難であることを示す。これらのすべては、脳の機能障害の結果であることを意味している。これらの症状の発現時期や原因にかかわらず、この用語は神経学的な基礎を持つ学習におけるすべての行動の異常を意味している。すなわち、その障害は、学習能力の欠如よりもむしろ行動の逸脱とみられている。学習障害は常に神経の機能不全に原因があると強く主張する点を除いては、「psychoneurological learning disability 」の定義はBateman、その他の定義に似ている。

 しかるに、この分野における多くの著者や研究者は、学習障害と脳機能不全の間の関係を確立しようとは試みていない。Myklebust は、この間の関係を確立したことを、彼の精神神経学的学習障害の概念を明らかにした功績のひとつにしている。たとえ脳の機能における障害が客観的に発見されないとしても、また学習に障害のある者が神経学的に完全であると思われようとも、脳の機能不全の証拠は行動徴候を基礎として仮定することができる。

 しかし彼は以下のように感じている。すなわち大部分の機能不全は神経学的に証明することができ、また診断上の技法がより正確になり精密になってくれば、大部分の学習障害が神経学上の徴候を示すことが明らかになるであろう。このわく内で、精神神経学的学習障害は、その障害が行動におけるものであることや、また神経学的な因果関係に帰することを示している。ここで興味のあることは、この概念のいま述べた側面に本来どうどうめぐり的な理由づけがあることである。したがって、診断や段階づけの基準がしばしば推論の上になされねばならないという弱点がある。

 精神神経学的学習障害の型:半自律的学習系における技術をマスターすることの失敗や、あるいは発達段階のある段階での失敗は、その失敗に対応した障害に帰結するであろう。それは一転してその段階よりもより高い段階で成功する可能性を減少させる。例えば、会話を理解する前に話す子供はいないし、話しことばを最初に獲得しなければ正常に読むことを学んだりはしない。さらにまた、書きことばは読みことばの表現的な側面なので、読むことができない子供は、書くことができない。Myklebust は学習障害の五つの一般的な類型について述べている(Johnson & Myklebust1967 )。それらは以下の五つである。聴覚言語の障害、読みの障害、書きことばの障害、数えることの障害、学習の非言語的側面の障害である。

聴覚言語の障害

 聴覚象徴の言語障害は、通常子供が2歳から4歳のころに発見される。この障害は以下に述べる理由により会話の問題を持つ子供よりもより障害の程度が重い。その理由は、正常な象徴的言語の発達が妨げられているからである。初めはMyklebust(1955)によって三つの型が認められていた。その型は受容、表現、混合である。しかしながら最近では、Johnson とMyklebust (1967)が、聴覚学習の一般的欠損や、聴覚受容言語の障害や聴覚表現言語の障害について語っている。

 一般的欠損のある子供は会話やその周囲で出されている音を聞いてはいるのだが、解釈できない。彼の視覚経路や触覚経路は比較的完全であるので、彼が聾と間違えられる場合もある。受容言語の障害は聴覚象徴を理解する能力に影響を及ぼし、言語発達に対して重要な影響を持っている。それは非言語的音響やその周囲の音について前に掲げた型とは違っている。しばしば、それは受容失語症、感覚性失語症、聴覚言語性失認症、言語聾と関連している。

 表現言語障害の場合は象徴的コミュニケーションが途絶されている。たとえその象徴の意味が理解されているとしてもである。表現障害の三つの共通した型が強調されている。第1に、その問題は聴覚再生と単語の選択(健忘性失語症)と関係している。病気に冒された子供は、単語を理解するかもしれないが、自発的に表現するためにそれらを呼び起こすことはできない場合もある。ことばを呼び起こすことに困難を経験した年少の子供の会話は、まわりくどい表現、遅い反応や身振り、非言語的音、単語の連合(話そうとして探していることばと同じ概念の中からの代用の語、例えばナイフをフォークと言う)の不相応によって特徴づけられる。年長の子供は、意志伝達の手段として表記による表現にたよるかもしれない。そして一般的には音読みよりはむしろ黙読を好む。第2番目の型はその困難が、語の記憶や再生に関するよりもむしろ、会話にとって必要な運動習慣を修得することができないことに中心がある(統合運動障害)。第3番目の型は、文を構成する語の配置に欠点があることによって、特徴づけられる。この障害を受けた子供は、簡単な語や短い語句が必要とされているときには、伝達することができるが、しかし完全な文を修得するに必要な組織性を示すことはない。これは語順や動詞の時制や他の語の配置上の違反における誤りによって証明される。

読みの障害

 子供が学校に入学し、読むことを学び始めるときに、失読症が問題となる場合がある。失読症は、脳損傷の結果として正常に読むことができないものである。脳損傷は、言語過程に対してきわめて破壊をもたらすものと考えられ、また子供の全体的な言語発達に対して衰退的効果を及ぼすと思われる場合がある。失読症は、よく他の言語の問題を伴ってみられることがある。とりわけ、記憶一般と連続性の記憶、右と左の方向性、時間、ボディ・イメージ、つづることと書くことの障害、失算症、運動障害、知覚障害などである。しかしながら失読症は、精神薄弱、感覚障害、情緒障害、あるいは不適切な指導法に原因するものではない。子供の時期の失読症のすべての要因が、子供の内部にあるとは必ずしも限らない。しかしながら一般には、これらの徴候はこの型の言語障害を持つ子供たちの特色となっている。この状態を記述するために用いる他の術語は、語盲症、進展した失語症、象徴倒錯症などを含んだものである。

 失読症の二つの共通な型が検討されている。その二つは視覚的なものと聴覚的なものである。視覚障害のすべての型ではなく、その内の幾つかが、視覚性失語症になる。冒された子供は、文字や個々の語の音節と同様に全部の語を視覚的に修得することの困難を持っている。視覚性失語症と関係している読みの問題の特徴は以下のごとくである。

1. 似ている語や文字の混乱

2. 語の認知が遅い

3. ひんぱんな文字の反転(bとd)

4. 文字が逆さになる傾向(uとn)

5. 視覚的連続性をたどることと保持することの困難

6. 同時に視覚記憶の障害が起こる

7. へたな絵

8. 視覚分析に関する問題(パズル)

9. 視覚的作業よりも聴覚的作業の方がよりよい

10. 視覚統合技術を必要とする遊びを避ける傾向があること

 聴覚性失語症においては、子供はおそらく視覚的なささえを持つであろう。その結果、読むことのために単言を全体としてとらえることは彼にとっては比較的たやすいことであろう。彼の困難は、音声学的な、語の発声術や、音素や語の聴覚再生や、音の混交に集中している。

 表記言語の障害:Myklebust (1965)によれば、表記語は、人間の最高の言語的能力であると考えられている。その修得は必然的にその前段階にあるすべての能力の段階を確立することが前提とされる。表記語の正常な発達は、感覚過程と運動過程の完全さを仮定している。話しことばによる表現と書きことばによる表現は、受容機能の適切さに依存している。表記の障害は、書字障害、視覚再成における欠損、系統的に記述することや統語することの障害を含む。

 書字障害:子供は読んだり、話すことはできるが、しかし書くことを通して表現することが必要な運動様式を伝えることができない。彼は文字や語や数字を写すことさえできない。その困難性は観念作用よりも本質的には視覚運動統合のひとつである。もっとも、それには観念作用の問題が伴う。書字障害は、Myklebust によって、視覚運動体系を含む失行症のひとつの型として考えられている。

 視覚再成の欠損:問題は基本的には視覚記憶にある。その子供は話し、読み、写すことができる。しかし彼は、語や文字を視覚再成することができない。その結果彼は自発的に書いたり指示によって書いたりできない。系統的に記述することや、語を正しく配置することの障害においては、その問題は観念作用を含む。すなわちその子供は、読んだり、語をつづったり、写したり、彼の考えていることを口頭で表現することはできるが、しかし彼の考えを紙の上に書くことはできない。統語における困難が別個に存在することがあるけれども、その困難にはしばしば観念作用における障害が伴う。そしてそれは、語が脱落することや、ゆがめられた語の順序、不適当な動詞や代名詞の用法、不適当な語尾、不適当な句読法によって特徴づけられる。

 数の障害:Johnson とMyklebust は以下のように述べている(1967)。すなわち、人間は話したり記述したりする象徴体系を思想や感情を表現するために発達させたが、他方、ある種の観念、すなわち量や大きさや順序を表現するために、多くの体系が発達させられ、完成させられた。一般に、言語に関するものと同じように、この体系は内的、受容的、表現的形態を持っている。しかるに貧弱な算数の能力が指導の低劣さや知的能力の低さによって生ずる場合もあるが、失算症は量に関する思考に障害をきたすある種の型の神経学的機能低下と関連がある。不十分な算数能力の型は、他の言語障害と関係のあるものと、量に関する思考における障害に関係のあるものの二つである。聴覚受容言語障害を持った子供は、おそらく学校においては、算数能力が貧弱であろう。それは彼が、計算の原理を理解できないからではなく、①教師が口頭で述べたそれらの原理を理解することや、②それらを声にだして読むときに問題を読みとることや、③口頭であたえられた教示を理解することに困難があるためである。読みの障害があることで、子供が問題を読みとることにおいて不利な立場におかれてしまう。一方書字障害は、解答を書く能力に支障をきたす場合もある。

 量に関する思考における障害は、算数の原理そのものの理解の問題を含んでいる。その子供は、読むことや書くことはできるが、しかし、計算することはできない。この状態はしばしば、①視空間の組織や非言語的統合に問題があり、②聴覚能力の異常、③読書に役立つ用語数や、分節法では比較的すぐれており、④ボディ・イメージの障害、⑤貧弱な視覚空間統合、⑥右と左の区別が明らかでないこと、⑦社会的に未熟であること、非言語性作業よりも言語性作業の方が標準化されたテストにおいてかなり高い値を示すこと、によって特徴づけられる。

 非言語的学習障害:Johnson とMyklebust (1967)は、精神神経学的学習障害のすべてが言語的ではないことを認めている。幾人かの年少児は、時間や空間や大きさや方向やあるいは自己認知のような彼らを取りまく環境の多くの側面を理解することができない。そのような子供は以下のように要約されている。

 彼は社会認知における欠損を持っている。それは、毎日の生活の基礎的な非言語的側面を身につけることを妨げるような障害を持っていることを意味する。知能の言語的な段階が平均かそれより下に落ちこんでいる。そのような子供たちは多いけれども、治療的教育の測定と同様に、そのような子供たちを測定するテストの開発がなかなか進歩しないので、大部分は発見されずにいる(1967、P.272 )。

 いろいろな種類の技法が非言語的学習障害の表題の下に発表されている。Johnson とMyklebust によって詳細に述べられている特別な型は、身振りで表すこと、運動学習、ボディ・イメージ、空間での方向、右と左の方向性、社会的知覚の不十分さ、散漫的であること、固執症、抑制できないなどの問題を含んでいる。

 コミュニケーションの合理的な形式に加えて、身振りはしばしばことばによる表現を補う。その後、不適切な身振りの使用が、子供の全体的コミュニケーション過程に影響を及ぼす場合がある。他のコミュニケーション手段と同様に、身振りの理解か使用のいずれかの問題から不適切さが生ずる場合があり、両方の場合もある。

 幾人かの子供は、例えば、はさみで切ることやロープを跳び越えることや、髪を結ぶことなどの学習の非言語的運動型を獲得するのに、かなりの困難を示す。そのような困難は、実際のマヒからよりもむしろ学習における障害に原因するに違いない。他の子供はゆがめられたボディ・イメージ(自己認知あるいは身体意識)を示すかもしれない。これらの場合、子供は通常、自分の体の部分の名称や、それらの部分相互の関係について知らない。貧弱なボディ・イメージを持った子供は、また空間の方向性について困難を経験するように思われる。彼は自分自身を空間的世界に置くことができないので、子供はしばしば物に突きあたり、途方に暮れ、距離の判断を誤まる。

 この障害の子供は、右と左の概念、それ故、方向を追うことに問題がある。例えば紙と鉛筆の操作などがこれにあたる。加えて、学習障害を持つ子供は、しばしば社会的位置において問題を持つ。このような困難は自閉症や重症の情緒障害がひきおこす結果ではない。その理由は、子供は適応することを望むが、しかし十分な社会への理解や目的に到達する技法が欠けているからである。社会的事象を処理しようとする彼の試みはしばしば間違って判断されたり、罰によって応じられたりするのである。

 現在、被転動性、固執性、非制止性が全体の治療計画を込みいらせている。被転動的な子供は、環境の出来事に十分に注意しないかあるいはできない。そしてその代わりに、彼の注意はすべての出来事に対して、相互の関連性にかまわず瞬間的にむけられる。固執性の強い子供の場合、注意は必要な時間以上に固執しており、彼が自分の注意をほかに移すのを困難にしている。非抑制を示す子供は観念作用過程を持続したり統御できない。ひとつの観念は短い時間だけ保たれ、注意をむけられたりできるが、心が別のでたらめに起こる内的事象に移る前までである。

精神神経学的学習障害の治療

 脳はときには半独立的に機能する系から成っている。それは他の系を補い、また他の系と関連して機能する。そのため、Myklebust (1964)は、精神神経学的学習障害を持つ子供の正確で特徴的な診断の獲得のためにひとつの典型的な例を作った。実際、学習障害を持つ子供の指導計画を作ることは、わかりやすい診断の研究から始まる。そしてそのような研究は治療の不可欠な要素としても考えられる。そのため脳の情報を受容、概念化、統合する能力の評価が、聴、視、運動、触の知覚様式の完全性の評価と同じく立案されている。多くの場合、全体的な評価は、治療教育を含むであろう。それは訓練計画の修正やテストによって得た資料を確認することを可能にする付加的な情報を得るためである。

 精神神経学的学習障害を治療するために必要な基本的原理は、Johnson とMyklebust (1967)によって、彼らの最近の著作であるLearning Disabilities:Educational Principales and Practices の中で与えられている。これらの考察を要約すれば

1. 指導は個別化されるべきこと。

2. バランスのとれた計画の中のレディネスに従った指導が、欠くことのできないものであること。

3. 指導はできるだけ問題の段階に密接であること。

4. 入力が出力に先行するということを分類や類別の基礎と考える。

5. 特に負荷しすぎるのは避け、幅のある段階に向け、指導すること。

6. 多感覚刺激を行うこと。

7. 障害自体に過度の刺激や要求をしないで、欠点を向上させること。

8. 統合へ向けての指導は必要であるが、限界がある。

9. 必要に応じ、知覚の訓練を準備する。

10. 必要に応じ、注意や速度、接近、大きさのような重要な変数を統制する。

11. 経験の言語的、非言語的領域の両方を発達させる。

12. 行動基準や精神神経学的考察の両面によってとりくむ。

 これらの原理を治療教育に適用することによって、ひとまとまりの特別な方法や技法が進歩していく。これらの技法は、聴覚言語障害や読みの障害、書字障害、数の障害、非言語的学習障害を持つ子供たちに対して用いられることが勧められている。

 聴覚言語障害の治療:適当な訓練活動が一般的言語障害や、受容言語の障害や表現言語障害に対して提案されている。一般的言語障害を持つ子供の訓練の目標は、彼らに身のまわりの音の意味やことばの意味を理解させることである。音と経験が同時に一致することの必要性が強調される。学習は子供の気がちる音のしない、また視覚材料のある最適な教育場面で有効に促進される。子供が音に気づくようになった後で、ベルやドラムやラッパのような音を生みだすおもちゃが与えられる。子供が彼の右か左でたてられた音に反応することが必要とされる活動や、子供が部屋を歩き回っている間に教師の吹く笛の音に従う活動、によって音の位置が指導される。これらの活動が行われている間、子供は目隠しをされている。音の区別は、音をたてるおもちゃとそれぞれの音を一致させることによって促進される。聴覚記憶を発達させるのに用いられるひとつの訓練は、子供が拍手の数をまねることを必要とする。最初1回、つぎ2回というように。

 聴覚受容言語障害は子供が会話を理解する能力に影響を及ぼすが、しかし非言語的音の理解は含まない。これらの子供たちは、聞くことができるので、訓練の最初の到達すべき目標は、聞いていることがらの理解を発達させることである。教師は早く訓練を開始することや、期待される満足な出力の前に十分な入力を準備することや、意味のあるまとまりとして題材を作ることや、話しことばとその関連のある経験を同時に与えることや、多くのくり返しを用いることや、子供に対して意味のある語いを選ぶこと、さらに音から、その後に名詞、動詞、形容詞、前置詞の順に単語を与えること、などをおぼえておくべきである。

 聴覚表現言語の障害を持っている子供は、通常適切に会話を理解する。しかし話しことばを用いるときには、困難を感じる。そこには三つの共通した形がある。それは、聴覚再生、聴覚運動統合、統語法である。聴覚再成における問題は、語を思い出すことができないことや、語を見つけることが困難なことによって特徴づけられ、その結果、訓練の目的は語を自発的に思い起こすことを促進させることである。この到達すべき目標を達成するために、文章完成練習が、絵のヒントとあわせて用いられる。さらに、バターとパンや、ピンと針のような語連結が教えられる。

 聴覚運動統合問題を持つ子供は、語を言うことができない(失行症)。そして指導の目標は、自発的なくり返しや、意味のある口頭でのコミュニケーションを発達させることである。新しい音が取り入れられる前に、子供はすでに発声できる音に気づかされる。話している自分自身を見ることや、他の人を見るために鏡を用いることは、会話に必要な運動を発達させるのに役立つ。他の子供たちは、文を成文化するのに困難を経験する。彼らは、聞き、理解することができるが、ひとつの語や簡単な句で話し、それによって統語法や一般化における問題のあることを証明している。この場合の教育的介入の目標は、「正確、自然で自発的な言語があふれでることを促進させること(P.136 )」である。外国語を教えるときの聴覚的な方法に似た技術を用いて文の構造を指導する方法が提案されている。さらに、意味のある文章が話され、その結果子供はいろいろな文型を内化する。訓練には未完成の文を用意し、子供に単語を文の適当な所に入れさせる。また文を完成させる。そのことは、子供に適当な語を考えさせる。

 読みの障害の治療:読みを教えるとき、印刷された単語は一般的には会話の単語と関連している。それぞれ、ひとつの概念に基礎を置いている。例えば、子供は、彼がcat という話しことばを用いる前に猫の印象を高度に発達させている。後に彼は、cat (頭の中にある)と印刷された形のcat を結びつける。従って、意味のある経験を統合することのできない、あるいは視覚経路や聴覚経路を通して学ぶことのできない子供は、読みの問題を増大させると思われる。それ故、訓練の主たる目的は、経験の統合や、会話の単語と印刷された単語を促進することである。失読症の性質は、子供によってさまざまなので、正確な訓練の手順は、それぞれの場合の研究に基礎を置いている。Johnson とMyklebust は失読症の二つのありふれた形、すなわち視覚性失読症と聴覚性失読症のための治療活動を論じている。

 視覚的な失読症は意味のある印刷された単語の関係を把握することに困難を示す。その子供の聴覚経路が損なわれていなければ、音声に関してのこの問題の改善法が推奨される。単音の指導とそれが単語に含まれた場合の指導があり、第一にいくつかの子音で音の形の両方で著しく異なるものが選ばれ(m,t,s )、カードに印刷される。教師が子供に瞬間的に示し、文字の名まえでなく音を言うようにするわけである。それから子供が発音させられる。次に、子供たちは話しあいながらその音で始まる単語を思いつかせられる。いくつかの子音を修得すると、訓練は変化し、指導者の発音した特定の音と同じカードを選ばせられる。発音は次に長い母音、短い文、段落、物語へと進む。

 Myklebust はこれらの活動はGillinghamとStillmanが提案したものと関係が深いとのべている。子供の聴覚の程度によって読みを指導する間、視覚の問題を改善する仕事をする。視覚の方向性を改善する活動が勧められている。つまり、絵と印刷された単語、絵と線による輪郭画、物体と輪郭画などを合致させる活動である。その結果子供は単語の輪郭を学ぶことになる。たとえばwhere をwhere、homeをhome、kittenをkittenというようにである。

 聴覚失読症の子供の指導については、単語全体としてとらえることが初期の段落の指導として強調されている。はじめに指導されるべき単語が、子供の話す語いで聴覚と視覚の経路で異なっているものが選ばれる。印刷された単語が物や経験と一致させられる。例えば名詞を指導するには靴という単語が左、靴の絵が右におかれる。これが連合の発達を促進させる。動詞の場合は子供がジャンプをし、ジャンプという単語カードが示される。活動は復雑なものに進み、形容詞、前置詞、短文、文章が導入される。教師は子供の聴覚の問題も改善するよう努力する。

 書字の治療:Johnson とMyklebust は書字障害の三つの主な形態を仮定し、それぞれに治療法を提案している。書字困難症の場合、視運動協応に問題があり、書字ができるようになるには適切な視覚と筋肉運動感覚を修得しなければならない。子供は指導者が黒板に書く水平線を注視させられ、このときは実際にはやってみずに、子供が線を再現させられる。子供は目かくしをされ、人差し指で描かれた線を何度もなぞらせられ、独力でやれるまでやらされる。目隠しが除かれ、線を描くことによって視覚と運動の協応ができるようにさせられる。次に描画の指導が行われるが、視覚、筋肉運動感覚と協応の改善が目的にされる。補強の技術も提案されていて、それには刷り込み板(型板)、点と点を結ぶ図形の使用、複写用紙でなぞることなどが含まれている。

 これらの活動を満足にできることが、文字や数を手書きするのを学ぶレディネスができたことになる。指導される文字が完全に分解され、例えば子供はb が直線と半円でできていることを認識する。文字を書く初期の段階の援助のため、点で書かれた文字で子供が線で結ぶようになっているものが与えられる。それには文字を完成するための方向が矢印で示されている。習慣を中断して消却するのに注意が向けられなければならない。というのは、彼らは読むことのために書く困難も示すのである。

 視覚記憶(視覚再生)について子供を訓練する際は、とくに材料の選択に注意が払われる。単語は普通より大きく印刷され、視覚印象を強化するために色刷にされる(多くの言語刺激と同様の指示物として)。懐中電灯を用いるのも、注意を促すためである。それは記憶の欠損を治療するのに役立つ。聴覚と触覚の強化も再生を改善する援助として推奨される。例えば字をつづる際、何度かそれをなぞることによって学ばれる。部分的な再生を助けるため多くの活動が提案されている。その一つは子供に記憶により部分的な補充で絵を完成させるとか、できるだけ多くの絵の中に円を描かせるものなどである(例えば、太陽、顔)。

 順序だった説明や文の構造の障害を訓練する第1の目的は書くことの誤りを子供に知らせることにある。これは、彼の書いた文を教師が声を出して読んで聞かせることで、ある程度果たされる。聴覚が完全なら、誤りを聞くことができる。後に彼は自分の書いたものを読み、誤りを耳からとらえられる。教師がいろいろの誤りを含んだ文や物語を作り、それを探しだすよう促がされる。書く場合の抽象化を促進するため、子供は書くことについて、特殊で細かい教示を与えられる。輪郭と要点となる語も用いられる。Johnson とMyklebust は一連の訓練と考えを提出した。それは系統的で構造的な文を発達させるのに役立つ。

 数の障害の治療:量の関係の使用の技術を修得することは失算症児の指導の目標である。訓練は基本的な非言語的段階で始めなければならない場合が多く、量、順序、大きさ、広さ、距離が教えられなければならない。一般に、これらの概念の発達は具体的な材料とかなりの聴覚言語の使用により促進される。

 初期の量的思考に必要な推理的過程はかなり視知覚に基礎をおき、大きさや長さの把握はおそらく周辺と範囲といった数学的概念に関係する。この技術を発達させるための訓練は、フェルトでできた四つの円を大きい方から並べさせるなどである。

 1対1の対応を強調するいろいろな対応の訓練も指導される。数えることについてはいろいろあるが、数えながらビーズにひも通しをするとか、ペグに触れる指導技術もある。

 量の概念と声を出して数えることを修得すれば、視覚に負う象徴を学ばなければならない。そのため3という数的量は「3」という会話語か書かれた単語で表されるが、基本的概念は変化しない。すべての適切な活動(数の線、数の段階ブロックなど)が視覚的象徴を用いる。

 Piaget(1953)の量の保存の評価についての考えや彼の支持者の仕事が推奨されている。保存を発達させるため、扱いうる具体的材料が提案されている。とくにおもちゃ類はモンテッソリー学校の教具に多くの点で関連している。さらに失算症に関する問題は、ある多くの物の中から一連の物をすばやく認識できないことである。一つの訓練の中で、わずかの点のある板がタキストコープで瞬間的に見せられ、子供は答えの用紙から見せられた形と似たものを選ばせられる。加えて、子供は算数用語を教えられる必要がある。つまり記号の意味、数の配列、計算の段階、問題の解法などである。

 非言語的学習障害:実際の絵や写真を用いることは非言語的学習障害の治療の評価の基礎となる。適切な絵を選択する際、大きさ、色、背景を考慮しなければならない。一般に絵の大きさは4×10インチ以上のものは避けられ、実際の彩色された絵が好まれ、最もよい背景は影や混乱するものが削除される。訓練は実際の物とその絵、物の絵とその輪郭、などの対応をさせるものである。

 ボタンかけ、タイプをうつ、物を切るなどの非言語的な運動学習には、それぞれがその基本となる運動様式に帰するものである。例えば子供が跳んだりするとき、子供ははじめ片方の足で、次に別の足で立つことを教えられる。彼は活動の視覚的なイメージを得るように鏡を注視させられる。聴覚様式を得るため跳んでいる他の子供の音を聞かされる。なわとび、はさみの使用、その他の技術が同様に教えられる。ある子供は十分なボディ・イメージがないため、特殊な訓練を必要とする。訓練の一つは教師が子供の輪郭を描き、それを見て教師とその部分について話し合う。次に顔の造作、指のつめ、他の細い点がかき加えられる。鏡を見ての活動や身体のパズルもボディ・イメージの認知に役立つ。

 高度の被転動性のある学習障害児は部屋がとくに視覚と音の刺激をしゃ断したものでなければならない。固執性に刺激を与えるオモチャは速やかにとり除かれる必要がある。興奮型の子供は日常の規律の確立によって管理され、それが行動の望ましい規範を修得することになる。過活動の子供を指導するのに役立つ技術は子供の手をポケットに入れてホールを歩かせる。自分を抑制できない子供、多幸症的な笑いをする子供、粗大運動の子供その他分裂的な子供は刺激の多い場から切り離し小さく静かな環境に入れる。その他の治療法の提案、活動と指導技術も、Johnson とMyklebust によってなされ、それらは身振り、左右弁別、空間関係、社会的知覚問題の訓練や発達である。

 Myklebust の最近の著作は彼の精神神経学的学習障害の概念の構想を推進するものである。この概念から彼は子供の学習障害の診断と段階づけの基準を発展させ、同時に適切な治療法も発展させている。彼は聴覚言語体系の重要性を強調し続ける一方、視覚、聴覚、書字の言語的と非言語的な学習経路の相互関係を強調している。

出典:Patricia I.Myers & Donald D.Hammill,“Methods for Lenarning Disorders ”,John Wiley & Sons,Inc.1969

参考文献 略

*秋田大学教育学部講師


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1975年1月(第16号)2頁~10頁

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