行動療法

行動療法

―学習としての治療―

Therapy as Learning : Behavior Therapy

 著者は、行動の実験的分析と変容(modification)について、また、実験的事柄と、患者によって実験され想像される事柄との機能的関係について論じている。種々の方法を通して、どのように患者が反応をコントロールすることを教えられ得るか、についての示唆がなされている。

Zev W.Wanderer,Ph.D.*

小室康平**

 患者の身体的な面を扱っていない人たちは、隠された意味とか象徴とか他の高次の概念形成とかに心を奪われている。「精神病理の理論」という名において与えられてきた劣等感を引き起こすことばを無視しても、本当によいのだという直観的な判断を支持する方法が見い出されなければならない。作業療法士がしていることは、まさに「それがそこにあるすべてのもの」であるのではないだろうか。臨床的な行動変容のいくつかを、あるいはBandura が「実験精神病理学(experimental psychopathology)」と名づけたことを、あるいはSkinner が「行動の実験的分析」と呼んだことを作業療法士はカンファレンス等で、簡単にそして正確に「学習としての治療(Therapy as Learning )」と呼んでいる。

科学的公式

 歴史上心理学を職業とした者の多くは、自分を応用科学者とみなしているから、科学的倹約による「学習する者(learner )」の公式のいくつかを提示することは、また、我々お互いの専門的な努力の中で、核心であるものは残し、がらくたは無視する方法のいくつかを指摘することは有益であろう。例えば作業療法士(以下OTと略す)は、最初に観察をし、その次に介入したり(intervention)治療をすると指示している。伝統にとらわれた専門語では、OTは「診断」と「治療」を含むと指摘するだろう。更に簡単な用語では、「行動の実験的分析」が多分最初であり、次に「行動の変容」であろう。著者は個人的には、オペラント条件づけ(operant conditioning)にも古典的条件反射にもかかり合わずに、むしろ行動の実験的分析や変容を扱っている。

 ここで論ずることは、我々が援助しようとする人々の環境的事柄と、彼らが経験する事柄との間に、どのような機能的関係があるかである。ひとたび機能的関係が確立されれば、独立変数は、例えば刺激、環境的事柄、患者が報告する思考とか空想のように、変えられ得る。従属変数における変化は測定され得る。すなわち、人が変えることを望む行動上のあるいは情緒的な反応である。それらの反応で、機能的に先行するものと結果するものとをコントロールできるよう患者を訓練することにより、統制下で彼らがどのように反応を表出していくかを、彼らに教えることができる。

行動療法

 ところで行動主義者(behaviorists)は、より簡単に観察できる外的反応と同じくらい、「内的」行動を扱っている。ジョニーは読むことを学習すべきであるのみならず、そのことに喜びを感じていなければならないのである。異性恐怖症者(heterophobics,異性を恐れたり、避けたりする人)は、結婚適齢の人に対して適切な社会的・性的な接近や反応を学習すべきであるのみならず、接触しているときに、安心とか生き生きとしたものを感じるようになるべきである。手探りグループ(grope-group )の論客たちに反して、行動療法家たちは、人々を援助するとき、観察のより可能な外的なものと同様に、彼らの内的なあるいは情緒的な反応をコントロールすることにかかわっている。

 行動療法においては、人が情緒をコントロールできるよう援助することは、よく知られたパブロフの犬の物語のようなパブロフ学派の、すなわち古典的な例でなされている。その犬は、ベルの音で(「空腹を感じ」)つばが出るよう学習し、ブザーに驚くようになる。環境面の事柄を操作することで、患者の情緒的反応は、援助を求めてやってきたその事態から転換させることができる。例えば、重症の肺の障害から回復しつつある患者が、鉄の肺(iron lung )から離れられないと感じているかも知れない。患者が報告する行動の実験的分析は、彼が、命を与える機械から離れることに対して恐怖とか回避の反応を発達させている、ということを明らかにするだろう。

 機械を離れるという想像をするよう求められると、患者はしきりに、緊張とか発汗、速い心臓の鼓動、頭を締めつけられる感じ、口中の渇きを訴える。不安と恐怖のすべての症候が感じられるのである。かなり多くの患者が、第一の恐怖は窒息と死に対するそれであると言う。古典的パブロフ学派の例は、患者は恐怖しているそのこと、すなわち鉄の肺の外に出ることを、不安とか緊張なしに経験すべきであると暗示している。このことは、まず患者にリラックス(緊張とは反対のこと)することや心臓の鼓動をしずめる方法を教えることにより、更に彼の不安反応を制止し妨げる方法とか、情緒のセルフコントロールを訓練する方法を用いることによりなされるだろう。

 ひとたびこれらの目的が達成されれば、次のことは簡単である。すなわち、初めは想像させることで、次に段階的な脱感作(desensitization )を通して、鉄肺から離れている時間を増加させたり、距離を増加させる場面に患者を導入することである。患者が一度これらの刺激をリラックスしながら経験することを学習すると、新たな心的な反応が形成される。患者が鉄肺を離れることを予期するようになると、それが受け入れられる目標になり、緊張はリラクセーションにとって代わられる。同様に、車いすから離れることに恐れをもつ患者にも同じような結果を達成できる。

 第二のタイプ「オペラント」あるいは「スキナー学派」の条件づけは、Thorndike によって公式化された原理に基づいている。要するにこの原理は、快適な結果をもたらす事態はより生起しやすく、不快な結果に終わる事態はより起こりにくいということである。Thorndike はまた、結果の生起が早ければ早いほど先行する行動への影響はより強い、という親近性の法則(the principle of receney)を公式化した。例えば、直接の賛辞の方が、3か月後の報告書に“A”とつけられるよりはるかに効果的である。同様に、直接険悪の表情を示す方が、訴訟の3年後に宣告される判決よりもはるかに有効である。実際「やっかい者」を気にかけながら家事や日課を遂行している患者たちを無視することは、うまくやっている人たちを注意したり勇気づけたりすることより、関係者全員にとってはるかに非治療的である。

社会的強化

 行動を変容させる最も強力な型は社会的強化と呼ばれており、これには代理学習、観察学習、模倣学習が含まれる。社会的強化は、ショックとかお菓子(M & M’s)によるのではなく、普通の環境の中で有効な笑顔としかめ面に系統的によっている。患者が、望ましい行動の目標を達成できるように、近親者や仕事仲間の協力が得られて初めて、彼らは援助され、行動変容が開花する。OTは、患者が病院や家庭やその他の安全すぎる環境から離れられるよう、また他人と交わることや再び熱中するということを学習するよう、また独立し生産力であるという感覚を持てるように彼らを励ましてきている。もしOTが、患者にとって重要な人々をすべて、彼らの環境の中に系統的に位置づけることを患者各々に教えることができたならば、患者の行動を少しずつ少しずつ生産的で独立的となるように強化し形作っていくことは、どれほどたやすくなることだろう。同時に、これら周囲の人々は、患者が生産的で有能な個人に戻るときに、リラックスし恐怖をほとんど持たないように学習する手助けができるだろう。同情を求める憂うつな表情とか涙が患者から消え、反応のきざしとか自己実現へのひらめきとか成就とかを患者が示すことで、周囲の人々は報われることを学ぶだろう。

コメント

 ロジャース学派が提出した異議に関して、著者は人間についての包括的な図式を完成するために「実験的ヒューマニズム(experimental humanism)」すなわち、人間独特の行動特性を系統的に研究することで、心理学の中に新たな創造をなすことを提唱している。このことは、だれがより人間性豊かで愛情深いか、あるいは機械的で操作的かについての論争の手間を省くだろう。思索とか憶測はひまつぶしであり、科学以前のことである。患者は、有効で要求にかなう援助を必要としている。

*ビバリーヒルズの行動療法センター所長。
**神奈川県立ゆうかり園臨床心理士。


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行

「リハビリテーション研究」
1975年1月(第16号)11頁~13頁

menu