特集/第14回世界リハビリテーション会議 第14回世界リハビリテーション会議の報告

特集/第14回世界リハビリテーション会議

第14回世界リハビリテーション会議の報告

小池文英*

 第14回の世界会議が6月23~27日に、カナダのウイニぺッグ市において開催された。

 まず、この会議の性格であるが、既にご存知のむきも多いかと思うが、簡単に説明しておく。

 この会議は国際障害者リハビリテーション協会(Rehabilitation International。略称、RI)が主催して、4年ごとに開催するのであって、今回(第14回)はカナダがホスト役を務めたのである(ちなみに、第13回はイスラエル、第12回はオーストラリアで開催された。それ以前は3年に一度のサイクルであったが、第12回以後4年に一度となった)。

 ところで、RIとは何か?についても一言触れておく。

 この国際協会は、1922年にシカゴ市において、国際肢体不自由児協会(International Society for Crippled Children)という名称で発足したものであり、その後、アメリカ肢体不自由児協会(National Society for crippled Children )と国際肢体不自由者福祉協会(International Scocity for the Wel fare of Cripples)とに発展的に二分し、後者が今日のRIとして活動を展開してきているのである(1969年に現在の名称に改められ、活動範囲が拡大された)。

 RIは、一言でいうならば、障害の予防とリハビリテーションを主要な目的として活動する民間の国際団体であって、世界62か国に103の加盟団体を持っており、日本障害者リハビリテーション協会は日本を代表する加盟団体となっている(さらに言うならば、占領下の昭和24年に日本肢体不自由児協会が加盟国体として認められ、その後昭和33年に、現在の財団法人となって加盟を継続している)。

 さて、前置きが長くなってしまったが、本題に入ることとする。

 本会議に先立って(会議の一環として)、各種の会議前セミナー(Pre―Congress Seminars)が開催されたが、その種別と日時及び開催地は次のようである。

1)医学セミナー(6月15~17日、オンタリオ州キングストン市)

2)教育セミナー(6月15~19日、バンクーバー市)

3)組織及び運営セミナー(6月17~18日、ウイニペッグ市)。

4)リハビリテーション工学セミナー(6月16~20日、トロント市)

5)社会セミナー(6月17~18日、ウイニペッグ市)

6)職業セミナー(6月15~18日、トロント市)

 以上六つのセミナーが開催されたのであるが、これはリハビリテーションにおけるそれぞれの領域において、専門家がそれぞれ一堂に会して、問題点を堀り下げることを目的とした会合であり、わが国からもこのいくつかのセミナーに出席した方々があるので、別稿にて報告がなされている。

 次に、本会議に移るが、世界85か国から約3,000人が集まった。このうち日本からの出席者は70人であった。

 私は今回は仕事の関係で時間の余裕がなく、日程を切りつめざるを得なかった。しかも、この機会にぜひともトロントの施設を視察したいと念願していたので、本会議の第1日は割愛しなければならなかつた(日本からカナダの西岸バンクーバーに到着し、そのまま飛行機を乗り換えてウイニペッグ―カナダの東西の中央に位置する―を眼下にみて、東部のトロントに飛んだ。トロントからウイニペッグに到着したのは第1日の夜であった)。

 こうした次第で、第1日のプログラムについては友人から聞いた範囲にとどめざるを得ないことをお断りしておく(もっとも、その後も各種の分科会に分かれて論議がなされたので、全貌をつかむことは全く不可能事であって、後日発行される予定の議事録に頼らざるを得ない)。

 さて、第1日は9.15~10.45a.m.にわたって開会式が行われ、それに続いて、Edward Roberts氏(米国カリフォルニア州リハビリテーション局長)の1時間半にわたる講演が行われた。

 氏はポリオによる四肢マヒ者であり、しかも呼吸障害もあるため、ポータブルの鉄の肺を装着し電動車いすで登場したのであるが、「慈善に頼って無力な存在と思われがちな障害者は、社会へのインテグレーションを保障されるよう、自分のためだけではなく、他の障害者のためにも、積極的に社会に進出して、強い存在となっていこう」と呼びかけて、聴衆に深い感動を与えた。

 なお、この日の午後、日本の身体障害者雇用促進協会の堀秀夫会長が、「障害者雇用に関する日本の政策」と題して講演を行い、雇用促進法の改正にまつわる動向について述べた。

 ちなみに言うと、この世界会議の主題は、「予防とインテグレーション―80年代の優先課題」である関係もあって、第1日目の演説はインテグレーションを各方面から取り上げたものに終始していることが目立った。たとえば、教育、社会、職業、保健の各部門におけるインテグレーションが論議されたのであった(各分科会に分かれて)。

 第2日は各種の国際団体がそれぞれプログラムを編成して、分科会を行った。たとえば、国際言語音声協会、国際脳性マヒ協会、国際精神障害対策協会、国際リウマチ対策協会、国際リハビリテーション医学協会、世界理学療法協会、世界作業療法士連盟、世界余暇・レクリエーション協会、などである。

 私はこのうち、国際脳性マヒ協会の部会に出席したが、この議題は「ハンディキャップの第一次的予防」であった。従って、産婦人科及び小児科医による8題(だったと記憶する)の講演(予防を中心とした)が行われた。各演題ごとに議長が交代し、私はバンクーバーの産婦人科教授のロバート・キンチ博士の低体重出生児に関する講演の議長を務めさせられた。

 この講演が終わると、直ちに私は会場(ウイニペッグ大会議ホール)の隣にあるホテルにすっ飛んで行った。ここで来年日本で行われる国際アビリンピックに関する小会議が行われ、私も出席を要請されていたからである。この会議には、堀会長及び雇用促進協会の関係者、RI会長及び事務総長(Norman Acton氏)と幹部、合わせて約十数名が出席して話し合ったのであるが、来年10月に日本において開催する同会議の大筋において合意に達したのであった。

 続いて、同夜、堀会長主催の立食パーティが催され、RIの主要関係者約数十名が参集し、来年の国際アビリンピック(東京)の成功を祈って乾杯したのであった。

 第3日目は、総会において、「障害の予防」を主題として、3人の演者が講演を行い、午後から分科会(障害の予防、リハビリテーションの普及をぞれぞれ主題とした各種の分科会)に分かれて論議が行われた。

 ところで、午後からは施設見学のプログラムがあったので、私はその中の一班に加わり、ウイニペッグ市にある肢体不自由児のセンターを視察した。ここは、比較的小規模な、通所を主としたセンターで、精神薄弱児や情緒障害児をも対象の中に包含していたが、さして印象に残るものはなかったように思う。

 この日の夜、近くのホテルで晩餐会が開かれた。会費が高額であったためか、出席者は比較的少なかったが、この席上メインテーブルの会長、事務総長らが次々と立ち上がって、功績のあった各国の支部的協会を名指し、その功を称えた。この中で、日本は「国際リハビリテーション・リヴュー」(RI発行)の日本語版「国際リハビリテーションニュース」をこれまで発刊してきたこと、及び汎太平洋職業リハビリテーション会議(1971)を東京で開催した、功績を賞賛した(このため、私は食事の手を休めて二度立ち上がり、愛嬌を振りまかねばならなかった)。

 さて、第4日目であるが、この日はRIの「80年代の憲章」(The Charter for the 80’s)が重要な議題として取り上げられ、大ホールで各自小円卓に着いて、この草案について意見を述べ、その記録がそれぞれ事務局に提出された。

 この憲章というのは、1980~1990年代において国際的にあるべき優先事項を列挙したものであって、障害の予防とリハビリテーションに関して、過去3年間にわたって国際的に機会あるごとに論議され、英国の初代障害者省大臣のAlfred Morris氏の議長のもとに、世界計画グループがまとめ上げたものである。

 この案を前提として、円卓会議においてそれぞれの意見をまとめて提出したのであった。

 この憲章は長い時間をかけて草案が起草されただけに、大した修正を経ずに正式発表がなされるはずであり、その暁には、RIの会長らが世界各国を訪れて、その元首にこの憲章を贈呈し、その線に沿っての各国の協力を求めることとなっている。なお、この日の午後、N’Kanza女史(国際障害者年国連事務局長)が議長となって、国際障害者年に関するワークショップが開催された。出席者は約400名くらいであったであろうか(このワークショップは大した盛り上がりのないまま終わった)。またつづいて、RIの各国事務局長(national secretary、私は日本の事務局長ということになっている)の集まりがあり、情報交換が行われた。

 ついで、6月27日の最終日には、従来の型通りのセレモニーがあり、第14回の世界会議の幕が閉じられたのであった。

 この会議を通じて、印象に残ったのは、障害者が多数参加したことである。たとえば、車いすの障害者が多数参加したことが目立ち、また、総会においては、必ず手話通訳者が協力していた。

 このことは、我が国においても最近はきわめて当たり前のことではあるが、過去のRIの国際会議を振り返ってみると、いまだ先例のないところである(世界会議ともなると、規模が大きいために、この面でも遅れたと解すべきであろうか)。

 いずれにもせよ、世界における障害者(各種の障害を含めて10人に1人と推定されている。我が国における障害者の概念をもっと広める必要があろう)の福祉の推進にとって、この世界会議が貴重な役割を果たすことを念願して筆をおく。

*日本障害者リハビリテーション協会常務理事


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1980年12月(第35号)2頁~4頁

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