音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

特集/聴覚障害者のコミュニケーション

ろう者コミュニケーションの諸問題

野沢克哉

 筆者に与えられたテーマは「ろう者コミュニケーションの諸問題」である。命題者がここで考えている“ろう者”とは、コミュニケーションにおいて手話も必要とする程度の重度聴覚障害者および筆談だけでは文章力等に問題があって十分なコミュニケーションが困難で、手話や手話通訳者を必要不可欠とする聴覚障害者である。従って、筆者も命題者の考える状態の聴覚障害者のコミュニケーションの諸問題として述べることにする。

Ⅰ 機能語等の習得が不十分であった場合

 聾教育には「9歳の壁」ということばがある。これは主に助詞、副詞等の機能語の習得が容易にできなかったため、抽象的思考が十分にできないとか、文章能力を含めてコミュニケーションのレベルが小学3、4年程度で停滞してしまうようなことを指している。

 一般に機能語等の習得が不十分のまま卒業した聴覚障害者の言語力は聾学校の高等部や専攻科卒業であっても、普通小学校の3~5年程度かそれ以下であるというのが定説になっている。次の文章は新聞の投書にあった「事故防止のために女性ドライバーはシートベルトを着用しよう」を読んで書いてもらった感想文である。(原文のまま)

 ①22歳、男性、先天ろう、N聾学校高等部卒

 シートベルト着用しないのはなぜですか。若い女性の人が、最近に免許をとってふえったらしいだった。かっこいい車をかったことが多いになったってじまんにやりたいと思います。特につっぱりの人が多いだから、流行のため、魅力したのがキッカケある。規約がまもらないので、日本のルールがきびしすぎだから無視ができないことはない。

 ②20歳、女性、先天ろう、H聾学校高等部卒

 シートベルト着用してないと思う。女性の体が控えめないのは気持よいけれど事故が安全運転ができないことはない。

 ③26歳、男性、2歳失聴、I聾学校高等部卒

 女性はほとんどシートベルト着用をどうして使われていないのでしょうか。もし事故が起こったら、シートベルト着用を締めていないと命のことを絶望になるかも知れません。女性の方が交通ルールを習慣を持つ経験よりも、必ずシートベルトの着用したい。

 ①と③の文章は意味の把握が可能であるが、②は一寸理解し難い。大体、①~③の文が機能語等の習得が不十分であった聴覚障害者の平均的な文章である。この文章を書いた3人の聴覚障害者は3人とも電気、自動車関係の大企業に就職している。3人とも作業能力面では健聴者と比べて[遜]色はないが、コミュニケーション面では四苦八苦している。

Ⅱ 低い文章力によって派生する職業上の問題

 文章力が低いと相互に手話を使うか、手話通訳者の協力がないとコミュニケーションが不十分にしか出来ない。従って、文章力が不十分な聴覚障害者が写植オペレーターとか事務系のように文章力や対人接触を必要とする職種を望んだ場合、企業は本人の作業能率や将来性(昇進、昇格等も含む)に対して次のような不安を抱かざるを得ない。

 ○技術指導が手取り、足取りで時間がかかるのではないか

 ○新しいシステム習得のための研修、打合せ等がうまくいくか

 ○コミュニケーションが即時にできることは少ないので重要な業務やポストにつける場合の目やすの設定で苦労することにならないか

 ○人間関係に必要以上に神経を使わされることにならないか

 例えばI氏は旋盤工として15年の経験を有するベテランであるが、自分が技術指導をして育てた10歳も年下の班長の下で働いている。それはI氏の技術は会社でもトップクラスであるが、コミュニケーション能力が不十分(文章力が小学3年程度)で、計画書や起案書を作れないので、企業が役付になることを認めないからである。平素はそのことを割り切っていても飲酒すると、そのことに不満をもらし、転社したいということがある。こういう事例は30歳代の聴覚障害者の転社希望動機を調べると必ず出てくる。

 聴覚障害によるきこえないことは一次障害(Impairment)であるが、その上に生じる二次障害(能力不全、Disability)としての読み書きの不自由さは必然的なものではなく、先天聴覚障害者であっても教育、家庭での躾、本人の努力等によって格差が出る。ときどき、先天聴覚障害者で健聴者と[遜]色のない文章を書く人に接することがある。どのようにしてそうなったのかを問うと、殆どの人が幼児期から母親と家の中でも毎日のように手紙のやりとりをしたとか、家中の全ての物に名札を貼付けられて覚えさせられた(或いは目に触れて自然に覚えた)とか、文章の誤りやことばの意味を手話で具体的に教えてもらったとか、小さい時から健聴者と交流させられてきたとかいう答がかえってくる、

 従って、文章力の低さ(コミュニケーション能力の低さ)はImpairmentによって必然的にもたらされるものではなく、Disabilityへの対策を誤ったか、不十分であったことにより作り出されたものといえる。

 情報化社会、急速な技術革新の社会にあってはコミュニケーション能力が不十分であると、職場の中で昇進・昇格していく社会的不利(三次障害、Handicap)はきわめて大きい。

Ⅲ 聴覚障害者の立場から見るコミュニケーション

○トータル・コミュニケーションの定義とその意味すること

 1976年に全米トータル・コミュニケーション(以下T・Cと略す)委員会はT・Cの定義を次のように決定している。

 “T・Cとは、聴覚障害者同士および聴覚障害者と健聴者間の効果的なコミュニケーションを保障するための一つの理念である”

 この定義は下のような前提に立っていると思う。

 ・人は人と人の間で人間となる

 ・人間の情報的な面を考慮せずに、教育とか社会復帰の概念を考えるのは、人間存在の根本的真理の一つを拒絶してしまうことである。

 この前提に立って聴覚障害者の立場からコミュニケーションを考えると、T・Cの定義は次のことを意味していると考える。

 ・真のコミュニケーションはお互いの歩みよりと、お互いに等距離をおいた共通したコミュニケーションの中からのみ生まれる。

 ・コミュニケーションによる本当の理解、精神的満足、人間関係はお互いに納得できるコミュニケーション方法の中からのみ生まれるし、それを通してのみ永続できるものである。

 従って、T・Cの定義は次の結論を導くのではないか。

 “聴覚障害者にも健聴者にも、お互いに十分に納得できるコミュニケーション方法が確立していないところには、聴覚障害者の精神的自由は存在しないし、健聴者も聴覚障害者もお互いに正しく理解しあえない。相互理解のためにはコミュニケーションは多様であるのが当然であり、唯一無二のコミュニケーション方法などあり得ない”

○口話のみの教育では真の人間性は育たない

 筆者も含めて聾教育に育てられた聴覚障害者は多い。就職し、家庭をもち、一人の聴覚障害者および人間として受けた聾教育を回顧するとき、聾教育の中でのコミュニケーション手段の多様化を願わずにはいられない。これは次の生活経験に基づいている。

 ・筆者は聴覚障害があるのだから、話が十分にできなくてあたりまえであり、わかりあうためにはあらゆるコミュニケーション手段を用いて話しあうのが当然だという聴覚障害者としての生きる精神を今はもっている。健聴者のふりをする必要はない。健聴者側の主なコミュニケーション手段である口話(読話と発語)の精神的緊張から解放されなければ自分の人間的解放はあり得ないとわかるまで聾学校を卒業して数年かかっている。こういう精神を聾学校時代に教わっていたならばと痛切に思う健聴者のふりをした嫌な思い出も少なくはない。

 ・聾学校時代に口話・聴能を絶対的なコミュニケーション手段と教えこまれ、聴覚障害者の側のコミュニケーション手段である手話否定の精神を吹きこまれた聴覚障害者ほど、聴覚障害者の集団(ろう協会等)を拒否し、手話をコミュニケーション手段として用いる聴覚障害者を蔑視している。

 ・口話だけのコミュニケーションの場合「今日はお掃除です」が「今日はお葬式です」とも「今日はお雑煮です」とも読みとれるので緊張したり、会話文に似ている口型のあることに気づいていない健聴者に読話の読みちがいを嘲笑されたりして、コミュニケーションの楽しみがない。一対一のコミュニケーションでもこうなのだから、集団の中での口話だけのコミュニケーションの苦痛、緊張がどんなに強いものであるかは経験した者でなければわからない。人間にとって苦痛を感じるコミュニケーション方法、喜びを感じないコミュニケーション方法等は、真のコミュニケーション方法ではない。

 ・米国では全ての聴覚障害者ではないが、自らの勤務先、自らの家庭、自らの活動の場にT・Cの精神を採り入れて活躍している聴覚障害者の自信にあふれた言動と、彼等と接触している健聴者のお互いに認めあっている態度は、人間の生き方や人間関係の本来の在り方がどうあるべきかを実践的に示している。従って、今後、聴覚障害者の職種や職域を拡大したり、社会的立場を向上させるためには、聴覚障害者自身の学力、コミュニケーション能力等を高めると共に、T・C(主に手指話)の精神を社会に広め認知してもらうことが効果的な方法である。リハビリテーション法制定後の米国の聴覚障害者はそのように行動している。

Ⅳ コミュニケーション方法

 聴覚障害者とのコミュニケーションにおいては、先ず聴覚障害者のコミュニケーション能力の程度とその方法について把握し、それに対応したコミュニケーション方法を用いることが望ましい。スムーズなコミュニケーションのためには、それぞれのコミュニケーション方法について知り、かつ、聴覚障害故の一般的特性(本稿の第Ⅰ、Ⅱ章で述べたようなこと)を知っているとよい。

 聴覚障害者のコミュニケーション能力の程度を初回面接等で簡単に把握するためには、

 a.若い聴覚障害者で助詞も用いて発声しながら文法的な手話を用いている場合は、文章能力がかなりあると思ってよい。発声が殆どなく、用いる手話が文法的でない場合は文章力が小学3、4年程度と考えてよい。

 b.50歳以上の聴覚障害者の場合、口話教育より手話教育を受けた者が多く、この場合は一寸筆談してみて、その程度を確認すること。

 c.不就学者、小学部退学程度の時は、筆談は期待できないと考えてよい。こみいった話しあいは手話や聴覚障害の特性に熟達していないと難しい。

(1) 筆談の方法

 筆談は聴覚障害者、健聴者双方にとって特別な技術習得が必要なくできる手段であるが、面倒な方法といえる。聴覚障害者および話し相手が手話を知らないか、手話で表現できないことばや内容の場合、あるいは約束や重要な点を確認するためには筆談が必要になる。しかし、どんなに手話に精通した聴覚障害者と話す場合でも、ポイント、誤解され易い表現等については、手話と筆談を併用した方がコミュニケーションの正確度が高まる。

 一般にⅠ章で述べた機能語等の習得が不十分であった聴覚障害者との筆談では、次の点に留意することが望ましい。

 1) 楷書で読みやすい字を書く。乱暴に書くと怒っているとか、ぞんざいに扱われていると誤解される。

 2) 一つの文はできるだけ短かく、具体的に書く平易な文章は必要であるが、漢字を用いた方が内容把握が容易になるので、平仮名だけの文章はさけること。

 例①漢字は字体から誤解されるようなものはカッコに意味を書いたり、時にはふり仮名をつけること。例えば曲者や悪寒を曲者(音楽家、心の曲った人)、悪寒(寒さが寒しいのは良くない)のように誤解していることがある。

 例②聴覚障害者に「北ノうみがやめて残念!」と筆談したが、その聴覚障害者は「北ノ湖」と読んでいたため、北ノ海⇒北極海かときかれ、通じないようなことがあった。日常的に使われている漢字は全部正確に書いた方がよい。

 3) 「だから」「けれども」等文意が続くか、逆になる接続詞等を用いるときは、その前の文は必ず切る(句点)こと

 例:彼は熱心だけど時間を守らない─→彼は熱心です。だけど、時間を守らない

 4) 「止むを得ない」「やってしまわないといけない」「必要ないということはない」のような二重否定文は強い否定文と理解していることが多いので用いないこと。

 例:「この仕事は明日までやってしまわなくてはいけない」を「明日までやっては駄目だ」と解釈するようなことがある。手話表現のときも直訳的に表現すると否定の表現になってしまう、“やる必要がある”“やって下さい”といいかえるのが望ましい。

 5) 比喩、例え話、暗示的な表現は誤解を招いたり、本人の理解を混乱させるので避けた方がよい

 例:①君はバカに釣が上手だね─→釣が上手なのは何故バカなのかと解釈

   ②道草を喰わないで行って!─→牛や馬でないのに草なんか食べないと解釈

 6) 読解に困難さがみられるときは、文節ごとに少し離して書き、大切な箇所に線を引いたり、意味のわからないことばは平易なことばに置きかえるとよい

 例:明日は 忘年会なので 仕事は 定時(ていじ)→(5時)終了だ。 直ちに(ただち)→(すぐに) 仕度(したく)→(準備)して下さい。

 聴覚障害者の文章には次のようなことがあるので留意しておくとよい。

 ・助詞の運用の誤り

 ・「体を防衛して下さい」のような類似単語の運用の誤り

 ・「スピード早い返事下さい」のような類似単語の二重運用の誤り

 ・「映画を見てお腹を叩きました」(面白かったの意味)のように手話表現をそのまま用いる誤り

(2) 読話の方法

 聴覚障害者は誰でも読話ができるのではなく、聾学校に学んだり、失聴してから他人とのコミュニケーションのとき、自然に口型を見る習慣を身につけたような聴覚障害者に多い。しかし、読話し続ける緊張の限界は20分位ともいわれ、慣れない人との読話での話しあいは精神的苦痛が大きく「視線はりつけの刑」と酷評している聴覚障害者は多い。読話はそれだけでは聴覚障害者との主なコミュニケーション方法とはなり得ないというより、読話だけのコミュニケーションは敬遠される。手話や筆談等他のコミュニケーション方法と併用して用いられるときは精神的苦痛は少なくて口型が読みとり易くなり、読話の良さが発揮される。

○読話の困難さの要因

 1) 通常の会話では唇の動きを目で把えるよりも唇の動きの方が早い。また、口型をつかめた場合でも、同じような口型のことばや表現が多く、会話の内容や前後関係が理解できていないと的中させるのが困難なことが多い。

 例①「たばこ・たまご・なめこ」

   「おじさん・お兄さん・おじいさん」

   「1時・2時・7時」「10・20」

  ② 今日の天気は良いそうです

    補聴器の電気がないようです

    どなたかいらっしゃいましたか

    戸だなの中に入っていました

 2) 読話しにくい外的条件には次のようなことがある。

   ・相手との距離が3メートル以上離れているとき

   ・相手が窓を背にしていたりして、顔が逆光線になるとき

   ・暗がりや彩光が悪いとき

   ・歩行中や車の運転中のとき

   ・三人以上の会話のときは何時、誰が話し出すかつかめない

   ・心理的抵抗のある人の口型は見つめにくい

   ・歯のない老人、金や銀の入れ歯の人

   ・口の周りがひげもじゃの人

   ・早口やボソボソと喋る人

 3) 外国語、流行語、専門語等、日常使いなれていない言葉は理解しにくい

 1)~3)のような要因が相手の話の中にあるときや、読話だけによる長いコミュニケーションのときは、唇のこまかい動きを凝視するため、精神的肉体的疲労が高まり、読話による理解が低下するだけでなく、以後、聴覚障害者はそういう相手とはコミュニケーションするのを敬遠するようになる。

○読話の留意点

 読話の留意点は前述の困難さの要因の逆であればよいことになるが、それ以外の留意点を若干あげてみる。

 1) 通常の話し方より少しゆっくりめに、口型は誇張しないで、はっきりと動かし、分節で区切るように話す。

  例:「カネヲクレタノム」は分節の区切り方で次のようになる

   ・カネ オクレ タノム

   ・カネヲ クレ タノム

   ・カネヲ クレタ ノム

  区切りのある話し方をする人、ジェスチャーや表情を伴う話し方をする人が聴覚障害者にとって最良の話し相手となる。

 2) 複雑な言いまわし、あいまいな表現、暗示的な表現、専門語等のことばは避けるようにし、平易な言い方がよい。一般に会話文(言っちゃあいけんよ)より文語文(言ってはいけない)の方が理解しやすい。

 3) 読話は最初が理解できないと後に続くことばがわからなくなることが多い。従って、聴覚障害者が精神的に緊張しないように、リラックスした様子で話しはじめるのがよい。ジェスチャーや筆談を併用しながら始めるのもよい。こうすると聴覚障害者は読話の理解につまずいても気軽に「もう一度言って下さい」と頼める。

 4) 聴覚障害者が聞き返したら、他のことばに言いかえたり、ジェスチャーを加えてみる。

 5) 話しをかえるときは、「話はかわりますが」といって、聴覚障害者の注意を促すこと。

(3) 発語の方法

 これは聴覚障害者に声を出して話してもらい健聴者がそれを聞き取ってコミュニケーションする方法である。

 先天ろう者(言語獲得以前に失聴した者を含む)はことばが話せないと思っている人がいるが、それは大変な誤解であり、声を使って話すことができる。ただ50歳代以上の先天ろう者で手話教育を受けたり、不就学者の場合は話し方の教育を受けておらず、声を出せない者もいる。現在は補聴器をはじめ各種訓練機器の開発、教育の発展により「ろう」による「[唖]」はなくなってきており、先天ろう者でも声の明瞭さに個人差はあっても発音を活用できる者は多くなっている。

 しかし、先天ろう者の中には自らの発音(声)に消極的か否定的な感情を持っている者が少なくない。この原因は、健聴者が「聞きとりにくい」「分からない」といったり、先天ろう者が不明瞭な声を出すたびに妙な顔をされたりして「バカにされる」「恥ずかしい」「通じない」と思いこまされていることにある。重要なコミュニケーション手段をお互いに放棄してしまうことは残念なことであり、健聴者にはぜひ聞き慣れる努力をしていただきたいと希望する。

 以下、先天ろう者の発音を促すための留意点を若干述べてみる。

 1) ろう者の発語を熱心に聞く態度を示し、「わかる」とうなずいたりして、発語の意欲を促す

 2) 聞きとれないことばのときは「よくわかるけど、ここをもう一度言ってみて」とか、「ここはこういう意味かい」と筆談で補ったりしてみる

 3) 筆談の方法の箇所でも述べたが、機能語等の習得が不十分だった聴覚障害者の場合、ことばの違い、漢字の読みまちがい、構文の誤り等がしばしばみられる。これらが特に重要でなければ、これらの部分的な誤りにこだわることなく、全体的な意味を把握するようにすること

  例:私がいらっしゃるとき、車のしぶたいでした。私が来るとき、車が渋滞していた。

(4) 手話の方法

 ここでいう手話には身振り(ジェスチャー)と指文字も含めて述べる。

 手語(Sign Language)は聴覚障害者にとって、筆談、読話、発語等のコミュニケーション手段の一つにすぎない。しかし、聴覚障害者にとって、手話を習得した場合、コミュニケーションと情報獲得上、他の手段にはない次のようなメリットがある。

 1) 余分な精神的な緊張を持たないで、リラックスした気分で相手の発信を受けとめられる。

 2) 相手の発信内容を即時に理解できる。

 3) 感情交信もほぼ正確にできる。

 4) 長時間交信(コミュニケーション)しあっても疲労感が少ない。

 5) 集団の話しあい、講演会等にも手話通訳者がいれば話すため、聴くために参加できる。

 6) 発音が不明瞭な場合、手話を発信することで手話通訳者に逆通訳(手話を発声にかえてもらう)をしてもらえる。

 そのため、手話は聴覚障害の程度に関係なく、一度手話を習得した聴覚障害者から強く支持されている。しかし、手話に欠点がないわけではなく次のような問題もある。

 1) 音声言語に比して手話数が少なく、一語多義的(一つの手話が多くの音声言語に解釈される)なので、読話に長じていないと誤って読みとってしまうことがある。

 2) 手話表現はアクセント、イントネーションと同じで、聴覚障害者一人ひとりによって表現が微妙にちがっており、読みとりが難しい。手話通訳者の場合もそういう表現パターンに慣れているか、聴覚障害者の発語を聞きわけられたり、ある程度読話ができないと逆通訳が正確にできない。

 3) 手話には地域性があるのと、全日本ろうあ連盟の発行している「私たちの手話」(1~9巻)の中の手話を十分に覚えている聴覚障害者だけではないので、相手が自分の表現した手話を必ずしも知っているという保障はない。

 このように長所と短所を兼ねている面と、健聴者の中でも手話を使えるのはごく一部であるという制約があるが、手話は今や社会的に認知されている。

 手話を知っている健聴者の手話使用上の留意点は次のようにまとめられる。

 1) 健聴者の用いる手話は講演会で習った標準的手話が中心であるが、聴覚障害者の用いている手話は地域的なものもかなりある。それを否定したり、自分の習った手話を押しつけるような態度は強い反発を招くので慎しむこと。

 2) 地方から出てきて日の浅い聴覚障害者の手話は方言的な手話が多いので、その手話を確認しながら、口話と併用で話すのがよい。

 3) 手話教育を受けた聴覚障害者は指文字がわからない場合がある。一応、指文字の使用にあたっては年齢に関係なく、指文字を理解できるか確認する。

 4) 機能語等の習得が不十分だった聴覚障害者、あるいは手話教育を受けた年輩の聴覚障害者は文法的順序に従って口話と併用して手話を用いることは少ない。こういう伝統的な表現方法は日本語とは異なる文法体系をもっており、読みとりがきわめて難しいので、繰り返してもらいながらじっくりと対応すること。

 例:大雨で電車がストップして家に帰れなかった─→雨・ひどい・電車・ダメ・家・帰る・パーのような表現になる。

 この他、ときとしては、原始的な身振り以外にはコミュニケーション方法をもちあわせていない不就学の聴覚障害者、あるいはそれに等しい状態にある聴覚障害者(例.ろう精薄)と話しあう機会もあると思う。この場合、次のような配慮があるとよいだろう。

 1) コミュニケーションに際しては、先ずどのような身振りを用い、また、どの程度の身振りなら理解できるのかを確認できるとよい。従って、相談者とか手話通訳者であれば、「お母さんは?」「家はどこ?」「仕事は?」等のわかりやすい身振りを用いて反応を見たり絵カード等を示して、それを身振りで表現させたりすると身振りの程度が把握できる。

 2) 身振り中心の聴覚障害者は生活経験、情報が狭く、自己主張が強かったり、自分の経験に固執していることが多い。話しあいでは聞き役になりながら進めるとよい。

Ⅴ ま と め

 本稿では機能語等の習得が不十分であった聴覚障害者(命題者は“ろうあ者”を用いたが筆者は“ろう者”とした)のコミュニケーションに関わる諸問題とコミュニケーション方法について論じた。そのため下記のように整理した。

 ○機能語等の習得が不十分であった場合

 ○低い文章力によって派生する職業上の問題

 ○聴覚障害者の立場からみるコミュニケーション

 ○コミュニケーション方法

 まだ研究の余地はあろうが、聴覚障害者について理解したり、コミュニケーションをすすめるための一助となれば幸いである。

東京都心身障害者福祉センター聴覚言語障害科


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1985年11月(第50号)22頁~28頁