特集/聴覚障害者のリハビリテーション―第11回世界ろう者会議から― 自立と権利獲得

特集/聴覚障害者のリハビリテーション―第11回世界ろう者会議から―

自立と権利獲得

SELF-RELIANCE AND EMPOWERMENT

Robert R.Davila

アメリカの変化

 この2年間は、アメリカの障害者にとって大きな前進を勝ち得た期間であった。というのは、障害者の社会に参加する機会は拡大されてきて、教育、雇用、そして社会・文化的な生活の面でも、障害者が選択できる範囲は2~3年前には考えられなかったほど広がっているからである。選択する機会が拡大された結果、ますます多くのろう者あるいは難聴者が、これまで適応できないあるいは不可能と考えられてきた分野での仕事に就くための適切な訓練や指導を受けられるようになっている。

 最初のろう学校(アメリカろう学校、コネチカット州)が設立されてから150年以上を経過して、ようやく聴覚障害者あるいは他の障害者は、アメリカの社会のあらゆる分野で受け入れられている。我々の持っている技能はアメリカの経済に貢献し、我々が専門的技術を習得することは、アメリカ社会のレベルを向上させ、我々が持っている能力を発揮することは、すべてのアメリカ人の生活向上に役立っている。このことが、本当の意味での社会的統合なのである。

ADAとアメリカ2000

 ブッシュ大統領は、障害者が社会に参加し、選択する機会を拡大するため強力なリーダーシップを発揮している。ブッシュ大統領は、選挙に当選して以来、過去のどの大統領にも増して、障害者社会とのつながりを重視し、まずは、多くの障害者を連邦政府の行政ポストに任命した。私は、聴覚障害者としては最高の地位にあるが、他にも障害を持つ多くの上級行政担当者が誕生している。その中には、特別委員会の委員やプログラムの責任者が数多く含まれている。

 例えば、私の部門では、上位のポストのうち3つが障害者によって占められている。

 ブッシュ大統領は、一年前に「障害を持つアメリカ人法(ADA)」に署名したときの障害者への公約を確実に実行してきた。ADAは、障害者の「権利の章典」である。それは、これまでに制定された障害者のための法律の中で最も総合的な公民権法であり、米国での生活のあらゆる領域に影響が及ぶものである。他の差別撤廃法と合わせて、ADAは障害者の社会への完全参加に向けたアメリカの国家責任を具体的に表明している。

 数カ月前に、ブッシュ大統領と新しい教育長官のラマー・アレクサンダーは、アメリカの教育を再活性化することを公約した。その計画は「アメリカ2000」と呼ばれ、我々の学校や地域社会の改善のためにアメリカ国民一人ひとりが貢献することを求めている。障害者社会に対しては、ブッシュ大統領とアレクサンダー長官の教育改革の提案は、権利獲得運動を教育の場で紹介する機会を我々に与えている。「アメリカ2000」の目標は、権利獲得であり、聴覚障害あるいはその他の障害を持つ児童・成人を含めたすべての児童・成人に対して、世界経済の中で競争力を持ち、また潜在能力を発揮するために必要とされる知識や技能を提供することである。「アメリカ2000」とADAによって、ブッシュ大統領とアレクサンダー長官は、障害者に対して、アメリカでの社会に最大限参加するために必要とされる手段を提供してきた。

 確かに、機会拡大の門戸はアメリカの至るところで聴覚障害者に開かれてきている。まだ、障害者の一人ひとりがこの豊かな多様性を持つ国に貢献することができるという認識を持つまでには至っていないものの、変化は着実に進んでいる。個人が障害によって判断されず、持っている能力や技術のみによって判断される時代の到来も、間近であろう。

障害者の公民権運動

 しかし、法律や社会の変化の各部分は、その一つひとつが障害を持つ人やその代弁者の熱心な活動によって得られたものである。我々が今日見ることのできるいくつかの成果は、権利獲得運動によって勝ち取ったものである。

 社会変革のために活動した聴覚障害者やその代弁者がいなかったとすれば、アメリカの現状は35年前に私が仕事を始めたときのままであったかもしれない。35年前にワシントンD.C.にあるギャローデット大学を卒業した時には、私は学校の教師になることぐらいしか思いつかなかった。当時は、学校の教師は、聴覚障害者教育の中で目標となる最高の仕事とされていた。また、大学院で学ぶ機会が得られなかったので、当然のことながら、私は管理や行政の中の責任ある地位に就くということには考えもおよばなかったのである。

 しかし、それから17年間にわたって私が教師や教育行政の仕事をしている間に、公民権運動が始まった。全米各地で、人々は国家の繁栄の分け前を得たり、自分の意見を政治に反映させるための権利を要求するようになった。そのような意識の高まりによって、さまざまなグループが相次いで米国社会での認知と完全参加を求めるようになった。そして、このような公民権運動は、教育、雇用、住宅へのアクセスと機会均等を獲得し、ならびに公共サービスへのアクセスを阻んでいた心理的な障壁を徐々になくしていった。

 聴覚障害者にとって、健聴者の態度を変えることは、報酬の不十分な雇用あるいは依存以外に選択肢がほとんど残されていない状況との別れを約束するものであった。連邦政府レベルでは、議会は、一層の参加を促し、自己開発の機会を拡大するための資金を提供し、プログラムを管理することを開始した。聴覚障害者用字幕付き映画法は、私の部門で行われたプログラムの一つであり、それによって優秀な映画やその他のフィルムに字幕を付けるための資金が提供されるようになった。これは、プログラムの中でも初期に行われたのであるが、聴覚障害者に映画という大きなコミュニケーション・メディアを開放するために役立った。聴覚障害を持つ学生は、高等教育に関する連邦の資金援助プログラムを利用できるようになり、また、ギャローデット大学ならびに国立ろう工科大学(NTID)への連邦政府の援助によって、若い聴覚障害者に対して多様な高等教育の門戸が開かれるようになった。そして、連邦資金により、初等・中等教育レベルで優秀な教員が配置され、聴覚障害の分野に関わる人材を定着させるために支出されるようになった。これらのプログラムは、聴覚障害者が自らの意志で人生を判断するための権利獲得に連邦が積極的な役割を果たすきっかけとなった。

 まず、ろう社会からは、聴覚障害を持つ学生に対する教育の内容に疑問の声が出始めた。これに対応して、1965年に、大統領と連邦議会は、聴覚障害を持つ児童と青年の教育の現状報告を求めるために「全米聴覚障害者諮問委員会」を設置した。委員会は、聴覚障害を持つ学生について学力レベルが低く、雇用に直結する高等教育の機会が限られているという厳然たる内容の報告書を公表した。その報告書で特に強調されていたことは、とりわけ聴覚障害児のニーズに対応するための総合的な立法措置が必要なことであった。議会が聴覚障害者の重要なニーズに対応し始めたときに、他の障害者グループも、ニーズに対応することを求めて主張を始めた。聴覚障害者ならびにその代弁者は、他のグループの代表者とも協力関係を確立し、すべての障害者のニーズに対応することのできる新しいプログラムを作成し始めた。重度障害児の入学を許可しなかった学区に対して起こされた多くの民事訴訟は、特殊教育の改革を推進するための新たな原動力となった。1975年には、これらの出来事と障害者社会の中に生じた新たな協力関係によって、議会に対して全障害児教育法(注、当時の名称はEducation of Handicapped Actであったが、現在ではIndividuals With Disability Education Actとなっている。以下ではIDEAと略記)を制定するよう働きかけられた。引き続き今日まで、IDEAは、障害を持つ児童や青年に対するサービスを拡大し、現在では、誕生時から22歳までの障害を持つ児童や青年に対するプログラムを監督・支援している。

ADAについて

 私は、これまでの私の一生のなかでアメリカがどれだけ変化したかを示すために、アメリカの特殊教育に関するさまざまな法律が制定されるまでの歴史的背景を若干詳しく述べてきた。一方、私は、聴覚障害者をはじめとするさまざまな障害を代表するグループ間の協力関係の重要性も強調したいと思う。このような法律が現在アメリカに存在しているのは、献身的かつ有能な人々が、議会ならびにアメリカの一般の人々に対して、その法律がアメリカの障害者、更にはアメリカの人々すべてにとってもメリットが大きいことを説得することができたからである。

 「障害を持つアメリカ人法」(ADA)は、ちょうど1年前にブッシュ大統領による署名が行われたのであるが、その制定は、とりわけ、これまで障害者社会のあらゆる部門で行われた最大限の協力の成果であるといえる。ろう社会は、この歴史的な公民権法を制定する運動の中で中心的な役割を果たしてきた。ADAは障害者のための法律の中で中心的な位置を占めている。それが制定されたことによって、アメリカは、聴覚障害者をはじめとする障害者がアメリカの社会において事実上、完全参加する資格を持つことを宣言した。つまり、この法律は、これまで女性やマイノリティーに与えられていたものと同様の差別撤廃の保証を障害者にも拡大したのである。この法律のもとでは、民間事業者ならびに公共機関は、確実に障害者が障害を持たない人々と同じ土台の上で参加できるようにしなければならないということになった。

 これから数年の間に、ADAは、米国のほとんどすべての障害者の間に浸透していくであろう。ADAは、雇用、輸送サービス、政府サービスのあらゆるレベルで差別を撤廃し、そのための配慮を開始することを求めている。例えば、この法律の公共的機関に関する範囲では、映画館・劇場、レストラン、博物館、コンサート・ホール、病院、美容院など一般の人々にサービスを提供している事業は、障害の有無に関係なくすべての人に平等なアクセスを提供しなければならない。もちろん、このことは、聴覚障害者も含まれている。実施猶予の期限は、一年以内であり、経済的に非常に困難を生み出すことを証明することができる場合を除いて、すべての企業は従わなければならない。

ADAと聴覚障害者

 次にADAの範囲と、ろう者ならびに難聴者に及ぼす影響を幾つかの事例によって示すことにする。例えば、ホテルでは、聴覚障害者用通信機器あるいはTDD(Telecommunication Device for the Deaf)、視覚による火災・緊急警報シグナル、字幕表示装置内蔵のテレビを設置しなければならない。輸送サービス機関は視覚シグナルや放送でなく文字で時刻を表示することによってサービスを行わなければならない。また、この法律は、事業主がより効率的な聴覚障害者とのコミュニケーションの方法を研究することによってその技術的な進歩が期待できる。この法律を履行することは、経済界にとって大きな課題となることが予想され、連邦政府は、事業主がこの法律に従うための方法を学ぶことができるように、数年間にわたって、多くの技術援助やモデル・プロジェクトを実施することを予定している。

 ADAの第4章は、聴覚障害者が特に関心を持っている部分である。第4章は、通信システムへの普遍的なアクセスを規定している。1993年7月までに、電話会社はリレー・システムを確立して、聴覚障害者がアメリカ国内のどこからでもTDDを用いて誰とでも電話をかけられるようにしなければならない。電話リレー・システムは、聴覚障害者あるいは言語障害者が、TDDを利用してリレー・センターのオペレーターに電話回線を通じてタイプされたメッセージを送信する。そのメッセージを受けたオペレーターは相手先に音声による電話をかけて、メッセージを伝える。オペレーターは相手から返ってきた音声によるメッセージをタイプされたTDDメッセージに変換し、それを再び聴覚障害者に伝えることになる。ホテル、空港、ならびにショッピング・センターでは、少なくとも一部の電話を聴覚障害者が利用できるようにしなければならない。また、これらのサービスの料金は、聴覚障害者以外の人に対するサービス料金を上回わってはならないことが法律に規定されている。もう一つのADAの重要な規定は、警察・消防への即時アクセスを提供している3ケタの電話番号がTDDを使用する人にも利用できるものでなければならないという規定である。このことによって、聴覚障害者が緊急連絡を行うことが可能となる。このように第4章があるために、聴覚障害者は、健聴者と電話で話ができるようになる。

 これまで、ADAの中の幾つかの規定に焦点を当てることによって、この法律が聴覚障害者の生活に及ぼす影響を話してきたつもりである。いろいろな意味で、ADAは変化の時代の到来を告げている。実際、障害者にとっては、権利獲得の時代がやってきているのである。しかし、将来を見つめる時に、我々はADAが制定される過程の中で、権利獲得運動の果たした役割を忘れることはできない。この法律が制定されるまでのさまざまな出来事は、障害者社会のあらゆる部門の間の協力と相互支援の最も素晴らしい事例となっている。聴覚障害者を含めた障害者社会のあらゆる部門の一体となった支援や政府のあらゆるレベルでの友人や支援者による全面的な援助がなければ、その法案は議会を通過できなかったかもしれない。我々は、公共交通機関へのアクセスを求めている人たちを支援し、一方で、彼らは電話リレー・サービスを必要としている我々を支援したのである。アメリカの障害者のすべてにとって将来の見通しは明るいものとなっている。なぜなら、我々は、非常に大きな、また非常に強力な政治的な勢力の一員となってきているからである。アメリカの聴覚障害者は、何と言われようともADAの制定運動の成功に大きく貢献したことを誇りに思うべきである。

 今日では、強力な代弁者と連邦政府の役割の分担が認識されている。教育省の次官という立場からは、私はすべての障害者の福祉を向上させるという責任を担っている。そして、私はかなりの時間をリハビリテーションと特殊教育の各方面の関係者との接触を図ることに費やしてきた。更に、私は、自分自身が聴覚障害者であり、経験から聴覚障害者のニーズを理解することを心がけてきている。また、聴覚障害者にとっての生き方と機会の均等を改善・拡大する方法を見いだすことは、私に課せられた責任であると考えている。聴覚障害者社会の将来と発展は、新しくもたらされる機会を我々がどのように活用するかによって、また、新しい成果を生み出すために我々がどのように影響力を行使することができるかによって決まるであろう。我々には、次代の人のために、より良い環境をつくり出す責任がある。

今後の課題

 我々は素晴らしい成果を生み出してきたのであるが、能力や教育程度の低いろう者あるいは難聴者についての不安は依然として残されている。1988年に公表された比較的最近の議会報告書によると、我々にはまだ長い道程が残されていることが指摘されている。その報告書は、聴覚障害者のフランク・ボウ博士が当時委員長を務めていた「聴覚障害者の教育に関する委員会(COED)」によって作成され、多くの分野に関する勧告を行い、すぐに行動を起すことへの強力な支持を訴えた。私が勤務している特殊教育・リハビリテーション・サービス局(OSERS)では、聴覚障害の分野での教育、リハビリテーション、研究の課題について検討し、報告書に示された勧告の多くを実施に移すために努力している。我々の主要な計画の大部分は、時間がないために議論が行われるまでに至っていない。我々の部内で最も優先順位の高いのは、聴覚障害児の早期発見を進めるためのプロジェクトを支援することである。更に、我々は、聴覚障害者の言語能力の習得を一層重視することを求めた委員会勧告を実行に移す段階にきている。例えば、今年、我々は、聴覚障害者がどのようにして言語能力を習得するのかを検討するために3年間にわたって我々が支援した研究の成果を分析する予定である。この研究ではさまざまな要因が検討されたのであるが、その中では、構成能力が不足していることが言語の読み書きの成績が悪い原因となっているかもしれないこと、教育方法、教員の認定などが問題とされた。

 この研究や他の研究による成果を我々は待ち望んでいるのであるが、一方で、我々は、その他のCOED勧告についても引き続き実行に移そうとしている。COEDは、一層多くの手話通訳者を養成することを強く勧告した。それに対応する形で、我々は、2つの手話通訳者養成センターを追加設置し、それによって全米の拠点としての合計12カ所にセンターが設置されるに至った。また、議会は、教育機関での手話通訳者を養成するための補助金として100万ドルを支出することを承認した。聴覚障害者がADAによって約束された新しい機会を活用するためには、有能でしかも高度の訓練を受けた手話通訳者が是非とも必要になるので、手話通訳者の養成は引き続き私の部門での最優先課題となっている。我々は、聴覚障害以外の障害を持つ人が直面している問題を検討するための2つの研究センターにも資金を提供している。私の部門では、聴覚障害者向けプログラムに対する連邦政府の補助金を分配しているが、その合計金額は今年1億4,800万ドルにも達する見込みである。これらの支出によって、強力な連邦政府のリーダーシップを維持し、ろう者あるいは難聴者に対するプログラムの内容の向上ならびにサービスの改善を進めることが可能となる。

機会均等と自立への道

 これまで、私は、教育と雇用の面での機会均等を達成するためには、聴覚障害者による強力なアドボカシー(権利擁護)が必要なことを述べてきた。最後に、私は、アメリカ政府がしようとしていることは、ろう者や難聴者を含む何千人もの障害者の努力や忍耐がなければ、実現しなかったであろうということを強調したいと思う。ろう者は、互いに協力し、また議員たちと協力して、アメリカ国内での権利獲得を現実のものとしてきた。この運動が成功したことによって、聴覚障害者には、あらゆる分野で機会が与えられ、また、他の障害を持つ人と協力して障壁を除去して、米国の社会に参加するための機会が与えられてきている。そのためには、強力なアドボカシー、使命感、ならびに協力関係が求められたのである。

 更に、アメリカで達成されたことは、始まりでしかない。世界各地で、聴覚障害者は、社会への完全参加のための権利、ならびにそれと同様に重要とされるその国の経済的な発展に貢献する権利を求めて団結しつつある。この世界ろう者会議は、権利獲得運動の継続を維持するために重要な役割を果たしている。我々は、知識や戦略、また我々が成功した部分を共有するとともに、失敗からも学ばなければならない。アメリカでの変化は世界各地の聴覚障害者にも利益を及ぼすことになるであろうが、それと同様に、他の国での変化はアメリカの聴覚障害者にも利益を及ぼすであろう。世界ろう者会議に参加している皆様は、その変化を広めるための使節なのである。私は、皆様に、権利獲得運動に参加して、すべての聴覚障害者が機会均等と自立を現実のものとするために貢献していただくことをお願いしたい。

(本稿は「第11回世界ろう者会議」での発表論文を抄訳したものである。)

アメリカ文部省特殊教育・リハビリテーションサービス局次官補
**曾根原純 訳


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1991年11月(第69号)2頁~6頁

menu