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特集/精神障害者のリハビリテーション

精神障書者の生活の場

─“麦の郷”からの報告─

東雄司*
伊藤静美**

1.はじめに

 民間の精神障害者地域リハビリテーション施設『麦の郷』の名が今は全国に有名になったが、その成立の経過は容易なものではなかった。1984年9月、心身障害者向けの一無認可共同作業所の職員の呼びかけで、そこに通所する以外には行く場のない精神障害者の家族の集い、和歌山市精神障害家族会-つばさの会-が誕生した。だが、初めは11名いた家族会のメンバーが一時は4名にまで減るというほど家族にとっては、精神障害者のわが子、わが同胞のために顔を上げて街頭で呼びかけ、理解を求め、資金づくりの運動を起こすことは並大抵の苦労ではなかった。

 つばさの会の最初の仕事として、1986年9月、作業所が法人化して移転した後の家屋を利用して憩いの家を開所したが、このことは我々に精神障害者が日常、地域で生活することの意義について考えさせられる初めての機会となったのである。その後、障害者自立工場、そして精神保健法にもとづく関連社会復帰施設を含めた『麦の郷』の開設は、精神障害者に働く場と生活の場を同時に提供しようという、精神障害者の地域ケアを進めていくには当然の成り行きと言えるが、一方では、わが国では前例のない領域の中で多くの困難にも遭遇することになる。ここではなお浅い経験ながら、麦の郷での諸活動について述べることにする。

2.憩いの家

 精神障害者地域ケアのスローガンだけが先行して社会資源の整備が遅れている現状では、障害者を抱えた家族の負担は限りなく大きい。家族が病人を抱えて、今一番困っていることと言えば、我々の調査でも、患者が何もせず終日家にいるということと家族の人間関係がうまくいかないということだった。ボーン、レフなどは家族の中で、患者に対する叱責、批判の言葉が多く、家族間の緊張が高い時には、患者の病気の再発が多いという成績を示している。それに対して、家庭内での患者の逸脱した行動によって家族の感情表出が高まるのではという意見もあるが、つばさの会のメンバーたちがとりあえず患者のために用意したのが憩いの家であり、その運営は筆者の一人伊藤ら当時の共同作業所の職員があたることになった。憩いの家には、毎日七、八名の精神障害者が顔を出しているが、ここでは共同作業所にならって、互いを仲間と呼び合い、きちんとしたプログラムにもとづくことなく、すなわち、無構造の雰囲気で一種のコーヒーハウスとして出発している。そこは仲間が好きな時に来て、好きな時に帰り、何をしても許容される場であり、時には仲間の姿がなく親だけが寝転んでいるというように、親たちにとっても憩いを提供する場でもあった。仲間には軽度ながらも被害妄想などの病的体験があり、対人緊張や状況不安を有しているものや、強い強迫観念や抑うつ気分のために行動の自由を喪失しているものなど様々であった。ある時には、登校拒否など長期間にわたって社会生活不適応を示していた一女性が仲間の一員に迎えられたが、彼女は後に当事者たちによる自助グループ、“サークルつくんこ”を形成するなど自立のための仲間自身による運動のリーダーとなるまでにはあまり時間がかからなかった。

 さて、地域の精神障害者の社会資源づくりにとって重要なのはサービスの多様性である。そのことを教えられたのは、次に述べる自立工場開設の段階に入る過程で、憩いの家の仲間のグループは思いがけなく二分することになったからである。憩いの家が現在の“麦の郷”構内に移転し、その後同構内に建設中の自立工場が仲間たちの眼にとまり始めた頃から憩いの家に姿を見せなくなるものが相次いで出てきた。彼らがもっとも苦手とする外部からの圧力を象徴するものとして自立工場が彼らの前に立ちはだかることになり、彼らは再び家庭の中へと退行しかけたからであった。以来、自立工場に移った仲間と憩いの家に留まっている仲間に分かれたが、その後は互いの交流はほとんどない。食事も共にしなくなっている。

 憩いの家には、やがて手作業程度の作業が持ち込まれ、次第に共同作業所の形態に変わっていったが、多くの仲間の通所が可能なようにつとめて低ストレスの雰囲気づくりに配慮している。仲間の中には開設以来、依然として憩いの家だけに通所しているものがいて、自立への進展はほとんど見られないものもいる。しかし、最低でも憩いの家に通うという親の願いはかなえられている。そして親たちは家族会活動に参加することで、いきなり発病前の普通の生活に戻るという非現実的な期待を捨て、我が子の障害の実態を素直に認めることが、その子に家庭や地域で生き易くするという理解を得たのである。その意味で憩いの家が果たした役割は大きく、麦の郷の活動の中で今でも常に原点となっている。

3.自立工場『一粒の麦』

(1)クリーニング工場

 共同作業場は本来、心身障害者、それもかなり重度の仲間のためのものであり、精神障害者にとっては、働く場というよりもむしろ憩いの場、症状の安定のための場として貢献しているところが大きいが、仲間に一定の収益をもたらし、現在、将来、ともに安定した生活を取り戻すまでには至っていない。そこで、つばさの会は仲間たちにそれ相応の収入をもたらすために、クリーニング工場を開設したのであった。資金の大半は家族会の自己調達および一般からの寄付に頼っている。ジョブコーチとして仲間を指導しながら、自らも率先して仕事に励むことができる、作業所からの3名の職員とともに、今では十数名の仲間が常時工場に出勤するようになっている。そして当初から有限会社として一般企業なりの経営を実施している。

 クリーニング作業には没交渉に一人で仕事ができるものから、仲間同士の協調が要求されるものまで多くの工程があり、仲間はそれぞれに合った役割を引き受ければよい。ここでも憩いの家とほぼ同様、仲間に対する要求はなるべく少なくして、又、彼らの行動の偏りに対してもできるだけ寛容であるようにつとめている。一ヵ月の労働時間が120時間を超えるものから、わずか数時間のものまでばらつきが大きいが、月の平均収入が8万円にも達するものがいて、これに障害基礎年金を合わすと、工場の職員の収入を上回るまでになった。このことから生活保護給付を打ち切られた仲間がいたが、これが一人の障害者を経済的自立に導いた民間人の汗の努力への報いとは何としても腑に落ちない。工場では、やがて正式にクリーニング師の資格を得た仲間のふたりが、職員として自立を成し遂げたが、一人前に近い生活を示すことで、将来が見えぬ苛立たしさから当人に向かっての愚痴や叱責だけの毎日であった多くの仲間の家庭にはようやく落ち着きが帰った。仲間の中には、離脱するものがいた反面、何度か一般企業への就職や大学受験に挑戦し、見事に麦の郷からの巣立ちに成功したものもいたが、後 者の数は未だ少ない。呼び名は自立工場でも、保護工場的要素が強く、村田が示しているような精神障害者の就業に関しての困難性が多少なりともすべての仲間に存在している。職員の中には、彼らが無理をせずに将来とも自立工場の仲間として安定して働くことができればよいのではというものもいる。とするならば、自立工場は職業リハビリテーションの場としての過渡的な施設ではなくなり、むしろ生涯の生活の場、働く場として重要な意味を持つことになる。

(2)印刷工場の開設

 麦の郷構内には、別に印刷業を開始して6ヵ月になる。ここでもかつては本職であった一ボランティアがジョブコーチとして仲間に付ききりで指導している。現在4名の仲間が毎日ワープロに向かっているが、ようやく一般からの注文を受けるところまでに成長している。ここではクリーニングでの肉体労働と違って座しての作業が主であり、又、こうして業種が増えることで、精神障害者が共同作業所で働く時にありがちな物足りなさを補うことができるためか、ここで働きたいと新たに申し出たり、紹介されてくるものもいる。将来、出版事業も手がけたいと考えている。

4.麦の郷での仲間の適応状況

 自立工場に定着している仲間12名と、憩いの家に留まっている仲間17名およびそのいずれにも属さず、麦の郷を離脱したが、その後も自立することなく、無為な生活をしている仲間11名の三群について調査を行った。三群について、障害者労働と医療研究会作成の精神障害者社会生活評価表(試案)を用いての成績では、定着群と比較して憩いの家群では、精神症状評価点がもっとも高く、日常生活能力、労働能力はもっとも低い。離脱群では定着群に比較して精神症状や日常生活能力には差が少ないのに対して、労働能力では有意に劣っていることが示された。一方、将来の希望としては図のように、直ちに一般企業に就職したいというのは、定着群では8.3%ときわめて少ないのに対して、憩いの家群や離脱群ではそれぞれ52.9%、72.7%と多くなっている。又、麦の郷への家族の理解度、協力度では、憩いの家群82.4%、定着群75.0%と圧倒的に高いのに対して離脱群では27.3%と低い。これらのことから、憩いの家群は、症状も強く、現実には日常生活、労働能力ともに低く、又、離脱群は労働能力が低いにもかかわらず一般企業への就職という、不相応の期待を有していることが分かる。しかし、憩いの家群の家族は仲間の障害の程度をよく理解して麦の郷の活動に協力的であり、従って憩いの家へは仲間も根気よく通所を続けているが、離脱群の家族はこうした理解もなく、それが仲間の離脱に関係していると思われる。こうしたことから、自立工場、憩いの家を問わず仲間が麦の郷に適応する条件には家族の理解が重要なことが示唆されたのである。

図1 将来に対する希望

図1 将来に対する希望

図2 家族の理解・協力度

図2 家族の理解・協力度

5.援護寮『麦の芽ホーム』

 麦の郷には、精神保健法にいう独立して日常生活ができなかったり、生活の場のない者のための援護寮『麦の芽ホーム』と、作業訓練を必要とする者のための通所授産施設『麦共同作業所』が開所している。援護寮を利用できるのは20名だが、現在は8名が利用、その他には普段は家庭から麦の郷に通っているが、再発の危機が訪れる度にここを避難所として駆け込み、仲間たちに温かく迎えられることで、落ち着きを取り戻すことができる、いわゆるショートステイが2名いる。4名の職員により昼夜を問わず運営されているが、仲間の4名は日中には自立工場、1名が印刷工場で働き、麦共同作業所には2名、1名は憩いの家に通所している。

 病院との違いは、表に示している。ここには、一緒に暮らす職員がいるが、病院のように医師、看護婦による治療的管理を受けず、ごく普通の生活を楽しめることの意味が大きい。だが、援護寮の仲間の誰もが初めから進んで入所を希望しているわけではない。当然家庭に迎えられるべきであるが、受け入れに問題があるものばかりで、そこで援護寮ではまず職員の親身のケアが要求される。とは言え、自立のためには、病院や収容型福祉施設にありがちな職員による代理行為の必要はなく仲間は私物や金銭の管理、自室の整理整頓は言うに及ばず、寮のトイレ、浴場、洗面所、台所、調理場などの掃除、片付けもごく当たり前のように職員と一緒に行わねばならない。仲間の自治会では、門限や外出中帰りが遅くなると電話をするなど最低のルールが決められている。寮内での男女交際についても一応の取り決めがなされている。仲間の逸脱した言動にはできるだけ寛大であるようにつとめているが、場合により、それとなく職員がたしなめたり、時間をかけて話し合うこともある。それは服薬と共に障害の自己管理が地域に生きる精神障害者にとっては重要な生活技法であるからである。麦の郷は治療の場では決してない。しかし、職員は仲間の精神症状の安定を願いながらも、再発、再燃に際してはその対応が大変である。場合によっては職員自身もストレスや過労のために抑うつ気分や焦燥感を抱くことがある。その時には仲間たちから慰められたり、励まされることでバーンアウトから立ち直ることができる。病院では医療スタッフがいかに良心的であろうとしても、スタッフと患者間には超えることができない一線があることは否定できない。又、医師、看護者は患者の語る言葉に耳を傾けても、共に涙することはまずなかろう。しかしながら、麦の郷には職員と仲間には喜怒哀楽の感情を共有する互助的交流がある。麦の郷の住民は、町内の自治会員でもある。精神障害者に対する地域の偏見は、仲間が町内会費をおさめ、回覧板で地域の情報を受け取り、町内会の清掃行事にも参加することで次第に薄らいでいるようである。地域の人に仲間の顔を知ってもらい、名を呼びかけてもらうことで仲間も挨拶を交わすことを覚える。宅配便が届いても始めは玄関で、呆然と立ちすくむばかりだった仲間もそのうちには受け取り書にサインや捺印ができるようになる。こうして地域に密着した場での生活技術訓練 が続けられるのである。

表 精神病院と地域精神保健施設麦の郷との機能の相違
  精神病院 麦の郷
意義 治療の場 生活の場、働く場
目標 症状の改善
再発防止
生活の質の向上
障害の自己管理
サービスの場 病院ないし周辺 地域の中心
サービスの方向 一様性 多様性
サービスの内容 保護的、一貫性 自立へ、柔軟性
サービスの時間 スタッフの勤務時間内 24時間、共に暮らす
人間関係 縦の関係 横の関係、互助的
スタッフの専門性 治療的管理 生活、職業コーチ、ケースマネージメント
今後の期待 地域へのアウトリーチ 危機介入

6.授産施設『麦の芽作業所』

 授産施設が援護寮と同時に開設されたことで、すでに存在していた憩いの家の機能は現在では授産施設に移りつつある。又、最近では麦の郷構内に重度心身障害者のための一無認可共同作業所が移転したことにより、両作業所では同じような種類の軽作業が午前10時から午後2時半まで行われその後4時の帰宅までは自由時間としている。何事にも消極的で、強いられた作業所通いを嫌がっていた精神障害者の中には、重度心身障害者の介助ボランティアということで無認可作業所の送迎用バスにて週2回何とか通っているものもいる。障害の種別、程度を問わず受け入れるという共同作業所の理念が精神障害者にも通じ合い、精神遅滞者、自閉症者など心身障害者に対しても彼らなりの理解が進み、又、それぞれの家族の交流もごく自然に行われている。一方、福祉施設との連携ないし一体化は互いに貧困な人的資源を補足するのにも役立っている。

7.麦の郷の今後の展望と課題

 現在、約60名の精神障害者の仲間が麦の郷を利用している。彼らは家族会メンバーだけでなく、約1,000名を超える麦の郷を支える会員による精神的、物質的サポートを受けている。しかしながら、ほとんどの仲間の家族は低所得者であり、例えば援護寮を利用するにしても、一人あたり一ヵ月5万円以上の自己負担金を求めることは無理である。従って運営資金面での大幅な公的補助がなければ、麦の郷には最低のアメニティを保つことも困難となり、せっかく芽生えた地域精神保健活動が頓挫する恐れがある。さて、仲間の多くは、自立工場でいつまでも働くことを希望しているがやはり一般事業所の理解により、地域での就業活動を積極的に推進して行くことが今後の課題である。この場合、アメリカにおける援助付き雇用や過渡的雇用のような就業形態が麦の郷を拠点にしてとられることになろう。さらに共同住居やケア付きアパートの確保も又、仲間の中にはすでに切実な課題となっている。

 今ではかなりの大世帯に発展している麦の郷を運営する職員はもはや、単なる世話好きのボランティアでもなければ、寮母でもない。又、病院の下請人でもない。仲間と共に歩みながら、障害を現実の生活場面に適応させるようにケースマネージメントを実践する人であり、常に援助者であり続けるような高度の専門性が要求されているのである。そのためには是非とも身分や待遇が保障されねばならない。麦の郷開設のために運動の先頭に立った家族会メンバーであるが、今では、何かとゆとりを見出して一般市民にも呼びかけてメイク、着付け、華道、洋裁、編物など、遠い昔に忘れていた趣味を生かすべく諸文化活動を開始している。そのことにより地域でのサポートシステムがより拡大しつつある。

 麦の郷の仲間は入院中には見られなかったような著しい成長ぶりを示している。しかし、誰もが必ずしも常に安定した精神状態を持続しているわけではない。精神科の医療機関からは時宜的な支援の手を差し伸べられる(アウトリーチ)ことを期待するとともに、施設内でも仲間の身の上に起こった何らかの危機に適切に介入できるような備えが必要と考える。麦の郷は、これからも未到の道を歩まねばならず、期待も大きいが不安も少なくない。しかしながら、多くの仲間のためにも一刻も立ち止まることは許されないのである。

文献 略

*和歌山県立医科大学
**社会福祉法人一麦会『麦の郷』理事


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1992年1月(第70号)15頁~20頁