用語の解説 ポピュレーション・ストラテジーとリスク・ストラテジー

 この2つの用語は予防医学・疫学の分野から始まって,公衆衛生活動と健康政策上の重要な概念になったものである。ポピュレーション・ストラテジー(集団戦略)とは,疾病や障害発生の危険因子をもつ集団について,集団全体の危険因子を下げる取り組みである。一方リスク・ストラテジー(リスク戦略)とは,特殊な問題をもつ少数者を,健康で特別の注意を要しない大部分の者から分離して,予防等の活動の対象とすることを意味する。
 これまでの集団検診は,一見ポピュレーション・ストラテジーのようにみえるが,実はリスク者を見つけ出し,受診を促し,保健指導などの介入・支援を行うなど,結局はリスク・ストラテジーに立っているのである。このように,従来の医療・公衆衛生対策はリスク・ストラテジーに偏りすぎていたとの反省がある。
 今日,ポピュレーション・ストラテジーが注目されるようになった理由は次のようである。以前は公衆衛生活動の対象が結核のような比較的頻度の高い重篤な疾患に限られていたために,この2つのストラテジーを区別する必要がなく,全員に予防対策がとられていた。しかし,近年は疾患を発症しやすいリスクの高い個人を特定できるようになったた め,的を絞ってリスク・ストラテジーをとるほうが効率的になってきた。
 しかし他方では,肥満,Ⅱ型糖尿病,喫煙,虐待などのリスクの連続性を考えると,集団全体に広く存在するリスクを下げることによる予防が必要になった。このようにリスクが集団全体に広く関係するような場合にはポピュレーション・ストラテジーが重要になってくるのである。
 歴史的に予防医学の立場から意識的にポピュレーション・ストラテジーを採用して,集団の血清コレステロール値を下げるなどの実証的な研究を行なったのは英国の疫学者G.ローズ(1992)であった。彼は,疫学の研究成果を公衆衛生活動と健康政策に生かしていくべきだという主張の中でこれらの用語を使用して,(1)すべての者にリスクが広く分布している場合にはポピュレーション・ストラテジーが必要であり,(2)一方,特に高い危険度の者に対して,その危険を軽減するような介入・支援を実施する場合にはリスク・ストラテジーが必要であるとした。
 具体的な例を挙げれば,ポピュレーション・ストラテジーには,(1)公衆衛生的サービスとして保育所・幼稚園・学校・職場などに向けた暴力予防・事故防止プログラム,社会的資源や社会的結合力を強化する住民へのキャンペーン実施など,また,(2)個人的健康,障害児・者に対するサービスのための家庭訪問・電話などがある。これらは公衆衛生活動 の一環として実施される。
 リスク・ストラテジーには,住民への母子保健対策,学童・思春期対策,成人期の精神保健対策や障害児・者へのサービス,家庭内暴力対策など,ライフステージにおける全ての地域保健対策の中でリスク児・者を早期にみつけ,診断・支援に結びつけることが含まれる。
 この両方の戦略を適切に組み合わせて対策を進めることが必要であるが,この両者の使い分けと,その方法は対象とする健康問題や対象とする集団によって違ってくるので,今後の実践的研究の積み重ねが期待される。
 筆者がポピュレーション・ストラテジーに強い関心をもったきっかけは,子ども虐待予防に取り組む中での経験であった。わが国には本人が妊娠の届け出をすれば,地域の市町村から妊娠・出産・産褥期・乳幼児期の各時期に健康診査の通知があって受診できるすばらしい制度がある。しかし,未受診者は必ずあって,このような未受診者の中に,子ども虐待の事例が多いのである。そのために,地域の全員に行える簡便なアンケート方式のプレ・アセスメント法を開発し,それによって子育て上の問題を見落としなく把握し,支援に繋げることを地域の子ども虐待予防関連職者と恊働して実施して成果を挙げることができた。
 未受診者は家庭訪問をしても,仕事で多忙,子どもへの無関心,当日に都合が悪いなど種々の理由から,一度で面接できることは不可能に近い。しかし,プレ・アセスメントでリスクが疑われる場合には,再度の家庭訪問,虐待予防関連職者と保護者とのパートナーシップ・プログラムへの参加を促して親行動の醸成をはかる,あるいは生活保護による経済的支援をすることなど,種々の方法で,子どもへの虐待を防止することが可能であった。これこそは児童虐待予防におけるポピューレーション・アプローチの成果であった。

上田 礼子(沖縄県立看護大学名誉教授)


主題・副題:リハビリテーション研究 第167号

掲載雑誌名:ノーマライゼーション・障害者の福祉増刊「リハビリテーション研究 第167号」

発行者・出版社:公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会

巻数・頁数:第46巻第1号(通巻167号) 48頁

発行月日:2016年6月1日

文献に関する問い合わせ:
公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
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