平成18年度厚生労働科学研究
障害保健福祉総合研究成果発表会報告書
当日資料 畠山氏資料
「Hybridianの時代」に想う
畠山 卓朗
星城大学リハビリテーション学部
筆者は小さい頃、混じり気が無い世界を好むような性格があった。何かと別の何かが混じり合うことをどちらかと言えば嫌っていた。雲一つない青空、真っ白なミルク。目の前にひろがる黄色一色の菜の花畑…しかし、いつの頃からだろうか、それまでとは異なり別の何かが混じり合うことで生み出される世界の不思議に心を動かされるようになった。それまでは出会うことがなかったような新しい世界が目の前にひろがるような新鮮な驚きがそこにはあった。
障がいがある人にたいする支援の世界でも様々な新しい動きが始まっている。たとえ重い障がいがあっても身近にパーソナルロボットがいてくれて、命令通りに、あるいはロボット自身が判断して身の回りの用をこなしてくれる。介護者がパワースーツを装着し、重い人でも難無く抱え上げ日常的な移乗介助だけでなく山登りだってだって夢ではないという。これらとは反対に、「やはり介護は人手でなくては人間としての温かみが感じられない」「人が機械の一部のように扱われていて嫌悪感がある」のような根強い意見がある。
果たしてどちらが正しい考え方や意見なのだろうか。筆者は、どちらか一方が正しいのではなく、時・場所・目的にあったものを使い分ける、あるいは組み合わせるといった考え方が適切なのではないかと考える。最終的には障がいがある人自身の自己選択・決定を大切にしたい。しかし、この自己選択・決定ほど難しいものはない。
障がいがある当事者においては自己選択・決定するためのチカラが求められる。 今の自分がどんな状況にあり、当面どんなことで困っていて、将来どんなふうに過ごしたいか、実現したい夢や願いは、等々が客観化できることが必要であある。
支援における大切な仕事の一つは、障がいのある当事者が自分を見つめ将来を描こうとする時に、寄り添って当事者の自己選択・決定への動機付けを導き出し、必要な時に適切な助言を行うことであると考える。
その際に支援者として心にとめておくことがいくつかあげられる。
- 機器を用いた生活イメージが描けているかどうか
- 自分の専門性に偏りすぎた情報を与えていないか
- 支援側の価値観を押しつけていないか
- 選択肢が少なすぎたり、反対に多すぎないか
- 選択肢を組み合わせる方法があることを提示しているか
- 機器を使用しないという選択があることを忘れていないか
障がいのある人にたいする技術利用の世界では、今後ますます活発な動きが見られるであろう。一方で、技術利用にはどうしても違和感を感じてしまいついていけないと感じる人たちが増えるであろう。このように2極化がどんどん進んでいくことが懸念される。これを避けるためには、自分とは異なる世界を先ずは覗いてみよう。可能な限り先入観を排除し、他者の価値観に接近し、そして普段とは異なる角度から対象をとらえてみよう。人と支援技術が融合したとき、生活への自信からみなぎる笑顔や喜び、他者に対する温かい想いに出会える世界がそこにはある。
※Hybridian(ハイブリディアン)とは中邑賢龍氏(東大先端研・特任教授)らによる造語であり、「支援技術を自分の生活能力の1つとして取り込んだ人々」を意味する。