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厚生労働科学研究・障害保健福祉総合研究成果発表会

みて、きいて、はなしあおう、元気の出る話

地域移行・本人支援・地域生活支援 東京国際フォーラム

分科会2「地域で自立して生きていくために」

講師・助言者
ジェーン・ハルビ(スウェーデン・グルンデン協会)
ウイリアム・ヴェステヴェル(オランダ・LFB)
(支援者:アン-クリスティン・ハルト、スウェーデン・グルンデン協会)
(本人たちの分科会・埼玉「わらじの会」を中心に企画)

●午前の部

  司会をやりますAと……

  「わらじの会」のBと申します。朝早い中、お疲れさまです。

  これから、第2分科会を始めさせてもらいます。今日は遠いところからお越しいただきありがとうございました。

  私たちは、埼玉にあります「わらじの会」というところのものです。本日の進行を務めさせていただきます。よろしくお願いします。今日のだいたいの流れですが、まずお迎えした方々からのお話が午前中にあります。3グループあります。オランダの方とスウェーデンの方と、あと私たちの活動を紹介して、午後から地域でのプライバシーの問題といったあたりをディスカッションしていけたらいいなと思っています。時間毎に質問などをとりますので、会場の方も御遠慮なさらず、ご質問下さい。全員とまではいかないとは思いますが、ざっくばらんに話していけたらいいなと思っております。どうぞよろしくお願いします。

まずは、今日はるばるお越しになっていただいている真ん中のピンクのニットを着ておられるジェーン・ハルビさん。スウェーデンのグルンデン協会からいらっしゃっています。ではまず、ジェーンさんの発表からお願いしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

ジェーン  ジェーン・ハルビと申します。スウェーデンからまいりました。グルンデン協会で働いています。協会ではテレビ番組、そしてラジオ番組をつくっています。雑誌を発行していますし、Webページもつくっています。また、幾つかのプロジェクトを行っています。一つのプロジェクトは恋愛、そしてセックスについて考えています。これは非常に重要な問題だと思います。そしてこの愛情、恋愛とセックスにつきましては映画もつくりました。養護学校に通っていますと、そのような重要なことについて教わる機会はあまりないですし、また、体がどのように動くのか、働くのかというようなことも知らされないことが多いですから。

私はグルンデン協会のメンバーでありますし、また理事でもあります。理事会に所属しています。この協会におきましては、みずからの権利のためにいろいろと闘っています。障害があっても、私たちは一人ひとりみずからの意思、心というものを持っています。私たちは、何も異分子であるわけではありません。危険ではないのです。私たちは1人の人間なのです。

私は理事会の一員として活動をしています。これはとてもいいことだと思っています。というのは、私は理事会においていろいろな決断を下すこともできますし、発言をすることもできるからです。理事会におきましては、自分たちが何を求めているかということを明らかにして闘っています。力を合わせれば、私たちは強くなることができます。

今私は、自分の仕事に非常にやりがいを感じてとても幸せです。とてもすばらしい仕事仲間がいます。彼らは私と同じ立場にいます。そして、私たちは自らのことを見てほしい、私たちの意見を聞いてほしい、そしてまた敬意を払ってほしいと思っております。そのため、私たちは、たくさんの情報を伝えようといろいろな活動を行っています。グルンデンはそういう意味で、非常に活動的な団体です。私たちは自分たちの権利のために闘っているのです。

自分の人生ですから、人生を自分で決めていくということこそが大切だと思います。そして、何が正しいのか、何が間違っていると思うのか、自分の意見というものも表明していきたい、声に出していきたいと思っております。そして、何か手助けが必要なときには、声を出して頼んでいきたいと思っています。そして、私たちの権利を獲得していくために闘っていこうと思っています。そのような形で、私たちは自分たちのことを理解してくれる人の輪というものを広げていきたいと考えています。

障害を持っていると、行政の人たちと衝突することがあります。ときには支援をしてもらうこともあります。しかしときには、支援を強制されることもあります。そんな時には強制されたくないと思います。自分でやりたいと思うこともあるわけですから。

私たちが願っているのは、本当に普通の生活を送りたいということです。仕事をする、学校に行く、生活をする、そしてお金を稼いで自分の家庭をつくる、自分たちの子どもの世話をする、そういうことを願っています。そう願っているのに、自分というものを見てもらえないのが私の直面している厳しい現実です。例えば行政の人たちのものの見方は、私個人を見るのではなくて、知的障害を持っている人、というふうにしか見てくれません。わかってもらおうとして、私は本当に声を大にして叫びますが、それは無視されてしまうことがあるわけです。私を知ろうとしない。私を知ろうとしないで支援をしてくれても、それは私にとっては状況を悪くするばかりです。

私はそのような状況の中で、自分を好きになることができないときもありました。自分を信じることができないときもありました。自分のことを信じないで、他の人ばかりに頼るということもありました。でも、私は、何とかうまく克服してきました。今は、夫と息子と一緒に暮らしています。ただし生活は楽ではありません。いろいろなことが私の肩にかかっています。そして、周りの期待というものも大きいのです。そうした状況の中で頑張って生きていかなくてはなりません。頑張っていかなかったら、自分の価値がないように思われてしまうかもしれないからです。ごみのように捨てられてしまうかもしれないという恐れも持っています。

しかし、何かをしたいと思ったら、何かを望みたいと思ったら、自分に厳しく、強く生きていかなくてはなりません。そのような形で頑張って、努力して日々を送っていくのだと思います。私は悲しみも感じますし、喜びも感じますし、ときには怒り狂うこともあります。そして、恐ろしくて震えることもあります。これから自分に何が起こるんだろう、自分の周りの人はどうなるんだろうということをよく考えます。そのように思いますと、人生はバラ色ばかりではなく、厳しいこともあると考えています。

今、私は自分が何をしたいかをわかっていますし、それを実行することに幸せを感じています。例えば買い物だって、行って自分で好きなものを買います。そして、好きな時間に起きるということを決めることもできます。または、外から帰ってきたら自分の好きな部屋の隅に座ったり、自分の部屋に閉じこもってしまうこともできます。つまり、何をしたいのか、何をするのかということを、自分で決定していくことが重要なのです。だれか他の人に押しつけられるということではいけないと思います。結婚はしていますけれども、私は自由を満喫しています。家族で買い物にも行きます。家具を買ったり、部屋の壁紙をどういうものにするかも自分たちで決めます。そういうところに自由を感じるのです。ときには1日じゅう寝巻きのままごろごろしていることもあります。自分が好きなときに起きる、そして好きなときに街に遊びに出かける、または1日じゅううちにいるということも選んでいくことができます。または、郵便受けに自分あての手紙を見つけるのも喜びの一つです。そのような日々の生活の中で、私は鳥のように自由を感じています。

私はグループホームで生活しようとは思いません。自分の足で立っていくことができ、自分の身の周りのことをすることができれば、グループホームは私には必要ないと思います。もちろん、いろいろな支援は必要に応じて受けていきます。ただ、支援者に、私の人生を左右してもらいたくはありません。私は何をしなくてはいけないか、または、私はどういうふうに考えなくてはいけないかということを指図されたくありません。人にそのようなことを指図されるのは、地獄のようなものだと思います。私たちは、一人ひとり大切な存在です。私たち一人ひとりが母親から生まれてきた。その誕生の瞬間から暖かさ、安心、愛を受けて育ってきたんです。一人ひとりが決定する力を持っているはずです。障害を持っているからといって、別の人がその人に対していろいろ判断をしてはいけないと思いますし、そんな権利はないと思います。みんな同じなんだと私は考えます。

自分が望んでいないのに、ほかの人から「何かをしよう」と強制されることがあります。いろいろな機構、組織、法律、ルールというものが、自分の代わりに何かを決めようとすることがあります。でも、それは人間の生活ではありません。それでは、かごの中、おりの中に閉じ込められた動物の生活と同じです。だからこそ、入所施設というものは閉鎖していかなくてはいけない、解体していかなくてはいけないと思います。私たち一人ひとりがユニークでかけがえのない人間なんです。小さなアリでさえ、強制されて何か施設、または巣の中に閉じ込められるということを、よいとは思わないでしょう。それだからこそ、私たちは施設を閉鎖し解体し、押しつぶしてしまうべきだと考えています。

私たちは、自分の人生をつくりあげていかなくてはいけません。古い、悪しき慣習というものも壊していかなくてはいけません。そのような昔のやり方、悪しき慣習というものを壊していくために、おのを使うこともあるかもしれない、道具を使うことがあるかもしれません。しかし何よりも一人ひとりが口を開き、声を上げていかなくてはいけないと思っております。自分たちの生活、人生のために私たちは闘っていかなくてはいけません。ほかの人が私の代わりに何らかの決定をするということはあってはいけないのです。

皆様、どうもありがとうございました。是非とも一緒に闘っていきましょう。(拍手)