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厚生労働科学研究・障害保健福祉総合研究成果発表会

みて、きいて、はなしあおう、元気の出る話

地域移行・本人支援・地域生活支援 東京国際フォーラム

分科会2「地域で自立して生きていくために」

  ジェーンさん、ありがとうございました。何か、質問等ありますか。

  もし何か質問がありましたら、是非とも。

  Cさんは、今日、Dさんと一緒に、「ピープルファースト」で会議をやるCです。よろしくお願いします。

  今のは、あいさつでよかったですか。

  はい。

  はい、すみません。ありがとうございます。

  自己紹介からやっていったほうがいいんでしょうか。今日横浜から来ましたEです。今日はありがとうございました。私の質問は、(スウェーデンやオランダでは)障害年金とかはあるんでしょうか?日本は障害のある方は障害年金というのがありますよね。逆にあるのかなあということ、収入はどうなっているのか聞いてほしいです。

ジェーン  生活の資金ですけれども、おっしゃるような障害者年金を受けています。それと仕事もしていますので、そちらのほうから、わずかですけれどもお給料もいただいています。年金の額ですけれども、1万2千クローネで、ユーロに換算しますと、1,200ユーロ。ですから16~17万円ぐらいですか、それぐらいになるかと思います。

  結構、会場からも「おー」という声が出ましたけれども。ほかに質問ある方、いらっしゃいますか。あとおひとりということで、よろしいでしょうか。午後からお話していただける時間を取りますので。そちらの方、お願いします。お名前とどちらから来られたかも言って下さい。

  名前はFといいます。よろしくお願いします。(手話を通訳)

(通訳内容) 今、一番やりたいことは結婚ですが、相手がなかなか見つからないのです。それで、お相手とはどのように知り合って結婚することになったかを教えてほしいのです。

ジェーン  実は結婚は2回しています。1回目の夫は、とっても退屈な人だったので別れちゃいました。今の人はとってもすてきな人です。仕事場で出会いました。さっきも紹介の中で言ったんですけれども、協会では映画をつくっています。恋愛ですとか結婚ですとかセックスについての映画をつくっておりまして、2回ほど映画フェスティバルにも出しています。

  参考になりましたでしょうか。参考になったようです。ありがとうございます。では、午後からまた、ゆっくりお話をしたいと思います。

それでは次に、オランダのオンダリングシュタルク連盟でよろしいんでしょうか。ちょっと発音がうまくないかもしれませんが、ウイリアム・ヴェステヴェルさんからお話しいただきたいと思います。よろしくお願いします。

ウイリアム  今日は分科会2に参加させていただきまして、また、皆様にお目にかかれてうれしく思っています。私はこれから、地域社会で生きる、ということについてお話をさせていただきます。今、まだホッチキスでとめていない資料を先ほど皆様にお配りしました。メモを書いていただけるところがありますので、何か参考になる話が聞けましたら、是非ともそちらにメモなど書いてください。そろそろトイレに行きたいという事情もありまして、私の説明は短くなるかもしれません。(冗談ですが)。(笑)

まず自己紹介をさせていただきます。ウイリアム・ヴェステヴェルといいます。結婚しておりまして、妻の名前がイルマ、そして2人の息子がいます。10歳のユーリと7歳のブライアンです。私は知的障害を持っていますが、オランダのオンダリングシュタルク連盟の代表(所長)をしております。また「ピープルファースト」、まず第一に人間だ、という名前のグループを率いています。

「地域で生きる」という話ですが、私自身の経験をお話ししたいと思います。どのような家で育ったのか、グループホームの経験について、また、アパート生活をしたことについて、そして、今の家族の生活について段階を追って紹介します。

私は両親に育ててもらいました。それはとってもラッキーなことだったと思います。というのは、ときには私のような立場にある子どもたちが、家族から見捨てられてしまって施設で育つというようなことが多々ありますので。生まれたのは別のところで、それから何度か引っ越しをしました。17歳で独立をするまで、両親とともに過ごしました。

17歳のときに母が死にました。家族とちょっともめたというようなこともありましたので、17歳で独立してグループホームで生活しようと決心しました。17歳で決断したときには、グループホーム、で自立して生活していくというのは悪くないアイデアだなと自分では思っていました。ただしそのグループホーム、24人の人が共同生活をするんですが、そこに入りますと、自分の決断は誤っていたかなと思うようになりました。私の人生の最初の間違いというわけではないですし、これで最後の間違いだというわけでもないのですが。でも、やっぱりちょっと失敗したかなと思いました。施設には、プライバシーがなかったからです。施設では、私という人間を真剣に受けとめてくれなかったというか、むしろ軽んじられたんですね。つまり、自分の人生なのにいろいろなことを自分ではなくて他の人が決めていきました。そのように決められた生活というのは、非常に暗い、暗たんたるものでした。そのグループホームもその周りに建っていた幾つかの建物も今は壊されております。グループホームに住んでいた仲間も別のところに移っております。高齢になった人が住んでいるだけで、グループホームの機能はもう果たさなくなっています。

グループホームで生活したのはわずか6カ月です。6カ月過ぎたところで、自分で自立して生活するしかないと決めて、ホームを出ました。アパートを借りて自立しました。支援スタッフがついてくれて生活をスタートさせました。グループホームとは違って、プライバシーは守られ、より自由な生活を楽しめるだろうと思ったのですが、これがまた違いました。支援スタッフが私を真剣に受けとめてくれなかったからです。サポートスタッフの派遣を要請したときに、「男性がいい」と私は言ったのですが、担当者からは女性を派遣されてしまいましたし、とにかく、「これをしなさい」「あれをしなさい」「あなたのためにこうやったほうがいいと思う」という形で、すべて指図されてしまいました。

この支援スタッフの女性ですが、「はい、今何時になったからお洗濯をしましょう」「そろそろトイレに行ったほうがいいんじゃない?」と、ありとあらゆる生活の局面で口を出してきました。自分が何をしなければいけないのか、それもまた、いつ、何時にしなければいけないかということまで指図をしてきました。プライバシーが欲しくてアパートに行ったのに、タンスの中はのぞかれるし、個室にも入ってきて、私がやってほしくないようなことをやってくれました。さらにはお金の管理までしようとしました。幾らぐらいのお金があるのか、こういうふうに使ったほうがいいというようなことまで言ってきました。つまり、自分の望まないようなことばかりをされました。つまり、私の言うことを全然聞いてくれなかったのです。

人生山あり谷ありと言いますけれども、何かこう、つらくて悲しくて嫌なことばかりが多かったように思っております。その中で私も荒れてちょっとぐれてしまいまして、いろいろとお金の問題も起こしてしまいました。部屋代も払えなくなってしまいました。ガス、光熱費も支払いが滞ってしまい、最終的にこのアパートから追い出されてしまいました。そういうときに、幼なじみのイルマと再会しました。彼女とは8歳のころから知り合っていましたが、長いこと会っていませんでした。しかし、再会後、縁があって一緒に住むようになりました。彼女と一緒に生活をするようになって初めて、自分が自分である、そしてまた1人の人間として周りの人に敬意を持って接してもらっている、認められていると思うようになりました。一緒に1年半くらい暮らし、その後イルマと結婚しました。そしてユーリが生まれました。ユーリは男の子です。そしてブライアン、やはり男の子ですが彼も生まれました。

結婚して今は幸せに暮らしていますが、結婚当時は本当に大変で、すべてが望ましくない方向に動いていました。すべてが何かおかしな形になってしまいまして、また失敗してしまったかなといろいろと後悔などもしました。しかし、時間がありませんので、今、こと細かくは説明いたしません。そういう大変な状況の中で結婚式当日を迎えました。いろいろなごたごたがありましたが、今となっては非常によい決断をしたな、イルマと結婚してよかったなと思っております。今回は私一人で日本を訪問しておりますが、日本に滞在している間も、家族のことが懐かしくてたまりません。

今住んでいる家は、私の給料をためて買ったものです。非常にいい支援者を得て、その支援のもとに幸せに暮らしています。自分のプライバシーを守って、楽しみながら生活していくことができるようになりました。

最後のメッセージです。多くの人が私のことを見て、障害者だと言います。しかし、私はここに集まっていらっしゃる仲間、そして、支援者の方たちに言いたいのです。障害を持っているからといって人間は人間なんだと。私は私という個人であるんだということ、このことを声を大にして申し上げたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

  ウイリアムさんありがとうございました。今のウイリアムさんのお話に対して質問等ありますか。どうぞ。

  私は、今日東京から来ましたFといいます。私も今、実はグループホームで生活をしています。私も、何かいろいろとそういう世話をしてくれる人に、言われなくていいことまでいろいろと言われてしまっているんですが、今のお話で、やっぱりみんな一緒だなあと思っていたんですよね。だから自立も考えてはいるんですけど、まだそこまではいっていません。皆さんのお話をちょっと聞きながら勉強したいと思っています。

ウイリアム  どうもありがとうございました。

  もうおひとり、どうですか。

  川崎から来ましたGと申します。自分もグループホームで、現在5名ほどの人と一緒に生活しています。プライバシーのことで、ウイリアムさんがさっき言っていましたけれども、私は一戸建てのグループホームで個室を持って生活しています。ただ嫌なのは、しゃべり相手がいなくなるということです。自分はいつもしゃべっていたいなと思っているんですけど、職員さんのほうが忙しくなっていて、特に朝が一番忙しくて、自分の言いたいことが言えない感じなんです。そういうことはありますか。お願いします。

ウイリアム  私も同じような思いをしたことがあります。これはグループホームを出てからの話ですが、だれも私の話を聞いてくれない、真剣に受けとめてくれないと思い、ぐれて問題を起こしてしまったことがあります。ですから、自分がどういうことを望んでいるのか、何をしてほしいと思っているかを言ったほうがいいと思います。その上で、どのように自分が生きていきたいのかということを考えていかれるのがいいかと思います。グループホームの中でも孤独を感じることがあると思います。自立して一人で生活するということになりますと、余計一人きりになるのではないかと思われるかもしれません。でも、人間って一人で生きているわけではありません。地域の人と何らかの結びつきをつくっていくということが、大切ではないかと思います。一緒に少しずつ輪を広げることによって共に生活し、町を暮らしやすいものにしていくことができるのではないかと考えます。一人で暮らすということではなく、お互いに手を差し伸べあっていけたらいいなと思っています。

  よろしいですか。

  ありがとうございました。ここでトイレ休憩に入りますけどよろしいですか。

  先ほど、ウイリアムさんも「膀胱の調子が……」と言われました。(笑)5分程度、トイレ休憩を取りたいと思います。