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厚生労働科学研究・障害保健福祉総合研究成果発表会

みて、きいて、はなしあおう、元気の出る話

地域移行・本人支援・地域生活支援 東京国際フォーラム

分科会2「地域で自立して生きていくために」

講師・助言者
ジェーン・ハルビ(スウェーデン・グルンデン協会)
ウイリアム・ヴェステヴェル(オランダ・LFB)
(支援者:アン-クリスティン・ハルト、スウェーデン・グルンデン協会)
(本人たちの分科会・埼玉「わらじの会」を中心に企画)

●午前の部

  始めさせていただきます。私たちは「わらじの会」です。障害のある人もない人も、共に地域で活動している障害者団体です。埼玉にあります。

  すみません。司会でありながら発表者で申しわけないんですけれども、「わらじの会」というのは、後からお配りした資料の中にあります。読んでいただければだいたいわかるかなと思いますがとにかく障害のある人もない人も地域で共に活動しよう、一緒に生きていこう、暮らしていこうということをしている団体です。今日は、どちらかというと、知的の方たちが結構多いフォーラムだとは思うんですけれども、「わらじの会」の中では障害の種別によって分かれたりはしていません。身体の人も、知的の方も一緒にプログラムとか活動をやっています。今、司会をやってくれていたAさん、それから私の右隣にいるHさん、青い紙と緑の紙は彼らの説明が書いてあるんですが、今日は、時間の都合などで詳しくは説明できませんが、本当はこのAさんもHさんも、「「ぽぽんた」」というグループに参加をし、自立生活のための体験プログラムで一緒に活動しております。

  「ぽぽんた」という団体の活動をしていて、バザーなどをやっています。

  知的の方も身体の方も職員もまじって、一緒にやっています。昔は、電車に乗ったことがない人がいるので一緒に電車に乗ろうとかという形でやってきたんですが、やっているうちにだんだんとやれることがたくさんになってきて、最近は、やりがいみたいなものを探したり、お互いの生活をお互いに助け合っていこうというような形のグループになっています。

今日は、最初にAさん、そのあとHさんと、順番にお話ししたいと思います。説明してくれるのは、同じ「ぽぽんた」のメンバーのIさんと、Aさんです。

Aさんの今の生活から始めたいと思います。「Aさんは、現在、生活ホーム「オエヴィス」で、親元を離れて介助者などを使いながら暮らしています。同じ「ぽぽんた」のメンバーでもあるJさんが団地に引っ越した後、「オエヴィス」の103号室に入居しました。ちなみに生活ホームは、埼玉県独自の制度で、4人以上の障害がある人が一緒に暮らすことで補助金が出ます。身体、知的などの区切りはありません。「オエヴィス」は、15年ほど前、今は亡くなったK・Kさん・K・Lさんという、その土地で暮らしていた姉妹が自立生活をしてみたいと家族と話す中で、分家として建てられました」。分家というのがちょっとわからない方もいらっしゃるかと思いますが、農家などで子どもが大きくなってきて、独り立ちしたいというときに、本家から家を分けるという形で建てられた家です。「それまでのKさんたちの生活は、農家の一室に閉じこもり、Kさん、Lさん、おばあさん、おばさんが寄り添って、昼でも雨戸を閉めて暮らすというようなものでした。Kさんたちは、「わらじの会」の人たちと活動するようになってから、外でいろいろなものを見聞きし、自分たちも外で、自分たちで考えて暮らしたいと考えるようになっていきました。かつてこの地域がまだ農家ばかりだった30年以上前、KさんやLさんが子どものころは、農家の暮らしの中で芋がらをむいたりといった仕事があり、それなりに農村社会の中で暮らしていました。その後、この地域に七千世帯を数える武里団地ができるとともに、新住人がこの地域に大量にやってきました。当時の農家の人たちは、新住人に『みっともない』と思われないように、障害を持つ人たちを家の奥に囲い込んで外に出さないということがあったのです。そのころの日本の福祉制度は、地域で暮らしていくためのものはほとんどなく、大概の重度の障害を持つ人たちは、家の中で過ごすか、遠い郊外に建てられた大きな施設で暮らすかしかありませんでした。Kさん、Lさんも就学免除という制度の中で、『地域の学校に来なくても、卒業したとみなしてあげますよ』と、体良く通学を断られて、学校には行っていませんでした」。

Aさんが暮らしている地域とか、どんなところや背景で暮らしているかということがわからないと、全体として見えないかなと思うのですが、もう少し続けさせてもらいます。

「さて、Aさんは『オエヴィス』で暮らすようになってから、約10年がたとうとしています。Aさんの前の住人のJさんは、『プライバシーがドア1枚でしか守られない暮らしは窮屈だ』と、団地での一人暮らしを決意しました。Aさんは、人と話したり人と一緒にいるのがとても好きな人です。ですから、Aさんは自分の部屋よりも『オエヴィス』の共有スペースにいることが多く、また、そんな状況ですから、『オエヴィス』にぶらりとやってきた人の話し相手や、なれていないほかの入居者についた介助者に、『オエヴィス』のいろいろなことを説明してくれたりということもやってくれています。

現在、日本の若者の中には両親と一緒に暮らしている人も多くいます。そんな状況もある中で、Aさんは、1人暮らしを念頭には置いているものの、はたしてAさん流の暮らしというものが本来どうあるべきなのかは、Aさんも含めて頭を悩ましています」。「悩ましている」で話が終わってしまって申しわけないのですが、Aさんは、こんな感じで、夏はカエルがうるさいぐらいの田舎の風景の中で暮らしています。

Aさんについて、「オエヴィス」を含めて話をしました。「オエヴィス」がどんな感じでやっているかの話をしてもらっていいですか。

  財布の中身はゼロです。お金は1週間ごとに職員のMさんが、1カ月分のお金を全額渡しているようです。それは、買い物とかお酒を買ったりとか……

  すみません、ちょっと補足させてもらいます。僕たちはきのうから池袋に来ているんですが、きのうの夜、コンビニで何か飲み物を買って帰ろうかなんていう話をして、Aさんの財布をあけたらお金が本当に1円も入っていなくてちょっとびっくりしたんです。話を聞いていくと、どうやらお金に関してのトラブルがずっとここのところ続いていて、とりあえず試しに、「半月分を渡すから自分で好きにやってみたらどう?」という話が職員との間でされたそうです。それで、次のお金が入る日は、11月11日らしいんですけれども、もう既にすべて使い切ってしまって、もう全然なくなっていたんです‥‥、今日は御飯はいただけるみたいなんで何とかなるとは思いますが、はたしてこの1円もないという状況がいいのか悪いのかはちょっとわからないんですが、、、。職員とAさんの間で、他に手もなかったんだろうなと思いますが、ちょっと昨日びっくりしました。これはたぶん、本人の自己決定とかプライバシーの問題とかいろいろなことにかかわるだろうけど、話し合いの内容にも関係してくると思いましたので、  今話をさせてもらいました。Aさんの話は、また後で話ができると思いますので、次にHさんのお話をさせてもらいます。Hさんの代読はIさんがしてくれます。Hさん、自己紹介をお願いしていいですか。

  編集長のHさんです。今日はNさんとOさん、組長さん、Pさんと来ました。よろしくお願いします。

  Hさんは、今、私たちのグループでつくっている機関誌の編集長をやってくれています。

  「ぽぽんた」で一緒に活動していますIです。今日はHさんの原稿を代読させていただきます。先ほど、Hさんが「組長さん」というように私のことを紹介してくれたんですが、それはあだ名です。よろしくお願いします。

Hさんについて、お母さんからいただいたものを読みます。

「Hは養護学校高等部を卒業してすぐ『わらじの会』に入り、間もなく始まった『ぽぽんた』の活動に最初から参加しています。二十歳になってすぐのころだったと思います。そのころは、今よりもっと右足が不自由で言葉もあまりしゃべれませんでした。外を歩くときは、いつも母親の私と一緒で、迷子にならないよう、けがをしないよう、私はいつも気をつけていました。買い物も店の人や周りの人に迷惑になると思って、1人でさせたことはありませんでした。

『ぽぽんた』の活動に参加するようになり、母親と離れて仲間の人たちと一緒に電車に乗ったり買い物をしたりさまざまな経験は、Hにとって本当にワクワクするようなことだったようです。そのころ、『別々です』が口癖になりました。自分と母親は別々だということを、私や周りの人に盛んにアピールしたかったのだと思います。私がHの世界に介入するのを嫌がるようになったり、『ぶあく』というお店でお給料としてもらったお金を、私に見せずに隠すようになりました。そしてそのお金を持って意気揚々と『ぽぽんた」へ出かけていくのです。

でも、自由に危険はつき物で、Hはよく迷子になりました。一番大きな迷子事件は、みんなで浦和に行くとき、乗り換えでHだけ電車をおりなかったため起こりました。朝十時半から夜十時半ごろまで行方不明でした。JR武蔵野線で、終点から終点まで、電車に乗って一日うろうろしていたものと思われます。おなかをすかしトイレにも行けず疲れ果てているだろうと私は心配で本当に生きた心地もしませんでしたが、本人は意外に元気で、ちゃんとトイレにも行っていた様子ですし、びっくりしたことは、財布の中から新座にあるコンビニのレシートが出てきて、お昼にちゃんとお弁当と飲み物を買っているのがわかったことです。日ごろの『ぽぽんた』の活動のおかげだと心から思いました。

ところがその数カ月後、また同じところで行方不明になりました。こう何度もではたまらないので、もう『ぽぽんた』をやめさせたいと本気で思いましたが、本人のHは何が何でも出て行きました。そのころ、私を振り切って出て行くので後をつけたところ、1時間以上歩いてみんなの集まっている公民館に着きました。一生懸命歩いている後ろ姿を見ながら、こんなにHを駆り立てている『ぽぽんた』をやめさせることはできないと思いました。何度も迷子になるうち、もう迷子にならなくなりました。いろんな力を身につけたと思います」。