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厚生労働科学研究・障害保健福祉総合研究成果発表会

みて、きいて、はなしあおう、元気の出る話

地域移行・本人支援・地域生活支援 東京国際フォーラム

分科会3「本人活動の支援のあり方」

花崎  光増さん、ありがとうございました。私も札幌におりまして、この「人権セミナー」を最初からずっと見てきていますが、「人権セミナー」は2月、札幌で一番寒い時期にそこを選んだような形で行われています。そのころ雪祭りもあるんですが、寒いからあまりセミナーみたいなものはなくて、会場も取れるし有利な点もあります。吹雪のような日もあります。でも、「今日は参加者が少ないかな」と心配するんですが、吹雪をついて朝早くからたくさんの当事者や家族、例えば民生委員さんのような方、とても幅広く集まってこられる、ものすごく楽しいイベントを毎年やっています。このごろは、どうせなら雪祭りも見てお帰りになりませんかということで、雪祭りに引っかけてやったりもしていますが、光増さん、来年はいつか決まっていますか?

光増  第2日曜日です。

花崎  2月の第2日曜日ですので、お金もかかりますが、ぜひ足を延ばしてみてください。

では今度は、いわきの本田さん、お願いいたします。

本田  本田です。よろしくお願いいたします。スウェーデンとオランダの話を聞いて、今日は少し安心して話ができるかと思っています。というのは、最近、今回の自立支援法でも、「支援」という言葉がたくさん言われていて、教育の分野でも特別支援プログラムなどいろいろ出て、「支援」という言葉が先に勝手に歩いて、何でもかんでも「支援」という言葉で世の中が動いてきていて、おかしいと思っていたところです。

先に支援について話をしていきたい思います。私がかかわってきた本人活動の「ふれんずトトロ」は、仲間と一緒に歩みながら変わってきつつある過程にあるということをまず伝えておきたいと思います。

いわきは福島の片田舎にある人口36万人ぐらいの中核市です。

いわきには、知的障害と言われる方が1,600人ぐらいいます。

いわきの駅のすぐ近くに、今私が勤めているセンターがあります。このセンターができたいきさつも後でお話ししていきたいと思います。

まず、「弱い」という言葉が気になっていました。「弱い」ということがどういうことなのかと。障害を持っている方と私たちが一緒に暮らしていくことは全然悪いことではなくて、むしろとても大切なことなのではないか、そこから何かが見えてくるのではないかという思いが基本的に私の中にあります。逆に社会が強さを求めているときに、本当に人間らしさが現れてくるのは、その弱さの中に見えてくるのではないかと思っています。しつこく「支援」ということを考えていく中で、まず私たち、そして、私がどんなことをしてきたかということです。

私は、入所施設に3年間いて、それからずっと二十年以上知的障害を中心にした障害を持っている方の生活支援をしてきました。始めは箱から出発しました。入所施設という箱の中でやってきて、そこから脱却していくにはかなりの時間がかかっています。始めから私が、そこが最高のところとは思っていたわけではないのですが、その中で仕事をしてきたという現実があります。

働く場での関わりも、「指導・訓練」から「支援」というものに変わってきました。何が変わってきたかといいますと、施設では100%、自己完結的にその人の人生を握ってしまっていましたが、お互いに関係し合って、頼り合って生きていく関係に変わってきたように思います。

支援費制度が始まるときに、「consumer(消費者)」という言葉が使われました。今でも使われていると思います。それが単に、私たちのサービスを買って消費していく相手でいいのかということなんですね。そうではなくてむしろ、大切なお客様としての「customer(お客)」という言葉のほうがいいのではないか、ということを、いわきに在住しているあるノルウェーの宣教師さんに教えてもらって、それから「customer(大切なお客さん)」なんだなということで、私の中では整理することができるようになりました。

そういう意味では、一方的に上からどんどん押しつけるということを彼らは求めているわけではなくて、お互いに関係しあいながら、交わり合って援助し合うということを求めているわけです。これは口で言ってもなかなか分かるものではなく、私もかなり苦労しました。特に相互作用ということと、無条件ということがどういうことかと。本当にどんなに大変な方でも、相手がとても大切な方として無条件に自分の中で受け入れていくことができるかということがかなり重要な問題で、私自身はかなり苦労して、一時的に悩んだ時期がありました。

そういうものが基本的に変わってきたのは、「ふれんずトトロ」という本人活動における彼らとのふれあいを通してでした。支えるということは一方的なことではなくて、相互に関係しあいながら行われるものです。その基本的な条件としては無条件に相手を認めていくことができるかということです。今までは、「できない」というレッテルを張って、「だからだめだ」と言ってきたと思います。「できない」ことを見るのではなくて、むしろ今持っている可能性、できることへと視点を変えていくということがとても大切だと思えるようになりました。マイナスという発想から解放されていく自分を感じるようになりました。

その過程で、「愛すること」「信じること」「待つこと」という3つの言葉を教わりました。これは北海道家庭学校の谷先生の言葉です。もうお亡くなりになりましたが、谷先生がいつも色紙にサインをするときに書いていた言葉でした。これは私にとってとても大切な言葉です。どんな人でも相手を認め、愛していくということができるかと問いかけています。愛するためにはどうしたらよいのでしょう。まず相手の可能性を信じることができるかどうかが問われてきます。そのためには、相手がどんなことでも変わっていくと希望を持って待つということが問われてきます。この三つの言葉を常に自問自答しながら動いています。どんな人でも愛して、相手が変わっていくことを信じて待つ。私から一方的にかかわっていくのではなくて、見守ってただ待つ、ということです。そのことが関わりの原点になると思います。そのような関わりへの努力をすることで、今盛んに言われている対等な関係が出て来るわけです。対等な関係はただ契約しただけで終わるのではなくて、相手が大切な存在として受け入れられているかどうかが問われる、それが原点になるのだと思います。

そういう意味で、一番大切なのは、「本人支援」です。いつも本人の声を聞いているか。ともにいることができているか。ともに生きるということが言葉だけで終わっていないかどうかということです。自分の思い込みだけで共生という言葉を使うのではなくて、本当に一緒に歩んでいるのかということが問われているのだと思います。そういう意味で、「本人支援」とは何かを考えていく必要があると思います。まず本人の本当の声を聴き、自分の中で確認をしていくということがとても大切だと思います。その声を聞きながら、彼らの希望とか夢とか願いを実現していくために、支援者としてどうしていくかを考えていく必要があると思います。

はっきりしているのは、彼らの時間と支えている私たちの時間の速さが全然違うということです。私たちの時間に合わせていくのではなくて、彼らの時間に合わせて、私たちが待つということが必要だと思います。

そういう意味では、ロバート・マーチンさんを支援していた支援者の方も言っていましたが、No.2であることがとても大切だということが身にしみてわかります。だれが主役か。決めるのはだれか。私たちの支援は、本人がどうしていきたいのかの支援です。支援する側が先に動くのではなく、「寄り添っていく」ということが大切です。この言葉は、グループホーム学会でも去年盛んに出されていました。障害が重い人たちとのかかわりの中で、本人がどうしたいのか、どう考えているのか、それを見きわめていくのには「寄り添うこと」「寄り添い続けること」がとても大切だと思います。本人の必要性を見きわめ、考え、支える。このような支援者の支援のあり方を本人活動支援を通して教えられました。

では、いわきでどんな実践をしていたかということですが、いわきでは、「ふれんずトトロ」という会ができました。この会は、通勤寮OBが集まってできた会です。情報は提供しても、本人たちが手を挙げてやるというときまで何年かじっと待ちました。会ができてからは、全国の仲間と積極的に交流しました。仲間がどんどん発言しているのを見て、自分で自分の意見を言ってもいいという環境がトトロの仲間にもわかってきました。嫌なものは嫌と言うことができるようになってきたというのが、一番初めの大きな変化でした。

自分たちで行事などを考えて交流するということから、トトロの仲間の意識が変化し始めました。特に今は、トトロの仲間がリーダーシップを取って、県内の本人活動をあちこちつくるのをお手伝いしています。去年から今年にかけて3箇所ぐらい本人活動が立ち上がりました。それをトトロの仲間が交流を通して支えています。ただ単に楽しいことばかりではなくて、仲間を助けて連帯していくということを考えはじめる時期になっています。仲間からいろいろな相談を受け、ピア・カウンセリング的な対応も行えるようになりました。

自分たちの活動体験から、自分たちの地域生活のありようを自信を持ってどんどん伝え始め ています。そういう姿を見ていると、一人の人間として自分の人生を生き生きと生きていくことがどんなにすばらしいことかを伝える伝道者のように思えます。彼らもそういう意識の中で今、動き始めています。