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厚生労働科学研究・障害保健福祉総合研究成果発表会

みて、きいて、はなしあおう、元気の出る話

地域移行・本人支援・地域生活支援 東京国際フォーラム

分科会3「本人活動の支援のあり方」

1995年にトトロができてから、いわき市内で障害を持つ人たちを雇っている職親会主催の「支援セミナー」でずっと発表を続けてきています。グループホームの世話人研修で、全国の本人が来て交流をしたり、「札幌仲間の会」とか、東京の「さくら会」とも交流しています。代表の佐藤君がスウェーデンに研修に行ったり、本人たちは海外旅行へ行ったりしました。1998年には、「全日本手をつなぐ育成会」北海道大会の本人部会に、初めて本人たちが参加しました。この辺から急激に変わり始めています。メンバーの一人が全日本の代表になったり、スウェーデンの本人2名との交流を行ったりしました。2002年にはサイパンに行きましたし、「トトロ」主催の本人向けの支援費の勉強会も行いました。2003年には、「いわき市の障害福祉計画への意見」をまとめて出したりもしています。そのほか、市内の福祉関係者への意見発表や、私が今勤めている法人の職員向けの意見発表など、いろいろと動き始めています。

今申し上げた「いわき市の障害福祉計画への意見」は、全国の育成会の国への本人意見を参考にして本人たちがまとめたものです。意見書には、私たちの意見をちゃんと聞いてください、地域で暮らしていると困ったことがたくさんあるので、地域生活支援センターをたくさん町の中につくってください、などが入っています。この意見書が出されることにより、私の法人に去年の4月から、今私が所属している「ふくいん」という生活支援センターが駅前につくられるようになったといういきさつがあります。また、ヘルパーさんや世話人さんがいろいろやってくれるけれども、自分たちのできないことを支えてほしい、プライバシーを守ってほしいということがあります。さらに、入所施設を出て私たちがみんな地域で暮らせるようにしてくださいというようなことも、一昨年11月に障害福祉計画をつくる前にトトロとして伝えさせてもらいました。家賃補助制度も彼らの声を聞いて作られるなど、確実に力をつけています。

今までのことを含めて、これからの問題として何が必要かということですが、本人の自己決定を支えるために「支援」というのは絶対に必要だと思っています。ただ問題としては、支える側が片手間でやっていくことができない状態になってきています。本人活動の支援は、仕事の片手間でやれるものではありません。そういう意味では、トトロばかりではなくて県内の仲間も含めて、NPO法人化を図り、本人・支援者とも専属スタッフを置くことを考える時期になってきました。今このことをトトロの仲間と話し合いをしている最中です。福島県では、障害者自立センターに対しての補助金が今の知事の才覚で出来上がっていますので、トトロのNPO法人化を念頭においた検討ができないものかと思案中です。

このように、きちんと支える手立てをつくっておかないと、かなりの問題が出てくるのではないかと思っています。本人がどんどん力をつけていって、さらなる発展をしていくときに、支える私たち支援者の力量が問われてくるからです。そういう意味で、本人活動支援が支援ということの本質を教えてくれていると私は思っています。そこを原点としてほかの生活や就労など、いろいろな場での支援ということを模索していくことが大切だと思っています。また、如何に実践していくかということが問題になってくると思います。以上です。

花崎  本田さん、ありがとうございました。本田さんは一方で、障害者支援センター「ふくいん」という、これはサービスを提供される事業所でしょうか。そこで仕事をされながら、また一方で「「ふれんずトトロ」」という、いわき市を中心とした本人活動グループの支援も続けてこられたわけです。その中で、ご自分がつかんでこられた支援の本質のようなことを、今話してくださいました。本人活動の中でわかってくることを、サービス提供のあらゆる場面でどうやって生かしていくか、変えていくかということをお話されたと思います。

あと15分ほど時間があります。皆さんからのご質問とかご意見は午後に出していただきます。この15分の間に、4人の発言者の方相互に、今お互いの発言を聞かれて確かめたいこととか、あるいは自分が言い足りなかったこととかがあれば出していただきたいと思います。

では本田さんから。

本田  先ほど花崎さんからも出ましたけれど、スウェーデンもオランダも「コーチ」という言葉を使っています。「コーチ」というのは私たちのイメージでは、何かどんどん訓練して教育していくというイメージがとても強いのですが、「コーチ」という言葉を使う由来をお話しいただければありがたいと思います。

アンデシュ  支援を提供する中で、いろいろな言葉が使われてきています。私が仕事をしているスウェーデンのイェテボリでは、こういうレッテルを張るような言葉はやめてほしい、レッテルは嫌だという気持ちが出されました。支援をする人たちに対してもいろいろなレッテルが張られてきました。そうしたいろいろなレッテル張りは、もうやめたいと考えています。何年もいろいろそういう形での規則やルールに伝統的にしばられてきました。それから先ほど「どんどん教育して」ということをおっしゃいましたが、「教育」という言葉ももうやめたいと考えています。というのも、当事者活動をしている本人自身も教育者であるからです。教育者として私たちにいろいろなことを教えることもできるわけです。ですから、そういう意味でコーチの役割というのは、いろいろな人が持っている資源や可能性は何か、それを最大限に生かすにはどういうことをしたらいいか、それを最大限に生かせるように促進していくことがコーチの役割であるということで考えています。

ロール 「ミッション(伝えたいもの)」という言葉を説明の中で使いました。そのミッションというのは、私のミッションではありません。相手のミッションということです。相手のミッションは何かということをきちんと理解して、それを受け入れていくことが大事であると考えています。例えば、そのコーチという言葉がスポーツなどでよく使われます。アイスホッケーの例を考えてみたいと思います。アイスホッケーの試合で、コーチというのは氷の上にはいません。コーチ自身はゲームをしていません。コーチがやるのは試合の状況をよく見て、休憩の時に「こういうふうにしたらどうだ」とか、あるいは「相手はこうだからこう調整したらどうか」とか、そういうアドバイスをして、それによってよりよい形でゴールを達成するということをする人です。コーチ自身がゲームをしているのではありません。

「コーチ」という言葉は確かにスポーツでよく使われる言葉ですがLFBではそのような意味では使っていません。私たちコーチは障害を持つ人たちと同列の仲間ではありません。本人たちの思いを実現するために、さまざまなことを伝え支援していく時に、一緒に仕事をし共に楽しむ「仲間」という感じで一緒にやっていこうとすることもコーチのとるべきスタンスの一つなのではないかと考えています。

花崎  本田さん、今答えていただいたのでよろしいでしょうか。

では、光増さん。

光増  「コーチ」というのは表面的意味合いよりも、「支援からコーチへ」という質的変化を求めてきていることはよく理解できましたが、しかし、例えばスウェーデンでもオランダでも、「コーチング、コーチ」という言葉が、いつごろから「支援」から切りかわっていったのか。それはどうしてなのかというのをもう少し詳しく教えていただけませんか。

ロール  うそを言わなければいけないと今思っています。(笑)どうしてかということははっきりはわかりません。(いつごろからかというと)アンデシュさんが私の人生にかかわるようになってから、たぶんそのとき初めて「コーチング、コーチ」という言葉を聞いたと思います。彼のほうがよく知っていると思います。

アンデシュ  私もわかりません。もうお互いに長く知っていて、最初にどうだったかということは私は全然覚えていません。いつからというのはあまり大事ではありませんが、でもどういう言葉を使うかということはとても考えます。これについての話し合いを何時間も、何日も、何カ月も、何年もやってきました。どういうふうにして呼べばいいのか、レッテルはとにかく嫌だという気持ちがあります。

既に「コーチング、コーチ」という言葉さえも、私たちの世界の中では古い言葉になっていると思います。とにかく「レッテルをやめたい。施設をぶちこわせ」ということがあります。でも私たちの気持ちの中では、まだそういう施設からの従来的な、伝統的な考え方にとらわれているところがあります。大事なのは、そこで何が起こっているかということです。そこを見ていく必要があります。コーチでも何でも呼び方はいいんですが、人と人との関係の中で、何が起こっているのか、それを見る必要があると思っています。そこで起こっていることをどういう言葉で表現できるか。それが表現できる言葉ならば何でもいいわけです。我々はそこにともに生き、状況を共有し、同じ空気を吸って、目と目を見つめ合う。そこで何かが起こっているわけです。そこでは、そういうことをフォーカスして考えるのであって、それが例えばスタッフと呼ぶとか、援助者または支援者と呼ぶとか、そこでのレッテルは重要ではありません。そこで何が起こっているのかということが大事なことです。

我々はまだそういう施設の中のこと、従来の施設的な考え方にとらわれていますが、自分たちのハートで、それから自分たちの頭の中で何が起こっているかをきっちりと見ていく必要がありますし、100%脱施設化ということを行っていく必要があります。

例えばだれかの家に行っておふろに入ったとします。その人がシャワーを浴びるのを手伝う。手伝う方法は何通りもあると思います。それをどう呼ぶかということは大事ではありません。私にとって大事なのは、自分は何のためにそこにいるのかということを理解して、「私だったらこうやってもらったらうれしい」ということを考えながら、そこでその人のシャワーをするのを手伝うということです。

花崎  「コーチ」という言葉をめぐって、結局人と人との関係のつけ方、あり方のようなところに話が深まってきていると思います。今時間がありませんので、その点については午後に回すとして、「仲間」という言葉ですね。その言葉にいろいろな議論がありながら、全体の流れの中で、仲間という自然な関係が必要なんだという認識ができてきたというお話がありました。それらについても午後、また皆さんが参加する形で討論を深めていきたいと思います。

午前中のご参加ありがとうございました。