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厚生労働科学研究・障害保健福祉総合研究成果発表会

みて、きいて、はなしあおう、元気の出る話

地域移行・本人支援・地域生活支援 東京国際フォーラム

分科会3「本人活動の支援のあり方」

午後の部

花崎  では、午後の部を始めます。午後は皆さんからのご質問にお答えしていきたいと思います。その前に海外からのお二人の所属なさっている組織とそこでのお仕事について簡単にお話しいただきたいと思います。最初にグルンデン協会のアンデシュさんからお願いします。

アンデシュ  私は、以前は所長という立場で仕事をしておりましたが、今はそうではありません。今ここのグルンデンのトップというのは、マネジメントグループという形で、当事者自身がやっています。私は、そういう人たちをコーチするというのが今の仕事です。今、当事者たちのマネジメントグループ、経営グループというか、実際の理事に当たる人たちがいろいろな仕事や調整ということをやっています。以前は私がそういうことをしていましたが、今は当事者たちがやっています。その仕事の中には、例えば雇用をどうするかとか、あるいはどういう政策でどういう考え方でやっていくのか、教育、情報、財政面などにわたってやっています。私自身はこのマネジメントチームに対してのコーチングと、ほかのコーチへのコーチングをやっています。

花崎  オンダリングシュタルクという組織ですが、サービスを提供する事業者という組織もありますし、あるいはピープル・ファーストのように当事者の運動体の中核をなす組織とかがありますが、どういう組織かもう少し話してください。

ロール  まず最初に、私自身はフリーランスで仕事をしています。特にどこの所属というきっちりした立場ではなくて、フリーでの仕事をしています。ですから、アンデシュさんと一緒にスウェーデンで仕事をしたり、あるいはドイツやベルギーで仕事をすることもあります。でもほとんどはオランダで仕事をしています。私がオランダで仕事をするときは、今回日本に一緒に来ているLFBのディレクターから予算が私のところに割り当てられます。私はその予算の範囲内で必要に応じてそこでの仕事をしていくということです。現在私がオランダでかかわっているのは、36人の人たちです。ところで、オンダリングシュタルク連盟を略して本人たちはLFBと呼んでいます。

花崎  わかりました。ありがとうございました。

皆さんから出たご質問を大きく分けると、午前中のお話に関連したこと、スウェーデンやオランダの福祉全般のことに分かれますが、最初に、午前中のお話をもう少し突っ込んだ形の質問から入っていきます。

ロール・コックさんに質問です。「コーチについて」ということです。コーチにとって大切なことの中で、「コーチは自分自身でならなければならない、あるいはコーチは抑えることができなければならない」と話されましたが、もう少し詳しく説明してほしいということです。それに関連して、コーチにとって大切なことをたくさん挙げられていましたが、一番大切なことを挙げるとしたらどれでしょうか。

ロール  私のいろいろな仕事の経験の中で、間違った側にいる人をよく見てきました。私自身も自分のやってきたことを振り返ってみて、そういう間違った側にいたと思うこともあります。いつでも礼儀正しくきっちり仕事をするのは、決して不快なことではありません。

私は長い間施設で働いていろいろな人を見てきました。その人たちには進歩がありません。何もありません。兄弟のように、そういう人たちの言うことを聞く。「こうしたい」「OK、いいですよ」「大丈夫ですよ」「できますよ」「どうもありがとう」という会話がずっと続いてきました。そういう人たちをずっと見てきて、私のほうからそういう人たちのところへ行って、「お名前は?」「何歳ですか?」「何かしてほしいですか?」「何ですか?」ということを聞きます。相手からは、「こういうことがしたい」と言われます。でもそれは、そこの施設ではできない。私は、そういう施設で仕事をしていて、そこに住む人から多くのことを学びました。そこにいる人たちに対してだれも何も言わない。グループで動く。それも違ったことをしている。だから、私としては、そこで仕事をしている中で、一体ここでは何が起こっているのだろうかと、自分自身で探すというか、模索する必要がありました。

あるとき大学で、こういう施設に住んでいる障害者の人たちのためのプログラムがありました。そこで言われたことは、「皆さんこういうことを知っていますか? 15人の人たちが暮らす施設がありました。、その人たちは1人1分、あるいは59秒だけソーシャルワーカーに対して何かを言うことができました。皆さんはこのことをどう思いますか?」私はそれを聞いて、とても動揺して衝撃を受けました。これはひどいこと、1日1分しか自分のことを言えないのか。それを聞いて私の気持ちが変わり、もう施設からは出ようと決心しました。ここは私のやり方ではできないと思いました。

1985年に、私は仕事で関わっていたグループホームの人たちと一緒にイギリスに行きました。一緒に行った人たちは6人でした。いろいろな作業所に行って仕事をしている人たちでした。イギリスでの状況を見て帰ってきたときには、もういっぱい資料がありました。イギリスに行って学んできた6人の人たちは非常に興奮していたというか、士気が高揚していました。「今の状況を私たちは何とかしなければいけない。手を貸してくれませんか?」と言われました。私も「手を貸します。一緒にやりましょう」と言いました。

この6人の人たちが70の質問をつくりました。その70の質問に対する答えを探そうと、半年間一緒に作業をしました。6人以外の人たちが一緒にやりたいとその輪が広がり、みんなで一緒になってやりました。6人がそれぞれ自分の人生を切り開くということで仕事をしてきました。そういうことについて仕事を終えてからの夕方6時半から8時半までずっと作業をしました。半年後、自分たちはもっとできる、自分たちのクラブをつくりたい、グループとしていろいろな作業をやっていきたい、ほかの人を助けるということもしたいという意見が出されました。この70の質問項目というのは、彼らにとって非常に興味のあることだったのです。地方自治体からの資金援助も得て、私の出身の州の郊外に行って、いろいろなアイデアについて検討しました。

2000年までの間に40の当事者活動をするグループがどんどんつくられていきました。2001年には、16年間で初めて自分たちのお金というものを手にしました。自分たちが使えるお金、今までもあちこちからお金を集めてきましたが、2001年には初めてそういうお金を手にして、こういうことが自分たちでできるんだと思いましたし、もっと多くのことができるんだということを感じました。これは非常に大事なことだったと思います。そしてオランダ全体でネットワークをつくり、オフィスもつくって、もっと多くのことを自分たちでできるし、自分たちでやりたいと思うようになりました。そして、実際にやってきました。

その結果、現在の組織であるLFB、オンダリングシュタルク連盟というのができていきました。全オランダで四つの支部がありますし、オランダの中心部に本部事務所があります。LFBの活動は、とてもワクワクするもので、施設で住むということよりも、ずっといい方法だと思っています。

花崎  ありがとうございました。