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厚生労働科学研究・障害保健福祉総合研究成果発表会

みて、きいて、はなしあおう、元気の出る話

地域移行・本人支援・地域生活支援 東京国際フォーラム

分科会4「地域移行と地域生活支援を考える」

1部
講演1:レスリー・アイリーン・チェノウエス(オーストラリア・クイーンスランド大学上級講師)
講演2:小林繁市(伊達市地域生活支援センター所長)

2部
研究報告:杉田穏子(立教女学院短期大学助教授)
シンポジウムシンポジスト:レスリー・アイリーン・チェノウエス
小林繁市
杉田穏子
コーディネーター:河東田博(立教大学教授)

●午前の部

河東田  この分科会には日本の地域移行に大きな影響を与えてこられた北海道伊達市の小林繁一さんにおいでいただき、新しい伊達での動きを報告いただきます。そしてオーストラリアにおける地域移行と比べながら今後の日本における地域移行の問題を一緒に考えてみたいと思います。

では、まず最初に、オーストラリアからおいでくださいましたレスリー・アイリーン・チェノウエスさんに、オーストラリアの脱施設化の様子をお伺いしたいと思います。その後で、小林さんにお話をいただきます。午前中は、このお二人のお話の内容に関するやりとりをさせていただいて、午前中を終えようと思っています。昼食後は、私どもが行ってきた研究の一端を杉田さんから報告させていただき、ディスカッションを行っていきたいと思います。

それでは、レスリーさんから、オーストラリアにおける地域移行と地域生活支援の実態についてお話していただきたいと思います。それでは、よろしくお願いいたします。

レスリー  こんにちは。日本語ができませんので、通訳を介してお話をさせていただきます。まず、話に入ります前に河東田先生にお礼を申し上げたいと思います。今回私を日本に呼んでいただきましてまことにありがとうございます。実際日本に来るのは私は今回が初めてでございます。日本の印象としましては、非常に心の行き届いたおもてなしをしていただける国だと、しかし人口は多いなという感じがいたしました。この後、障害者に対する支援ということで、日本ではどのようになっているのかをいろいろ議論をさせていただくことになっておりますが、それを楽しみにしています。

オーストラリアのブリスベンという所に、クイーンズランド大学というものがございまして、ここで私と河東田先生とともに研究をいたしました。内容は、脱施設化、そしてコミュニティでの生活というものでした。私の場合、日頃研究調査を行っている地域は、僻地とか農村と呼ばれるようなところが多いのですが。もちろん、ワニを相手に調査をしているわけではありませんがが。(笑)

私が今日お話いたします内容は、オーストラリアにおけます施設の歴史ということ。それから、どのような形で施設を閉鎖するようになってきたのかということ。さらに、コミュニティでの生活の現状はどうなっているか。最後にコミュニティへの地域移行の中で私どもが学んだ教訓をお話したいと思います。

私どもの施設の歴史を振り返ってみてみますと、そこには英国の、かつての英国の植民地であった地域で行われたことと類似点がたくさんございます。やり方としては、非常に巨大な施設や病院をつくるということを19世紀にやりました。そこでチャリティーに基づいて、人を管理するような形での施設をつくってきたわけです。こうした施設には、知的障害の方々、そのほかの障害を持つ方たちが、精神病を患っている人たちと一緒に生活をしていました。それから、多くのチャリティー組織がつくった施設にも知的障害者がおりました。チャリティ団体は、ほかに脳性麻痺の人たち、多発性硬化症などの障害を持った人たち、病気を持った人たちの施設を作っていきました。こうした施設は非常に大きく、都市から離れた遠隔地につくられ、運営の仕方が極めて管理的でした。多くの障害を持つ人たちが、家族とずいぶん離れたところで生活をすることになり、そこで働く医師やスタッフたちも人里離れた施設で仕事をするようになりました。

オーストラリアにおいて、脱施設化、コミュニティでの生活が始められたのは1970年代です。脱施設化をもたらした要因は、いろいろありますが、これについてはこの後述べていきたいと思います。当時は、暴露記事とか、スキャンダルと呼ばれることがたくさん発生し、施設に収容されている人たちが虐待を受けたり、無視をされたり、顧みられないという状態が明るみになってきました。一般の人々の目にもとまるようになってきました。オーストラリアの脱施設化に大きな影響を与えたのは、スウェーデンのベンクト・ニィエリの考え方、特にノーマライゼーションという考え方、それからヴォルフェンスベルガーの考え方でした。

ノーマライゼーションの考え方、そして、脱施設化という考え方は、人権にかかわる問題だと考えられるようになってきました。言い換えれば、施設にいるということは、非人間的な行為であり、コミュニティの中で生活することがより人道的で、人間にふさわしい生き方であるということになったわけです。そして、大きな社会的な圧力も働くようになりました。それが親の会でした。親の会は、強力なロビー活動、議員とか政府といったところに圧力をかけるというようなこともやりました。しかし親だけではありません。それ以外にも、スキャンダルや暴露内容に怒りを持った人たちがおり、施設変革とコミュニティへの生活の移行をと大きな圧力をかける人たちが出て来ました。

それから、ここでぜひ申し上げておきたいのは、1986年に成立いたしました障害者サービス法についてです。この法律は、ケアは個人のニーズに合わせて行われなければいけないということ、発達の保障ということ、コミュニティでの生活支援といったものを柱にしております。障害者サービス法は極めて重要な法律です。この法律ができたことによって、政府からの資金を受けているサービスというものは、すべてコミュニティをベースとしたものでなければならないという義務が発生したということです。もちろん、この法律制定以前にも脱施設化の動きは一部ございましたが、この法律ができたことによって大きく前進をしました。

それ以外にもいろんなことがありました。虐待に関する政府の調査も行われました。それからサポートの状態がどうなっているのかという政府の報告書も出されました。それに加え、知的障害者が収容されている施設で、大きな火災が発生するという悲劇的な出来事がありました。

ぜひ念頭に置いていただきたいのは、オーストラリアにおける脱施設化は、25年以上前に始まって、現在でも継続中のものであるということです。そして、実行されたり停滞したり、また実行したりということを繰り返しているものだということです。今、申し上げましたように、脱施設化は長年にわたって実行されてきましたが、活発な時期、停滞の時期があるということから、私は、歯磨きチューブのような実行の仕方と申し上げております。すなわち、歯磨きのチューブから歯磨き粉が出て、とまってまた出てくるように、非常に盛り上がる時期があったかと思うとまた停滞する時期があると、そういう例えをしております。

現在政府が考えております施設というものは、次のように定義されております。つまり、長期定住型で、大きな土地の上に立てられ、24時間サービスが提供され、ベッド数でいうと20もしくは20以上ある、そういったものを指して施設と呼んでいます。知的障害者の総数は4万人。そのうち施設に収容されている人たちは5,000人を切っています。統計上の問題はありますが、今申し上げたようなこの数値が現時点で最も正しい推計値と言われております。

各地域を見てみますと、タスマニア、西オーストラリア、それからノザンテリトリーと呼ばれる北部地域、そして首都地域のあたりには全く施設はありません。それからビクトリア州、クイーンズランド州はほぼないと言っていいぐらいです。クイーンズランドで施設に住んでいる知的障害者の数は150人です。あとの州を見てみますと、ニューサウスウエールズ州ではほかの州とは若干状況が違います。こちらでは施設を全部閉鎖するということをこれまで過去に何回か試みましたが、まだ施設に残っている人たちがかなりおります。そのため、ニューサウスウエールズ州政府としては、2010年までに全施設を閉鎖しようという計画を立てて取り組みを行っております。