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厚生労働科学研究・障害保健福祉総合研究成果発表会

みて、きいて、はなしあおう、元気の出る話

地域移行・本人支援・地域生活支援 東京国際フォーラム

分科会4「地域移行と地域生活支援を考える」

最後に申し上げておきたいことですが、施設を閉鎖し、地域社会の生活に移行する際、さまざまな意見の相違が見られ、対立を生みかねないということです。いろいろな思惑がそこに入り込むため、スタッフや労働組合がそれに対してどう対応するのか、コミュニティの側がそれをどう受けとめるのか、政治家がそれに対してどう反応するのか、立場や考え方によって賛成、反対に分かれがちな問題です。既にクイーンズランドでも、圧力が発生しておりまして、小さなセンターのようなところに人を収容したほうがいいのではないか、特に強度行動障害のある人たちは、センターのようなところに収容したほうがいいのではないかという働きかけが既になされています。

それから、地域の生活に移行するというときに、私どもが教訓として学んだことは、権利擁護が必要だということです。これは本人の権利主張による場合もあるでしょうし、ほかの人が当事者の権利を擁護するという形もあるでしょう。そういった点ではオーストラリアでは一部進歩は見られましたけれど、まだまだ課題をたくさん抱えているという状態です。特に、私どもが大きな問題を抱えている分野を二つ挙げるとしますと、一つは、非常に重度の障害を抱えた人たち、それから問題行動のある人たちをどうサポートしていくのかという課題があります。それからもう一つは、非常に重篤なというか、複雑な医学上のニーズを抱えたような人たちにどう対処をしていくのか、身体障害であれ、知的な障害であれ、例えば食事の援助といったようなことについても多くの援助を必要としたり、あるいは医学的にもさまざまな援助を必要とする人たちへのサポートをどうしていくかという問題が残っています。

全体をまとめますと、オーストラリアにおける地域移行は、しっかり根づいているとまとめることができます。ただ進歩があったと言っても、まだ問題を抱えているので慎重な姿勢は必要だと考えております。そして、皆さん方もそれぞれの分野で頑張っていただきたいと思います。そして、地域社会への移行、地域移行というのはほんの小さな一歩から始まるんだということも申し上げておきます。ありがとうございました。(拍手)

河東田  とてもわかりやすいお話をしていただきました。どうもありがとうございました。地域移行に関する実態と課題の整理をきちんとして下さいました。また、地域移行をした後に見られるさまざまな問題について具体的に指摘していただきました。形を変えた再施設化の問題、再入所化の問題も指摘されました。本人支援の大切さや権利擁護の問題も指摘され、とても共感を持ってお話を伺うことができました。

それでは、レスリーさんにもう少し聞いてみたいことがございましたら、質問なさって下さい。

  国立の「NPO法人くじら雲」というところで、グループホームと地域での活動の支援を行っているAと申します。日本の場合は年齢の高くなった家族と年齢の高くなった当事者が一緒に暮らしている状態から抜け出せないという現状がありますが、オーストラリアではどうでしょうか。

レスリー  オーストラリアでもそれは大問題です。特に、高齢の親御さんが自分の子供たちの将来についていろいろと心配をなさっています。正直言いまして、私どもはこのことに対して十分に対処してこなかったのではないかと反省しております。ただ高齢の親御さんのためにさまざまな支援体制を用意しようと検討をし始めました。新しいプログラムが作られようとしておりまして、将来への道を拓く重要な指針になるのではないかと思います。このように、親御さんと協力をして子供のためのコミュニティライフについての計画を立てていくことになりましたが、この取り組みの中で、いわゆる建物自体をつくることよりも、地域との関係をつくっていくということのほうが重要であるということに気がつき始めました。特に、年齢が高くなった知的障害者に対して多くのスタッフたちがどのように対処をしていけばいいかということを考えるようになってきました。高齢の知的障害者たちは、実はまだ施設に住んでいる人が多いのです。

河東田  ではもうお一人。この方でレスリーさんへの質問を終了させていただきます。

  浦和大学のBと言います。アメリカとオーストラリアは先進国の中でも訴訟社会だと言われております。日本とその辺が違うのではないかと思いまして、先ほどの脱施設化を進めた力の中に、そういった訴訟社会という影響はあるのでしょうか。

レスリー  正直言って、オーストラリアはアメリカほど訴訟好きな国ではないと私は思います。確かに地域社会でサービスを提供するということになりますと、やはりリスクから自分の身を守らなくてはいけません。そのため、訴訟されないようにしなくてはいけないという意識が出てきます。ですからコミュニティサービスを提供している側でも、いろいろと訴訟の問題というのは考えなくてはいけないということは確かで、私も、その件に関して調査研究を開始したばかりです。コミュニティでの生活というのはもろにリスクを負う行為ですから、訴えられるということとのリスクは当然考えていかなければいけないわけです。でもオーストラリアでは、アメリカほど訴訟が頻繁にあるわけではありません。ただ、今後訴訟が増えていくだろうとは思いますが。

  米国の訴訟にかかる費用は実際とても多いのです。10%以上あります。オーストラリアもよく似たものです。けれども日本はほとんどない。ですからそういう訴訟社会が脱施設化に大きな影響を与えているのではないかと考えました。いかがでしょうか?

レスリー そのとおりだと思います。おっしゃるようにオーストラリアでも訴訟費用は高まっておりその影響は大きいと思います。

河東田  この問題につきましては彼女もその研究を始めたというところのようですから、別途個別的にやりとりしていただければと思います。

それでは時間がまいりましたので、小林さんから北海道伊達での取り組みの様子を、お話しいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

小林  ご紹介いただきました小林です。今、お聞きしたレスリーさんのお話によりますと、オーストラリアでは知的障害のある人たちが4万人ぐらいいて、そのうち入所施設に暮らしている人が5,000人ぐらいいるということです。8分の1ぐらいの人が施設で暮らしていることになります。日本では、知的障害のある大人の人達は30万1,000人いると言われており,そのうち入所施設で暮らしている人は11万7,700人、34.7%。約3分の1の人達が入所施設で暮らしているということになります。

オーストラリアでは、1970年ぐらいから入所施設を削減するという方向を打ち出してきたということですが、日本では,国はもう新たな入所施設はつくらないと言っていますが,減らすという方向を明確に打ち出してはいません。ただ、宮城県や長野県など幾つかの県で施設を減らしていくという方向を明確にしているところもありますが、国としてはまだそういう方針が出されていないのです。オーストラリアと比べて、30年遅れで日本は、やっともう新たな施設をつくらない、これからは減らしていこうという,やっとそんな段階に入ったのかなと、お話を聞いて感じました。

私がいただいたテーマは、「地域移行と地域生活支援を考える」ということです。日本全体のことについては午後から杉田さんがお話しをするということで、河東田さんからは伊達市の実践について話してくれといわれています。それで,北海道の伊達市という人口3万6,000人の小さな町の実践ですが、テーマに沿ってお話をさせていただきたいと思います。

私が住んでいる伊達市は、人口3万6,000人の農業や漁業を基幹産業とした小さな田舎町です。この小さな町に,知的な障害のある人たちが現在390人暮らしています。これらの人たちは市内の101戸の家に住んでいますが、それは全部民間の住宅です。1人でアパートで暮らしたり、結婚してカップルで暮らしたり、4、5人の仲間とグループホームなどで暮らしています。障害のある人たちとない人たちが、隣り合い支え合って生きる町というで、「ノーマライゼーションの町」と評されています。今年の4月に開設されたグループホームが6箇所あります。この10月にさらに2箇所のグループホームを開設しました。12月には重症心身障害の人と行動障害のある人たちのグループホームを1箇所開設する予定です。このように、障害のある人たちの「ホーム」が次々に増えていっています。

また、施設から地域に移行するための「サテライト」というトレーニングホームが3箇所あり,計35名の人達が入居しています。これは北海道独自の制度で,施設から地域に移行するにあたって、いきなりグループホームに移行することが困難な人達に対して、施設に籍を置いたまま地域の中の「サテライトホーム」で実際的なトレーニングをし、3年以内に必ず地域に移行するというものです。

伊達市における地域移行の基本的なスタンスは、施設解体が先にあるのではなくて、受け皿となる地域支援の基盤整備を整えることが先だと考えています。障害のある人たちにとって一番大切なことは,一生涯にわたる人生の「安心」と「安全」が保障されることです。どこで暮らすかは,最終的には本人が選択するということになりますが,地域の中で生きていけるような仕組みが整っていきますと,多くの人たちは、施設よりも地域生活を選ぶことになると思います。ですから基盤整備が整っていくに従って地域移行が進み、最終的には施設は消えていくことになると考えています。こうした考えのもとに、まず地域の受け皿づくりに一生懸命取り組んでいます。

何でこんなに伊達の町に障害のある人たちがたくさん集まったのかという理由として、「北海道立太陽の園」という施設の存在が挙げられます。これは、1968年の欧米で施設解体が始まったころに、日本で初めての「公立コロニー」として誕生しました。入所定員400名の大きな施設です。このころ日本では、親たちの強い願いによって、こうした公立のコロニーが都道府県に1箇所位の割合で作られていきました。群馬県の高崎市に国立のコロニーも1箇所ありますが、これら公立コロニーの先駆けとして、北海道伊達市に「太陽の園」が誕生したのです。