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厚生労働科学研究・障害保健福祉総合研究成果発表会

みて、きいて、はなしあおう、元気の出る話

地域移行・本人支援・地域生活支援 東京国際フォーラム

分科会4「地域移行と地域生活支援を考える」

私はたまたま学生時代に、卒論の調査の関係で,開設されて間もないころの太陽の園に3カ月間実習に入りました。その期間入所者本人や家族、それから職員の方々に聞き取り調査を行いました。当時の太陽の園は、コロニーの先駆けとして,二つのポリシーがありました。一つは「一生涯にわたる支援」ということです。もう一つは、「ともに生きる」ということです。太陽の園は100ヘクタールという広大な敷地があり、この広大な山を切り開いて、障害のある人とない人がともに生きる「小さな村づくり」をしようというのが基本的な構想でした。ですから職員も,入所者と一緒にその敷地内に住むということが原則でした。

聞き取り調査の中で,多くの親たちは、一生涯にわたって太陽の園で面倒を見てもらえるようになったので,これでこの子を残して安心して死ねると喜んでいましたし、職員もそれを受けて、「お父さん、お母さん任せてください。これからは私たちがお父さんお母さんに代わって一生涯面倒を見ますから」と胸を張って答えていました。しかし,本人達は違いました。今は障害の重い人たちばかりになっていますが,その当時は比較的障害の軽い人たちもたくさん入所していました。そうした人達の多くから、「こんな施設で一生暮らしたくはない。一日も早く町に出て普通の暮らしがしたい。施設を出て、町で働らき、町の中に住み,将来は結婚もしたい」という声が多く聞かれました。たまたま私は、学校卒業後この施設に勤めることになりましたが,その頃には,開設当時の「終生保護論」に疑問をもち,本人の願いを聞いて、地域移行を進めようじゃないかという職員の声も強くなっていました。

こうした状況の中で「太陽の園」は地域移行に取り組んでいくわけですが、このとき大反対したのが親たちでした。もうほとんど100%と言われるぐらい、「この子を施設に預けることができて、これで安心して死ねると思っていたのに、施設から出て失敗したらと考えるとおちおち寝てもいられない。もし失敗したら,だれが責任を取るのか」と私たちに詰め寄るという状態でした。こうした親たちの不安を受けて,私たちは親たちに三つの約束をしました。一つは、「施設を出てからも、ずっと継続してお世話します」ということです。施設に籍があるかないかに関係なく、伊達の町にいる限り,一生涯にわたってお世話しましょうということを約束しました。二つ目は、施設から出ることによって親元に帰されるのではないかという心配をする人が多かったので、本人や家族が望む場合を別として、「親元に帰すということを地域移行の原則にしない」ということにしました。三つ目は、失敗したら再び施設に戻れるのかということが親の一番の不安でしたので,「失敗したらいつでも受け入れる」ということを約束しました。たとえ施設に空きが無くても,いろいろな創意工夫の中で必ず施設に戻れるようにしますと言うことを約束しました。

この三つの約束をすることによって,親たちの中から、「そこまで言うのなら、本人が望むように地域移行を進めてくれ」という人が多くなりました。こうした経過の中で地域移行への取り組みが始まります。それから36年がたちました。この間約800名の人たちが、施設から退所していきましたが,その際できれば出身市町村に帰るということが原則でした。3分の2くらいの人たちは出身市町村に帰ることができましたが、3分の1の人たちは、出身市町村に帰ることはできませんでした。小さな町や村にはグループホームや日中活動の場が無いというところが多くありましたので,これらの人達は,施設所在地の伊達市に住むことになりました。こうした経過の中で,伊達の町は、人口の1%を越えるたくさんの障害者が住む町になっていきました。

伊達市が「ノーマライゼーションの町」と標榜されるきっかけは、コロニーという大きな400人の入所施設をつくったことによるボタンのかけ違えによるものです。一度集めた人たちをまた地域に分散していくというのは、とても難しいことです。ですから,結果的には,施設の近くの伊達の町に移り住むということになります。今も積極的に地域移行が進められてていますが、中にはもう30年を越える長い期間施設に入所している人もいます。これらの人達の中には,出身市町村にはもう身寄りがいない人もいます。そうしますと今さら身寄りや友達もいない、ただ生まれ育ったところということだけでは,本人も出身地に戻るということを望みません。これからも伊達で暮らしていきたい、施設から出ても伊達の町で暮らしていきたいと言います。

現在「太陽の園」は,開設時の入所定員400名を320名に減らしています。一昨年から新規入所を制限しています。それまでは、移行した分だけ新しい人が入って来ますので,ずっと定員400名の状態が続いていましたが、今は320名になっています。今後も地域移行が進むにつれて、施設の定員を減らしていくことになりますが,今課題になっているのは、どこに移行するかということです。出身地に戻ることが望ましいとは思いますが,多くの人達はこれまで慣れ親しんで来た伊達の市民として,一生涯を終えることになるのではないかという感じを持っています。

これらの人たちの日中活動ですが、約200人の人達が60カ所の一般企業で働いています。伊達は小さな町で、雇用保険適用事業所は600箇所ぐらいしかありませんので,約1割の企業で働いていることになります。働き方は多様な形態で、個別に雇用されている場合がほとんどですが,中にはグループで就労している人たちもいます。一般企業での就労困難な約半数の人たちについては、地域共同作業所や通所施設などの福祉的就労の場が6箇所あり、そこで働いています。

私たちが支援の基本としているのは、一生涯にわたる切れ目のない支援をするということです。一般企業で働いている人が失業した,しかし次の日からは地域共同作業所に通うことになります。地域共同作業所で日中活動をしながら、求人があればまた企業就労に移っていきます。企業就労と福祉的就労の強力な連携によって,支援の切れ目を無くしているのです。

地域生活を推進するためには,地域支援の3点セットが必要だといわれています。一つ目は「住まい」をどう確保していくかということです。二つ目は、「日中活動の場」が必要です。そして三つ目としてこれら生活の場や日中活動の場が地域の中に点在しますので,これらの総合的に支援する「支援センター」が必要となります。一人一人のニーズに合わせてさまざまな相談を受けつけ,それに合わせた支援計画をつくり,具体的なサービスの調整をしていくという支援センターの役割です。「住まい」と「日中活動」そして「支援センター」の3つを、わたしたちは地域生活支援の3点セットといっています。

わたしが勤務する「伊達市地域生活支援センター」には、二つの機能があります。一つは「地域生活者支援機能」,本人への直接支援の役割です。地域に暮らしている人たちのタイプは、1人でアパートで暮らす、結婚してカップルで暮らす、4、5人の仲間とグループホームで暮らす、そして家族と暮らす、の4種類があり,地域以外の選択肢として、先程から話題になっている入所施設があります。

今の日本では、入所施設が一番ケアが手厚く、次がグループホーム、単身者や結婚生活者と自立が進むにつれてケアが薄くなっていきます。そして家族と一緒に暮らしている場合は,すべて家族が面倒をみなさいといった雰囲気があります。私たちの支援のスタンスはそうではなくて,どこに暮らしても安心安全が担保されるように、必要なサービスはきちんと届けるということを目標にしています。

もう一つの役割は、「支援ネットワーク推進機能」で、これは「まちづくり」という間接支援です。障害のある人たちが安心して地域の中で暮らしていくためには、本人だけに視点を合わせるのではなく、障害のある人達の暮らしの条件を整えていくということも重要です。そのため,行政や家族や学校や施設など,あらゆる関係者が力を合わせて,支援のネットワークづくりを進めています。このため支援センターは,いろいろな団体を組織し、「事務局」として活動しおり,現在八つの事務局を担って、あらゆる関係者をつないでいくための活動を展開しています。支援センターの仕事の6割ぐらいは本人たちへの直接支援、4割ぐらいがまちづくりという間接支援で,この2つが車の両輪として活動を進めています。

伊達市における地域住居ですが,昭和53年の「栄寮」が第一号です。まだ日本でグループホームの制度がないころに開設し,その後このタイプの専用下宿が次々とつくられていきました。最近も平成16年度1年間の間に全部で11戸の住居が開設されています。このように伊達市では月に約1戸の割合で障害のある人たちの住まいが増えていっています。最近の開設住居の特徴ですが,単身生活や結婚生活者の割合が多く、グループホームから自立生活へと移行する人たちが多くなっています。

住居の支援形態ですが、グループホームの中には比較的障害の軽い人たちを対象にした、世話人さんが食事を中心とした朝夕だけケアするという通勤タイプもありますが,今伊達で増えているのは、24時間型、つまり世話人さんが24時間ホームに常駐するという形態のホームです。1ホームに1人世話人さんが常駐する訳ですから,そういった面では、入所施設よりもケアが手厚いことになります。入所施設だと20人に1人とか、50人に2人位の宿直となりますが、4~7人のグループホームに1人の世話人さんが24時間いる訳ですから,圧倒的に手厚いということです。それから、13組26人の結婚カップルを支援していますが、ほとんどの人達は食事つくりが苦手です。それで家事援助としてホームヘルプを使ったり、お金にゆとりのある人たちは自分たちでお金を出しあって世話人さんを雇ったりしています。

時間が来てしまいました、最後に北海道の地域移行の取り組みですが、これまで北海道では、養護学校等を卒業して毎年100人ぐらいの人が新たに入所施設に入っていました。この受け入れのために、入所施設から100人くらいの人がグループホームに移行します。こうした流れの中で,北海道では毎年100人分ぐらいのグループホームを新たに開設していました。100人がグループホームに移行して100人を新たに受け入れるということですから、入所施設はいつもいっぱいの状態でした。このようにいつも満杯ですと、本人や家族のほうでは1回施設から出るともう戻れないのではないかと言った不安や、今は家族と暮らしているが年を取ったら不安だから、施設の籍が空いたときに早めに入所しようと言った雰囲気があって、まさに身動きの取れない状態が続いていました。

これではいつまでたっても入所施設は減っていかないということを、北海道のほうに働きかけてきましたが,これを受けて北海道は「緊急整備計画」ということで17年度と18年度の2年間で、400人分のグループホームを緊急に指定しました。400人分100箇所というのは、とても大きな数字です。グループホームは全国で4,857箇所あり、約2万人の人たちがグループホームで暮らしています。最も多いのが北海道で545箇所。次が大阪で483箇所。ところが香川県のように12箇所しかないといった県もあり,100箇所以上は12しかありません。そうした中で、北海道がいっぺんに100箇所400人分を指定したということは、まさに画期的なことだと思います。

このグループホーム指定に際しては、「指定に関する新しい視点」として、これも私たちのほうで強く言ってきたことですが、一点目は財源の問題も含めて、グループホームを指定するときは、入所施設の定員を削減するところを最優先にするということです。こうした指定の優先順位の中で、20ぐらいの施設から入所施設の定員を削減してグループホームを開設したいという申し出がありました。二点目は、これまでのグループホームは比較的障害の軽い人たちを対象にして来ましたが,これからは重い障害を持っている人たちのグループホームの開設に取り組む、そういうところを優先的に指定するということです。三点目として、グループホームは必ずしも終の棲家ではない、障害の重い人たちはそういった場合もあるかと思いますが、グループホームで暮らしている人たちの中には、一人暮らしをしたい、結婚をしたいという人も多くいます。そういった面を考慮して、グループホームからさらに次の自立した生活へという取り組みをしているところを優先しようということです。