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厚生労働科学研究・障害保健福祉総合研究成果発表会

みて、きいて、はなしあおう、元気の出る話

地域移行・本人支援・地域生活支援 東京国際フォーラム

分科会4「地域移行と地域生活支援を考える」

河東田  ありがとうございました。端的に短い言葉で伝えられると、ときには刺激的な言葉に聞こえるかもしれませんが、彼女の思いも込められた調査結果を今のような形で報告していただきました。

予定よりも10分ほどオーバーしてしまいましたが、どなたか今の発表についてご質問がございましたら出していただきたいと思います。いかがでしょうか。

では、これから、3人でのやりとりを行っていきます。その後皆様にもご参加いただき、話し合いを進めていきたいと思います。

まず小林さんに、私から質問をさせていただきたいと思います。皆様からいただいた内容ともかみ合ってくるものではないかと思いますので。

北海道・伊達での取り組みは、私たちに刺激を与えてくれました。地域移行のモデルともなっていきました。例えば、三つの約束三つの条件ということで言われた内容、例えば条件で言いますと、住まいの確保、日中活動の確保、そして相談事業・相談支援の確保、つまり地域生活支援センターの確保が条件となってくるだろうと思われます。十数年の取り組みの中で、このことを証明してこられたのではないかと思います。伊達という町が障害を持つ方々を数多く受け入れながら、ほかの町とは異なる取り組みが展開されてきました。その延長線上に北海道での取り組みがあり、予算も確保しながらしっかり計画を立てようという考え方になってきたのではないでしょうか。

そこで小林さんにお伺いします。「太陽の園」はもともと道立の施設でした。現在は事業団が運営をしていますが、北海道という行政が後ろ盾になりながらさまざまな支援をしてきたのではないかということです。ところが、日本の福祉施設の75%もしくは80%近くが民間で成り立ってきました。そこで、「太陽の園」の取り組みがどの程度、どんなふうに今後民間施設に影響を与えていくのかをお教え下さい。

小林  伊達市に障害のある人たちがいっぱい住んでいるので、特別な町じゃないかという印象を持っている人も多いかと思いますが、全くそんなことはありません。それぞれの町の中には,たまたまお年寄りが多くいる田舎町もあるでしょうし、東京のように大学があって若者が多く集まっている都会もあります。そこが暮らしやすかったり、あるいはそれぞれの目的があってそこに住んでいるのだと思います。同じように伊達市は障害のある人たちが多く住んでいるというだけのことで、ほかと変わりのないごく普通の町です。もう一つの質問ですが、先ほどの杉田さんの話にもありましたが、日本の場合は、施設解体とか地域移行を進めているのは公立施設が中心です。公立施設は、法律が変わったり、その県の知事の判断で,施設を解体することは可能です。ところが日本の施設の8割は社会福祉法人が運営しています。これは民間ですから、行政指導には限界があります。「あなたのところの施設をいますぐ解体しなさい」といった一方的な関与は難しいと思います。欧米などは,州立施設が中心ですので,地域移行がし易かったと思いますが,日本は民間施設が中心ですので,法人自らが決断しない限り,施設解体は難しいと思います。かといってノーマライゼーションを標榜しながらさらに入所施設が増えていく現状については、厚労省も,自立支援法の制定を機会にその流れを変えようとしています。今までは何事につけても入所施設にいるほうが有利でした。例えば施設にいると障害年金が使い切れなくて貯金ができ、地域に出るとお金がかかるので家族が地域移行に反対します。職員にとっても、施設に勤めると職業として成り立つけれども、グループホームの世話人さんやホームヘルパーだと独立した職業として家計を維持することができません。ですから、大学で一生懸命河東田さんが地域支援の講義をしたとしても、学生さんがそちらの方向で就職しようと思ってもなかなか自立した給料をもらえる就職先がないと思います。最近日本では福祉系の大学が増えていますが,ここに大きな矛盾があります。ですから、これまでの「施設が得で地域支援は損」ということがないよう,条件をイコールにする,イコールフィッティングが自立支援法の基本的な考え方です。こうした時代の流れの中で、民間社会福祉法人も地域支援の方向にシフトして行こうという動きが出てくるのではないかと期待しています。

河東田  ありがとうございました。もしこのことに関して皆様方から何かご意見がございましたらお受けします。いかがでしょうか。恐らく80%の民間でまかなわれているさまざまな取り組みが今後どうなっていくのか、とても不安、もしくは難しいのではないかということも含めてご意見をいただきたいと思います。また、今後地域内格差だけでなく、施設間格差も出てくるのではないかと思うのですが、いかがでしょう。これは避けては通れない論議の一つかと思いますので、まず皆様方からご意見をいただければと思います。いかがでしょうか。

小林  「太陽の園」や私が勤務している「伊達市地域生活支援センター」を経営している北海道社会福祉事業団は、大変な決断ですが、来年4月から完全民営化します。このことによって、予算を5年間で4割削減し,10年後には、正職員と臨時職員の比率を半々にします。また今年度勧奨退職制度を導入し,42名が勧奨退職に応じています。「太陽の園」は地域移行を進め,入所定員を80名削減しましたが,その裏返しとして職員の勧奨退職があったり、当分は新職員を全く採用できなくなったり、今までもらっていた給料が6割になったりといった大きな犠牲を伴うことになります。

河東田  今おっしゃられたことは、東京都でも起こっております。間もなく同じような動きが出てくるはずです。このような動きはほかの自治体にも確実に広がっていくと思われます。これから大変な時代がやってくるわけですが、それぐらいの大きな動きをしていかないと地域移行は進んでいかないのでしょうか。なかなか解決困難な問題ですが、状況は時々刻々動いているということの認識だけはお互いにしておきたいと思います。

もう一つ、小林さんにお伺いしたいと思います。伊達の町に多くの利用者がやってこられました。さまざまな人たちによって多くの取り組みがなされていくわけですが、「地域に移り住みながら地域の方たちと生活をともにしていくためには意識の啓発が必要なのではないでしょうか。特に、反対している親御さん、地域住民、職員、こうした人たちの価値観が変わっていかないといけないだろうと思います。そのためには、どうしたらいいと思いますか。おっしゃっておられますが、このことについてはいかがでしょう。もし変わってきたとしたら、変わってきた力は何だったのか、それをお教えいただきたい」と思います。

小林  先ほどの杉田さんの発表の中で、A施設の地域移行は訓練中心にかたよっているという批判的な意見がありました。私は23年間入所施設に勤務しましたが,そのときは明らかに訓練中心の考え方でした。昭和61年に障害基礎年金制度ができるまでは,働いてお給料をもらえる人だけが地域に住むことができました。グループホームなどの制度もありませんでした。ですから働いてお給料をもらって,そのお金で家賃を払い御飯を食べていく,これが自立だ,だから頑張りなさいと,頑張れコールを送り続けました。そのために体力づくり、生活自立プログラム、職業自立プログラムをトレーニングの3本柱として,徹底して訓練に取り組みました。多くの入所施設の地域移行は、そういったところからスタートしました。

そんな時代の施設から地域への移行は、職場開拓から始まります。日本は、欧米と比べて知的障害のある人たちの一般企業での就労率は高いと思います。伊達市でも,今は200人近い人が60カ所の企業で働いています。しかし最初はなかなか障害者を雇ってくれるところはありませんでした。ですから,障害のある人たちが働けそうな豆腐屋さんとか,木工場,お菓子屋さんなどを電話帳で調べて一軒一軒回りました。その時に、ほとんどの企業から、「大丈夫か?」と言われました。それは働けるのかという意味もありましたが、もっときかれたのは「火をつけないか」とか、「盗まないか」とか、「子供に悪さしないか」といったことでした。ですから最初は「私たち職員も一緒に働きます」,「実習という形で賃金は要りません」というところから始まりました。何しろ30年以上も前のことですから私たちも若かったし,本人たちもよく頑張ってくれました。そうした中で,「もう職員はついて来なくていいよ」ということになり,また「雇ってもいいいよ」という風に変わって来ました。障害者が実際に働いている様子を見て他の企業でも徐々に採用が増えていき,だんだんと障害者の雇用が拡大していきました。

「住まい」についても同じで、最初はだれも家を貸してくれませんでした。手頃な物件があって貸してほしいというと,必ず「火事を出さないか」といわれます。ですから最初は職員が一緒に住み込みました。それから町内会にも事情を説明にいきました。それでも、なかなか貸してくれなくて、たまたまお花のボランティアに来ていた春木さんという方が、ボロボロの下2戸、上2戸のアパートを持っていて、下の1戸が空いたから貸してあげるよと言ってくれたのが,伊達の地域住居の始まりでした。ところが隣の人が引っ越してしまいました。障害者の隣に住むということが不安だったのではないかと思います。「これ幸い」と思って隣も借りたら、二階の人もいなくなってしまい,アパート全部を借りることになりました。その家はボロでもうなくなっていますが,伊達の地域生活支援はそういうところから始まりました。

今は逆に障害のある人たちが借りてくれるなら,新たに借家を建ててもいいよという人が多くいます。家賃を取りっぱぐれることはないし、何かあったら私たち支援者が飛んでいきます。最初によく言われことは、「障害者はよく知らないけれども、あんたたちを信用して貸すよ」と言うことでした。ケアする側を信頼できるかどうかということが,市民や家族の理解を得るための原点だと思います。デンマークのことわざに、「見えなければ思うことがない」というのがあるそうです。伊達の町には300人以上の知的障害のある人たちが住んでいますから、隣に住んでいたり,一緒に会社で働く場面が日常的にあります。朝出勤するとき,障害のない人たちは車で移動しますが,子供と障害者は歩くか自転車です。だから町に障害者が歩いていたり,暮らしていることが当たり前の風景なのです。いつも障害者が見えるようになると,市民の方々はあっという間に障害者になれていき、どうして障害者を疎外するのか、そのほうが不思議だと思うようになります。

私たちは最初必死になって訓練により障害者が町に適応できるように努力しました。しかしこれには限界があります。そうではなくて、あくまでも町のほうに、市民のほうに障害者に慣れてもらう,理解を深めてもらうということが、とても大事なことなのではないかと思います。