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厚生労働科学研究・障害保健福祉総合研究成果発表会

みて、きいて、はなしあおう、元気の出る話

地域移行・本人支援・地域生活支援 東京国際フォーラム

分科会4「地域移行と地域生活支援を考える」

河東田  ありがとうございました。質問をくださった方、とりあえずそれでよろしいでしょうか。今、お話を伺っていて私なりに感じたことが二つございます。一つは日本の特徴かと思う部分と、もう一つは外国ではどうだろうということです。そこで、次にレスリーさんに質問してみたいと思います。小林さんのお話を伺いますと、約20年ぐらいものすごい努力の積み重ねがなされながら、ようやく今新たな法制度ができて、国がかりで動かそうとしている。そういう地道な積み重ねの後に法制度ができるという動きが、欧米にはたくさんあります。オーストラリアではいかがでしょうか。

レスリー  まさにおっしゃったとおりだと思います。いろいろな政府に働きかけるというようなロビー活動とか懸命な努力が必要ですが、小林さんのおやりになったこと、大変私は感銘を受けながら聞いておりました。町に出て一つひとつやっていくというやり方、これは非常に重要だろうと思っています。70年代にオーストラリアでも状況が変わり始めたのですが、法律的枠組みを作るのに1986年まで待たなければなりませんでした。

河東田  ありがとうございました。国という枠を越えて同じようなプロセスをたどりながら努力の結果として法律や制度が整えられていっているようです。

先ほど小林さんがケアをする人を信用してもらえるかどうかだとおっしゃいました。苦労の多い実践が地域には数多くあるわけですが、そうしますと、私たちが信用されるようにするために苦労を厭わない仲間がたくさん増えてこないといけないわけです。そうしますと、当然のごとく職員の研修、彼らにかかわるスタッフやヘルパーの研修が求められてくると思います。レスリーさん、オーストラリアではどのような職員研修をなさっておられるのか、をお教え下さい。

レスリー  技術面でのトレーニングも必要ですし、大学教育といったものが必要になってくる場合もあります。しかし、直接的にケアをするということになりますと、コミュニティで生活をする人に対する支援をするための訓練を受けてその種の資格を得なければなりません。そういう意味では、多くの組織が行っている職員研修の中に、価値観の変容を迫るような訓練が行われなければならないと思います。

河東田  ありがとございました。しかし抽象的でわかりにくかったかもしれませんので、次の質問に答えていただいて、もっと具体的にしていきたいと思います。「レスリーさんのご発言の中で、施設スタッフが持っている支援技術は、地域生活支援には役に立たないと言われておりました。具体的にどういうところがだめなのか、変容のための研修とはどんなものなのかをお教え下さい。」レスリーさん、いかがでしょうか。

レスリー  変わりたいと思っているけれども、施設で覚えた価値観をそのままコミュニティ生活の中に持ち込むような職員もいらっしゃいます。また、全然自分の考え方を変える必要はないと思っているような人もいます。そういう人は、もはや障害に関わる仕事には向いていないと思います。自然にやめていくということになります。では訓練の中でどうやっていくのかということになります。従来のものとは違ったものの考え方をするにはどうすればいいのかといったトレーニングをしますが、その際、やはりお手本になるような人がいて、その人が従来型の枠にはまった考え方ではない、よりしなやかな考え方、しなやかな仕事のやり方といったものを示す、お手本になるような人がトレーニングの場に来て話をしたりお手本を示したりすることが必要になります。

河東田  ありがとうございました。

小林さんのところで、さまざまな地域移行の取り組みをされてこられました。恐らく同じような悩みや課題を持っていらしたのではないかと思いますが、地域生活を支援をするにあたって今までどのような職員研修を行ってこられましたか。

小林  格別なことはしていません。ただ、私どものスタンスとしてとても大事にしているのは、職員間の共通認識を図るということです。ですから、朝の打ち合わせ、夕の打ち合わせ、夜の打ち合わせと毎日3回の職員ミーティングをやっています。あとは毎週行っている職員会議等の中で,研修的な要素を取り入れ、理念や支援技術の共通化を図っています。

河東田  ありがとうございました。

では、杉田さんに伺います。先ほどの報告の中で、職員研修についても触れておられました。地域に出ていっても、また施設化が再現されてしまう危険性があるため、職員研修がとても大切なのではないかと言われましたが、杉田さんならどのように答えられますか。

杉田  実際に職員に研修をしたこともありませんし、何が言えるというわけではないのですが、調査をしていて驚いたのは、先ほどレスリーさんが言われたように、入所施設に長くおられた職員の方は地域に出られても、同じかかわりをしているということです。それが職員のすることだと思ってらっしゃるようです。つまり何でも決めてあげる。そうすることがサービス提供だと考えておられる方が多いように思いました。

小林さんのお話をうかがっておりますと、地域の人にわかってもらうという発想ではなくて、ボランティアをしたり、何かいいことをして気に入ってもらおうというかかわりのように思います。真実を隠すと言ったらおかしいですが、とにかく適応しないといけない、そのままではいけないというような発想のように思えてなりません。

お話を聞いていていいなと思ったスタッフが、Aという施設におりました。在宅からグループホームに来られた方がおられて、「寝る時間が決まっているのはおかしいじゃないか」と言われたそうです。そのスタッフの方は、「ああ、自分たちはおかしいんだ」と気づかれました。伊達の職員の方にも同じような気づきをされた方がおられました。昔は施設でいちいち今日は何をやるかという報告のミーティングをやっていたけれども、地域でグループホームに分かれて住むようになると、ミーティングは物理的にできなくなってしまい、「今まで自分たちは不自然なことをやっていたんだ」ということに気づかれたそうです。「そんなものはむだだからやめてしまおう」ということになったそうです。そういう気づきから新しい動きが生まれてくるのではないかと思っています。

河東田  ありがとうございました。職員研修につきましても皆さんからご意見をいただければと思っているのですが、もう少しやりとりをさせていただいた上で、1、2ご意見をいただきたいと思います。

先ほど小林さんは、「のぞみの園」のことを例に出して、北海道出身の方については何とか受け入れの枠をつくろうとしているとおっしゃいました。東京都にも同じように都外施設がたくさんあります。同じような動きになればいいのですが、なかなかそうはならない。いろいろな理由をつけて渋っているのが実態です。そのことについて小林さんはいかがお考えでしょうか。

小林  都外施設の問題は、受け皿ができて東京に戻ってこれればそれに越したことはないと思います。都外施設に入所している人は4,000だったか6,000だったか、そのぐらいの数がいると思いますが、果たしてその受け皿をつくっていけるのかどうかというとはなはだ疑問です。

望んで秋田や青森の施設に行った人は少ないと思いますが,住めば都で20年、30年と暮らしてしまうと、東京よりそこのほうが居心地がよくなっている人もいるかもしれません。例えば私の子供のころ集団就職という言葉がありまして、北海道の田舎では就職先がないから,わたしの同級生も中学や高校卒業と同時に東京に就職した人がたくさんいます。そして長年東京に住んでしまうと,もうほとんど田舎に戻る人はいないと思います。来るときは泣く泣く来たかもしれないけれど、長く住むと,そこに親しい人間関係ができて、いつの間にか一番居心地のよい場所になってしまうということもあります。同じように,障害のある人たちも何が何でも生まれ育った所に戻らなければならないと言うふうに考える必要はないと思います。最終的には、本人がどこで暮らしたいのか、現住所か出身地か,選べることが大切です。東京に帰りたいという人を「あなたは東京には戻れない,だから都外施設で暮らしなさい」という状態にしてしまうのは、とても不幸なことだと思います。