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韓国障害者差別禁止及び権利救済等に関する法律
内容と制定過程

2008年4月
DPI日本会議
崔 栄繁

目次

I.はじめに

2007年3月6日、お隣の韓国で「障害者差別禁止及び権利救済に関する法律」が第265期国会にて採択された。本格的な差別禁止法制定運動が始まって7年目のことである。

1990年代中旬から、世界各地にアメリカなどの障害者の差別を禁止する法律が広く紹介され始めた。そして、2000年10月にアメリカのワシントンで開催された「国際障害者法シンポジウム」という会議が、さらに広く世界各地の関連情報を発信する契機となった。

この会議はDREDF(ドレドフ;DISABILITY RIGHTS EDUCATON & DEFENSE FUND; 障害のある人の権利教育・援護基金)という団体が、ADA(障害を持つアメリカ人法)制定10周年を記念して開催したものである。DREDFとは、バークレー自立生活センターの法律サービス部門が1979年に独立して、障害者やその家族の中の法律専門家によって結成された権利擁護団体である。

この会議には日本からも多くの人が参加した。運動に関わっていた法律家とDPI日本会議の副議長をつとめる平野みどりも参加し、世界の情報を国内に紹介したのである。実は韓国も似たような状況であった。参加者は特定できていないが、世界の状況を韓国内に知らせ、運動の起爆剤となったのである。

韓国の障害者は、家の伝統の強い社会、経済成長優先社会の中で、偏見と劣悪な福祉的サービスの状況に置かれながら声を上げ続けてきた。交通アクセス運動における移動権獲得の闘い、国連障害者の権利条約(以下、権利条約)策定の交渉における官民一体の積極的な姿勢など、世界の注目を集めてきている。差別禁止法に関しても、障害者団体は主張や立場の違いを超えた大同団結を行い「障害者差別禁止法推進連帯」(以下、障推連)を結成し、政府・議会に圧力をかけ、社会に訴えてきた。本稿はⅡで差別禁止法の内容と今後の課題を、Ⅲで、障害者運動を中心に差別禁止法の制定過程についてまとめた。障害者の積年の想いが法律に結びついたということが伝われば幸いである。

II.差別禁止法の内容

1.基本構造と特徴

本法は、全50条と付則から成る。第1章「総則」、第2章「差別禁止」、第3章「障害女性及び障害児童等」、第4章「障害差別是正機構及び権利救済等」、第5章「損害賠償・立証責任等」、第6章「罰則」という構造になっている。第3章では、障害女性と子どもについて2章とは別に差別禁止規定をしている。また、本法の一つの核となっている権利救済規定と損害賠償等の司法救済、罰則を別立ての章にしている。第2,3章の構造については、基本的に「差別禁止」⇒「合理的配慮義務」(正当な便宜供与義務)という構造となっている。全文訳については、DINFホームページを参照されたい。
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/law/anti/korea.html

ここで簡単に本法の特徴を挙げておく。まず、障害に基づく差別の類型について、権利条約にも規定されている直接差別、間接差別、合理的配慮を行わないことという差別の3類型の他、不利な待遇を表示し、助長する広告を行うこと、またはそうした広告自体を許容して助長することの4つとなっているのが特徴となる(4条1)-4)。

また、私人間における行為についての規定に加え、国や自治体に対しての規定もかなり見られる。排除等の不利益取り扱いの禁止、施策の推進義務、正当な便宜供与規定が、事業者だけでなく国や自治体に対してもなされているのである。例えば、「移動及び交通手段等における差別禁止」条項である19条の6)「国家及び地方自治体は、運転免許試験の申請、受験、合格の全ての過程で、正当な事由無しに障害者を制限・排除・分離・拒否してはならない。」は、不利益取り扱いの禁止であり、同条7)「国家及び地方自治体は、障害者が運転免許試験のすべての過程を、障害者ではない人と同等に経ることができるように正当な便宜を供与しなければならない。」はいわゆる合理的配慮義務である。また、性での差別禁止条項である29条の3)「国家及び地方自治体は、障害者が性を享有する権利を保障するために、関係法令で定めるところにより必要な支援策を講じ、障害を理由にした性に対する偏見・慣習その他のすべての差別的慣行をなくすための広報・教育をしなければならない。」は、施策推進を規定したものだ。これらをみると、私人間の差別禁止を越えた部分も見受けられ興味深い。

救済に関しては、国家人権委員会内に設置された障害者差別是正小委員会がその事例調査と救済業務を行うこととなっている。同委員会には、勧告の権限のみが与えられており、是正命令権は法務大臣が持つこととなっている。司法救済に関しては損害賠償での救済となるが、加えて、刑事罰も併せ持つという特徴がある。

さらに、本法は国際的な流れの影響を受けている。本法制定に大きな役割を果たした当時の韓国の政権与党である「開かれたウリ党」(当時。現在は大統合民主党)所属の張香淑(チャン・ヒャンスク)議員の資料「障害者差別禁止及び権利救済に関する法律制定にあたり」等から、権利条約の採択や各国の立法事例が本法制定に影響を与えている。後述のように条約の条文が本法の規定に影響を与えた例も見られる。

2.内容

(1)総則部分

1) 目的(第1条)

障害に基づく差別の禁止と被害者の権益救済によって、完全な社会参加と平等を実現し、尊厳と価値を具現するとなっており、完全な社会参加と平等による尊厳の確保が本法の究極にある目的である。

2) 2) 障害の定義・適用範囲(2条ならびに6条)

韓国の障害者福祉法に沿った医学モデル的な規定になっている。しかし、6条の「差別禁止」条項で過去の経歴や推測されることを理由にした差別を禁止しているため、同法の適用を受ける障害者の範囲を実質的に広げている。

2条は、障推連が最後の最後に妥協を余儀なくされた部分である。障推連は当初より医学モデルと社会モデルの調和型を主張し、障害の期間について長期・短期・一時的全て盛り込むことや過去や未来に推測されることを2005年の民主労働党案として盛り込んだ。これに対し保健福祉部(厚生省)は、既存法との調和、判断の容易性、障害者の権利条約(1条)などを理由に反対した。権利条約が本法制定過程において、影響を与えているのがわかる。ここは、障推連が法律制定を優先するという理由で政府に対して譲歩したのであるが、6条に一部を勝ち取ったということになる。

3) 用語の定義(3条)

かなり詳細なものとなっている。14項の「福祉施設」では法律的に承認されていない保護施設も含んでいる。20項「いじめ」では、集団仲間はずれ、放置、遺棄、いじめ、嫌がらせ、虐待、金銭的搾取、性的自己決定権の侵害等とされており、広い範囲で具体的に規定している。

4) 差別行為(4条)

本法の核心の一つとなる障害に基づく差別の規定である。障害者の権利条約と同水準あるいは多少広くとらえており、直接差別(4条1)-1)と間接差別(4条1)-2)、合理的配慮(正当な便宜供与)の拒否(4条1)-3)、不利な待遇を表示・助長を直接行う広告あるいは効果(4条1)-4)という 類型に分けて規定している。

4条1)-2は、「障害者に対し、形式的には制限・排除・分離・拒否等により不利に遇してはいないが、正当な事由なしに障害を考慮しない基準を適用することにより、障害者に不利な結果を招く場合」という間接差別規定である。2005年に改正されたイギリスの性差別禁止法の1条(2)項の(b)で、「規定、基準、または取扱いを、男性に適用するのと同様に女性に適用、または適用するであろう場合に」とあり、同(b)項の(ⅰ)で「それが男性たちと比較して女性たちが特定の不利益を与え、あるいは特定の不利益を与えるだろう場合であって」とある。これによると、障害者に対して一見中立の基準などが適用される恐れがある場合、又は、不利な結果を招く恐れのある場合も、結果が出ていなくとも間接差別となる。韓国法では「結果を招く場合」としか規定されていないようであるが、今後の展開に注目したい。

さらに、障害に基づく差別に「正当な事由なしに、障害者に対する制限・排除・分離・拒否等、不利な待遇を表示・助長する広告を直接行い、或いは、そうした広告を許容・助長する場合。この場合広告は、通常、不利な待遇を助長する広告効果があるものと認められる行為を含む。」という類型を設けている。本法の直接差別の規定では、障害者を不利に遇する場合に差別を構成するという書き振りになっているため、広告効果に対しても縛りをかけたと思われる。少なくとも権利条約では見られない規定である。

5) 合理的配慮(正当な便宜供与)

本法では合理的配慮は「正当な便宜供与」とされ(4条1)-4)、合理的配慮の適用除外は4条の3に規定されている。合理的配慮の適用範囲の「段階的範囲」は大統領令で定めるとなっており、大統領令の内容が非常に重要となる。「段階的範囲」がどのように決まり適用されていくのか注目される部分である。

6) 自己決定権と選択権

7条では自己決定権を規定し、障害のない人と平等に選択するためのサービスと情報が提供される権利があるとされている。非常に重要な条項であり、1条の目的と共に、非差別・平等、実質的な機会の均等という本法の原則規定といえよう。

(2)第2章 差別禁止(各論部分)

いわゆる各論部分では雇用や教育、アクセスや不動産取引などを含む財、司法などが個別部分として規定されている。この章は基本的に、「~差別をしてはならない」という差別禁止の条文をまず置いて、その後に合理的配慮(正当な便宜供与)義務規定を置くという形になっている。雇用と教育における合理的配慮はかなり詳細にわたる印象がある。

1) 雇用(10~12条)

募集から解雇までの差別を禁止している。11条は合理的配慮規定であり、12条では採用以前の医学的検査を禁止している。

2) 教育(13~14条)

第2章第3節であり、注目すべき部分である。13条1項で教育責任者は障害者の入学支援及び入学を拒否できず、転校を強要できない、としている。韓国の就学先決定の制度について詳細に分析する必要があり、原則統合教育を前提にしているとはここでははっきりと言い切れないが、多くの可能性を持つ条項である。本法35条3項の規定なども参考に、未就学児童がまだ多いといわれる韓国の動きに注目したい。

3) 財と領域(15~25条)

第2章第3節である。動産や不動産取引、建物や交通機関へのアクセス、情報アクセス、文化芸術活動や体育活動における差別を禁止している同節は11の条項からなり、広範な分野をカバーしている。ここでは、同一条項内に差別禁止と合理的配慮義務規定を置いている場合がある。

個人情報保護を規定する22条の3)では、障害児童と精神障害者等の本人の同意を受けることが難しい障害者の代理行為者は民法の規定を遵守する、となっている。この規定は現行法制度と権利条約12条の関係で注目される。これに関しては、本稿Ⅳの2で課題提起をする。

4) 司法・行政、サービス及び参政権(26~27条)

第2章第4節に当たる部分である。ここでは、公共機関とその所属員に対して、司法・行政手続のサービス提供における直接又は間接差別を禁止し、許認可等、権限行使においても差別を禁止するという、徹底振りである。また、正当な便宜供与についても、サービス等の提供から司法手続き、あるいは拘禁・拘束状態での提供を定めている。

5) 父・母権や性等(28~29条)

第2章の第5節「母・父性権・性等」は、いわゆる性と生殖の権利を規定する節である。28条では、妊娠や出産などの生殖に関することと親や家族であることの権利が定めてあるほか、同条3)で、保育施設や児童福祉施設とそれらの従事者は、父母が障害者であることを理由に子どもを区別したり、不利益を与えたりしてはいけないという規定をしているのは興味深い。

6) 家庭・家族・福祉施設・健康権等(30~32条)

第2章第6節となる。30条は非常に興味深い条項のひとつである。福祉施設職員だけでなく、家庭内や家族関係によるさまざまな障害者に対する不利益な取り扱いを禁止している。特に3)では、障害を理由に教育権や社会活動、移動や居住の自由を制限してはならず、権利行使から排除してはならないとしている。これらの規定は、ある障害者の家族がその障害者に対して一番差別者になりうるという障害者の経験がここに生かされている。自立生活運動などの影響が感じられる部分である。

(3)第3章 障害女性及び障害児童等

別立ての章で障害女性や障害のある子どもについての規定がされている。韓国では、女性障害者という言葉は使わず障害女性性による差別の禁止は28条で禁止しているが、これは、韓国が障害分野のみならず、女性問題に取り組んできた政治的・社会的な経緯があると思われる。

(4)第4章 障害者差別是正機構と権利救済等(38~45条)

本法の一つの中核をなすのが、第4章以下の救済に関する規定である。さまざまな限界はあるにせよ、運動側が主張してきた実質的な救済を実現すべく随所に工夫が見られる。是正命令権や懲罰的賠償制度の導入、挙証責任の問題は、障推連と政府側が最後まで意見が対立した部分である。

1) 差別是正機構

差別是正機構については38条から42条に規定されており、国家人権委員会の「障害者差別是正小委員会」が本法における救済機関となる。救済機関は大きな争点のひとつであった。当初より障推連側は、国家人権委員会からも法務省からも独立した、勧告だけでなく是正命令が可能な「障害者権利委員会」の設置を主張していた。国家人権委員会は勧告の権限しかなく、実効性に疑問が提起されていたためである。最後は、救済機関は国家人権委員会となり、ここでの救済ができない場合は、当該案件は法務大臣に移る、という形になった(43条)。手続き等に関しては国家人権委員会法に準拠する形となる(41条)。

障害者差別是正小委員会については、構成委員など、障推連関係者あるいは障害当事者がどのような形で参画するのか注目される。施行後、実質的救済がどこまでなされるか見守る必要がある。

2) 是正命令

43条では国家人権委員会の勧告不履行の際に法務大臣に是正命令をすることができるとしている。是正命令の従わないものについては3000万ウォン以下の罰金に処す(50条)となっている。上述のとおり是正命令についても障推連と政府の間における争点の一つであった。法務大臣への是正命令権付与は、是正命令という救済措置を残すための妥協であった。

(5)第5章 損害賠償と挙証責任(立証責任)(46~47条)

1) 46条「損害賠償」

民事法型の本法において重要な条項である。1項では、損害賠償の責任を逃れるためには行為者が故意または過失がなかった点を立証しなければならないとしており、立証責任の転換をしている。一般の不法行為責任は被害者が証明しなければならないものである。また2項と3項は注目すべきであり、被害者の財産上の損害額を、一般の不法行為論では、加害者の行為と因果関係のある損害の存在及び額は、被害者が立証しなければならない。しかし本法では、差別行為をした者が得た利益を被害者の損害額にみなすことと、それでも証明が不可能な場合は論全体の主旨と証拠調査の結果に基き、相当の損害額を認定することができる、と規定している。

2) 47条「立証責任の配分」

紛争の解決において、重要なのが挙証責任の問題である。差別行為があったのかなかったのか、という証明を誰がするかの問題である。当初から障推連は「立証責任の転換」という加害者側の立証責任を主張してきたが、「配分」という形で妥協した。残念な部分でもあるが、少なくとも加害者側も障害に基づく差別がなかったことを立証しなければならなくなっている。

(6)第6章 罰則

本法はいわゆる民事法型であるが、49条において「差別」について厳格な要件を満たした場合、3年以下の懲役または3000万ウォン以下の罰金などの刑事罰を準備しているという特徴を持つ。要件は非常に厳格であり、実際にどこまで適用されるかは不明であるにせよ、興味深い。これは、おそらく障推連が当初より主張していた懲罰的賠償制度を代替するものとして置かれたものと思われる。

III.制定過程

はじめに

韓国の差別禁止法制定過程は日本の運動にとっても非常に参考になると私は思う。大統領制など政治システムが大きく違うことなどもちろんそのまま何かを導入するなどということはできないが、障害者・関係団体に向けてきた活動、政治に向けた活動、社会一般に向けた活動、これら全てが私たちに多くのものを示唆してくれる。これらの活動の結果、制定された法律は当初運動側が作成した法案を土台に作られており、障推連の声が大きく反映された内容となったのである。

差別禁止法の運動に関して、障推連の動きに関連付けて、問題提起の時期、障推連組織構成の時期、法案作りの時期、立法運動期間、具体的な法制定の時期、の5つの時期に分けてみることにする。

(1)問題提起の時期(~2002)

90年代以降、「差別かどうか分からないが気分が悪い、腹が立つ」といった形で障害者が声を挙げだしはじめた。障碍友権益問題研究所など障害団体の相談業務の取り組みを開始し、2000年以降は相談件数が大きく増えてきた。そして、障害当事者の意識の深化とともに、個別案件について既存の法律での解決がだんだん難しくなってくるという現状があった。

そして冒頭にも触れた米国のワシントンで「障害者の権利法制国際シンポジウム」が開催され、韓国にも広く世界の情勢が紹介された。こうした動きを受けて、開かれたネットワーク(열린네트워크、拠点は釜山)、2度の全国巡回を経て障害者差別禁止法を提案するにいたった。また、2002年には障碍友権益問題研究所が国会に差別禁止法の請願を出すなど、差別禁止法を望む動きが顕著になってきた時期である。

(2)障推連組織構成の時期(2003)

主に親の会や専門家が作る団体の集まりである「韓国障害者団体総連盟」は、こうした流れをうけて差別禁止法制定運動への連帯と大衆運動化を提案し、2003年4月、58団体で「障害者差別禁止法制定推進連帯(障推連)」が結成されたのである。韓国DPIなどが所属する「障害者団体総連合会」など、一種の大同団結である。

障推連はそうした多様な団体のネットワークとしてさまざまな工夫をしている。通常の意見交換での単位として、「障害者団体総連盟」「障害者団体総連合会」「重度障害者団体」「障害女性団体」「第3グループ」の5つのグループに分類し、各グループの代表による常任執行委員会を構成した。それぞれの意見を反映させるための枠組みということである。他に差別禁止法草案づくりのための「法制定委員会」と「全体連帯団体」で構成されている。法制定委員会は、実質的に差別禁止法案作成などに当たった部門であり、関係団体のメンバー以外に法律家などが参加している。

(3)法案作りの時期(2003~4)

1) 障推連の活動

できたての障推連は活発な活動を開始した。2003年6月から同年10月まで9回にわたる連続公開討論会を開催している。連続公開討論会は、法制委員会の4つのチーム(分科)のテーマにそった討論の形式を取っており非常に興味深い。例として総則チーム関連は「障害者差別禁止法の理念と哲学の基礎固め」、差別研究チーム関連は「障害者の差別を振り返って」、障害女性差別研究チーム関連は「障害女性の認知的観点から差別禁止法をみる」権利救済手段研究チーム関連は「力のある差別禁止法づくり」といった具合である。大きなうねりを運動側で作り上げようとする障推連の意思を感じ取れる。

2003年10月には、障推連主催で「東アジア国際シンポジウム」をソウルで開催している。日本からDPI日本会議の東俊裕弁護士、香港からRIのジョセフ・クォ香港市立大准教授(当時)が招待され、各国の法律や立法運動の状況を報告した。ここには私も東氏の通訳・コーディネーターとして参加したが、500名近い聴衆が集まって熱心に議論している姿を見ることができた。

2) 各方面から法律草案

まず、政府側の動きとしては、2003年4月、当時与党であった「開かれたウリ党」の前代表チョン・ドンヨン氏が障害者差別禁止法を現ノ・ムヒョン政権下で制定すると明言し、政権公約となった。そして保健福祉部の政府案原案が発表される。しかしこの原案は障害者団体からは当事者参画が全くされず、福祉法的であるという反発をうけ、放棄を要求される。政府他省からも反対され、それ以上の進展はみなかった。これとは別に政権の公約を受けて国家人権委員会では、国家人権委員会法に明記されている19の差別からの保護対象に対する「社会的差別禁止法」案の作成入っている。 。

これに対して、障推連は独自の草案作りに着手する。先述の連続公開討論会の結果を踏まえて、障害者の差別の実態を集め、それを土台に2003年11月から2004年4月までの6ヶ月間、チーム別に草案作りを行った。2004年5月、具体的な差別行為を入れ込んだ草案検討のため、100名がソウルで一泊二日間の大規模討論会を開催し、同年の7月から9月まで、地方の実情把握のための地域巡回公聴会を8つの都市で開催している。そして9月には「障害者差別禁止及び権利救済等に関する法律(案)」(差別禁止法案)を発表し、法学者等の諮問討論会を経て、2004年11月、差別禁止法案修正案を公表した。障推連は、法制定に当たり、1 国家人権委員会から独立した障害者差別禁止委員会の設置、2 実効的な権利救済手段としての是正命令、3 立証責任の転換、4 懲罰的賠償制度導入、などの主要目標を設定している。福祉法ではなく人権法としての手続きを踏ませるため、本格的な場外闘争へと突入する。

(4)立法運動(2005年)

1) 保健福祉部案が撤回

障推連は政府主導による草案作りを阻止し、障害個別の差別禁止法制定のため、2005年3月、障推連を中心とする障害者団体は420障害者差別撤廃団を共同で結成し、障推連の内部には全国障害者差別撤廃連帯を中心に闘争委員会を組織した。まず、国家人権委員会が、社会的差別禁止法以外に、独立した差別禁止法に対する立場表明が必要であるということで、第1次国家人権委員会占拠籠城を行い、ろうそく集会、420撤廃団による障害者差別禁止委員会設置のための公開討論会なども開催している。

一方、国家人権委員会より社会差別禁止法案が提示された。障推連をはじめとする障害者団体は、差別禁止法の主管省庁を法務部(法務省)へという主張を継続した結果、2005年11月、保健福祉部案を大統領府の支持で国会に提出しないこととなった。保健福祉部案は撤回されたのである。

2) 障推連案が国会へ

障推連は、自ら作成した法案の立法運動を本格化させる。各政党の国会の法制司法委員会(日本の衆・参議院の各法務委員会に相当)所属議員に障推連案の発議をする意志があるか質疑書を送付したのである。これに民主労働党が応じ、同党の法制司法委員会所属ノ・フェチャン議員が立法発議することとなった。それに対応して障推連は全権チームを構成し、民主労働党の政策チームとの法案修正を行い、9月20日、国会に発議される。しかし、国会での動きがなかった。

10月、国会で差別禁止法案が再び保健福祉委員会に戻される。障推連は、反駁声明を出し、障推連に所属しない団体や市民団体、社会党などと共同闘争団を結成した。与党関係者と継続協議。年末には国会周辺で69日間のテント籠城を敢行している。この間、剃髪行動やデモなども行っている。さらにこの間、大統領府より、国家人権委員会への差別是正機構の一元化方針により、差別禁止法の議論が中断し、立法運動は座礁に乗り上げた。

(5)政府と国会、経済界の反応・市民社会の拡散(2006)

こうした政府側の社会的差別禁止法へ一元化する動きに対し、2006年2月に障推連は第2次国家人権委員会籠城(50日)を敢行した。籠城の前に障推連の組織を拡大改変し、これによって地方の加盟団体が増大した。そして、2006年中に法制定を目的とした6月から9月の集中闘争「69死闘」を断行したのである。同年9月以降は、地域障推連の結成を本格化させていった(釜山―37団体、湖南―93団体、忠清-27団体、大邱-26団体、済州-7団体)。

そして420闘争団の決議大会などの運動で、国家人権委がついに「障害個別の差別禁止法を作る」との意見を表明した。障推連の目的の一つが達成され、ついに具体的な立法作業へと移っていくのである。

(6)法制定活動(2006~7)

1) 民官共同企画団

2006年5月ごろ、大統領諮問貧富格差是正委員会(差別是正委)が民官共同で差別禁止法の作成をする旨の提案をしてきた。韓国政府がようやく障推連を正式の交渉相手と承認したということである。同等な立場と人員で、という条件で障推連は提案を受容した。この民と官の共同作業の枠となったのは、政府12の関係省庁と障推連で構成する「障害者差別禁止法民官共同企画団」である。企画団会議が7回、小委員会が5回開催された。ここでの議論のベースとなったのが、民主労働党ノ・フェチャン議員が発議した法案すなわち障推連案であり、この意義が大きい。差別是正委が障推連の立場を理解し、政府への仲介を行い、共に議論を重ねるうちに政府側も次第に理解を深めていったという。しかし、差別禁止委員会、是正命令、懲罰的賠償、立証責任については意見が分かれたまま9月に企画団案が作成され、国会審議が本格的に開始されるのである。

2) 政党の動きと財界への運動

政党側の動きも企画団の動きに前後して活発になってきている。企画団案が出される直前にウリ党の障害当事者議員であるチャン・ヒャンスク議員案が示された。しかし結局、ウリ党は党内の議論を経て企画団案を党論と決定し、チャン議員代表で12月18日、54名で共同発議した。

一方、保守系巨大野党のハンナラ党はこれまで一度も障推連と正式に面談したことがなかった。しかし、ウリ党の動きに対して障害関係議員が動き出し、全盲のチョン・ファウォン議員が障推連と企画団案を取り入れた法案をハンナラ答案として38人で共同発議した。ウリ党の発議日と同日の12月18日のことである。ここで2005年に国会にだされた民主労働党案をふくめて3つの差別禁止法案が国会に提出されたことになる。

予想されたことではあったが、韓国の財界は差別禁止法制定後に起業負担の増加を理由に法律制定に反対していた。それに対して障推連はこの年の11月、全国経済人連合と韓国経営者総会に対する糾弾大会を開催し、さらに商工会議所を占拠した。

3) 国会通過、公布へ

国会の会期終了もだんだんと迫ってきていた。韓国は年度が2月で終わり3月から始まることもあり、国会の会期は2月末までであった。なんとか会期中の成立を目指すためにさまざまな取り組みがされた。2007年2月9日、釜山で差別禁止法討論会が開催された。ここでチャン・ヒャンスク議員とチョン・ファウォン議員の立場の違いが鮮明になり、これを障推連が調整した。この調整の結果国会での審議が進むこととなり、保健福祉委員会法案審査小委員会で議論することとなった。ここで懸案として残されてきた様々な問題についての調整がされたのである。例えば、是正命令権は担保したが、救済機関は国家人権委員会とされた。国家人権委員会の権限など、障推連は最後まで独自の救済機関の設置を訴えたが、最後には妥協した。また、家庭や施設での差別や知的障害者への差別への規定を盛り込むこととなる一方、障害の定義などが保健福祉部によって縮小されるなどの妥協を余儀なくされた。こうして2月22日保健福祉委常任委員会対案が完成し、委員会を通過したのである。

他の法律などの関係で国会が6日間会期延長された。3月2日には法制委員会を通りすんなりと行くように思えたが、3月6日にハンナラ党が他の議案関係で議会をボイコットする動きがあり、差別禁止法の成立も不透明になるや、障推連は5日、ハンナラ党の院内代表室を占拠した。こうして最後まで紆余曲折の末、6日の本会議でついに採択の運びとなったのである。4月10日に公布され、施行は公布の一年後の2008年4月11日からとなっている。

IV.まとめ

(1)意義

1) 社会的・法的意義

まず、裁判規範としての法と社会規範としての法という点である。裁判規範性は司法という場面で強制力を持って被害者救済を行えるということで、大きな力となるのは言うに及ばない。ここではさらに、社会規範としての法という点を特に強調したい。障推連のある関係者は、「私たちは差別をした人を罰したくてこの法律を作ったのではない、差別をなくしたいのだ」という趣旨の事を私に言っていた。まさにそのとおりなのであろう。この法律は、ある行為は差別になるんですよ、してはいけないのですよ、という社会へのメッセージとなる。それは、社会の中で一定の規範性を持ってくるもの、すなわち行為のものさしとなる。

また、日本を含む大陸法系の国で初めての本格的な差別禁止法という点で本法は大きな意義を持つ。英米法系ではイクイティ法の伝統から、「衡平ではないこと」、「善ではないこと」から救済の可能性を保障するという考え方がある。これは、不法行為に対して損害賠償による事後救済しか認められない大陸法系と違い、救済命令あるいは是正命令といった作為命令を可能にする。今回の差別禁止法の法制化により、伝統的に「(差別行為を)すること」のみが差別であったのが「(合理的配慮(正当な便宜供与)を)しないこと」も差別となった。すなわち、差別をなくすために「(当該行為を)するな」だけでなく、「(行為を)しろ」という命令を可能にすることである。

一方、懲罰的賠償制度については、英米法系では民事・刑事法を大陸法系ほど厳格に区別しないとされ、民事上の賠償に「悪を懲らしめる」という懲罰的要素の両方を持つADAの懲罰的賠償制度などが可能となるとされるが、韓国では取り入れられなかった。その代わりに49条における刑事罰規定などさまざまな工夫を凝らしている。 韓国ではこうして二つの法体系を超えて立法がなされた。法施行後、どのように実施されるか見守る必要は勿論あるにせよ、日本と同じ法体系をもつ韓国の本格的な差別禁止法の制定は日本にとって大きな意義を持つといえるだろう。

2) 制定過程の意義と効果

まず、法制定までの障害者運動の深い関与の過程は、法律の内容への影響はさることながら、運動側の大きなエンパワメントとなったと考えられる。政府をして一定のパートナーとしての力量を認めさせ、政策決定に大きく関与したことは、関わりを持った障害当事者・関係者の大きな自信になったことであろう。そして、本法の実施において大変重要となる施行令や大統領令の策定等の課題があるが、これらの策定と実施に際して、大きな力を発揮しうる土台を作り上げたのである。

第二に、他のマイノリティ分野への波及が予想される。障推連は制定運動において広く市民社会・組織と連帯してきた。居住外国人、移住労働者など、他の分野における課題について、障害の世界での取り組みが大きな影響を持つのは間違いない。これに関連して、他の人権分野との連携は、法律の周知・啓発の上でも非常に効果がある。

第三に、障害者団体案が国会で審議されたことである。これは運動の戦略を考える際に参考になるだろう。2005年に民主労働党から発議された案すなわち障推連案が、かなりの原形をとどめて発議された。また、先述のとおり民官共同企画団案も障推連案を土台に練られたものであり、結果的に国会審議のベースになったのである。

(2)今後の課題

1) 課題

まず、法律の内容に関して、障害の定義についてである。韓国の障害者福祉法における障害者の定義は日本のそれより広く、顔面のあざなども含まれる。また、6条で実質的に法の適用範囲を広げている。しかし、社会環境との関係において発生する社会参加などへの制限等については明文で触れられていない。権利条約の議論など、障害あるいは障害者の定義はサービス法とも絡んで非常に抵抗が予想された部分である。

二つ目にいわゆる適用除外規定についてである。本法においてはまず4条1)で差別の定義で、「正当な事由なしに」という文言が入れられており、さらに同条3)で、正当な便宜供与義務の過度な負担や職務や事業の遂行の性質上避けられない場合の不利益取り扱いは差別と看做さないとしている。これらの適用除外規定が実際にどのように運営されるのか見守る必要がある。

また、上述したとおり22条などを見ると、権利能力や行為能力といったいわゆる法的能力に関する部分では、現行法にのっとった規定がされている。ここは、障害者が障害のない人と平等に法的能力を有するとした権利条約12条の規定とどのように関連してくるのか注目される。韓国は権利条約批准に際し、12条に関連して条約上の「法的能力」をどのように解釈するかが現在、最大の課題になっていると聞く。この問題は同じ法体系を持つ日本においても課題となるだろう。

三つ目として、施行令と施行規則に関して、である。非常に重要な問題である。現在、大統領諮問委員会である貧困格差・差別是正委員会を中心に、政府関係省庁による「障害者差別禁止法施行のための政府合同推進団」を構成し、施行令等の整備を進めている。障推連等の参画が全く認められていないという。一方、国家人権委員会では施行を前に施行令ガイドラインを障推連と協議をしながら作成している。本法では、合理的配慮の内容と適用範囲についても大統領令で定めるとある。今後の韓国における保守勢力への政権交代の問題もあいまって、これら政省令の策定にどれだけ運動側が参画し、当事者の視点からの内容を盛り込んでいけるのかが問題となる。

さらに最後までもめた救済機関についてである。国家人権委員会が内部に障害者差別小委員会を設け、救済機関としての役割を果たすことになった。しかし、国家人権委は勧告の権限しかなく、法律上、国家人権委員会で調停が不調の場合は法務大臣の管轄になる。是正命令権の問題である。しかし、人権救済に関しては法務省への過度な期待はできないとされており、国家人権委員会の権限強化の運動を進めている。小委員会の委員構成などについても障推連は国家人権委員会と話し合いを続けている。

2) 障推連の改変「障害者差別禁止実践連帯」へ

障推連は差別禁止法制定推進連帯であったので、制定された今、新たな目標に向かって組織名称を「障害者差別禁止実践連帯」へと改変した。これは、法の実質的な施行と救済を保障させるための運動をこれから進めようとするものである。

2007年12月14日、障害者差別禁止法の施行令案についての公聴会で障推連は全面拒否の姿勢を示した。合理的配慮の対象など、問題が多いということである。詳細はここでは述べることはできないが、法律さえ作ればよい、ということではない。 来年4月の法施行に向けて今後、ますます目が離せなくなっている。