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「スウェーデンではノーマライゼーションがどこまで浸透したか?」

竹端寛

書誌情報
項目 内容
所属先 立教大学社会福祉研究所
備考 平成15年度厚生労働科学研究障害保健福祉総合研究推進事業 日本人研究者派遣報告書

グルンデン協会におけるself advocacyのあり方とイエテボリ市における地域生活支援ネットワーク調査に基づいて

I.はじめに
II.研究方法
III.結果
IV.考察
引用文献
資料1-1 査定員用質問ガイド

I.はじめに

 スウェーデンではノーマライゼーションの原理に基づき知的障害者の施設解体が1980年代後半に開始され、既に全ての大規模入所施設が解体され、重度の知的障害者でも地域で生活が支援されている。またイエテボリ市のグルンデン協会では、知的障害者の本人支援活動も充実している(河東田・杉田 2002)。筆者も3年前にイエテボリでの現地調査を行い、その本人支援と地域生活支援の充実した様子の一端に触れた経験もある。

 一方日本でも、ここ数年、知的障害者の大規模入所施設の解体と地域移行の動きが進んでいる。2002年の暮れに発表された政府の新障害者プランの中でも、知的障害者の入所施設は「真に必要なもの」と制限され、2004年度からは原則的に新規の施設建設の国庫補助金も停止の見込みだ。また、2004年2月には、宮城県の浅野知事が公立・私立を問わず全ての入所施設の解体と地域移行を宣言した。このように入所施設から地域移行へ、というのは、確実に潮流になりはじめている。しかし、では地域に移行した後、知的障害者を地域でどのように支えていくのか、というビジョンは、例えば筆者が調査の一員として加わった、宮城県の公立船形コロニー調査からも見られなかった。また、地域生活支援や本人支援を、システムとして全国的に整備する動きも現状では見られない。これでは、ただ単に生活の拠点を大規模施設から地域のグループホームやアパートなどの小規模な居住区域に移すのみで、施設の解体とその人らしい地域での暮らしのスタート、とは言えないのではないか?

 日本より先んじて施設解体を進め、本人支援を充実させているスウェーデン・イエテボリ市のグルンデン協会や、同協会のあるイエテボリ市において、実際にはどのような実践がなされているのか?日本と同じような問題点はないのだろうか?現地ではどのような課題点が議論されているのだろうか?そして、ノーマライゼーションの原理がどれほど現場で実現されているのか?・・・ これらを調べることにより、日本のこれからの本人支援の充実と地域生活支援のシステム化に関する大きなヒントを得られるのではないだろうか?

 そこで本研究では、グルンデン協会におけるself advocacyのあり方とイエテボリ市における地域生活支援ネットワークについて調べ、その結果を報告する事とする。

 なお、この論文において筆者が用いる用語について、若干の定義付けをしておきたい。 本稿においては、地域生活支援を、入所施設ではなく地域のグループホームやアパートなどにおいて、集団管理的処遇ではなく、一人一人の入居者のニーズに合わせた個別的支援を行うこと、と定義する。またself advocacyとは、障害者自身が自分や自分と同じ障害を持つ仲間の権利擁護をする活動、と定義しておく。

II.研究方法

 本研究は、スウェーデン国イエテボリ市に活動の拠点を置くグルンデン協会における本人支援のあり方に関する調査(調査1)と、グルンデン協会の拠点があるスウェーデン国イエテボリ市における地域生活支援の実状に関する調査(調査2)、調査1・2から浮かび上がったresearch questionsを解くために行った追加調査(調査3)の3つの柱からなる。以下では、各々の研究の調査対象と研究方法について述べる。

1.地域生活支援調査

A.調査対象

 スウェーデン国イエテボリ市は人口46万のスウェーデン第二の都市である。古くから国際的な貿易港として栄え、またスウェーデン最大の企業であるボルボの本拠地もあり、また、調査2の対象であるグルンデンの本拠地でもある。このイエテボリ市は21の地区から構成されており、各区毎に行政権限がおろされ、福祉・教育・文化活動については、独自の予算執行と裁量権をもって、現場でのサービスがなされている。

 スウェーデンでは1994年の「一定の機能的な障害のある人々に対する援助とサービスに関する法律」(LSS)の施行と前後して、大規模入所施設も解体され、ちょうど地域移行が始まって10年となる。このLSSの施行の2年前の1992年1月からは、障害者・高齢者の看護および住宅問題の責任が県から市へと移管されるエーデル改革が行われ、障害者分野へのサービス供給の責任が原則市自治体(イエテボリは各区自治体)の単独責任形へと変わり、自分の住む身近な自治体が、直接サービス供給の責任を持つようになった(友子・ハンソン 1998)。そこで、LSS施行以後10年経って、現場ではどのような地域生活支援が出来ているか、課題点は何か、を調べるために、現場でのサービス支給決定の責任者であるLSS社会カウンセラー(以下査定員という)を対象にした調査を行う事にした。

B.調査方法

 地域生活支援の実際を出来る限り多角的に捉えるために、21区全ての区の査定員にメールと電話で調査依頼を行った。査定員の名前は、各区のホームページとグルンデンが持つ資料に基づいて行い、不明分については直接地区に電話して担当者を聞き出す、という方法をとった。
 また、21地区の査定員の上部に、イエテボリ市全体を統括する市中央組織と、市の動きを監査する県庁、そしてスウェーデン全体の社会福祉の動きをチェックする社会庁、の3つのアクターもいる。これらの担当者にもコンタクトを取った。そして、イエテボリ市全体の地域生活支援についての包括的情報を得るため、障害者福祉部門の行政責任者へもインタビューを行った。

C.調査内容

 インタビューは全て対象者の職場で行われた。質問方式は半構造面接を採用し、「仕事の中身と裁量」「予算」「仕事の難しい部分」「self advocacyについて」という4つのカテゴリーで質問を行い、そこから自由に答えて頂いた(資料1-1)。調査時間は1時間から1時間半であった。また、この調査はグルンデンとの共同調査であり、グルンデン理事会メンバーも、インタビューの多くに同席した。インタビュー内容は本人の同意を得てテープ録音を行った。また、調査経過やインフォーマルな会話を逐次記録し、メモとして残しておいた。

2.グルンデン調査

A.調査対象

 グルンデン協会(以下、グルンデンという)は、スウェーデン国イエテボリ市を拠点に活動を行っている知的障害者団体である。このグルンデンでは、知的障害者の活動の場としてカフェ(Ekrana)や、メディア部門(Grunden MediaとGrunden TV2)、サッカーチーム(Grunden Bois)、そしてこれらの活動を組織するグルンデン本部、などを展開している。このグルンデンのもっとも特徴的な事は、知的障害を持つ当事者が代表(会長)を務め、支援者を雇う、というスウェーデン国内でも他に例のない、画期的な当事者主体の団体である点である。2000年に親の会(FUB)から独立して現在の形態になった。会長・副会長をはじめ、理事会の全てのメンバーは知的障害の当事者である。

B.調査方法

 グルンデンにおけるself advocacyのあり方に関して調査するため、2003年10月末から2004年3月まで、継続的にグルンデンにおけるフィールドワークを続けてきた。その中でも、特にグルンデンの当事者にとって重要なself advocacy実現の場であるグルンデン協会の理事会(Grunden Board Meeting:以下GBMという)に着目した。なぜなら、このGBMは前述の通り、メンバー全員が知的障害を持つ当事者であり、一人または複数の支援者が支援を行っているものの、グルンデンの今後のあり方や、問題解決のための努力、といったself advocacyに関する諸問題は、基本的に自分たちで解決しようと試みているからである。このGBMにおけるself advocacyの実践の現実や、その課題について調べるために、GBMのメンバー全員およびGBM支援職員へのインタビューを行った。あわせて隔週火曜午後6時から開かれるGBMも傍聴し、そこで議論されていることなども追った。

C.調査内容

 筆者の訪問当初の2003年11月、サッカーチーム(Grunden Bois)の支援者が中心となってグルンデンから独立して新組織を作る、という問題が起こり、GBMのみならず、グルンデン協会そのものにおいても、大混乱が起こった。GBM内でも様々に意見が分かれ、当事者間で大きな論争になった。
 そこで、GBMメンバーがこのGrunden Bois問題をどう考えているのか、を発端に、GBMにどのような想いで参加しているのか、自分たちのself advocacyはどのように支援されているのか、について伺うインタビューを行った。また、GBMメンバー以外にも、GBM支援者、Grunden Bois関係者、にも関連インタビューを行なった。
 Grunden Bois関係者以外からは、本人の了承が得られたのでテープ録音を行い、そのほかに調査経過やフィールドワークの中で当事者・支援者から伺った様々なインフォーマルな会話、Grunden Bois関係者については会談そのものの模様も逐次記録し、メモとして残していった。

3.RQ関連調査

A.調査対象

 調査1・2を行う中で、様々に浮かび上がった研究上の疑問(research questions:RQ)を解決するために、調査後半の2004年1月以後、幾つかの分野に関する追加調査を行った。対象は大きく分けて、次の3つである。

☆調査3-1:知的障害者の地域生活支援を行う職員への実態調査
(対象:イエテボリ、ストックホルム市におけるグループホーム職員)。
☆調査3-2:ノーマライゼーションの原理に関する理念的・学問的基盤に関する調査
(対象:スウェーデン生まれの二人のノーマライゼーションの大家であるベンクト・ニイリエ氏とカール・グリュウネバルト氏などの専門家)
☆調査3-3:職員教育に関する調査
(対象:社会庁職員、国立教育機関<SISUS>、施設の教育リーダー)

B.調査方法

 調査1・2で浮かび上がったRQに基づいて、上述の3つのカテゴリーを作り、それにふさわしい該当者について情報収集を行うと共に、現地協力者に調査アレンジも依頼。原則的には現地協力者にアポイントメントも含めてお願いした。また、事前に質問内容を要求された場合は、RQに基づいた質問状をメールで送付した。

C.調査内容

 調査は、原則として各現場に伺い、その現場についての基本的情報を伺った上で、以下のRQのついての疑問を投げかけ、回答者からの意見を引き出した。
 RQとして浮かび上がったのは、次の3点である。

  1. 知的障害者の地域生活支援において、basic physical needsは満たされるが、social needsを満たすには問題が残るのではないか。
  2. グループホームがミニ施設にならない為にはどのようなコツが必要か。
  3. 地域生活支援の職員の質が、self advocacy向上と大きな関連性があるのではないか。

 全てのインタビューは許可を得た上で録音し、調査経緯やインフォーマルな会話を逐次記録し、メモとして残していった。

III.結果

 3つの調査から浮かび上がった結果を整理すると、大きく分けて次の5つのカテゴリーにまとめることが出来る。

  1. LSSに基づくサービスの実際
  2. 「その人らしい社会生活」を支える個別支援制度
  3. “もがき”“苦しみ”の中から発展していくSelf Advocacyの実際
  4. 知識こそが変革の最大の武器-脱施設と「接し方」教育-
  5. ノーマライゼーションの現場レベルでの具現化

以下では、この5つの項目毎に、それぞれ結果を詳述して行く。

1. LSSに基づくサービスの実際

 ここでは、LSSに基づいて、具体的にどのようなサービスがイエテボリ市で生活する知的障害者に提供されているか、について詳述する。まず、LSSについて概説したのち、住宅支援、日中活動、後見人、の5つの項目について、調査結果を報告する。

A.LSS

 1994年1月1日から施行された「一定の機能的な障害のある人々に対する援助とサービスに関する法律」(LSS)は、「精神発達遅滞者等特別援護法」を母体として成立した法律である。この法律は、障害者を含む全ての社会サービスを必要とする市民のための包括的法律である「社会サービス法」と、医療分野での包括的法律である「保健医療ケア法」の補足法として制定された。(なお本文中で用いるLSSの条文については、すべて河東田(1996)に基づいている)

 対象者としては、第1条に「特別な援助と特別なサービス」を必要とする以下の3つのカテゴリーの人を明記している。

  1. 発達遅滞者、自閉症または自閉症的症状を示す人々
  2. 成人に達してからの外傷または身体的疾患に起因する脳障害により、重篤かつ恒久的な知的機能障害をもつ人々
  3. 明らかに通常の高齢化にはよらない、他の恒久的な身体的または精神的機能障害をもつ人々。つまり、障害の程度が重く、日常の生活を送る上で著しい難しさが見られるため、広範な援助とサービスを必要とする人々。

 この3つのカテゴリーに該当する機能障害者の為のサービス法がLSSだが、実際の該当者は重度の身体機能障害者と、知的障害者がほとんどである。精神障害者も対象に入っているが、実際には運用されていない場合が多い。

 そして、この法律に明記されている「特別な援助とサービス」については、LSS第9条第1項に記載されている。

  1. 重度で恒久的な機能障害のある人々の諸問題や生活条件に関して特別な知識を必要とする際の助言や人的援助
  2. パーソナル・アシスタントによる援助、または、同様の援助を受けるために必要、適性な経費で、アシスタンス補助法によりアシスタンス補助費が給付されない部分への経済的援助。
  3. ガイド・ヘルプ・サービス
  4. コンタクト・パーソンによる援助
  5. 家庭におけるレスパイト・サービス
  6. 家庭外におけるショートステイ
  7. 12歳以上の学童を対象とした放課後や休暇中の家庭外における短期学童保育
  8. 両親と住む家以外での居住を必要とする児童・青少年を対象としたファミリーホーム(養育家庭)や特別サービス住宅での居住
  9. 成人用特別サービス住宅または成人用にその他の特別な対応がしてある住居
  10. 就労可能な年齢にある人々で、職業をもたずに学業にもついていない人々のため の日中活動

 この10のサービスのうち、1つめの「相談と助言」については県が、残りの2~10の具体的援助とサービスについては市が、責任を分担して担当することとなる(LSS第2条)。
 このLSSの特徴としては、当事者にとっては強力な「権利」法、行政にとっては強力な「義務」法として機能していることが挙げられる(LSSに関しては河東田2002も参照)。

B.住宅支援

 LSS第9条第1項の9には、「成人用特別サービス住宅または成人用にその他の特別な対応がしてある住宅」を権利として得られる特別な援助サービスの一つとして明記されている。
 1997年11月1日に施行された「特別病院・入所施設解体法」の第1条では、知的障害者のケアを目的とする特殊隔離病院は1997年12月31日までに、知的障害者のケアを目的とする入所施設は1999年12月31日までに解体されなければならない、と規定されている(二文字 2002)。イエテボリ市では最後までスティシュー地区に入所施設が残っていたが、ここも2003年には完全に解体され、現在グループホームとして地域に点在している。

 住宅供給の実際としては、LSSに基づき、市自治体は独自のグループホームを作ったり、あるいは集合住宅の中の一部を借り上げてグループホーム形式にしたりなどしている。そのほかにも、障害者が普通のアパートで暮らす場合には家賃補助などを行っている。この住宅支援政策によって、多くの知的障害者は地域のアパートでの自立生活が営めている。LSSのサービスの中では、住宅費に関しては、利用者が費用を支払わなければならない(今回の調査では一ヶ月3000~5000Krと答える人が多かった)。

 アパートで単身、もしくはカップルで生活している知的障害者への生活支援としては、ホームヘルプサービスや後見人、コンタクトパーソンやパーソナル・アシスタントの支援等が挙げられる。ホームヘルプサービスはLSSではなく社会サービス法に基づいて行われており、査定員が必要時間を査定して決定する。掃除や家事援助などが主である。アパート暮らしの知的障害者でも金銭管理に関しては後見人(後述)が管理する場合が殆どである。また、コンタクトパーソンやパーソナル・アシスタント(後述)といった、個別支援を受けているケースも見られる。  だが、知的障害者の中でも、まだ一人暮らしの経験が浅い若い人、あるいは地域での一人暮らしには不安のある人、身体機能・判断能力・精神状態のいずれか(あるいは複数)に何らかの障害があり一人暮らしが出来にくい人、等の多くは、グループホームでの生活の支援を受けている。このグループホームに関しては、現在スウェーデンには大きく分けて3つのタイプのグループホームがある。

  1. グループホーム単独建設型
  2. 集合住宅の「ワンフロア独占」型
  3. 集合住宅の「階段形式」型・「サテライト」型

 このうち1は単独で建設するもので、筆者が見学に訪れたグループホームでは、主に強度行動障害や強い自閉的傾向、重度のコミュニケーション障害など、障害の程度が比較的重く、手厚いケアの必要な人向けの住居として機能していた。

 また、2の「ワンフロア独占型」については、例えば筆者が訪れたストックホルムのある地区では、集合住宅のある階の入居者が全て知的障害者であり、普通のアパート(トイレ・バス、キッチン、居間・ベッドルームのある住宅;最低でも35m²前後)に各入居者が暮らし、その階の一室にスタッフルーム兼入居者の共通スペースがあり、24時間スタッフが常駐して支援するような形式である

 3のうち、「階段方式」とは、ある集合住宅の階段を共有し、そのアパート内に何名かの知的障害者が入居していて、同じアパートの別の一室にスタッフルーム兼入居者の共通スペースがあり、24時間職員が常駐して支援を受けているような住居である。「サテライト型」とは、スタッフのいる詰め所(筆者が見学した所では、「ワンフロア独占」型や「階段形式」型住居の詰め所)から歩いて行ける距離の、アパートの別棟の一室に入居者が暮らしていて、朝晩などの食事介助などを受けて生活しているケースである。

 この2と3タイプの住居は、地域のアパートをそのまま利用した形式であり、ホームヘルプサービスを受けて単身生活をしている人の生活形態に近いものがある。ただ2と3では、職員による食事介助(食事作りのお手伝いや見守り)など、より密接なケアが毎日必要な人が暮らしているが、この形態の生活をする中で、自分で食事を作れるようになった人は地域のアパートに出ていく例などもあり、地域での自立生活への一つの準備機関としても機能しているようだ。

 またその地区の住宅供給の度合いによって、1~3のどの形態のグループホームが提供できるかが異なり、一概に重度・軽度の違いによって住居が異なる訳ではない。ストックホルムの都市部などでは重度障害者も2のタイプの住居に入居している例などもあるようである。また、意志を発語しにくい重度の知的障害者とその家族が作ったJAG協会に所属している人々は、パーソナル・アシスタントを協同組合形式で雇い、家族との同居や一人暮らしをしている。

 なお、今日スウェーデンの成人の知的障害者のうち、約6割がグループホームで生活し、2割が自立生活、残りの2割が親との同居、と言われている(Grunewald 2003)。

C.日中活動

 LSS第9条第1項の10には、「就労可能な年齢にある人々で、職業をもたず学業にもついていない人々のための日中活動」を権利として得られる特別な援助サービスの一つとして明記されている。
 2002年に社会保険行政局が、アシスタンス手当てを受けている人達、移動サービス支援を受けている人達、さらに障害手当てを受けている人達などの、7000名の成人を対象にアンケート調査を実施した結果によれば、81%もの知的障害者が何らかのデイ活動に参加している一方で、就労はわずか1%であった。それとは対照的に、16才以後に運動機能障害者になった人の79%が何もしていない人であり、就労をしている人は12%、デイ活動をしている人は8%であった。また16才以前からの運動機能障害者の場合、デイ活動に参加している人が29%であり、就労をしている人は24%、何もしていない人は46%であった(表1)。

 実際、イエテボリのグルンデン協会に所属している知的障害者のメンバーも、大半が年金生活者でデイ活動としてグルンデンの活動に参加しており、収入をもらえる仕事をしている人は、グルンデンの新聞の原稿を書いているメンバーなどごく少数であった。

 もちろん、デイ活動の費用は無料であり、年金生活者にとって、基本的に収入は安定しており、就労しなくても充分に生活はしていける。
 しかし、当事者の中では、年金生活者のデイ活動としてではなく、給与生活者として活動したい、という声も聞かれた。例えばグルンデンの理事会に所属するメンバーの中では、現在行っている理事会の仕事(ボランティアベース)を、有給の仕事として行いたい、とい望んでいるメンバーも何名かいた。また、グルンデンでは、その声に応えて、現在EUからの助成金を申請しており、助成金が出れば、当事者のグルンデン運営にお金が出せる事になりそうだ、ということである。

表1 スウェーデンの機能障害者の就労と労働の実態

就労 活動 何もしていない
16歳以前からの運動機能障害者 24% 29% 46%
16歳以降からの運動機能障害者 12% 8% 79%
16歳以前からの聴覚、視覚障害者 34% 31% 35%
16歳以降からの聴覚、視覚障害者 17% 8% 74%
知的障害者 1% 81% 18%

出典 Intra 2004 Nr.1注1

D.後見人

 成年後見制度とは、自分の権利を自ら擁護するself advocacyに限界がある時、「必要に応じて、彼らを代弁(アドボカシー)する機能」(二文字 2002)として位置づけることが出来る。スウェーデンでは、後見人としてのゴードマン(godman)の他に、管財後見人(forvaltare)や、法定代理人(formyndare)などがある。(この3者の違いについては二文字2000に詳しい)。後見人と管財人は、当事者に対する関与、干渉の度合いが異なっている。後見人の役割は権利の監視、財産の管理、身上監護であるが、管財人は一定額以上の財産や不動産の管財なども行っている。

 本調査の中からは、この後見人に関する様々な問題が浮かび上がってきた。
 元社会庁の知的障害部門責任者であるカール・グリュウネバルト氏(後述)によれば、「知的障害者の約9割には後見人がいて、ゴードマンの半分は親や兄弟など身近な親族、そのほかには少し遠い親戚や友人、元知的障害者関連の仕事をしていた人などがなっている」ということである。実際、グルンデンの理事会メンバーも全員が後見人を持っていた。だが、グリュウネバルト氏によれば、この後見人については、現在多くの苦情が出ている、とのことである。ゴードマンが経済的コントロールをしていて、その人の社会的ニーズに対して支出するお金を出してくれないケースなどが問題に上がっており、ゴードマンへの教育・指導について社会庁が今後どのようにすべきか現在調査を行っている。また、この4年間の間に法律問題オンブズマンに対してゴードマンへの批判の届け出が倍増している(2003年5月21日メトロ紙)。これは財産管理の面で、金銭出納帳の帳簿内容がでたらめであったり、合っていなかったりするケースが見られる、とのことである。

 財産管理の面だけでなく、サービス申請にも後見人は大きく関わってくる。
 LSS第8条には、以下のように書かれている。「本法律にかかる特別な援助とサービスは、対象者が要求する場合にのみ提供される。対象者が15才以下か明らかに自分で意志決定を下せない場合には、保護者や代理人・後見人・管財人が代わりに特別な援助やサービスを要求できる。」

 実際の査定員調査でも、当事者の申請主義、はかなり徹底している一方で、「自分で意志決定を下せない」ケースについては、問題が浮かび上がった。当事者が言語によるコミュニケーションを取るのが補助具を使っても難しい重度障害者へのサービス査定の際には、ゴードマンが本人の代わりになって、査定員とのやり取りに関わっている。だがその際、そのような重度障害者の権利擁護は実質的にGodmanに全面的に依存しており、このゴードマンがGood Godmanか否かによって、サービス支給の実際には差があり、またこのGodmanの申請内容の是非についてチェックする機構が事実上ない、等の問題点が査定員から指摘された。

E.査定

 LSS第2条によれば、「各県が第9条第1項1に定める援助とサービスを実施しなければならない」「各市が第9条第1項2-10に定める援助とサービスを実施しなければならない」とされている。このうち県の行うサービスは、「特別な知識を必要とする際の助言や人的援助」であり、LSSに基づいて行われる実際のサービスは原則全て市が行っている、と考えてよい。そして、市においては、査定部門とサービス提供部門は全く異なっており、専門の査定員が査定をしたのち、サービスの支給決定を行い、具体的なサービス提供は、自治体だけでなく民間組織、生活協同組合などのサービス運営団体が自治体から資金提供を受けて行っている(詳しくは杉田・河東田2002)。

 このサービス提供については、前述の文献はじめ様々な文献で紹介されているが、サービス査定部門に関してはあまり日本で紹介されていない。そこで、査定に関して、調査から明らかになったことを報告する。なお今回の査定員調査の中では、イエテボリ市の21地区のうち11地区の査定員に実際に会って聞き取りをすることが出来た。ただ、この査定はあくまでもイエテボリ市における実状であり、査定の方法などについては各市自治体で任されていて、この部分には大きな違いがあり得ることを付記しておく。

 査定員(social counselor)については、各地区毎で、LSS handregare、Handikappkonsult、Handikappsekreterare、Socialsekreterareなど様々な肩書きがある。これは、知的障害者だけを担当する査定員もいれば、精神障害者や高齢者、身体障害者の査定を兼任する人もいる、など各地区毎に査定員の規定が違うゆえによる。受け持ちケース数も一人60ケースから150ケースと様々だ。

 査定員になるためには、大学での3年半の専門教育(Socionom)をうける必要がある。調査した査定員達の中には、現場でケア職員をしていた後に査定員教育をうけた人もいれば、直接大学卒で査定員となった人もいる。彼らは皆、地区に雇われている公務員であり、多くの地区で普通2,3人の査定員が受け持ちケースを持ち、互いに相談しながら査定を行っていた。査定員の上には行政官のユニットチーフと、地区政治家がいる。査定員自体に予算執行権限はないが、通常のサービス査定と支給決定に関しては、一人一人の査定員に権限がある。ただ、コストの高いサービスについては、予算執行権を持つユニットチーフや、全体の予算を気にする地区政治家の決裁を仰がなければならない場合もある(後述)。

 実際の査定のプロセスに関しては、まず、本人やその家族、後見人からサービス申請を受けると、まず査定員が本人やその家族に面接する。これは1回のこともあれば複数回にわたることもある。調査項目は基本的には障害の重度やコミュニケーション能力、経済状態、などの現在の状況についてであり、数値化を目標とせず、あくまで全体像を掴むために聞く。そしてどのようなサービスが欲しいのか、ということも聞き取り調査をする。査定員が記録したものは、本人が最後に読むこともでき、読めない人にはわかりやすく説明することもあるという。この面接記録と共に、医師や心理学者などの診断書も踏まえて、査定員が必要な時間量を決定する。また、グループホームやパーソナル・アシスタント、デイ活動といった高額の予算がかかることは、多くの地区では地区の政治家による決裁だが、査定員が政治家に報告する際には、希望する当事者はその場に参加して、政治家に自らの必要性を訴える事が出来る。これは主に障害児を持つ家族の場合、よくとられる方法である、という。

 また、この査定に不服の場合は、まず査定員に不服を伝え、3週間以内に査定員による再調査が行われる。そしてその調査の結果、申請者の不服が聞き入れられない場合は、申請者は行政裁判所に上告することが出来る。だが、実際に裁判に持ち込まれたケースは、各地区とも年に2,3ケースがほとんどで、極めてまれなことである。

 裁判に持ち込まれたケースの多くが、住宅供給に関する事と、パーソナル・アシスタントに関することである。住宅不足故に本人のニーズを認定しても、サービスを3ヶ月以内に提供できない場合は、査定員がサービス支給拒否を決定して、本人が裁判所に早期に訴える機会を提供しなければならない。実際過去には支給決定から1年待たされるケースもあったので、イエテボリ市では現在この支給までの期間については、厳格に守るか、守れない場合は支給を拒否して裁判する権利を保障している。ちなみに、住宅供給に関しては、大半の場合、市側が負ける。その一方、パーソナル・アシスタントの裁判では、行政側が勝訴する事が多い。

 査定員の特色は、予算執行権がないために予算の縛りが「原則的には」ない、ということだ。LSSは義務法であり、義務として定められた、LSS第9条の2-10に決められたサービスについて、ニーズがあるのに予算を理由に拒否することは出来ない。これは査定員にとっても大きなよりどころとなっており、筆者の聞き取りでも、「サービスが必要であれば、予算を気にせず支給決定をする」「上司からの予算の圧力に屈しない」という返答を何度も聞いた。一方、この9つのサービスの中に入っていない精神障害者へのサービスや、あるいは知的障害者へのサービスにおいても判断の難しい社会ニーズに関しては、査定者によってサービス査定に差があることもわかってきた。

2.「その人らしい社会生活」を支える個別支援制度

 ここではLSSにおけるサービスの中でも、その人らしい社会生活を保障するための3つのサービスと、それを裏打ちするシステムについて詳述する。

A.パーソナル・アシスタント

 LSS第9条第1項の2には、「パーソナル・アシスタントによる援助、または、同様の援助を受けるために必要、適正な経費で、アシスタント補助法によりアシスタンス補償費が給付されない部分への経済的援助」を権利として得られる特別な援助サービスの一つとして明記されている。
 このパーソナル・アシスタントサービスとは、機能障害者自身(あるいはその代弁者)が決めた介助者が、機能障害者側で決めた時間に介助に来てくれる、という「当事者管理」(ラツカ 1991)の介助サービスである。最大の特徴は、機能障害者自身が雇用主となってサービス管理が出来る、という点であり、役所から派遣される公務員と違い、自分の納得できる介助者に、自分のニーズに合った時間で自分にあったサービスを提供してもらえる、という点で大きな特色がある。もちろん、サービスは無料である。

 このパーソナル・アシスタントサービスは、脳性麻痺やALSといった運動障害を持つ機能障害者だけでなく、知的障害者にも適応されている。ただ、パーソナル・アシスタントサービスの介護手当に関する法律である「アシスタント補助法」(LASS)第4条では、グループホームに入居している場合は、介護手当が対象者から除外される、という項目があるため、グループホームに住んでいない知的障害者がその対象となる。またアシスタント補助法第3条は、同法律の対象者として「65才未満であること」「日常生活を送るため、平均して週20時間以上、介護を必要とすること」という但し書きがある。つまり、週20時間以内のアシスタンスが必要な人はLSSに基づき各コミューン(市自治体)から、週20時間を越えるサービスについては国の社会保険事務所からサービスを供給されている。LSSによるパーソナル・アシスタント、あるいはLASS法によるアシスタンス手当を受けている人達は、2003年で15100人、うち知的障害のある人達は5300人(35%)である。

表2 パーソナル・アシスタントまたはアシスタンス手当てを受けている人達の数

社会保険事務所から 10800人 うち知的障害のある人達  3600人
市自治体からのみ   4300人 うち知的障害のある人達  1700人
合計 15100人 うち知的障害のある人達  5300人(35%)

出典 Intra 2003 Nr.4

 このパーソナル・アシスタントサービスにまつわる問題点として、

  1. Social Needsの査定の仕方、
  2. パーソナル・アシスタンスのなり手の確保と質の問題、
  3. 週20時間以内のサービス、の3つの点が浮かび上がってきた。

1. Social Needsの査定について

 地区の査定員へのインタビューの中からは、LSSの査定に関して一番難しいものとして、このパーソナル・アシスタンスサービスの査定を挙げる声が多かった。ある地区の査定員の発言からは、その難しさ、が伺える。
 「パーソナル・アシスタントについては判断が難しいです。basic physical needs、つまり服を着せたり、朝にシャワーの介助をしたり、料理を作ったり食事介助をしたり、に関するサービス支給の決定は難しくありません。しかしsocial needsに関してとなると話は違います。例えば映画にいったり、夜遊びに行ったり、の支援は、その人その人に、どれだけ活発に出かけるか、等によって違います。」
 別の地区の査定員も「トイレ介助については何分、とカウント出来るが、ソーシャルニーズの時間カウントは難しい。重度のコミュニケーション障害のある人の査定は特に難しい。」と語っている。
 グルンデン調査でも、グルンデンの会長・副会長がオーストラリアの国際会議に出かける際にパーソナル・アシスタントを求めたが、査定員によって支給を拒否され、裁判で争った、という出来事もあった。このようにサービスの査定に関しては、査定者側と本人の間で見解の相違がある場合もあり、行政裁判所に持ち込まれる例も少なくはない。

2. なり手の確保とその質

 地区査定員へのインタビューからは、パーソナル・アシスタントに志願する人が少ない、という問題点が指摘されていた。その理由として、介助される側の都合に合わせた勤務が結果として不規則な勤務時間となることや、現場で雇用者と1:1の関係であり、介助者が孤独になる可能性があること、などが挙げられた。また社会庁(Socialstyrelsen 2003)によれば、現状では約4万人のパーソナル・アシスタントがいるが、パーソナル・アシスタントの雇用が困難であるために、親族が支援やサービスを行わなければならないケースもあるという。アシスタント不足は大都市に顕著だが、中小都市でも見られる問題である、とも言われている。

 また、各アシスタントの質についても問題視されている。パーソナル・アシスタントは利用者自身が雇用する事が出来る点が画期的であるのだが、例えば「利用者が自分の受ける支援に関するコントロール能力がない場合」(intra 2003年第4号)には大きな問題があるのだ。現状ではそのような重度障害者でパーソナル・アシスタントを雇用しているケースとして、家族や後見人が雇用するケースや、JAG協会などの協同組合が雇用する形式、などが見られる。この点に関して、intraの同記事の中では、パーソナル・アシスタントへの批判に関して、このようなコメントを載せている。

 「エーヴァ アルヴィッドソンさんは、4名の社会民主党の国会議員と一緒に、パーソナル・アシスタントの現状に関する批判を提出した。(中略)

 利用者が自分の受ける支援に関するコントロール能力がない場合には、どのように支援が行われ、どういった形式で行われるかの大部分はこうしたら良いであろうという考えで行われている。法的な代理人が利用者をよく理解している場合には、ある程度はアシスタントを指導し、アシスタンスの内容を監督することが出来る。しかし、たとえば成人後見人などにどの程度までの監督を要求できるだろうか、また支援がどういう形式で行われるかまで決めることは、アシスタンスの統合計画者の仕事には含まれていない。専門教育を受けた人でパーソナル・アシスタントとしての仕事をする人を見出すことが難しく、しかもアシスタントの定着率が低いので、ケアの質やその継続性にも影響を与えることになる。利用者は孤立し、社会的活動もなく、刺激のない単調な生活をおくりがちだ。」

3. 週20時間以内のサービス

 また、パーソナル・アシスタントサービスは、グループホームに住まう知的障害者には適用されないため、主に地域で自立生活をしている障害者が対象になる。ただ、現状では地域での自立生活を送る知的障害者というと、確かに重度障害者でも地域で暮らす例が見られるが、全般的には軽度の障害者の方がグループホームではなく、地域の住宅で暮らしている。その場合、パーソナル・アシスタントが必要であっても、週に20時間も必要ない場合がある。アシスタント補助法では週に20時間以上のサービスが必要な場合には、社会保険事務所を通して国が直接その賃金を支払うが、20時間以内であれば市自治体がそのサービスの賃金を払わなければならない。だが、経済不況によりどの市自治体も財政不足に悩んでおり、出来ることなら提供サービスを削減したい、と考えている市自治体にとっては、週20時間以内のサービスは、出来ることなら提供したくない。特にそれが先述のsocial needsに関するパーソナル・アシスタントであるならば、なおさら、と言える。そのため、週20時間以内のパーソナル・アシスタントに関しては、査定員調査の中でも、なかなか査定が難しい、という話も出てきた。また、先述のグルンデンメンバーのパーソナル・アシスタントも、この20時間以内の査定、であるために、市自治体(イエテボリ市の場合は各区自治体)が厳しく査定した、と捉えることも出来る。

B.コンタクトパーソンとガイド・ヘルプ

1. ガイド・ヘルプ

 LSS第9条第1項の3には、「ガイド・ヘルプ」を権利として得られる特別な援助サービスの一つとして明記されている。
 このガイド・ヘルプは、一人で外出するのが難しい知的障害者が買い物に出かけたり、映画やショッピングに出かける際の介添人サービスである。このガイド・ヘルプには、主に社会福祉分野を勉強している学生などがバイトとして行っている。時間給にして205krが支出されるが、そのうち平均85krがガイドヘルパー本人に支払われ、残りのうちの3割は事務費に、そしてその他は交通費などの実費に使われている。また、自閉症者の外出などには、自閉症に関する専門知識のある人が、特別加算を受けてガイド・ヘルプを行っている。

2. コンタクトパーソン

 LSS第9条第1項の4には、「コンタクトパーソンによる援助」を権利として得られる特別な援助サービスの一つとして明記されている。
 このコンタクトパーソンとは、「行政がお金を払った有料の友人」と言えるサービスである。ある対象者と共通の趣味を持つ人が、行政の査定員によってコンタクトパーソンと任命されると、一緒にサッカーや映画やショッピングなどに出かける場合、交通費やチケット代といった実費だけでなく、その時間の時間給が支払われる、という仕組みである。現在成人の知的障害者の半数がコンタクトパーソンを持っている、とも言われている。ガイド・ヘルプとの違いは、ガイド・ヘルプは基本的に「介添え」が業務であり、本人の趣味や意向にマッチする人を捜す必要はないが、コンタクトパーソンの場合、二人の趣味のマッチングが採用の第一条件になってくる。
 このコンタクトパーソンは新聞や行政の広報などで募集される。希望者には詳細な面接(後述)を行い、最低1年は続けられる人を採用する。原則月に2度は本人と活動してもらい、基本給は495kr(うち3割が税金)で、毎週(月に4回)会う人はその倍の1000kr、最高額は特殊な障害を持つ人への加算手当が付いた人で、月に4回活動して、1310krである。経費に関しては、基本経費が330kr(無税)支給され、毎週会うなら、その倍額が支払われる。基本的に経費は返還する必要がなく、貯めて置いて年に一度の旅行などに使うことも可能である。当事者は自分の支出経費は自分で出すため、大半が年金生活をしている当事者にとって、330krでも充分な額だそうだ。そして、当事者とコンタクトパーソンの二人でデンマークやノルウェー、ドイツといった近隣国に一泊旅行に行く場合などは、コンタクトパーソンには臨時経費として、かかる経費の全額が支払われている。

 実際にある女性のコンタクトパーソンになっている査定員に聞き取りをしたところ、その実状は以下のようであった。
 「私は、査定員になる前に働いていたグループホームの入居者の50歳になる女性と大変仲が良く、今の仕事に変わった後も、彼女と関係を持ち続けたい、と思っていました。そこで、2年前に査定員を募集している事務所に応募して、面接を受けました。ここでは、月にどれくらいコンタクトパーソンが出来るのか、どのような興味関心を持っているか、どういう人に興味があるか、どのような障害者に対する知識を持っているか、なぜ応募したのか、ということが尋ねられました。私の場合、特定の一人を念頭に置いていたのですが、そうでない人もいます。また、私への面接と同時に、この事務所では私の犯罪歴を警察に照会していたようです。
 現在は2週間に1度、週末に会っています。彼女はグループホームに住んでいるのですが、一緒にコーヒーショップに出かけたり、彼女のご両親を訪ねたり、私の家に招いたり、美術館に出かけたりします。また、彼女は曜日や日付がよくわからず、電話の使い方もわからないので、私の方から週に1度は電話しています。お給料としては、一月に830krほど(基本給495kr+経費330kr)もらっています。私は30歳で、彼女の方が20歳年上なのですが、彼女は自分のことを私と同い年だと思っているので、とても仲良しです。」

3. 両者の相違とコンタクトパーソンの課題

 このガイド・ヘルプとコンタクトパーソンは、共に知的障害者の文化・余暇活動を保証するための大きな手段である。LSS第9条第3項には「児童および青少年用特別サービス住宅や成人用特別サービス住宅という具体策には、余暇活動や文化活動も含まれている」という文言がある。この条項の意味するところについて、カール・グリュウネバルト氏は以下のように述べている。
 「LSSの法律によって職員が個人のソーシャルニーズを満たさなければならない、と書いてあります。余暇と文化活動、という言葉で書かれています。どういう人が対象か? 住宅に住んでいる全ての人、ということです。どういう意味か? グループホームなどの職員が、当事者を、なるべく外に出ていって、社会に出ていけるように支援する、というのが目的です。職員だけでは余暇と文化活動を満たすことが充分でない場合、さらに他の人を雇用することもあります。そのほかの人、とはガイド・ヘルプサービスとコンタクトパーソンの二つです。
 ガイド・ヘルプサービスとは一人の人が、ある一定の決まった時間に、知的障害者がどこかの特別な活動に行くとき、そこに付き添うサービスです。しかし、コンタクトパーソンとなると、コンタクトパーソンと当事者との間に一種の友達関係、友情のようなものがないとだめです。この二人が一緒になって、社会にある何かの活動に加わっていく、または作っていくのです。」
 この氏の発言を裏付けるかのように、コンタクトパーソンに関しては、実際にグルンデンのメンバーにも多種多様な「有料の友人」がいた。
 「月に1,2回あっている。バスの運転手だが牧師教育もうけた人。映画とサッカーが共通の趣味であり、電話で話してあり遊びに行くことも。」「同い年のDJ。社会福祉の人ではないので、“男同士の友人の会話”が出来るのでいい。」「コンタクトパーソンは、高齢者施設の職員で共通の趣味が車。もうすぐ50才になる一人暮らしの男性。たまに車に乗って海辺やIKEA(大型家具・日用品店)まで出かける。」「女性で特殊学校の職員。一緒に買い物に行ったりビールを飲んだりしている。」
 そしてグルンデンのメンバー自身、本当に友人としてコンタクトパーソンとつきあい、電話なども掛け合ったりして、文化・余暇活動を楽しんでいるようだ。
 ただ、前述のグリュウネバルト氏は、その人の介添えだけでなく「友人」として機能するコンタクトパーソンについて、以下のような指摘も行っていた。
 「今、コンタクトパーソンについては話題になっていて、どういう人がなって、といった規則について改正する動きがあります。コンタクトパーソンへのお給料を上げる、コンタクトパーソンへの指導をする、どういう人がコンタクトパーソンになれるのか、という情報提供や、コンタクトパーソンへの支援を向上させてはどうか、という議論が行われています。」
 査定員調査からも、コンタクトパーソンを希望する人は多いが、該当者が現れないケースもあったり、マッチングを自分たちがする時間が取りにくい、という声も挙がっており、コンタクトパーソンの確保とその質の担保も今後の課題と言えよう。

C.個別支援計画書

 LSS第10条第1項では「本法律に基づく特別な援助やサービスが承認された時点で、対象者は、特別な援助とサービスに関する個人計画が、対象者との話し合いにより作成されるよう要求することができる。この計画の中には、市や県以外に行われる処置についても提示しなければならない。この計画は継続的に行われ、最低年に1回は見直されなければならない。」とされている。

 また社会庁(Socialstyrelsen 2003)によれば、「LSSにより支援が許可された時点で、その人は個別計画(Individual Plan: IP)の作成を要請することが出来る。IP作成の目的は、個人が意思を反映でき、自己決定と総体的に把握することが可能になることだが、異なる事業体からの支援の統括を容易にすることにもある。」とされている。だがその後同報告書では、「2000年11月には、LSSにより支援を受けていた人々のたった5%程度しかIPを作成してもらっていなかった。」とも書かれている。

 この個別支援計画書(以下、IPと略)については、今回の調査の中から、1.申請主義、2“煩雑さ”、3査定員の理解度、の3点について問題が浮かび上がってきた。

1. 申請主義

 上述のLSS第10条や社会庁の解説にもあるように、IPとは「要求することが出来る」サービスである。逆に言えば、本人が要求しなかったら、作成には至らない。知的障害のある人に関して言えば、IPの意味や重要性がわからない場合、誰かがその事を助言しなければ、作成にはいたらない、という事になる。だが、査定員調査からは、このIPに関して、「社会庁はたくさん批判するが、実際には当事者でIPを求める人は少ない。」という声を複数聞くことがあった。だが、「本人が申請しない」という問題の背景には、IPについて説明する立場である査定員の側の問題点もある。それが、IP作成における“煩雑さ”という構造的問題と、査定員のIPに関する理解度の問題である。

2. “煩雑さ”

 査定員調査の中からは、一人60~150ケースを抱えている査定員の中で、多くて年に15ケース、少ない人なら年に1,2ケースしかIPを作成していなかった。この理由として、先に挙げた申請主義の他に、“煩雑さ”を巡る以下のコメントが査定員から挙がってきた。
 「IPを作るためには医師やハビリテーションの専門家など忙しい人を全員集める必要があり、大変時間がかかるので、多くの人に作るのは難しい。」「確かに私自身はIPがいい道具だと思っているが、マンパワーが足りず、現状ではIPを作るのにかかる時間がとれない。」
 そして、この“煩雑さ”を解消するための代行手段としては、以下のような声が挙がってきた。
 「このIPはフォーマルなものだが、インフォーマルなIPのようなものは多く作られている。サービス支給決定がされた後に、サービス支給に関する評価や今後の事を多職種で話し合うnetwork meetingのようなものを半年に1回は開いている。」「グループホームに住んでいる人は、毎年『ハビリテーション会議』を開く。そこでは、家族も当人もデイセンター職員もやってきて、その人の翌年の目標や生活状況について話し合うので、IPは必要ない。」「成人の場合で、グループホームやデイ活動が固定している場合は、IPをわざわざ作らなくてもいいのでは。というのも、グループホームやデイセンターで、独自のプランを作っているので。」
 つまり、インフォーマルな、グループホームやデイセンターでのプランづくりがIPの代わりになっている、というのである。だが、その認識の背景には、査定員のIPに対する理解度の問題も指摘されている。

3. 査定員の理解度

 イエテボリ市の障害者部門トップのハンス・ブレンネ氏は、この問題に関して次のようにコメントしている。
 「Individual Plan(IP)を作るためには、まずは当人が希望しなければ始まりません。今の現状では、知的障害者の本人でIPを作って欲しい、と要望する人が少ない。これはひょっとしたらLSS担当官自身がよくわかっておらず、説明していないから、希望が出てこないのかも知れません。これについては、イエテボリでは県庁の指導でLSS担当官の教育もして、IPについての教育もしたのですが、IPがあった方がいい、という利点についてまだそれほど分かっていない。なぜIPがあった方がいいのか、というのがよく理解されていないところもあると思います。だから、急速に変わる、とは思えません。IPの利点が充分に認識されていないと思います。
 担当官は他の住宅のサービスや、介添人サービスとか、そのようなサービスには慣れていますから、良い査定をしているとは思います。しかし、IPについては、作ったことがないから、慣れていないから、難しいということになっていると思います。」

 また社会庁(Socialstyrelsen 2003)も次のように報告している。
 「2001年度中に、社会庁は政府の要請により、LSSによるIPさらに、HSL(保健医療法)によるリハビリとハビリテーション計画作成に関するアドバイスや情報提供などを集中的に行ってきた。このプロジェクトの結果は3つの報告書により発表された。(社会庁 2000年度c、2001年度d、2002年度e)
 これらの報告書によると、IPは当事者の意思反映や参画性を高めると同時に支援を統括し、また責任の分担のためにも優れた手段であるということがはっきりしている。スペシャリスト達は、必要性を理解し判定することに上達していった。」
 イエテボリ市幹部の話と社会庁の報告は、IPについての理解度が査定員レベルで低いため、IPが未だ策定されているケースが少ないが、査定員のIPについての理解度が増し、その技術を学ぶなかで、IPを作るケースが増えていく可能性があることを示している。
 またIPへの理解を増すために、社会庁からは査定員向け、そして当事者向けの、IPの重要性について示したパンフレットを作成している。

3.“もがき”“苦しみ”の中から発展していくSelf Advocacyの実際

 Self Advocacyの実際をグルンデン協会を通じて調査するなかで、self advocacyとは“もがき”“苦しみ”の中から発展していく、という事実が明らかになってきた。この事を説明するために、この章では「当事者主権の決議機関」「Grunden Bois独立問題」「GBMの今後の課題」について論じていく。

A.当事者主権の決議機関

 グルンデン協会の最高決議機関は、グルンデン理事会(Grunden Board Meeting:以下GBMと略す)である。このGBMは定数11人が全員当事者である。調査期間においては2名の欠員が出ており、毎回9人の当事者中核メンバーに、議決権を持たない支援者アンデシュさん、という構成で2週間に1度、火曜日の夜6時~8時半、時には10時近くまで議論が続けられていた。議論内容はその時々によって違うが、筆者が傍聴した当初のGBMでは2004年3月に開かれる予定の知的障害者のスウェーデン全国大会(後にこの会議は延期される事となった)の事や、後に詳述するグルンデンボイス独立問題等について議論されていた。

1. メンバー

 この9名のメンバーは26才~44才までで、在籍期間はグルンデンの創始者であるアンナさんの18年を筆頭に、5,6年以上グルンデンに関わっているメンバーで構成されている。一人は一般企業で働いているが、残りのメンバーは障害年金を受け取っており、デイ活動として活動にとり組んでいる。家族と同居しているのは一人だけで、あとはグループホームかアパートでの単身生活を送っている。この一人もアパートを探している最中である。子供がいるメンバーは2名いるが、両者とも子供とは離れて暮らしている。異性と共同生活を送っている人は1名、4月からもう1名が共同生活をスタートする予定している。グルンデンに来る前に、普通の仕事についていた人もいれば、特殊学校卒業後、グルンデンにすぐ来るようになったメンバーもいる。
 GBMメンバーの障害に関して、本人に直接障害のことを聞いたところ、次のような答えが返ってきた。てんかん保持者が2名、学習障害や言語障害、あるいはお金の計算が苦手な人など様々な障害をもっている。メモをしておかないと予定を覚えておけない、など。一部の人は、言葉を置き換えないと理解できないことがある、といった障害もあるが、ほぼ全員言語的コミュニケーションがしっかり取れる人、と考えて良い。(なおスウェーデンではIQを一般的に測定しない。)

2. 議論の手法

 毎回会長のハンスさんと副会長のデービッドさんが支援者の助けを受けながら、その日話し合う議題についてパソコンで議事進行表を作る。そして、会長か副会長が議長となって、会議が開催されている。支援者のアンデシュさんは、GBMメンバーから意見を求められた時にコメントする他、議論が拡散して軌道修正する際に発言する事もあるが、基本的には当事者で議論を進めていくのを見守っている、という姿勢である。アンデシュさん以外にもその日の議題に応じて支援者が参加することがあるが、原則はアンデシュさん以外の支援者はGBMには参加せず、あくまでも自分たちのことは自分たちで決める、という意味での当事者主権の原則を大切にしている。

B.Grunden Bois独立問題

1. Grunden Bois独立問題の概要

 グルンデンボイス注2とは、グルンデンの当事者だけで構成されるサッカーチームである。このチームがスウェーデン初の当事者チームで、かつヨーロッパ大会で優勝したり、新聞などへの宣伝がうまかったこともあって、イエテボリのみならず全国的に有名であり、今ではスウェーデンの大銀行(SEB)やマクドナルドがスポンサーになるほどとなった 。
 そして、それほど大規模になると、予算規模も相当大きくなり、グルンデン協会の会計実務にも相当負担を与えていた。またチームメンバーが「自分たちの独自組織が欲しい」という要望もあって、グルンデン協会から緩やかに独立しようとしていた。
 そのため2003年秋から、独立に向けたプロジェクトも動き始めていたのだが、この独立問題が、とても大きな火種に発展した。それは、サッカーチームのコーチでグルンデン協会職員であるT氏が、突然「新組織の理事会は当事者と健常者の混ざった理事会にする」と総会で発表したからであった。
 このことは、GBMメンバーには相当のショックであった。自分たちが作り上げてきたグルンデンの当事者主権のやり方を根底から覆すT氏初めグルンデンボイスコーチ達の姿勢、そして、レギュラーメンバーから外されたくないから、と彼らのやり方に従わざるを得ないグルンデンボイスメンバー・・・。これらの事態は、グルンデンの方向性とは全く逆であり、独立事件後初のGBMの後では怒りが収まらないメンバーや、泣き出すメンバーなど、相当ひどいショックを抱えていた。
 しかし、何とかこの意図せざる独立への対抗策も浮かび、事態は少しずつよい方向に転じはじめている。

2. GBMメンバーの姿勢

 多くのメンバーの一致した答えは、「独立したいなら、したらいい。だがGrunden Boisの名前は取られたくない」というものだった。
 メンバーのAさんは、問題は「支援者の権力争い」であり、その結果としてグルンデンの名前が取られることはイヤだ、と感じていた。Bさんは、「グルンデンは活動全体で一つのケーキなのに、有名で一番美味しい所だけを取ろうとするのはダメだ」という意見であった。Cさんは「独立するのは良い。だが、トレーナーの役割は、あくまでどこに行くのか、どう戦うのか、の助言であり、サッカーチームの運営については、当事者の理事会がコントロールすべき。」と考えていた。
 そして、多くのメンバーが、T氏の独立のやり方が「正しくない方法だ」と感じており、またT氏が「GBMメンバーにGrunden Boisを運営できる能力がない」と発言していることについて、多くのメンバーが怒りや悲しみを感じていた。

3. 支援者の反応

 GBM支援者アンデシュさんは、この問題について、以下のようにコメントしていた。
 「このプロセスこそself advocacy in realityだ。Self advocacyとは遊びでも、楽しいものではない。苦しみの中から、もがきながら、勝ち取っていくもの。それをGBMメンバーが今、模索している。」

4. T氏の意見

 彼は1983年から余暇指導員としてFUBやグルンデンにずっと関わってきており、現在もグルンデンの職員である。だが、グルンデンボイス独立の際の中心人物になった、として、GBMメンバーからは非難されている。現在もボイスの事務所はグルンデンの本部内にあるのだが、T氏自身、グルンデンにいることはまれで、彼の部屋だけは在室中もカーテンとドアが遮断され、中が見えないようになっている。
 T氏は、上述のGBMメンバーやGBM支援者とは、かなり異なる見解を示していた。
 彼はグルンデンボイスが独立するのは、グルンデンがFUBから独立したのと同じ理由だ、とした上で、以下のように述べている。「確かに今のGBMは当事者のみだが、3年前にグルンデンがFUBから独立したときには、当事者と健常者が混ざった理事会で始まった。なぜグルンデンボイスも、独立する際に当事者と健常者が混ざっていてはいけないのだ?」

 そして、独立については「メンバーとトレーナーが一緒に問題を解決すべき」としたうえで、「メンバーはスポーツをしたがっているのであり、理事会のことを話すのは二の次だ」「どの他のサッカークラブも、理事会に障害者を排除していない。ならば、どうしてグルンデンボイスは理事会から健常者を排除するのだ? 本当の統合とは、当事者と健常者が一緒に混ざることではないか。」「一つの種類の人しか理事会に入れないのは隔離である」と主張。あくまでもノーマルなフットボールクラブに近づくことが目標だ、とも語っていた。
 その一方で、「グルンデンボイスの名前は欲しい」とも主張。グルンデンボイスは有名なので、この名前を引き継ぎたい、という気持ちを持っていた。
 T氏の目標は、スウェーデンのフットボール協会にグルンデンボイスも仲間入りすること、である。だが、必ずしも協会に仲間入りするのに理事会が混ざる必要はない、とも答えた。「でも、今のグルンデンは大きすぎて、問題を決めにくい。独立した方が協会に入りやすい」とも答えていた。
 また、現在はグルンデンと新組織が紙による同意文章を作っているので、現在のところ、議論するべき問題ではない、とも語っていた。

C.GBMの今後の課題

1. メンバーの関わり方に関して

 GBMメンバーはみな、このGBMに参加する事への意義は感じているが、仕事が一部の人に偏っている事への問題視を一様にしていた。10年同じ会長であることが不満なメンバー、仕事が計画通り進まない事を問題にしているメンバー、などGBMの運営について問題視している意見が聞かれた。

2. 当事者と支援者の関係

 当事者が支援者を雇う、というグルンデン協会の方針に対しては、皆満足しているようであった。だが、十分な職員教育が出来ていない、GBMの支援者を増やす必要性を感じている、自分たちの意見をきちんと聞いてくれない職員もいる、といった意見も聞かれた。
 またGBM支援者のアンデシュに対しては、「彼以外に信頼できる人は多くいない」という声がある一方で、「彼がいなくても大丈夫なように、次の支援者を育てる必要がある」という声も挙がっていた。

3. グルンデンの今後

 GBMメンバーの多くが、とにかく早くグルンデンボイス問題を解決したい、という意見で一致していた。ただ、それ以外にも、会報を読めない人への情報提供の必要性を感じているメンバーや、重度障害者の代弁者の役割が必要、と感じるメンバーもいた。そして、現在グルンデンでは新しい試みを行っている。それが、「リーダーシップ教育」と「Grunden Academy」プロジェクトだ。

 「リーダーシップ教育」とは、GBMメンバーの中から6名と2名の支援者が、リーダーシップ教育のコンサルタントから月に一度、丸一日かけたプログラムを受けるものである。具体的には自己主張のトレーニングや、人の意見に耳を傾けるトレーニング、議論をまとめていくトレーニングなどを受けている。これを受ける中で、GBMメンバーの発言する力がかなり向上していくのが、フィードワークを通じても感じられた。

 また「Grunden Academy」プロジェクトは、あるフェスティバルにおいて、「施設をぶちこわせ」というポスターを作成したことから始まったプロジェクトである。これは「僕たちは好きな音楽を聴き、好きに行動して、楽しみたい。施設みたいな管理的な生活はいやだ」ということを表した意見表明のポスターであった。
 このポスターの作成に先立ち、2003年の1月からこのプロジェクトは始まった。まず、いったい施設とはなになのか、を全員で定義するために「スマッシュ(破壊すべきもの)」と、「こうであってほしい」というものを、みんなで模造紙に書き出した。まず破壊すべきものにはかなりいろんなものがあった。
・施設、古いグループホーム、年金、偏見、人々の態度、グルンデンオフィス、特別処遇、LSS、ラベリング、特殊学校
そして望ましいものとしては、アパートでの生活、年金ではなくサラリーをもらった暮らし、偏見と闘う、メディアの誤解を解く、普通学校、実質的な法律、オープンオフィスなどがかかれていた。
 そして、この活動と、先のリーダーシップ教育に基づき、現在EUへの補助金を申請しており、その補助金が通れば、リーダーシップ教育をうけたメンバーが、現在支援者が行っているグルンデン協会の運営にサラリーをもらって関わる予定である、ということであった。

4.知識こそが変革の最大の武器-脱施設と「接し方」教育-

 施設解体を進める上で、障害者に接する職員への教育はスウェーデンでも必須のものであった。本章では、スウェーデンにおける障害者に接する職員への教育の変遷を概観したのち、90年代の施設解体時の教育プログラムと、現在の兆候を報告する。

A.スタッフ教育の変遷

 「1980年代にはカール・グリュウネバルト氏の『小グループの原則』について、職員は学んでいました。大部屋から個室に、そして小さいグループでのケアをすることにより、障害者が中心になるようなケア、について学んで来ました。90年代になると、倫理とモラル、についてスタッフは学ぶようになりました。これは、接し方、と言ってもいいと思います。その人が人間らしい生活を出来るようにするにはどうしたらいいか、を職員が考えるようになりました。そして、2000年代に入って、なぜ知的障害になるのか、の研究が進んできたので、ダウン症や自閉症といった個々の症状を理解して、個人に着目したケアが大切にされています。職員もその個人の症状を知った上での個別ケアをするのが大切だ、ということです。」

 イエテボリ市の西海岸の島、スティシュー区でグループホームのユニット長をするイボンヌさんが説明してくださったのは、スウェーデンの知的障害者分野での教育の変遷そのものであった。1986年に「精神発達遅滞者等特別援護法」(通称「新援護法」)が施行された時、当時の社会庁知的障害援護部長だったカール・グリュウネバルト氏が「施設は有害である」とするコメントを発表し、大規模施設よりもグループホームでの暮らしが大切であることを述べている(河東田 1992)。そして、この当時から同氏は、小規模グループでの処遇の方が知的障害を持つ人にとって、人間関係を構築する上でもよい、とする「小グループの原則」を提唱していた(この原則については後述)。この原則に基づき、物理的環境を変え、「障害者が中心になるようなケア」とは何か、についてのスタッフ教育が80年代から行われていた。また、1985年には、障害者自身の自己決定を尊重し、職員がどのように障害者を尊重しながらケアしていかなければならないか、を説いた指針でもあるスウェーデン社会庁勧告「人間としての尊厳」(翻訳は二文字1998)も出されていた(この社会庁勧告もカール・グリュウネバルト氏が中心となって作られた)。

 それが、90年代になると、「接し方」に関する教育へと転換していく。1994年のLSSと、1997年に特別病院・入所施設解体法が制定される中で、多くの施設では施設解体に向けた職員への教育プロジェクトを組み、その中で、施設における管理・一括・職員主導型の接し方から、地域における障害者主導の接し方に移行するためにどうすればいいのか、何が人権侵害であり、どうすれば侵害せずに済むか、といった「接し方」やそれにまつわる倫理・モラルなどについて職員同士で議論されることが多くなってきた。

 そして、大規模施設が解体され、地域でのグループホームが増えてきた2000年代に入ると、「患者から市民へ」と名付けられた障害者政策のためのナショナル・ハンドリング・プラン(http://social.regeringen.se/ansvar/handikapp/handlingsplan.htm)が策定される。この中では、次の3つが国の障害者基本計画として謳われた。

  • 接し方をより優れたものとする
  • 社会全体のアクセス(利用性)をより優れたものとする
  • 社会全体が障害のある人達にとって過ごしやすいものであるよう努力したものでなければならない

 つまり、90年代に議論されていた、障害者への「よりよい接し方」を、現場のスタッフだけではなく、障害者に関わる全ての人が持つように、教育の対象も広げていった。そして、この障害者に関わる全ての人への「よりよい接し方」教育を担当するために、特別な教育支援のための国家機関SISUS(Swedish National Agency for Special Educational Support)が接し方教育に従事するようになる(後述)。また、障害を持つ市民が全ての公共の場所にアクセスしやすい様に、バリアフリーやDesign for allの考え方を各自治体レベルでも実現するための、各市レベルのハンドリング・プランを作ることになった。
 また、その中で、知的障害分野での研究も進んでいく。そもそもナショナル・ハンドリング・プランが出来るきっかけになったのは、盲目の元社会大臣で現在は国連の障害者レポーターでもあるベンクト・リンクビストが1999年に政府に提出した報告書「リンクビストの第9」(Lindqvists nia: SOU 1999:21)による。この中で彼は社会サービス法やLSSの理想と現実の間のギャップを埋めるために必要な9つの提言をしている。その中には先述の「接し方」や「社会全体のアクセス」についても提言しているが、提言8として、障害に関する研究を充実させ、政府が後押しすることも掲げていた。
 このようなスタッフ教育に関する歴史的変遷の中でも、以下では、「接し方」教育と「患者から市民へ」の2つを取り上げ、それぞれの特徴について調査に基づき報告する。「小グループの原則」については次章で取り上げる事とする。

B.「接し方」教育

 「接し方」(bemotande)に関しては、実に様々なパンフレットが発行され、スウェーデンの障害者支援現場では継続的に議論されているテーマの一つである。この「接し方」教育の歴史に関しては、知的障害者へのケアについて詳しい元社会庁の施設解体室長、オーベ・ローレン氏は以下のように説明していた。
 「元々この『接し方』については、1970年代から活発に議論されていました。パウロ・フレイレの被抑圧者へのエンパワメント理論が、障害者の現状にも当てはまる、と取り上げられていました。また、FUBなどでも盛んに議論が行われていました。そして1980年代になると、障害者の『権利』が重要視されるようになり、ノーマルな社会生活への統合や住宅条件の改善などが議論されるようになりました。これに基づき1986年に新援護法が制定され、またカール・グリュウネバルトによって社会庁報告書『人間の尊厳』も出されました。そして、ニイリエやグリュウネバルトと共にスウェーデンのノーマライゼーションの立て役者であり、接し方教育の構築に大きな貢献をもたらしたのが、心理学者グンナル・シーレーン注3です。彼の知的障害者への接し方理論は、80年代、90年代の、知的障害者への『接し方』教育に大きなインパクトを与えました。」

 尾添(2000)によれば、このグンナル・シーレーン氏は、1974年に発表した「知的障害をもつ人の認識について」という博士論文の中で、知的障害を本人の「心理的要素」と「身体的要素」、それから「環境的要素」と「人と環境の相互作用」の4つの枠組みから理解しようと試みたシーレーン理論を発表し、知的障害者に接する職員や家族、関係者に大きな影響を与えた。またニイリエ氏が創設したFUB付属の研究機関(ALA財団)を引き継いで数々の論文や教育パンフレットを発表すると共に、ストックホルム教員養成大学で教鞭も執り、知的障害者への接し方の教科書として名高い「援護の手引き(OMSORGSBOKEN)」の中でもシーレーン理論は多く取り上げられている 。
 この「接し方」が具体的に施設解体にどのように取り上げられたのか、は、ニイリエのノーマライゼーションの原理やシーレーン理論やグリュウネバルト氏の報告書などにインスピレーションを受けて、実際に職員教育を行っていた、元大規模施設のユニット長、ヤードさんの説明が非常にわかりやすい。以下、長くなるが、彼女の説明を引用する。

 「施設解体を始めるときに、まず解体のための発達運動、をしてきました。昔は大きい厨房でご飯を作っていたのを、今度はユニット型のものに変えました。そして、ユニット毎に当事者と職員が一緒に買い物に行って、当事者が好きなものを買って、自分で持たせて帰ってきて、自分のユニットの冷蔵庫にいれて、自分で食べる、といったことをしていました。また、例えば施設からGHに移るときにそのまま持っていけるような家具を一緒に買いに行って選ぼうとしたりもしました。これはすごく大変な作業でした。しかしこのような意識改革の過程を通り抜けてきたのです。

 この教育は、解体されることを前提に3年間やってきました。当時、入所施設解体の仕事をして、私の部下達に意識改革を強制していました。改革の当時は、私の部下達はみんな怒っていたのですが、今になってみると、みんなに会うと感謝してくれます。というのは、そのとき『ああしろ、こうしろ』と言われてやっていたことのお陰で、外に出たときに、仕事が非常にうまくいくようになったそうです。だから施設職員が外に出て行くには、このような意識改革が必要だと思います。

 その当時は、例えばカールスルンド、オーケシュバリエといった大規模入所施設で、それぞれの施設独自の解体プログラムがありました。それは施設によって異なりました。というのも、その施設にはどういう人が入居していたか、どういうタイプの職員で、どこに移っていくか、というのがみんな違っていましたから。ですが、みんな3年くらいかけて移行プロジェクトを行っていました。私の施設も独自のプロジェクトを作ってやったわけですが、そのために行政からストックホルムの4つの地区のうちの一つの現場指導員がやってきて、指導をしてくれた。そのとき、『この入所施設は5つ星のホテルのようなものだ。当事者は何もしなくて食事も出てくる、掃除もしなくて良い。そういう所にいるのではなく、これからは家賃を払って後は自分でするようになる。だから、あなた達は自分でやってはいけない。』と職員に話してくれた。『当人にとっては家庭なのだから、当人が出来るように支援して欲しい』と言われたのが、私にとっては非常によかったのです。

 もちろん昔のやり方をどうしても守りたがる職員、はいました。私にはよくわかります。その方が楽なのです。職員のルールに従って仕事をした方が。だけれど、それは変えていかなければならない。今ここに暮らしている人たちは、家賃だけは払って、あとは自分で暮らしていくのだから、この人のルールにあった仕事をしなければならない。
それを変えるには、ハードから変えて行きました。例えば、ここは共同住宅のワンフロアを使ったグループホームですが、以前はこの階に、このグループホームのためだけの洗濯所がありました。そうするとみんなデイセンターに行く前に汚れ物をポッとおいていく。そして職員が洗う。でも、それはおかしいのでやめました。ここは普通の共同の賃貸住宅なので、共同の洗濯場があります。時間を予約して、自分で行って洗濯しなければなりません。職員は、一緒について行って、見守っているだけです。そこに変えていくのはとっても大変でしたが、そういうハードも変えることによって、職員の仕事の仕方も変わっていきました。当事者も自立していくようになりました。」

 彼女の説明からわかるのは、「接し方」教育とは、単なる知識の習得のみならず、具体的に物理的環境をどのように変えていくのか、ということをも含んだ、大きな意識変革教育である、といえよう。
 また、社会庁のレイフ・ネーバー氏は、LSSの中にも、「接し方」教育の思想が息づいている、として、次のように説明してくれた。
 「LSSも『接し方』の教育と改善に一役買っています。LSS法の第9条第1項の1に相談援助サービスが挙げられています。これは県レベルが行うことです。例えばLSS法に基づいて市自治体がサービスが行われ、それに対して当事者が苦情を相談援助機関に持ち込むことがあります。そして、県側が、そのサービスの内容を調べて、市自治体側に、やり方を変えるよう、助言をすることもあります。これも『接し方』教育の一環です。」

C.患者から市民へ

1. ナショナル・ハンドリング・プランの骨子

 先述の障害者政策のためのナショナル・ハンドリング・プランの骨子では、以下のように述べられている。
 「障害者政策とは、すべての人々が市民であるということの権利に関するものだ。すべての人々が社会参画することが可能であるべきだ。障害者政策むけのナショナル・ハンドリング・プランは、どうすれば障害者の状況が改善されるかを示している。障害者を差別することは許されないことであると同時に差別を無くすべく努力してゆかなければならない。ナショナル・ハンドリング・プランは“患者から市民へ”と名付けられている。」
 この「患者から市民へ」というタイトルの元、

  • 接し方をより優れたものとする
  • 社会全体のアクセス(利用性)をより優れたものとする
  • 社会全体が障害のある人達にとって過ごしやすいものであるよう努力したものでなければならない

 という3点が強調された。そして、「よりよい接し方」に関しては、「場合によっては、機能障害のある人が社会生活をすることが不可能なこともある。たとえば、他の人達の態度などが障害になって、機能障害者が自分自身の権利や義務の行使が困難になることがある。すべての人々は同等の価値があり、尊敬の念をもって接されるべきであるということに関する基本的な価値観が、機能障害者に関係した物事の決定権のある人すべてにまで浸透していないのだ。」としたうえで、「特別な教育支援のための国の組織 (Sisus)は、機能障害者に接する際の行政機関の能力を高めるために全国的なプログラムを作成した。」

2. SISUSについて

 SISUS(http://www.sisus.se/)はもとは障害者「自身」への特別な教育支援のための国立の教育機関である。現在でも障害者の高等教育に関する補助金申請の窓口や、障害学生のための情報提供などを行っている。だが、ナショナル・ハンドリング・プランを受けて、障害者「に接する人」への教育援助の中心機関の役割を果たすようになった。そして、現在、障害者への「接し方教育」を推進する補助金交付の窓口となっているだけでなく、自らも「接し方教育」についてのプログラムを開発する役割も担っている。

 このうち、「障害者への接し方」(Responding to persons with disabilities)と題されたSISUSの報告書の中では、障害者への「接し方」を変えるための全国的なプログラムについての解説がなされている。
 この中では「接し方」を改善すべき対称として3つのレベルを挙げている。1つ目が集合的接し方(collective response)への責任を負っている政権や政府レベル。2つ目が組織的接し方(organizational response)への責任を負っている、国家機関や県庁、市自治体や社会保険事務所である。そして3つ目として、個人的な接し方(individual response)への責任を負っている、市民に接する公務員である。

 そして、各レベルへどのように「接し方」を改善していくべきか、について、具体例を挙げながら解説している。またそのほかにも、女性と男性、子供や若者、多民族の障害者への接し方に対しても触れている。そして、SISUSの重点事業である、「情報提供」「障害者に関する芸術や教育の開発」「接し方の質を高める教育」について、各々の3つのレベルでどのようにしていけばよいか、についての提言を行っている。

 また、SISUSではこの提言に基づき、現在2つ目の「組織的接し方」を変えるための教育に力を入れている。具体的には、各市自治体や県の障害者部門の担当責任者の役人や政治家への講習会のためにSISUSの講師が毎週のように出かけている。実際に障害者ケアに従事する職員への教育については90年代までで一定の成果があったので、今度はそのここの職員を統括する職員への教育を行い、「組織的接し方」自体を変えていこう、という取り組みである。また、「個人的接し方」に関しては、中学生が学べる障害に関する副読本と教師用のハンドブックを作成している。また、これらのSISUSの取り組みは、政権レベルの集合的接し方が、国連のスタンダードルールに則った障害者政策に変革した故の出来事であることは言うまでもない。

 ちなみに、SISUSの担当者への調査の最後、障害者への接し方や偏見を変えるために一番必要な者は何か、を訪ねたとき、二人が口を揃えて"Knowledge"と答えた。職員教育に端を発し、政治家や行政トップといった機能障害者に関係した物事の決定権のある人すべての人への教育、さらには中学生への障害者教育に力を入れている彼らにとって、“Knowledge"を伝え、教えることは、人々の障害者観を変える変革の強力な武器として機能している。

5.ノーマライゼーションの現場レベルでの具現化

A.ノーマライゼーションとスウェーデン

ノーマライゼーション思想の源流を辿ってみると、デンマークの「1959年法」に行き着く。この法律は、当時デンマーク社会省で知的障害者のための施設を担当していた官僚、ニルス・エリック・バンクミケルセン(Bank-Mikkelsen, N.,E.)によって起草された。この法律は「ノーマルな生活」という言葉が初めて法制化されたものであった。このノーマライゼーションの「生みの親」(大熊 2003)であるバンクミケルセンは、ノーマルな生活における生活条件の検討課題として以下のように指摘している。
 「生活条件(condition of life)は、住居の条件(housing condition)、仕事の条件(working condition)、余暇(leisure)の三側面から検討しなければならない。さらに子どもと大人を区別しなければならない。」(バンクミケルセン 1978:訳書146頁)
デンマークの法制化から10年後の1969年、スウェーデンのFUB(スウェーデン知的障害児童・青少年・成人同盟)のオンブズマン兼事務局長を勤めていたベンクト-ニイリエ(Nirje, B)は、バンクミケルセンの「3つの側面」を深めた「ノーマライゼーションの原理」を発表し、全世界に大きな影響を与えた。その原理は、以下の8つの要素から構成されている。

  1. 一日のノーマルなリズム。
  2. 一週間のノーマルなリズム。
  3. 一年間のノーマルなリズム。
  4. ライフサイクルにおけるノーマルな発達的経験。
  5. ノーマルな個人の尊厳と自己決定権。
  6. その文化におけるノーマルな性的関係。
  7. その社会におけるノーマルな経済水準とそれを得る権利。
  8. その地域におけるノーマルな環境形態と水準(ニイリエ1998)。

 このノーマライゼーションの「思想面での育ての親」がニイリエとするならば、ノーマライゼーションの「行政面での育ての親」と呼ばれているのがカール・グリュウネバルトである(大熊 2003)。彼は先述のように1986年に新援護法が施行された時、当時の社会庁知的障害援護部長として「施設は有害である」とするコメントを発表し、大規模施設よりもグループホームでの暮らしが大切であることを述べているだけでなく、その後も後述の「小グループの原則」を初め様々なノーマライゼーションに叶った行政施策を打ち出しており、また、社会庁を退職後も積極的にLSSの研究や出版なども続けている。
 今回の調査では、幸いにもニイリエ氏とグリュウネバルト氏の両人にインタビューすることが出来、多くの知見が得られた。それのみならず、現場での調査から、この二人の「育ての親」が作ったノーマライゼーションの理念が、現場レベルで実践としてしっかりと根を下ろしているようすを知ることが出来た。それと共に、現場では、何が「ノーマルか」を巡っての対立の構図があることも明らかになってきた。そこで、このノーマライゼーションの原理の現場での具現化、を主に「ミニ施設化を防ぐコツ」「文化と余暇活動がSocial Needsを守る鍵」という2つのテーマとして言及する。

B.ミニ施設化を防ぐ鍵

 本調査の中で、現場の担当者・研究者を問わず、筆者はインタビューをした多くの人々に同じ質問を繰り返していた。それは、「グループホームがミニ施設化しないためにはどうしたらいいと思いますか?」という質問であった。「ミニ施設化とはどういうイメージか?」と問われた際には、「入所施設に比べて規模が小さくなり、また街中や住宅地の中に存在するものの、そこで行われているケアが入所施設と同じ集団管理的処遇の色彩が強いものであるようなもの。それは巨大入所施設の縮小版、つまりはグループホームの『ミニ施設化』であると私は考えるのですが・・・」と答えた。すると、多くの人が「それならわかる」と答えると共に、グループホームがミニ施設化する可能性について、いくつかの重なり合う解答を寄せてくれた。

1. 「共同スペース」での「一緒の食事」が諸悪の根元!?

 「スウェーデンが一番失敗したことは、『共通スペースがある』ことです。そこでみんな一緒に食事をするのはよくありません。ここも最初それをしていたので、ミニ施設化しそうになった。食事の買い物も、共通のところと、みんなの所、の両方の買い物もしなければならなかった。だから、ここではそれに変わって、みんなそれぞれ自分の家で食事をしています。ところが、みんなで週末は一緒に食事をするのですが、それは希望制で、例えばウルフさんがみんなと一緒に食事をしたくなければ、それはする必要はありません。そういう風な、『個人の意見を尊重する』ことが、みんなを一緒にするミニ施設化を防ぐ一つのコツです。」

 これは先述の元入所施設のユニット長で現在はストックホルムのある地区のグループホームのユニット長をしているヤードさんの解答であった。この「共通スペースでの同じ時間の食事」に関しては、グルンデン調査の支援者アンデシュさんの口からも同様の発言が出ていた。「必ずしも好きな人同士が一緒に住んでいる訳ではないのに、食事まで一緒にさせられる必要はない。」 そして、もちろんこの食事は各自、ということを保証するために、スウェーデンの知的障害者のグループホームは全室個室であるばかりか、その大半がバス・トイレ・簡易キッチンの完備したものである。それから、夕食の時間帯には、5人の入居者に2~3人の支援者が配置され、食事作りのお世話に従事するケースが多い。この点に関しては、グリュウネバルト氏は次のように評価している。「グループホームがミニ施設にならないために役立ったことは、『自己決定』です。自分で決めて良い、ということは、昔と比べて全く違います。この自己決定のコンセプトが施設化をなくすのに非常に役立っています。」 食事に関しても、みんなと食べるか、自分一人で食べるか、を「自分で決めて良い」というのがポイントである、とまとめることが出来よう。

2. 外に出ていくこと、外から迎えること

 先述のヤード氏は、ミニ施設化しないもう一つのコツとして、次のようなことも挙げている。「個別に、複数でもせいぜい入居者二人と職員一人で、出かけることです。レストランなどにみんな一緒につれて、ということはしません。1:1,2:1だと、その人に注目して接することが出来るからです。」 この外に出ていくことの大切さ、についてはニイリエ氏も同様の発言をしている。「ミニ施設にならないためには、グループホームの中ではなくて、外に色々な活動があるから、グループホームからその人達を外に引っ張り出していくような活動がなければなりません。それからやはり、GHに住んでいる障害者と、外にいる障害者が一緒に集って話し合えるような場所、グルンデンのような場所が必要です。」 そして、グルンデンの支援者アンデシュ氏は、逆に外にいる友人をグループホームに迎え入れることも大切だ、と言う。「グルンデンの仲間が暮らすグループホームでは、individual needsを大切にされている。グループホーム内で完結させず、居住者が街に出ていくなど、社会化することが大切だと考えている。例えばベタニアホームがあった場所にあるGHでは、アスペルガーの人が3,4人暮らしている。でもその人たちが仲間を作る、というよりも、自分で選んだ、外から来た友人と一緒に出かけている。いくら障害があるから、と言っても、ミーティングルームに皆が集まる必要はない。良い隣人ではなく、時として敵である場合もあるのだから。」

3. 小グループの原則

 また、グループホームのハード面での問題としては、先ほどから何度も出てきたがカール・グリュウネバルト氏の提唱した「小グループの原則」が、あちこちのグループホームでも重要視されていた。
 この小グループの原則、とはグリュウネバルト氏が1980年代から提唱し、1980年代の知的障害者のグループホームの「原則定員4人」という基準の根拠となったものである。これについて、同氏は以下のように説明している。
 「知的障害者はいろんな周りの人との関連性を作って、それを保持していくのが苦手です。しかも少人数ならいいのですが、大勢の人が一緒にいると、全部自分で出来なくなって、諦めてしまう場合もあります。この関係について、数字を使って、算数のようにして説明しましょう。グループホームに住んでいる人の数と色々な人との関連性を、算術的に計算できます。3人の人が暮らしていると、6つの関係が生まれます。4人だったら、25の関係。5人だと90の関係に増え、6人になるともっと増えます。」

グループのサイズ グループ内における発生可能な人間関係の数
2人
3人
4人 25
5人 90
6人 301
7人 966
8人 2059

出典:Intra 2000 Nr.4

 ただ、この小グループについて、現在のスウェーデンでは守られていない、と同氏は警鐘を鳴らしている。「1990年代にスウェーデンが不況になると、この4人を、5人、6人と増やしていきました。こういう風に人数が増えてくると、合理的なケアをする危険性が非常に増えてきます。」
 また、グループホームの原則として、「可能な限り男女同数」と「障害の重度、中度、軽度の人を混ぜ合わせておく」ことの大切さもグリュウネバルト氏は強調していた。この背景には、1.日本のグループホームと違い、各個人の部屋が自分で鍵のかけられる個室であること、2.ノーマルな性的関係を尊重していること、3.障害の軽度の人は原則地域での自立生活が実現できていること、4.グループホームに住まう軽度の人は知的障害+何らかの障害を持っており、彼ら彼女らは重度の人の手伝いをすることに生き甲斐を感じている場合も多いこと、5.障害の程度をミックスすることによって、重度の人は軽度の人から良い刺激を受けること、6.入居者の障害程度がミックスされていると、職員が介護とコミュニケーションの両立がはかられること、などを挙げることが出来る。それから、7.世話人一人が日中と夕方のみ対応するのでなく、24時間誰かがグループホーム内かその近くにいて、夜中以外は複数名の十分な人的配置があることが、1~6のその大前提としてある。

C.文化と余暇活動がSocial Needsを守る鍵

 結果の2の部分で詳述したように、コンタクトパーソン、ガイド・ヘルプ、パーソナル・アシスタントなどその人の余暇と文化活動を支援するサービスは「その人らしい社会生活」の支援に大変役立っていた。だが、この余暇と文化活動支援、に関しては、スウェーデン国内でも大きな争点となっている。

1. ニイリエ氏の危惧

 ニイリエ氏は元大規模入所施設で働いていた職員が地域移行後にグループホーム職員となってケアをし続ける場合、の問題点について、次のように指摘している。
 「施設にいた職員は、その人達が何でも決めてしまって、しかも職員から見ると、グループホームなどで事故が起こらないための責任問題を気にします。すると過保護、過干渉になりがちです。ですからそこの所で、パターンを破らなければなりません。
 ということは、ほんのちょっとの支援で、障害当事者が自分で出来る、ということを、クラブ活動などを通して実感できる、そういう場所を作らなければなりません。で、職員はその人の住んでいるところで、お掃除や洗濯の仕事を教えてくれるのはいいけれど、入所施設にいた職員は、『この人の余暇の時間の使い方をどういう風にのばしてあげるか』を考える専門教育を受けていません。それからこの人の社会的能力を伸ばすためにはどうしたらいいか、も学んでいません。それからこの人が経済的にお金をどう扱うか、の能力を伸ばす教育もうけていません。」
 つまり、過保護や過干渉にならず、その人の余暇や文化的活動を側面から支援することが大切だが、この点はなかなか難しいことをさしている。

2. 「義務」か「してあげたいこと」か?

 一方、イエテボリ市の障害者部門の行政側責任者であるハンス・ブレンネ氏は、余暇と文化活動に関して、ニイリエ氏と見解が異なっている。
 「ここのところが『義務』になってくる、か、『してあげたい』とすることなのか、の問題になってきます。市自治体の『義務』としては、すぐれた住宅を提供する、デイ活動を提供する、その人たちの身体的日常ケアをする、これらのことは義務ですから、どうしても最優先で力を入れざるを得ません。そして、その次の問題、文化と余暇的活動の問題は、変えたいと思っても、お金が足りない場合、どこを削るか、というとここを削ることになってしまいます。それが今、財政的に苦しいから、どうしてもこの部分にふんだんにお金を出すことが出来ないのが実状です。」
 ブレンネ氏によると、文化と余暇的活動については、「義務」ではなくて、「してあげたい」と思ってやっている、裁量的な部分という捉え方である。LSS第9条第1項に書かれている10の具体的サービスについては、「義務」としてとり組むが、余暇活動や文化活動については、LSS第9条第3項で「児童および青少年用特別サービス住宅や成人用特別サービス住宅という具体策には、余暇活動や文化活動も含まれている」という文言があるものの、これが「権利として得られる特別な援助とサービス」の10の項目の中に含まれていないため、予算とのかねあいで削減せざるをえないケースも出てくる、というのだ。
 また査定員調査の中からも、「サービス提供時間には限りがあるし、何が合理的か、そしてノーマライゼーションの視点からこの問題をみたらどうか、を私達は考えます。もちろん予算を気にする地区もあるが、それは本来そうあるべきではありません。」という声も聞かれた。
 これらは、「LSSは義務法であり、予算によってサービス支給決定を拒否できない」という点と矛盾している。また、障害者自身にとって、余暇や文化活動の追求は、LSSに記載されている「当然の権利の一つ」と考えられている。そして、この文化と余暇活動に関する支援の矛盾がもっとも浮き彫りになった事件の1つとして、コンタクトパーソンの部分で触れた、グルンデン代表のオーストラリア会議出席問題、が挙げられる。

3. オーストラリア行きの件

 グルンデン調査でも、GBMメンバーがオーストラリアの国際会議に出かける際にパーソナル・アシスタントを求めたが、査定員によって支給を拒否され、裁判で争った、という出来事について、イエテボリ市行政側のハンス・ブレンネ氏は次のように答えている。
 「二人のグルンデンの活動家がいて、年に二回、海外への会議に行くことになりました。そして、そのうちの一人はパーソナル・アシスタントはOKになり、もう一人の人はパーソナル・アシスタントがOKにならなかった。二人とも同じ仕事をして、同じ障害者であったにも関わらず。
 でも、その場合、一言でその人の住んでいる区の担当官の格差だ、とは言えない。一人の人の生活全体を見たとき、この人にとってオーストラリアの会議に行くことがこの人の人生全体の中でどれほど重要か? 例えば、他に何もない、ということであれば、この人にとってパーソナル・アシスタントを付けてオーストラリアに行くことは、人生の中で重要な意味のあることだ。ところが一方、もう一人の人は、オーストラリアに行くこと以外にも、たくさんの会議などにも出かけている。そうすると、この会議に行くことの重要性、というのが落ちてくる。そういう風にして判断するので、その人の普通の生活状況、どういう生活をしているか、どういう生き方をしているか、を相対的に見ていくのであって、LSSも社会サービス法も自分が希望したらパッとサービスが通る法律ではない。そうではなくて、査定をされる訳です。何が妥当であるか、を査定する場合、その人の生活全体、ネットワークとか何が出来るとか、そういった生活全体を見て、査定していきます。」

 これに対してグルンデンの支援者アンデシュさんは、次のように反論している。
 「LSSそれ自体は、確かにいいものである。しかし、あくまでも字面であって、実際の運用となると話は別。LSSを適用する際には行政の査定員がその運用に関して判断を行うが、それがなかなか当事者のニーズとそぐわない場合もある。そして不服の場合は裁判所に持ち込めるが、この裁判所の判断も大半が政府側の見方をする。たとえば、グルンデンでは国際会議に当事者が出かける。これはふつうの人が国際会議に出かけるのと同じように出かける。もちろん査定員や裁判所の代表が出かけるのと同じように。でも、査定員や裁判所の人々は、知的障害を持つ当事者に役割(function)がある、と思っていない。だがグルンデンの当事者には役割がきちんとある。それが理解されていない。そして、グルンデンの当事者が会議に出かける際には、支援者が同行する必要があるので、二人分の旅費が必要とされる。でもその費用が捻出されない。そこで裁判所に訴えても、査定員側の肩を持つ場合が多い。だから、彼らは,LSSの運用者に対して大変不満を抱いている。そして、もっと実体の伴った法律がほしい、と訴えているのだ。」
 一人の人の生活全体を見たとき、この人にとってある余暇や文化活動が、その人の人生全体の中でどれほど重要か、という問題、つまり余暇と文化活動に関して、何が「ノーマル」か、という問題は、スウェーデン国内でもまだ決着のついていない問題、と言えるであろう。

IV.考察

1.住宅を巡る問題

 LSSに基づくサービスの中で、特にサービス支給が義務づけられているにも関わらず、供給不足のために問題になっているケースとして、住宅供給の問題が挙げられる。例えばイエテボリ市の行政部門の責任者、ハンス・ブレンネ氏はこの問題に対して以下のようなコメントを述べている。
 「イエテボリが成功しなかった一番大きな事、それは成人の知的障害者・精神障害者に対する適切な住宅供給不足です。きっとそのことはイエテボリの色々な人から聞かれたと思います。今イエテボリ市が障害者分野で最大の問題と考えるのは何か、それは成人の知的障害者への適切な住宅がないから、本人が成人して親元から離れたい、と思っているのに、親も自立させたい、と思っているのに、引っ越し先がない、ということです。」

 結果の1のところで述べたが、成人の知的障害者の約2割が、親元に同居している、と言われている。また、この住宅供給不足の問題は、現場の査定員にも大きな影響を及ぼしている。例えば、地区の査定員の一人は、住宅供給の問題について、このような具体例を教えてくれた。
 「住居の支給決定に関しては、決定してから3ヶ月以内に支給が出来ないことが明らかな場合、支給拒否決定をする。それは市からも言われている。そして、障害者自身が裁判所に不服申請をするのを助ける事もある。裁判所はたいていの場合、障害者側の主張を認め、サービス支給をしない場合には罰金を科す、という判決を下す。その場合、政治家は罰金を払いたくないが故に、住宅支給についての優先順位を上げる。回りくどいやり方だが、政治家を納得させて住宅供給を実現するためには、こういう方法を採ることもある。」

 つまり、予め裁判で行政側が負ける事がわかっていても、敢えて裁判に持ち込むように支給拒否決定をしなければ、「支給決定」を下してもすぐには住宅供給が出来ない、という事情があるのだ。そして、この背景には、政治家の理解度と予算の問題がある。
 イエテボリ市では全市的に障害者に限らず住宅供給状態が続いており、障害者向けの住宅を特別に用意したり、ましてやグループホームを建設するのは、かなり厳しい状態である。そして、政治家も予算のかかる住宅については、「住宅不足」を理由に棚上げしたい。だが、LSS第27条に記載されている上訴権を用いて障害者が行政裁判所に提訴し、裁判所が障害者側の主張を認めた場合、行政側は3ヶ月以内に対応しなければ、最高で50万クローナ(日本円で650万円)の罰金を払わなければならない。地区の政治家は罰金の支払いは嫌なので、裁判所の判決が出れば、優先順位を上げて対応する、こういう構図なのである。

 つまり、政治家レベルでは、LSSに基づくサービス支給も、予算とのかねあい、という部分が見られる、ということだ。そして、査定員調査からも、住宅供給やホームヘルプなど、地区が直接支出しなければならないサービスに関しては、査定員の決裁ではなく、政治家の決裁を受けなければならない、と答えた地区が複数見られた。
 だが、その一方で、全ての調査した査定員は、「原則予算を理由にサービスを断ることは、査定員レベルではない」と答えていた。LSSは義務法であり、予算を理由にサービス支給は断れない、というのだ。「では、政治家が決裁する案件について、見解の相違があるときはどうするのですか?」と尋ねると、多くの査定員が、「政治家と議論するが、最終的に査定員側の主張が支持される」とのことであった。しかし、これは、地区の政治家や査定員の上司がどのような人か、によってまちまちの部分があり、中には「LSSは良いが、上司は予算を気にして私に圧力をかけてくる。私はそのような『お金を気にする』やり方が嫌いなので、私はもうすぐこの仕事を辞める。」といった本音を聞かせてくれた査定員もいた。
 住宅供給の課題から見えてくることをもう一度整理するならば、LSSという義務法に基づくサービス支給に関しては、原則は「予算のことを考えなくてもいい」のだが、その地区の上司や政治家の姿勢によって、実際の所予算の兼ね合いでサービスの支給如何が決まる地区もある、ということだ。また、だからこそ、結果の4のSISUSの教育プログラムの部分で述べた、地区の政治家や査定員の上司といった「機能障害者に関係した物事の決定権のある人すべての人への教育」が重要になってくるのであろう。

2.Social Needsをどう捉えるか?

 結果の5のところで詳述したが、LSSにおいて、住宅供給やデイ活動の提供、あるいは身体的日常ケアといったbasic human physical needsの提供は「義務」と考えられている。その一方で、市自治体幹部や査定員の中には、余暇や文化活動を「してあげること」と捉え、予算削減の折りの削減対象と考えるケースもあった。査定員も、余暇や文化活動に関しては「何がノーマルか」を判断するのが大変難しく、同僚や時には地区の他の査定員と相談することもある、という解答も見られた。また、これに関連して、GBMメンバーのオーストラリア会議出席では、一人の参加予定者の文化活動の解釈を巡ってグルンデン協会側とイエテボリ市側に大きな対立の溝が見られることも明らかになった。

 先述のイエテボリ市幹部はまた、次のようにも述べている。
 「デイセンターがしていることは、私達が趣味の活動として夜や週末にしている事を昼間しているのがたくさんある、と思います。例えば、ドラマとか音楽とか水泳とか。そういうところでの活動は、昼間に行われてはいるけれど、まったく文化とか余暇的活動が行われていないわけではない、と思わないのです。」
 これは、裏を返せば、デイセンターで行われていることは、「文化・余暇的活動」であり、仕事の側面が低い、ということでもある。つまり、グルンデンのメンバーがオーストラリア会議出席をする際も、グルンデン協会側は、その会議出席が「仕事」であり、ふつうの人が国際会議に「仕事」で出かけるのと同じように、彼らの「仕事」を「仕事」として認めて、それに必要な支援をして欲しい、そしてそれは権利でもある、という主張である。一方、市側は、知的障害者の国際会議出席を、あくまで文化活動の一種と捉え、「この人の人生全体の中で会議出席がどれほど重要か?」が査定される。「仕事」として必要不可欠なので会議出席は「義務」と捉えるか、「文化活動」なので「重要性」や「その文化の中でのノーマルな水準」にあわせてする「してあげること」なのか。

 これは知的障害者のデイ活動の捉え方や「就労」観にも関わる根元的問題である。
 しかし、ここで強調しておきたいのは、これらの上述問題は、まさにSocial Needsに関わる問題である、ということである。トイレ介助や食事介助、あるいは住宅供給やデイ活動といった、誰にでも当てはまる普遍的な支援ではなく、一人一人のニーズに合わせた個別支援で、しかもそれが「仕事」か「文化活動」か、の解釈に開きのある場合、まさに明らかになるのは、Social Needsの判断には数値で表せるような客観的な基準がなく、あくまでもその人・組織・社会の中で相対的に判断される「ノーマルさ」ということなのだ。そして、この部分こそ、ノーマライゼーションの原理そのものの孕む社会依存性の問題があらわになっている。「平均的な・・・」ということを表しにくいサービスについては、判断者の主観が最後のよりどころになり、原理としては「ぶれのある」原理である、という点である。
 ただ、グルンデンのメンバーのオーストラリア会議出席問題でも、不満があれば当事者は裁判所に上訴する権利を持っている。最初から「それはダメ」と権力保持者によって決定が下され、本人も泣き寝入りするしかない、という上下関係から、不満があれば上訴して議論する、という横の関係に改善された、という点で大きく評価される点であろう。

3.self advocacyの実際

 ニイリエ氏は障害者が自分たちの会を作ることが重要性について振り返る中で、以下のように述べている。
 「会を作る際に、支援者が理事長になって、会長・書記になって、当人が副会長、副会計、副書記において、彼らに学んでもらいました。で、1年後には当事者が会長や会計、書記の役割を担うようになる。すると支援者は副会長、副会計の仕事をするようになる。それで、当事者が活発に会を動かす為に、『私達がこの会を動かしているのだ』と感じられるようにしたことです。それと同時に、当事者も社会的技術、会の運営の仕方、などの講習会に行ってもらいました。」

 グルンデン協会の成長過程も、まさにニイリエ氏のこのプロセス通りだった。最初グルンデンが知的障害者親の会(FUB)の一部だった時に、当事者が理事の一部になっていたが、独立に向かって当事者理事の数が増え、独立後は支援者の理事がどんどん減っていき、現在では理事が当事者のみになり、一人の元理事である支援者が、理事を辞任後も一支援者として理事会のサポートをしている、という構図である。

 この点で、先述のGrunden Boisの支援者T氏の認識は、根本的にニイリエ氏の考え方と相反するものである、といえる。確かにグルンデン協会のFUBからの独立時には、支援者も理事のメンバーであった。だが、それは当事者が理事会で主導権を握る力を持つようになるまでの、あくまでも「暫定的」な措置である。今ではすっかりGBMメンバーは成長し、まさに「私達がこの会を動かしている」という認識をGBMメンバーは持っている。そうでなければ、Grunden Bois独立時にこれほど大きな反発が、GBMメンバーから出ることはなかった。その一方で、T氏は「能力に欠けている」「彼らはサッカーをしたいのであって理事会をしたいのではない」などと当事者達の理事会でのリーダーシップに否定的で、健常者を理事会に半数入れた上で、その状態を「社会的統合」という言葉を用いて固定化しようとしている。このT氏の姿勢は、グルンデン協会の掲げる”Self Advocacy”の流れとは真っ向から対立するものであり、ノーマライゼーションの原理にも反したものである、と言えよう。

 またGBMメンバーの「後継者育成」についても、目を見張るものがある。日本の当事者会では、会を代表する「有名な」当事者が出現すると、その後継者がなかなか育たない、という問題が散見される。だが、グルンデンでは、以前の会長アンナさん、現在の会長ハンスさんとも大変「有名な」当事者だが、その次の会長候補である当事者を育てるための「リーダーシップ教育」も行われている。そして、私の5ヶ月の調査期間の中でも、グルンデンのメンバーがこの「リーダーシップ教育」によって、以前より自己主張がしっかり出来るようになったのを垣間見た。

 また、Grunden Bois問題は、確かに当事者達にとって辛い問題ではあったが、この問題を通して、GBMメンバーが密接に話す機会が増え、同時にグルンデン全体の問題をGBMメンバーが今まで以上に考えるようになり、結果として当事者が活発に会を動かしていく起爆剤になった。

 本人のself advocacyを実現していく過程は、支援者アンデシュさんが言うように、まさに「遊びでも、楽しいものではない。苦しみの中から、もがきながら、勝ち取っていくもの。」である。そして、実際の難局を切り抜ける中から、GBMメンバーは獲得しつつある。

 ただ、課題点といえば、これがGBMメンバー以外にどのように波及していくか、という問題であろう。GBMメンバーにはデイ活動以外にこのようなself advocacyの実践の場がたくさん用意されていた。だが、一方でGBMに参加しないメンバー、特に重度の障害を持っていて、意志決定の場に参加しにくいメンバーの「声なき声」をどのように代弁していくのか。自分のself advocacyから、自分の周りの、そして同じ障害を抱える仲間達のself advocacyへとどのように結びつけていくのか、が今後の課題だろう。

4.ノーマライゼーションの検証

 考察の最後に、調査結果に基づき、ノーマライゼーションの8つの原理(全てニイリエ1998による)が、具体的にどのように適応されているのか、いないのか、を検証する。

1. 「一日のノーマルなリズム」について

 LSSの査定員のアセスメントの際には、食事、服の着脱、排泄、コミュニケーション、の4つの点が大切にされる側面として着目される。これらは、1日の生活を送る上で必要最低限なニーズである。これらのbasic human physical needsの面で障害がある場合、当然グループホームであれ、パーソナル・アシスタントを使った地域での生活であれ、その支援は保証されている。また、社会サービス法の関連法である「サーラ法」が現場でも意識されていた。これは、高齢者介護の分野で、高齢者住宅入居者のお年寄りに床ずれが出来ている現状を、ケア職員のサーラさんが現場を訪れたテレビクルーに告発し、スウェーデン社会全体の大きな問題となって、告発したサーラさんの名前に関して職員の内部告発を保護するために作られた法律である。このサーラ法は、知的障害者のグループホームでも適応されており、職員は、介護の基本的ニーズ(basic human physical needs)については、ぬかりなく行うことが期待され、職員もそれが義務でもある、と感じているようであった。

2. 「一週間のノーマルなリズム」について

 ニイリエはこの一週間のノーマルなリズムの中に、「家庭・仕事・余暇」の3つの側面を入れている。本調査の結果と照らし合わせたとき、家庭は「住居支援」、仕事は「日中活動」、余暇を「余暇と文化活動」と置き換えることが出来る。そして、この3つを比較した際、明らかに「余暇と文化活動」の側面、つまりSocial Needsの側面で、スウェーデンの現状では問題が散見されることが、本調査からもはっきりしてきた。ニイリエ氏もインタビューの中で、現状の政策について、「まず入所施設から外に出ました。すると普通の家が出来ました。そして、新しいデイ活動センターに行きます。でも、それで終わってしまう」と危惧していた。
 この「余暇・文化活動」を豊かにするのが、パーソナル・アシスタント、ガイド・ヘルプ、コンタクトパーソンの3つのサービスだ。しかし、パーソナル・アシスタントの査定に関しても、Social Needsの時間について、査定員の間で何が「ノーマルか」を巡っての開きがある、という問題もある。とはいえ、実際にこれらのサービスを使って、夜や週末に友人と外出したり(ガイド・ヘルプ、パーソナル・アシスタント)、あるいは友人の幅を広げてふつうの人と出かける機会を作ったり(コンタクトパーソン)という、知的障害者の可能性の拡大を保証している点は、大変評価すべきポイントであると考えられる。

3. 「一年間のノーマルなリズム」について

 ニイリエはこの点について、季節の変化を感じたり、スポーツや文化活動、地域行事の共有、長期休暇を楽しむ、と言ったことを指摘している。これも先ほどと同じ、「余暇・文化活動」のカテゴリーに属するものである。そして、この点については、先述のグルンデンメンバーのオーストラリア行きの問題だけでなく、海外旅行を年に1度認めるかどうか、行くとするとヨーロッパ圏内ならいいのか、といった、「ノーマル」を巡る問題が再燃する。
 スウェーデン経済自体が好景気な訳ではなく、予算削減がどの行政レベルでも迫られていて、また一般企業に勤めるブルーワーカー層では海外旅行に年に1度いく、ということが「アブノーマル」になりつつある現在、LSSを受給する知的障害者の方が、休暇に関してはリッチに旅行できている、という批判も聞かれる。この部分に対して、世間一般にあわせて「ノーマル」レベルを引き落とすのかどうか、も含めて、どのようにスウェーデン社会や行政が考えていくのか、が今後大いに注目される点でもある。

4. 「ライフサイクルにおけるノーマルな発達的経験」について

 ニイリエはこの部分について、幼児期、児童期、青年期、成人期、老齢期といったライフサイクルに応じた発達的経験を保証することを強調している。そして、この点については、入所施設を解体して地域生活を保障したLSSの中で力を入れている点の一つである、と言えるだろう。特に、知的障害を持つ幼児、児童の為のショートステイやパーソナル・アシスタント、学童保育など様々なサービスが充実している。また、青年期から成人期では、グループホームでの支援、コンタクトパーソンなどの友人作り、などで支えている。

5. ノーマルな個人の尊厳と自己決定権

 このことは、現場の幹部職員や、あるいは職員教育に携わる専門家から、何度となく聞かされた点である。「接し方」(bemotande)について20年以上にわたり議論を重ね、現場での実践を積み重ねて来た中で、現場の上層部レベルでの「尊厳」や「自己決定」に関する認識はかなり高い、と考えて良い。
 ただ、それが現場の介護スタッフの一人一人となると、少し怪しくなる。こちらではグループホームなどの介護現場では、介護のやり方などの授業などを受けた専門高校を卒業した学生がなり手になる場合が多いが、彼ら彼女らに充分な「接し方」教育が出来ていない、という指摘も、現場のスタッフから聞いた。また、元大規模施設のスタッフにはこういった「個人の尊厳」や「自己決定」より、集団管理的なケアをしてきた経験が長く、その経験を捨てられないから地域でのケアには向いていない、と断言する専門家もいた。このように、現場での介護職員一人一人の認識と実践を高めるための努力には終わりがなく、またこの点で改善の余地は残されている、と言える。

6. 「その文化におけるノーマルな性的関係」について

 この点でも、知的障害を持つ人の恋愛や結婚も実にオープンに語られている。例えば、グルンデンメディアでは、2003年の夏に結婚したメンバーを題材に、障害者の性と結婚をテーマにした映画「Klick」を作り、イエテボリフィルムフェスティバルで高い評価を得る作品に仕上げた。この映画を見たメンバーの中からは、さっそく「あの映画を見て、僕も恋人が欲しくなった」という発言も飛び出している。そして、グルンデンのメンバーの中には、子供がいるメンバーも何人もいる。
 ただ、知的障害者の子育てに関しては、この国でも新聞沙汰になるような社会問題となっている。子供を自分たちで育てられずに養子に出さなければならないケースや、養育権を巡っての裁判沙汰、あるいは子育てをしたい知的障害を持つ親の人生と、子供自身の人生を見たときに、どちらを大切にするか、を巡る問題、など決着を見ていない問題がある。とはいえ、「生まれてくる子供が可哀想だから結婚させない」「不妊手術をする」といった考えには至らない、ということは強調しておく必要がある。

7. 「その社会におけるノーマルな経済水準とそれを得る権利」

 これは年金で保証されている。ただ、年金をもらってデイ活動をする、ということを望まず、就労をしてその給料が欲しい、というGBMメンバーのようなニーズには、残念ながらまだ応えることは出来ていない。

8. 「その地域におけるノーマルな環境形態と水準」について

 ニイリエはこの点について、学校や職場、グループホームといった物理的環境を一般のものと同じようなものにすること、一般の市民の使うものと物理的環境が統合されることが大切であると指摘している。この点に関して、単体のハコモノのグループホームではなく、現在多くのグループホームが集合住宅の中に「間借り」していることなど、大きな改善が見られることも調査から明らかになった。

 このように見てくると、確かにsocial needsの点などで、不十分な部分は未だにあるが、それでもスウェーデンではノーマライゼーションの原理が知的障害者ケアの現場レベルできちんと息づいている、ということが言えるであろう。

V.結論

 元社会庁の施設解体プロジェクト室長オーベ・ローレン氏はこう語っていた。
 「今日、スウェーデンの知的障害者ケアの分野では、ノーマライゼーションという言葉は使いません。なぜか? ノーマライゼーションという言葉は歴史的な言葉になってしまったからです。
 例えば普通学校(normal school)について話をするときに、『普通』(normal)とわざわざ付けますか? 付けないでしょう。スウェーデンでノーマライゼーションが盛んに語られた時には、まだ施設が残っていた時代でした。だから、人々はabnormalな状況を変えるために、ノーマライゼーションという言葉を使っていた。
 でも、今日、すでに社会の中で知的障害者は生活できています。だから、ノーマライゼーションとは言わずに、universalizationという言葉を用います。もっといえば、今日スウェーデンでノーマライゼーションという言葉を使うとき、それがnegativeに使われることすらあります。例えば、行政の担当者が障害者関連の予算を削減するときの言い訳として、“それはnormalではない”という使い方をするのです。だから、例えばbemotande(接し方)、という言葉もノーマライゼーションの代わりとなる言葉として使われています。」

 確かに、イエテボリの査定員調査からも、Social Needsをどこで線引きするか、というときに「何がnormalかを考える」という話は何度も聞かされた。また、イエテボリ市幹部も、グルンデンのメンバーの海外出張の話の中で、「彼らがやっていることは、normalではなく特別なことだ」という話も聞かれた。だが、考察の最後でも強調したように、ノーマライゼーションが現場レベルでも、課題点はまだまだあるものの、それでも一部には世間の水準より上回るほどに浸透している。ということは、まさにローレン氏の指摘するとおり、「ノーマル」とわざわざ付けなくても良いほど、知的障害者への基本的なサービス供給の「ノーマライゼーション」が果たされた結果として、ノーマライゼーションという言葉が「歴史的な言葉」になってしまった、と言えるのではないだろうか。

 一方で、日本の知的障害者への地域生活支援の実状を振り返ってみたときに、ノーマライゼーションという言葉が「歴史的な言葉」になるほどまで浸透したであろうか? 言葉だけは輸入されるが、ベンクト・ニイリエ氏が言葉に込めた思想まで、日本に届き、それが政策にも活かされているのであろうか? これを振り返ってみた時、日本とスウェーデンの二国での大きな違いを感じざるを得ない。
 しかし、だからこそ、単なる外国のシステムや知識の輸入にとどまらず、知的障害を持つご本人達の想いや願いに基づいた、日本独自の本人支援や地域生活支援の体系を構築していかなければならない時期に来ている、と私は考える。今回、筆者が行った5ヶ月の調査の結果を、単なる「海外の知識の紹介と輸入」にとどまらず、日本の今後の本人支援のあり方や地域生活支援ネットワーク構築の上で、理念的基盤の一部として「使える」知識となるよう、出来る限り日本の地域生活支援の実状や課題を思い浮かべながら、そして日本の参考文献も踏まえながら、本報告書をまとめたつもりである。
 この報告書が、日本の知的障害を持つ人々の現状を変える一つの「武器」となり得るなら、筆者としては存外の喜びである。そして、筆者自身も、今回の調査の知見を元に、知的障害者ご本人の声に常に耳を傾けながら、日本独自の本人支援や地域生活支援の体系づくりに、知恵を絞り、汗を流して関わっていきたい、と考えている。

<謝辞>

 今回の研修に際し、多大なご支援を頂きました財団法人日本障害者リハビリテーション協会のみなさまに心から感謝を申し上げます。
 スウェーデンでの調査研究のチャンスを与えてくださいました、立教大学コミュニティ福祉学部・河東田博教授には深く御礼申し上げます。
また、イエテボリでの調査研究を進めるにあたり、グルンデン協会のハンス・リンドブロム会長はじめグルンデン理事会メンバー、そして多くのグルンデン協会メンバーの皆さんに出会い、様々なことを学ばせて頂いたことは、私の一生の財産です。そして、調査だけでなくイエテボリでの生活の細々までご支援くださったグルンデン協会職員アンデシュ・ベリシュトロムさんにも、言葉で言い表せないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。そして、調査に応じてくださったベンクト・ニイリエ氏やカール・グリュネバルト氏はじめ、イエテボリ市を始めとした行政関係者のみなさま、現場の利用者やワーカーの方々、などお世話になった全ての方々に心よりの御礼を申し上げます。ありがとうございました。

注1:Intraはカール・グリュウネバルト氏が発行責任者を務める季刊のオピニオン誌で、知的障害に関する様々な調査研究や情報などを紹介すると共に、政府の方針への意見なども表明されている。知的障害分野で働く支援者や行政関係者、家族などが購読層である。

注2:このグルンデンボイスには2つのホームページがある。一つはグルンデン協会のHPの中にあるもの(http://www.grunden.nu/webbois/index.html)であり、もう一つが、新組織のHP(http://www.grundenbois.com/)である。トップページを見比べただけでも、前者がメンバー紹介を中心にしているのに対して、後者は協賛企業の広告が全面的に入っている、等の違いがみられる。

注3:このグンナル・シーレーン氏の業績やその位置づけについては尾添に詳しい。また同書はシーレーン理論や、知的障害者への「接し方」を理解する上でも絶好の書である。

【引用文献】

  • Bank-Mikkelsen, N.,E. 1991 Preface ILSMH 花村春樹訳 「ノーマリゼーションについて」 『ノーマリゼーションの父』N・E・バンク-ミケルセン ミネルヴァ書房 1994
  • Grunewald, K. 2003 Close the Institutions for the Intellectually Disabled, A pamphlett on the European Year of People with Disabilities
  • 河東田博 1996 「ノーマライゼーション理念の法的具体化をめざしたスウェーデンのLSS」 四国学院論集 第91号
  • 河東田博 1992 スウェーデンの知的しょうがい者とノーマライゼーション 現代書館
  • 河東田博 2002 「LSS」 佐藤久夫・北野誠一・三田優子編 障害者と地域生活 中央法規出版
  • 河東田博・杉田穏子 2002 「第1章スウェーデンにおける施設解体」 河東田博他編著 ヨーロッパにおける施設解体 現代書館
  • 二文字理明 1998 スウェーデンの障害者政策<法律・報告書> 現代書館
  • 二文字理明 2000 「スウェーデンにおけるアドボカシー・システムの展開」 河野正輝・大熊由紀子・北野誠一編 講座障害をもつ人の人権3. 福祉サービスと自立支援 有斐閣
  • 二文字理明 2002 「障害者-ノーマライゼーション思想の成熟」 二文字理明・伊藤正純編著 スウェーデンにみる個性重視社会 桜井書店
  • Nirje, B. 1992 The normalization principle 河東田博・橋本由紀子・杉田穏子訳編 ノーマライゼーションの原理 現代書館 1998
  • 大熊由紀子 2003 「ノーマライゼーションの理念と変革」 河野正輝・関川芳孝編 講座障害をもつ人の人権1. 権利保障のシステム 有斐閣
  • 尾添和子 2000 「心理学者シーレーンとFUB付属研究所ALA」 ヨーランソン・ヴァルグレン・バルイマン著 ペーテルってどんな人? 大揚社
  • ラツカ, アドルフ D. 1991 スウェーデンにおける自立生活とパーソナル・アシスタンス 現代書館
  • Socialstyrelsen 2003 Socialtjansten I Sverige
  • SOU 1999:21 Lindqvists nia
  • 友子・ハンソン 1998 「エーデル改革の結果」 医療福祉研究 第10号

資料1-1
査定員用質問ガイド

I would like to know how you handle the LSS law, the Act concerning Support and Service for Persons with Certain Functional Impairments and what the problem is if any.

<their works and discretions>

  • How do you decide to provide or not to provide services for Persons with Certain Functional Impairments?
  • What kind of discretions do you have for your job?
  • Do you think your way of decision-making are different from ones of another districts’ person in charge?

< budget>

  • How much budget concerning the LSS law do you handle?
  • In practice, how would you estimate the possibilities for you, without specific permission, to use or distribute budget differently than the way prescribed by central government?

<difficulties>

  • In your district, do you think you could fulfill a duty for providing the services for Persons with Certain Functional Impairments and you could meet the needs of them? (If not, why?)
  • What kind of cases do you think are the difficult ones for handling LSS?

<self advocacy>

  • In LSS law, it says that the individual plan must be needed. In your district, are there many Persons with Certain Functional Impairments who actually join the decision making process for that plan?
  • In your district, are there many Persons with Certain Functional Impairments who take objection to your decision? And in that case, do you make some arrangement or reconsideration?
  • In your district, are there many Persons with Certain Functional Impairments who appeal to the administrative court against your decisions?(And what kind of decision did that court make?)
  • What do you think of the balance between the budget and the claims of persons with Certain Functional Impairments?