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ヨーク大学
SPRU

18カ国における障害者雇用政策
:レビュー No.2

パトリシア・ソーントン、ネイル・ラント 

ヨーク大学社会政策研究所

Patricia Thornton and Neil Lunt
Social Policy Research Unit
University of York

ILO                                  HELIOS


オーストリア

政策と制度的情況

障害政策と法制度

 オーストリアには、包括的な障害法はない。過去100年以上の間に、いくつかの障害者のための法律がオーストリア社会保障の長期枠組みに追加されてきた。連邦国家(federal state)と9つの州(Lander=provinces)との間の憲法的な法の下で責務が分散されているので、障害政策を実施、運営する全責務を担う単一組織はない。90以上の連邦法や州法からなる、分散化されたばらばらな法制度や、一貫性のない権限も分割は、常に批評や不満の的になってきた(Leichsenring and Strumpel,1995)。

状況を前進させようとする最初の動きの中で、1990年連邦障害法(the Federal Disability Act)は調整するための規定を作り、障害を持つ人たちの利益団体をまとめて連邦会議を設置した。この法は、例えば公共交通運賃の減額などの権利を保障するなど、障害者のための特別制度も導入した。

国連障害者の十年に続けて、1993年には、オーストリア政府は新しい「障害コンセプト」を提示した。この意図表明は、連邦・州双方のレベルでの障害の規準や規定を再吟味したものである。障害者の包括組織(OAR)から意見が求められた。この「コンセプト」のねらいは、予防とリハビリテーション、インテグレーション、ノーマライゼーション、自立と個別化などのキーワードをもとにした、障害政策への新しい取り組みを定義することであった。将来的には、支援方法は、障害の原因などに基づかないで、全て個々のニーズを尊重して提供すべきものとされた。コンセプトは、法的な枠組みは修正されるべきものと述べている。1996年までにはこの法的枠組みの大きな変更はなされていない。

憲法第7条では、出生、性別、階級、信仰に基づく差別を禁止しているが、障害に基づくものは禁止してはいない。1995年4月に国会に5万人の署名を集めてなされた請願は、不当にも1995年の選挙の終わりまでには通らなかった。1996年10月に、請願委員会の全党会議は、学識経験者を交えて投票を行い、憲法委員会の議題とすることを決定した。この委員会は、第7条の修正を起草する任務を有している。

障害者雇用政策の進展

 Ernst(1990)が概説しているが、障害者雇用政策は長い歴史を持っている。君主制時代の1915年のオーストリアで、戦傷者のための特別職業紹介センターが設立された。センターの責務は、君主国の法令の数カ所に書かれている。これらの法令によれば、戦傷者のための最初の法律は、オーストリア共和国で1920年に通過している。障害者職業法(Invalid Occupation Act)では、戦傷者の働く権利について述べており、労働能力が少なくとも45パーセント減退しているが別な点では就労に適している戦傷者を対象者としている。全ての民間企業は、従業員20人に1人の障害者を雇用し、20人以上については25人ごとに1人の割合で雇用しなければならなかった。これに従わなかったところは、代償として納付金を納めなければならない。こうした納付金は、「代償納付金基金」に集められて、戦傷者の支援のために使われた。この法律には、解雇に対する特別保護条項も既に含まれていた。

この法律は、オーストリアがドイツに併合された後も残った。1941年には、事故や他の理由で障害を持つようになった人(いわゆる「一般市民障害者(civil invalids)」)も対象にするよう拡大された。1946年には、この法に代わって障害者雇用法(Invalid Employment Act)が制定され、最初は政治上の犠牲者、戦傷者、事故の犠牲者のみを対象としたが、1950年に「一般市民障害者」及び盲人にまで拡大された。

障害者雇用法の改正は1953年に通過したが、それによると、最低50%の労働能力を有する障害者が法によるサービスを受ける適格者とされた。全ての企業は、従業員15人に1人の障害者を雇用し、15人以上については20人毎に1人の割合で障害者を雇用しなければならなくなった。農業、林業、官公庁については、免除あるいは特別ルールが設けられた。代償納付金や代償納付金基金に関する制度はそのまま残され、解雇についての特別保護は拡大された。

この法は、1969年に改正された。これには、連邦政府はこの法を1989年までに施行する責任を負うという条項が含まれていた。連邦政府が責任を負う対象者の拡大もなされた(対象者の一部は施行までの間、州が責任を負うことになった)。当時、経済状況はよかったので、雇用義務はゆるめられ、割当雇用は、従業員20人に1人、それ以上は25人に1人に緩和された。割当雇用制度の管理監督も改善をみた。割当雇用制度を監視し代償納付金基金を運営する責任は、雇用事務所(the Employment Offices)から州障害者事務所(Provincial Invalid Offices)に移管された。それ以来、雇用事務所には、障害者の職業紹介と訓練機関の運営の責任しか残されていない。

1973年、この法律は戦傷者と一般市民障害者との区別を廃止するよう改正され、それ以来、障害になった原因の如何にかかわらず全ての人びとに同一の制度が適用されるようになった。1975年の改正では、割当雇用制度は、私企業、公的機関との間にあった区別を廃止して全ての事業主に拡大された。同時に、事業主が割当雇用制度を免除される可能性も少なくされた。

1977年、Weissenberg社会相は、「現代的な」リハビリテーションと障害を持つ人びとに新たな雇用機会を見つける側面に関する包括的なコンセプトを作った。1979年、当時の法は、このコンセプトに述べられた文書を含むように改正された。同法は、若年者を訓練に含めるべく(対象範囲が)広げられた。事業主に障害を持つ人びとの雇用を奨励するような内容も取り入れられた。例えば、技術面の適用に要する資金、職場開拓のための資金援助、規定の障害者数以上を雇用した事業主や、規模が小さく割当雇用制度の対象にはなっていないが障害者を雇った事業主に対する奨励金などを給付することになった。職務を完全に遂行できない人のための賃金補給を認めることもできるようになった。

この法律の1979年改正では、シェルタード・ワークショップの設立とその支援のための基礎が作られた。この新しい制度は代償納付金基金からの多額の支出を必要としたので、代償納付金の額は月額AS600に値上げされた。それにも拘わらず、代償納付金基金は収入より支出が多くなった。そこで、1985年には、代償納付金を月額AS1,500に上げる一方で、奨励金の給付方法を改める改正を行った。

1989年には、1969年法の大改正が計画された。1989年までと限定されていたこれらの問題に関する連邦政府の権限は、無期限に適用されるよう変更になった。「invalid(廃疾)」という用語は「disabled(behindert=能力障害)」という用語に置き換えられ、その後法律名も「Invalideneinstellungsgesetz」から「Behinderteneinstellungsgesetz」に変更された。「稼働能力」という用語は、「障害の程度」に置き換えられた。雇用サービスとLandesinvalidennamterとのコーディネーションをよくするための規定も導入された。これで、基本的には、現在でも通用する法律となった。

1993年の新しい「障害コンセプト」では、政府は、障害者は通常の雇用に参加することを可能にすべきであると強調している。障害者の一般労働市場へのインテグレーションは、特別な施設での雇用よりも好ましいと思われる。拡大に向けて勧告されたことは、革新的な支援対策と新たなアプローチであり、そのうちのいくつかは既に実施中であった。

この「コンセプト」は、次のことを提案している:

  • 障害者を民間企業及び公的機関に雇用するための努力
  • 民間企業の中に障害者の作業グループを設置するイニシアチブ
  • 運営する組織によって異なるガイドラインを標準化するなど、職業リハビリテーショ  ン過程における一層の協調
  • 援助付き雇用プログラムの拡大
  • 保護雇用から一般労働市場への従業員の移行の増加
  • 障害者による事業への支援(「自助会社」)

 1993年以来、殊に新しい資金調達機会が得られるようになった欧州連合(EU)加盟以来、援助付き雇用や、民間企業における雇用拡大の努力や、公営企業での障害者作業グループを設置するイニシアチブなどにおいて進展があった。しかしながら、1996年の予算削減は、この目標達成の妨げになると思われる。

政策立案と実施

 一般に、連邦労働社会大臣(BMAS)は障害者政策の責任者であり、とりわけ障害者雇用政策には責任を持っている。

同大臣は、1990年に設置された連邦障害者会議(the Federal Disabled Council)からの支援と助言を受けている。同会議は、大臣が議長を務める。委員は次のとおりである。国会の各政党の代表各1名、財務省、環境省、青年家族省、健康スポーツ省の代表各1名、州政府代表2名、主要社会保険機関代表1名、事業主・従業員代表各3名、障害者・戦傷者団体代表7名。

労働社会省は、戦傷者、犯罪犠牲者、障害者としての登録者を含む障害者グループについて、障害者雇用法に関しての責任を負っている。この法律の機能―割当雇用制度、登録、職場適応のための助成、賃金補助など―については、各州の州都にある連邦社会事務所(Federal Offices for Social Affairs)が運営に当たっている(ウイーンの社会事務所では、ニーダーエステライト及びブルゲンラントも担当している)。社会事務所の責任が障害者雇用法で極めて明確に定まっているので、各州の間の差異がなくなった。

年金及び社会保障は、Pensionsversicherungsanstalten(年金保険担当)やAllgemeine Unfallversicherungsanstalt(一般労災保険担当)など、社会保険制度の中の別の部署で給付している。一度も雇用されたことのない人たちに対する社会保障給付は、州政府が支払っている。退役軍人、兵役中の事故による犠牲者、犯罪犠牲者については、連邦労働社会省が担当しており、連邦社会事務所が給付を行っている。

雇用サービス

 1994年7月、労働市場庁(the Labour Market Administration)が連邦政府から分離されて労働市場サービス(the Labour Market Service)という名称の自治機関に改組され、労働社会省及びソーシャル・パートナーの管理下に置かれることになった。この改組の主要目的の1つは、事業主や従業員関連団体を政策決定機構に参入させて労働市場政策を強力に実行することであった。もう1つの目的は、労働市場政策、とりわけ女性、高齢者、長期失業者、障害者といった労働市場で弱者の立場に置かれている人たちに対する政策を、積極的に拡大することであった(労働社会省,1995)。労働市場サービスは、専ら労働市場で弱者の立場にいるグループへの訓練、助言、職業紹介を担当している。障害を持つ人たちも、対象者の1つである。

州レベルでは、雇用事務所の活動はケースバイケースで非常に異なっている。一方では、労働市場サービス法は、一定のプログラムの実施に関して州が行う雇用サービスのために活動の余地を残している。他方では、州法も雇用サービスに関連しているが、どのプログラムにはどのタイプの資金が利用可能かを定めているが、これらの対策の正確な形式や金額については特定していない。これは、実際の雇用サービスが州レベルで異なっているからだと説明している。一般的には、州間の実際の違いは、制度上の枠組みの違いばかりでなく、(その地域が都市か農村か、企業が大きいか小さいかなど)地域の構造の違いにもよっている。オーストリアには、山岳地帯の状況が低地地域と非常に違いがあるという特殊性がある。

もう1つの重要な運営体は、割当雇用を満たしていない事業主が支払った金を再配分する代償納付金基金の存在である。この基金は、労働社会省が運営し、障害者団体、各州の代表、事業主及び従業員の代表で構成される諮問委員会の助言を受けている。

さらに、9つの州政府の社会部は、社会サービス、施設、住宅援助及び社会保障を担当している。多くの場合、これらのサービス、殊に知的障害や精神障害を持つ人たちに対する訓練や居住施設、並びに、施設での教育はボランタリーな非営利団体が運営しており、その資金は州政府や上述の団体から拠出されている。

障害の定義

 障害を持つ人たちに関する連邦法には、障害についての包括的な定義はない。しかし、連邦労働社会省より障害概念の概念化を委託された委員会が、次のような2つの一般的定義を作成し、これが国及び州の障害政策の基礎となっている。
障害者とは、生活の重要な分野において身体的、知的、あるいは精神的に重くかつ永 続的な不利を蒙っているあらゆる年齢の人たちを言い、これらの分野とは、基本的に教 育、雇用、作業(work)、コミュニケーション、住宅、余暇を言う。

通常の社会関係を維持し、労働生活に参加し、各々の必要性に応じた所得を得ること に支援を必要とする人たちのことである。

障害者雇用法の用語に基づいての登録では、少なくとも50%の能力障害を持つ人を障害者としている。「障害の程度」は、医学的な意見によって決定している。身体障害が優位を占めており、精神障害者は殆ど定義より除外されている。同法による適格性は、各個人の労働能力には基づいていない。しかし、保護的就労に適格とされるには、非障害労働者の少なくとも50%の仕事量をこなす力を持っている必要がある。この定義は、労働年齢(男性は15-65歳、女性は15-60歳)にある人にのみ適用される。

労働市場政策に関する法制には、障害に関するさらに詳しい定義が見られる。労働市場サービス法では、身体的、精神的、知的な障害のために労働市場における機会が減少している場合は、その人は障害者とみなされる。これは、登録に限定しない、より機能的な障害の定義である。サービスを受けられるかどうかの適格性は、州レベルで異なっている。例えば、殆どの州では賃金補助を受けるためには最低50%の労働能力があることを要求しているが、ヴォラルベルグ州では、最低基準はない。

統計

 資料としては、3つの主な情報源がある。1986年の小規模国勢調査(Microsensus)、登録障害者に関してBMASが集計した統計、失業者に関するデータである。

人口に占める障害者数

 統一された定義がないので、人口に占める障害者数を正確に数えるのは難しい。

1986年の小規模国勢調査では、身体障害者に焦点が当てられた。全ての年齢の身体障害者数は、その国勢調査の結果、157万8,000人(男性72万3,000人、女性85万5,000人)と推定された。そのうち、推定48万3,300人は雇用されており、1万9,300人が失業中とされた(Badelt & Osterle,1993)。

知的障害者や精神障害者に関する信頼すべき統計はない。粗っぽい推定によると、労働年齢にある知的障害者数は、約2万8,000人である。

登録障害者

 1996年1月1日現在、法の定義に基づいて障害者として登録されている人は、6万6,087人であった。表Au.1は、1990年代に登録された人の増加の様子を示している。この表は、登録障害者に占める女性の割合の増加も示している。しかし、この女性の増加は、労働力全体のそれに比べると下回っている。登録は、ある点では雇用と密接な関係があるので、障害を持つ女性は、障害のない女性に比べると労働力としてのインテグレーションは低いと結論づけることができる。

表Au.2は、1995年1月1日現在の登録障害者の年齢を表している。雇用されている一般の人たちと比べると、高齢者の数が多くなっている。

公式データは、登録障害者の機能障害(impairment)の程度に基づいている。1995年1月現在、これら障害者の40%は障害の程度が50%であり、同じ割合の人たちが、60%~70%の程度の機能障害があると評価された人たちであった。身体障害者が登録障害者の中で圧倒的な割合を占めていた。

1994年のデータ(Leichsenring & Stumpel,1995)では、登録障害者の就業の状況が示されている。(以下のように)ほぼ69%が就業していた。

  • 55.8%の人が従業員25人以上の企業で雇用されていた。
  • 8.7%の人は、従業員25人未満の企業(割当雇用を充足する義務のない企業)で雇用されていた。
  • 4.7%は、自営業であった。
表Au.1 年次別・性別登録障害者数
前年比(%) 前年比(%) 前年比(%)
1975.12.1 48,143 - 43,170 - 4,973 -
1980. 1. 1 45,536 -5.42 40,459 -6.28 5,077 2.09
1985. 1. 1 44,697 -1.84 36,147 -10.59 8,523 67.87
1990. 1. 1 43,147 -3.47 30,286 -16.28 12,861 50.90
1994. 1. 1 58,869 36.44 39,084 29.05 19,785 53.84
1995. 1 .1 63,363 7.63 41,131 5.24 22,232 12.37
1996. 1. 1 66,087 4.30 42,911 4.33 23,176 4.25

出典:BMAS

表Au.2 登録障害者の年齢(1995.1.1)
調査時年齢
17歳以下 132 0.21
18~20歳 832 1.31
21~25歳 3,488 5.51
26~30歳 5,868 9.27
31~35歳 7,138 11.28
36~40歳 7,539 11.91
41~45歳 8,380 13.24
46~50歳 10,966 17.33
51~55歳 13,491 21.32
56~60歳 3,969 6.27
61~65歳 854 1.35
66歳以上 635 1.00
63,292 100.00

出典:BMAS

1992年では、失業して失業給付を受給していた人は7.7%に匹敵し、一方、18.2%の人は、雇用されていたかどうかが不明であった。

雇用率の目的でダブルカウントされる登録障害者は、あまり雇用されそうにない(Blumbergerら,1996)。全体で1万5,868人の登録障害者がダブルカウントされる資格があったが、1994年についてみると、ダブルカウントされた従業員は6,757人にすぎない。このことは、障害者及び重度高齢障害者は1994年には84%を占めていたが、労働力としてはよく認められていなかったことを示している。

失業障害者

 1996年、労働市場サービスに失業者として登録されている人の15%は障害者で、計3万 2,921人であった(労働市場サービス、個人的調査)。1995年には、BMASの情報によれば、その数は3万人(13.9%)であった。

次の表Au.3は、失業統計では身体障害者が多いことを示している。1990年代には、失業者に占める絶対数ばかりでなく、相対的割合でも増加している。1995年までに、その数は2万4,300人にまで達し、求職者の9人に1人は身体障害者となった。

知的障害を持つ人たちの失業は、1990年代の前半をとおして1,200人にとどまり、かなり安定している。知的障害者の一般労働市場への統合の限界が、失業統計に反映している。

1990年代の初めには、精神障害を持つ人びとの失業者数は上昇しているが、1995年までに4,600人で安定した。

表Au.3 年次別身体障害者、知的障害者、精神障害者の失業者
年次 合計失業者数 身体障害者 比率(%) 知的障害者数 比率(%) 精神障害者数 比率(%)
1987 164,468 13,417 8.2 1,019 0.6 5,511 3.4
1988 158,631 13,403 8.4 974 0.6 4,742 3.0
1989 149,177 13,559 9.1 884 0.6 3,995 2.7
1990 165,795 14,875 9.0 819 0.5 3,606 2.2
1991 185,029 16,992 9.2 857 0.5 3,762 2.0
1992 193,098 18,292 9.5 937 0.5 3,813 2.0
1993 222,265 21,724 9.8 1,044 0.5 4,105 1.8
1994 214,941 22,824 10.6 1,084 0.5 4.105 1.9
1995 215,716 24,296 11.3 1,166 0.5 4,607 2.1

出典:BMAS

身体障害者数は、長期失業者数の中でも割合としては多すぎる。1995年のBMASの資料では、全失業者数に占める身体障害者数の割合は11.3%であるが、長期失業者の中では17.6%を占めている。

BadeltとOsterle(1993)によると、失業中の身体障害者は高齢者に集中している。非障害失業者に占める40歳以上の人の割合が全体の3分の1であるのに比べ、失業障害者に占めるその割合は55%に達している。

雇用支援サービス

 現在、障害者を一般のプログラムの中に含めようとする傾向がある。労働市場サービスは、具体的なガイダンスが必要な障害者を含む不利益グループの人たちを対象として、一連の職業準備、職業訓練、職業紹介などを行っている。1992年以来、特に障害者に対して援助付き雇用が開発されてきた。失業の理由が障害にあるという人たちは、労働市場サービスの各地方事務所にいる職業リハビリテーション専門職の援助を受けられるようになった。職業選択についてのカウンセリングや労働市場に参入する際に必要な一連の援助が行われている。しかし、障害者が一般の雇用事務所でサービスを受けるか、特別なリハビリテーション部門でサービスを受けるかは、ある程度、州によっている。

ガイダンス、訓練、ジョブコーチングを提供する民間の組織が増えてきている。しかし、主な責任は、未だに連邦社会事務所及び労働市場サービスにある。

職業訓練

オーストリアでは、障害を持つ児童や青年が一般の学校で教育を受けたり、一般の職業訓練を受けたりするのは、始まったばかりである。特殊学級や特殊学校制度がまだ一般的である。労働市場サービスが行うガイダンスが必要な不利益グループを対象としたプログラムに、障害者は参加することができる。これらのプログラムは次の2つに分けられる。1つは、基礎知識を身に付け、自立心を高め、特定の職業分野における基礎技術を学習するための訓練であり、もう1つは、特定のキャリアを身に付けるための訓練である。

障害者に対する職業訓練は、公立、民間の特別な施設での訓練が支配的である。リンツに障害者を対象とした訓練を行う大規模な職業訓練センターがあり、そこでは700人を対象に認定訓練や職業指導を行っている。その他に、職業指導を行っている施設が2カ所ある。

専門職による職業リハビリテーション施設のカリキュラムは、園芸のような昔から障害者に適していると言われてきた職種の訓練を中心にする傾向がある。たくさんの小規模訓練センターがあり、そこでは、精神障害向けといった特定の障害者を対象とした、無認定訓練の機会を提供している。

一定の職業に関する基礎技術を学ぶ知的障害学生のための特別訓練プログラムは、ボランタリーな組織によって開発されてきた。これらは、認定訓練(見習の訓練)レベル以下の十分規定された職業を確立するという考え方から出てきている。後者のプログラムは、労働組合の反対があって未だ公式には認められていない(KlicperaとSchabmann,LeichsenringとStrumpelへの寄稿,1995)。

いろいろな州は、さまざまな種類の訓練機会を持っているので、全体として要約することはできない。例えば、ザルツブルグ州では、作業療法は必要としないがシェルタード・ワーックショップではまだ働けない人たちのための特別プロジェクトがある、といった具合である。

労働市場サービスの訓練センターに通っている障害者には、手当が出ている。一定の条件下では、訓練手当は、事故保険(Accident Insurance)又は年金保険(Pension Insurance)から支給できる。障害者は、一般労働市場の企業で実習生として訓練を受けることもできる。実習生と同じく事業主に対しても、いくつかのタイプの経済的な補助があり、労働市場サービスは企業内での再訓練コースにも助成ができる。

初等教育とその上の教育との間、及び職業訓練と労働市場への参加の間の接点には短所があって、それは責任を分散させてきたのが原因であり、カウンセリングを続けて行わなかったり、職業指導が欠けていたりした(LeichsenringとStrumpel,1995)。「障害コンセプト」には、職業指導、職業訓練、認定訓練を拡大する必要があると述べられている。そして、訓練制度は障害を持つ人のニーズに適応するように流動性を持たせる必要があり、訓練から就労への移行を容易にし、訓練プログラムは一般労働市場の要求に合致したものにすべきだと示唆している。

援助付き雇用

労働市場サービスが関係を持っている「援助付き雇用」プロジェクトが、13カ所ある。プロジェクトは、求職活動及び職場への適応の援助を行うが、その内容は、履歴書作成の援助、面接の付き添い、金銭面での援助であり、また、職場での訓練、職場への適応、一定期間の同僚による職場での援助であり、精神科的な問題や仕事中の危機場面への介入も行う。

長続きしているプロジェクトには、連邦社会事務所が運営しているBEBAや、カリタスが始めた「モデル・レッツ」などがある。現在に至るまで、この種のプロジェクトには、資金面や人材面での支援は限られていた。このタイプのサービスの拡大には、欧州社会基金による新しい資金提供が貢献してきている。

オーストリアの最西部のヴォラルベルグ州には、保護雇用がない。そのかわり、障害者は、長年にわたり援助付き雇用の方法によって一般企業にインテグレートされてきた。州当局が、賃金補助を行っている。事業主への援助と同じく、障害労働者には心理社会的援助がなされている。ヴォラルベルグ州では、およそ450人の障害者が援助付き雇用プログラムに包含されている。

ある援助付き雇用では、精神障害者を対象として計画さ れ、1つのグループは、近年、特別な問題を持つグループとして認知された。例えば、オーバーエーステライヒでは、「pro mente Oberosterreich」によって、1つの制度が、社会心理的障害を持つ人たちのために運営されている。その計画は、助成を連邦社会事務所、労働市場サービス、州より受けており、1995年1月からは欧州社会基金からも受けている。1992年9月から1996年4月までの間に、合計325人のうちの68%の人が、よい成果をあげている。

精神障害者を対象とした2つの援助付き雇用先行プロジェクトの経験を踏まえて、全国で実践されることになった。1997年末までに、3州(ヴォラルベルグ、チボル、ザルツブルグ)では、あらゆるタイプの障害者が援助付き雇用を受けられるようになる。それ以外の州では、少なくとも精神保健面での問題を持つ人たちには提供されるようになる。

一般雇用:法的義務と権利

 オーストリアには、割当雇用‐納付金を基にした義務雇用制度がある。登録された障害者は、解雇に対して保護を受ける特別な権利を有している。差別に対する保護はないが、1996年秋には、国会憲法委員会は、差別禁止分野に障害を加えるために、憲法第7条改正草案作りの任務を与えられている。

割当雇用制度

 オーストリアの割当雇用制度は、障害者雇用法(Disabled Persons Employment Act)という連邦法の中に規定されている。この制度は、法による定義を満たした登録障害者にのみ適用される。25人以上の従業員を有する事業主は、非障害従業員25人ごとに1人の登録障害者を雇用しなければならない。国、州、地方自治体は、計算する際にその職員の20%を含めないで計算できる特典を有している。4%の割当雇用は、一定の州又は一定の企業では、その地方特有の理由で、あるいは技術的な理由で障害者雇用が困難とされる場合(例えば、鉱業、農業、交通業、不動産業の一部、ガラス製造業、鉄鋼金属工業など)には、条例によって変更することができ、事実変更してきた。1996年、オーストリア政府は、割当雇用のレベルを国際的基準で受け入れることを予定している。

1994年には、1万4,852の事業主が割当雇用を達成するよう求められた。達成すべき件数は、7万1,251人である。

割当雇用を数的に達成させる目的で、ある種の障害者が障害者2人分としてカウントされる。当てはまるのは、盲人、車いす使用者、19歳以下及び55歳以上の者、及び50歳以上で労働力70%以下の者である。1995年には、登録障害者でダブルカウントされる者は、1万5,868人(1994年では1万7,624人)であった。

割当雇用を超過した事業主は、報奨金を受け取る。1996年には、報奨金は、月額でAS 846からAS980に増額された。初期の頃は、この報奨金はかなり高額で、1986年から1992年までは、AS1,125からAS1,320であった。

連邦労働社会省に対して責任を負う連邦社会事務所は、割当雇用の達成を監視している。不履行の場合、社会事務所は、法で定められた代償納付金を徴収する責任がある。1996年には、代償納付金は、割当雇用制度に従って雇用できなかった障害者1人当たりの月額でAS1,960(1994年ではAS1,870)である。

割当雇用の達成
表Au.4は、1992年から1994年までの、雇用の場の提供を求められている事業主数、要雇入数、就労中の障害者数を示している。

1994年には、要雇入数のうち59%で障害者が雇用された。BMASの資料を1975年まで遡ると、事業主数は異なるが、1975年には88%が充足されていた。1970年代では80%以上が充足されており、1982年までは70%以上であった。次の年には63%まで急落し、1984年以降は、59%から52%の間を上下している。

表Au.4 割当雇用制度下における事業主数、要雇入数、雇用障害者数(1992-1994)
求人提出を要する事業主数 要雇入数 雇用障害者数
達成数 非達成数 シングルカウント ダブルカウント
1992 13,937 64,383 38,234 26,604 31,958 25,806 6,152
1993 14,149 69,369 40,030 29,39 33,607 27,291 6,316
1994 14,852 71,251 42,287 28,964 35,426 28,669 6,757

出典:BMAS

BMASによる割当雇用制度に関する全事業主を対象とした資料によれば、1994年には、2,502企業が割当雇用義務を達成し、1万928企業が達成していなかった。換言すれば、割当雇用を達成していた企業は、5分の1以下であった。1994年には、合計で3,473企業(割当雇用を免除されていた企業を含む)が、割当数を超えた際の報奨金を受けた。

達成の程度と企業の特徴に関する公式な情報はない。ザルツブルグでの調査から(Leichsenringら,1994)、登録障害者は殆ど公的機関で就労していたことが分かった。金属産業、貿易・倉庫業でも、かなり多数の障害者を雇用していることも、その調査から明らかになった。Blumbergerらの2次的データ分析(1996)から、登録障害者は高い割合で公的及びボランタリーセクターで雇用されていることが分かった。

代償納付金の支払い
1994年には、80%を超える事業主が代償納付金を支払った。納付金を支払った企業に関する詳細な統計はない。

Badelt(1992)は、納付額は、他の雇用コストに比べて非常に額が少ないので、企業はそれを殆ど自動的に支払っており、納付金を支払うのは自然な流れになっていると主張している。企業50社の事例研究では、納付金が動機となっていると見ているのはわずか14%で、58%は意見なしであった(Blumbergerら,1996)。ザルツブルグでの研究(Leichsenringら,1994)では、納付金を支払っている大企業にとってはどこも大差はないことがわかった。この研究では、企業は、納付金を支払うことによって社会的な責務を果たして満足していると感じており、一方では、雇用できる障害者が不足しているので割当雇用を達成させるのは不可能であると言っている。

割当雇用制度の効果
割当雇用制度が障害者を雇用する動機になっているかという質問をした調査研究がいくつかあった。Badelt(1992)は、ヴォラルベルグで登録障害者と非登録障害者の調査を行い、非登録障害者は割当雇用制度の対象とはならないが、実際には雇用されているということから、割当雇用制度は障害者雇用の決定的なインセンティブにはなっていないと結論づけている。Blumbergerら(1996)は、障害者が受け入れられていないことが、その雇用の妨げになっているのであり、就職できるのは、職務の要求を満たす求職者であって、自分の障害が生産性に不利に作用している人たちではないということを見出している。

KlicperaとInnerhofer(1992)は、南チロリアでは公務員と障害者は割当雇用制度が求職に役立っていると信じているが、研究対象とした障害者のわずか10%が割当雇用制度によって就職しただけであったと述べている。さらに、割当雇用制度の下で働いている人たちは、自分の資格と一致しない仕事で働いていることが多く、自分の職業上の立場に満足していないと付け加えている。Leichsenringら(1994)によれば、小企業にとっては、代償納付金を納めないこと、あるいは報奨金を賃金補助と一緒に受けられることが、障害者を雇用するインセンティブになっている。

代償納付金基金

 代償納付金の歳入は代償納付金基金に集めて、障害者の職業面でのインテグレーションを促進するのに使用する。1995年の基金からの支出は、合計6,460億6,500ASであった。

この基金でまかなわれる最も重要な対策は、シェルタード・ワークショップに発注(純インボイス額の15%)したり、義務以上の数の障害者の雇用(報酬には年額に限度があり、代償納付金の50%を超えない額)をした事業主に対する報奨金、シェルタード・ワークショップへの助成金、賃金補助、職場改善のための助成金である。

表Au.5 代償納付金基金の支出(1995年 単位:百万AS)
総支出額 646,065
個別補助金 216,158
事業主への報奨金 193,806
シェルタード・ワークショップ 152,383
特別プログラム 17,526
利益団体への補助金 65,392

出典:BMAS

解雇に対する保護

 障害者雇用法には、登録障害者の解雇に関する特別制限が規定されている。特別な手続き上の規則が定められている。この規則によれば、障害者を解雇するには、社会事務所、労働市場サービス、事業主、従業員、障害者関連団体の代表で構成する州障害者委員会の同意が必要である。事業主は、解雇する理由を書いて同意を求める書面を提出しなければならない。

1995年には、審議された645件のうち、105件が受理され、63件が却下され、477件が取り下げられた。実際は、取り下げられた事例では普通、合意によって雇用が終わるので、審議件数の90%は障害者が失職している。1995年には、44例が訴えられたが、13件について解雇の同意が与えられ、20件については、合意によって雇用が終了し訴えは取り下げられた。このように、実際は、制限は解雇に対して厳密な保護を提供してはいない。

しかしながら、解説者は、この制限はこれから就職しようとする障害者にとっては逆効果になっていると指摘する。解雇の許可が得られないのは実際は希であっても、事業主は、障害者を雇用しない大きな理由の1つにこの条項を引き合いに出す場合が多い(Leichsenring,1994)。潜在的な解雇の場合、制限は余分な費用がかかってしまうという結果を残す。Blumbergerら(1996)は、解雇に対する保護は雇用を妨げている主な理由ではないが、予想される法的結果あるいは実際の法的結果は、主な理由になりうると報告している。この研究では、事業主の40%がはっきりと批判的であった。解雇制限規定は現在見直しが行われており、何らかの緩和措置が考慮されている。しかし、登録障害者の調査(Blumbergerら,1996)では、過半数が解雇保護を最も重視していることが明らかとなった。

障害者代表

 障害者雇用法には、最低5人の登録障害者を雇用している企業では、障害者の代表を1人選出するように明記されている。必要なときには代表に代わるべき者として、代表代理も指名しなければならない。最低15人の登録障害者がいる企業では、各代表について2人の代表代理が指名される。

代表者は、企業側の委員会の同意の下に、登録障害者の職業的、社会的、健康・文化的な権利に注意を払うことになっている。委員会は代表者が登録障害者の特定の利益に注意を払うよう援助すると共に、必要な情報を提供する義務を負っている。

代表者は、特に、次のことを行うよう期待されている。

  • 登録障害者について、法律で要請されていることがきちんと守られるよう保証すること
  • 委員会、事業主、及び必要な場合は、各種の問題から労働者を保護する責任を有する人たちに対して助言を行い、これらの問題を解決するのに貢献すること
  • 障害従業員の仕事、訓練及び特別なニーズに関して提案を行うこと
  • 顧問の立場で、委員会に出席すること。

 事業主は、代表者の相談を受け、代表者が定められた義務を遂行するために必要な情報を提供する義務を負っている。

これらの代表者は、通常、従業員会議と密接な関係を保ち、労働組合とも、通常、密接な関係を保つ。

一般雇用:財政的施策

事業主にとっての動機づけ

事業主に対する財政的な動機づけは、障害者雇用法に基づく連邦社会事務所、労働市場サービス、社会事業関連の州機関や、例外的には社会保険協会からも与えられる。これら諸機関のメンバーで構成されるチームが、どの給付にするか、額はどの位にするか、資金供給責任の分担はどうするかについて決定する。

訓練、就労経験、職場内訓練に対する補助
労働市場サービスは、訓練生の教育に要する費用に対して、事業主補助を行うことができる(支払う賃金によって異なる)。12ヶ月を超えない期間中は、教育、訓練、就労経験に要する賃金の全額の補償も受けられる。社会保険協会や各州政府などの組織も、資金提供者として指名されることもある。1993年には、約AS6,050万が、労働市場サービスによる後者の処置として支出された。

雇用サービスや州政府によるこれらの処置がなされなかったときは、連邦社会事務所もまた職場内訓練や補足的な訓練に必要な助成を行うことができる。

賃金補助
連邦社会事務所は、適格事業主に対して、他の方法では仕事を維持できなかった登録障害者の賃金補助を行うことができる。通常、総賃金の50%が補助され、それに事業主が支払う社会保険料の30%が付加される。労働者が仕事に慣れてくるにつれて、補償の額は次第に小さくなっていく。この補助は、その仕事が少なくとも5年間、登録障害者に確保される場合にのみ支払われる。1993年には、3,646人の登録障害者に対する賃金補助として、約AS1億2,800万が事業主に支払われた。1995年には、合計支払額は約AS1億3,200万となった。

労働市場サービスが支払う賃金補助は、永続的な補助を意図していない。支払額は、生産性の程度によって異なる。最初は100%から始まり、3ヶ月あるいは6ヶ月後に減額され、1年後あるいは2年後に停止される。生産性の低下が継続して著しい場合は、州又は連邦社会事務所は、その雇用に対する補助を継続することができる。

就労環境の改善や技術的支援に対する補助
かかった費用による助成が、さまざまな関連団体から支払われる。例えば、事務所の改善、機械やその他の設備の改善、あるいは技術的な設備の購入などである。1996年には、予算の削減が、この分野における資金提供額を減らすことになった。

ボーナス(報奨金)
割当雇用を達成あるいは超えた企業や、障害者雇用法の対象ではないが障害者を雇用している企業に対しては、代償納付金基金からの報奨金が支払われている。1994年には、この報奨金の額は、AS1億7,700万に達した。1994年には、3,473の事業主が割当雇用を超え、報奨金を受け取った。法の対象外だが登録障害者を雇用した5,486の事業主に対しても報奨金が支払われた。この年の報奨金はAS846であった。

BadeltとOsterle(1993)によると、全登録障害者の10%は割当雇用制度以下の企業で雇用されているが、これが報奨金があるためか、他のファクターのためかを言うのは難しい。ザルツブルグでの研究(Leichsenringら,1994)では、報奨金は、大企業よりは小さい企業の動機づけになる傾向があることが分かったとしている。

効果
事業主に対する動機づけや財政的支援に関する問題としては、広く周知されていないという点が挙げられる(KlicperaとInnerhofer,1992;Leichsenringら,1994)。賃金補助や、職場改善等への補助金があることを知っている事業主は、わずか12%ほどであった。いくつかの研究は、こうしたインセンティブが有効であるためには、事業主への情報と助言が前提条件である、と結論づけている(Leichseringら,1994;KlicperaとInnerhofer,1992)。

賃金補助は、障害者が実際に持つ稼働力の低下を補償するものとしては重要なものであるが、障害者自身は事業主の刺激になるような行動は取り得ないと、Badelt(1992)は言っている。Leichsenringら(1994)は、賃金補助は大企業に対する効果は薄いが、小規模の企業にとっては障害者を雇用する際の決定的なファクターになっていることが分かったと言っている。BlumbergerとJungwirth(1996)は、ごく小規模の企業を除けば、賃金補助は障害者を雇用する際の決定的なファクターにはなっていないことを示している。技術面での再構築を行う際の、企業の中には多分「たなぼた」として使うところもある技術的援助も、重要なインセンティブとは見られていないようである。

障害者へのインセンティブ

表Au.6 1992年から1995年までの代償納付金基金からの支出(単位:AS 百万)
1992 1993 1994 1995
自動車補助 19,139 19,696 15,923 14,744
職業訓練補助 8,366 8,245 6,825 4,754
車いす使用者用移動補助 11,936 13,183 14,026 14,604
職場内技術支援 9,477 8,919 5,831 6,808
生活費補助 2,026 2,012 1,394 1,137
肢体不自由者・盲人・聴覚障害者用用具 14,863 14,322 11,384 9,835
移動に関する諸支援 1,459 1,763 1,229 2,214
諸ケアの提供 924 11,518 7,912 7,936

出典:BMAS

経済的な支援は、連邦社会事務所による障害者雇用法に従って行われ、肢体不自由者用の用具、教育や通学・通勤用の自動車や他の移動補助具、補聴器、盲人用具などの購入目的に補助される。手続きは、事業主向けと同様である。財源は代償納付金基金である。個人に対する支出を表Au.6に示す。

労働市場サービスは、労働市場サービス法に基づく自由裁量で、障害者などの不利益を蒙っているグループの失業者に対し、経済的支援を行っている。これによって、教育、訓練や就職活動を行っている期間の生活費及び就職面接に行くための交通費を補助することができる。これは、就職後、最初の賃金を受け取るまでの補助にも適用される。1995年には、1万9,949人の障害者が労働市場サービスより補助金を受け取った。この年には、障害者に対する補助の総額は、AS8億4,900万であった(労働市場サービス,個別情報)。

特別有給休暇
それぞれの被用者には、労働協約と公務員規定によって与えられるものとして、年に週日6日までの有給の追加休暇の権利が与えられる。

自営業
自分自身で起業をしたい障害者は、補助及び融資が受けられる。

社会保障のインセンティブ要因とインセンティブ阻害要因
オーストリアには、ビスマルク型社会保障制度の枠組みの中で、社会政策法令の長い伝統がある(全従業員を対象とした強制的な社会保険で、事業主と従業員が掛金をかけ、疾病、年齢、失業、労働災害などの主要な社会的リスクをカバーするもの)。未熟練労働者は、労働市場で仕事が得られるかどうかに拘わらず、なんらかの仕事を得ることが期待されている。

一般保険は、労働災害や職業病に対して、年金を支払い、改造住宅又は改造自動車といった補足的支援を提供している。障害給付は、直近10年間の内の一定期間雇用されており、(慢性)疾患や障害のために労働力を失った人に支払われる。1994年には、41万7,000人が障害給付を受け取った。退役軍人及び特定のグループも手当を受けている。各州による社会保障計画の枠内で支払われる所得保障手当は、雇用関連の社会保障制度によってはカバーされていないリスクが起きたときに、上記グループを支援する目的でできているものである。

障害手当の受給者は、診断書に元の仕事が完全にできると書いてない限り、手当を受給しながら有給の仕事に就くことができる。稼働収入と手当の額によっては、手当の一部が減額されることもある。パートタイムで働くためのメリットがある手当はない。

社会保険法によれば、被用者及び熟練労働者は、その生産性が非障害者の2分の1以下になれば、手当を受給することができる。彼らは、以前保持していた仕事より下位の仕事に甘んじることは期待されてはいない。しかし、先行老齢年金(Anticipatory Old Age Pensions)には、月給AS3,288以上の有給の仕事に就いた場合に減額されるという条項が含まれている(LeichsenringとStrumpel,1995)。社会保障は、雇用された場合には、収入が非常に低額でない限り、打ち切られるのが普通である。

その上、一度社会保障制度を抜け出した人が再び資格を得ようとするのは、難しいことが多い。例えば、もし人が作業療法ワーックショップをひとたび離れると、所得維持手当(社会扶助制度の枠内で支払われるもの)は打ち切られる。それ以降は、所得維持は、例えば一定期間訓練を受ける場合には労働市場サービスにより提供されるが、万一、職業リハビリテーション過程で失敗したとしても、作業療法ワークショップに再入所することはできない(LeichsenringとStrumpel,1995)。

保護雇用

 シェルタード・ワークショップが法に基づいて最初に設立されたのは1979年である。それ以前には、殆どなかった。1977年ワイセンベルク・コンセプトのインテグレーション計画に従って、労働社会省は、一般労働市場で今すぐ職に就けない障害者に訓練と雇用を提供する目的で、オーストリア全体にシェルタード・ワークショップを設立する計画を作成した。1995年10月には、15拠点をカバーする8カ所のシェルタード・ワークショップで、1,015人の障害者を雇用していた。1992年には、数字はこれと似ているが、労働力のわずか0.3%にしかなっていなかった(SamoyとWaterplas,1996)。現在は、保護的就労より援助付き雇用を選んだヴォラルベルク州以外の全州にシェルタード・ワークショップがある。

シェルタード・ワークショップに付け加えて言えば、作業能力が低くてシェルタード・ワークショップに行く資格のない人たちを対象として、州法に基づいて設立されているものに、作業所(occupational workshop)がある。利用者は真の賃金を受け取ってはいない。生産性に従った額を受けてはいるが、所得維持手当に依存している。利用者数は、はっきりしていない。(「作業所」については、SamoyとWaterplas(1996)参照)

目的と対象グループ

障害者雇用法によれば、シェルタード・ワークショップの目的は、障害者が自らの生産性を工夫してそれを伸ばし、あるいは再獲得して、一般労働市場で雇用されることを目指せるようにすることとされている。これは、障害の状態や重さのために、現在は一般雇用で働くことはできないが、少なくとも商業価値を有する何らかの仕事をする力がある人たちを主な対象としている。

もともとの公式の目的は、一般雇用に進むために生産性を上げ準備をすることであるが、シェルタード・ワークショップは、通常の雇用環境では得られない社会サービスを提供する責務も負っている。それらには、特別休暇、有給休暇、食事補助、社交ピクニック、医療・社会サービスなどが含まれる。

シェルタード・ワークショップで雇用される資格としては、50%の障害程度規準に合致している必要がある。それに、仕事量が、同じ仕事をする非障害者の生産高の最低50%以上でなければならない。どこのシェルタード・ワークショップであっても、従業員の最低60%は2つの基準に合致していなければならず、最低80%は、どんな公式の障害定義によっても障害者でなければならない。

障害者雇用法は、受け入れのための手続きを定めている。専門家チームが、リハビリテーション計画に従ってシェルタード・ワークショップへの入所と、各障害者の収入について、決定を行う。チームは、シェルタード・ワークショップの管理者、連邦社会事務所、労働市場当局、州政府の各代表で構成される。医療専門職及び心理専門職も含まれる。

資金と組織

 シェルタード・ワークショップは、当該州政府、労働市場サービス及び代償納付金基金からの補助金を受けている。基金がシェルタード・ワークショップに支払った年次別支出は、表Au.7のとおりである。

表Au.7 代償納付金基金のシェルタード・ワークショップ
に対する年所別支出額
支出額(百万AS)
1991 121,016
1992 81,132
1993 100,554
1994 161,598
1995 152,383

出典:BMAS

1994年の上昇は、設立のための投資が通常以上に高額(630億AS)になったためと説明されている。1995年には、360億ASがシェルタード・ワークショップを拡大するために投資された。補助金でカバーされるのは年次支出額のわずか30%のみで、残りは売上益からのものである(SamoyとWaterplas,1996)。1993年には、障害労働者1人当たりの補助金は、月およそAS1万3,000であった。

SamoyとWaterplas(1996)は、代償納付金基金からある程度まで補助金を受けるためには条件があるので、その条件がシェルタード・ワークショップの組織と機能を決定してしまうと指摘している。これは、例えば、賃金は集団の同意と一致しなければならないとか、建物や職場の構造は保護工場が企業と同じように機能できるものでなければならないとか、保護工場が経済性と効率性の基準に基づいて運営されなければならない、などである。

シェルタード・ワークショップは有限責任会社である。これらの会社の設立に加わった団体(商工会議所、労働者会議所、障害者団体及び民間組織)は、諮問委員会に代表を送ることができる。同様に労働社会省、代償納付金基金、州政府及び社会保険機関も代表となる。

約270人のスタッフがいる。指導員と障害従業員との比は1対12であるが、訓練や職務試行では1対6である(SamoyとWaterplas,1996)。

労働条件

 シェルタード・ワークショップは、一般労働市場にインテグレートできない人たちのために無期限の雇用契約を締結しなければならない。従業員は、活動分野別の法定最低賃金の支払を受け、全ての社会保障に加入する。

生産活動

 シェルタード・ワークショップは、自社製品を生産・販売し、下請契約による部品を生産する。主な生産分野は、陶器、金属加工、木工、織物、電子部品組立である(LeichsenringとStrumpel,1995;SamoyとWaterplas,1996)。

従業員

 BlumbergerとJungwirth(1996)によると、シェルタード・ワークショップ従業員の3分の2(635人)は男性で、全体の5分の2は30歳以下、50歳以上はわずか8%である。従業員の過半数(63%)は身体障害を持ち、29%が知的障害、8%が精神障害である。知的障害のある人たちは殆ど作業所やデイセンターに通っている。

50%を下らない労働能力を要求されているにも拘わらず、実際は、従業員の3分の1はこの基準以下である(BlumbergerとJungwirth,1996)。オーストリアにおけるシェルタード・ワークショップ従業員の潜在能力は、欧州連盟加入17カ国の中でも上位3カ国には入ると判断されてきたと、ArnordとLarisch(1996)の研究は述べている。

移行

 1977年のワイセンベルク・コンセプトで原則とされている一般労働市場への移行という目標は、達成されていないと思われる。ある2次資料(SamoyとWaterplas,1996に引用されたLindebner,1989)によると、1986年から1988年の間に一般企業に就職した障害者はわずか49人であった。BlumbergerとJungwirth(1996)は、1992年には一般企業に就職した者は28人で、移行率は2.9%であったと報告している。BMASによると、毎年、一般労働市場へ進んでいるのは5~7%である。

ある2次資料(SamoyとWaterplas,1996に引用されたSinkovics,1992)は、仕事が保障されて最低賃金が得られるという経済的利点がなくなり、かつ保護的就労に付随している社会サービスや特典を失ってしまうということが、移行を少なくする要因になっていると指摘している。シェルタード・ワークショップは、最も生産性の高い労働者が移行してしまうのを嫌がってもいる。

1993年障害コンセプトは、一般労働市場でのインテグレーションが特別な施設での雇用より好ましいと強調した。示された目標の1つが、シェルタード・ワークショップから一般労働市場への移行の増加であった。最近の新しい政府政策も、移行の増加を目指している。3ヶ月試行取り決め、即ち、人が一般市場で試行的に就労し、企業の通常賃金を受け取るが、身分はシェルタード・ワークショップに残るという制度は、非常に良い成果を挙げているとは報告されていない(SamoyとWaterplas,1996)。現在は、シェルタード・ワークショップの従業員は長期間一般企業で働くことはできるが、シェルタード・ワークショップの従業員名簿に登載されたままである(LeichsenringとStrumpel,1995)。

調査によると、シェルタード・ワークショップにいる多くの従業員は労働市場で働く力を持っているが、その準備をすることとシェルタード・ワークショップからの援助が欠けている。最近は、政策の照準は、シェルタード・ワークショップ従業員の資格水準の向上に当てられている。選ばれた従業員グループに18ヶ月間訓練を行うというコースが計画された(SamoyとWaterplas,1996)。移行率を8~10%にするのが最終的な目的である(SamoyとWaterplas,1996)。

要約

 オーストリアにおける障害法制は分散化されており、また、連邦政府と9つの州に(権限が)分かれているため、障害政策を実施する責任を有する単一の組織はない。1990年連邦障害法により諸規定の調整が始まり、連邦障害者会議(Federal Disabled Council)が設立された。1993年の政府の新しい「障害コンセプト」は、予防とリハビリテーション、インテグレーション、ノーマライゼーション、自立及び(障害の原因によるのではなく)個人的ニーズに基づく新しい取り組みを提示した。障害に基づく差別を禁止するための憲法改正が検討されている。

戦傷者の義務雇用のための法律は、代償納付金基金と同時に1920年から始まっている。1940年から1950年にかけて、対象とする範囲が事故による障害者や他の一般障害者グループに拡大された。1970年代の中頃までに、法は、障害の原因に関係なく全ての人びとに適用されるようになり、割当雇用制度は、官公庁、民間を問わず、25人以上を雇用する事業主に適用されるようになった。1989年の障害者雇用法の最後の大改正では、「働く能力(capacity to work)」という用語が、最低50%の「障害程度(level of disability)」という用語に代えられた。1993年の「障害のコンセプト」では、特別な施設ではなく一般雇用に参入することが強調され、職業リハビリテーション過程のよりよい調整と併せ、斬新なインテグレーション対策と新しい雇用形態が勧告された。

連邦労働社会大臣は、政府の部局や政党の代表と並んで社会的な協力者や障害者組織の代表などで構成される連邦障害者会議の助言の下で、障害政策を行う一般的責務を有している。障害者雇用法の機能(割当雇用、登録、補助・助成)は、各州にある省の事務所が運営に当たる。労働市場サービスは、1994年に、労働社会省所管の自治組織に改組され、ソーシャル・パートナーとしての役割が強化された。労働市場サービスは、労働市場における不利益グループ(障害者も対象グループの1つ)を対象として、訓練、助言、紹介などを行う専門的役割を果たしている。

障害コンセプトの基本として、障害者とは、主に教育、雇用、就労、コミュニケーション、居住、余暇のような生活の重要な領域において、身体的、知的又は精神的に、重度かつ恒久的な不利を蒙っている人たちであるということが広く受け入れられている。障害者雇用法で登録されるためには、少なくとも50%の能力障害(医学的に判定されたもので稼働能力に依るのではない)を持っていなければならず、精神障害を持つ人は殆ど除外されている。労働市場サービスは、労働市場での機会が身体的、精神的、知的障害のために少なくなっていると考えられる場合は、障害者と考えている。しかし、殆どの州では、賃金補助を受けるためには最低50%の稼働能力があることが要求されている。

登録障害者数は、1990年代に増加している。割当雇用制度のもとで雇用されている絶対数は増加しているが、有職登録障害者の比率は減少している。障害者は、労働市場サービスに登録されている失業者の15%を占めている。1995年までは、被用者、失業者双方の中で身体障害者数が多く、求職者の9人に1人は身体障害者であった。知的障害者のインテグレーションは、限定的である。

障害者を一般の雇用支援サービスに含めようとする傾向があるが、障害者に対する職業指導や訓練は特別な施設で行うのが圧倒的に多く、障害のある児童や青年を一般の学校や訓練にインテグレートすることは始まったばかりである。障害コンセプトでは、人びとのニーズに合った訓練を調整したり、訓練から就労への移行を進めたり、労働市場のニーズに合った訓練を行うときのフレキシビリティを高めるよう提唱している。援助付き雇用のような、新しいサービスの範囲を広げていくような計画が1997年には立てられている。

25人以上を雇用する事業主には、4%の割当雇用義務がある。1984年以来の毎年の達成率は、59%から52%の間である。1994年には59%であった。1994年には、割当雇用義務を達成した事業主は5社に1社以下で、80%以上が納付金基金に納入した。徴収レベルが他の雇用費用に比して低額なように見えるし、税金と同じように自動的に納めている企業もある。

登録障害者は解雇に対する特別な権利を有しており、解雇に際しては特別な同意が必要とされている。許可は殆ど与えられないが、殆どの場合、障害者が失職して終わる。障害者は保護を重視するが、事業主の方は障害者を雇用しない主な理由を規制に求める。障害者を5人以上雇用する企業においては、1人の障害者代表を選出するための規定もある。

事業主には、主として障害者雇用法により財政的支援が行われる。各機関の代表によるチームの決定により、労働市場サービス及び各州から行われる。この支援には、賃金補助、訓練や就労経験のための助成、職場改善及び割当雇用達成の報奨金などがある。しかし、これらの支給は、広く周知されてはいない。賃金補助が小企業の採用決定に影響を与えているという形跡がある。

代償納付金基金から障害者に支払われる経済的支援は、訓練や介助と共に、通勤保障、労働や機器に対する技術的援助に向けられている。労働市場サービスも、障害者を含む失業弱者に対して教育費、訓練費、求職費などの任意な経済的援助を行っている。雇用されている障害者は、年間6日間の追加的有給休暇の権利が付与されている。

シェルタード・ワークショップは、1979年に初めて法に基づいて設立された。有限責任会社として運営され、費用の30%が代償納付金基金からの補助金で賄われている。1995年には、15部門にわたる8つのシェルタード・ワークショップで約1,000人の障害従事者をかかえていた。およそ3分の2が身体障害者であった。従業員には期限のない雇用契約の下で法定の最低賃金が支払われる。一般雇用への移行はなかなかできないが、障害コンセプトの目標の1つになっている。最近のイニシアティブには、一般企業への試行的就労制度が含まれる。

ベルギー

政策と制度的情況

障害者対策及び法制度

 ベルギーの障害者対策を理解するには、この国の歴史と近年の制度改革及びその結果である権限及び機能の分権化について知っておく必要がある。(訳注)

(訳注)ベルギーは、世襲の国王を元首とする立憲君主制国家であるが、1988年から 1993年にかけて行われた憲法改正により、オランダ語圏に属するフレミッシュ(フラ ンドル、フランダース)、フランス語圏に属するワロン、及び首都ブリュッセル(両言 語併用圏)の3地域圏(regional)で構成される連邦国家となった。また、これに先立 ち(1974年)、オランダ語、フランス語及びドイツ語の3つの言語圏共同体 (community)が創設され、文化、教育、医療に関する事項は各共同体が所管することに なっており、障害者対策についても、「国家(連邦政府)」、「地域圏政府」及び「言 語圏共同体」がその権限を分担する複雑な制度となっている。

法制度の発展
障害者を特に対象とする最初の法律は、1903年の労働災害被災者(補償)法である。1919年には戦争による障害者対策が、1927年には職業病患者対策が導入された。1928年以降、労働市場での稼得能力を有しない身体障害者に対し、資産調査を行った上で(means-tested)手当が支給されるようになった。第二次大戦直後、疾病・廃疾手当を含む健康保険制度が全労働者に強制適用となった。1956年には(資産調査の上給付する)特別援助基金(special support fund)が創設された。これは後に(1967年)、障害者の施設内ケア、その他のサービスのための基金の主たる財源となった。

障害者の労働市場での統合に関する一般法は1958年に制定されたが、実施には至らなかった。同じ内容の規定が1963年社会リハビリテーション法(the Social Rehabilitation Act of 1963 )に導入された。1960年代には、また、1928年の身体障害者手当法に知的障害者(mentally handicapped persons)を含むよう改正が行われ(1969年)、さらに、1956年特別援助基金(the 1956 support fund)は、1967年に、障害者の医療及び社会的、教育的支援のための基金(「基金81」―資産調査は廃止)に変更された。1970年代には、労働災害及び職業病対策の分野で重要な変更が行われ、また、特殊教育は、正式に教育制度の一部となった。1987年には、障害者の(資産調査を伴う)手当制度が改正され、1990年代以降は1963年法に基づき設立された障害者社会リハビリテーション国民基金(the National Fund for Social Rehabilitation if Disabled People)と約30年にわたって実施されてきた障害者の社会的、職業的統合対策の主要制度が「地域基金」(regional Fund)に移管された。第二次大戦後における障害者対策の概要についてはSamoy(1994)がある。

制度改革

 1980年の制度の改革により、立法及び行政権限は分権化された。立法府には3種類ある。(訳注)

  • 連邦(Federal)
    • 法律(law)及び勅令(royal order)の制定権を保有
  • 言語圏共同体(community)
    • フレッミシュ語、フランス語及びドイツ語の各言語圏共同体の命令(decree)の制定権を保有
  • 地域圏政府(regional legislature)
    • 各地域圏(フランダース、ワロン各地域圏及びブリュッセル)に関する命令の制定権を保有

(訳注)中央政府、言語共同体及び地域の各政府の機能区分は次の通りである(下条美智 彦「ベネルクス三国の行政文化」、早稲田大学出版部,1998年,p.117による)。

  • 中央政府:連邦行政機構の全般的な管理運営、外交政策、防衛政策、司法・治安維持、 社会保障政策、財政・金融政策などに関する事項
  • 言語共同体政府:言語・教育・文化政策、移民の同化策、健康・看護対策、家族関係 など個人に関わる事項
  • 地域政府:環境政策、都市政策、エネルギー・水政策、通商政策、観光政策、農業政 策、雇用政策、住宅政策、条約締結権、地域間交流など地域全般に関わる事項

命令(decree)は、法的効力を有するが、適用範囲は地域的に限定される。言語圏共同体(community)が文化的用語であるのに対し、地域圏(regional)は地理的概念である。地域圏政府は、住宅、雇用政策を含むその地域の社会・経済政策について所管する(ただし、雇用政策の重要事項の多くは連邦政府に残されている)。言語圏共同体は、文化及び社会援護対策に全面的な権限を有している。これには、全てではないが障害者対策の多くが含まれる。フランダース地域圏では言語圏共同体と地方圏政府とは一体化している。1993年にブリュッセルのフランス語系住民に対する言語圏共同体の所管事項がフランス語圏共同体政府からブリュッセルの特別委員会(ブリュッセル市フランス語圏共同体委員会 Commision Communautaire Francaise de la Region de Bruxelles-Capitale)に移管された。

国(現在では連邦)の権限のうち、制度改革により、1980年代はじめに言語圏共同体へ移管されたものの中に、障害者に対する医療、社会及び教育的ケアに関する基金(「基金81」,the Fund 81)がある。1991年に、社会的、職業的統合化サービスに関する広範囲の権限を有する機関である「障害者社会リハビリテーション国民基金」(the National Fund for Social Rehabilitation of Disabled People)が解体され、その機能の多くは言語圏共同体に移された。もっとも、医療及び機能回復リハビリテーションという重要部分は連邦健康保険制度の一部に残された。

フレミッシュ語圏共同体では「障害者社会リハビリテーション国民基金」(the National Fund for Social Rehabilitation of Disabled People)を「基金81」と統合した。この新基金が「フレミッシュ障害者社会統合基金 Vlaams Fonds voor de Sociale Integrate van Personen met een Handicap」である(1990年6月27日付共同体命令により創設)。ドイツ語圏共同体でもまた、障害者への援助は1つの機関(障害者ドイツ語圏共同体事務所Dienstelle der Deutschsprachigen Gemeinschaft fur Personen mit einer Behinderrung,1990年6月19日付命令により創設)で調整することとし、施設整備、職業及びデイケア・センター、相談業務全般その他就労に関連する機能を包含させた。しかしながら、特殊教育については共同体に権限を残している。障害者のニーズにあわせるには担当機関が2つに分かれておらず、1つの方が便利である。なお、執筆時点でのドイツ語圏共同体基金の対象者は、約7万人である。

フランス語圏共同体基金(the Fonds Communautaire、1991年7月3日付け命令で創設)は、就労関連施策―職業指導、職業リハビリテーション、雇用及び障害者本人への支援―についての唯一の機関である。それ以外のケア制度はフランス語圏共同体行政当局の直轄とされた。この基金は、1993年7月22日付け命令により、2つに分割された。ブリュッセル基金(Fonds Bruxellois Francophone pour l'Integration Sociale et Professionnelle des Personnes Handicapees)は、ブリュッセル市のフランス語系住民を対象に設立された(1994年3月17日)。同じ行政機関の下にありながら、ブリュッセルでは医療、社会及び教育の機能が異なっている。ワロン基金(Agence Wallonne pour l'Integration des Personnes Handicapees)は、ブリュッセル以外のフランス語圏の住民の医療、社会、教育を対象に設立された(1995年4月6日)。この分離にともない、これら住民に対する権限は、フランス語圏共同体からワロン地域圏政府及びブリュッセルの特別委員会(上述)の各行政に移管された。この新しい変更は1995年7月1日から実施された。

以上を要約すると、1997年時点で4つの基金が存在する。フレミッシュ地域圏及びブリュッセルに居住するオランダ語系住民のためのフレミッシュ基金、ワロン地域圏に居住するフランス語系住民のためのワロン基金、ブリュッセルに居住するフランス語系住民のためのブリュッセル基金、及びワロン地域圏に居住するドイツ語系住民(ドイツ語地域圏というのはない。)のためのドイツ語基金である。

障害者雇用対策

1963年社会リハビリテーション法は、フレミッシュ、フランス、ドイツ各言語圏共同体の1991年及び1992年の新しい命令の基礎となった。社会リハビリテーション法は、広い権限を持つ障害者社会リハビリテーション国民基金(the National Fund for the Social Rehabilitation of Disabled People)を創設したが、同基金は、雇用主やリハビリテーション施設や、訓練施設に対する援助とともに障害者個人への直接的な援助を可能とするものであった。Daunt(1991,p.67)によれば、当該基金の財源は自動車保険料の一部である。基金の理事会には、障害者団体及び労使団体の代表者が含まれていた。現行の地域圏別基金ではこの資金調達法は採用されていない。

1963年社会リハビリテーション法(及びこれに基づく勅令Royal Order)の下で実施されてきた、障害者を職場に統合するため諸対策は、現在では主に4つの基金で遂行されている。以下に説明する手続きや対策は共同体に移管されるまでは、国民基金(the National Fund)がその権限を有していた。重要な例外は、従来、雇用機関が行っていた一般労働市場への職業紹介機能であって、これは国から地方圏政府に移管された。1963年法の大部分は廃止されたが、いくつかの条文は有効である。例えば、基金には雇用主及び従業員に対する支給金額の水準を変更する権限はない。この点に関しては、連邦の機能として残されている。

また、1963年法の割当雇用(compulsory employment)に関する条文も有効である。

障害者は、失業者の中でも不利な状況にあるグループの1つと見なされており、職場の開拓、訓練対策、職業的統合化計画のプログラムを作成している(連邦及び地域政府の)雇用労働省(Ministry of Employment and Labour)の施策の対象とされている(MISEP,1992)。しかしながら、各共同体の命令はどれも、それが可能である場合には、一般市民向けの施策を原則として適用すべきことを強調している。特別対策は障害の性質上必要である場合にのみ利用されるべきである(MISEP,1996)。ワロン地域圏では、1995年命令(第3条)において、「障害者は、その障害の原因、種類、程度の如何を問わず、社会的、経済的生活に全面的に参加する権利を有する」旨、宣言している。

政策決定とその実施

 現在、雇用対策の各権限は、一般的に次の通りとなっている:各言語圏共同体は、一般健常者向けの事業と併せて障害者向けの職業訓練及び再訓練を所管している;職業紹介及び失業者の労働への復帰については、地方圏政府の権限に属する;連邦政府は、社会保障及び労働権(right to work)について責任を有する(MISEP,1996)。機能回復リハビリテーションは、連邦保健サービス機関(the Federal Health Service)の責務である。

連邦レベルでは、障害者国家上級委員会(Higher National Council for the Disabled)(1981年設立)が連邦当局の権限に属する障害者問題を取り扱っている。同委員会は、立法措置について勧告権をを有し、委員会を構成する18名の委員は、「障害者に関連する組織の活動や社会的、学術的活動に参加している特別の有資格者である」(WHO,1990,p.32)。このほか、フレミッシュ障害者上級会議及びフランス語圏共同体障害者諮問委員会がある(両者とも1981年設立)。

ワロン基金には障害者管理委員会、顧問評議会、地方支部委員会、諮問委員会が置かれている。ブリュッセル基金の管理部門には5つの部門が置かれている。フレミッシュ基金には理事会、顧問委員会及び独立した地方(local)評価委員会がある。

障害者組織との協議
ブリュッセル基金は、障害者を支援するものとして、並びに、障害者の代表の参加が要請される団体のメンバーとして、障害者を代表するいくつかの団体を認めている。

ワロン地方では、政府レベル及び社会のあらゆる分野で、障害者が連帯して、その権利を守り、政策への影響力をもつためには、全面参加の原則が必要不可欠であると見なされている。1995年4月の命令は、障害者の要求を聴き、そのニーズを確認するための手段として団体活動の役割を認めている。同命令はまた、各団体に、障害者の意見を尊重し、既存のサービスの評価を行い、改善を勧告し、より広く社会に情報提供を行うことを定めている。ワロン基金の管理委員会の定員16のうち4つは障害者もしくはその家族を代表する団体に割り当てられている。これらの団体は、また、行政機関の諮問委員会に代表を送り込んでいる。障害者顧問評議会は障害者関係団体の調整を行い、全体を代表する。同評議会は、諮問に応じあるいは自主的に、ワロン地域評議会及びワロン政府に対し障害者対策及び対策の効果的実施に関する勧告を行う。評議会はまた、ワロン基金の活動について審議する。評議会の19名のメンバーのうち、12名は障害者又はその家族を代表する団体から任命される。

フレミッシュ基金及びフレミッシュ諮問評議会の管理機関及び諮問機関も、概ねワロン地域とほぼ同じ方法と範囲で、障害者が直接又は間接的に代表を出している。現在(1997年)管理委員会には障害者が2名、障害者団体の副会長が2名、代表として参加している。

社会的パートナーの役割
すべての基金で、社会的パートナーが管理委員会に参加している。フランダースでは、社会的パートナーは、一般労働市場と保護雇用の双方とも同じレベルの支援が障害者に提供されるべきであると合意している。この目的は、一般労働市場における障害者にさらに多くの資源を求める際に、2つの分野の財源のアンバランスを全般的に是正することである。

障害の定義

 雇用に関わる障害者の定義は、基金に権限が委譲される際に変更された。1963年社会リハビリテーション法で用いられていた定義では、「身体的能力が少なくとも30%以上、又は精神的能力が20%以上、機能不全もしくは減退しているため、雇用の可能性が実質的に(effectively)減少している人々」であった(第2条)。

(新しい)各命令(decree)では、パーセント表示による障害程度の把握は廃止され、かつ、65歳を越えた申請者にはサービスが提供されないことが明文化された。後者の規定は、障害者対策と高齢者対策を分けるためである。

ブリュッセル基金は、障害者の定義に、もともとフランス語圏基金が1991年7月3日付け命令で示したのと同じもの(「社会的、職業的統合の機会が、身体もしくは精神的能力(physical and/or mental capacity)の不全または減退のため、著しい制約を受ける人びと」)を採用した。ワロン基金は、定義の一部を次のように変更した。「社会と関わる上で必要とされる精神、感覚又は身体的能力(mental,sensory or physical faculties)の変化(alteration)」。考慮されるべき障害の程度については、多元的な評価(multi-disciplinary assesment)に基づき決定される(1991年命令第2条)。

フレミッシュ基金の1990年6月27日付け命令の定義は、3つの点で異なっている。

  • 社会参加の機会の制約に関して「長期にわたり」(long-term)という語を加えたこと。
  • 「社会的」統合のみを条件としたこと。
  • 評価の対象となる「精神、心理、身体又は感覚」の能力をリスト化したこと(第2条  2項)。

 フレミッシュ基金の命令の基本原則を示した報告書は、こうした用語法を採用した理由として、特に成人精神病患者(主な理由は、こうした患者は少なからず保護工場で就労しているということである)を含めたことに言及しながら説明している。フランス基金では、多元的評価(multi-disciplinary assesment)の実施が重要であるとしている。

ドイツ語圏共同体では、障害を精神、身体、感覚機能の減退に起因する社会的、職業的統合へ影響するものと定義している(MISEP,1996)。

古い(1963年の)定義は、公式にはもはや用いられていないが、フレミッシュ基金を除き、雇用制度を利用する際には、依然として、古い用語(減退能力のパーセンテージ表示)による医学的診断が必要とされている。

統計

 1992年のベルギー人口は1,000万人であった。生産年齢人口は830万人、労働力人口は420万人、就業率は50.8%である。同年における失業率は10.3%であった(MISEP,1996)。

人口に占める障害者数

1981年に実施された人口・施設調査及びGrammenos(1992)の報告によれば、14歳以上の非生産活動人口は7つに区分される。14歳から59歳までの「病気・病弱(sick and invalid)」人口は15万6,000人で、ベルギー全国の同年齢人口の2.5%を占める。14歳以上の通学人口、家事従事者、早期退職を含む引退者、自主的な非活動人口、その他の理由による非活動人口などの存在を考慮すると、これは明らかに過小推計になっている。障害者に関するこれ以上新しい調査がないが、いくつかの障害給付から推計される生産活動年齢に該当する成人を全て加えると、障害者の数は、労働力人口の約8%から10%に達する。

障害者の雇用、失業状況

雇用されている障害者数や失業者数を正確に把握することは困難である。ベルギーの労働力調査では、健康状態について長期、短期の区別をしておらず、多くの障害者は、失業登録に現れることはまずない。80年代半ばまで、わずか5万人が「職業に十分適合できない」者(理由はたいていは障害に起因するが全員がこれに該当するわけではない)として、国営の職業安定所に登録されていた。これは、さらに軽度(partial ability)及び重度(greatry reduced ability)に分けられている。現在(1997年)、この数は3万人に減少しているが、その理由は、主として、高齢(50歳以上)失業者の多くがもはや統計に現れなくなったためである。

しかしながら、障害者の大多数は、雇用給付以外の給付を受給している。約18万人(高齢者を含まず)の障害者が廃疾手当を受けており、1987年の措置では約7万人(60歳未満)が後遺障害手当を受給している。軽度の障害者が多く含まれていると思われる10万人以上の高齢労働者が、早期退職制度により非労働力化している。さらに、約20万人が労働災害または職業病の補償を受けている(人数不明の引退労働者を含む)。補償額は就労時の収入に連動しており、その多くは重度障害者ではないとはいえ、調査によれば、大多数の人は失業状態にあると見られるにもかかわらず、失業統計上は必ずしも障害者として示されていない思われる。

信頼できるデータはないが、現在、障害者(20歳から60歳まで)の就労率は、30%を越えることはないと推計される(Samoy,1996)。

雇用支援サービス

専門サービス

 基金の機能には、評価、職業リハビリテーション、職業訓練及び一般労働市場又は保護雇用への(ある程度までの)職業紹介機能が含まれている。こうしたサービスを利用するには基金に登録しなければならない。障害者が登録するには基金に申請し、条件に合っていることを評価してもらわねばならない。一旦登録されれば、統合プログラム(integration programme)が作成される。

学校教育を受けられなかった18歳以上の人及び一般労働市場を目指して昼間教育カリキュラムに参加している人は、一定の条件の下で、基金から生活資金の助成を受けることができる。その教育が専門的訓練と認められる場合には、特別の措置がある。

特別見習い契約(special apprenticeship contracts)は、職業訓練を実施する事業主の協力により、基金によって実施される個人向けの訓練である。事業主は、1年間の訓練期間の後、その障害者を採用する義務はないが、雇用に結びつくことも少なくない。「特別見習い」という名称は用いられていないが、雇用を前提とするオン・ザ・ジョブ訓練でも同様のサービスを提供している。

基金によって認可された特別センター(special center)には、専門ガイダンス・センター及び専門職業訓練センターが含まれる。これらは、一般労働市場への参入または復帰のための支援制度である。フレミッシュ地域圏では、1997年以降、専門ガイダンス・センターは他のサービス機関(たとえば、専門訓練センターやシェルタード・ワークショップ)と統合され、進路指導(route-counselling)のための新たな組織になる予定である。同地域では、専門訓練センターについても改革が予定されている。重点は、「ジョブ・コーチ」、すなわち、分離された場ではなく、通常の労働環境の中での支援、及びより障害者のニーズに応じたモジュール訓練の導入である。

フランス語圏地域では、訓練中の障害者の対して賃金に代わる手当及び付加的な助成金が基金から支給される。ブリュッセル基金では、手当の額は最低賃金月額の40%とされ、無収入の被扶養者がいる場合には60%まで手当が増額される。ワロン基金では、手当の算定に当たり、障害者の家庭状況を考慮に入れると共に他の収入について75%の減額をしている。両基金とも、職業訓練中の訓練生への付加的な助成金は同額である(最近では1時間当たり40ベルギー・フラン)。フレミッシュ基金は手当の額を家族筆頭者への失業給付額に合わせており、付加的な給付については他の基金と同額である。

表B.1は、1990年から1995年までの訓練プログラムに参加している障害者数である。1990年以降、フレミッシュ地域圏の特別見習い契約の数値は大きく落ち込んでいる。フランス語圏地域では、落ち込み方は少なくその後回復している。フレミッシュ基金の手当の水準の低下が落ち込みに影響している。改正前までは、手当額は最低賃金額を上回ることができた。この点は重要である。ベルギーでは、特別見習い契約制度は「成功」と見なされており、対象者の71%が真の雇用に移行している(OECD,1992,p28)。数字の落ち込みはまた、メイン・ストリーム・プログラムで障害者の訓練が増加したことを反映している。

それ以外の訓練活動には、基金は直接的には関与していない。フランス語圏地域ではEAP(the Enterprise d'Appretissage Professionel)が組織内の小企業体における学習困難な若者への職業訓練についての支援を行っている。フランス語圏共同体(the French Community)は、1987年に法によりEAPを公式に認可している(Van Calster,1992)。

同様の制度は、フランダースにもある。いわゆる「ソーシャル・ワークショップ」は、「雇用困難者」(教育水準の低い長期失業者)への訓練と雇用の促進を意図しており、1,000名近い対象者のうち、およそ25%が障害者である。こうしたワークショップへの資金提供は、なお試行的な段階にあるが、法制化されつつある。

表B.1 基金のプログラムによる訓練を受けた障害者数(ドイツ語圏共同体を除く)*1990年-1995年
1990 1991 1992 1993 1994 1995
専門訓練機関と見なされる教育施設での訓練 32 23 20 11 12 8
通常の見習い制度 5 2 0 0 0 0
特別見習い制度・OJT訓練 545 341 303 302 369 402
職業安定所の訓練センター 5 16 10 10 9 7
特別センターにおける訓練 784 756 669 667 710 650
合計 1,371 1,148 1,002 1,000 1,100 1,067

(注)数字は各年12月31日現在
*  1990年のドイツ語圏共同体の数:特別見習い2名
出典:Samoy,各基金の年次報告から算出

メインストリーム・サービス

地域雇用機関(regional employment agency)は、一般的な職業訓練について基本的役割を果たしている。 例えば、ワロン地域圏では、かなりの障害者が、一般の人を対象としているセンターで訓練を受けている。上記の表の訓練生数(雇用機関の訓練センターでの訓練)は、基金が訓練費用の一部を負担している場合のみの数である。フレミッシュ雇用機関(Flemish employment agency)では、長期失業者を対象に(1年間の)導入訓練コースを実施している。これは主に民間非営利機関と共同で組織されている。こうした訓練コースの何千という参加者のうち、障害者は、1995年で1,584人であった。この数は、フレミッシュ基金の特別訓練センターの受講者の約5倍にあたる(Samoy,書簡,1997)。その他の訓練対策として、就職困難者に対する訓練がフレミッシュ地方で実施されている。こうした雇用プログラムの多くは、欧州社会基金(Europian Social Fund)と資金を共同支出している。この結果、障害者は、より広範囲の対策から便宜を得ることができる。ブリュッセル基金では、理想的には、障害者は、一般向けの訓練センターの下で実施されることが望ましいと考えられている(Brussels fund commnication,1996)。

国及び地方の雇用プログラムの「不利な状況」対象グループに障害者を含めたことは、1990年代の重要な改正の1つである。

啓発政策

 フレミッシュ基金では事業主の倫理規範の発表が計画されている。これは、労働者、事業主、障害者及び障害者の職業的統合に関わるサービス機関の代表者の間の連携を形成しようとするものである。

フレミッシュ地域圏では、さまざまな手段が障害者の雇用を促進するために検討されている。これには、上述の倫理規範に加え、障害者雇用に関する社会的責務についての好ましいあり方についての規範が含まれる。また、雇用主、労働組合、政策決定担当者、政治家などに対する訓練コースの設置が考えられている。こうした活動は、障害者の雇用機会と障害者への理解に影響を与えるであろう。事業主及び障害者が上記の活動その他を対策を進めるためのフォーラムも設置されている。進路指導(route-counselling)と訓練センターにおける再指導の連携の強化も、地域の事業主と接触を増やし協力を促進する上で効果的と思われる。

ワロン基金では、基金の目的と支援サービスの内容を周知するために、一連の活動を行っている。これには、障害を有する従業員のための助成金についての情報提供説明会、障害者の統合に関するビデオ、障害者及び雇用主のコメントを掲載したブックレットの発行及び新聞発表、障害者の雇用と訓練に関する書物の発行などが含まれる。ブリュッセル基金では、障害者雇用における基金の役割に関するパンフレットを作成している。障害者に対する意識を高めるためビデオクリップも共同体及び地域のテレビジョンネットワークで放送している。

一般雇用:法的義務と権利

 ベルギーでは、民間部門における障害者の特権的な取り扱い又は機会均等についての政策はない。1963年法では、公的機関及び民間企業は一定数の障害者を雇用するよう定められたものの、民間部門に関しては当該規定は必ずしも実施しなければならないものとは解されていない。

強制雇用(compulsory employment)

一般労働市場において障害者を統合するための強制雇用規定は、基金に登録している障害者のみに対し適用される。ベルギーでは、強制雇用制度は大きな役割を果たしていない。

公的部門
1972年には、勅令により600の公務員ポストが1963年法の対象となる人々に留保(reserve)されなければならないと定められた。ポストの数は、1977年に1,200に増やされ、提供されるべき職務は各省で分担された。この措置は、障害者が任命され得るポストを決め、その候補者に適した(職場)改善を指摘したり、使用期間中の指導を行う権限を有する委員会によって進められた(Council of Europe,1990)。こうした措置は1976年に拡大され、いくつかの公的機関に適用された。

公的なサービス機関は、合計90名の障害者を雇用しなければならない。これに従わなかった場合、関係の各省及び機関は、応募者があった場合には、職域を拡大するか職員が移動した場合にその3%を障害者に割り当てることを確約させられる(Vogel-Polsky,1984)。1977年及び1978年に、この義務は州(province)、地方(local)行政機関及び地方の公的な社会援護センターに拡張され、労働者数55人に1人の障害者を雇用することとなった。後に、1984年及び1985年の勅令で、電話庁及び郵便庁は登録障害者を50名採用することが要求された。前者は1990年に100名採用することが定められた。こうした職場への障害者の配置は、中央人事局(または採用当事者である機関)と管轄の基金の共同責任となっている。

Samoy(1995)の報告によれば、国の行政機関だけで、1992年末までに1,678人の障害者が配置されている。この数は紹介件数に基づくもので、その時点で実際に就労しているものの数ではない。彼によれば、紹介対象者数よりも候補者数の方が上回っており、近年における公的部門における雇用機会の減少からみて、障害者の職場が増加している可能性は少ないと思われる。

共同体への権限の移管により、行政機関その他の機関で雇用すべき障害者数を共同体の管理者が定めることができるようになった。ワロン地域圏では、障害者のために確保すべき数は98人であった。1995年にはフレミッシュの政府でほぼ同数(101人)が、フレミッシュの他の公的機関で146人が割り当てられていた。

90年代はじめの会議以降、カナダの法制と同様に、フレミッシュ政府は雇用機会の均等の原則を支持している。不利な状況にあるグループ(これには障害者が含まれる。)の比率に応じた割り当ての方針が、かって、フレミッシュ政府から資金を受けているいくつかの雇用プログラムに適用された。その結果は判明していない。その当時の大臣はこの政策を民間部門にも拡張することを意図していたが実現しなかった(Samoy,書簡)。

民間部門
1963年法(第21条)は、製造業、商業、農業部門での障害者の強制雇用制度を定めた。ただし、職人(craftsmen)及び専門職は対象外である。本法は、20名以上雇用する事業主は障害者を雇用する義務がある旨定めている。行政当局は、各産業部門ごとに、労使団体が共同で実施する協議により、割り当て数を設定することとなっていた。雇用割り当てはいくつかの部門で設定されたものの勅令の公布は極めて少数であった。その後の実施状況についてのフォローはなく、拘束力もなかった。

ベルギー政府の公的な立場は、民間部門での割当制は、「不適切であり、障害者の受容と統合化の概念に反し」(EC,1988,p.9)、「強制的な義務化は雇用主や職場の同僚及び障害者自身にネガティブな心理的効果を生むおそれがある」(Lheureux,1991から引用)というものである。OECD報告(1992)は、労使及び障害者協議会からの代表で構成される特別検討委員会の最近の結論に触れている。検討グループでは「法的義務が増大することに対する一般的な反対感情に一部は影響され」、民間部門への割当制の導入は拒否されたと報告している(OECD,1992,p.23)。

1963年法第21条は基金を創設した際の命令では廃止されなかったが、当該条項を適用するには行政命令なしには不可能である。前述のフランス基金では強制がもたらすネガティブな側面と事業主の助成金への依存性について触れている(Fond Communitaire,1991)。フレミッシュ基金の立場は、「障害者に責任を有する省庁、労使の代表者及び障害者組織は、説得と奨励により統合が促進されることを望んでいる」というものである(Luyckx, 1992,p.8)。基金は、公的部門での割り当て制の役割の1つは、他の事業主への模範の提供にあると見なしている(Flemish fund,書簡)。

解雇

 解雇については、その理由が経済的、または雇用契約を維持しがたい緊急の理由によるものでない場合には、労働者に補償が支払われ得る。また、就労6ヶ月間までの未熟労働者については、その期間中雇用契約が延期され、解雇が認められないという保護措置が適用される。もっとも、実際にはこれは裁判所が決定する問題である。さらに、労働能力の不足のため、労働者が労働を継続することが恒久的に不可能な場合は、「不可抗力」であるとして雇用契約は終了できる。

一般雇用:財政的施策

事業主への支援

 資金援助の中には、賃金補助、障害者となった従業員の雇用維持のための助成、職場の改善のための交付金等が含まれる。

賃金補助
ベルギーにおいて、雇用主への一般的な補助対策の柱は、1975年の「団体協約第26号」(Collective Agreement No.26)である。これは民間部門だけに適用される。この協約の下で、障害者は賃金を全額給付されるが、賃金と本人の実際の能率との差額が、事業主に対し基金から補償される。支給期間は1年であるが、能力の低下が継続する場合には、新たに申請することができる。支給額の上限は賃金の50%までであるが、大部分のケースで認められているのは30%である。

表B.2 賃金補助の件数(ドイツ語圏共同体を除く)*
1990 1991 1992 1993 1994 1995
団体協約26号によるもの(12月31日現在) 2,847 3,022 ** 3,154 3,158 3,349
一時的賃金補助 34 19 21 33 16 57
賃金補助総件数 2,881 3,041 ** 3,187 3,174 3,406**

*  1990年のドイツ語圏共同体の数:団体協約26号によるもの40名
** 不明
***(訳注)原数値のミスプリを修正した。
出典:Samoy, 基金の年次報告から算出

表B.2は、この制度の利用が1980年代に引き続き1990年以降も増加していることを示している。助成金の給付件数は、従来、国民基金で支払われていた新規給付件数を上回っている。しかしながら、明らかに、多くのケースでは給付が延長されている。統計では14回も延長しているものがある。Samoy(1995)は、同協約は行政手続きが複雑であるにもかかわらず対策は成功したと述べている。フレミッシュ基金ではこの手続きを簡素化するべく改正された。

「団体協約第26号」に加え、労働者が職場に適応するまでの間、雇用主に報償と社会保障費用を支給する基金について、1963年法に基づく規定がある。この制度は公的部門でも利用できる点で団体協約第26号と異なっている。この規定は、ブリュッセル及びドイツ語圏共同体では最長1年間、ワロン地域圏では3年間利用できる。フランダースでは利用率が低いため、この制度は1996年以降廃止された。団体協約第26号は事業主側に有利であるといわれる。

障害者となった従業員の雇用の継続
障害者となった職場の労働者の雇用を継続するための助成金制度は1990年に導入されたが、その後支給は中止された。この規定は、従業員数100人未満の事業所で、50歳以上の労働者に、6ヶ月以内の期間について適用されるものであった。こうした制限のため、事務手続きの煩雑さと金額の少なさ(最大7万5,000ベルギーフラン)と相まって、Samoy(1995)が予測したとおり、利用者はほとんどなかった。

職場改善のための助成
1965年以来、職場改善のための助成がある。助成対象は、標準的な設備とモデル施設との差額の費用である。SeyfriedはStormのコメントを引用しているが、これによると利用水準から見る限り、ベルギー企業は障害者の職場への統合を進めるために職場の改善を行うことに関心を抱いていないという(Seyfried,1992)。1995年におけるブリュッセル基金の職場改善への助成金認可額は99万9,396ベルギー・フランであった。ワロン基金では、8件で合計97万1,754ベルギー・フランであった。フレミッシュ基金では、40件の申請に対し、583万6,655ベルギー・フランを認可している。助成金は、労働時間、休憩時間の調節や職務の再配分などの非物的施設の改善及び職場の同僚については例外を除き、支給されない。しかし、調査によると、こうした非物的な改善は、物的な改善以上に重要である(Samoy,1993)。

障害者本人への支援

就労に伴う費用への助成
(基金に登録された)障害者は、障害のため必要となる用具や衣類の費用に対し助成を受けられる。障害者はまた通勤に要する超過費用についても助成を受けられる。後者はその性格上、対象範囲が限られる。フランス語圏では、申請者は介助者なしには通常の交通手段が利用できないか、特殊な軽自動車の利用者、もしくは300メートル以上歩くことができない人に限られている(MInistere d'Affaires Sociales など,1996)。この制度の利用率は大変少ない。1995年には、ブリュッセル基金では用具に対し3件(合計53万5,195ベルギー・フラン)の申請を認めただけであった。ワロン基金では、用具に対する助成を14件(155万3,526ベルギー・フラン)、フレミッシュ基金では25件(395万1,549ベルギー・フラン)認めている。衣類に関する申請はゼロであった。通勤費用についての助成の利用状況は、件数は少ないものの、若干良く、障害による必要費用の補償額の約半分を占めている。1995年に、ブリュッセル基金は39万8,569ベルギー・フラン、フレミッシュ基金は706万930ベルギー・フランを通勤費用について支払っている。

以上は、雇用されている障害者のための法制度である。基金には、このほか日常生活のための衣類や補助具の購入費用への助成制度がある。

年金との併給
障害者及び慢性疾患の人々に対しては、また、健康・廃疾保険機関が非営利組織の地方事務所(mutalites)を通じて、雇用相談、訓練費の支給、職場復帰の促進などの重要な役割を果たしている。障害者の雇用への復帰を促進するため保険制度に基づく手当が、一定期間、一定額まで賃金と併給される。1995年には、1万人近い人びとがこの制度により恩恵を受けた(Samoy,書簡)。

自営業者への援助
自分で事業を始めようとする人は、貸付及び信用保証を受けることができるが、ECの報告によれば、この制度はほとんど利用されていない(EC,1988)。実際、1963年から1990年まで、貸付は2件にすぎず、1960年代以外の実績はない(Samoy,書簡)。フレミッシュ地域圏ではこの制度は廃止されたが、自営業者が自分の職場を改善するための費用への助成は現在も利用可能である。

保護雇用(Sheltered Employment)

 1950年代には、若干の民間のシェルタード・ワークショップ(sheltered workshop)が存在し、多少の資金助成も行われていたが、本格的な法制化は1963年社会リハビリテーション法で初めて登場した。この法律は、共同体命令(the Community Decrees)に代替されるまで有効であった。保護雇用は、支出金額及び対象者数の面で最も重要な制度である(Samoy,1995)。1995年の雇用対策費用全体(90億ベルギー・フラン)の80%が保護雇用へ、残り20%が主に賃金補助及び職業訓練に支出されている(Samoy,書簡)。

目的及び対象グループ

 シェルタード・ワークショップの目的は、有用で報酬の伴う仕事及び職業リハビリテーションの機会と、可能な限り、一般雇用へ参加する機会を提供することにある。

フレミッシュ及びフランス語圏共同体の命令では、基金のサービスを受けることができる障害者の定義を改めたにもかかわらず、シェルタード・ワーックショップへのアクセスの要件、つまり、「その障害(handicaps)の種類、程度が、一時的もしくは恒久的に通常の労働条件の下では就労することができない障害者(disabled people)」ということはそのまま残されている。シェルタード・ワークショップは、通常の企業では、一時的にしろ、恒久的にしろ、就労を維持することができないと思わる「障害者を最も多く有給の仕事につかせる」手段を確保するものであると見なされている(Council of Europe, 1990,p.199)。

サービスの提供と財源

 国民基金(National Fund)及び現行の地域基金は、さまざまな公的な要請に応じている職場(workshop)に各種の助成金を提供している。これらの職場は大部分民間の組織である。WHO(1990)によれば、これらの助成金は概略次のとおりである。

  • 賃金及び社会保障費に対する助成
  • 一定の条件に該当する管理スタッフの給与に対する助成
  • 民間部門の職場環境及び設備の改善費用に対する助成
  • シェルタード・ワークショップの運営、開設、拡張費に対する助成
  • 不況時における特別資金援助

 国民基金が権限を有していた時期は保護的職場やシェルタード・ワークショップを増やす方針がとられていた。しかしながら、国民基金の財政が困難となったため、1987年に制定された勅令で新規のシェルタード・ワークショップに対する資金の支出は停止された。フランス語地域圏では、この結果、1992年6月30日付の規定により、シェルタード・ワークショップの数を削減することが要求された。その後の評価では、この規制は、シェルタード・ワークショップの社会的、経済的活動力を危険に陥らせないよう修正が必要であるとされた。ワロン基金の運営委員会は1992年にシェルタード・ワークショップの数を若干増加することを認めた。

表B.3は、シェルタード・ワークショップに就労する人々の数が、当初、1991年から1992年に増加した後減少し、低い水準で安定していることが示されている。フレミッシュ地域圏では、資格に適合する人びとに応ずる仕事がないため減少したとされている。将来の方向は経済的な活性化である(特に上述のフレミッシュ基金)。この点に関しては、新たな市場機会を開発することが重要である。

1980年代末までは、シェルタード・ワークショップの賃金は、障害者社会リハビリテーション国民基金(National Fund for Social Rehabilitation of Disabled People)(現在は存在しない)によって決定されていた。

表B.3 シェルタード・ワークショップで就労している人の数
- 1990 1991 1992 1993 1994 1995
フレミッシュ基金 12,591 12,822 12,798 12,723 12,514 12,593
ワロン基金及びブリュッセル基金 7,006 7,249 7,410 7,255 7,398 7,349
ベルギー全体(ドイツ語圏共同体を除く)* 19,597 20,071 20,208 19,978 19,912 19,942

(注)数字は各年9月30日現在
* 1990年のドイツ語圏共同体の人数は140人
出典:Samoy,各基金の年次報告書から算出

シェルタード・ワークショップにおける賃金その他の労働関係については、現在、労使団体の代表で構成される特別委員会で決定される。Samoyの1992年の報告では、労働者の大部分の賃金は、概ね最低賃金月額の半分であるが、従業員の約半数は50%以上の生産性を上げている。当初、1996年までには、シェルタード・ワークショップの全労働者が最低賃金額を受け取ることが目標とされていたが、この目標は達成されていない。しかしながら、1997年のはじめから、賃金は、少なくとも全国最低賃金の80%でなければならないこととなった。この賃金引き上げに伴うコストの大部分は基金からの助成で賄われた。

作業の種類

Lheureuxは1991年の論文で、当時の労働者の作業を分類しているが、これによると、約3分の1が荷造・包装(packing)に従事している。ブリュッセル基金及びワロン基金の報告では、最も一般的な作業は、製造業の下請け作業である。

労働条件

 Samoy(1995)によると、シェルタード・ワークショップの人々の多くは正規の労働契約(一部は、訓練契約又は家内労働契約)である。つまり、障害者は、最低賃金を除き、民間部門の健常者と同等の権利を有している。

一般雇用への移行

 OECDに対するベルギーの報告によると一般雇用への移行率は年間2.2%である(OECD,1992)。ECの報告(1988)は、シェルタード・ワークショップのかなりの人は、一般の職場で働くことができるという国民基金の見解を引用している。現在、フレミッシュ基金のシェルタード・ワークショップでは移行率は1%以下に落ちている。他の基金のシェルタード・ワークショップについてはデータがない。

その他の障害者向け職場

フレミッシュ地域では、(前述の通り)就労困難な障害者及び非障害者双方を対象とする「ソーシャル・ワークショップ」に関する実験的な計画が実施された。1996年に、これらの職場(workshop)は約1,000名の労働者(うち25%が障害者)と200人のスタッフを雇用している。計画では、これらの職場とシェルタード・ワークショップをできるだけ密接に連携し、近い将来には、この二つを統合化することが考えられている。

労働者

ベルギーにおける保護雇用については多くの調査が行われ、その利用者の性質に関しておびただしい情報がある。Samoy(1992)とLheureux(1991)は、英国とフランスについて有益な情報をそれぞれ提供している。

シェルタード・ワークショップの労働者は、医学的診断に基づき、A、B、Cの3グループに分類される。これはさらに細分化されるが、要約すると、Aは身体障害者(physical impairment)、Bは主に感覚障害者(sensory impairment)、Cは知的障害者(learning difficulties)である。最も多いのがCグループであって、全国平均79%、フランダース地域では82%、他の2地域ではいずれも73%である。もっとも、Cグループ全体が必ずしも重度障害者であるというわけではない(Samoy,1992)。Samoyは、彼の所属している研究機関、HIVAがフランダースのシェルタード・ワークショップを対象に1987年に行った調査結果を報告している。これによると、労働者の3分の2は知的障害者であるが、重度の知的障害はわずか3%であり、30%が中度、67%が軽度であった。 Samoy(1992)は、デイ・センターの方が相対的に重度の知的障害者を対象にしていると指摘している。

シェルタード・ワークショップは、また、基金ではなく地域雇用機関が紹介した人びとをいくらか受け入れていることに留意すべきである。こうした「紹介困難な失業者(hard to place unemployment)」は、HIVAの調査では、フレミッシュのシェルタード・ワークショップにおける労働者の10%に当たる。同じ調査では、さらに10%は、もっぱら精神病及び薬物中毒による「疾病からの回復後の積極的職場復帰」のため、健康保険サービス機関の推薦により紹介されてきた人びとである(Samoy,1992, p.56)。

要約

 ベルギーにおける障害者雇用対策の基本制度は、1963年社会リハビリテーション法であった。1990年及び1991年の命令で、3つの共同体(フレミッシュ語、フランス語、ドイツ語圏)の命令に本法は代替され、また、1993年、1994年、1995年の命令でワロン地方及びブリュッセルの2つの機関に権限が分割されたものの、同法の規定は現行の制度の基礎となっている。

雇用に関するサービスの大部分は、現在では、職業的統合と同様、社会的統合についても高齢者を除く全ての年齢を対象とする基金によって運営されている。雇用及び訓練上のニーズを含む社会的必要に応じて、障害者は基金に登録を行う。登録障害者の数は多い。

基金の雇用サービスを受ける資格要件についての規定は、各言語圏共同体に権限が移行される際に範囲が拡大された。障害程度をパーセントで表示する方式は、法律上廃止され、フランダース地方では実際上も廃止されたが、他の地方自治体では依然として利用されている。ブリュッセル基金では、障害者を「身体もしくは精神的能力の欠如又は低下のため、社会的、職業的機会が大幅に制約(significant limitation)されている人びと」と定義している。ワロン基金では、最初の部分を「社会的関与に必要な精神的、感覚的もしくは身体的能力」と修正している。フレミッシュ基金では機会の制約について「長期にわたり」、「社会的統合」、「精神的、心理的、身体的又は感覚的能力」という表現を用いている。ドイツ語圏共同体の命令では、精神的、身体的又は感覚的能力に障害があり、社会的又は職業的統合が制限されている人びとと定めている。

障害者は、現在、労働市場で不利な状況にある人びとに対する雇用省の雇用促進プログラムの対象に含められている。職業紹介及び、現在ではそれ以上に、職業訓練活動に対する国及び(現在の地方政府)の雇用機関の役割は増大している。基金が提供する訓練制度の中では、1年間の特別見習い契約制度が最も一般的であり、かつ就労を促進する上で効果的であると特別訓練を実施する事業主から認められている。訓練生に対する手当制度の変更は、一般向けプログラム(mainstream programmes)における障害者訓練の増加と相まって、契約数の減少の一因となって現れている。

民間部門に対する強制雇用についての政策的対応はとられていない。1963年法の条項―製造業、商業及び農業部門で20名以上雇用する事業主への雇用割り当て―が発効されることはついになかった。公的部門の職務に障害者を配置する点については、数は少ないが目標にかなっていると思われる。

民間・公的部門の雇用主を対象とする様々な助成金制度があるが、そのうち1つだけ取り上げて説明する。これは、民間部門に対する「団体協約第26号」といわれる年間協約であり、障害者は賃金を全額受け取り、賃金と実際の能力との差額については基金が事業主に補填するものである。1995年には、3,349人の労働者(ドイツ語共同体を除く。)が本協定の対象となった。

障害者が就労に必要な補助具や衣服を購入することを援助するための助成金はほとんど利用されていない。通勤費用に対する一定の助成についてはやや利用度が高い。フランダースでは、職場改善のための助成件数は少ないが増加しつつある。自営業のための貸付はほとんど利用されていない。

保護雇用は、主にシェルタード・ワークショップで実施される。その目的は有用で報酬の伴う仕事と職業リハビリテーション及び、可能な場合には、一般雇用への進出の機会を提供することにある。かっては、保護雇用労働者の2.2%が一般労働市場へ移行していたが、現在ではほとんど移行していない。シェルタード・ワークショップは、主として民間(非営利)事業であり、一般に、他の訓練または雇用機関との組織的な連携が行われていない。一般雇用の場で保護雇用を目的とする民間事業はほとんどない。基金は、職場へのアクセス及び賃金、俸給その他の費用に対する助成金を扱っている。1995年には、1万9,942人の保護雇用労働者(ドイツ言語地域を除く)がいた。労働力人口に占める比率はEU諸国の中でも最も高い国に属する。これには、政策、費用、経済情勢、シェルタード・ワークショップで就労可能な仕事の種類、労働状態が安定的であると期待できるなど、いくつかの理由がある。労働者の多くは知的障害者である。

1992年に、就労人口が420万人に対し失業者は10.3%であった。職を求めている障害者の数を算定するには、雇用機関又は基金に登録された障害者数だけでは不十分である。

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主題:
18カ国における障害者雇用政策:レビュー No.2

発行者:
ヨーク大学社会政策研究所 1997

発行年月:
1997

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Publications Office Social Policy Research Unit University of York Heslington York YO15DD UK
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