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ヨーク大学
SPRU

18カ国における障害者雇用政策
:レビュー No.4

パトリシア・ソーントン、ネイル・ラント

ヨーク大学社会政策研究所

Patricia Thornton and Neil Lunt
Social Policy Research Unit
University of York

ILO                                  HELIOS


フィンランド

政策と制度的情況

障害政策と法制

 フィンランド社会に障害者を統合し均等な機会を保証することは、政策の目的として広く認知されている。公正な法制及び、適切なサービスの提供を通じて、この目的の達成を目指している。障害者の統合とノーマライゼーションの原則が、さまざまな社会政策分野における障害政策の指針となっている。

雇用政策

 フィンランドでは労働に高い価値を置いている。基本的に全ての国民は労働権を有する。しかし、他の西欧諸国と同じくフィンランドにおいても、生産構造、労働力体系、及び雇用形態の大きな変化があった。従来型の雇用から、パート、契約、短期雇用への変化があり、職種についてもすっかり消滅したものもある。現在の雇用機会に対応していくためには、継続的訓練も必要となっている。経済再建は、総雇用需要の減少をもたらし、これは特に境界領域にいる人びとに打撃を与えた。一般失業率は1990年の3.4%から1994年のピーク時には18.4%に達し、1995年は16.4%となっている(労働省,1995)。一般雇用需要状況は障害者の相対的状態に決定的な影響をもたらし、特に景気後退が障害を持つ求職者に与える影響は大きいという点で評論家の意見は一致している(Haapasalo ら, 1994; Mannila,1995)。障害者の長期失業が増大し、労働市場から障害者が締め出される状況が多く見られるようになっている(労働省,1995)。

失業対策としての社会保障支出は、1985年から1994年の間に8倍に増加し、現在、失業対策費は労働市場運営費の2倍となっている(表F.1)。

このような状況から当然の成り行きとして、所得保障政策と雇用促進策にかかる費用とのアンバランスを調整しようという動きがでてきた。 特に優先順位の高いグループは長期失業者、若年失業者、障害者である。障害者に対しては、障害年金よりも教育と労働市場への再統合の機会を保障することが必要という見解が広まっている(Oulu County Semiar Report,1994)。早期退職防止も課題である。

表F.1 雇用促進策と失業補償支出(単位 百万フィンランドマルク)
雇用促進 失業補償
1985 2,135 1,984
1991 5,176 5,127
1992 6,815 9,837
1993 6,593 13,462
1994 6,127 15,500

出典:労働省,1995

関連領域における変化も障害者雇用に変化をもたらした。知的障害者などの脱施設化は、雇用機会の面で想像力豊かな解決策を必要としており、特に若年重度障害者のニーズに対する対応が迫られている。

障害者雇用施策の展開

 フィンランドにおける一般的なリハビリテーション及び障害者施策は、視覚障害者、聴覚障者及び障害児を対象として始まったものである。初期の段階では慈善と援助が施策の基本的考え方であった。20世紀に入って障害者団体が活躍し、特に視覚及び聴覚障害者が自立への道を開拓した。その後、障害者に対する社会サービスに関する法的責任が裏付けとなって、障害者への社会サービス及び施策が展開した。第二次世界大戦後、フィンランド最初の障害者に関する法律が制定された。戦傷障害者職業リハビリテーション法(the Act on Vocational Rehabilitation Legislation of Disabled War Veterans,1942)と、続く障害者福祉法(the Disabled Persons' Welfare Act,1946)である。1960年代及び70代に、法が整備強化され、インテグレーション、ノーマライゼーション、障害者雇用の拡大などが見られた。しかし、リハビリテーションに関する法律が大きな変化を遂げたのは80年代である。特にリハビリテーション・サービスに関する協力法(the Act on Co-operation in Respect of Rehabilitation Services)は、地方自治体の社会サービス当局、教育当局、雇用委員会代表及び、社会保険及び雇用保険機関の代表に対し緊密な協力を義務づけた。現在施策で最も重きを置かれているのが、早期復職及び雇用の維持の援助である。

リハビリテーション全国諮問委員会the National Advisory Committee on Rehabilitation(リハビリテーション代表団the Rehabilitation Delegation)は全国的協力組織であるが、1987年に最初の行動計画を採択している。1995年に改訂された行動計画「障害から能力へ」(the Action Programme From Disability to Ability;社会省,1995)は労働省、教育省、社会・保健省、及び多くのリハビリテーション関係機関の協力によって作成された。 行動計画「障害から能力へ」は施策目的を次のように位置づけた。

  • 職業リハビリテーションニーズの的確な把握
  • 職業訓練の推進と労働市場に互することのできる技術の向上
  • 一般労働市場における就労
  • 労働市場からの締め出しの防止

 行政と障害者の協力組織である障害者全国協議会National Council for Disabilityは、1995年に、インクルージョンとインテグレーションの理念に基づく行動プログラム「万人のための社会に向けて」(National Council for Disability,1996)を採択した。同協議会の報告は、環境要因、補助機器もしくは職業補助者が得られないことに加え、人びとの態度が最大の参加のバリアーとなっている、と強調している。このようなバリアーを除去するためには、労働環境を利用しやすいように改善すること、新技術利用援助、適切な訓練、職業紹介、及び継続的支援が必要と彼らは示唆している。全てにおいて、雇用側及び労働組合との協力が不可欠であるというのが協議会の見解である。労働組合側には議論があり、現在も職場を離れた人に対しては最小限の責任を分担するにとどまっている。

障害を持つ求職者の雇用は、主として一般労働行政、訓練、及び雇用補助金の中で対応されている。そのほか特別職業リハビリテーションが障害者のためにあり、障害者の雇用主に対する雇用補助金もある。雇用事務所は、障害のある求職者を保護的就労に紹介することもあり得るが、それは、地方自治体、地方自治体連合、あるいは民間共同体によりアレンジされる。保護的就労の資金は政府の社会福祉・保健サービスへの国の補助制度を通じてアレンジされる。保護的就労の責任については、社会省と労働省の間で継続的に論争が行われたが、1989年の省庁間の業務再編成では生産ワークショップは移管されなかった。

フィンランドには、障害者利益を代表する団体が70以上ある。これらの団体は住宅の提供、リハビリテーション、研究開発を行っている。行動プログラム「万人のための社会に向けて」では、障害関係団体が採用及び人事において障害者の雇用を推進し、一般雇用市場に対するモデルとしての役割を果たすことが勧告されている。

政策決定と実施

 フィンランドの地方行政組織は12州に分かれている。地方政府は中央政府から独立しており、全国には461の行政区がある。行政区が徴税と社会福祉を担当している。インテグレーションとノーマライゼイションの原則から障害者雇用政策に対する責務が生じるが、職場復帰に関する施策はいくつかのセクションに分散されている。

労働省と労働行政
労働省は国家雇用施策の優先順位を定めている。年間予算は労働地域事務所(Labour District Offices)に割り当てられ、地域の雇用施策の立案、実施の責任を担っている。地域事務所は、地域の雇用事務所(employment offices)の目標を設定する。雇用事務所はその地区の雇用施策の立案と実施に当たっている。それには、職業指導とリハビリテーション、職業紹介サービス、労働市場訓練、並びに職業サービスに関する情報が含まれる。雇用事務所は職業紹介、求人とのマッチング、その他のプログラムを通して失業者が仕事を見つけられるよう援助することで、労働市場の効率化を推進するよう努めている。失業者への支払い、及び障害者への職場復帰に関する施策も行っている。

労働行政では、職場改善及び障害者雇用に対する経済刺激策として、障害者となった労働者の職業評価と再訓練の費用の負担、訓練手当の支給、又自営で自立しようとする障害者への財政的援助を行っている。

社会保障機関
社会保障機関は、フィンランド社会保障施策を実施する機関である、年金、障害手当、失業手当、健康保険、リハビリテーション手当も担当している。

労働保護局
労働保護局は労働環境、職場のアクセス、保健衛生、安全面を担当している。

地方自治体
地方自治体は保護雇用の提供、リハビリテーション利用者へのサービスを担当している。手当、補助具の提供、介護(通訳サービスも含む)に対する経済的援助も担当している。

全国リハビリテーション諮問委員会
社会保健省に属し、新しいリハビリテーション関係法に関する調整、整備を担当している。

1995年のEU加盟国雇用多年度プログラム(EC,1996)は、フィンランドについて、障害者に関わる担当が多部局にわたり、明確でないと指摘している。自治体と労働行政及び他の協力関係にある公的機関との役割と分担を明確化するよう述べている。

ソーシャル・パートナー
リハビリテーション全国諮問委員会(リハビリテーション代表団)は障害と雇用施策に対して重要な諮問を行っているが、これは法的な裏付けはない。概要を述べたように、委員会は労働省、教育省及び社会保健省の利害を調整している。リハビリテーション機関、社会保障機関、保険機関、地方自治体、ソーシャル・パートナー、及び障害者団体も関わっている。

障害の定義

 ILOの職業リハビリテーション及び雇用(障害者)に関する条約(no.159,1983)の定義に基づき、身体的もしくは精神的損傷により雇用の確保、維持、昇進の見込みが実質的に減少した人を、フィンランド雇用行政においては障害者と見なしている。障害の認定は、医師の判定によっている。

社会保険関係のリハビリテーション法令は、障害者とは労働能力及び稼働能力が障害、傷害、もしくは疾病により実質的に減少した人と定めている。

統計

 1995年のフィンランドの労働力は250万人、失業率は16.4%であった(労働省,1995)。労働人口(15歳から74歳までの全人口)の8%が、障害年金もしくは早期障害年金を支給されている。1987年から1990年の間、フィンランド雇用行政に登録された障害を持つ求職者は4万人から4万3千人であり、全求職者に占める割合は7%ないし8%であった。以後、表F.2に示すとおり、全求職者数に対する障害を持つ求職者の割合は、失業率の急激な上昇に伴い減少しているが、障害を持つ求職者の数は、1994年までに5万8千人に増えている。1994年末には失業率は18%であったが、障害者だけを見た場合失業率はおよそ2倍であったと推定されている(労働省,1995)。

障害を持つ求職者として登録している人が、必ずしも全て失業しているわけではない。働きながら求職登録をしている障害者もおり、訓練やリハビリテーションを利用しながら求職登録をしている人もいる。1995年1月から8月までに雇用事務所が受け付けた求職者は平均4万7千人であったが、その中で失業者は3万3千人であった。失業している障害者の約40%は1年以上失業が続いている(EC,1996)。重度障害者の割合は全求職中障害者の5%から10%と推定される。

表F.2 全求職者に対する障害を持つ求職者の割合
- 障害を持つ求職者数 全求職者数 障害者の割合(%)
1987 39,650 559,227 7 
1988 42,894 454,982 8 
1989 43,332 513,728 9 
1990 42,802 528,829 8 
1991 46,256 719,400 6 
1992 51,858 907,556 6 
1993 55,541 1,028,647 5 
1994 58,055 1,047,000 5.5

 出典:労働省(1995)

今日の経済環境の中で、障害者にとって雇用への道は益々困難となってきており、職場開拓も困難を増している。盲聾者、聾者、視覚障害者の状況が特に悪化しているといわれている。雇用補助金の継続、知的障害を持つ求職者の雇用促進、さらに、リハビリテーション評価、試験的雇用、実用的職業訓練、労働環境の改善が課題となっている(Eronen and Ravaja,1993)。

雇用支援サービス

 労働市場当局は障害者の一般雇用プログラムへの統合を目指しており、障害者に対して183カ所の地域雇用事務所とそこで提供されるサービスの利用を促している。雇用事務所は、障害を持つ求職者に対して一般雇用、一般職業訓練及び雇用補助金の利用を勧めている。(表F.3参照)

1994年初頭の労働法の改正により、雇用行政の中で障害者の職業リハビリテーション・サービスを開発し、準備することが法的に義務づけられた。このサービスには、職業指導、カウンセリング、職業紹介と訓練に関するガイダンス、並びに特に障害者のために計画された労働市場訓練が含まれる。

表F.3 雇用事務所を通じた障害を持つ求職者による一般雇用、成人のための一般職業訓練及び雇用補助金の利用
障害を持つ求職者数 一般雇用 一般職業訓練 雇用補助金
1987(39,650) 10,986 2,274 8,395
1988(42,894) 13,688 2,135 12,296
1989(43,332) 16,848 2,520 12,384
1990(42,802) 15,604 2,651 7,897
1991(46,256) 14,558 2,323 13,777
1992(51,858) 14,213 3,185 12,630
1993(55,541) 13,599 2,914 11,644
1994(58,055) 13,593 3,745 13,058

出典:労働省(1995)

訓練

 障害者の訓練に対するニードについて、大きな問題は2点ある。第一は、若年者の教育訓練から雇用への移行とその後予想される技術不足の問題である。第2は、技術が時代遅れとなってしまった、あるいは訓練不足の成人障害者の数が増えていることである。

一般評価と訓練
職業指導サービスは120カ所の多機能雇用事務所で利用できる。年間4万5千人の利用者があり、その半数は若年者である。障害者は全利用者の4分の1に当たる。

1987年に職業訓練が改善され、より柔軟な運用がなされるようになった。485カ所の職業訓練施設があり、20万人が収容可能である。障害者がこのような一般の環境の中で、一般の人と一緒にあるいは、特定のグループ内で学ぶことに意義がある。職業訓練施設の受講生に占める、障害を持つ受講生の割合は3%から7%である。課題としては、障害者が一般の訓練に参加することができない場合が多いことである。それは、プログラムに柔軟性がないことや、その他の障害(obstacles)や条件の故である。1995年にフィンランド政府は、1996年から1999年にかけて、障害者の職業訓練の機会を増やすプログラムを採択した。

労働行政当局は、職業訓練施設、職業訓練センター、大学及び私企業の雇用訓練を買い上げている。これには競争原理が生かされている。雇用訓練期間には、訓練生には失業給付のレベルに応じた手当と交通費などが支給される。この訓練プログラムの効果についてははっきりした調査結果はないが、現在、雇用訓練が就職見込みに及ぼすインパクトについて評価するための研究を実施中である。

専門訓練
一般職業訓練に加えて、障害者職業訓練施設が16カ所ある。定員は1,500人であり、特定の障害を対象としている施設もある。視覚障害者訓練施設が1カ所、聴覚障害者訓練施設が2カ所、知的障害者訓練施設が3カ所ある。6校が国立で、残りは補助金を得て民間が経営している。障害を持つ受講生は、訓練期間中手当と必要な支援を受けられる(Seppalainen,1994)。

表F.4 労働行政の提供する一般職業訓練の受講を開始した障害者数(1988-1995)
1988 2,135
1989 2,520
1990 2,651
1991 2,323
1992 3,185
1993 2,914
1994 3,745
1995 4,450

   出典:労働省(1995)

調査の結果、一般職業訓練コースを中断または修了した人の比率と、保護雇用から一般労働市場へ就労した人との比率は、だいたい一致している(Mannila,1993)。成人の訓練については、1980年代に予定していた数には至っておらず、訓練を受けた人数は少ない。この問題の解決のためには、中小企業主に対する対策が必要である(Mannila,1993)。

援助付き雇用

 統合型保護就労(integrated sheltered work)が伸びており、1992年末までに600人を雇用している。統合型保護就労は、他の国では援助付き雇用といわれているものと類似した制度である。知的障害の人びとの利用が特に多く、職種はケータリング、クリーニング、メンテナンスが、主である。統合型保護就労にかかる費用は、従来型保護雇用に比べてかなり安く、一日当たりのコストは後者が150から250フィンランドマルクであるのに対し、20から80マルクとなっている。援助付き雇用は、統合型保護就労の延長線上にあるものととらえられている。1990年代末までには、統合型保護就労に従事する障害者は1,500人になると推定されている(フィンランド知的障害者協会)。

障害者雇用推進基金(the Foundation Promoting the Employment of Disabled People)が、援助付き雇用をめぐる好実践についての教育、啓蒙、情報提供をすすめるためのフィンランド援助付き雇用ネットワーク(the Finish Network for Supported Employment(FINSE))を設立した。現在会員数は90を越えている。プロジェクトは2つの仕事にたずさわっている。つまり、援助付き雇用に対する認識を高める事業と、雇用促進の障害となっているフィンランドの社会保障制度の改革に取り組んでいる。基金はまた、フィンランドの援助付き雇用モデルを構築するために、援助付き雇用プロジェクトなどのプロジェクトを実施している。主な特徴は、統合的雇用環境の中で給料を得ながら職場訓練及び継続支援が得られるプロジェクトである(Venalainen,障害者雇用促進基金)。

保護雇用の調整以外の事業として、フィンランド保護雇用プロジェクトは、Horizon基金から基金を得て3年間に170人に提供している。

職業復帰及び職業維持

 職業能力が減退した場合は、職業能力を高めるための訓練の機会が必要となる。また自営を始めるための資金援助も得られる。重度障害者のためには補助具の提供、職場改善もある(Social Insurance Institution,1995)。

早期職場復帰支援及び雇用維持は、現在優先施策となっている。1991年のリハビリテーション法の大幅な改正の目的は、障害者の労働及び活動能力を高めることにあった。この目的のために、既存法の22項目にわたる改正が行われ、1991年初頭には新しく3法が成立した。社会保険機関(Social Insurance Institution)による、リハビリテーションを規定している重要な以下の3法である。

  • リハビリテーション関係協力法(Act on Cooperation in respect of Rehabilitation Issues)
  • 社会保険機関リハビリテーション法(Act on Rehabilitation to be proviced by the Social Insurance Institution)
  • リハビリテーション手当法(Rehabilitation Allowance Act)

 この改正は、労働者が障害年金等の長期的社会給付へ移行する必要性を減らし、責任を明らかにし、協力関係を強化することを目的としたものであり、また、リハビリテーション・サービスの地域格差の解消と、新しいグループを範囲に含めることを意図したものもあった。リハビリテーションが、早期に、特に職場で始められるようにするための試みが強化された。改正ではまた、リハビリテーション期間に支払われる生活給与の標準化がなされたり、責任の分担も明確化された(労働省,1995)。

疾病、損傷、欠損による障害のために労働能力に有意な減退が見られる人に対する、訓練の準備を社会保険機関に義務づけることにより、職業訓練と前訓練を受ける障害者の権利を保障した。1994年に、社会保険機関の職業訓練及び前訓練を受けた障害者数は9,000人を越えた。

労働能力を維持するための方策を実施し、実効をあげる責任は雇用主にある。企業を基盤としたヘルスサービスが、重要な役割を果たす。障害を持つ従業員の職務の遂行能力に関する問題は、組合協約の条項の中で解決が期待されている。

リハビリテーション手当は、社会保険機関によるサービスに対して払われる。手当が支給されるのは、クライアントが、仕事を続ける場合、新たに仕事に入る場合、及び再就職する場合に限られる。社会保険機関は、施設に入所していない重度障害者の医学リハビリテーション・サービス、及び労働能力が大きく減退した障害者に対する職業リハビリテーションを実施している。年金もしくは日割り失業手当受給資格を有する障害者は、リハビリテーションを受けると10%の増額を受けられる。社会保険機関はリハビリテーションの決定によって手当を支払う。

雇用年金機関がリハビリテーションの決定を行った場合は、リハビリテーション手当の支給は雇用年金機関の責任となる。年金法のリハビリテーション関係の改正法は、1996年初頭から施行された。それらは、以前と比べ、リハビリテーションをより合目的的に強調している。医学及び関連分野の専門職は、固定障害年金の支給よりまずリハビリテーションを考慮することが求められ、雇用年金機関は、労働市場における一般就労能力に部分的に欠ける人びとが雇用を継続するための固定手当を支払うことが義務づけられた。

社会保険機関は、障害者が勉学できるようにリハビリテーション手当と補助具の支給を行う。表F.5は1988年から1995年までのリハビリテーション手当の受給者数を示す。

表F.5 リハビリテーション手当受給者数(1988-1995)
1988 8,097
1989 8,781
1990 9,598
1991 9,974
1992 9,825
1993 9,082
1994 8,010
1995 5,736

出典:労働省(1995)

一般雇用:法的義務と権利

 フィンランドには割当雇用制度、優先雇用制度の類の施策はない。また、包括的差別禁止法もない。

差別禁止規定

1995年8月1日に発効する憲法改正(969/1995)は、市民の基本権条項を改め、新条項を追加した。何人も他の理由と同様に、障害を理由に違う地位に置かれることはないという条項が加えられた。フィンランド刑法改正の第二の部分に、この施策をより効果的にするために制裁の拡大が含まれた(KOrpi,1995)。

労働法

1995年の憲法改正には雇用は含まれず、雇用については労働関係法で規定されている。労働法では、求人広告において、選考もしくは採用において、正当な根拠なく例えば当事者の健康状態を理由に、別扱いすることは労働上の違法差別とみなす(Korpi,1995)。罰金もしくは6ヶ月以内の禁固となる。この規定の運用状況、効果についての情報は得られていない。

解雇防止

 解雇を防止するための協約には、雇用を停止できる条件が明記される。被雇用者は労働能力の一部を失っても、雇用主の下で十分な保護を享受できる。法務当局によれば、この条項の意味するところは、極端な例として、労働能力を一部失った人は、その人に合ったオーダーメードの仕事を用意することを雇用主に要求することもできるということである。しかし、疾病により能力が欠ける状況が1年以上続けば、雇用主は適切な仕事を見つけることができない場合、解雇できる法的権利がある。

労働環境

 労働安全法により、労働の場、器具、機械、装置の場所及び広さは、被雇用者が十分仕事ができる状態にすることが義務づけられている。1993年の改正で、障害者の補助機器の使用及び特別なニーズに配慮しなければならないことが明記された。この条項は、施設及び職場についても適用される。フィンランドの障害を持つ労働者のための補助機器に関するデータベースは1993年中に編纂される。

一般雇用:経済的奨励策

賃金補助

 雇用法(275/87)に従い、雇用事務所は失業者に対し、一般労働市場の職業紹介、及び雇用機会拡大のための訓練を提供している。この両施策を用いても就労ができない場合、雇用基金から雇用補助金を短期間支給することにより、雇用機会の拡大を図っている。雇用補助金支給の根拠は雇用法(275/87)及び雇用令(130/93)である。近年雇用を拡大する方策がとられ、雇用補助金の利用が増え、その結果、全国失業率を2.7%引き下げた。特に労働市場で最も弱い立場にある人びと、すなわち、若年者、長期失業者、及び障害者の競争力を高めることに焦点が置かれている。

雇用令の改正が1993年に行われ、障害者雇用補助金の条項も改正された。失業者には6ヶ月から10ヶ月の補助金が支払われ、障害者の場合は雇用主に最高2年間の補助金が支払われる。補助額は個人によって違ってくる。雇用行政を利用して就職した場合、他の方法で就職した場合にも違いがある。個人は雇用主と労働契約を結び、賃金を受け取る。基本給付は1日118フィンランドマルクである。政府機関では雇用補助金が賃金の全額をカバーする。賃金補助を受けている労働者は、急速に増えている(Mannila,1993,1995)。雇用補助金を受けて働いている障害者数は、全受給者の3.3%となっている。私企業に働いている雇用補助金受給者は、1991年から1994年の間に2倍になった。

雇用補助金の給付が、企業間の競争を歪めないようになっている。レイオフをしている雇用主、もしくは3ヶ月以内に雇用調整のために解雇をした雇用主には給付されない。さらに、補助金の給付が他の労働者の労働条件を悪化させたり、減収になるような場合にも給付されない。1995年4月1日から補助金給付の条件が厳しくなった。企業は、徒弟教育を行うことを条件としてのみ補助金を受けることができるようになった。失業者を雇用するときは、雇用契約に補助金受給期間を越える期間の教育をすることを加えることが必要となった。また、個々の事例について雇用事務所の裁量権が大きくなり、システムが簡素化された。例えば、訓練とリハビリテーションと補助金制度をまとめて利用することができるようになった。障害を持つ求職者の場合、補助金を受けている職場の76%が公共部門であり、50%以上が市の仕事である。

賃金補助に関する研究によれば(Mannila,1995)、1987年から1990年までは障害を持つ求職者数は4万人から4万3千人であった。1994年までに5万8千人になり、1万3千人が雇用補助金を受けて就労していた(表F.3)。Mannilaによれば、補助金を受けて就労している障害者は労働に対してプラスのイメージを持っていた。雇用主も雇用補助金を受けている労働者に対してプラスのイメージを持っていた。雇用補助金が一般雇用への橋渡しになっているかという点については、1988年に雇用補助金制度で就労していた障害者の3分の1が1990年には一般雇用市場で職を得、1992年には4分の1が就職した(Mannila,1995)。この数字は、訓練を受けた障害者、あるいは雇用補助金制度で就労した非障害者の場合の数字に匹敵する。

Mannila(1995)はまた、民間セクターの職に就いている人びとは、それらに匹敵する公共部門の職に就いている人びとよりも、競争的部門の雇用を見つける可能性が高いことを見いだしている。

訓練生制度

 Mannila(1995)は、奨励策の1つとして訓練生制度をあげている。職場訓練に対して補助金を支払うもので、この場合個人は雇用契約を結ばない。この制度の目的は、個人が労働生活に慣れ、また新しい職場を体験してみることである。この制度は、主として若い人を対象としており、職場訓練が職業訓練への道となる。職場訓練生の数は、1994年の平均値で4,600人であるが、障害者の数についての統計はない。

職場改善助成金

 雇用主が職場を障害者の働く場として改造する場合、最高1万5,000フィンランドマルクの助成金を受けることができる。この資金はジョブアシスタントの費用として利用することもできる(1ヶ月最高額が1,500マルクで2年まで )。社会保険機構が、補助機器、職場改善及び訓練に対する助成を行う。この中には、機械及び職場環境の改造が含まれる。また、職場の同僚が障害者を援助するためにかかる費用にも支払われる。

労働省と地方労働行政は、職場環境改善と装置の補助、及び障害者が職場の同僚の援助を必要とする場合、2年を限度にそのコストも補助する。1993年に、就労の支援のために3,800件に助成金が支払われた。

自営

 失業者が自営を始める場合、雇用補助金を使うことができる。社会保険機関は、自営の障害者に対し援助をする義務があるが、その限度額は10万フィンランドマルクである。表F.6は、融資又は経済的援助を受けている障害者数を示している。

障害者は自営業の立ち上げの時期に、1ヶ月につき5,000マルクまでの補助金を得ることができる。通常6ヶ月ないし7ヶ月間である。この施策により働いている人の数は、1994年に平均4,900人、自営開始のための補助金を得た人の総数は年間1万1,500人にのぼる。

啓発政策

 障害者雇用に対する態度を変えていく、国家政策についての資料はほとんどない。「雇用の地平線」(Employment-Horizons)は、障害に対する認識を高める国家的キャンペーンを通じて態度を変えていこうという新しい試みである。

雇用主に対して稼働能力を失う危険のある被用者の早期リハビリテーションを奨励するための、リハビリテーションに関する年金法改正に関連したキャンペーンが行われている。失業者がきわめて多いこともあり、目標はまだ達成されていない。

1990年に、ソーシャル・パートナーは、労働能力を維持するための労働環境に関する勧告を採択している。

表F.6 融資及び経済支援を受けた障害者数(1988-1995)
人数
1988 548
1989 642
1990 812
1991 692
1992 422
1993 308
1994 243
1995 190

出典:労働省(1995)

保護雇用

 フィンランドの保護雇用は4種類に分類できる。

  • 障害者のための保護(生産的)就労
  • 知的障害者のための作業関連活動
  • 精神病者のための治療的労働:賃金でなく小遣い程度の収入を得、活動は生産よりも ケアが中心である。
  • 社会的目的を持った労働活動

ここでは、主として第1の生産的保護就労について述べる。

生産的保護就労

 保護雇用に対する公的資金は1970年から導入されている。それ以前は、民間団体の資金で運営されていた。現在も、保護雇用は障害者保護法(1946)、障害者サービス援助法(1987)の関連条項の規定に基づいている。同法の22条によれば、保護就労は保護雇用ワークショップ、被用者の自宅、あるいは他の適当な場所で実施できる。主たる設置者となれるのは、地方自治体、地方自治体連合、もしくはその他の団体である。保護雇用センターは、主に地方当局もしくは地方自治体連合、又は障害者団体によって運営されている。民間経営は次第に減る方向にあり、地方自治体の障害者サービスに統合されていく傾向にある。

地方自治体は保護就労を設置する義務がある。独自に設置することもできるが、他の地方自治体と合同で、あるいは他の団体に委託することもできる。1992年には生産的保護雇用ワークショップは126カ所あり、うち25カ所は地方自治体所有、74カ所は地方自治体連合、27カ所が民間であった。これらのワークショップで約2,900人が働いており、年間の費用は4億7,600万フィンランドマルクであった。国及び地方自治体が運営費の53%を助成金という形で負担しており、それ以外は生産品の販売によってまかなわれている。1992年10月末現在、生産的保護雇用に就労している障害者の障害の種別は、次の通りである。

精神障害 28%
知的障害 14%
肢体不自由 12%
感覚障害 8%
その他の疾病 23%
その他 15%

生産的ワークショップの労働条件

 障害者は、雇用機関又は地方自治体の福祉サービスを通してワークショップに入る。他のヨーロッパ諸国と同様に、保護雇用の目的についてはいろいろ議論がある。障害の種別によっては、一般雇用市場の中で保護就労した方が良い場合がある。社会保健省の行動計画は、保護就労の場をワークショップから一般雇用市場に移行させる必要性を強調している。

保護就労では、被用者は雇用契約を結び、労働条件は保護就労に関する労働協約に基づく。Samoy&Waterplas(1996)によれば、地方自治体の保護雇用ワークショップと、民間のワークショップでは労働協約が異なり、労働条件も異なっている。賃金は一般的に通常の雇用に比べて低い。1992年の賃金は最低賃金の87%から98%であった。

Samoy&Waterplas(1996)は、フィンランドの生産的保護雇用ワークショップが少ない点を指摘している。フィンランドでは、(ワークショップの定員総数は)労働人口1,000人につき1.13人となっており、これはEC平均の2.3人に比べかなり低い。しかし、ワークショップについては、低賃金、高負担というイメージが強く将来的に増える可能性は難しいと指摘されている。

フィンランドの保護雇用の将来について議論になっている主な点は次の通りである。

  • 保護雇用ワークショップの目的はリハビリテーションか就労か?
  • 雇用は永続的であるべきか、移行的であるべきか。
  • 新しい活動モデルとなるワークショップを運営する最適な組織はどこか。
  • ワークショップの財政運営はどうあるべきか。

    (Varanka,1996)

保護雇用から一般雇用に入っていった人の数についての統計はないが、かなり少ないと推定される(Varanka,1996)。保護就労は社会福祉保健サービスの一環となっている。障害者団体は、保護雇用は社会福祉当局よりも労働当局がもっと責任を負担すべきと主張している。保護雇用にいる障害者の数は減少しており、毎年4%ずつ減っている。失業者の増大は、保護雇用から一般雇用への移行を著しく困難にしている。

新しい雇用の形態

ECHOプロジェクトは、精神衛生上の問題を持つ人びとの統合を目指したものである。企業と援助付き雇用を利用した、精神障害者のための新しい雇用形態の開発を模索している。

要約

 障害者をフィンランド社会に統合し機会の均等を図るという政策目標については、コンセンサスがある。統合とノーマライゼーションの原則に基づいて障害者施策は形成されている。基本的に全てのフィンランド市民は労働権を有する。しかし、この国には、生産形態、労働力の利用形態、職種に大きな変化があった。所得保障施策と労働政策の活用の間にあるアンバランスを、是正したいという動きがある。

障害、疾病、欠損により適職を得る可能性、就労を継続する能力、昇進する可能性がかなり低くなった人を障害者と規定している。障害の認定は、医学的判断によっている。

障害を持つ求職者の雇用は、一般の雇用行政、訓練及び雇用助成金の中で主として対応している。一般訓練校で障害者が訓練を受ける場合、非障害者と一緒あるいは別のグループでの場合がある。労働当局は、訓練を提供している機関、すなわち、職業訓練機関、職業訓練センター、大学、民間企業から雇用訓練を買い上げている。

障害者のために専門の特別職業リハビリテーションも提供され得るし、また雇用補助金が障害者を雇用する雇用主に支払われる。雇用事務所はまた、障害者を保護雇用に紹介することもできる。「統合型保護就労」という形も増えている。他のヨーロッパ諸国の「援助付き雇用」と類似した制度である。知的障害者にこの制度の利用が多い。職種はケータリング、クリーニング、メンテナンスが主流である。

早期職場復帰及び雇用継続支援が現在の政策課題である。1991年にリハビリテーション法の大きな改正があり、福祉行政と労働行政の親密な協力が義務づけられた。労働能力維持のための方策、実効をあげる方策を取ることが雇用主に課せられた。

フィンランドには割当雇用制度や優先雇用制度のような施策はなく、また包括的差別禁止法もない。1995年に憲法に条項が付け加えられた。障害を理由に別扱いされることはない。雇用は憲法改正では触れられず、別の労働法で規定されている。

解雇に対する保護に関する協約には、雇用を停止得る手続きを概説する規定が含まれている。労働安全法の下で、労働環境、用具、機械、設備の大きさや広さは、被用者が十分仕事をできるものでなければならないことが定められている。補助機器等、障害者の特別なニードは考慮しなければならない。これは、設備、労働環境についても同様である。

雇用補助金の一時的支給によって、職業機会を増大させることができる。近年雇用行政を強化する方策が採られ、補助金付き雇用が増えている。雇用補助金は、障害者を雇用するコストに対して雇用主に支払われる部分と、失業者の自営もしくはオン・ザ・ジョブ・トレーニングに使われるものがある。失業者に対しては、補助金は6ヶ月から10ヶ月の期間支払われる。障害者を雇用する雇用主に対しては最長2年支払われる。補助金額は、個人毎に計算され雇用行政機関もしくは他の労働関係機関を通じて支払われる。個人は雇用主と雇用契約を結び、賃金を得る。

訓練生制度では、オン・ザ・ジョブ訓練に対して補助金が支払われる。ただし個人は雇用契約は結ばない。この施策の目的は、個人が職業生活に慣れることを援助し、新しい仕事を試みることを援助することである。この施策は主として若年層を対象としており、オン・ザ・ジョブ訓練から職業訓練へと進むこともある。

その他の経済的支援としては、雇用主は障害者のために職場環境を改善する資金を得ることができる。この資金は、ジョブ・アシスタントの費用としても使える。自営を計画している失業者に対しては、雇用補助金という形で自営を援助する方法がある。

保護雇用に対する公的資金は1970年に導入された。この公的資金が導入される前には、民間団体が費用を負担していた。保護雇用センターは、地方公共団体もしくは公共団体連合によって運営されているものが多いが、障害者団体の運営のものもある。障害者は、雇用機関もしくは地方公共団体の福祉サービスを通じて保護雇用を利用する。保護雇用の目的については現在論争下にある。一般的に賃金は一般雇用に比べて低い。保護雇用から一般雇用へ移行した障害者数についての統計はない。失業率の上昇により、保護雇用から一般雇用への移行は著しく困難になってきている。

1995年のフィンランドの労働人口は250万人、失業率は16.4%であった。労働人口(15歳から75歳と定義されている)の8%が障害年金もしくは早期障害年金を受けている。1987年から1990年までに、求職者としてフィンランド雇用行政機関に登録した人の7%から8%が障害者であった。1994年には、障害を持つ求職者は5万8,000人になった(1987年には3万9,650人だった)。しかし、総求職者数に対する割合は、5.5%に落ちた。1994年末に失業率は18%であるが、全障害者数に対する失業障害者の割合は、この2倍に近いと推定される。公式な数字はないが、障害を持つ求職者のうち約70%は、1995年半ばになっても失業していた。障害を持つ求職者の中で重度障害者の比率は、5ないし10%と推定される。

フランス 

政策と制度的情況

障害者政策と立法

 1975年6月30日の障害者基本法は、フランスにおける障害者のための立法の土台となるものであった。条文第1条によると、障害者の教育システムや就労、そして社会生活への統合は国家の責任と義務であるとされている。この統合を推し進めるために、障害の種類や原因を問うことなく、全ての障害者にとって便利なさまざまな金銭的、物理的サ-ビスをこの基本法は設定した。以下に、早期の社会保障立法、雇用障害者を支援するための1975年法上の措置、障害者のアクセスを促進するための措置、及び反差別法について、障害者の雇用政策を考えるのに必要な限りで簡潔に記述する。

社会保障立法
1898年、最初の主要な法律が労災の被害者の保護のために制定された。補償は、障害の程度に見合う終身年金が、1割から10割の範囲内で評価されたいかなる障害にも与えられる。また、戦争による身体的損傷への補償は、1919年以降、何度かの法改正により、市民も軍人も両者共に対象として実施されるようになった。この法律は、年金の権利や専門センタ-における再訓練、民間企業での雇用、公的機関での雇用の全てをカバーしている。年金の権利や障害の程度は1951年に成文化されたスケ-ルに基づいて評価される。

障害保険(1930年及び1945年から)は、社会保険制度加入者で、3年以上の就労に適していないとされた人びとに、所得比例の障害年金を与える。各自の就労又は稼得能力が3分の2以上減少する人が、障害者と考えられた。障害の程度は量的尺度で表されるのではなく、保険加入者の残余の労働能力、全般的状態、年齢、身体的・精神的能力、及び職業訓練への適性で表されるのである。障害年金は2つのグル-プに分けられる。「第1カテゴリー」の年金は、働くことはできるが、従来の給与の3分の1以上は稼得することができないとみなされる労働者の所得喪失を補償する。「第2、第3カテゴリー」の年金は、完全に就労不能とみなされる者への代替的な所得を保障する。

1975年6月30日の障害者基本法は、障害者給付の大部分を整理し、他の法律が適用されない人びとのために、社会援助としての、又は家族手当事務所からの援助としてのさまざまな手当を再編した。そして、2つのミーンズテスト(資産調査)付きの新しい給付が作られた。成人障害者手当(AAH)と補償手当である。手当は、最も重度の障害レベル(80パ-セント以上)又は障害のために就労が不可能になった人へ支払われるものである。補償手当は、重度の障害者に介助者を派遣したり、仕事に関して生ずる超過コストを補うためにも使用される。支払いは、80パ-セントの就労不能ということによる。

障害者のアクセスの改善
1991年に、公的施設、職場、生活や教育の場へのアクセスを改善させるため、いくつかの方策を含んだ法律が新しく制定された(1991年7月13日の法律・91-663号)。これにより、20人以上の従業員のいる職場や事務所にアクセスビリティを要請することになった。その法律は、運動障害だけでなく、全ての種類の障害を考慮に入れることを意図したものである。規制は公共建築物の建設にも課された。

差別に対する保護
1990年、障害者の健康状態や障害を理由にした差別から、人びとを守るための刑法典の改正案が国会を通過し成立した(1990年7月12日の法律90-602号)。この刑法改正条項は、商品やサ-ビスの提供者、使用者、従業員に適用される(この刑法の雇用への適用についての詳細は後に記述する)。

障害者雇用政策と立法の展開

フランスの障害者雇用政策と立法は大きく発展してきている。伝統的には、長期にわたり重点が置かれてきた雇用義務及び雇用率制度の対象となる、特定の受益者グル-プへの措置に焦点が当てられてきた。

歴史の概略
フランスの障害者の中のある特定グル-プの雇用を支援する政策は、第一次世界大戦に由来する。1923年の立法は、戦争で傷を負った正規の兵士たちの働き口の確保を承認し、1924年には障害を持った傷痍軍人のために、少なくとも10人の従業員のいる民間セクターに10パ-セントの雇用率制度を導入した。また、1924年の法律は、労働能力に応じて賃金を減額する原則も導入した(Velche,Ravaud,1995)。無料の医療及び職業リハビリテ-ションの権利などの支援は、まず傷痍軍人に提供され、1930年には労働災害による障害者にもその支援は拡大され、1955年になると、彼らも雇用率に含まれるようになった(最高3パ-セントまで)(Velche,Ravaud,1995)。

1957年になると、障害労働者のリハビリテ-ションに関する法律が現れる。この法の下では、「障害を持つ労働者」は「身体的、又は精神的能力の欠如、あるいは減少により、事実上、仕事に就いたり、それを続けたりするには不利な条件にある人」を意味する(第1条)。人が障害労働者であるか否かの決定は、県レベルでの、障害者の職業指導のための新しい委員会によって決められるとされた。この委員会は、障害労働者を、職業上の能力と提供される仕事によってあらかじめ決められたカテゴリーに分類した。そして、これと同様のやり方が今でもなお行われている。

1957年の法により、強制雇用、民間・公的セクターにおける雇用率制度、及び、一定の職業的活動における特定のカテゴリーの労働者のための留保雇用の基礎が敷かれた。しかしながら、それに応じなかった場合の罰則は決められていなかった。使用者は、留保された仕事が欠員になっている場合、又は雇用率が達成されていない場合、各事業所の欠員を雇用事務所に報告するという定められた手続きに従うことを期待された。もし雇用事務所が、その欠員に対する候補者を8日以内(最近では15日以内となっているが)に紹介することができなかった場合は、使用者は誰とでも自由に雇用契約を結んでよいことになっていた。雇用率が満たされているか否かを計算する際には、各労働者は、職業指導委員会が障害の程度に応じて分類したカテゴリーに基づいてウェイトづけがなされた。

1957年法は「保護雇用」も規定した。これに基づき、平常の作業やフルタイム勤務に従事できない障害者には、職業ガイダンス委員会から「軽作業」又は「半日労働」と呼ばれる仕事が提示される。その際、雇用事務所は、そのような作業の欠員の調査を担当する。この法では、平常の雇用には適さない障害労働者は、公的補助金を与えられた公的な団体・民間団体により設立された「就労援助センタ-」(CAT)、シェルタード・ワークショップ、又は在宅就労供給センタ-を利用し得ると規定している。

1957年の法律は廃止になり、1975年6月30日の障害者基本法が制定された。1975年の法律では、全ての年齢層を対象とし、雇用関係の問題と同様に、教育、社会保障、建築物へのアクセスのことをも含めた広範囲のことが規定されている。この法律は、1つの法律で2種類の目的をねらったものであった。1つは、障害者の権利への関心を寄せるということ。2つめは、立法規定が複雑であったのをより単純化させるということであった。この法律の対象は、身体的又は精神的障害を持つ人びとに限定され、「社会的障害」を持つ人びとまでは適用対象とはなっていなかったが、法律で障害の定義を示すことはほとんど不可能に思われ、示していない(Projet de loi d'orientation en faveur des personnes handicapees,1975)。 そしてその指導原理には、訓練や雇用のニーズに対応することは「国家の義務」であるということが含意されており、また、各障害者の自立を最大限確保するために、国家、全ての公共・民間の団体やグル-プにこの義務を課すということを意味している(第1条)。

法律上の雇用に関係する条項のほとんどが、それまでの制度を修正し、あるいは既存の規定を拡大した。従来の「県障害者職業指導委員会」に代わって、多種の分野にわたるチームで構成される「職業指導・職業再配置専門委員会」(COTOREP)が設置された。この委員会は、障害を認定し、法律に従って提供する給付のあらゆる形態での享受(手当と専門施設における職業指導)を正式に認める権限を与えられている。シェルタード・ワークショップの規定は在宅就労供給センタ-を認可することができるように修正され、CAT(就労援助センタ-)の役割はさらに明確なものにされた。職場への適応、そしてアクセスのさらなる向上のための財政的援助が、以前は民間部門だけであったが公的団体へと大きく拡大された。

1975年の立法による新たな規定は、会社がCAT又はシェルタード・ワークショップと契約した場合の雇用義務からの免除、見習制度(apprenticeships)の推進、並びに一般及び保護雇用されている障害者に与えられる最低労働賃金(SMIC)を基に計算した最低賃金保障への権利である。

1975年の立法は、軽度の障害者以外の人びとにまで雇用を提供することには失敗した。使用者は、労働災害を負った従業員を登録する傾向があり、地域の雇用事務所は、しばしば、報告された欠員を満たすために障害のある求職者を推薦することができなかった(Velche,Ravaud,1995)。

1987年の法律
1987年の障害労働者の雇用をめざした法律の概要を説明する前に、現在の法律にも残っている歴史的特質をまず先にあげておく。

  • 戦争による障害労働者に関する義務
  • 委員会による障害の認定
  • 障害のカテゴリーによるウェイトづけ
  • 労働力に対する雇用率を定めた強制的雇用
  • シェルタード・ワークショップとの契約を結ぶことで、雇用率の一部を満たすことにできる範囲
  • 一般雇用と保護雇用の両方における最低労働賃金の権利

 1987年の法律は、しかしながら、フランスにおける基本的な改善であり、雇用の歴史に影響を与えるものに思われた。Schmitt(1995)によると、社会的パートナーシップに参加する義務にも、この法律は変化を与えたように思われた。その動きは増大する関心によって実証され、なかんずく労働組合にも支えられて、単に最低労働条件を確保するだけでなく、それ以上に、社会福祉を発展させ、社会における地位の強化を図るための企業の貢献により、障害者の生活の質の向上に繋がるものであった。

1987年7月10日の法律は、公共、民間の事業所の雇用の規模を引き上げて「20人以上」とし、強制的義務を課した。彼らが達成しなければならなかった目標は、事業所における従業員全体の中での割合として表現され、1988年の3%から1991年の6%へと年々雇用率は引き上げられた。ウェイトづけは、ある一定のカテゴリーのより重度の障害者になされた。また、シェルタード・ワークショップなどと下請契約を結んだ場合は、雇用義務を免れることが可能となった。

新法の新たな特徴は、障害労働者の労働力への統合のための労使の合意と合同の事業計画を公認し、使用者と従業員の団体を助成するための援助であった。このような動きは雇用義務の達成と同じくらい価値あるものであった。

使用者は、障害者を雇用するのと引き換えに、もしくはそれに加えて財政的な貢献をすることで、それぞれの雇用義務を達成するという選択肢も与えられた。この法律は新たな団体を設立した。任意の拠出金を、障害者の訓練や雇用の目的で助成金や補助金として分配するために、AGEFIPH(le fond de developpement pour l'insertion professionelle des handicapes;障害者職業編入基金)を設立した。最優先事項は、アクセスと仕事への復帰による社会参加であった。基金はまた、調査研究や態度の変化を促進すること、並びに、仕事上の支援、職場の改善、特別の機材といった実際的援助にも活用し得る。財政的援助は、国や地方自治体の対策の代わりというよりも、それらを補足するものである。財政援助を受けることができるのは、専門団体、使用者や被用者団体、障害者の雇用と統合のために活動する機関、地方自治体、及び、法の対象とはならない小企業を含む事業主団体等である。

法による受益者の範囲は、一般の社会保障制度又はその他の強制的な社会保障制度によって、年金を得る資格のある人びとにまで拡大された。

この法律は、従来の政策の着眼点に2つの意義ある変化をもたらした(Ravaud,Velche,1992)。まず1つめは、通常の法的な習慣の転換である、つまり、使用者に課される法律上の義務が、受益者の列挙よりも前に規定されているということである。そして2つめは、「障害者」を受益者リストの最初の部分に置き、戦争犠牲者よりも前にしたことである。このような従来の立法からの大きな転換は、戦争及び社会的な犠牲によって負わされた損失を重視する政策から離れ、経済活動を担う者の責任は障害労働者の統合にあるという政策の方向を示すものであった。

最近の発展
雇用義務の目標が達成されないことが明らかになった移行期の終盤になると、関係大臣は、次のようなさらなる行動計画を策定した。

  • 一般雇用への統合のために、障害者の雇用連帯契約、仕事への復帰のための優先的な財政援助を増加すること
  • 障害者の能力を高めるための訓練設備の改善
  • システム上、職務の阻害要因となるものを排除し、そして雇用事務所へのアクセスを改善するためのCOTOREP(職業指導・職業再配置専門委員会)の役割の再検討
  • シェルタード・ワークショップでの賃金水準の向上を含む、保護雇用から一般雇用への移行の促進
  • 特に被補助者を対象とした、大々的な広報キャンペーンの展開を通しての、雇用を奨励、支援するため基金を再配分するうえでのAGEFIPH(障害者職業編入基金)の効率の向上

 その後、1987年の法律には修正が施された。1992年10月1日のデクレ(政令)(no.92-1064)は、一定の障害者と、保護雇用や訓練施設から出て就職する人びとに割り当てられるウェイトづけを増やした。また、このデクレは、法律の下の全ての受益者は、雇われた年及びその翌年も、少なくとも2単位(以前は1単位であったが)として算定されることとした。1992年11月5日のデクレ(政令)(no.92-1192)は、保護的労働の作業所と契約をして、雇用義務を一部免れるための条件を単純化した。

政策決定とサ-ビスの提供

政策調整
省庁間での一貫した活動を推進するために、1995年、障害者のための省庁間代表が任命され、CICAR(年3回招集されることになっている省庁間調整委員会)運営の責任を負わされた。

諮問
1976年に設立された全国障害者諮問委員会は、公的機関による全ての措置について協議する。委員会の委員は、法的権限を持つ公的機関(competent authorities)、障害者の団体、そして障害者のための団体、使用者と従業員を代表する団体及び連合体、関連する調査研究機関の代表である。

雇用局
1975年に設置された雇用局は、労働省の4局の1つである。雇用局は、労働及び雇用の地方局(External Services:地域と県の労働・雇用・職業訓練局)、全国雇用機関(ANPE)、成人職業訓練協会(AFPA)などのネットワーク組織を運営する。その職務は、雇用政策を推進することである。そしてその活動範囲は、特に困難な条件にある若者、女性、長期にわたって失業中の人、障害者を含む就職希望者の統合、再統合、訓練にまで及ぶ。

全国雇用機関(ANPE)
ANPEは職業、訓練又は職業アドバイスを求める人びとを支援し、従業員の採用と従業員の再配置を支援するためにある。また、職を求める人びとの名簿への登録、統計の作成もする。職を探す主要な方法として、失業者の90%以上が、公的雇用サ-ビスを活用していることから分かるように、ANPEは失業者を減らす戦略で中心的な役割を果たしている(ヨ-ロッパ委員会,1996)。

ANPEは、公的機関、使用者団体と労働組合団体が共同で運営する機関、障害者の団体、そして障害者のための団体を相手として協定を締結することができる。この協定では、ANPEの意思決定、又は諮問機関にこれらの代表を参加させることを規定している。また、施設ネットワ-クの調整や共同利用を確実にし、また、もし必要とあらば、求職者の受理と彼らへの情報及び指導の提供プロセスでの、ANPEとそれらの機関それぞれの役割を決める。ANPEは、既に500の職業紹介協定、及び、さまざまな団体との協力協定並びにその他のパートナーシップ協定を結んでいる。また、求職者の訓練、統合のために、大企業及び専門機関と基本的な協定を結んだが、その数は、1992年は9だったのに対して、1996年には40と増加傾向にある。

ANPEは、障害労働者のための法律と、障害者の雇用を推進するその他の国家政策のための法律を監督する。それぞれの地域の雇用事務所は、その地域の障害労働者たちを、責任を持って支援し、配置することに務めている。県内には、障害労働者のために、パートタイム又は常勤の特別雇用カウンセラ-(CSTH,障害労働者特別雇用カウンセラ-)がいる。彼らもまた、COTOREP(職業指導・職業再配置専門委員会)の活動に参加している。

成人職業訓練協会(AFPA)
AFPAは1966年の1月に発足した。協会の一般的指示は大臣によって取り決められている。協会は、いくつかの職務を持っている。
・経済のあらゆる分野での経験豊富な人材の育成
・失業者や余剰人員として悩む労働者の再訓練を援助すること
・恩恵の享受が最少のグループ、若い就職希望者、外国人労働者への支援
・訓練のさらなる向上のための貢献

AFPAは、各地に、131の訓練センタ-と見習労働者を訓練する47の特別センタ-を管理している。各センターは彼らのために食事や宿舎を提供する。

AGEFIPH(障害者職業編入基金)
AGEFIPHは1987年7月10日の法律の下で設立され、1989年に活動を始めた。これは、別の方法で雇用義務を果たすことを選択した使用者たちから自主的納付金を徴収し、分配するために設立された。基金は全国レベルの民間団体によって管理される。その理事会は、労働組合、使用者団体、障害者の全国団体、その他、これらの機関や国によって指名されたその他の代表者によって構成されている。労働省は事業プログラムや予算について承認するが、政策の実施責任は理事会に残る。

AGEFIPHはもっぱら民間部門の企業や、私法に従って活動する政府運営の団体に関わって仕事をしている。それは国の支援を補足することを意味する。ANPEは、AGEFIPHとの協力協定を締結している。2つの団体が、力を合わせて統合のための援助に努力すること、そして訓練のための財政的援助、企業における認識を深め、研究を実現するための政策についての協定である。

COTOREP
各県ごとに、COTOREP(職業指導、職業再配置専門委員会)が設置されている。そして成人障害者のための雇用、訓練、財政的及び社会的支援に関する要求や申請は、各地域でその決定判断を任されたCOTOREPに提出される。COTOREPは、障害者の状態を認定し、訓練や一般雇用、保護雇用へと指導する。

COTOREPは以下の者で構成される(MISEP,1996)。

  • 申請を受け付け、登録を受け持つ常勤の事務局員
  • 申請を取り扱う技術的専門チ-ム(医者、心理指導担当者、ソーシャルワーカー並びに職業紹介担当者)
  • 措置を協議し、援助や手当の給付を決める当該委員会

 委員会のメンバ-は、さまざまな行政機関の代表、保護者の会、障害者団体、そして施設長から構成されている。

準備・追跡チ-ム
ANPEとCOTOREPとの共同活動で、雇用、再雇用を求める障害者の指導及び配置のために活動する特別チ-ムは136になった(EPSR,OIP)。

障害の定義

 障害の定義についての一般法は存在しない。人びとは、彼らが要求する給付とサ-ビスとの関係で、異なる基準に従って障害者と分類される。労働法典(L323-10条)では、不足又は減退した身体的及び精神的能力のため、通常の雇用において職を獲得し、保持することが相当難しい人を障害者と定義している。

統計

 1994年3月、就労者の生産年齢人口は4,612万3,000人で、労働力としては2,513万7,000人であった。労働力率としては54.5%、失業率は12.4%であった(MISEP,1996)。

失業と障害

 1990年代前半、労働需要が著しい落ち込みを示した(1991年から1993年末までに非農業の職業の約20分の1が減少した)。1996年を迎えて、1990年代になって初めて失業率は減少した(11.5%に)。しかしながら、長期失業者の割合はその年に40%になった。障害者は、労働需要の減少と高い失業率の中で打撃を受けた。失業者の中に占める障害者の増加は、就職希望者全体の場合よりも多い。

失業期間の平均は大変長期にわたり(587日)、障害の程度に大きく関係しており、障害者の半数、就職希望者の3分の1のみが軽度障害者であった。また、失業障害者は平均年齢を上回っていた(ヨ-ロッパ委員会,1996)。1995年12月、12万人もの「カテゴリー1」(長期の常勤労働を探す者で、ただちに仕事をすることができる者)の失業障害者が存在していた。1994年3月の失業障害者は8万人であり、1993年の3月と比較すると1年で27%増加した(Velche,1995)。

雇用における障害者

 働く障害者についての最近の情報として知ることができるのは、1987年の法律の対象となる、従業員20人以上の民間部門事業所における障害者の数のみである。詳細は1994年の「1987年の法律の実施」のレポ-トにまとめてある(労働社会省,1996)。1994年には、24万8千人が雇用され、半数が産業分野で働き、5分の2がサ-ビス業に従事した。70%以上は年齢40歳以上で、全体の4分の3が男性であった。

フランスでは障害労働者の分類の仕方が異なるため、障害の種類又は程度をまとめることは不可能である。1994年、46%の人びとが労働災害や職業病の被災者であり、全体の30%が中程度の、又は重度の障害者として分類された。

1990年、公的部門では9万6,000人の障害労働者が法の対象となり、国家機関、医療機関に登録された。しかし、地方自治体での厳密な数字は分からない。

1992年には、約8万8,600人の労働者が保護的就労に従事していた。

雇用支援サ-ビス

アセスメント

 多くの指導、訓練、配置サ-ビスは、COTOREPによって認定された障害労働者にのみ提供される。COTOREPは、成人障害者を援助するための幅広い権限を持つ。そして、その一般的責務は雇用、訓練、財政的、社会的支援の必要性の判定である。なお、COTOREPは2つの部門に分けられ、1つは給付を受ける障害者の資格認定と完全に労働不能であるかどうかの認定である。そしてもう1つは、職業的統合である。まず最初のCOTOREPの責務は、労働のための障害の判定や、A、B、Cのカテゴリーへの障害者のふりわけである(例えば、盲又は重度の視覚障害にある人びとはカテゴリーCと判定される。)。そして、その判定後、COTOREPは、指導や訓練、雇用や保護的就労への再配置のため障害者を指導する。

1980年代後半まで、COTOREPの組織と手続は、広範囲にわたって非難されていた。特に非難されたのは、障害にのみ重点を置いた考え方(その人の持つ能力よりも重点を置いているようにみえた)、医学的基準への極度の頼りすぎ、また障害者の職業訓練と保護的就労の受け入れ先の意向、空席状況との不均衡な関係、手続き上の遅延と重複についてであった(Samoyより引用,1992)。FNATH(労災被害者・障害者国民連合)はCOTOREPを4つの事柄について非難した。障害の進行に対して介入が遅すぎて、仕事が失われてしまう。1回限りの判定の軽率さ。雇用のチャンスを得る前の準備段階は不必要で、それが結果的に失業に繋がってしまうということ。そして行政手続きへの時間がかかりすぎであるということと、対象に関する定義の欠如である。COTOREPの運営は、1994年に再編成された。

COTOREPの活動は、評価人数や訓練、雇用への参加人数を計算すると近年で大きく発展した。表Fr.1は、1987年、1993年、そして1995年にABCに分類した数、及び却下した人の数を示している。

表Fr.1 COTOREPの分類による数(年次別推移)
- 1987 1993 1995
A 12,431 18,355 31,276
B 35,350 48,920 75,277
C 26,972 32,052 49,568
却下 7,532 8,110 15,056
合計 82,285 107,437 168,680

出典:労働社会省,1996

Schmit(1995)は、COTOREPに登録してある人びとの一部は、1987年の7月10日の法律による雇用率制度によって、使用者に勧められて登録したことを指摘している。

1995年、COTOREPの決定の47%は一般雇用に関するもので、1987年には45%であった。また、保護雇用に関する決定は39%で、1987年には34%であった。訓練に関する決定は1987年の21%から、1995年の14%にまで減少した。1987年の法律や訓練の需要にもかかわらず、COTOREPは保護雇用を好む傾向を持っている(労働社会省,1996)。

ガイダンスと訓練

 1975年の法律により、公的又は民間の初期指導センタ-が創設された。これらは、労働省によって監督される。初期指導センタ-は、COTOREPの提案に基づき労働者を12週間まで引き受ける。その後で、COTOREPの活動のために、分析をまとめた詳しいレポートをCOTOREPに送る。1995年、COTOREPは4,227のケ-ス(全決定の3.9%)について初期指導を推薦した。

訓練は、一般の訓練校、又は、障害者の職業リハビリテーション及び訓練のための、公共及び民間のセンターで行われる。77の専門センター(CRP)が、AFPA(成人職業訓練協会)によって指導監督されている。ここには9,500の定員があり、1年又は2年のコ-スに参加することができる。1995年には、COTOREPは8,559のケ-スについてCRP(専門センタ-)を提案した。また、他にも10の一般職業訓練校がある。Schmitは次のように指摘する。一般的な職業訓練への法的な権利があるにもかかわらず、運動機能障害や感覚機能障害の人びとにとってアクセスできないため、多くの機会が失われているし、CRP(専門センタ-)には多数の待機者がいる。

1991年の4月10日の「雇用計画」は、訓練を改善すべき領域と認め、国によって支払われる費用を4分の1以上増やすことで障害者に対して門戸を開くよう訓練機関を奨励した。障害者を受け入れることのできる訓練機関に対する調査によると、1995年には、4,000人の障害者が、AFPA(成人職業訓練協会)によって運営される一般の訓練校に登録されていた。

職業訓練者、そして訓練校は、ANPE(全国雇用機関)及びAGEFIPH(障害者職業編入基金)から財政的援助を受けている。AGEFIPHのおよそ3分の1の資金は(採用手当を除き)、雇用への準備に充てられる。1990年から1995年まで、1万人以上もの障害者が、両機関からの資金提供による訓練及び職業参加コ-スの恩恵に浴した。1992年に、AGEFIPHとAPTAとの間で承認された協定はまた、給付の拡大をも実現した。AGEFIPHは地域の委員会と協定を結び、見習い訓練を含む、障害者のための地域訓練制度を作った。主に失業者のためのものであり、訓練機関を通して利用できる。

職業紹介

ANPE
ANPEは、県レベルにおいて、時間の全部あるいは一部を職業的編入や障害労働者の再編入のために充てる雇用特別カウンセラ-(CSTH)を置いている。CSTHは障害者の就職希望者、使用者、この分野におけるパートナー、特にCOTOREPに対して、また共同して、活動を進めている。地域レベルでは、機関の職員は障害者にその権利を助言し、編入先として可能性のある空席を紹介する。そして、会社に義務や制度を知らせ、障害者を採用させ、空席に障害者を充てる(MISEP,1996)。 県レベルのANPEの指導及び職業紹介サービスは、1994年に再編成され、調整された。

協会
ボランティアの協会は、ANPEとの協定によって、障害労働者の再配置を促進し、当初の職業に復帰させるため、そして使用者、法定の機関、保護的就労との関係を保つため、重要な役割を担っている。これにはAFP(肢体不自由者協会)及びLADAPT(身体障害者の職業適応のための連盟)が含まれる。協定の1つにGIRPEH(障害者の雇用促進のための地域団体)とのものがある。GIRPEHは、他の、患者や家族の集まりから成長した多くの団体と違って、民間の会社の主導によって設立され、使用者の代表、組合、専門家で構成されている。このANPEとGIRPEH間での協定は、編入のための援助、訓練への資金提供、そして教育制度、使用者の意識啓発、研究の支援に焦点を当てている(MISEP,1996)。

EPSRとOIP
1996年1月、COTOREPとANPEとの連携による、雇用のためのリハビリテーション及び準備・追跡チ-ム(EPSR)は106あった。これらでは、いくつかの行政機関のソーシャルワーカーを4人のチ-ムにまとめている。EPSRは、リハビリテーションの期間中を通じて、受け入れする雇用主を探す、雇用後も定期的な調査をするといった方法によって障害者援助する。このような公共、民間のチ-ムが設立されるのには時間がかかったが、1991年の4月の「雇用計画」は、1992年の終わりまでに全国設置を確実にするのに必要な財政的な歩みの一歩であった。EPSRの5分の3は民間部門で運営されている。

新たな機関であるOIP(編入と就職のための機関)は、1994年に設立され、EPSRを一層強力なものとした。1995年には30のOIPが承認され、既に職業紹介機関として存在していた。EPSR、OIPのことも踏まえ、1994年2月には、AGEFIPHと国家間で協定が結ばれた。協定が実施された結果、最初の1年間で1万8,000の紹介がEPSR、OIPによって実現し、大変見通しの明るい結果として受け入れられた(労働社会省,1996)。

調整
1992年以来、障害者雇用の推進に責任のあるさまざまな関係者を調整するため、県レベルの「編入プラン」を通じて積極的な活動が続けられた。主な目標としては次のものがある。

  • 1987年に掲げた6%の雇用という目的を達成すること
  • 長期にわたる失業者を減らすこと
  • 雇用を維持し、危険な仕事の改善を推進すること
  • COTOREPの決定の遅帯を減らし、障害者の要求への適合性を増やすこと

 1995年、このプログラムは100の県のうち70の県で実施された 。1992年に始められた20の県における先行的なこの事業は、活動をその後1992年から1993年の間に50%増やし、障害者に大いに貢献した(実際は複数の活動が障害者をサポ-トしたのであろうが)。 1993年に記録された20の県における活動は、その約半分が、国の補助金に基づく仕事の創出事業によって就職を可能にするものであった。

一般雇用:法的義務と権利

1987年の法律
1987年の障害労働者雇用法の主な目的は以下のものである。

  • 手続き上の義務に支えられた制度から脱却し、結果の証明を求める制度への移行、したがって、目的を達成するための制度へと移行すること
  • 国が模範となるよう、公共部門全体へ雇用義務を拡大すること
  • 重度障害を持つ人びと及び若者や高齢者、その他の社会的に不利な立場にあるグループの一般雇用を推進すること
  • 障害者雇用を契約で保障された仕事の分野とすること
  • 雇用義務の達成が困難な企業から、障害労働者や使用者、特に法の外に置かれている小規模企業へ資金を配分すること
  • 使用者とシェルタード・ワークショップとの間の契約関係を通じて、保護雇用及びその従業員の発展と地位を推進すること

雇用義務
1987年の法律は、20人以上の従業員を雇っている全ての公共及び民間の使用者に、同法が対象とする障害者が全従業員数の6%の割合を占めるよう、常勤又は非常勤で雇うことを求めている。この6%の義務雇用はすぐに実施されるのではなく、3年間の移行期間に、1988年に3%、1989年に4%、1990年に5%と増加させることにされていた。

複数の事業所で構成される企業の場合も、雇用義務はその1つ1つの事業所に及んだ。「企業」には、準公的団体(法律制定当時は28あった)、公益事業、鉄道、有料道路会社、全国ラヂオ・テレビ放送局をも含む。

しかしながら、法律は、総従業員数の計算に当たっては、公的あるいは準公的機関のある種の職業は省いて算出するとしている。その職業としては、33のさまざまな種類のものが全て職業分類のシステムに従って分類され、デクレ(政令)で示された。まとめると、それは2つのカテゴリーに分けられる。

  • 乗り物を運転あるいはそれらに乗って誘導、旅行することを職業とする人びと(民間パイロット、船員、航海士、救急救護士、消防士、ツアーコンダクター、警備員、旅客サービス員、大型トラック運転者)
  • 資格を持つ労働者、あるいは時として無資格の肉体労働者(採掘、建築、建設、木工、車掌、荷物等の積み降ろし業、漁業)

 これにはさらに、大手の店で働く販売員も含められた。1994年に、除外された職業は申告した事業所の労働力の10%を占め、国立統計研究所の予想を越えるものであった。これは、法律制定に先立って想定した目的から逸れるものとして非難された(La Revue de l'APAJH,1992)。

法律の受益者
公的、準公的企業への強制的雇用義務は、以下のような労働者の主要カテゴリ-をカバーする1)。

  • COTOREPによって障害者として認定された労働者
  • 労働災害を受けた人、職業病を持つ人、少なくとも10%以上の恒久的な労働不能を持つ人びと
  • 労働能力・稼得能力の少なくとも3分の2減少しているため、一般社会保障制度、あるいはその他の強制社会保険、又は公務員に適用される給付により、廃疾年金を受ける人びと
  • 戦争による廃疾年金を受ける退役軍人(又はそれに同等の者)

 公的部門(国の事業所、国立病院、地方自治団体)での雇用の対象となる受益者は、一方では、障害者となった職員の雇用維持のための法的取扱いの故に、また、もう一方では公務員には別の一時廃疾手当て資格があるが故に、民間部門での受益者とは異なっている。

受益者のウェイトづけ
民間部門、準公的部門の雇用率算出のため、障害者のうち、あるカテゴリーの人びとは1人当たり1.5、2、又は2.5として数えられる。この制度は、重度の障害者、若者、高齢者、雇用機関での訓練を希望する者、そしてシェルタード・ワークショップ、CAT(就労援助センタ-)、職業訓練校から出て就職している者に、雇用の特権を与えることを意図して定められた。それは障害労働者個人の総数だけでなく、受益者の構成単位(UBP)の全体を把握することにも関係する。公的部門ではウェイトづけは存在せず、よってUBPも存在しない。

表Fr.2 1987年法によるウェイトづけ
カテゴリー 1991 1992
COTOREP認定の障害労働者 25歳未満 +.5 +.5
50歳以上 +.5 +.5
障害カテゴリーB +.5 +.5
障害カテゴリーC +1.0 +1.5
500時間以上の事業所内訓練 +.5 +.5
シェルタード・ワークショップ,CAT,職業訓練校からの就職者(最初の2年間のみ) +.5 +1.0
職業病又は労働災害 永続する能力損失が66.6%から85% +.5 +.5
永続する能力損失が85%を超える +1.0 +1.0
2年以内の全採用者 - +1.0

出典:労働社会省,1996

一部のウェイトづけは1992年10月に倍率が増加され、その倍率は新たな大きな変化をもたらした。現在では、全ての受益者が、契約すれば最初の年と翌年は2単位として数えられる。ウェイトづけは表Fr.2で示されている。

雇用義務の達成2)
企業は次の方法でその雇用義務を達成することができる。

  • 法律に従って、受益者を直接雇用する
  • 保護雇用部門と契約を結ぶ
  • 障害者の雇用を推進するため協定を結ぶ
  • 納付金をAGEFIPH(障害者職業編入基金)に支払う

 直接雇用が6%に達する事業所の割合は、かなり安定したもので、1993年の37%と比べて1994年は35%であった。表Fr.3は1992年から1994年までの代替的な手段を表している。

表Fr.3 雇用義務に対する代替的手段,1992-1994年
代替手段 1992 1993 1994
下請契約のみ 12.2 11.6 12.4
納付金のみ 65.9 64.6 62.8
下請契約+納付金 17.8 19.0 19.8
下請契約+協定 1.1 1.3 1.7
納付金+協定 0.5 0.5 0.5
下請契約+納付金+協定 0.3 0.4 0.4

 出典:労働社会省,1996

直接的雇用
3年間の移行期、そして1994年までに、障害労働者の数は、民間部門、準公的使用者の場合、常に労働力全体の3%を占めることが分かった。

適用対象となる労働力(例外に当たる職業はその全体から除外されるが)に対し、法的に求められる方法により(これはカテゴリーに従ってウェイトづけされる)受益者の構成単位の比率を判定すると、達成された度合いは、1989年の3.58%と比べると、1990年には3.72%、1991年には3.76%になった(1988年には少なくとも34人の従業員を持つ使用者のみが、そして1989年には少なくとも25人の従業員を持つ使用者が義務を負っていた)。この割合は増加し続けて、1994年には4.11%に達した3)。また、1992年以後、ウェイトづけの制度の変化により、受益者の単位数が増加したことに注目すべきである。表Fr.4は移行期、そして1990年から1994年までの、それぞれ2つの算出方法をとって出された結果を示している。

1994年には、36%の事業所が目標の6%を達成、あるいはそれを上回った。一方、27%の事業所は少なくとも1人の障害労働者を雇用し、37%の事業所は1人も雇わなかった。この結果は1991年のそれと全く同一のものであった。

表Fr.4 障害労働者の雇用状況(1988-1994)
- 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994
雇用義務(%) 3.0 4.0 5.0 6.0 6.0 6.0 6.0
最低従業員数(人) 34 25 20 20 20 20 20
法適用企業数 52,600 74,100 87,800 88,000 89,000 85,500 85,000
総労働力 7,356,000 7,987,000 8,518,000 8,539,600 8,411,000 8,167,200 8,500,00
告知障害者数 223,800 235,900 256,300 258,000 254,700 254,500 247,900
障害労働者(%) 3.0 3.0 3.0 3.0 3.0 3.1 3.0
調整労働力 6,777,600 7,398,900 7,885,900 7,903,200 7,768,100 7,649,600 7,650,000
受益単位 - 264,700 293,600 296,900 310,200 310,600 311,000
実雇用率(%) - 3.5 3.72 3.76 3.99 4.06 4.11

出典:労働・雇用・訓練省,1993;労働・社会省,1996

(実雇用率は)その会社の規模によって異なる。1994年には、500人以上の従業員を持つ事業所、及び50人から99人の従業員を持つ事業所が、最も高い割合を達成した(それぞれ4.7%、4.5%)。 しかし、20人から49人の事業所は、1993年には4.5%の割合に達したものの、1994年には3.4%に減少した。

1994年までには、建設業では目標を越え(全体で6.5%)、60%の事業所が6%に到達し、あるいはそれを上回った。一方、大きく出遅れた事業所は主に金融、商業、サ-ビス分野であった。しかしながら、建設業は一方で多くの例外となる職務を含んでいる。

シェルタード・ワークショップとの契約
民間部門、公的部門はいずれもシェルタード・ワークショップ、CAT、在宅就労援助センタ-との、供給又はサ-ビス契約を結ぶことによって、部分的にその雇用義務を代替することができる4)。このような規定は、1975年の法律の下で既に存在していた。Schmitは、シェルタード・ワークショップからみるとほとんどは既にこうした契約をしていたので、法律は、実質的な改善を約束するものではなかったことを指摘している。その目的は、保護的就労の発展を推進し、おそらく使用者に保護就労従事者の可能性を納得させるためであったのだと考えられる。表Fr.5に示されているように、民間部門では、保護雇用部門との契約が増えてきた。

保護雇用部門との契約により、受益者の単位数が増えた。つまり、1992年の1万4,100人、及び1993年の1万7,654人と比べ、1994年には1万8,780人にまで増加した。1991年では、保護雇用部門との契約による雇用相当数は1万受益単位であった。雇用義務の達成という点では、これらの契約は1991年には民間部門の0.1%を占めるにすぎなかった。

表Fr.5 年次別保護雇用部門との契約状況
企業数
1988 6,900 13.1
1989 10,800 14.6
1990 13,600 15.5
1991 15,400 17.0
1992 17,400 20.0
1993 17,400 20.4
1994 18,100 21.3

 保護雇用部門と契約をしている事業所のうち、1990年には30%、1991年には23%が、既に雇用義務の目標を達成していた。1990年には、契約を結んだ事業所の32%は障害労働者を全く雇用しておらず、その割合は、1991年には36%、1994年には同じく36%に及んだ。

また、大企業になればなるほど、保護雇用部門との契約は多く見られ、1992年には、20~24人の従業員を持つ事業所でわずか13%であったのに対し、200人以上の従業員の事業所の47%は契約を結んでいた。1991年に保護雇用部門と契約を結んでいた1万5,400事業所のうち、半分は工業分野における事業所であり、2,900は貿易、2,600は商業関連で、1992年の増加は、主に商業関係によるものである(Velche,Vavaud,1995)。

公的部門では、1990年に保護雇用部門と契約を結んだ数は、全国のわずか0.043%にとどまった。そしてこれらの受益者たちのほとんどは2つの省庁関係者である(PTE及び国防省)。1990年の年間報告書は、いくつかの省庁では、保護雇用部門との間に緊密なつながりがないことを指摘している。公的部門における保護雇用部門との契約の割合は非常にゆっくりと増加し、1991年には0.053%となった。1990年の年間報告書の中で、医療関係の実例からの報告は非常に少なく、保護雇用部門との契約は医療部門の0.1%であった。

協定
1987年の法律の目的の1つは、職業的統合によって障害者を経済的分野へ編入することであった。

協定は、職場と障害者雇用への態度とに影響を与える可能性を持つ。公的あるいは準公的(しかしながら公的ではない)部門の使用者は、障害労働者の編入を目的として従業員団体と交渉して協定を結び、それを適用させることで雇用義務を満たすことができる。協定は、フランスの産業における労使の計画化された伝統的な手段である。

協定は、次の活動のうち少なくとも2つを含む包括的プランとなっている必要がある。募集、統合及び訓練、技術的変化への適応、人員過剰の場合の雇用関係の維持である(MISEP,1996)。計画の適用範囲は大変広く、例えば会社の社交活動への参加、及び会社をやめた労働者の訓練にまで及ぶ。

また協定は、適切な行政機関の承認を得ることとされている。協定は、全体として会社(企業)のレベル、会社(事業所)内の組織、あるいは業界('branche')レベルにおいて同意を得ることが必要とされている。ほとんど全ての協定は、大きな複合企業によって締結されており、その多くは全国を適用範囲としている。そして、これらの大半は、数年間効力が続く。1991年の労働・雇用省の年間報告書によると、63の協定があったという。また1992年には、1,300の事業所が70の協定の対象となり(1991年には1,000事業所だった)、およそ4分の1の企業が、6%又はそれ以上の障害者を雇用したことになる(Velche,Ravaud,1995)。1994年には70の協定が1,700の企業を対象としていた(MISEP,1996)。1993年と1994年にも同じような数(44と42)の協定が結ばれた。

年間報告には、承認された協定が示されている。ある1つの、11万人の雇用を持つ業界(branche)協定は、1990年に保険部門で承認されたが、1993年に改定はされなかった。1,690以上の事業所を対象として5年間続いている別の業界協定は、1991年に非営利の「病院・民間扶助連盟」によって承認され、1,000人の障害労働者を受け入れるように計画された。「人民銀行」のグループによる他の協定は、1993年の1月から3年間施行された。1993年末の8企業に比べると、1995年末には、グループ内の44企業のうちの18が雇用率6%を越え、2つの例外を除いて全ての企業がその目標率を達成し、あるいはそれを越えた。

ある大手の企業(Trois Suisses)は、以前保護雇用部門で働いていた障害者を従業員として雇うために、新たな電話の販売サービスを設定した。他にも、障害者を職場へ編入するための、計画的な導入、職業実習、仕事中のサポ-トなどのプランがある。訓練計画は実在する障害者のニーズに合うように適応性が備えられ、職場内での訓練は外部からの障害労働者にも開放されている。高等教育に結びつけた先行的な訓練も行われている。

任意の納付金
民間、あるいは準公的部門における使用者は、その雇用義務の全て又はその一部を、任意の納付金を障害者職業編入基金(AGEFIPH)に納めることで替えることができる。使用者は毎年、彼らが雇うべき障害者1人につき決められた金額を支払うのである。法律によると、その納付金は法定の時間当たりの最低賃金(SMIC)の500倍を超えてはならないとされており、それは次のように、従業員規模によって異なる。

20人から199人の従業員 SMICの300倍
200人から749人の従業員 SMICの400倍
750人以上の従業員 SMICの500倍

この規定は、ある一部の企業に対し、経済的圧力を与えることとなった。任意の納付金の背後にある政策的意図は、本人自身は障害労働者の募集、訓練、その雇用をすすめる立場にはいない事業主に、財政的貢献によってその義務を果たせるようにすることである。この基金の原理となったのは、再分配の原理である。集められた資金は、AGEFIPHにより、統合という目的を実行することのできる企業にいる障害者を支援するために使用される。VelcheとRavaudのコメントによれば(1995)、この法律が意図するのは、任意的納付金制度に、金銭納付以上の意味を持たせることであった。使用者たちがその雇用義務を達成するための手段としてこの方法をとったことに対しては、障害者団体から驚きの声が寄せられた。

表Fr.6は、1988年から1995年までに、AGEFIPHに納付金を支払った事業所の数を示している。1995年には、49%の事業所がその義務を免除するために任意の納付金を納めた。

表Fr.6 AGEFIPHへの納付金
拠出事業所 金額(100万フラン)
1988 15,056 317
1989 17,786 315
1990 27,397 637
1991 40,585 1,183
1992 43,477 1,652
1993 42,685 1,613
1994 41,520 1,564
1995 41,812 1,593

出典:AGEFIPH,1995年レポート

任意の納付金に頼る度合は、企業の規模に関係している。1992年には、従業員50人以下の事業所の48%、50人から199人までの事業所の57%、200人から499人の従業員の事業所の65%、そして500人以上の従業員の事業所の52%が、任意の納付金を支払った。最後の手段としてのこの選択は、より多くの事業所が6%の目標を満たしたために、1991年の68%から実質的に減少した(Velche,Ravaud,1995)。

表Fr.7によると、1995年の、それぞれの事業所規模ごとの、基金へ貢献している事業所数が見て取れる。任意の納付金を支払う事業所の半数以上は、50人以下の従業員規模の事業所である。

1990年には、納付金を納めた会社の3分の2は障害労働者を1人も雇わず、そして50人以下の従業員規模の会社の4分の3が、障害労働者を雇っていなかった。1991年までに、納付金を支払う会社、障害者を1人も雇わない会社は60%にまで減少した。1994年の法律の実施状況をまとめた報告書には、任意の納付金を払わなければならない4万4,100の事業所のうち、4分の3が他の方法でなく(納付金で)その義務を満たしたとレポートされている。

表Fr.7 従業員規模別納付金拠出事業所数,1994
従業員数 事業所数
20-49 2,381
50-99 9,221
100-199 5,069
200-499 2,715
500以上 177
合計 41,812

 出典:AGEFIPH,1995年レポ-ト

公共部門
公共部門に関して私達が得られる情報は、担当大臣からの1990年の国会への年間報告書と、1991年の中央政府への報告書によってのみである。状況は改革当時に比べると変わったと思われる。

公共部門は、国家(中央政府)、公共病院、地方自治団体(自治体)の3つの事務所からなる。3つは全て別々に報告を行う。公的部門の雇用義務は、1987年の法律によって、障害者のカテゴリーによるウェイトづけや例外となる職業などなしに、全体の職員総数に対する割合から算出された雇用率を満たすことである。総職員の雇用率は、シェルタード・ワークショップと契約を結ぶことで障害を持つ職員と同等にカウントされる比率によって、増やすことができる。  

1990年に、国家、病院、自治体からは、ごく少ないシェルタード・ワークショップとの契約も含め、それぞれ3.38%、4.8%、そして4.1%の実雇用率が報告された。1990年の数値は1989年のもの(3.8%)よりも低かった。また、1991年には、数値は3.2%にまで減少した。18の省庁(及び公的機関)からの回答は、1990年には0.1%から6.8%までの幅があった。4つの省は1990年に目標の5%を越し、1991年には6%に達した。そして国家機関で働く公務員(軍人を除く)の総数は1990年には234万3,740人であった。

1990年の病院部門の数値は、83%の回答率のあった抽出サンプルによって得られる。これを通じて、37万7,702人の全体の職員を母数とし、4.7%(この割合には契約による0.1%の実雇用率が加算されている)という比率が算出された。

自治体からの回答は、地方、県、市町村、そしてその他の団体に分けられる。これらの機関はあまりにも多様なため、提示されたデータは正確でありそうでなく、1990年の報告書では、1988年、1989年に収集された情報の重大な欠陥を認めている。1990年の調査は、それらのギャップを埋めるものとして計画され、したがって、1990年のデ-タは、1989年や1988年のそれと比べることは厳密にいってできない。回答率の向上を心がけたにもかかわらず、そのレベルと、回答の質は1990年になっても大変低いものであった。4,624の自治体のたったの60%が回答したにとどまる。回答には、実施の範囲と受益者の分類について、相当の注目すべき困惑が示されていた。報告書は、自治体が直面する難しさ、特に職員の特徴についての基本的な情報の欠如を指摘している。また、ある自治体がその個人の情報を保有することの不本意さについても、その報告書は指摘している。

我々は、自治体全体として(契約分も含め)4.10%という、1990年の回答に含まれている問題を考慮する必要がある。回答で得られたパーセンテージ間には極端な変差があった。地方における雇用率は1.84%であったが、報告にある説明では、地方は、最近、専門員によって構成される機関を創設したという。県は全体で1.31%であった。市町村に関しては、全体で4.05%を達成した。「他の団体」として分類される幅広い範囲の団体は、全体で4.05%の雇用率を示している。

国家機関からの報告とは対照的に、自治体からの報告には当時の状況に関するさまざまなコメントがあった。1つは、公共サ-ビスには硬直性があり運用の余地が少ないというものであった。また、公に障害を認定されることを望まず、そのような行為には政治的な異議を唱える職員たちに、認知を強制することは不可能であるというものもあった。このような原則に基づいて回答を拒む大きな都市では、実際上は6%を越える障害者の雇用割合を持っていることが示唆されている。

採用と重度の障害
採用される障害者の数は年々増えており、1989年の8,000人から1991年には9,400人に増加し、2年間で18%増加した。しかしながら、1990年と1991年のレベルは変わらなかった。これは、それまでの障害者雇用の記録の上で、大変低い比率であった(1991年は3.6%であった)。政府は、採用の年と翌年に単位数を加算し、ウェイトづけの増加(少なくとも受益単位を2に)に力を入れた。1994年には、1993年の8,400に比べて、9,900の新たな採用がされた。

法律の目的の1つは、受益者の単位の算出の際に使用されるウェイトづけのシステムを通して、重度の障害を持つ障害者の雇用を奨励することであった。障害の重度を理由とするウェイトづけは、4つの受益者カテゴリーのうちの2つに適用されている。COTOREPによって障害者として認定された一定の人びとと、労働災害、職業病によって障害を持った人びとのカテゴリーとである。表Fr.8は、民間、準公的部門における障害者数を表している。

表Fr.8 条件、年齢別受益者数
区分 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994
COTOREPによる認定 65,000 70,500 82,100 84,900 89,400 91,300 99,200
29.0% 29.9% 32.0% 32.9% 35.1% 35.9% 40.0%
労働災害・職業病 131,000 133,000 140,300 36,600 129,900 130,200 114,100
58.5% 56.8% 54.7% 53.0% 51.1% 51.1% 46%
障害年金受給者 15,000 16,900 19,300 22,200 22,800 22,300 24,800
6.7% 7.2% 7.5% 8.6% 9.0% 8.8% 10.0%
戦傷・類似障害者 13,000 14,500 14,600 14,300 12,600 10,700 9,900
6.1% 5.7% 5.5% 4.9% 4.9% 4.2% 4.0%
合計 224,000 235,900 256,300 58,000 240,700 254,500 247,900

出典:労働・雇用・訓練省(1993),労働社会省(1996)

重度の障害を持つ人びとの数を同定するためには、障害の程度の評価によって下位分類された数値をより詳細に調べる必要がある。

COTOREPがグル-プB、或いはグル-プCに認定する従業員の割合は、1990年の67%から1994年の76%にまで、着実に増加した。1990年、1991年に採用された障害者の4分の3近くはCOTOREPによって認定されていた。そして、1994年までに、COTOREPの認定を通じて新たに採用された人の割合は、86%にまで増加した。

法律の目的はまた、25歳以下、50歳以上で、COTPREPによって障害者として認定された人びとの雇用を奨励することであった。1990年と1991年には、COTOREPによって認定された人びとのおよそ30%は、これらの2つの年齢層に含まれていた。

また法律は、職場での(少なくとも500時間の)職業訓練に続き、COTOREPによって認定された障害者の雇用にも特別注目している。1990年にはたったの1,100人がこのカテゴリ-に分類され、1991年にも、わずか1,000人であった。

法律は保護的就労から一般雇用に受け入れられるよう人びとを奨励することを意図したが、結果としては、残念ながら1990年は1,700人、1991年は1,600人のみが記録された。

表Fr.9 障害者の程度別区分(%)
区分 1988 1989 1990 1991 1992 1994
COTOREPの認定  A(軽度) 39.0 33.3 32.7 28.7 27.3 25.0
 B(中度) 41.0 37.7 47.6 49.9 50.5 54.0
 C(重度) 20.0 19.0 19.7 21.3 22.1 22.0
職業的障害者  IPP=10%-66.6% 96.2 97.2 96.9 96.9 97.1 98.0
 IPP=66.6%-85% 3.2 2.2 2.4 2.5 2.4 -
 IPP=>85% 0.6 0.6 0.6 0.6 0.6 -

IPP:恒久的職業障害
出典:労働・雇用・訓練省(1993),労働社会省(1996)

罰金
罰金は、雇用義務に達しなかった使用者から国庫に支払われる。これらはAGEFIPHに支払われるべき金額の25%増しである。

1994年の報告によれば、罰金を支払う責任のある事業所数は4,000を少し上まわる数で、これは、1992年の7,600と比べると1992-93年度に少し減少している。1994年には2,776の制裁が取り扱われ、1993年は2,189、1992年は1,554、1991年は1,764であった。しかしながら、一部の県による執行は相変わらず頼りないものであった。制裁による金額はほとんど変わらず、1994年は、6,930万フランであった。VelcheとRavaudは1995年に、1992年における制裁金を支払った事業所の平均額は4万2,200フランであったと記している。

監督機構
法律は、実施の監督や管理のための機構を設立した。障害者の利益擁護のための協会は、法律の監視が行き届かない場合には民事訴訟を起こし得る。行政の監督は、民間部門に、各会社が年間報告を県の雇用事務所に提出する義務を課し、また、公的部門についても、適当な上級会議に提出する義務を課した。加えて、雇用担当大臣による議会への報告書の提出によって、政治的監督も可能となる。

差別からの保護

 1990年、健康状態、障害(フランスではhandicapと呼ばれる)を原因とする差別から、個人を保護するための法律が成立した(1990年7月12日の法律第90-602号)。この法律は、出身、性別、習慣、家庭状態、民族、国籍、人種、宗派などを理由とした差別に適用される内容をまとめた従来の刑法典を修正した。差別は、これらに起因する、そして健康状態、障害を原因とする人間の間の区別として、新しい刑法典の225条の1に定義されている。

差別的な行為は刑事犯罪であり、次のような場合は、2年間の拘禁刑、及び20万フランの罰金刑につながることもある。

  1. 財物又は役務の提供を拒否すること。
  2. 何らかの経済的活動の正常な遂行を妨害すること。
  3. 人の採用を拒否し、懲罰又は解雇すること。
  4. 財物又は役務の提供に、第225-1条に掲げる要素の1を条件とすること。
  5. 雇用の提供に、第225-1条に掲げる要素の1を条件とすること。

(Waddington,1996.94ペ-ジより)

採用を拒否した場合の刑法典の適用は、第225-3条によって一部限定してあり、健康状態や障害による差別でも、その契約あるいは登録の拒否が、医学的に実証された不適格性による場合(労働事務所の医者が認めた場合のように)は、刑法の適用はされないことになっている。また、刑法典は障害に対する差別が起きた際に備えた、立証に関する規定は置いていない(Waddington,1996;Verkindt,1997)。

Verkindt(1997)によれば、1990年7月12日の法律は、HIV感染者の疎外問題に対する回答であり、立法者はHIVに苦しむ人びとのための特別な法律によってスティグマの助長を防ごうとしたのだという。彼はまた、HIV/AIDSのフランスでの流行が無ければ、健康状態に対する差別を法律が禁ずるのはもっと遅かっただろう、と述べている。

1994年以降、新刑法典は人間の尊厳を侵すことも差別として位置づけた。

効果
健康状態又は障害による差別禁止原則という立法上の意図は、象徴的なレベルで重要と考えられる(Verkindt,1997)。非常にわずかなケ-スしか法廷に持ち込まれておらず、公開された情報はない。我々のレビューを手助けするために、障害者自身の、及び障害者のための主要な団体による調査が、1996年の11月にSNAPIEによって行われた5)。法的判断例を探し出すのは大きな難問であった。たった1つ明らかにされたケ-スは、使用者が、障害を理由に障害労働者を解雇した後、1990年7月12日の法律により罰せられたことであった。そのケースは、労災被災者国民連合によって法廷に持ち込まれたものであった。ここに、訴訟行為は、社会権を押し進めるフランス的な伝統とは対照的なものであったことが示唆されている(Schmit,コミュニケ-ションによる)。

Waddingtonは、雇用差別に対するフランス型のアプローチへの批判を取り上げている。つまり、差別された者を救済する方法の欠如、被差別者が個人的にケースを法廷に告訴する機会の欠如(法律は、障害者のための団体が、裁判手続で検察官と障害者を結びつけることを認めてはいるが)、間接的な差別を禁止する法律の欠如に対する批判である。彼女はまた、ハンディキャップの概念と保護される人びとの範囲を定義する法律の欠如についても述べている。

解雇に対する保護

 差別により違法な解雇が行われた場合は、その障害者は、労働法典の下、民事訴訟を起こすことができる。障害による解雇は、特別の理由がない限り、法は損害賠償及び/又は復職の両方あるいはいずれかを認めている(Waddington,1996)。

労働者が、職務中にけがをしたり病気になったりした結果として障害を持った場合で、そのけがや病気のたために元の仕事を続けることができないときは、労働法典によって、使用者はその労働者を別の職務に就かせる義務がある。Waddington報告(1996)では、労災以外で障害を持つに至った労働者に関連する法律上の義務は無いが、障害者に別の仕事を提示するか、あるいは他の便宜を図る使用者の義務について、フランスの裁判所はますます積極的に認めるようになっていると述べている。

啓発政策

 1987年の法律及びAGEIFIPHの設立以降、関心は、障害者の雇用に対するビジネス界の態度の変化に向けられた。

AGEFIPHの「情報の普及」キャンペ-ン資金は、しばしば使用者や、使用者団体によって組織された会合、講習、コミュニケ-ション・キャンペ-ンに使用された。長期にわたる活動は、特に社長、重役たちに向けられた。労働組合連合との間で1990年に結ばれた協定は、労働組合主義者が啓発的な会合や企業内講習を行うことを可能にした。障害労働者の統合とその維持に関する実践的な方法を会社にアドバイスする、直接的な援助(臨床的なカウンセリング)もある。

一般雇用:財政的奨励

 一般雇用における財政的援助は、一般的な、また特別の職業創出のための賃金補助制度を通じて、また、AGEFIPHあるいは国家によって運営される特別の給付を通じて行われる。多くの奨励策は使用者向けのものであるが、障害者に対しても、特別な助成金ないし給付金がある。

賃金の補助金・助成金

 1982年以降、社会的不利な立場にあるグル-プの採用を進めるために、使用者に対する国家補助金の広範な制度が設けられた。対象となるグループの中に障害者を含む、多くの「就労契約」が結ばれた。このような給付は、障害を持つ人でも持たない人でも、仕事を探すのが難しい人の採用に幅広く活用されている。

雇用導入契約-CIE(contrat initiative-emploi)
1995年に導入されたこの契約は、民間部門の使用者に、公的保険拠出金の支払いを12か月又は24か月間免除する。その期間内に、総額2,000フランの給付をする。CIEがそのあとを継いだCRE(雇用復帰契約)の下では、1994年の契約の10%は障害者に対するものであった(1万9,500契約)。1995年には、CIEから1万2,000人、そしてCREから1万3,000人が利益を得た。

雇用省の県事務所は、これらの契約を管理する。障害者で受益者となるには、COTOREPに認定され、あるいは1987年の法律に該当する必要があり、失業している者でなければならない。また、就職する仕事は週16時間以上のものである必要があり、受益者の殆どは最低賃金に相当する金額の収入を得ている。

補助金は雇用の3か月後、12か月後、24か月後に分割して支払われる(それよりも契約が短期に終わる場合は契約の終了時とする。)。雇用関係の解消の際には、使用者は補助金と社会保険の免除分を返済する義務がある。CIEはAGEFIPH(障害者職業編入基金)による一括払いの統合補助金と合わせ活用し得るため、障害者を雇用する使用者に広く受け入れられている。

雇用連帯契約-CES(Contrat emploi-solidarite )
CES(雇用連帯契約又はcommnunity-work contract)は失業者の中の優先グル-プが、短期間又は非常勤の仕事を通して雇用を探すのを援助するための、一時的な統合措置である(MISEP,1996)。 契約は、地域又は公共に役立つ仕事、そして非営利的な分野における仕事でのみ締結される。1991年、障害者は優先的グループに位置付けられた。比較的多くの障害者が、このような公共雇用サ-ビスに支援されている。契約の数も、1992年の9,400から1995年の4万3,700へと増加した。CESの受益者の6%が障害者であった。

この契約は、週に20時間未満の短時間労働のためのものである。また、通常の契約期間は3か月から12か月であるが、特に就職が困難な状況の人や、障害者がその労働生活への適応に時間を要する場合は、通常24か月まで延長できる。その場合、従業員は最低賃金を支払われる。使用者への助成金は、労働者のカテゴリーにより、賃金費用の65%から100%に相当する。また、使用者は契約期間中、使用者の社会保障拠出金の支払いを免除される。

障害労働者のための所得保障
全ての障害労働者(COTOREPによって認定された障害者)は、国によって最低賃金を保障される。(収入の保障)給付は、障害のある従業員の労働能力に従って賃金を減額することを使用者に認めた規定の、積年の影響への対策として1975年に導入された。

1995年には、CATとシェルタード・ワークショップの9万6,700人に比べると、一般雇用の7,000人のみが所得保障を受けた。この施策の意図は、一般雇用において、民間部門の使用者が、生産性低減のコストを負担することなしに障害労働者の雇い入れを考慮するよう奨励することである。これは、通常、障害者が同僚からの援助、コミュニケ-ションあるいは移動上の支援など、職場での援助が必要な状況の時に適用される。請求するのは、主に地域の雇用援助チ-ムによって勧められた使用者である。

所得の保障は、雇用省の県事務所によって管理され、支払われる。1997年、一般雇用されている障害者に関する責任はAGEFIPHに移管された。補足給付に関する決定は、労働者の仕事と、障害のレベルを判定するCOTOREPの意見に基づいて裁量される。生産性のレベルは認定された障害のレベルと相互関係にあるものと考えられる。

賃金の減額(abattement de salaire)は、その労働者が中度の障害レベルの場合、通常の賃金の最大10%、重度の障害の場合は通常の賃金の最大20%である。障害あるいは健康状態の重さが、フルタイムの仕事に耐えられず、通常のリズムで労働に従事することができない場合、減額は最高50%まで許されている。この場合、受益者は通常短時間勤務で働く。また、労働者の賃金が最低賃金の130%を越える場合、このような保障は支払われない。賃金の保障の算定方法によれば、一部の労働者は、結局は、障害者ではない同僚に比べて安い賃金で雇われることを意味する。保障は労働者の生産性が増大した場合にのみ停止される。

一括払い統合助成金

 仕事に就いている障害者やその使用者に支払われる一括払いの統合助成金は、AGEFIPHによって運営されるプログラムである。助成金は、AGEFIPH本部の監督の下に、各地域の支部で管理される。障害者が週に16時間以上働く場合は、1987年の法律が適用される。

この助成金はとりわけ評判がよく、1995年には3万3,000人以上の障害労働者の採用を支援し、最初の6年間で、15万6,000人を越える人びとを支援した(AGEFIPH,1996)。この人気は、初めて障害労働者を雇用した使用者への4万フラン、従業員への3万フランという、1994年以来の高水準の助成金におおいに関係していると思われる。1995年10月には新しい制度が導入されたが、この時点までで、統合助成金はAGEFIPHの支出の80%以上を占め、それは予算の63%を占めていた(AGEFIPH,1996)。金額は、使用者について1万5,000フラン、従業員について1万フランと減額された。しかし、全ケースの70%以上は、CIEからの公的助成で補填されていた。

申請書はAGEFIPHの専門サ-ビスによって審査される。認定は裁量に任されるが、しばしば自動的に行われる。申請の却下は、主として、申請書の記入が不十分であったり、申請者が早期解雇、辞職者の場合である。

この助成金は期限のない雇用契約、あるいは少なくとも12か月の契約に対して適用されるもので、助成金のほとんどは期限のないフルタイム労働に対して支払われている。この助成金は、(雇用)維持を促進するために、最初と、契約が続行された場合は12か月後の2回に分けて支払われる。また、この助成金は、特に20人以下の小さな事業所に対して役立つものであった。3年間に、この助成金の3分の2は、6万5000人の障害者が小規模な会社へ採用される際に使用された。AGEFIPHによると、使用者のうち4人に1人は、この制度がなければ障害者を雇いはしなかっただろうと答えている。

統合助成金を受ける障害者の特徴に関する公的資料はない。しかしながら、1995年にAGEFIPHによって援助された障害者の半数が運動障害、5分の1が慢性病、そして6分の1が知覚障害を持っていたことが明らかとなっている。また、知的障害であったのはわずか8%で、精神障害者は2%だけであった。

(雇用)継続のための支援

 AGEFIPH(障害者職業編入基金)はまた、雇用継続のためにも資金を提供する。実験的に1994年に導入された措置により、障害者の登録の時期から、個別化された解決策が工夫されて職場に定着できるようになるまでの移行期の資金が提供される。

改善のための助成金

 AGEFIPHは、会社が事業所や職場を改善するためにも財政的援助をしている。助成金は、1992年法の法的規準以上に建物を改善する場合に利用できる。

1992年以降、AGEFIPHは、国から職場改善の資金提供業務を引き継いだ。そして、1996年には2,800人が職場改善による恩恵に浴した。これらのケースの70%は雇用継続と関連している。

障害者に対する給付と手当

障害年金
第1種カテゴリーの廃疾年金と就業による給与の両方を得ることは可能である。第1種カテゴリーの年金(一般的な年金制度では)は、働くことはできるが、本来の賃金の3分の1以上を稼ぐことができないと思われる人びとの、収入の損失額を補う(第2種そして第3種のカテゴリ-の年金は、全く仕事をすることができないと思われる障害者のために手当を支払う。)。全てのカテゴリーの、廃疾年金を受ける人びとの数は1980年から変わらず、43万人となっている。第1種カテゴリーの年金を受ける人の数もまた変化することなく、1993年は12万4,000人であった。第1種カテゴリーの年金の金額は、ここ10年間の平均賃金の30%としており、その平均金額は低いものである。

1987年の法律が制定されるまでは、廃疾年金受給者は、雇用に関する特別な立法が適用される障害者の中には含まれず、彼らが職を探すための措置は何もとられなかった。廃疾年金受給者は、現在は雇用率を達成するためにカウントされる。1987年の法律が、第1種カテゴリーの年金受給者の雇用上の地位に、いくらかの効果を現したことをデータは示している。雇用義務を負う会社の数は、1988年の1万5,000から、1994年の2万5,000へと増加した。法律上の全受益者の中に占める割合は、7%未満から10%へと増加した。

労働関連費用のための補償手当
障害労働者は、その障害に起因する労働関連の特別な費用のために、補償的な手当てを得ることができる。この特別障害者手当は1975年に導入された。これは、各県の社会扶助サービスによって管理され、県の社会扶助基金から支払われる。受給者は、COTOREPによって、16歳から60歳までの80%の障害を持つ重度の障害者として認められていなければならない。受給資格を得るためには、所得制限がある。

給付は、実際にかかる費用と関係しており、1ヵ月に4,424フランを最高限度とする(1996年1月)。請求者は申請書を提出しなければならず、社会扶助サ-ビスによって詳しく調べられる。その決定は裁量に任され、労働活動をする障害者が、その障害の結果、特別の出費がかかるということをCOTOREPが確認することを必要とする。

同じ制度の下で支給される介護手当とこの手当は、統計上区分されていないので、この手当の受給者についてのデータはない。生産年齢の受給者総数8万1,000人のうち、ほんのわずかが労働関連の特別費用のための補償手当を得ている。非常に制限的な条件があるため、補償手当の支給は少ないであろうと推測される。

援助と仕事へのアクセスのための助成金
AGEFIPHによる財政的援助が主に対象とするのは、求職者、学生、訓練者、実習生である。また、ボイスシンセサイザ-、拡大機、点字読み取り機、触感装置などの特別な機器を購入する際にも、援助は行われ、通訳者や、秘書などの臨時のヘルパ-に支払う手当なども、AGEFIPHは支出する。AGEFIPHはまた、住居や、車の購入、職場への適応・移動のためにも部分的に資金を提供する。このような援助は、補償手当の補足を目的とする。1995年には、5,600人の障害者がAGEFIPHのプログラムにより援助を受けた。

自営
障害者が自分の会社を設立するための助成金は、フランスではずいぶん以前から確立された措置で、戦争による障害者に長期ローンが供与されるようになった1946年から行われている。

現在の助成金制度ができたのは1981年である。COTOREPにより承認された障害者、あるいは、1987年の法律が適用される人びとは、1人1回限りのものとしてその資格を与えられる。障害の程度は問題とされない。希望者がプロジェクトを続ける能力を証明できれば、労働能力のレベルも問われない。決定はCOTOREPにより下される。希望者は、前年に職業訓練コースを終了している必要があり、推薦状の提示を求められる。また、その職を遂行するための条件を全て満たしていなければならない。助成金の給付は、18歳から45歳までに制限されている。近年のデータはないが、この給付はほとんど利用されていない。

1994年以降、AGEFIPHは、失業障害者が彼らの会社を設立することができるよう、補足的助成金の支給及び技術支援を「活動創出」プログラムの一環として行うようになった。AGEFIPHからの助成金は、国家による助成金よりも容易に得ることができる。その助成金は、5万フランの最高額まで、その計画に応じて支払われる。AGEFIPHの統計では、1995年に支出した3000の「活動創出」プロジェクトの中から、自営のためのプログラムへの援助を区分することはできない。

保護雇用

目的

 保護された環境における労働は、通常の環境においては単純、あるいは保護された仕事を持つことすらできない人びとに、生活の必要を充足することを保証する報酬を与える。また、保護的就労には2つのタイプがあり、COTOREPによって、その人の労働能力に応じてそれぞれに配属される。この2つのタイプの目的は異なる。

まず1つ目のタイプは、シェルタード・ワークショップ(AP)や、在宅就労援助センター(CDTD)で行われるもので、通常の労働能力の少なくとも3分の1に相当する能力を持つ人びとのためのものである。APは、商業企業として運営されるべき経済的生産組織である。従業員は、通常の従業員のように、法定上、行政上、契約上の規則に従わなくてはならない。これらの規則は、障害者が、通常の環境における雇用に進むことを目的とし、彼らの職業訓練を促進するやり方で障害者を働かせることができる。また、CDTDもワークショップと同じ規則に従う。彼らは会社から注文をとり、在宅の障害者に仕事を分配する。シェルタード・ワークショップにおける従業員の20%以下は、障害を持たない人びとでよい。

2つ目のタイプは就労援助センタ-(CAT)で、これは20歳以上の、一時的又は永久的障害を持つ人びと、加えて、その労働能力は3分の1以下であり、仕事への適性は十分に備えているが、その体調が通常の労働生活を持続するには適さない人びとが受け入れられている。また、CATでは、シェルタード・ワークショップや、CDTDよりもはるかに多くの人びとが保護を受けている。CATは、部分的に修正された労働条件の下で活動を提供し、労働者がシェルタード・ワークショップや、いずれは通常の労働環境における作業に従事できるように支援している。CATは生産的雇用と、こうした雇用をやりがいのあるものにするために必要な社会的支援との両方を提供する故、その支持者から評価されている。実際、これらの活動は、重度の精神的な障害を持つ人びとが労働市場から排除されるのを防ぐ、唯一の手段であろう。

ワークショップ、あるいはCATも、それぞれ少なくとも3つの異なったタイプの活動を行っており、そのため労働者は、1人1人に適した仕事を見つける機会を得ることができる。SNAPEIを含む、CATにおける活動のおよそ60%は、下請作業(包装、電子技術、自動車工業、電話修理作業)で、20%はサ-ビス(園芸業、事務所の清掃、クリーニング、装飾)、そして20%は主に農業や、食品工業などの自主生産である。

資金源

 シェルタード・ワークショップ(AP)は、地方当局、公的施設及び民間施設が設立することができる。それらは、新しい会社や、仕事を新たに生み出すために、県、地方、地域のレベルの公的援助を活用することができる。特定の補助金が、地域労働・雇用理事会(the Regional Directorates of Labourand Employment)を通して、管理・投資助成金として配分された。管理助成金の目的は、限られた職業能力を持つ労働者の、雇用からもたらされる過度の仕事負荷を補償することである。1995年には、管理助成金は1億2,960万フランであった。投資助成金は、1992年以来141%にまで増加し、1995年には1,920万フランになった。助成金の額は、1人あたり1万フランまでになった。

国によるAPの監査は1994年に行われた。1996年5月には、実験として2つの地域において、会社、AP間の商業的接点が作られた(労働・社会問題省,1996)。

CATの多くは、地元の保護者による団体によって設立されていた。保護者団体は、SNAPEIの頭字語で知られる知的障害を持つ子供の保護者のための全国団体に加えられた。中・重度の知的障害を持つ5万人の労働者が、SNAPEIに属する地元団体によって設立された500のCAT、及びワークショップにいる。その規模は30人から 80人である。CATにおける障害労働者は、法律上は労働者ではない。法的には、CATは社会サ-ビス施設であり、社会、医療社会施設を統制する規定に従っている(Samoy,1992)。すなわち、CATは会社類似の運営がされ、雇用機関に類似したものとされる。CATは国家から高額な助成金を支給されている。

表Fr.10にあるように、CATもシェルタード・ワークショップも、常にその規模は拡大している。拡大は、まだ政策目的として残されている。

保護的就労環境での賃金は、使用者から直接支払われ、その額は、同じ仕事に従事する一般従業員の3分の1以下であってはならないとされている(MISEP,1996)。また、CATの施設では、給与は生産力次第であるが、SMICの5%以下であってはならない。APでは、障害労働者への支払いはAPから直接支払われ、金額はSMICの35%以下であってはならないとされている。

表Fr.10 年次別、保護的就労の施設数と障害労働者数
CATの数 CATの労働者 シェルタード・ワークショップの数 シェルタード・ワークショップの労働者
1978 502 30,300 76 3,700
1979 568 35,000 82 4,000
1980 570 42,300 90 4,200
1981 683 46,000 98 4,500
1982 746 52,000 104 4,800
1983 876 54,000 130 5,000
1984 932 58,000 149 5,700
1985 981 60,000 170 6,200
1986 997 63,000 190 6,800
1987 1,004 65,000 215 7,300
1988 1,028 68,000 215 7,700
1989 1,052 69,000 253 8,400
1990 1,090 72,000 295 10,000
1991 - 74,700 331 10,800
1992 - 76,800 360 11,800
1993 - - 405 12,500
1994 - - 440 13,300
1995 - - 465 13,700

 AP、CAT両方の労働者は、収入が保証されており、国は生産性に基づいて支払われる賃金を補填するために、施設に助成金を支払っている。1995年、収入を保証するための国の助成金は、APで5億713万フラン、CATでは35億9,880万フランであった。また、AP、CATの労働者への年間の平均助成金は、それぞれ、3万6,000フラン、5万5,000フランであった。

従業員

 シェルタード・ワーックショップで働こうとする労働者は、まず最初にCOTPREPによって認定されなければならない。シェルタード・ワークショップに入るには、少なくとも通常の3分の1以上の労働能力を持つことを必要とされる。また、CATの場合は、3分の1以下の労働能力が必要とされる。しかしながらSamoy(1992)は、規定は、どのように労働能力が測られるべきであるかの定義、ABCの分類との関係を表していないことを指摘した。このように、COTOREPは重大な裁量権を持っている。Samoyは、精神病を患う人びとは、異なった法定上の地位を与えられて異なった扱いを受け、最低賃金の保証も受けないことを報告した。

1987年の状態を見ると、CATの利用者の、ほとんど4分の3近くが知的なハンデキャップを持ち、18%以上が、その他の精神障害を持っていた。シェルタード・ワークショップ(及びCDTD)では、35%が知的なハンデキャップを持ち(そのうち24%は軽度)、13%はその他の精神障害を、そして34%は運動障害を持っていた。また、その年にはCATの労働者の87%、そしてシェルタード・ワークショップの労働者の73%が年齢は40歳以下であった。

移行

 CATについてのあらゆる研究から、一般雇用やシェルタード・ワークショップに移ったのは利用者の1%以下であったことが分かった。Labourdetteらは、COTOREPの貧弱な指導に加えて、CATの経営、障害労働者の保護者の団体の利益の都合で、雇用への統合の成功数をできるだけ少なくするように企まれていると言っている。保護者達(SNAPEI)による全国機関のスポ-クス・パ-ソンは、最初に、提供された仕事の質、労働時間、又は労働により得る手当ての金額を熟考しない限りは、移行は勧められないこと、そして、国家にとって、援助を付けた一般雇用は保護雇用に比べて安上がりではないということを指摘した(Schmit,個人的コミュニケーション)。

1987年の法律とそれに続く命令は、人びとを保護雇用から一般雇用へ進めることをねらったもので、その結果は、1990年には1,700人、1991年には1,600人を記録した。公的団体と使用者の全国団体間での1990年11月の合意では、CATにおけるポジションの25%には、一般雇用へ進むための優先権を与えることを取り決めた(Zibri,1995)。1991年の雇用計画には、CATから一般雇用へ移行した労働者のための追跡サポ-トへの財政的援助、加えて、一般雇用を進めるために保護雇用施設へ5万フランの補助金を導入することが含まれていた。しかしながら、一般雇用における賃金補填の実行上の矛盾は問題として残っている(Zibri,1995)。

要約

 障害者のうちの特定グループを念頭に入れた雇用支援策は、第1次世界対戦後に、法律で、戦争によって障害を持った人びとの職業リハビリテーションを受ける権利を認めた時から始まる。1924年には、傷痍軍人のために、労働能力に応じて賃金を減額する原則に従った雇用率制度が導入された。職業リハビリテーションを受ける権利は、1930年に、労働災害や病気の後に職業復帰する人びとのために導入された。しかしながら、1955年までは、その権利は雇用率には含まれなかった。

1957年の法律は、公的部門、民間部門への雇用率制度を推進させ、保護雇用を規定した。またこれは、障害労働者を分類する県レベルの委員会を導入した。その後、1957年の法律は廃止され、1975年の基本法が成立した。後者は、職業指導・職業再配置専門委員会(COTOREP)に障害の承認、手当てのためのあらゆる補助金を与える権限、そして職業指導に関する権限を与えた。新たに導入されたのは、会社が保護的作業所との契約を結んだ場合の雇用義務の免除、そして、一般雇用、保護雇用における最低賃金の権利であった。1975年までに、障害者雇用政策の、現在にも残る特徴は成立した。

1975年の基本法は、全ての年齢の障害者の、教育、社会保障、建築物や労働関連事項へのアクセスを含め、社会への編入を国家義務とすることとした。1991年の法律は公共施設、作業所へのアクセスを改善させた。また、1990年には、雇用、物品やサ-ビスの取得の場での、障害者の健康あるいは障害を理由とする差別から障害者を守るために、刑法典が改正されたが、実際に裁判で争われたのはわずかであった。

1987年の、障害者の雇用を重視した法律は、戦争あるいは社会的事由による被害者への補償金の支払いを基本とした政策から、障害労働者の雇用編入のための努力を、経済活動者の義務と位置づける政策への転換を示している。この法では、20人以上の健常者を雇う公的、民間部門の使用者に、障害者のカテゴリーによって定義された雇用率を満たす義務を負わせ、義務的社会保障計画の下で障害年金を受ける人びとまでその適用範囲は拡大された。3年間の移行期で目標の率は上がり、1991年には6%になりその後も維持された。雇用率の算定は、年齢、障害の重度、あるいは障害の種類、以前の状態に応じて、従業員によっては1単位以上として考えられる。

雇用義務はまた、シェルタード・ワークショップと契約を結ぶことで満たすことができる。シェルタード・ワークショップとの契約を結ぶ民間部門の施設は年々増えており、1994年には、施設の21%が契約を交わしていた。1987年の法律がさらにめざした目的は、企業内の(労使の)両者間による協定の実施を通じて、障害者を経済分野の職業に編入させることであった。この編入のための計画が承認されると、企業は、雇用義務を満たすために別の方法を模索しないで済む。1988年以降に結ばれた協定のほとんどは、全国的な広がりのある大規模な複合企業によるものであり、1度に数年間にわたる効力を持つものであった。1994年には、1,700の企業を対象とする70の協定が成立した。

障害者を雇う代わりに、使用者は、障害労働者の雇用を進めるために新しくできた基金(AGEFIPH:障害者職業編入基金)へ任意の納付金を納めることができる。政策の意図は、経済的理由によって障害労働者の雇用を推進できない使用者に、財政的義務を果たしてもらうことである。集まった資金は、基金から目的を達成した企業に分配された。使用者が義務を満たす方法としては、どちらかというと、実際に障害者を雇う以外の代替方法を選んでいるようにみえた。1991年には、事業所の60%が障害者を雇うことなく、任意の納付金を支払っていた。1994年には、事業所の4分の3が、他の方法をとらずに義務を満たすための任意的納付金を支払った。

移行期末には、民間部門における雇用率は3.7%に達して、活動は増加し、財政的援助へのアクセスも簡単になり、また訓練は改善され、上手く機能しない訓練は廃止された。1991年には、新規採用を奨励するための「重複カウント」方式が拡大された。1993年から1994年の間には、新規採用数が増加した。

1994年に達成された雇用率は4.1%で、発表された障害雇用者の数は労働力全体の3%であった。1994年の法律が適用される8万5000の事業所のうち、36%は雇用率の目標である6%を満たすかそれを越えており、27%は目的には達しないものの何人かの障害者を雇い、そして37%は全く障害者を雇っていなかった。

公的部門は模範を示すように期待された。1990年に、国家、公共病院、地方自治団体はそれぞれ3.38%、4.8%、そして4.1%の成果を挙げた。1991年に、国家部門は0.053%の契約率を含め3.2%という雇用率を発表した。また1991年には4つの省庁が目標を越した。地方自治団体から提出された報告書は、記入が不十分で信頼できないものであった。いくつかの大きな町は年間報告書を提出する義務を拒否し、また、従業員の一部を障害者として識別する行為に反対する意見もいくつかよせられた。

多くの組織が政策とサ-ビスの提供に関わっている。労働・雇用・職業訓練省の雇用局は政策へ提言し、全国雇用機関(ANPE)と成人職業訓練協会(AFPA)を管理している。ANPEは障害者の職業紹介のために専門家を配置しているが、この機関が県レベルで行う障害者のための指導と訓練サ-ビスは、1994年に再編、調整された。

県レベルにおけるCOTOREPは、障害者として認めた者を一般雇用や保護雇用へ向けるよう、指導、訓練及び職業紹介を行う。COTOREPによる認定数は、1987年から1995年の間に2倍になった。COTOREPは1994年に再編成された。ANPEとCOTOREPとの共同活動としては、およそ100の、雇用、再雇用を求める障害者の指導のための専門員による「準備・追跡チ-ム」と、30の新しく設立された「編入と就職のための機関」がある。全国レベルの障害者団体の多くは、ANPEとの協定同意により、援助や職業紹介に対して重要な役割を果たしている。近年の、先行的な計画による地方レベルでの調整活動は、就職の数を増やす結果となった。

訓練は、一般の訓練施設と、職業リハビリテ-ションのための公的センター及び民間センタ-の両方で提供されるが、一般の訓練機会を活用することがより強調されるようになっている。AGEFIPHは、AFPAとの協定に基づき、今や訓練に対して大きな資金提供者となっている。

人びとは、彼らが要求する給付とサービスとの関係で、異なる基準に従って障害者と分類される。労働法典は、障害者を、身体的、精神的能力の不足あるいは減退により、通常の雇用における就職、あるいは保持が制限される場合のあるもの、と定義する。

障害者雇用のために特に設定された助成金・補助金のある部分は雇用事務所から提供されるが、その他にもAGEFIPHから提供されるものもある。AGEFIPHによって再配分される基金はアクセスや職場継続を目的としたものであるが、研究、態度変化、訓練、そして職場での障害者支援にも利用される。AGEFIPHは現在、COTOREPが認定した労働者のための職場改善の援助のための支援を進めている。AGEFIPHが行うもので、1987年法で定められた統合表彰は、新規採用者とその雇用主に適用される。

COPTOREPにより障害者として認定され、その生産力が減少している者に対する財政的な保証は、使用者から支払われる賃金への補給という形でなされ、これは主にシェルタード・ワークショップで適用される。障害者は、公的雇用の中では優先性を与えられたグル-プである。雇用導入契約(CIE)は、特定の失業者を雇用する使用者に、毎月同じ金額の助成金を支払う制度である。1994年には、この助成金の10%が障害者に関するものであった。障害者の受益者の数は1992年以来増え続けてきている。公的、非営利部門での臨時的な短時間労働の雇用連帯契約(CES)の利用は、さらに大きかった。

COTOREPは、2種類の保護的就労のうちの1つを提供している。シェルタード・ワークショップと在宅就労のための配送センタ-は、労働能力が通常の3分の1以上の人びとのために活動している。これらは、営利企業として運営されなければならない生産機関である。ここの労働の仕方は、通常の環境における雇用への移動を促進するためのものである。労働能力が3分の1以下で、通常の労働生活を維持できない条件にある人びとのための機関が就労援助センタ-(CAT)である。労働条件は変更されており、CATは多額の援助を受けて運営されている。これらは会社のように活動しているが、社会的サ-ビス機関であり、利用者は労働法上の労働者ではない。

これらは発展し、1992年のCATにおいては7万6800人が、そして、1995年のシェルタード・ワークショップにおいて1万3700人の労働者が推定された。シェルタード・ワークショップの数は1988年以来2倍になり、従業員の数も80%増加した。シェルタード・ワークショップに対するの国の監査は1994年に始まった。1996年には、2つの地域で、シェルタード・ワークショップと企業との商業的接点の試み行われている。

CATのおよそ4分の3の利用者は知的障害を持ち、5分の1以上が精神障害を持つ。シェルタード・ワークショップでは、3分の1が知的障害を持ち(そのうち3分の2は軽度)、3分の1が運動機能障害を持つ。一般雇用への移行は少ないものであった。移行を奨励する政策としては、就労者のための追跡サポ-ト、一般雇用を推進する保護雇用施設への補助金があった。雇用の中での別な形態による策の効果は明らかではない。

障害者は労働への需要の減少と、深刻な失業問題によって打撃を受けた。求職障害者数の増加は全体の求職者数の増加よりも率は高い。1995年12月に、12万人の障害者が職を求めてANPEに登録していた。

  1. この他にあげられる3カテゴリーとして、軍役中のけが・疾病によって死亡した者の妻、遺児、及び年金有資格者がある。4つめに、戦時の従軍に起因する精神異常のために入院している年金有資格の退役者の妻がある。これらに属する数はいずれも退役軍人群に含められる。ボランタリーの消防夫で行動中に受傷した者もカバーされる。

  2. 雇用義務の初期の達成状況データは議会への政府報告書(1992;1993)から取った。

  3. 1995年には4.22パーセントに上昇した。

  4. これに該当すると想定される合計人数は、法定目標数の半数を超えないであろう。公共部門では、達成数の算出に当たって、最初は、下請額を公務員の最低年間給与額で割るという算定方式で行った(1989年6月1日のDecree no.89-355)。民間部門では、下請に出した業務を処理するのに要すると想定される人数をカウントすることが認められた(1988年1月22日のDecree no.87-76)。その後の命令(1992年11月5日のno.92-1192)ではこれらをもっと簡素化している。

  5. この調査を行ったMadame Marie-Jose Schmittに感謝する。

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主題:
18カ国における障害者雇用政策:レビュー No.4

発行者:
ヨーク大学社会政策研究所 1997

発行年月:
1997

文献に関する問い合わせ先:
Publications Office Social Policy Research Unit University of York Heslington York YO15DD UK
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