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ヨーク大学
SPRU

18カ国における障害者雇用政策
:レビュー No.6

パトリシア・ソーントン、ネイル・ラント

ヨーク大学社会政策研究所

Patricia Thornton and Neil Lunt
Social Policy Research Unit
University of York

ILO                                  HELIOS

ギリシャ

政策と制度的情況

障害者政策と立法

 障害者援助に関する国の責任を最初に定めたのは、1975年の憲法である。国内には社会的問題に直面しているとか、常にニードを感じている人びとがいるが、憲法第21条と25条で、それらの人びとの社会的権利について明確に認めている。1979年には、障害者の職業リハビリテーションと住宅に関する法律(法963)と、健康ケア法(法1000)の2つの法律が、国の援助範囲とそのための機関の役割について規定をした。1980年代には、関心の焦点が個人の障害(「障害者」という用語は軽蔑的であると見なされている)から個人の特別なニーズへと移された。そのため、1986年の雇用の保護に関する法1648では「特別なニーズのある人」と表現している。

障害者雇用政策と立法

 雇用についての規定は憲法の第22条(1)に次のように記述されている。

労働は権利であり、全市民の完全雇用のための条件づくりを目指して国家が行う全ての保護を享受する・・・
労働する全ての者は、性別あるいは他のどのような差異にも関係なく、同一労働同一賃金の権利を持つ。

ギリシャの法的アプローチの特徴は、ギリシャが批准した国際条約を自動的に国内法へ取り込むことである(憲法第28条(1)による)。したがって、当該の国際条約より以前からある国内法、あるいは国際条約の結果としてできた国内法が条約と異なる規定を持つということはない。ギリシャが批准した1983年の ILO 第159号条約は、そのまま1985年の法1556に取り込まれている。 

ギリシャは、障害者の雇用に関する1992年の OECD 調査(OECD,1992)の評価委員会メンバーとして報告をしているが、その中で以下のように述べている。
職業訓練と雇用の分野で希求されている政策は2つの原則―すなわち、機会均等、お よび、障害者は国の社会的経済的発展に貢献できるしまたしなければならないという  確信―にリンクしている。

特定の障害者の雇用に関する法律が現れたのは1948年の法751で、戦争から戻った復員軍人の雇用を目的としたものであった。1979年以前は、公共部門での障害者雇用は禁じられていたのである。障害者の職業リハビリテーションと訓練に関する最初の法律(1979年の法963)は、メインストリーム目的の人的資源雇用機関(National Manpower Employment Organisation(OAED))が、職業指導、職業紹介及び職業訓練の役割をとると規定した。法は、障害者を公共部門での雇用から排除するという方向を反転させ、最初の割当雇用制度を公共部門に導入した。

1979年の前述の法律とそれに基づく1982年の労働大臣の決定により、OAED は障害者を採用している企業が必要とする技術上の転換に対して助成金を支給することができ、また、労働省は障害のある労働者の賃金の一部を補助することができることになった。これらは共に裁量に基づくものであり、OAED が認可するかどうかで決まるものであった。1982年の法1262によっても、従業員が主として障害者である新規事業体に対する助成金が支払可能である。さらに、政令(Ministerial decrees)により、障害者雇用に対する補助金、職場の改善費の一部負担もできることになった。

1979年法の中心項目は職業訓練で、これによりギリシャ全土で37カ所の職業訓練センターが開設された(Seyfried and Lambert,1989)。障害のある労働者のリハビリテーションをスピードアップすることを目指したセンターやワークショップの建設について、実質的な役割を果たしたのは1982年法であった(Vogel-Polsky,1984)。

1985年の法(法1568)は、職業上の健康と安全に貢献した。しかし、障害者の雇用政策に関する OECD 調査(OECD,1992)に対するギリシャの報告では、職業上の事故や疾病による障害者のリハビリテーションのためのインフラは不十分であると述べられている。

割当雇用制度は、1986年の法1648によって改正され民間部門へも拡大された。この法律は、身体的又は精神的な何らかの永続する損傷又は欠損によってもたらされた職業活動能力の制約があって、特別なニーズを持つ15才から65才までの人を対象にしている。割当雇用制度は、これらの特別なニーズを持つ人だけでなく、その他のグループにも適用される。割当率は1991年の法30965によって改訂された。1994年の改訂後は、失業している障害者として OEAD の登録リストにある者で、40%以上の障害があると評価された者だけに法が適用されることになった。1995年には、雇用主が法に従わない場合の罰則が導入された。

1987年法(法1735)と1989年法(法1836)も、雇用と職業訓練に関係している。後者の法律はシェルタード・ワークショップの創設についての規定をしているが、この法律を執行するための政令(decrees)は出ていない。これについて OAED は、1995年に、計画途中であると報告している。1995年の法律は、職業訓練サービスと職業紹介サービスの密接な関連、調整を増進する方向のものである。

法制の周知と、障害者雇用に対する態度の改善が、OAED の主要な課題である。社会が敏感に感じ取れるようになるための情報、キャンペーンが、雇用主、障害者、及び一般公衆を目標として行われてきている。

ある程度(障害についての)無知が残っており、障害が隠されている。障害者の雇用に関する調査を通じて、家族は、世間体を考えて家族の中に障害者がいるということを公にしたがらないことがわかった(OAED,1993;Orfanidis,1995に引用)。このような態度が、失業障害者としての登録意欲に影響している(Orfanidis,1995)。

社会保障と雇用
障害給付(invalidity benefit)は、障害者が、稼得収入のある非障害者と等しい収入を確保するためのものである。保健省(Ministry of Health)から障害の種類と障害者のカテゴリーに応じて出す各種の給付は、就労後も引き続き支給される。障害年金は、退職者年金の最低額の80%を越えない範囲で、賃金に加えて支払われる。両下肢マヒ者や盲人のような特定の障害者の場合には、一定年数の就労あるいは社会保障への払い込みがあれば、早期退職者年金を受けることができる。

1990年の法1902によって給付の額と資格が変更され、障害給付のための障害程度を、重度(80%)、普通(66.6%)、部分的(50%)の3段階に区分することになった(MISSOC,1992)。

政策策定と実施

 雇用に関する国家政策の計画、適用を行う主要機関は OAED である。ここの管理運営は、国家経済省(Ministry of National Economy)、労働省、被用者団体、雇用主団体、スタッフの各代表者、及び2人の専門家によって構成される理事会が行う(MISEP,1995)。

OAED の活動分野には以下のものが含まれる。

  • 雇用事務所を通じて労働力の需要と供給の仲立をする(matching)こと
  • 失業給付、家族手当の支払いをすることと、社会保障給付の一部負担をすること
  • 特別サービスを通じた職業指導をすること
  • 所管の訓練センターで職業訓練を提供すること
  • 若年者の見習い訓練のスーパーバイズをすること
  • 雇用主に対する補助金を通じて、雇用されることが難しいグループ向けの新しい仕事創設に資金を供給すること
  • 特別に設置したオフィスでの特別の対策をとおして、障害者の職業リハビリテーションの責任をはたすこと

(MISEP,1995)。

調整
リハビリテーション政策全体の調整に欠けていたことが発展の妨げとなっていたという認識は、1984年まで遡ることができる。Seyfried と Lambert(1989)は、1984年の ILO の報告書を引用して、当時は6つの政府省庁が責任を分担しており、少なくとも36の民間団体が障害者援助の領域で活動していたと述べている。

1989年の法1836では、OAED という1つの組織が訓練と雇用を調整すべきであるとしている。このねらいは、個々のサービス提供者へ継続的な情報を流すこと、及び、公的機関と民間機関の協力を得ることである。

社会的パートナーと障害者団体の関与
雇用と職業訓練に関する1989年の法1836は、労働省の監督下に、雇用及び職業訓練国家審議会(Natinal Council on the Employment and Vocational Training(ESEKA))を設置した。この審議会は、国家レベルでの職業訓練と雇用の方向を提案し、そのためのプログラムを実施する団体を調整し、これらの諸活動が国の開発プログラムに沿うよう総合的な指揮をとるのである(MISEP,1995)。この審議会には、関係分野の各省庁、労働者、雇用主の各代表者に加え、障害者の代表者も加わるよう期待されたが、これは実現していない。

障害者団体の関与は、政策の作成あるいは調整面でよりも現場での方が明らかである。障害者団体の代表者は、障害者のための全ての公的センターの運営に役割を担っている。また、割当雇用システムを運営する諸委員会の仕事にも障害者団体の代表者が関わっている(EC,1988;OECD,1992)。親の会は、知的障害者のために、また、増加しつつある専門的サービス提供者のために活発なロビー活動をしてきている。

障害の定義

 1986年の法1648(改正法)は、雇用問題を目的とした定義として、15才から65才までの人で、永続する身体的、精神的あるいは心理的な疾病あるいは損傷のために職業活動が限定される可能性があって、40%以上の障害がある者として OAED の失業障害者登録にリストされた者、としている。

その後の、1990年の保健・社会省命令(order of Ministry of Health and Social Affairs)では、障害者と考えられる人びとを、「重度の移動上の損傷、精神病、視覚的損傷、重度で慢性的な疾病によって、精神的、身体的あるいは心理的な能力が低減しており、そのため、生産活動を目的とする職業訓練に全くついていけないか、ついていけても困難を伴う者、及び、上記の事実があるために活発な社会生活に参加できない者」と定義している。この命令はまた、法の目的は、能力が一定レベル低減していて特別なニーズを持つ人全てを保護するのではなく、「病気あるいは重大な能力不全の故に、平均的市民と比較した場合の不利益を実際に経験しており、一般労働市場で職を見つけることが不可能に近く困難な者」を保護することであるとも述べている。法の第10条によって設置されている第二次委員会(a commission of second degree)は、25%未満の能力不全(invalidity)の者には法は適用されないと規定している(Drossos,1995)。

最近の動き(1996年の法2430)は、 障害者カード(損傷の程度によって一時的又は恒久的なもの)が作られたことである。労働大臣及び社会大臣は、共同して資格基準の定義づけを行うことになっている。

統計

 MISEP(1995)によると、1993年の労働年齢人口(14歳以上)は849万1,620人、総就労者は411万8,379人で、実就労率は48.5%であった。失業者は39万8,200人にのぼり、9.7%であった。OAED への失業者登録数は、1993年に17万5,885人、1994年に17万9,525人であった。

Grammenos(1991)は、障害者に関するあるデータを示している。彼は、保健・保険・社会保障省(Ministry of Health, Insurance and Social Security)が1970年(1990年に出版) に行った、身体的、精神的ハンディキャップのある者に関する全国調査を引用している。調査では、総人口の1.5%、13万5,000人と推定しているが、調査手法上の理由があり、また、人は「スティグマ汚名」を心配して申告したがらないものだという理由から、この推定値は低すぎるのではないかとしている。Grammenos(1995)は、この調査は知的障害を持つ者を含めたギリシャで最初の調査であって、その数を1万7,900人と推定していると紹介している。また、Grammenos(1995)は、60歳未満の障害者で「障害に関連する援助を受けている者」の総数を24万6,200人と計算している。

雇用コミュニティ主導ギリシャ実行プログラム概要(Employment Community Initiative Summary Operational Programme for Greece)(EC,1995)によると、 総人口の8%ほどの人が身体的障害、又は知的障害、あるいは精神衛生上の問題を持っている。

表Gr.1 新規登録及び再登録の失業障害者数
登録(再登録)者数
1986 1,908
1987 1,988
1988 2,678
1989 2,199
1990 1,908
1991 1,905
1992 2,392

再登録には当該年度の新規登録を含む。
出典:Grammenos,1995,表26

雇用されている障害者に関する統計で利用できるものはない。OAED が1993年に行った調査では、ギリシャ全土で4,265人の失業障害者を数えている。しかし、雇用率をあげるようにとの1995年の提案では、大臣は、総労働力人口の10%は何らかの障害を持つと考えていることが示唆されている(Orfanidis,1995)。

Grammenos(1995)は、OAED の失業者登録リスト中にある登録(又は再登録)障害者数に関するもので、OAED から出された資料であるが、以前には未出版であったものを示している。示された数値は表Gr.1のとおりである。

1992年には、新規登録1,805人、再登録587人で、全体の約60%は男性であった(Grammenos,1995)。

1992年に OECD へ出したギリシャの報告書は、EC(1988)へ提出するために作成した効果に関する情報の繰り返しであるが、OAED への全登録者8,000人中の25%が雇用されており、15%が訓練コースに方向づけられたという。これより新しいデータは出されていない。このように、登録者数が失業している障害者数の適切な指標とはならないことは明らかである。例えば、大アテネ地域内には100万人の労働力人口がいると推定されるが、登録された障害者数はたったの1,889人である(Orfanidis,1995)。 

雇用支援サービス

関連組織

 1979年以来、雇用支援サービスは OAED が提供してきている。OAED は、関連施策の促進、監督及び実施のために職業リハビリテーション部門(department)を設置した。障害者の職業紹介サービスは、当初、メインストリームサービスの一部として設定されたが、現在は、一般労働市場へ障害者を就職させるための特別事務所が6カ所ある。そのいずれにも、職業関連の援助をするソーシャルワーカーが置かれている。

OAED は、1994年までリハビリテーションと職業訓練を提供する公的機関、民間機関に財政的援助を行ってきたが、現在は、OAED 自身が設置し監督する特定の職業訓練センターに限定している。1995年からは、全ての職業訓練及び雇用プログラムがOAED を通じて組織されるようになったことから、独立した民間の団体に対して情報提供をするための一貫した政策が求められている。親の会(例えば PEGAP-NY)のようなボランティア団体が、施設ベースで、職業前指導及び訓練、保護雇用の場を提供する提供者として成長しつつある。

HELIOS Ⅱ を通じて、障害者の訓練と雇用に関しての機会均等、有効な実践を目指すための戦略を作り出す努力がなされてきている。1995年の法2307では、OAED の役割としての調整機能が再度強調され、また、職業紹介に責任を持つ地方政府内のチームは OAED に協力しなければならないとされた。

OAED の障害者雇用プログラム予算は、1993年の2億5千万ドラクマ、1994年の3億ドラクマから、1995年には8億ドラクマへと増加している(MISEP,1995)。

教育省は、障害者向けの特殊教育と、第一段階(小学校)、第二段階(中学校)の職業訓練を提供している。全国で、200カ所の第一段階センターが運営されており、5,000人弱の知的障害者が在籍している。一方、1996年末に運営されていた第二段階職業訓練センターは2カ所だけであった(PEGAP-NY,個人的情報)。

社会保健福祉省(Ministry of Social Health and Welfare)は、主として知的障害者を対象として職業訓練センター内で行うプログラムに関して、親の会や民間法人(Private Law Legal Persons)をスーパーバイズする。

資格と評価

 OAED による職業紹介に先立って、障害者は次のような認定を受けていなければならない。すなわち、OAED に求職者として登録する前に、保健行政機関から発行された特別な証明書で、職業活動の能力があるとの確認がされているということである。その証明書には、疾病あるいは損傷についての詳細な記載がされている。以前から設定されている障害分類には問題があるため、現在は、40%以上の障害がある者だけが OAED に登録できることになっている。

訓練

障害者に対する職業訓練は、OAED が運営している通常の職業訓練コースの中で提供されている。また、障害者向けの民間職業訓練施設もある。

SeyfriedとLambert(1989)は、知的障害者と精神科的問題を持つ者の訓練機会は極めて限られていることを見出している。彼らは、施設の訓練活動と労働市場の実状とが合っていない、また、訓練職種と障害者の就労希望とが合っていないと述べている。彼らが実状調査をした時点では訓練指導職員の水準が低く、適切な訓練指導員を国外から探す必要があるとも述べている。しかし、職業紹介サービス、リハビリテーション、訓練施設間の密接な協力がされてきたことにより、地域内の労働市場と関連づけた新しい訓練コースが成長してきている。

今後の成長には、労働市場のニードに応じた特定職種の訓練とか、遠隔学習や OJT といった新しい訓練形式等が含まれるべきである。さらに、訓練生や家族に対する心理社会的支援も成長すべき分野である。

指導と職業紹介

 OAED の指導及び職業紹介活動は、6カ所の職業リハビリテーション事務所(occupational rehabilitation offices)で行われる。これらの事務所では、雇用主と障害者に対して法的な方策を周知させ、障害者の就職を奨励し、また、障害者に対して職業訓練についてのアドバイスをする。さらに、OAED の地方事務所では、特別に障害者に関するプログラムを担当する係員を配置している。

Grammenos(1995)は、割当雇用の恩恵を受けたものを除き、OAED が一般就職させた障害者数につて、OAED から送られた従来未公開のデータを提供している。Grammenos(1995)は、得られた情報によると、雇用義務によって就職した者は非常に少ないと述べている。このデータから作った数を表GR.2に示す。

表Gr.2 OAEDによる一般就職(割当雇用以外)
年度 就職件数
1986 491
1987 589
1988 709
1989 584
1990 586
1991 403
1992 352

出典:Grammenos,1995,表26

Seyfried と Lambert(1989)は、OAED の職業紹介サービスについてコメントしている。彼らは、職業紹介の担当者には、障害者問題に対する感受性を高める訓練が必要だということを見出している。一方、平均以上の障害者雇用をしている会社においては、著しい進歩があったとも述べている。また、リハビリテーション施設も、そこの訓練受講者を一般就職させることに成功している。身体的な障害者の場合には比較的うまくいっているいるようであったが、適切な住環境の不足が妨害要因であった。OAED による知的障害者の就職は希であった。知的障害者に対する援助とリハビリテーションを専門としている民間施設では、訓練生のために一般の職場の中で適切な就職先を見つける際に、自分たちの職員を動員していた。

Orfanidis(1995)は、雇用主への公式な接触のために、また、雇用主と障害求職者との橋渡しのために OAED が拠り所としているシステムでは、雇用主と障害者との直接的接触は抑制されていると述べている。彼が行った雇用主の態度、実践についての調査では、障害者の就職のほとんどは、個人的な推薦と直接応募を通じて生じたものであった。

一旦雇用された者に対しての継続的援助の施策はあまりない。OAED の基本的責任は、雇用を必要としている障害者に対してである。一旦雇用された障害者についてのフォローアップ情報はない。雇用主に対する財政援助が終了した後の継続サービスが困難であることは、Seyfried と Lambert(1989)の報告に記されている。

一般雇用:法的義務と権利

 障害者雇用に関して雇用主が負う唯一の法的義務は、割当雇用と雇用の留保の2種の強制雇用である。

強制雇用

 1986年の法1648は、この法律で指定する対象者群に関しての強制雇用規定を改正し、公共部門及び民間部門ともに、50人を超える従業員を持つ雇用主に義務を拡大した。しかし、最初に、障害者はこの法律で保護される7種の特定グループの内の1つに過ぎないということを理解しておくことが重要である。1986年法は、全体としては、兵士、戦争犠牲者、障害者及びその他の特別なニーズを持つ人たちの保護のための法律として知られている。さらに、雇用割当率を満たす際には、兵士と戦争犠牲者は、障害者とその他の特別なニーズを持つ人たちより優先されている。これらの2つの主要カテゴリの人たちを対象とした雇用割当率は、1991年の政令(5月14日の政令30965)により特別なニーズを持つ人たちにも適用するよう改められたが、優先順位は変っていない。

第1条は、この法律で保護される7つのグループを以下のように述べている。

  1. 以下の軍人経験があって障害者となっている者;1940年10月から1950年12月までの戦争(第二次世界大戦と市民戦争)、朝鮮戦争(1951年から1955年)、キプロス戦争 (1974年夏)において、ギリシャ陸軍、防衛軍の一員として戦った者、及び、ドイツの侵略(1941年から1944年)に対してギリシャレジスタンスのメンバーとして戦った者。
  2. 戦闘期間中(1940-1944)に、ギリシャ陸軍の一員として少なくとも6カ月間を過ごした者、及び、その期間中に合計24カ月間以上兵役に就いていた者。
  3. ギリシャレジスタンスの一員として少なくとも12カ月間活動した者。
  4. これらの戦争で戦った者の子供と配偶者。
  5. 職業への統合のための能力が制約されている15才から65才までの障害者。これには、身体的、知的あるいは精神科的障害のいずれかがあって、OAED に障害者として登録されている者が含まれる。
  6. 重度の精神的又は心身症的トラブルを原因とする67%以上の障害度に該当する障害者の、両親又は兄弟、姉妹。
  7. フルタイムの教育を受けている子供が5人以上いる両親。

 しかし、次のものは例外とされる(第1条(5))。

  • 盲人と両下肢マヒ者は別として、公共部門あるいは社会保険機関から年金を受給している者で、IKA(主要社会保険機関)が認める年金の最低額以上の受給者。
  • 政治的に受容されない者(ナチ協力者、過去の独裁者、キプロスの正当政府を転覆しようと試みた者及び政治的権利を喪失している者)。

 この法律はこれらの7つの受益者グループを、2つの大カテゴリに分けて扱っている。第一のカテゴリには1から4のグループが入っている。第二カテゴリは5から7のグループで、登録障害者及びその他の特別なニーズのある者である。

割当雇用は、公共部門か民間部門かを問わず、短期契約者以外の従業員が50人以上の、ギリシャ国内で運営されている全ての組織に適用される。

1991年の法30965により、民間会社と公共福祉組織は、法でカテゴリ1(グループ1から4の者)とされる者に職位の2%を、カテゴリ2(登録障害者と特別なニーズのある者)とされる者に5%を配分しなければならない。この場合、2%の雇用率を先に満たさねばならない。結局、法で保護する者によって占められるべき率は合計7%である。1994年の法2224では、上記の組織は、被用者の2%は特別なニーズのある者、1%は重度障害者を扶養する者(グループ6)を雇用しなければならないと規定している。

1986年の法では、公共部門と地方政府内に生じた新しい職位を埋める場合には、追加の雇用率義務(すなわち、5%は法の適用資格のある者で占められなければならない)を適用するとしている(第3条(2))。公共部門での新規職員採用を規定する1987年の法1735では、「公共部門の空席職位の5%は障害者のために留保されなければならない」としている。公共部門での雇用施策が適用されるのは21歳から45歳の者に対してのみである。

1986年の法1648の第8条により、障害者の雇用は常に委員会によって決定されなければならない。

割当雇用義務が完全に満たされるか、部分的にかは、知事、州の首長及び政治的指定職者(a political appointee)の判断によって異なることがある。財政的な理由によって企業が人を雇用し続けられない時には、企業でも同様な判断が下される場合がある。この場合は、州の首長は、解雇の場合に適用する基準によって判断する(障害の程度、家族の状態等)(第2条(5))。

留保職種

 銀行、公共部門及び地方政府機関では、特定の補助的な職種については空席の一定割合がこの法律によって保護されている人たちのために留保されなければならない。指定されている職種は、メッセンジャー、夜警、清掃人、受付と庭園職である。これらの職のそれぞれにおいて、5つの空席につき1つはこの法律による有資格者を充てなければならない。

公職の法律家3人のポジションのうち1人はこの法律の保護下にある人で埋めなければならない、ただし、特定分野の法律家は除外される。

1986年法の強制雇用規定の下で、受益資格として1つだけ選び出されている障害カテゴリは盲である。銀行、公共部門及び地方機関では、電話交換手の空席の80%は資格のある視覚障害者を採用しなければならない(第2条(6a))。1987年の法1735では、公共部門の電話交換手の空席全てを盲人のために留保することになっていたが、その後の1994年の法2224で空席の80%と変更されたのである。このような職に就いた人には12%の付加収入が与えられ、また、20年間勤務すると、その後は年金(full pennsion)を貰って退職することができる(欧州盲人連盟(European Blind Union),1989)。

遵守状況
Drossos(1995)は、1990年に狭い定義づけが導入されたが、それは、1986年法の規定の誤用を通じて公共部門での雇用が恒常的に増加することをくい止めようと意図したものだったと観察している。同じ理由で、その法を軽度障害者には適用しないという規定も導入されている。

強制雇用制の下でも、雇用の機会は多くの要因によって制約されている。登録障害者としての資格の枠は最近、障害程度が40%にまで広げられたが、登録は低レベルに止まっている。さらに、ギリシャの経済には、自営と中小企業が高率であること、短期契約被用が増加傾向にあるという特徴がある。賃金労働者は労働人口の半分にすぎず、ギリシャ企業の80%以上が従業員10人未満である。

1995年の改正法137は、法の要求に従わない雇用主に対する罰金制を導入した。しかし、最近まで、罰金その他、強制雇用規則の強制はされていない。どのくらい多くの雇用主が知事からの免除措置を求めたかは不明である。EC 報告書(EC,1988)によると、この法律の対象になる雇用主は、従業員の状況について県に年次報告書を提出するように求められているが、この求めが満たされているかどうかについての情報は入手できていない。割当雇用制度は、障害者組織を含む県レベルの委員会によって監視されている。したがって、これらが実際機能しているかどうかについての情報はない。

割当雇用制度には強制手段はないが、民間企業が割当雇用義務に見合う数の障害者を採用した場合には、OAED は、1人あたり1日1,700ドラクマを1年間助成金として支払うことができる。

雇用に対する権利

 解雇に対する保護については、障害者は非障害者と同等の扱いを受ける資格がある。しかし、割当雇用制度内での解雇は特別な法律で管理されており、企業が人を雇い続けることができないかどうかは州知事が判断を下す。

1987年の法1735は、公共部門での採用に関係している。この法では、障害のある応募者が空席のある職に必要な資格を持っている場合は、障害を支障要因と見なしてはならないと規定している。しかし、例外が1つあって、小中学校の教員の場合には盲という障害が仕事の支障要因とみなされる。平等な扱いを保証するために、障害者は公共部門の雇用に関して年齢制限は受けない。盲人、聴覚障害者あるいは地中海貧血症(サラセミア)にかかっている人は、試験なしで大学に入学できる(EC,1988)。

一般雇用:財政的施策

雇用主への援助

 1979年以降の各種法律と政令によって、雇用主は財政的援助を受けられるようになっている。この援助には2種類あり、新規採用の障害のある労働者のための短期補助と、人間工学的な改造あるいは建物の改築費用の一部助成である。1995年には、一時払いの統合助成金(a lump-sum integration grant)が導入された。

補助金
OAED は、労働市場への参入上の困難を持っている人びとのために新しい職を創出する雇用主に対して、助成金を出す法的権限を持っている。最近の2年プログラムで強調されているのは、学校や職業訓練施設からの新卒者を採用する企業への援助である。また、労働市場へ新規参入する、あるいは再参入する女性のための特別プログラムや、失業率が特に高い地域のための特別プログラムもある。1992年と1993年の受益者数は、それぞれ2万2,649人、2万0,543人である。

障害者を採用する雇用主のための特別な助成金制度もある(1986年の法1648と1992年の法2026に定められた)。この制度では、総雇用期間が30カ月以上の雇用主に対して、最初の12カ月間は1日5,000ドラクマ、続く12カ月間は1日3,000ドラクマを提供する。この助成金総額は特典を与えられる他のカテゴリー集団に対するものに匹敵し、支給期間はより長い。その他に、パートタイム労働者を採用した場合に1日あたり3,000ドラクマを24カ月間支給する補助金もある。

さらに、失業していた障害者を採用する際に、その障害者のニーズに応じた作業環境を整備して提供する場合には、雇用主は最高25万ドラクマまでの援助を受けることができる。1987年には、職位創出プログラムにより、200人の障害者に対して最高12万ドラクマまでの職場再設計への支出が用意された(InforMISEP,18,June1987)。

表Gr.3 障害者を採用する雇用主への助成金の受益者数
人数
1992 352
1993 478
1994 444

出典:MISEP,1995

1987年の職位創出プログラムは、1,600人の障害者に対する新しい職位のために資金を支出した。1988年には、このプログラムによって、25才までの障害者に450、26才以上の人には950の新しい職が12カ月間提供された。雇用主には、さらに少なくとも6カ月以上従業員を雇用しておくことが求められた(InforMISEP,21,Spring1988)。

統合助成金
1995年には一時払い助成金が導入された。これによる15万ドラクマの助成金は、従業員が自分の仕事を学習するための適応期間の費用をカバーする意図のものである。

優良雇用主の認証
省は、承認状、公の表彰あるいは小額の賞金を授与することによって、障害者の雇用を推進する団体を承認していることを公に示すことができる(1986年法第5条(4))。さらに、雇用割当率を満たす民間部門の企業に対しては、OAED が助成金を支給する。

効果
アテネ地域にある51社の調査(Orfanidis,1995)によると、障害者を雇用している企業では、援助や改造に対しての補助金制度や助成金制度に関して、3分の2の企業は補助金制度を知っており、半数は助成金制度を知ってはいたが、ほとんどの企業は利用していなかった。Seyfried と Lambert(1989年)は、補助金期間が一旦過ぎてしまうと、その後は、雇用主は短期間しか障害者雇用の義務を負わないというのが補助金プログラムの弱点であると考えている。

従業員への援助

 労働省の法的見解として、1986年法によって保護されているかどうかにかかわらず、障害のある労働者には6日間の有給休暇が付加的に認められるというものがある。1987年には、休日はさらに5日間追加されている。しかし実際には、労働契約では通常より多い休日は提供されていない。

自営
ギリシャの労働力の約半分は自営である。1982年の地域開発に関する法1260により、障害者が自費で事業を起こす場合には相当な財政援助がなされる。障害者の自営奨励プログラムは、通常の雇用創出プログラムと並行して、初めて自営をしようと考えている個人を対象に実施されている。

認められる金額は120万から190万ドラクマである。
運用で優先されるのは以下の者である。

  • 60%以上の障害者
  • 相当な訓練と経験を持つ者
  • 事業立ち上げが低額でできる
  • 失業率が高い地域
  • 女性

 同じ援助金を、会員数14人までの協同組合(cooperatives)や従業員4人までの小規模事業所に出すという制度もある。

また、若年の障害者が製造業、貿易又は商業で自営業を起こすのを援助するために、90万ドラクマを出すというプログラムもある(MISEP,1995)。

保護雇用

 雇用及び職業訓練に関する法律(1989年の法1836)はシェルタード・ワークショップの設立を規定しているが、これまでのところ、この法律を実施するための政令、シェルタード・ワークショップを法的に認可し補助金を承認する政令はない。現在、労働市場、保健及び社会当局は共同して、ギリシャでは生産的特別センターとして知られているシェルタード・ワークショップの、制度的枠組みについて計画している(PEKE)。財源は国家予算から提供されるに違いない。

この目的は、職業紹介システムの中で優先権を与えられていない重度障害者の就職ニーズに応え、職業訓練センターでの訓練を終えても一般雇用で就職できない人に就労機会を創出することである。さらに、閉鎖的な施設から出始めた人たちからの新しい需要もある。OAED は知的障害や精神科的障害を持つ人びとにとっての適切な就労機会が欠けていることを認めており、シェルタード・ワークショップの設立は前進の1つの手段と見ている。

何人かの人は、施設としての枠組みがないにもかかわらず、民間のシェルタード・ワークショップ又は準シェルタード・ワークショップが多数あると報告している。Vogel-Polsky(1984)は1980年代初めの状況について記述している中で、「ボランティア協会あるいはギリシャ正教会(Orthodox Church)が運営している閉鎖的ワークショップと呼ばれるところで、数多くの障害者が働いている」と報告している。Samoy(1992)は、職業センター(そのほとんどが職業訓練センターと連結している。)について記述し、そこがワークショップの1形態として機能していると述べている。いくつかのワークショップは、親の会が始めたもので自助志向の取組みである。1996年の情報では、約50の協会が、2,500人の知的障害者に対して非公式な保護的就労の機会を提供している(PEGAP-NY communication)。

協同組合

 Seyfried と Lambert(1989)は、知的障害者と身体障害者のための計画的農業協同組合(a planned agricultural co-operative)に関して報告し、また、慢性精神病患者の訓練、職業リハビリテーション、インテグレーションをねらいとした協同組合が徐々に成長しているという CEFEC からの報告(Newsletter 1/4,1993)を紹介している。

将来の発展

 OAED は、こうした就労を選択すると思われる特別のニーズを持つ人や、一般の労働市場へ統合できない人びとのための生産ワークショップ、協同組合、及び社会雇用()といった、保護又は準保護雇用におけるよりフレキシブルな職業制度に期待している。

要約

 障害者援助に関する国の責任は1975年の憲法で定められ、それに続いて、職業リハビリテーションと住宅及び健康ケアについての法律ができた。1980年代には、強調点が障害から特別なニーズへと移った。職業訓練と雇用の分野に関する政策は、機会均等主義と「障害者は国の社会的経済的発展に貢献できるし、また、しなければならないという確信」にリンクしている。

障害者の雇用に対する法制は、1979年から1989年の間に発展した。ギリシャの法的アプローチの特徴は、批准された国際条約の国内法への取り込みである。ILO 条約159は、1985年に法として取り入れられた。初期の法律は、職業訓練に焦点を置き、職業訓練センターの設置と、障害のある労働者のリハビリテーションをスピードアップするための新しいセンターとワークショップの設立に結びついた。強制雇用は1979年に導入され、1986年に民間部門に拡大された。その他の法的手段により、技術的な転換と賃金補助のための裁量に基づく補助金への道も開かれた。

政策の一貫性とサービスの調整が長期的な問題であった。1979年以降、メインストリーム目的の人的資源雇用機関(OAED)が障害者の職業指導、訓練及び職業紹介を監督してきた。OAED は現在、障害者の職業指導と職業紹介を専門とする事務所を6カ所持っている。この他に、一般の雇用事務所でも障害者はサービスを受けることができる。1994年まで、OAED はリハビリテーションと訓練を提供する民間機関への財政的援助を行ってきたが、現在はOAED 自身の職業訓練センターの財政負担と、個々のサービス提供者に対する情報提供の調整を目的とするようになっている。OAED の調整機能は、1995年には法的に強化された。

1986年法では、「特別なニードのある人たち」として、「15才から65才までの、身体的、精神的あるいは心理的な恒久的損傷あるいは不全のために職業活動能力が限定されている人たち」も含められる。OAED の職業紹介サービスの恩恵を受けるには、障害者は、職業活動を行えると確認されており、求職者として登録されていると認められなけらばならない。現在は、40%以上の障害のある人たちだけが登録できる。登録者数は少ない。

強制雇用制度には、割当雇用制度と留保雇用がある。障害者は1986年法で保護されている7グループの内の1グループにすぎない。ギリシャ陸軍に参加し、いくつかの戦争で障害を受けた人たち、軍隊かレジスタンスで長期間働いた人たち(障害の有無に関係なく)、及び、これらのグループの人の子供と配偶者、これらが一緒になって、割当雇用義務の最初の2%に優先的に当てられる。次の3%は、登録障害者、重度障害者を扶養する人、フルタイムの教育を受けている子供を5人以上かかえる両親に当てられる。この割当雇用義務は、ギリシャ内で運営される50人を超える従業員がいる全ての組織に適用される。これらの組織は、仕事のうち合計7%をこの法律で保護されている人たちでうめなければならない。1995年には、法を尊重しない雇用主に対する行政罰則が導入された。

追加義務は、公共部門での空席への採用に関連している。銀行、公共部門及び地方政府機関では、指定された補助的職種の空席のうちの一定割合をこの法の下の障害者に留保しなければならない。公職の法律家の4人に1人はこの法律の保護下にある人でなければならない(訳注:前では3人に1人とされている)。さらに、銀行と公共部門では、電話交換手の空席は全て(現在は80%)を盲人でうなければならない。

強制雇用法の有効性は分かっていない。しかし、労働人口の約半数が自営で、企業の80%以上が従業員数10人以下であることを考えると、成果は限定されていそうである。最近まで、この強制に従わないことに対しての罰金はなかった。また、州知事に例外を認める余地を与えている。割当雇用制度は、障害者組織を含む委員会が州レベルで監督している。障害者は特殊な状況では、この割当雇用制度の下で知事の判断で解雇されることがあり得る。

OAED による雇用主に対する財政的援助には、短期補助金と建物の改造費に対する助成金とがある。障害のある被用者向けの財政援助はないようにみえるが、1982年の法では、自営を始めようとする障害者に対する財政支援を位置づけた。

1989年法は、シェルタード・ワークショップの創設を規定した。現在、労働市場と保健・社会的ケア当局とで、最初のワークショップに向けて制度的な枠組みを計画中である。この目的は、職業紹介システムでは優先権のない重度障害者の失業ニーズに応え、職業訓練センターの卒業者に雇用機会を作り出そうとするものである。また、閉鎖的な施設から退所する人たちのニーズも徐々に大きく認識されてきている。法的枠組み外では、すでにいくつかのワークショップが存在しており、その多くは親の会が運営している。

1993年の労働年齢人口は850万人で、活動率は48.5%であった。雇用されている障害者についての公式の統計はなく、また、OAED に失業者として登録されている数字は失業状態のよい指標といえない。障害者数についてのデータも限定されている。

注記

 この、1993年版からの改訂は、1988年以降の発展状況に関して HELIOS Ⅱへ提出したギリシャ語で書かれた改訂報告に基づき、若干の補足的別資料によって補完したものである。OAED からのコメントと追加的資料はこの印刷までには未着である。  

アイルランド

政策と制度的情況

障害者施策と立法

アイルランド政府は、国際障害者年に応えて障害者に対するサービスについて青書を1984年に発表した(保健省:Department of Health,1984)。この青書「完全な生活に向けて(Towards a full life)」は、障害者が生活の全ての領域に参加するのを可能にする方策についての論議を促すためのものであった。諸施策は本質的な変更よりも漸進主義的アプローチで決定され、政府の特定の省庁や機関の利益を反映する傾向にあった。しかし、ここ数年間、サービスの提供に変化が見られ、障害者の地位について強調されるようになった(Whyte,1994)。Quinn(1995)によれば、「アイルランドの障害者施策は、障害者の人権や公民権を高め、奨励すると言うよりも幾ばくかの援助を提供する旧来の温情主義的なものであった。」しかしながら、1993年以来の展開は、劇的な変化をもたらしている。

新しい連合政府は、1993年に平等・法改正省を創設した。この目的の1つは、障害者の権利を高めることであった。平等・法改正大臣は、その年の12月に障害者地位委員会を創設した。この委員会の報告書(フラッド報告書:The Flood Report)が1996年12月に発表された。1996-97年には障害者地位評議会が設立され、法的に平等な処遇について多くの提議がなされた。

アイルランドにおける障害者施策の方針や原則の変更は、障害者地位委員会の報告書(1996)で示されている。この委員会に付託された役割は、「障害者がその可能性を最大限に発揮し、経済的、社会的、文化的生活に参加する権利を行使するのに必要な実際的な施策について政府に助言すること」である。法律、政策、実施、組織を変えるのに必要な勧告を行うことがその課題であった。この委員会は、雇用や訓練、所得維持、保健、支援サービス、法律を含む広範な分野で障壁と改善の方途を調査した。その主な原則は、平等な地位、権利、可能性の最大限な発揮、統合と参加、自己決定であった。重要な特徴として、障害者あるいはその家族、介護者の60パーセントが参加したことであった。

この委員会の委員長Flood判事は、もしこの報告書を実施するとすれば、満たされた、充実した生活を望む障害者に立ちはだかる障壁の除去に取り組む平等の戦略にならなければならないと考えた。この報告書は、法律、住宅、雇用や訓練、所得、保健の範囲を含む402項目の勧告からなっている。この報告書は、広範かつ詳細な改革を提案した。この勧告は、憲法に沿って平等についての一般的な原則を導き出したという点で、大変重要である。この次には、公的機関や民間団体、雇用主、教育者に妥当な環境整備をする障害者法が作られることになろう。

この報告の前提や障害の位置付けは、その改善を目的とした戦略的具体的な提案と同様に大変重要である。障害に対する態度がどのように変わってきたか、障害が医学的問題としてではなく社会的問題と見なければならないこと、なぜ慈善よりも権利や平等の概念が中心となるかを、この報告は示した。この委員会は、また、障害者組織の育成、そして障害者評議会の設立、平等と法改正省の開設に注意を向けた。

合同モニタリング委員会が勧告実施のモニターに着手した。そして、この報告に応えて政府の行動計画を準備するために、各省合同の作業部会が設置された。この障害者地位委員会の答申は、障害者とその家族を対象とした将来の政府施策の礎石となるであろう。

障害者雇用政策

 障害者雇用政策は漸次発展してきた。ごく最近まで、アイルランドの政策の基本方針は、雇用主の説得や財政的なインセンティブを用いて、障害者の一般雇用機会を民間企業において促進することであった(Whyte,1994)。

割当雇用制度は、1970年代後半に公的機関で導入されたが、法的な制度に基づいたものではなかった(Quinn,1995)。この割当雇用制度を民間企業に広げるべきかどうか1980年代から1990年代にかけて論議された。1981年から1983年の終わりにかけて、ポーター、ドアマン、メッセンジャー、掃除夫のような仕事が障害者に優先的に割り当てられた。その後、この施策は、再度実施されることはなかった。1981年から1982年に中央政府において、事務職員、タイピスト、速記タイピスト、製図者等200人を募集するために、障害者について特別な調査が行われた(Vogel-Polsky)。

訓練や雇用での機会均等についての障害者の権利は、伝統的に法律に特別の条項が無かった。1984年の青書(Department of Health,1984)は、障害者の雇用を促進するための法的処置の利点と欠点を簡潔に論じた。そして、障害者の権利は、強制よりも同意による方が最大限達成されると結論づけた。しかしながら、1996年と1997年に平等雇用と平等地位法(Employment Equality and Equal Status Bills)が導入されたことで、法的措置はアイルランドにおける現在の変化の最も重要な分野の1つである。

アイルランド内で課題となっている障害と雇用をめぐっていくつかの政策提案がなされており、将来の政策がより一貫性のある、より対等なアプローチとなるように試みられている(障害者地位委員会,1996)。保護的な訓練や作業の再調査、そして、全国リハビリテーション委員会(NRB:National Rehabilitation Board)が実施する雇用支援制度の研究、この全国リハビリテーション委員会とアイルランドビジネス・雇用主連合(IBEC:Irish Business and Employers Confederation)による障害者の募集と雇用についての雇用主の経験の調査を含めて、現在の規定について多くの見直しや評価がなされている。このような動きに沿って、特に、援助付き雇用や社会企業(Social Firm)のような新しいサービスが開発されてきている。

全国経済社会フォーラム(NESF)は障害と雇用政策についての討論に貢献している。このフォーラムは、経済や社会政策についての広範な全国的なコンセンサス作りに寄与するために1993年に政府によって設立された。これは、障害者を含む利害関係グループはもちろん、政府、野党、関係団体も代表している。このフォーラムは、平等検証問題(Equality Proofing Issues,1996)を報告し、平等な政策決定と実施及び平等な検証過程において障害の複雑な性質に特別の注意が向けられなければならないと述べた。そして、政府主導による障害者のアクセス統合について国民の啓蒙を含むいくつかのイニシアチブが示唆された。このフォーラムは、また、雇用における障害者の統合について法的な規定の必要性を認めた。特に、

  • 採用や昇格に関する雇用の慣行で、個人や特定のグループに対する差別があってはならない。
  • 職場はもとより生産や作業過程に障害者がアクセスできるように雇用主は、積極的な行動をとるべきである。

 障害者の雇用機会については、政府が関係団体と取り決めた全てのプログラムで考慮されている。すなわち、1987年の全国回復プログラム(Programme for National Recovery)、1991年の経済社会発展プログラム(Programme for Economic and Social Progress)、1994年の競争と労働プログラム(Programme for Competitiveness and Work)、1997年1月に始まったパートナーシップ2000(Partnership 2000)においてである。競争と労働プログラム(1994)は、アイルランドにおける障害者の雇用施策が限られていることを認め、公共機関における3パーセントの割当雇用制度の継続的モニタリング、雇用平等法の改正、平等な地位法の導入、成長が見込めるビジネスプロジェクトにおける障害者雇用のためのパイロット・プログラムへの余分な資金提供などを含む多くの提案をしている。

現在の全国パートナーシップ3年協定、統合・雇用・競争のためのパートナーシップ2000(Partnership 2000 for Inclusion, Employment and Competitiveness)では、障害者施策で合意に至るためにFlood報告の勧告や枠組みを考慮している。

  • 障害者の雇用施策を統合し、企業雇用省と保健省の機能割振りを再考すること
  • 行政サービスよりも範囲の広い公共サービスにおいて3パーセント雇用目標に見合った活動をすること
  • 民間企業雇用に関する全国リハビリテーション委員ン会の雇用支援制度への参加人員、及び職場や設備の改造に対する補助金の増加を図ること
  • 保護雇用をさらに500人分増やすと共に、保護的就労規定内に雇用の実施要綱を含めること
  • 統合した障害者訓練コースを1,000個所開設すること
  • 十分にアクセス可能な新しい公共交通の提案と移動手当の見直し

政策決定と実施

 1970年の保健法に基づいて、保健省が障害者のケア、医学的リハビリテーション、ガイダンス、訓練、作業療法に対して全面的に責任を持つこととなった。1970年保健法の68章により、地域保健事務所が障害者への職業リハビリテーション・サービス提供の責任を持ち、さらに、その提供は、保健大臣が資金提供する全国リハビリテーション委員会に委託されている。公共サービスの割当雇用モニターの責任は、総理部経済社会政策部にある。

1967年に設立された全国リハビリテーション委員会は、専門家のサービスを直接提供し、情報を提供し、障害に関する資源やアクセスな環境について助言し、訓練や環境についての基準や指針を用意している。その事項には、次のことが含まれている。

  • 訓練や雇用における障害者の職業指導と職業紹介
  • 職業訓練プログラムの標準設定と訓練センターの認定
  • ヨーロッパ社会基金(European Social Fund:ESF)が一部資金提供している障害者訓練との調整

 全国リハビリテーション委員会は、また、職場や設備改造、職業面接時の通訳を含む特別の援助や補助金を提供し、障害者のためのジョブクラブを組織している。

この全国リハビリテーション委員会は、政府の担当部及び障害者や訓練機関を代表している組織を加えた関係機関からなる全国訓練雇用諮問委員会(National Advisory Committee on Training and Employment:NACTE)を設立した。この全国訓練雇用諮問委員会は、障害者の訓練や教育に関する問題について全国リハビリテーション委員会の理事会に助言を行う。

障害者地位委員会は、平等と法改正省が国の障害者政策と連携するように勧告した。同委員会は、また、経済的、社会的、文化的、政治的権利や公民権を確保するために、障害者への公共政策やサービスのインパクトをモニターして平等と法改正省に報告する。執行部門である国家障害庁(National Disability Authority)の設立を示唆した。同委員会はまた、全国リハビリテーション委員会の役割をその事業に照らして再調査し、障害者の職業訓練と雇用の全体的な責任は企業雇用省に負わせるべきである、と考えている。

障害者団体
アイルランドにおける全ての障害者の意見を調整・代表し、重要な問題に付いて意見を聞くことができる障害者評議会が設立されたのは、最近の発展である。これは代表の三層システム、すなわち、障害者(身体、感覚、精神、知的障害)、両親・配偶者・親族、並びに、サービス提供者とは別の、障害当事者団体である。この障害者評議会は、弱く無視されがちなグループ、都市部や農村部のグループ、男女比も均衡したバランスの取れた代表を目指している。

障害の定義

 アイルランドにおいて障害者は、当該者のノーマル(年齢、性、社会的・文化的要素で異なる)な役割の遂行を制限する、あるいは、妨げる機能障害あるいは能力障害の結果不利益を被る人と見なされている(EC,1988)。

障害者地位委員会は、障害者を次のように定義している。すなわち、「身体的、感覚的、知的、精神的な困難のために経済的、社会的、政治的な生活に参加する能力に何らかの制限を経験する児童及び成人である。」

1996年の雇用平等法に示された定義によれば、「障害」とは、

  1. 身体の一部欠損を含む身体機能あるいは精神機能の全部又は一部の喪失、あるいは、
  2. 慢性疾患あるいは病気の原因になる、あるいは、原因になると思われる細菌が身体にあること、あるいは、
  3. 身体の一部の機能不全、形成不全あるいは醜痕、あるいは、
  4. ある状態あるいは機能不全で、その結果、そのような状態あるいは機能不全にない人とは異なった学習をする人、あるいは、
  5. 人の思考過程、現実の知覚、情緒や判断に影響をあたえる、あるいは、混乱した行動の原因となる状態、病気、疾患である。

 そして、現在ある、あるいは、過去にはあったが現在はない、あるいは、将来可能性のある、あるいは、その人が負わされている障害は含めるようにしなければならない。

統計

 1995年現在、全アイルランドで雇用されている者は123万3,600人、雇用されていない者は19万人であった(MISEP,1996)。Grammenos(1995)は、1986年のアイルランド国勢調査から慢性疾患や障害によって労働能力のない成人を総計8万1,200人とした。毎年行われている労働力面接調査では、慢性疾患や障害によって労働能力のない成人が上記の年で6万3,500人、1992年で6万9,000人とより低い数値が示されている(Grammenos,1995)。

雇用されている障害者

 Kerr(1995)は、アイルランドで雇用されていない障害者と雇用されている障害者を明確に区分するのがいかに困難であるかを述べている。雇用されていない障害者が70~80パーセントと言われるので、雇用されていない障害者は15万人と推定される。

障害者数についての総合的な統計が不足しているので、政策の開発やニーズに基づいたサービス、サービスの供給や評価に活用することができない(ESFPEU,1995)。同様に、Whyte(1994)によれば、「目下アイルランドで創設が求められている援助付き雇用あるいは保護雇用を計画し、施策策定の基礎となる障害者数の有効な情報が利用できない」としている。障害者地位委員会は、公式統計の不足に注意を向け、この空白を埋めるための調査を勧告している。

雇用支援サービス

 このサービスは、伝統的に全国リハビリテーション委員会が用意する専門家によって提供されてきた。しかし、最近では、障害者は訓練・雇用機関(Training and Employment Authority:FAS)が組織する一般サービスの利用を奨励されている。

一般のアセスメントと訓練、職業紹介

 一般のプログラムが障害者のニードをどの程度満たすことができるかについては論議のあるところであるが、障害者は一般の訓練施設の利用を求めている(EC,1988)。障害者が一般の訓練や設備を利用した記録はない(Whyte,1994)。一般の職業訓練プログラムは、職業紹介により重点を置いて、障害者が最大限にアクセスできるようにし、新しく考案された、柔軟な訓練が求められているとの主張がなされている(ESFPEU,1995)。Whyte (1994)は、さらにオン・ザ・ジョブ・トレーニングへの移行とさまざまな援助付き雇用モデルの形で統合した雇用訓練が求められていると述べている。

訓練場所に関して、訓練雇用機関が組織する一般の訓練センターでは障害者受け入れについての最低目標も設定されていない(MISEP,1992)。

障害者の労働人口への統合を進める多くの制度やインセンチブにもかかわらず、障害者参加の信頼できる統計指標は必ずしも利用できない。障害者が利用できる訓練雇用機関の一般の訓練雇用計画には、次のものが含まれている。すなわち、コミュニティ企業開発プログラム(Community Enterprise Development Programme)、コミュニティ・ワークショップ(Community Workshops)、コミュニティ青年訓練プログラム(Community Youth Training Programme)、社会雇用制度(Social Employment Scheme)、チームワーク(Teamwork)、企業プログラム(Enterprise Programme)である。しかしながら、Kerr(1995)が述べているように、訓練雇用機関のプログラムへの障害者の参加は限られている。訓練雇用機関や全国リハビリテーション委員会は、最近障害者に全国見習い制度(National Apprenticeship Scheme)への申請奨励を通知し始めている(NRB,1995a)。

保健省によると、労働経験プログラムや職場自習のような方策は、雇用主の障害者雇用を奨励するために、また、新しい仕事に慣れさせるために一般雇用ででもしばしば用いられている。これらについての財政措置は、後半でのべる。

専門評価、訓練、職業紹介

 専門の評価、指導、訓練は、全国リハビリテーション委員会の責任である。全国リハビリテーション委員会の1995年の報告(NRB,1995a)は、いくらかのデーターを提供している。このデーターによると、3,300人の障害者が全国リハビリテーション委員会の職業指導サービスを利用している。

1995年には、760人の障害者が、訓練生に専門訓練機会へのアクセス提供を目的とした基本的技能を付与する、国庫金による訓練機会プログラム(Training Opportunity Programme:TOP)を利用した。ヨーロッパ社会基金(European Social Fund:ESF)は、特別訓練センターに障害者のための約2,000訓練定員を資金援助した。訓練を修了した約2,000人のうち、320人程度がより高度の訓練や教育に進んだ。

1995年に、全国リハビリテーション委員会は、雇用支援制度(Employment Support Scheme)を通じて314人の就職を支援し、また、700人が訓練を終え、一般雇用や保護雇用、援助付き雇用に就くのを支援した。それに加え、320人が訓練を修了した。さらに、全国リハビリテーション委員会の職業紹介により420人が直接雇用され、550人が一般の訓練雇用機関のコミュニティ雇用制度に参加するために全国リハビリテーション委員会に登録している。全国リハビリテーション委員会が交渉して、訓練雇用機関のコミュニティ雇用制度や他の労働プログラムが利用しやすくなったので、社会福祉省の障害報酬の受給者に有益であった言われている。

専門訓練の成果については証拠があまりない。ヨーロッパ社会基金が資金提供したり、全国リハビリテーション委員会が用意した訓練についての調査は、訓練修了後、一般雇用よりも保護雇用あるいは援助付き雇用で雇用される傾向にあることを示している。仕事に関する結果については、一般雇用に紹介される割合が全体的に低いことで一致している。しかしながら、この報告は、障害者に対するヨーロッパ社会基金訓練のインパクトを明確に測定することが現在できないと結論づけている(ESFPEU,1995)。

専門訓練への参加に要する資金について、いくらか懸念がある。つまり、「訓練に参加する障害者は、適切な訓練手当が支払われるべきであり、彼らの二次的な給付も保持すべきである。ヨーロッパ社会基金と同額出資による訓練は、もっぱら障害に関連する収入がある人びとを集めることに依存すべきではない。(ESFPEU,1995,para7.42)」

障害者への訓練やリハビリテーション・サービスの提供にボランティアや非政府組織が拘ってきた長い伝統がある。障害者のためのほとんどの訓練センターやコミュニティ・ワークショップは、ボランティア団体や法人格のない団体によって運営されてきた。これら全ての団体は、保健事務所から資金援助を受けている(下記のシェルタード・ワークショップ参照)。

援助付き雇用

 アイルランドでは援助付き雇用が広がってきている。援助付き雇用の数は少数で、多分200以下と言われている。援助付き雇用連合(Union of Supported Employment)が行う調査によって、数や規定が詳細に調べられ、促進・普及すべき良好な実践例が示される予定である。

一般雇用:法的義務と権利

割当雇用

 欧州委員会(EC)報告(1988)によると、公共事業における割当雇用制度は、1977年に導入された。この規定に基づいて、重度の障害の故に仕事に就くことが困難な人は、公共部門に雇用されることができる。その雇用率は3パーセントに設定され、受益者は全国リハビリテーション委員会に登録しなければならない。

1995年10月1日現在の政府職員総数は、2万7,375人であった。総理府に属している障害者雇用モニター委員会(Monitoring Committee on Employment of People with Disabilities)が実施した調査結果が議会への文書回答として報告された。この障害者雇用モニター委員会は、公共部門の労働組合と管理者から構成されている。1995年末の公共部門における障害者の雇用率は全体として1.49パーセントであることが示された。公務部門では1995年末には3パーセントの雇用率は達成されたが、政府の各省で凸凹があった。総理府自体は9.7パーセントのレベルであったが観光貿易省は1パーセントにすぎなかったと、Kerr(1995)は述べている。パートナーシップ2000(1996)は、全ての保健事務所の上級行政官そして地方自治体、公的機関に責任を移すこと、障害者雇用の適切な記録の管理、公務部門と同じような実施要綱の導入など、広範囲の公共部門でのこの目標達成を確保するために取られるべき方策を簡略に示している。

この割当雇用は、公共部門にだけ適用される。割当雇用の民間部門への導入に関して、青書(Department of Health,1984)は、「政府は民間企業の雇用主に一定数の障害のある労働者を雇用する義務を負わせることは現時点では望ましいとは考えていない」と判断を下した。しかしながら、この文書は、時間の経過で状況の見直しを約束しており、将来の法制化の可能性を排除しているわけではない。1993年のパートナーシップ政府のためのプログラム(Programme for Partnership Government)は、割当雇用制度の法制化について十分考慮に入れている(Kerr,1995)。割当雇用制度の拡大には、関係業界が同意しないという問題がある。アイルランド労働組合会議(Irish Congree of Trade Union)の代表は、任意の対策とイニシアチブについて述べ、存在する問題の1つは、「考えられている対策の裏にある野心と責務の任意的性質である。いくつかの障壁は、任意的なアプローチでは克服できないであろう」と書いている(Carely,1996)。3パーセントの割当て雇用の民間部門への拡大は、事業主組織であるアイルランドビジネス・雇用主連合(IBEC)がかなり強力に反対すると、この代表は忠告している。このアイルランドビジネス・雇用主連合(IBEC,1995)は、障害者地位委員会での意見陳述において、強制的な割当雇用の実施や障害者の雇用数を増加させるために雇用主に不自然な義務を負わせることに反対した。

障害者地位委員会の報告は、民間部門へ割当雇用をすぐに拡大することを推奨していない。そのかわり、公共部門は3パーセントの割当雇用を3年以内に、公的資金を受けている全ての組織は8パーセントを4年以内に達成すべきであると勧告した。さらに、どのような契約を与える場合でも国とその機関は、割当雇用や”障害に肯定的な”プログラム(下記参照)に応じている商品やサービス供給者を優先すべきであるとした。民間部門には割当雇用は適用されていないが、3年後には見直されることとなっている。

権利をベースとした法律提案

1977年の雇用平等法を広げるための方策として、1996年に雇用平等法案が提出された。この法案は、障害を含む9の分野1)での雇用差別を扱うこと、雇用差別に関する現存の全ての法律を廃止することが目的であった。提案された法案は、公民両部門の従業員と共に、雇用や訓練の申込者も対象とするものである。

この法案によれば、平等査察官の法定事務所が、この平等査察官や法廷が随意に仲裁や調査が行えるように労働関係委員会(Labour Relations Commission)内に設置された。もし、平等査察官が差別が行われたことを知れば、次のことを命じることができる。

  • 平等な賃金のケースであれば、その前3年間、平等な賃金とその最大の差額金の支払い
  • 他のケースの場合、平等な処遇と補償金として最大2年間の賃金を支払うこと(あるい は、その人が従業員でなければ£10,000の支払)。解雇の処罰は、罰金と補償金であった。

 この法案は、もし、障害のない人に比べて能力が限られている人の場合、特定の仕事に通常よりも低い報酬を支払うのを雇用主に認めている。雇用主は、もしそうすることで過度の困難が生じない限りは、障害者のために特別の処遇や設備を用意しなければならない。妥当な環境整備や必須の要件の概念は、この法案には入っておらず、その点は障害者地位委員会の提案とは違っている。この法案は、1997年の初め国会審議の予定である。

政府は、1996年の会期に教育や物品、設備、サービスの提供について多くのグループの差別を禁止する平等地位法案の発表を予定していた。

障害者地位委員会は、雇用平等法案も平等地位法案も批判している。この雇用平等法案は、「妥当な環境整備」と障害の適切な定義を含むべきであると考えられている。

啓発政策

 法的な処置とともに、雇用主の態度を変え、障害のある労働者の能力を認めさせることを目的とした自発的な活動もある。関係機関や団体は、政策の総合的アプローチにおいて自発的な活動の重要な役割を認識している。たとえば、競争と労働のプログラム(Programme for Competitiveness and Work,1994)は、障害者雇用モニター委員会がどのように障害者の地位を特に民間部門で高め、見直すか概要を示した。そして、パートナーシップ2000(1996)は、昇進キャンペーンや補助金計画に雇用主団体の積極的な支援があることを述べた。

同様に、全国経済社会フォーラム(NESF,1996)は、労働人口の中に障害のある労働者の数を増やすための諸活動を提案した。この中には政府が行った障害者のアクセスと統合に関する国民の啓蒙も含まれている。

好実践規範

 欧州委員会(EC)の議会勧告から持ち上がったことであるが、労使共同委員会、政府の代表、全国リハビリテーション委員会、障害者団体、企業の経営者と労働組合は、特に会社を対象とした勧告を含む障害者雇用規範を定めた(EC,1988)。好雇用実践規範は、新たに障害者となった従業員は同じ会社で継続雇用されるべきであるとしている(EC,1988)。

アイルランド労働組合会議は、雇用に関する18の基本的な権利を一部含む障害者の権利宣言を出した(ICTU,1990)。

政府は、プログラム遂行の一部として大蔵省から公務部門における障害者雇用の実践規範(Code of Practice for the Employment of People with Disabilities in the Civil Service,1994)を公にした。この実践規範は、各省及び職員に対して雇用手引きの提供を目的とし、障害者が不利益を被らないように手段を講じるための指針を示し、障害に伴って生じる特別な要求に見合った適切な努力を行うことを提唱している。次のことは、これらの目的を達成する助けとなる。

  • 公務員委員会(Civil Service Commission)が障害者の応募を奨励すること
  • 公務員委員会が必要とされる特別の用具や設備を用意する十分な努力を行うこと
  • 面接委員会は障害理解についてあらかじめ簡単な説明を受けること
  • 個々人の職場変更について討論を行うこと
  • 業務分掌と訓練へのアクセスに注意が払われること

 すでに述べたように、パートナーシップ2000(1996)は、より広範囲な公共サービス部門において同様の実践規範を用意し、積極的に推進するための計画を明らかにしている。

障害に肯定的

 全国リハビリテーション委員会が提唱する「障害に肯定的(Positive to Disability)」は1996年に始まった。諸団体は、「障害に肯定的」のロゴを広告や他の文書に使用する権利を得るために、全国リハビリテーション委員会がリストで示す要件を満たさなければならない。したがって、この団体は、職場において機会均等の方針を取らなければならないし、次のことも実施しなければならない。

  • 障害者の応募を認めること
  • 障害についての質問は肯定的な機会均等化の状況でなされるように保証すること。
  • 仕事に必要な要件を満たす障害のある応募者が選考過程の第二段階に進むことを保証すること
  • 障害のある応募者のニードの充足を促進すること
  • 訓練や昇格への平等な機会を保証すること
  • 障害者になった職員の雇用継続の努力をすること
  • 障害の啓発活動を行うこと
  • 進捗状況を再調査すること

 12の会社に1996年5月までにこのシンボルが与えられた。全国リハビリテーション委員会が作った雇用主用資料には、次のように記載されている。「機会均等は事業のためにも良いことである。職場に最も役に立つ人びとを補充することで、補充と訓練のコストを削減し、モラルを高め、消費者との関係を改善することができる(NRB,1996)。」パートナーシップ2000(1996)は、このシンボルの推進キャンペーンが雇用主団体の積極的な支援のもとに着手されるであろうと述べている。

一般雇用:財政的奨励

 これには、助成金や補助金が雇用主に支払われる専門家・メインストリーム助成金制度、また、労働適応補助金制度がある。障害のある従業員に直接支払われる補助金もある。働くための励みとなる、あるいはまったく逆に作用する社会福祉給付金の役割がさらに精緻に吟味されている。

雇用支援制度

 政府は1990年6月に障害者の雇用機会を拡大するために新しいプログラムである雇用支援制度(Employment Support Scheme)を導入した。このプログラムは、50~80パーセントの労働生産性があると評価された障害者が障害のない人と一緒に働くことができるようにするために考えられた。雇用主は、仕事を提供し、通常の比率で給料を支払う。国は(全国リハビリテーション委員会を通じて)作業を評価し、不足額を補うために補助金から残りのサラリーを支払う。この制度から利益を受けている人は、医療券や交通券のような年間に受けている他の給付金も継続することができる。

この制度は、社会福祉給付金を受給している障害者にも広げられた結果、これを利用する人が増えた。1995年7月~12月の間に314人がこの制度を利用したが、それは、1994年よりも25パーセント増である。約100万アイルランドポンドが全国リハビリテーション委員会を通じて雇用主に支払われた。この制度の対象となる人を新たに雇用した雇用主は、訓練雇用庁の「就職と職場(Jobstart and Workplace)」補助金制度の対象ともなり得る。

「就職と職場」

 一般の人を対象とした全国訓練雇用庁が運営する「就職と職場」制度は、雇用創設の支援を目的にしている。これは雇用補助金制度に置き換えられている。

「就職」は、3年以上雇用されていなかった人を採用した場合、52週間80アイルランドポンドの補助金を雇用主に提供するものである。全国リハビリテーション委員会が紹介した障害者もまた(ジプシーと同様)適格者である。フルタイムの仕事にだけ利用できるこの補助金は、3回の分割払いで総額が支払われる。

「職場」は、6ヶ月以上雇用されていない人、あるいは、全国リハビリテーション委員会に登録されている人(あるいは、ジプシーのメンバーである人)のために考えられた5週間の試行労働プログラムである。参加者は、通常の社会福祉給付金の受給を継続できるし、移動や食事への支出に一律週15アイルランドポンドの支払いを受ける。後者は、雇用主が支払い、訓練雇用機関が補填する。

職場/機器改造助成金

 この制度は、職場あるいは建物の改造を必要とする障害者を雇用しようとする雇用主の支援を目的にしている。5,000アイルランドポンドまでの助成金が職場を改造したり、あるいは、障害のある従業員が必要とする特別の機器を用意するために利用できる。助成金の対象となる改造には、車椅子使用者のためのスロープ、トイレの改造、視覚障害のあるコンピュータ・オペレータのための合成音声装置、たとえば手の代わりに足を用いることのできる機器の改造が含まれている。

当初、この制度の下で支払われる助成金の件数は少なかった。1993年3月中旬までに総額3万アイルランドポンドが16件認められた。1995年には、この制度は、9万2,000アイルランドポンドを助成し、75人の障害者が職場によりよくアクセスできるように支援した。前年に比べて80パーセント増であった。パートナーシップ2000の規定でも助成金からの支援は増加するであろう。

全国リハビリテーション委員会は、また、建物の改造や特別の機器の供給者について雇用主に無料で助言している。

雇用された障害者への助成金及び補助金

 全国リハビリテーション委員会は、業務の一部として特別に読むことが必要な視覚障害の従業員を助ける対面朗読者の費用に対する助成金を支給している。この対面朗読者助成金は、その従業員に直接支払われる。全国リハビリテーション委員会は、採用面接の際、聴覚や言語障害者に対してその通訳費用を1回の面接ごとに30アイルランドポンド助成している。

全国リハビリテーション委員会は、1996年9月から1997年12月まで通勤費補助制度(Fares to Work Schemes)を試験的に導入した。この制度の目的は、障害者がその障害の特質から、あるいは、適切な移動支援サービスが不足していることから通勤に特別の費用を要する場合、財政的な支援を行うことで就労を容易にするためのものである。地域保健事務所は、障害者が用いる現存の自動車の改造や改造された新しい車の購入に最高1,500アイルランドポンドまで助成できる。この助成は、所得によって制限がある。

障害者地位委員会は、障害者の雇用機会を拡大するために全国リハビリテーション委員会の制度への資金積み増を含めて、出資の拡大を要望している。例えば、雇用補助金制度は、3年間の間に最低年500件達成するための資金が必要であり、機器改造制度でも同じ件数が必要と考えられている。

社会福祉給付

 アイルランドでは、障害者の就労を可能にする社会保障制度の役割、現存のさまざまな障壁、意欲低下要因について論争が増えているように思われる。訓練を受けたり仕事を探す意欲を低下させる要因について、いくつかの資料でコメントされている。障害者地位委員会は、教育や訓練、仕事への参加意欲を削ぐ障害者所得支援制度の柔軟性の欠如を強く主張している。この障害者地位委員会は、「資格を喪失することなく仕事ができる範囲やその収入によって年金が減額される程度に特に注意しながら」、就労奨励策は障害年金受給者にも自由に利用できるようにすべきであると勧告している(Commission on the Status of People with Disabilities,1996)。

Murray(1994)は、障害者が日常生活や仕事で直面する余分な支出が、いかに雇用されていない障害者の意欲阻害要因となっているかを述べている。このことは、特に、障害者が雇用されていない時に受給が認められた諸手当は、一旦、一定の所得水準を上まわと請求できなくなるからである。Murray(1994)とWhyte(1994)は、雇用や給付金に関する一連の中心的な課題として、次のことを挙げている。

  • 障害者が、給付の罠を乗り越えるには、150アイルランドポンド以上の収入を得る必要がある
  • 所得割り当てのベースとしてのミーンズテスト(家計調査)
  • 障害者が求職意欲を出すように制度や構造により柔軟性が求められる
  • 多くの仕事が低賃金であること

 訓練的な雇用がなされている障害者は、週31.20アイルランドポンドも得ることができるし、障害手当の資格もなお継続する(Whyte,1994)。1996年10月から給付金制度は中央で管理されるようになった。すなわち、手当(1995年に障害手当に名称変更)の責任は、保健事務所から社会福祉省に移った。この変更は、障害者の所得保障が保健関係から社会福祉関係に移ったことで象徴的に大変重要である。

社会福祉や保健手当から特別訓練センター・コース、ワーックショップへの移行の誘因は低い。障害者は、訓練手当として訓練生に給付金が渡される訓練施設に移れば、障害手当のような手当を諦めなければならない(Conroy,1994)。Kerr(1995)は、障害手当の取扱いについて同じく懸念を持っている。さらに、訓練終了時、本人が仕事を見つけることができないこともあり得るが、その場合、訓練や仕事を始めるために諦めた以前のレベルの手当を再度受給するために困難に直面する(Whyte,1994)。資格審査制度では、仕事と福祉との併用を認めるのは、8時間から10時間の労働に相当する低賃金職務と同等の所得までであるので、短期でパートタイムの仕事に就こうとする人はいない(Conroy,
1994)。

”健康か病気か”の区別や、受給者が障害のために仕事がないか、仕事を積極的に探さないことを根拠に障害関連給付が支払われるという認識は、仕事に就く気持ちをそぐことになる(ESFPEU,1995)。安全な収入源が構造的な障壁となり、給付を受け取る障害者にとって雇用は優先課題にならないことをこれらの給付は示している。ヨーロッパ社会基金プログラム評価集団(ESFPEU,1995)の報告は、障害関連給付と有給雇用との結合する可能性についてはさらに調査がなされるよう勧告している。

保護雇用

 アイルランドにおいて、訓練と保護的就労の供給に関しては複雑な状況にある。いくらかの団体は、保護的就労を提供し、また、一般雇用への移行を可能にする訓練の提供も目的にしている。たとえば、長期訓練センターのように、これらの2つの目的を明確に分けることは困難である。ある訓練は生活技能についてであり、雇用とは直接関係ない。

訓練や保護的就労は、ほとんどボランティア団体が提供しており、保健部(Health Boards)が資金提供している。多くのワークショップは、慈善組織、特に、教会が運営している。アイルランドにおけるプログラムは、1つのワークショップを除いて厳密には雇用ではなく、障害者は雇用契約を結んでいないことに注意すべきである。均一の入所手続きはなく、ワークショップは自由に独自の手続きで受け入れができる。

目的とプログラム

 保護的就労ユニットは、しばしば地域ユニット内で職業訓練プログラムと一緒に運営されている。アイルランドでは、ボランティア団体であるリハブ・グループ(REHAB Group、以前はリハビリテーション研究所)が、全国の訓練センターやコミュニティ・ワークショップで全種別の障害者に職業リハビリテーションサービスを提供する主要な組織である。Gandonエンタプライズ(リハブ・グループの一部)が、アイルランド全国に7つの生産ワークショップを持っている。

他のボランティア団体も保護的就労や長期訓練を提供している。これれのセンターは障害者が一般労働市場に統合されるのを目的にしているが、Samoy(1992)が述べているように、多くの障害者、特に、知的障害者は長期にわたって「訓練」にとどまることとなる。

障害者が通っている訓練や保護的就労プログラム及びその活動についての情報は、1995年に全国リハビリテーション委員会が全アイルランドのリハビリテーションセンターから集めた(NRB,1995b)。この情報は、ヨーロッパ社会基金プログラムに通う人びとを含んでいない。

表I.1は、1995年初めにヨーロッパ社会基金プログラム以外のプログラムに通う総勢9,849人の障害者について示したものである。保護的就労は、リハビリテーションセンターが全国リハビリテーション委員会に報告した最も一般的な活動で、障害者の44パーセントが含まれていた。5分の1以上が長期訓練に含まれていた。いくらかのセンターは長期訓練と保護的就労を区別せず、障害者の6パーセントが両方に含まれると記載されていた。8パーセントが訓練機会プログラム(Training Opportunities Programmes:TPO)に含まれていた。

1995年に於いて、これらの障害者の3分の2以上が知的障害を有し、ほぼ4分の1が精神的な問題があり、身体機能障害や感覚障害のある人は10人中1人以下であった。

データの集計方法が全く異なるので、1989年の全国リハビリテーション委員会の推計値と厳密な意味での比較はできない。試みに結果を出すと、1989年と1995年の間に保護的就労のカテゴリーの人の数が約27パーセント増えていることとなる(NRB,1995b)。

障害者地位委員会は、援助付き雇用の職場が不足し、年間さらに500個所(パートナーシップ2000による)用意されるように勧告している。

表I.1 1995年の活動と障害のタイプ(ヨーロッパ社会基金支援のものを除く)
- 長期訓練 保護的就労 長期訓練と保護的就労 他の雇用関連活動 訓練機会プログラム 他の訓練活動 合計
知的障害 75 66 86 79 60 65 69
身体障害 6 8 3 6 11 2 7
精神障害 19 26 11 15 29 33 24
計(%) 100 100 100 100 100 100 100
数(人) 2192 4378 599 646 739 1295 9849

出典:1995年10月全国リハビリテーション委員会の発展と水準より(人数以外の数字は%を示す)

労働条件

 視覚障害者団体は、訓練と雇用のために保護雇用ワークショップを独自に経営しており、そこでは従業員は契約を結んでいる。他のところで働く障害者は、契約も結んでいないし、サラリーも受け取っていない。この人たちは、障害手当と小額の報酬を受け取る。ワークショップの財政状況がよければボーナスが出ることもある。一般に、訓練生は自分の手当の他に10~30アイルランドポンドを受け取る。

シェルタートワークショップの役割と発展については現在論議が行われている(Conry,1994)。アイルランド労働組合会議(The Irish Congress of Trades Unions)は、いくつかのワークショップでの低い報酬水準と貧弱な労働条件について最近懸念を表明した。その数、必要とされるタイプや場所の範囲、法的な地位あるいは職場や労働者、資金提供など、取り上げられた問題の緊急性に鑑み保護的就労や保護雇用についての全国訓練雇用諮問委員会(NACTE)に研究委員会が設置され、1997年中頃に検討を開始した。

保護的プログラムの評価作業は、容易に行えるものではない。実際、シェルタード・ワークショップの実績を確認するのが困難である(Giles,1996)。労働法は、法的に従業員と見なすことができない多くの障害者を除外している。保険及び保健法や安全法へのワークショップの適否の問題もまた検討しなければならない。Giles(1996)は、さらに保護的就労での効率コントロールへの趨勢について概説している。

障害者地位委員会は、ワークショップの地位が明らかになり、ワークショップ設立や運営の規準が導入されるように勧告している。

新たな就労形態

 障害者雇用についての政府のパイロット・プログラムは、少なくとも50パーセントの従業員が障害者で存立可能なビジネスの支援を予定している。7社が150人の障害者を雇用している。1994年から1996年の間に、標準的な助成金が生産能力に応じて雇用されている人に支払われた。障害者地位委員会は、奨励されるべき特別の資金開発としてこのパイロット・プログラムに注目している。

障害者地位委員会は、雇用の新しい形態に関しては企業雇用省が訓練雇用庁(FAS)と共に労働者協同組合のパイロット・プログラムを設立すべきであると考えている。その目的は、障害者のために今後3年間に年100の仕事を確保することである。

要約

 障害者雇用政策は、近年急速に変化してきている。1993年には、障害者の権利拡大をその目的の1つとして平等・法改正省が設立された。1996年11月には、障害者地位委員会が報告(Flood報告)を出した。1996-97年には、障害者地位評議会が設立され、平等処遇法制分野でいくつかの提案がなされた。

障害者地位委員会は、雇用と訓練そして所得維持、保健、支援サービス、法律を含む広範囲な領域で障壁や改善の方途を調査した。その指導原理は、平等な地位、権利、潜在的可能制の最大限の発揮、統合と参加、自己決定であった。この委員会は、そのメンバーの60パーセントが障害者、その家族及び介護者であった。その報告は、障害は医学的問題というよりも社会的な問題お見なされなければならないと強調し、そして、雇用の機会について多くの勧告を行った。

保護的訓練や就労の見直しを含め、現在の措置についていくつかの政府レビュー及び評価が行われている。これらの動きと共に、援助付き雇用の拡大や少なくとも50パーセントの従業員が障害者である企業を支援するパイロット・プログラムを含む、新しいサービスが発展してきている。

障害者地位委員会は、「身体的、感覚的、知的、精神的な困難の故に経済的、社会的あるいは政治的生活へ参加する自分の能力に何らかの制限を経験する児童及び成人」と障害者を定義している。

障害者の雇用機会を拡大する施策は、政府が関係諸団体と話し合って作成した3か年計画に全て含まれている。保健省は、障害者の指導、訓練、職業リハビリテーションに責任を持っている。実際には、これは全国リハビリテーション委員会に委任されている。障害者は、一般の施設も専門訓練施設も利用することができる。専門訓練は、ボランティア団体や法人格のない団体が現実的には提供している。

公共部門には3パーセントの割当雇用制度が適用されている。そして、これを民間部門にも広げるべきかどうかについて論議されている。この雇用率は、政府機関や準政府機関の大半が達成していない。

障害を含む9つの異なる分野での雇用差別に関する雇用平等法案が1996年に提案された。この法案は、公民両部門の従業員並びに雇用や訓練への応募者を対象にしている。政府は、教育、商品、施設、及びサービス提供での多くのグループに対する差別を禁止する平等地位法案の提出を予定している。

法的対策と共に、態度を変え、雇用主に障害労働者の能力を認めるよう説得することをめざした任意の取組もなされてきた。大蔵省は、公務部門における障害者雇用の実践規範(1994)を作ってきた。全国リハビリテーション委員会の障害への肯定的な活動も1996年に始まった。

インテグレーションを奨励するための財政対策は、全国リハビリテーション委員会により企画される賃金補助を提供する雇用支援制度の形で雇用主が利用できる。これは、労働生産性が障害のない人の50~80パーセントと評価された障害者が利用できる。訓練雇用庁が企画する助成金制度は、事業主が長期失業者や障害者を採用するよう財政的インセンチブを提供する。雇用主は、全国リハビリテーション委員会が提供する機器改造助成金を利用することができる。従業員が利用できる補助金として、対面朗読者や手話通訳者の費用、通勤費を支援するものがある。

保護的就労は、しばしば訓練と共に行われ、ボランティアや法人格のない団体が実施している。シェルタード・ワークショップの役割や展開については、その数、必要なタイプや範囲、職場や働く人の法的地位、財源を含めて現在論議されている。

1995年現在、全アイルランドで123万3,600人が雇用され、失業者は19万人である。障害者数は、15万人と推定され、この中の70~80パーセントが失業していると言われている。障害者地位委員会は、公式統計がないことに特に言及し、この空白を埋めるための調査を勧告している。


1) 他の分野は、性、婚姻、家族の地位、性的関心、宗教、年齢、人種、ジプシーである。

イタリア

政策と制度的情況

障害政策と法制

 1992年まで、障害や障害者に関する包括的な法律はなかった。新たな法律(第104号, 1992年2月5日)が制定される以前に、法律がないことに関して議論がなされ、法案が検討されたが、合意に至らなかった。この法律では、全く新しい障害者の定義を導入した(以下を参照)。

援助、社会統合及び障害者の権利に関するこの「枠組み法(frame law)」は,政策と計画に関する規定である。第1章は以下のことを保証している。

  • 人間の尊厳、自由、自主性の尊重と家族、学校、職場、社会への完全な統合の促進
  • 障害者が可能な限り自主性を持ち、地域生活への参加ができるようにするための、建築的障害物の排除
  • 法的経済的保護の下の、身体的、社会的リハビリテーションと設備
  • 社会から取り残されること及び社会的問題を克服するための介入

 この法律は予防と診断、治療とリハビリテーション、家事及び身辺介護、教育を受ける権利と教育的統合、そして職業的、社会的統合を網羅している。社会的統合に関連して、この法律は以下のような幅広い範囲の施策を含む。

  • 身辺ケアサービス
  • 建築的障害物を克服するための直接的介入
  • アクセス可能な教育と専門設備
  • 教育及びスポーツの設備と施設の改善
  • 公共交通、特別移送へのアクセスと個人的移送への援助
  • 日中利用できる社会・娯楽・教育センター

 この法律は障害物の除去を主要目的としており、アクセスを改善し、障害者が各種のサービスと施設を利用できるようになることを目指している。訓練や雇用に関する措置は後述する。同法により、管轄省は、政策の実行と発展に関してまとめた年間報告書を国会に提出することが要求されている。

1992年以前には、1971年の法律(法律第118号,3月30日)が、全ての障害種別の身体障害者と知的障害者への援助、治療、教育、社会リハビリテーション、職業訓練に関わる基本的な法律であったが、戦争による被害者、労災又は職業病、聾唖者、視覚障害者に関しては、他の法律によってカバーされていた。同法には、公共交通、住宅や建築障害物に関する施策も含まれていた。

1978年の法律(法律第180号,5月13日)は,精神障害者のみに適用されたものである。同法は、精神科改革法ともいわれ、精神病院に入院していた多くの人びとにドアを開け、地域ケアの発展に影響を与えた。

雇用政策

 イタリアの労働市場はヨーロッパの平均を下回る雇用・活動率で特徴づけられ、ヨーロッパの中で長期間にわたり失業率が最も高い国の1つであり、若者の失業が目立ち、全国的に雇用の機会の不均衡がみられる。

伝統的に、就業者(特に男性)に対して手厚い保護が行われてきた。それは労働組合のせいでもあり、また、労働者の像に象徴されるように、労働市場を規定する法律によるものである(Borzaga,1996)。1980年代初頭より、就業者への保護を少なくし、転職を容易にし、会社が危機やリストラを切り抜ける際に賃金を保証する賃金補償基金(Wage Compensation Fund)からの公的資金の使用を減少させるような施策となった。

失業を少なくするための政策は、特に若者を対象としていた。16歳から29歳の若者に対象を限定し、訓練や就労のための手厚い補助金が企業に出された。Borzaga(1996)の計算によると、1984年から1990年の間に、80%以上の者が仕事に就いたことになる(雇用への効果(net effect)はほとんどなかったが)。

短期間の訓練と就労契約は、早期の退職を可能にする施策と結び付いて、選択的な就労の実践と労働者の転職を促進した。Borzaga(1996)によると、就労保障の減少は、現任訓練(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)や、効果的な職業紹介サービスによっても是正されることはなかったという。したがって、「就労の場を探すことや、仕事を見つけられるかどうか、そしてその仕事の質がいいものかどうかを決定的づけるものは、その人の家庭やその人の社会的背景によるものである。」(Borzaga,1996)

障害者雇用政策と法制の発展

 1947年のイタリア憲法第4条は、全ての市民の労働権とその権利を行使するための施策の必要性を明らかにした。同条は障害を持つ労働者の権利を明らかにし、自由と平等を制限し、個人の発達と国の政策、経済、社会への参加を妨げる社会的及び経済的障害を克服するための国の義務を規定した。

第二次世界大戦の終わりより、障害者やその他の不利益な立場にある人びとの仕事上の統合を援助する政策が、政府や地域・州・自治体レベルの地方自治体によって推進されてきた。国の政策は2つの主たる戦略の要素を持つ。1点目は、重度の不利益な立場にある人びとの義務雇用、2点目は、他の中程度の不利益を持つ人びとの雇用の奨励である(Bronza,1996)。つまり、例えば10人以上の被用者をかかえる雇用主は、12%に相当する人数を、運動障害のある人のリスト及び地域雇用委員会(MISEP,1995)が規定した不利益者に該当する者の求職者リストから、2年間以上雇用しなければならない。

障害者の雇用に関する国の施策は1947年に開始され、労災や職業病の結果障害者になった労働者を雇用しなければならない法律を定めたが(法令第1222号,1947年10月3日)、1950年には退役軍人の義務雇用も法制化された。義務雇用は50人以上の労働者を抱える企業に適用された割当雇用制度であり、州レベルで就労可能な障害者を登録し、雇用主に対し雇用状況を報告することを義務づけ、雇用率が達成されない場合には、罰金が課せられた。これらの施策は一般の負傷・障害者への措置を規定した1962年10月5日の法律第1539号などに見られるように、障害者の雇用に関する、その後の法律制定のパターンを形成したといえる。

1968年の法律(法律第482号,4月2日)は,さまざまな種別の障害者の義務雇用を規定する各種の条例を統合し、改正した。同法は、それぞれの種別(例えば、戦争による一般障害者、障害を持つ一般人、聾唖者)のために留保される職場の割合を、民間企業と公的機関とに分けて定めた(詳細は「割当雇用制度」を参照)。同法は、労働条件、解雇などについての基準を定め、州義務雇用委員会の設置を規定した(欧州協議会,1990)。

1971年の法律は、職業訓練、再訓練、保護雇用に関する措置を規定した。1978年12月の法律845号は、地域が障害者の職業訓練に関する法律を制定する権限を与え、障害のために、通常の職業訓練コースに参加できない身体障害者や感覚障害者に対して初歩的な訓練を受ける機会を与えることができるようにした(欧州協議会,1990)。

注釈者は、義務雇用の従来の実践を改革した、新しいモデルの奨励方策を見つけた(Balandi,1995)。 視覚障害者の雇用に関する1985年の法律より変化が起こっており、それは1991年の法律第381号と1992年の法律第104号に継承されていると、Balandiは考える。

1985年5月29日の法律第113号は、視覚障害者の訓練と雇用に関する新しい原則を示し、そこには適切な専門的訓練や、雇用主側の求人に関する正式のアプローチが含まれている。

1992年の包括的な法律は、「労働界への全体的な統合」を促進するためのいくつかの特別な施策を含む。すでに言及したような建物や交通機関へのアクセスと共に、同法は以下のことを定めた。

  • 割当雇用制度を、心理的な障害を持つ人びとへも適用されるように広げる。
  • 国の競争試験や資格試験を受ける障害を持つ人びとに、必要とされる援助や必要とする余分の時間が与えられる。
  • 公務員試験に合格した障害者には、居住地の近くに配属される選択権を与える。

 1992年の法律第17条は、憲法第38条第3項に基づき、専門的訓練を受ける権利を保証した点で斬新的である(Balandi,1995)。同法は、地域による職業訓練の措置を明確にした。また、見習い制度、訓練契約、就業前コースなど、新しい職業の推進策に対しての基金も制度化された(第17条の(5))。

1991年に、社会協同組合は1991年の法律381号によって法的に認可された。1970年終わりに、第1号の社会協同組合は、割当雇用制度によって雇用されることの難しい障害者に、有給の職業を与えることができた。これらは、非営利部門の福祉サービスの発展の1部として広がっていった(Borzaga, 1996)。

国の法律制定に加えて、地方自治体は主に1980年代に独自の法律を制定した。これらの法律は、企業が割当雇用率を満たすよう奨励したり、保護雇用や仕事の場での統合化対策を助成したり、職業訓練を促進した。

国会においては、法律改正や割当雇用の義務化の努力がなされたが、実現に至らなかった。改革を実現するために地方分権化の試みがなされた(Botzaga,1996)。法的改革は現在でも試みられており、1996年末の国会で4つの法案が審議される予定である。しかしながら、より効果的なことは、補助金を用意することである (Borzaga,1996)。

政策の立案と実施

 他の国々ですでに実現されているが、イタリアでは、中央に権限が置かれていたほとんどの機能が、20の地域(regional)行政機関に分権化された。1977年の画期的な法律により、公共福祉、保健及び職業訓練に関する法律を制定する権限が地域行政機関に委託・移管された(DPR 616 ,1977年)。

国家レベルにおいて、労働・社会保障省が労働に関する法律の立案、適用、モニタリングについての全般的な責任を持つ。地域レベルでは、地域労働・雇用事務所(URLMO)と州労働・雇用事務所(UPLMO) が特定の役割を担う。障害者の職業紹介に関しては、州義務雇用委員会の定めた基準に沿って、UPLMOが行う。視覚障害者の義務雇用は、国家レベルの労働省によって直接行われる。

労働省の代表、雇用主、労働組合、サービス供給者そして障害当事者協会は、障害者の経済的統合に関する政策を発展させるために、定期的に会合を持っている(HELIOS, 1996)。

国民保健サービスは、中央政府、地域、地区、そして地区保健班の4つのレベルにおいて機能している。各保健班は5万人から20万人の人口を網羅する(欧州協議会,1990)。地区保健班は統合化された協同組合をサポートする役割を担っている。

障害のある一般市民、視覚障害者、そして聾唖者に対する経済的援助を行う責任は国にあり、地域(region)へは移譲されていない。

障害者に関する法律の制定や社会援助を組織化する権限が地域(region)の自治に委ねられたことにより、国家による指示や調整の視点が欠如してしまった。このことは特に、目的、組織的構造、基準と、今後の企画について該当する。障害者に関する施策の制定や適用に関しては、地域によってかなり異なり、資源の配分においては、南部の地域において目立った不利がみられる。1992年の枠組み法(frame law)のねらいは、中期的には地域による施策の質の格差を是正することである。

地域(region)は雇用に関して法的権限を有していないので、障害者の職業的統合を促進する施策は、労働や政策としてよりもむしろ社会福祉とみなされた。

障害の定義

 障害者の定義は、1992年2月の新法の第4条における定義ができるまで、法的に規定されていなかった。障害者とは、身体的、精神的又は感覚的な機能障害が固定状態であったり進行性であるために、職業訓練、社会生活又は専門的な統合において困難性があり、その結果、不利な状況や社会的に辺境に追いやられるような人である。以前には、1968年4月2日の法律第482号は、障害の種別を細かに規定し、それにより障害者が給付を受けられるようになっていた。

雇用の目的においては、「障害のある一般市民」とは職業能力が3分の1以上減少していない者と定義されている(1988年11月23日の法令第59号)。 しかしこの職業能力の減少については、義務雇用対象として登録するためには、45%以上の職業能力がなければならないとされている。同法例第7条は精神的に能力が減少した人びとを除外していたが、後に法廷によって違憲とみなされ(1990年の第50回憲法協議会の決定)、それらの人びとも現在では障害のある一般市民に加えられた。1992年の法律第104号第19条では、適切な場で雇用が可能な心理的な機能障害のある者に、割当雇用制度が適用されなければならないとした。

統計

 1994年には、稼働年齢人口(15歳から70歳)は5,120万人、労働人口は2,270万人であり、稼働率は47.37%、失業率は11.3%であった(MISEP, 1995)。

障害者人口

 人口における障害者数に関する信頼できるデータはないようである。Grammenos(1992)は、国立統計研究所(National Statistical Institute:ISTAT)が1986年11月から1987年4月に行った人口の健康状態の調査を引用している。その結果は、国際障害分類(ICIDH)による全ての機能障害を含めていないため、障害者人口は少なく見積もられている。同調査は重度の機能障害のみを取り上げており、慢性的な疾病を有する者を除外していると、Grammenosはコメントしている。それはイタリアの障害者人口の信頼できる指標とはなり得ない。

雇用における障害者

労働・社会保険省より提供された数値によると、1994年6月には、23万6,000人の障害のある労働者が割当雇用制度の下でで雇用されていた。この数のうち、15万7,000人は障害のある市民と分類され、2万7,800人は労災障害者と分類されていた。表 It.1は、割当雇用制度の下で就労する全ての被用者と、割当雇用制度の下で就労する障害労働者の年間総数を示す(他の保護されたグループは除外されている)。

表 It.1 割当雇用制度の下で就労する労働者数
総数 障害者
1980 329,508 -
1981 403,442 300,085
1982 400,079 295,812
1983 394,476 290,522
1984 370,610 275,831
1985 310,383 273,472
1986 378,932 281,962
1987 389,011 289,368
1988 - 306,548
1989 - 296,751
1990 - 239,751
1991 - 233,090
1992 - 234,510

寡婦、孤児、亡命者を除く 
出典:Lheureux,1991;Grammenos,1995,table26

失業中の障害者

 ISTATの調査は、2万3,000人の恒久的な障害者が1986年に失業していたという現実味のないデータを示した(Grammenos,1992)。登録システムでは全く違った様子を示した(登録された失業障害者の統計に関する説明は、後述の義務雇用の項で述べられている)。表 It.2に示されているが、Grammenos(1995)による、1981年から1992年の数値は、1969年の法律によって設置された、雇用市場に入れる人のリストに登録されている障害者を示している。

表 It.2 失業障害者としての登録者
人数
1981 193,381
1982 205,967
1983 245,544
1984 278,481
1985 294,387
1986 325,281
1987 352,142
1988 384,699
1989 375,874
1990 377,994
1991 374,605
1992 375,424

出典:Grammenos,1995,table28

MISEP(1992年と1995年)と労働省から出された数値は、 Grammenos(1995)から出されたものと異なっている。MISEP(1992)は、1991年の登録された失業障害者数は31万7,407人としており、それは登録資格条件(閾値)の変化を反映しているとされている。MISEP(1995)によると、1993年1月から6月の間に、31万2,083人の障害者及びその他の保護されたグループが登録をし、失業中であった(データは毎年6月に報告される。)。

1994年6月には、およそ30万人の登録された障害者と他の保護カテゴリーの人が失業中で、彼らのうち4万人は障害者ではないカテゴリーに入るとされている(労働・社会保険省による)。26万人の失業者と登録された障害者のうち、23万5,000人は障害のある一般市民であり、就労中の障害者は8,300人しかいなかった。雇用者数と比較して、障害を持つ一般市民は不均衡なほど失業しており、一方で、障害を持たない未亡人や孤児は雇用率がよい。登録された障害者の失業率は、1980年の41%から1980年代末の50%以上にまで増加している(Borzaga, 1995)。

まとめると、就労中及び失業中の登録された障害者の総数は1990年の74万8,400人から1994年の60万人へと減少した。この減少は、障害を持つ一般市民として登録できる障害の程度が重くなったことにもよるといえるであろう。

雇用支援サービス

職業訓練

 職業及び作業訓練を管理・指示する法律としては、1978年12月の法律第845号があげられる。障害者に対する職業訓練は第3条、4条、8条に規定されている。地域(region)は、障害者の就労資格を規定する法律を制定し、職業訓練を受ける権利を保障するための対策をとる権限が与えられている。1992年2月5日の法律第104号は、地域が基金の一部を職業訓練と見習い制度や職業訓練の契約など、新たな形態の導入のために使うことを義務づけている。民間団体もまた、1992年の法律によって、障害者を援助する責任が課されている。民間団体は、公の当局による同意を得て、ジョブコーチ、求職、職業訓練などの面でサービスを提供しなければならない(Treu and Loy, 1995)。

1978年の法律によって、地域は、一般訓練コースに参加できない身体及び感覚障害者に対する初級の訓練の機会を設けなければならない。1992年の法律第104号によって、地域は一般コースに参加できない障害者のための特別コースを年間計画の中に入れなければならなくなった(特別コースに参加した学生には、割当雇用制度の登録に使用するための参加証明証が交付される。)。

法令(decree law)29/93により、公の当局は、地域雇用委員会に対して、障害者求人プログラム案又は申請書を出さなければならない。この訓練は最短で6ヶ月間、最長で2年間である(MISEP,1995)。

地域は、民間又は公的な職業訓練センターへ障害者を統合化するために、職業訓練センター内での特別な活動を用意し、資格の取得を保証する。職業訓練は、クラス及び特別コースや就業前コースに入った障害者の個別の技能(スキル)やニーズを考慮する(1992年の法律第17条(1)(2))。

職業訓練センター(Centro di Formazione Professionale)は、平均3,000時間ほどにわたる2年から3年のコースを用意し、そのうちの400時間は実際の仕事現場での実習に当てられる。職業紹介は実際にはこれらのセンターの義務ではないが、1990年のFabio Marchetti of the Ente Nazionale ACLI Istruzione Professionale(ENIAP)の会議資料によると、就職状況が厳しいので、センターが職業紹介をせざるをえない状況である。就職促進の方策は以下の通りである。

  • 試用期間における現任訓練(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)
    見習い制度においては、雇用契約や賃金の支払いは無い。事故保険や交通費は、就職斡旋機関よって支払われる。企業は奨励金や訓練に必要な資材のための助成金を受け取ることができる。見習い期間が終了すると、雇用主とそのチームは、その見習い者の作業能力を評価し、結果が良ければ、その雇用主が普通の契約によってその人を雇用する。
  • 就労助成金
    通常の賃金の3分の1までの金額が、6ヶ月から5年までの間、障害者に支払われる。訓練生を解雇するか雇用するかを選択する雇用主には金銭的な負担はない。
  • 現任訓練(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)契約
    若い、就労していない15歳から29歳までの障害者は、2年間の職業訓練契約が可能である。彼らは通常の賃金を受け取ることができ、雇用主は社会保険料の支払いを免除される(Marchetti,1990)。

 統合化を促進する運動によって、障害者の訓練を専門に行う伝統的な閉鎖的組織の重要性が明確化された(Vogel-Polsky,1984)。しかしながら、現任訓練が効果的に実施されていないことが、現在、批判の的となっている。

特別訓練ワークショップ
Gerry(1992)は、Genoaにおける特別訓練ワークショップについて論じている。重度の社会的又は行動的問題(障害を持つ生徒も障害を持たない生徒も含まれる)を持つ15歳から17歳の生徒は、中学卒業後、「部分的に保護された」特別職業訓練プログラムに参加できる。4つの特別訓練ワークショップは、特定の技能というよりも、ソーシャル・スキルや作業技能(ワーク・スキル)を伸ばすことを目的としている。重度の障害を持つ若者は1つのワークショップに割り当てられたのに対し、軽度又は中度の障害を持つ若者は複数のワークショップに割り当てられた。

プログラムは3つの期間から構成された。第1期は、ワーク・スキルの準備と学科(アカデミックな)指導が、2人ずつの訓練チームに割り当てられた少数グループの生徒に実施された。第2期は、生徒たちはワークショップ内において、フルタイムの特定のワーク活動に割り当てられ、ワーク訓練の指導者によって指導された。生徒たちは、その期間に行った仕事に対して少額の賃金が支払われた。これらの2つの期間は6ヶ月から2年間である。ワーク活動の期間が終わると、生徒たちは短期間の見習いに配置される。その見習い期間の間、雇用主は生徒に通常の賃金の25%を支払い、地区保健機関が75%を支払う。ほとんどの場合、見習いの「ローテーション」のワークショップの期間に、生徒たちは恒久的なフルタイムの雇用が決まる。

職業紹介

 義務雇用システムにおいて就職が可能と判断され、特別リストに登録された者は、一般の人の就職と同じように扱われる。職業紹介は、6,000ぐらいの地区雇用事務所と3,700人の職業紹介担当者の責任において行われる。イタリアでは、労働許可を得るために登録が必要とされる。

Marchettiによると、失業率が高く、公的機関の経費が削減されている時期においては、若い障害者の職業紹介が難しく、職業訓練と就労の場を提供する協同組合に期待せざるをえなかった。実際に、Marchettiの組織で、職業訓練のための最大の独立した組織であるENIAPは、主にイタリア南部において、若い失業者又は障害者のための複数の協同組合を設立した(Samoy,1992)。Samoyは、障害者の職業技術を獲得又は改善するために設立された協同組合(co-operative di inserimento lavorativo)と、恒久雇用の場を供給する目的の協同組合(そこでは障害のある者もない者も共に働き、生産作業を行う。)とを区別している。しかしながら、実際にはその2つのタイプの分類は、多くの場合不明瞭である、と彼は認めている。

援助付き雇用

 我々は、適切なプロジェクトが無ければシェルタード・ワークショップで働くしかないような、16歳から24歳の中度又は重度の精神遅滞、又は慢性的な心理的障害の人びとを対象としたGenoaで実施されたプロジェクトの記録以外には、イタリアにおける援助付き雇用に関する情報を持っていない。以下の概要は、Gerry の文献からの引用である。

完全に統合化された状況で働くためには、参加者の認知的かつ感情的な発達が不可欠である。このプロジェクトは、障害を持つ参加者を評価、訓練、雇用援助するために、多くの専門職によるチームアプローチをとった。それぞれの障害者に仕事に対する責任感を持たせること、見習い仕事の内容を注意深く選択し、そして同じ職場で働く同僚たちの態度や資質を考慮して、職場環境の心理・社会的側面への注意などに、特に注意して実施された。

Genoaのプロジェクトは、公的機関、労働組合、雇用者そして障害を持つ参加者の家族間の強い絆を作り、維持した。そのプロジェクトでは、(「作業機能」とは区別された)職業技能の訓練を提供するのに、専門的なスタッフよりもむしろ同僚をあてにしており、また、雇用主がプロジェクトの成功を直接経験できれば、プロジェクトへの雇用主の参加と支援が得られると信じている。

プロジェクトの参加者に選ばれた若い人びとは、個別のインテーク評価を受け、長期間にわたる個別の作業評価や訓練を行う。そして、特別移行チームは、(参加者及びその家族と相談し)、その参加者が、1年間の試用作業期間に入るかどうかを決定する。試用期間後には、一般企業における競争的かつ統合された雇用に入る可能性がある。参加者のおよそ80%が、インテーク評価、作業評価そして訓練を終えて就職している。残りの20%のうち、半分はシェルタード・ワークショップに紹介され、残りの10%は、 Genoaプロジェクトの公的事業の対象となる。公共部門の戦略は、民間部門に移管することを長期的な目標としながら、公的機関での支援された、有給の統合的な雇用の場を提供することである。

特別移行チームのメンバーは、参加者に適切な仕事を見つけるために、相当の努力をする。そして、参加者、雇用主及びGenoa プロジェクトは、1年間の「試用作業」の契約に入る。この契約の下では、プロジェクトは雇用主に参加者の賃金を補償し、雇用主は職業訓練を助成し、職場の同僚の活動を支援することに同意する。契約期間の終わりには、もし、雇用主がその参加者を恒久的に雇用することを決めれば、Genoaプロジェクトは、(職場の同僚と協力して)現場行動グループ(field action group)を通して、雇用支援の提供を続け、雇用主はプロジェクトの参加者に対する賃金と手当に対して全ての責任を持つ。もし、雇用主がその参加者を恒久的には雇用しないと決めたら、特別移行チームが状況を再評価し、試用雇用の契約について他の雇用主と交渉する。

その市における12%以上の失業率にもかかわらず、そのプロジェクトは300人以上の若い人びとの職業紹介に成功し、初めの3年間はおよそ95%が仕事を継続していた。Genoaプロジェクトの1978年から1984年の期間におけるコスト効果の研究によると、地方自治体の経費がおよそ300万USドル削減されたことが示された。この金額は、プロジェクトにかかる費用と、もし、プロジェクトの参加者がはじめからシェルタード・ワークショップに配置されたときにかかる費用とを比較した結果によって、明らかにされた。

一般雇用:法的義務と権利

 一般雇用における職場については、障害者が雇用契約を交わしたら、障害者は雇用契約、権利、責任において、他の就労者と同じである。この原則は、障害者を統合化するため重要と一般的に受け入れられている。契約にサインされた後の解雇は、雇用主又は労働者の要求によって、全国保健委員会が評価し、その就労者の仕事に対する全般的な能力の欠如を認めた場合にのみ、認められる(Treu and Loy,1995)。

重度の障害があると認められる雇用中の人びとには、1日に2時間、1ヶ月に3日、有給で職場を休む権利が与えられる(Treu and Loy,1995)。

割当雇用制度

 Lheureux(1991)によって,割当雇用制度の義務、手続きとその意味が示された。このセクションは、主にLheureuxの文献に基づいて説明するが、他の文献で補足して述べる。イタリアの割当雇用制度(collocamento obbligatorio)は、多くの場合「義務雇用」といわれる。その割当雇用制度における条件は以下に示したが、この制度は失敗であったとみなされていると言わなければならない。例えば、Borgaza(1996)によると、初めの段階からその法律は官僚的でありかつ誠意なく適用され、非効果的であった。それを変えるための数多くの提案が提起され、熱心に論議された。

雇用政策のセクションで示したように、割当雇用制度は1940年代後半より特定のグループのために運用され始めたが、1968年の法律第482号によって、数々の措置をまとめ、標準化しようとした。そのシステムは1947年に、労災によって障害者になった人びと(そして1950年には、戦争障害者)のために開始され、実質的には手をつけないままで、1980年代後半に非常に似た手続きに変わった。しかしながら、私たちが入手できる資料によると、1968年の法律が実質的なスタートであったといえよう。

1968年4月2日の法律第482号 は、公的及び私的企業の義務雇用を規定した。これは35人以上を雇用している組織に適用され、いくつかの免除が適用された。海運、空輸、陸送に関わる企業については、その輸送に関わるスタッフに関しては免除された。業務内容のために割当を達成できない企業は、雇用省によって免除を適用されることもあった。企業は、社屋の改造や改造期間中のため被用者をレイオフしている期間、又は、正式な調査を受けた結果によっては、免除された。

35人以上を雇用している組織は、全体の15%に相当する数の障害者を雇用しなければならない。異なったカテゴリーによる割当の割合は、以下のとおりである。

  • 戦争障害者 25%
  • 一般市民戦争障害者 10%
  • 兵役又は公共サービスによる障害 15%
  • 職業病や労災による犠牲者 15%
  • 障害を持った市民 15%
  • 戦争、職業病、労災による障害者の孤児又は寡婦 15%
  • 聾唖者(100人以上の雇用者がいる組織にのみ適用) 5%

 55歳以上の人びとは、この法律の対象から除外されている。視覚障害者は、割当雇用率達成の目的でこれらのカテゴリーに含めることができるが、彼らの雇用に関しては特別な施策が適用される。

割当雇用率達成のために、家事就労者、30歳以下の見習い者、兵役中の人びと、そして出産休暇中の女性など、さまざまなカテゴリーの就労者が除外された。

規定されたような方法でポストの配置が不可能であれば、そのポストは他のカテゴリーの就労者によって埋めることもできる。1982年の改正法(act of 638)は、求人状態にしているか限り、その仕事は他のカテゴリーの就労者によって埋める必要はないとした(Seyfried and Lambert,1989)。

35人以上が勤務している市民サービスの部は、以下のように割当雇用率を適用しなければならない。それは、肉体労働者は15%、管理スタッフは15%、補助スタッフは40%である。

手続き
法律の条項の恩恵を受けるためには、州雇用事務所に登録をし、精神障害の場合には、同僚や設備に対して危害を及ぼさないという健康状態を証明する証明書を提出しなければならない。

このシステムは州雇用事務所と州義務雇用委員会(Provincial Commission for Compulsory Placement)の管理下にある。後者は、雇用事務所所長が委員長を務め、委員は障害者組織の代表者、雇用主、組合、医師などである。これらの委員会は、登録や分類が適切であるかどうかを審査する。彼らは、雇用主が6ヶ月ごとに提出することを義務づけられている被用者配置届けを確認し、定められた人数に足りない場合には、適切な職業紹介について決定する。そして、義務を果たさない組織に罰金を課し、その適用除外については相談に応じる。

政府、地域及び州の部門、地方当局の現業部門や他の公的機関は、民間部門とは異なった新規雇用条例によって規定される。

公的機関は、競争又は非競争的な形で、職員を採用することができる。新規雇用が非競争的な場合には,空席となった場合のみ、新らたなスタッフを雇用する。当局は求職者リストの中から最も適切な人を選ぶことができ、「水平面の職務再配置(horizontal job reallocation)」システムを採用することもできる。この場合必要とされるものは、職業技能(job skills)のみである。

障害者を雇用する義務のある民間の雇用主は、必要のスタッフの求人を地域の雇用事務所に提出しなければならない。候補者をリストに載っている名前から選ばれなければならないが、雇用主は、最も適切と思われる人や最も専門的な人を自由に選ぶことができる。

割当雇用制度下における雇用
1994年6月に、23万6,000名の障害を持った労働者と、7万4,000名の孤児や未亡人が、割当雇用制度の下で雇用された。年度別の、割当雇用制度下で雇用された人の人数は先の統計の章に記されている。

1994年6月、総数の50%は障害を持つ一般市民であり、24.5%は未亡人や孤児で、9%は労災者(disabled at work)であった。Lheureux(1991)は、1987年の障害種類別について示しており、割当雇用制度における失業者と就業者の人数は、表 It.3に示されている。

1987年の地域別分類(イタリア南部、中央部、そして北部)は、Lheureux(1991)が示したものによると、全求職登録者の3分の2は南部の人であるが、割当雇用制度下で雇用された求職者の4分の1が南部の者であった。

表 It.3 障害種類別失業者、雇用労働者(1987)
障害種類 失業登録障害者 割当制度下の職務
人数 人数
戦傷者 0 0.0 12,737 3
戦災一般市民 2,488 0.6 13,386 3
公的障害 1,913 0.5 18,086 5
サービス 1,913 0.5 18,086 5
労働災害 11,445 3.0 41,879 11
障害一般市民 332,821 83.0 191,100 49
孤児・寡婦 42,197 11.0 82,481 21
聾唖 3,108 0.8 11,871 3
その他 3,677 0.9 17,471 4
総数 397,649 - 389,011 -

出典:Lheureux,1991

EC(1988)は1986年に、登録している障害者の障害の程度に関する情報を提供している。74%の者は、33%から50%の能力障害(disability)を持っており,20%の者は51%から70%の能力障害、そして6%の者が71%から100%の能力障害を持っていた。ECからの報告によると、このことは、重度の障害者は義務雇用制度をほとんど利用していないことを示しているといえる。(その後、閾値は33%から45%に変更された。)

遵守状況 (Compliance)
団体は年間に2度、雇用している障害者の数と障害のタイプに関する報告書を提出することとなっている(この施策は、1940年代後期の法律制定によって規定されたものである。)。 地区雇用事務所の義務の1つは、遵守状況をモニターすることである。Correra(1995)は、非効果的な官僚的なコントロールについて言及している。同氏は、公的機関及び民間企業は提出を要請されている報告書を提出せず、政府はそれを義務化することもできないとしている。

州の委員会は、義務を果たさない組織に課す罰金のレベルを定めている。集まった罰金は、職業訓練に用いられる(EC,1988)。しかしながら、罰金額が高くないので、企業は障害者を雇用するよりも、罰金を払う道を選択することが多い(Correra,1995)。

SeyfriedとLambert(1989)は、「企業や公的機関が障害者の雇用義務を回避する傾向」について言及している。特に失業率が最も高い南部では、いわゆる「偽りの障害者」が社会保険料を節約するために雇用されているといわれている。そういったケースでは、休職中の健康な人を障害者として申告するのである。似たようなことは、法の措置についての全般的な関心の低さのためであると、Vogel-Polsky(1984)や、より最近では、TreuとLoy(1995)によっても述べられている。法律の「幅広く広がっている抜け道」をBorgaza(1996)も報告している。

効果
法律が制定された方法によっては、法の目をくぐり抜けられてしまう。義務雇用制度は、申し込みが減少している。1980年代初期の状況について記述するに当たり、Vogel-Polsky(1984)は、近年の施策は企業の義務を免除することによって、法律の本来の目的を大きく妨げているとコメントしている。Borzaga(1995)は、危機状態にあったり、リストラ中の大企業で割当雇用制度の対象から除外されている数についてコメントしている。さらに、労働市場の変化のために、割当雇用の対象ではない職種のマンパワーが増加している(Borzaga,1996)。また義務雇用は、雇用事務所の予算を削減した1982年の法律第638号によっても、阻まれた。労働者の職業のニーズと求人状況との間を調整する、雇用事務所による配慮の欠如についても、Borzaga(1996)は指摘している。

雇用主の側の法律に対する消極的な態度が、Balandi(1995)によって報告されている。Borzaga(1996)は、精神障害者の雇用に対する特別な抵抗感について述べている。Balandi(1995)は、裁判官や法廷が雇用主の視点を擁護しがちであることや、雇用主が、障害者を雇用することによって生じる余分な費用を出すことを渋っていることについてコメントしている。

Borzaga(1995)によると、特に1990年代には、地方自治体は、例えば、企業が割当雇用を尊重するように奨励金を出すなど、彼ら独自の法律によって、割当雇用の効果を上げる試みをしている。

改革への提案
1996年に政府は、イタリア国会の上院に、割当雇用制度の改革の検討を提起した。1994年3月の選挙後の法律制定の中で、上院労働委員会(the Senate Labour Committee)は、出された数多くの法案をまとめて、統一した法案を起草した。しかしながら、その法案の検討は、1996年春に国会が解散された時に中断された。1996年後期には同じようなことが行われ、上院がさらに3つの法案をまとめた法案を取り上げた。3つの法案の1つは、前回の統一法案への提案であり、割当雇用に関するものであった。

これら全ての議案は、保護されるグループをより単純なカテゴリーにするように提案した。それらは、障害を持つ一般市民、職業病や労災の被害者、視覚障害者又は聾唖者、そして戦傷障害者、及び一般市民戦争障害者である。規模によって、雇用義務の違う2グループの雇用主に分けることを提案した。前の統一された法案と現在の法案の1つは、例えば、25人から35人の従業員をかかえる雇用主は、少なくとも1%を、35人以上の従業員をかかえる雇用主は全体の7%を、保護されるグループより雇用しなければならないとした(他の2つの法案の最小規模は、15人と16人の従業員で、最大規模はそれぞれ35人と30人以上であり、少なくとも12%の雇用を義務づける。)。全ての法案の提案は、職業能力が80%以上減少した障害者の場合は、1人で2人分とみなすが、従業員の少ない場合は、このような人を雇用する義務はない。

視覚障害者のための留保雇用

 視覚障害者は、イタリアにおける雇用政策の中で長い歴史を持っており、それは、第一次世界戦争における退役軍人を労働市場へ統合化する施策に由来する(Galanti,1990)。

全盲又は両眼において平常の10分の1の視力しかない視覚障害者には、特別な法的措置が適用された(1968年の法律第482号、第6条)。この分類に当てはまる視覚障害者は、割当雇用のために、他の分類の障害者のカテゴリーに含められた(戦傷障害者や公的サービスなど)。しかしながら、1967年以降の他の法律は、視覚障害者に特定の職業における優先雇用を措置した。実際に、イタリアにおいて、視覚障害者は、唯一彼らだけのために規定された優先雇用保障を有する障害者グループであった。

イタリアの視覚障害者は、主に電話交換手、マッサージ・理学療法士、教師の仕事に従事しており、視覚障害者は法律によって特別な資格が与えられている。彼らは、公的又は民間機関において、労働省によって管理されている特定の職業名簿に登録された場合のみ、これら3種の職業に就くことができる。登録を行うには、視覚障害者は専門的な資格を有している必要があり、また、仕事を行うのに支障があるような他の障害を有していないことを証明するために医学的な診断書を提出しなければならない。

電話交換手:後に改訂された1957年の法令(statute)は、視覚障害者に、電話交換手の職業と必要な訓練を保証した(Ahuja,1992)。1985年3月29日の法律の下に、5回線以上の集中交換機を有する民間及び公的機関は、少なくとも1名の登録された視覚障害者を雇わなければならないとされた。又は、数人の電話交換手を雇用する場合、51%の仕事を全盲又は多少の視覚が残っている重度の視覚障害者に割り当てなければならないとした(Lheureux,1991)。1995年にはおよそ8,600人の視覚障害者が、保証された電話交換手の職に就いていた(Zito,1995)。視覚障害を有する就労者のおよそ70~80%の者は、この職業に就いていたといわれている(欧州視覚障害者組合,1989)。しかしながら、1つの集中交換機を使用する大企業が増えており、この種の職業は減少していくと見られている(Zito,1995)。

特別な設備や職場改造の経費は,地域委員会(regional board)が担う(Galanti,1990)。交換機を視覚障害者のニーズに合わせて改造するという、地域の義務は、必ずしも守られていない。これは、視覚障害者を雇用しなければならないという義務を避けるのに好都合な方策としてたびたび用いられてきた(Zito,1995)。科学技術の進歩に伴い、電話交換手は定期的に再研修を受ける機会を与えられなければならない。しかしながら、地域(region)は、それに必要な資金を必ずしも提供していない(Zito,1995)。

マッサージ・理学療法士:視覚障害のあるマッサージ・理学療法士は、ベッド数に応じて、公的又は民間の病院に雇用される資格を有している。 Galanti(1990)は、およそ2,000人がこの職業に就いていると報告した。近年のリハビリテーション・セラピーの発展により、マッサージ・セラピストの活動が大幅に減少している。1994年には,新しい法律(1994年の法律第29号)が、特定の大学卒業資格を持つリハビリテーション・セラピストの雇用を義務づけた。1995年には、1,250人の視覚障害者のマッサージ・セラピストとリハビリテーション・セラピストがいた(Zito,1995)。

教師:1955年から1962年の法律によって、視覚障害者は教師の資格を得ることと、教師の職に就くことができるようになった。1971年には、さらに、主任教師のポストに就くための試験を受けることもできるようになった。その後の法律は、2%の教師のポストを競争試験にして確保し、彼らの勤務する学区の選択を優先させ、終身在職権を得るための勤務年数を少なくし、晴眼者の援助を得ることもできるようになった。1990年には、視覚障害者の施設も含めて800名しか視覚障害者の教師はいないと、Galantiは算出した。Zito(1995)は、およそ650名の視覚障害者が教師又は主任教師として働いていると述べた。

効果
イタリアにおける留保雇用に関する法律は、「失業を事実上なくすほど、目的を達成した」と、Galanti(1990)は書いている(p.1)。イタリアは全般的に失業率が高いと言われているので、これは非常に意義深いことである。Galantiの引用した内務省からの統計によると、就労年齢で全盲又は重度の視覚障害(通常の視力の20分の1)を持つ人が1万2,000人いるとしている。用いられる定義が異なるとしても、視覚障害者で占められる留保雇用による就労の数値は、Galanti が主張するように、ほとんどの人がそのような仕事に雇用されていることを示しているといえよう。

一般の労働の場(メインストリーム)での雇用を得ることができた視覚障害者の能力は、州からの経済的援助によって高められたと、Galantiは言っている。すなわち,年間収入が基準額を超えていない視覚障害者のための年金、そして、付き添い者の経費として補助する目的の隔月の補助金である。後者の補助金は、機能障害(impairment)に基づいて給付されるものであるので、就労中の視覚障害者も受給することができる。そのことは、「視覚障害者の職業のニーズを満たすためには、シェルタード・ワークショップが必要である」と主張してきたイタリア盲人連合の主張は適切でないことが証明されたと、Galantiはコメントしている。

一般雇用:財政的施策

 生産性の低い、障害を持つ就労者の、低い生産性を補償するような施策は、国レベルではない。

1992年の法律第104号第18条によって、雇用主に対する奨励金と補助金を地域が管理することになった。いくつかの地域(region)は、賃金、「社会的経費」(EC,1988)及び職場の改造費を給付している。TrueとLoy(1995)は、団体交渉によって決まった給料の70%に到達することのできた雇用主に対する措置について言及している。同氏らはさらに、職場への送迎経費を援助するための拠出についても言及している。

我々は、雇用主への支払いに関する情報をはほとんど持っていないが、SeyfriedとLambert(1989)は、雇用主に対して社会保険料を助成することが、不謹慎な雇用主にその乱用を広めることになったと、述べている。

自営業の障害者を援助する国家レベルの経済援助はない。特定の地域は、生業ローンを提供している(Lheureux,1991)。

シェルタード・ワークショップ

 その反対者からは、統合を妨げる非主流化システムとみなされるシェルタード・ワークワークショップと、後述の「統合協同組合」運動間で、イタリアで感じられる違いを反映して、他の国の報告と同様、本節では、保護雇用ではなく、主としてシェルタード・ワークショプ(sheltered workshop)についてまとめる。法制上はシェルタード・ワークショップは考慮されてはいるが、労働・社会保険省からの情報によると、そのための措置はほとんど実施されていないという。

シェルタード・ワークショップのユーザーは雇用の契約を交さず、彼らの活動に対する報酬を必ずしも受け取らなくても良いことになっていることに注意してほしい。Samoy(1992)とLheureux(1991)はシェルタード・ワークショップについて述べており、特記してない限り、彼らの文献に基づいてまとめている。

目的と対象者

 シェルタード・ワークショップ(laboratori protetti)の明確な定義はない。Lheureuxの研究で述べられた定義によると、「障害者の活動や就労の促進を目的とする措置であるが、同時に、ケアを提供し、一般雇用できるように準備をする者もいる」。300程のワークショップのうち3分の1は、ケアの必要性が高く、ワークショップと呼ぶことができない程であると、この研究ではみなされた(Samoy,1992,p.103)。残りの200のワークショップの主な活動は、木工、金工、織物、塗装、彫刻、農業、園芸や牧畜であり、これらのうち、木工や金工が大半を占めていた。

誰がシェルタード・ワークショップの対象者かについて国は規定していないが、地域保健又は社会計画では、ユーザーは障害の特質又は障害の程度の結果、職業訓練を受けても一般雇用に参加できない人びとであると言われている。ワークショップへの受け入れは、市町村の社会サービスや保健サービスによって行われる。

組織と財政

 シェルタード・ワークショップは、こうした取り組みを奨励することを可能にした1971年法(法律第11号,3月30日)以前に、すでに存在していた。さまざまな理由から,その法律は、シェルタード・ワークショップの措置をどのように実施するかについて、具体的な規定を作らなかった。Samoy(1992)は,それを説明すると思われる理由を述べている。それらは,1968年の法律における割当雇用制度の実施に力を入れたこと、数多くの保健、福祉そして職業訓練サービス領域への移行、そして、脱施設化の動向に伴い、障害者を隔離的に処遇することに対するイデオロギー上の反対である。

1970年代初頭には、シェルタード・ワークショップへの一般の関心は消失し、統合協同組合の出現によってその影が薄くなったにもかかわらず、その数は増加し続けた。Labosの1989年の研究によると、約3分の1のワークショップは1981年以前に設立され、他の3分の1が1981年から1984年の間に、残りの3分の1は1985年から1989年に設立されたと、Lheureuxが説明している。1989年には、57%は北部で運営され、南部では15%しかなかった。シェルタード・ワークショップの数は今もなお増加しており、保健省によって策定された国民保健計画1989-1991年において、150以上のワークショップが新たに設立されているとSamoyは述べている。このことは、特に組合や障害者団体の大きな反対を受けている。Samoyは、シェルタード・ワークショップを、障害者を(主流でなく)周辺化するところであり、ごみ捨て場であると決めつける1991年宣言を引用している。

ワークショップは、地区の保健サービス、自治体、又はいくつかの地域においては、地区の社会・保健ケアサービス(Unita socio-sanitaria locale)によって設立されている。保健ケア機関は、それらのサービスを促進する主たる機関であり、新たなワークショップを設置したい地域には、中央からの助成金が与えられる。公的なものか私的なものか、また、公的な機関による共同設置によるものかなどによって、異なった種類の財政援助が、地域の政策や実施によって提供される。

ユーザー(利用者)

 ワークショップのユーザーは雇用の契約をしない。彼らは時に応じて、彼等の仕事に対して報酬を受け取る。

シェルタード・ワークショップに参加している人びとの全国的データや人数はない。1989年のLabosの研究によると、182のワークショップ(生産的な活動を行っているとみなされたワークショップのうち)に3,276名のユーザーがいるという。ユーザーの60%は男性である。80%以上の者は45歳以下であり、41%の者は18歳から25歳であった。およそ3分の2は知的障害者であり、9%は身体障害者で、2%の人びとは感覚障害を持ち、21%は重複障害があった。

労働統合協同組合

 Borgaza(1996)、Samoy(1992)、Lheureux(1991)、Marchetti(1990)、そしてSeyfriedとLambert(1989)らの全てが、労働統合協同組合(work integration co-operatives, cooperative integrate)の創設と実践を高く評価している。障害者や社会的に不利益な立場にいる人びとは、もし彼らに適切な仕事とコミュニティーからの支援を与えられれば、信頼でき、生産的であり、きちんとしており、そして職場に悪影響をもたらすことはないということを、偏見に満ちた社会に対して示すために、労働統合協同組合が設立されたのであると、Marchetti(1990)は述べている。

これらの協同組合の数の増加は、大きな精神障害者施設の解体と平行しており、精神科民主化運動とも密接に関係している。SeyfriedとLambert(1989)によると、第1号の協同組合は、賃金なしの労働に対して反旗を翻した精神科クリニックの患者たちによって、1974年にTriesteにおいて設立され、労働契約の下で同じ労働をする協同組合を設立し、さらにその後には、クリニックの外でも働けるように発展させた。その運動は、1970年代後期にほとんどの精神障害者施設が閉鎖されたこと、また、割当雇用制度が適用されなかった精神病者についてはことさら、統合化された雇用を提供するという割当雇用制度の目的の実現に失敗していることが認識されたことで、さらに勢いを増した。1970年代後半と1980年代前半の協同組合の設立者たちは、親、精神障害者施設や職業訓練センターのスタッフ、また市町村や地域の保健機関、そしてカトリックのボランティアたちのグループなどであることが多かった。

目的と対象者

「社会協同組合」が普及したのは、福祉サービスを提供する非営利団体や協同組合の発展の1つの現象と見ることができる。実際に、多くの協同組合は福祉サービスや統合化された労働の場を提供した。しかしながら、このような発展は、協同組合に関するイタリアの法律に抵触するものであった(Borgaza,1996)。法律はついに1991年に制定され、社会協同組合を特別に認識させるものとなった。同法の目的において2つの事業、つまり、1つは社会・保健・教育サービスを提供するもの、もう1つは、定義された社会的不利な立場にある者に統合化された労働の場を提供するものと、2つのタイプに分けられた。その2つの目的は、同一の団体によって実施することはできない。法におけるはっきりとした区別の結果、両方の活動を行っていた社会協同組合は事業を再編成せざるを得なかった。Borgaza(1996)によると、「多くの場合、この再編成の過程は今もなお続いている」という。

Samoy(1992)も、労働統合協同組合を2つのタイプに分けている。第1のタイプ(cooperative di inserimento lavorativo)は、生産とサービス活動を発展させ、そこでは、障害のある参加者が職業技能(vocational skills)を獲得又は改善することができる。多くは職業訓練コースと関連して設立され、また多くは、恒久的な就労者よりも、訓練生の比率の方が高い。訓練や能力の向上が主要な目的であるが、実際には、障害者は長い期間これらの協同組合において働いており、むしろ被用者としてずっと残っている。2つめのタイプは、統合化された生産協同組合(cooperative integrate o di produzione e lavoro)である。これらは協同組合の枠組みの中で、障害者やその他の不利益な立場にいる人びとに恒久的な雇用の場を提供することを目的としているが、これらの協同組合は障害者に対する訓練も実施することができる。実際には、これらの2つのタイプの協同組合の区別は明確ではなく、それらの活動は非常に似ている。Borzaga(1996)は、不利益を持つ労働者を一定期間の訓練の後に一般雇用に統合化する目的と、協同組合の活動の中で安定した統合化を行うという目的の、2つの目的の違いを強調している。

協同組合の対象となる人びとは、「労働市場における不利益な人びと」と法律に規定されている。これは身体障害、感覚障害、知的障害のある人びと、治療中もしくは施設を退所した精神病者、薬物依存者、アルコール依存者、そして、有罪となり(刑務所に入る)代わりの罰を申し渡された人びとを意味する。いくつかの協同組合はそこの対象者を1つのカテゴリーに定めているが、他の協同組合は、対象者としていくつかのカテゴリーの者を受け入れている。1991年の法律によって、労働統合協同組合は、財政支援を得るためにこれらのカテゴリーから少なくとも30%の人を雇わなければならないとされている。

実施状況 (Provision)

 1986年の全国調査によると、268の労働統合協同組合があり、そのうち89はLombardiaにあり、71はVenetoにあった。1990年に行われた地域調査によると、それぞれ、128と71であった。領域ごとの分布の違いは表It.4に示されている。

Consorzio delle Cooperativeによって1993年に行われた社会協同組合の郵送調査によると(Borgaza,1996に引用)、4,500から5,000人の不利益な立場にある労働者が社会協同組合に雇用されていると見積もることができる。

表 It.4 労働統合協同組合の分布状況
北部 中部 南部
Piemonte 11.6% Toscana 1.5% Abruzzi -
Valle d' Aosta 1.1% Umbria 1.1% Molise 1.1%
Lambardia 33.2% Marche - Campania 1.1%
Trentino A.A. 2.3% Lazio 2.6% Puglia -
Veneto 20.9% - - Basilicata 1.1%
Friuli V.G. 5.2% - - Calabria -
Liguria 0.4% - - Sicilia 2.3%
Emilia Romagna 13.4% - - Sardegna 1.1%
合計 88.1% - 52.0% - 6.7%

出典:Acler et al.,1992

財政と組織

 「統合協同組合」は独立した自己管理の組織である。それらは社会連帯と相互利益の原則に基づいて運営されている。収益活動は認められていない。スタッフメンバー、支援者、訓練生そして家族やスポンサーも、協同組合の会員(soci)となることができる。原則として、協同組合の全ての被雇用者が協同組合の会員である。

全国レベルにおいては、協同組合は2つの大きな上部組織(Lega delle CooperativeとConfederazione delle Cooperative)を形成している。これらは運動体であって、協同組合を設立するの際の援助、情報、訓練、賃金管理、市場調査などを実施している。いくつかの協同組合は地域でグループ化し、同じ役割を果たし、協同組合の普及を後援し、加盟協同組合との間で交流活動をしている。

1991年の法律第381号までは、地域(regions)による協同組合の財政に関する明確な法的基盤はなかった。それ以前には、財源は地域当局、州、市町村又は地区保健サービスから得られていた。いくつかの地域では、財政は法によって規定されていた。地域当局からの支援はさまざまの形をとっていた。協同組合設立に使われる資金への寄付、建物や設備のための助成金、職場改造のための補助金、賃金に対する社会保険料の払い戻し、就労奨励助成金、学習又は訓練のための奨励金、そしてサービスの下請けなどである。市町村や地区保健サービスは、多くの場合、協同組合に対する事業委託という形で支援を行い、市町村や地区保健サービスは、時には、協同組合の共同出資者でもある(Samoy,1992)。設立時の設備費おいても、事業運営資金の援助においても、協同組合に与えられる財政援助は地域によって大きく異なっていた。しかしながら、全ての地域においてこれらの資金は不足していた。1992年の社会企業(social firms)会議の報告書によると、1980年までに設立された100の共同組合のうち、40は市場原理によってつぶれ、15は経済的に独立し、残りは存続していくのが精一杯の状況にあった。

Borzaga(1996)によると、1991年法の後に地域支援法が制定され、その政策は地方自治体によって適用された。未だ無計画的ではあるが、労働協同組合の発展を促進している。設立や推進計画のための助成金、新たに参加した労働者の労働コストを削減するための対策や、公共事業契約の配分について協同組合を優先するなど、積極的な取組みが採られている。

その法律は、社会協同組合に対し税金を免除したり、労働統合協同組合における不利益な立場にある被用者の社会保険料(イタリアでは総賃金の30%)の支払いの免除を規定している。

労働条件

 協同組合によって雇用された、不利益な立場にある人びとの職業身分と賃金条件は、全国レベルで一律に規定されていない。学習契約(learning contract)、訓練契約,又は労働助成金を得ている被用者は特別な扱い(身分)である。他の被用者も協同組合の正式会員になることができる。法律上の実践からいうと、彼らは時には現在の雇用法によってカバーされる被用者でもあり、時には事業主(entrepreneurs)ともみなされる。このことは、彼らへの賃金支払いや解雇の規定に関して問題を引き起こす。被用者は、一定期間又は期間を定めないで、雇用契約を交わすことが可能であり、彼らはパートタイム又はフルタイムで働くことができる。場合によっては、協同組合と労働組合との間で集団協約(collective agreements)が交わされる場合もある(Samoy,1992)。

活動

 労働統合協同組合の活動に関する詳しい情報はほとんどない。公共団体との契約により、公園や公立庭園の維持管理、また、下請け手工業や組立作業については、通常、企業と契約していると、Borgaza(1996)は言及している。彼は、人的サービス(personal services)も広がってきていると述べている。

Acler他(1992)が引用した1986年の全国調査によると、表 It.5のとおり、労働統合協同組合の主な活動の種類が明らかにされた。

表 It.5 労働統合協同組合の主要活動
活動 協同組合の%
農業 26.9
工業 21.3
工芸 59.7
商業 10.8
サービス 68.3

出典:Acler et al.,1992

被用者

 被用者の特徴に関する情報は、地域(regions)の研究から得ることができる。例えば、Lazio地域の調査は、総数約1,000人が働いている34の統合協同組合を対象としている。それによると、被用者の57%が障害者であると書かれている。そのうち、41%は精神病者又は精神障害者であり、32%は身体障害者、2%は感覚障害者で、25%は重複障害を持つ者であった。半分よりわずかに多い(55%)人は、3分の2以上の程度の機能不全(invalidity)であり、32%の者は3分の2の機能不全、そして13%が3分の2の機能不全であった。大多数(91%)の者は、協同組合に参加する以前は1度も働いた経験が無く、彼らのほとんどは、正式の教育を受けていなかった(Samoy,1992,pp.105-106)。

Consorzio Gino Matarelliによって1993年に実施された全国郵送調査を、Borgaza(1996)が引用している。110の労働統合協同組合及び127の労働統合・サービス協同組合を含む、237の協同組合における被用者に関する情報を提供している。全部合わせると、4,747人の健常で不利益を有していない人と1,931人の不利益を持つ労働者を雇っていた。回答者のうち50%以上の者は、障害者(33.4%)及び知的障害者(18.6%)の労働統合と関係していた。

移行

労働統合の効果を評価する調査が1994年に実施され、北イタリアの4つの地域における33の社会協同組合を対象に行われた。調査対象の33の協同組合に雇用された466人の不利益な立場にある者は、以下のように分けることができる。

  • 33%はまだ労働統合のプロセスの途中であった。
  • 26%は協同組合に安定的に参加していた。
  • 42%は協同組合を辞めていた。

 辞めた人のうちの44%はスケジュールを終え、そのうち66%は労働市場に入り、そのうち79%は雇用されていた(Borgaza,1996)。

一方、この調査は、労働技能(ワークスキル)の向上と労働統合についての満足のいく成功率を明らかにした。また一方で、この調査は、主に企業が選択雇用方針を採っているためや、社会協同組合と企業間のシステマティックな関係がないこと、そして、労働者が高い技能に到達することを妨げている社会協同組合の生産活動における技術的レベルの低さなどが、不利益な立場にある労働者を一般労働市場へつなげることを未だに制限していることを強調している。

要約

 障害及び障害者に関する初の「枠組み法」は1992年に制定された。この法律の主要な目的は、障害物の除去、アクセスの改善、そして障害者が各種サービスや施設を利用できることを可能にすることである。この法律は、まったく新しい障害者の定義を導入した。障害者とは、障害が安定しているか又は進行性であるかにかかわらず、労働への統合化の問題ばかりでなく、学習問題や人間関係上の問題を引き起こすような、身体的、心理的又は感覚的な機能障害を持つ人びとである。この法律は、1947年に設置された割当雇用制度を拡大し、心理的機能障害を持つ人びとも対象に含めた。

イタリアにおいては、20の地域当局(regional administration)が、国家の法的枠組みの中又は枠外で、保健・社会・雇用政策に関する法律を制定することができる。1992年の枠組み法の目的は、障害者に対する地域政策と措置の不平等をなくすことである。

歴史的に、法律制定は、機能障害(impairment)やその種類によって、障害者のカテゴリーに対応するものであった。雇用政策においては、戦争や兵役によって障害を持った者、また、視覚障害者に対して特別な措置を行ってきたという強い伝統があった。労災や職業病により障害者になった一般市民障害者や聾唖者も、また特別なカテゴリーとして扱われた。障害者の義務雇用は、割当雇用制度の始まった1947年に始まり、登録制度や遵守規則がまず導入され、次に、他のカテゴリーに属する障害を持つ労働者に関する法律が定められた。この制度は、不満足なものであると認識されているが、それに代わるものはまだ合意されていない。

イタリアにおける障害者雇用措置の特徴は、協同組合の活動である。法的及び政策の枠外で発展してきた労働統合協同組合は、地域又は地区レベルから資金を得てきたが、今では1991年の法律によって認知され、規定されている。彼等は障害者や不利益な立場にある人びとの中でも,特に精神障害者に対して労働の機会を与えている。それに比較して、シェルタード・ワークショップは、境界線上にある施設であるとみなされることがある。

職業訓練を提供する責任は地域にある。通常の職業訓練コースに参加できない人には、特別コースが用意されている。伝統的な閉鎖的な訓練施設は契約を交わし、また、職業紹介のギャップを克服するためもあり、職業訓練センターは現任訓練の要素を取り入れる方向に移行しつつあるが、現任訓練不足は批判の的となっている。社会協同組合も訓練を実施し、職業紹介も実施している。Genoaにおける、学校を卒業した若者のための援助付き雇用プロジェクトは、完全に統合化された労働の機会を作るという点で成功している。

一般雇用市場への職業紹介は地区の雇用事務所の職業紹介担当者の責任である。義務雇用規則の下で就職先を探している障害者は登録をしなければならず、少なくとも45%以上の職業能力の減退がなければならない。就労許可を得ることが必要なために、イタリアでは全般的に登録率は高い。

今日では、義務雇用計画は、カテゴリー別の割り当てとなっており、複雑であり、全体で15%に相当する。55歳以上の人は除外されている。割当雇用率は、35名以上の被雇用者のいる公的及び民間企業に適用されるが、非適用の範囲もある。達成された割当雇用率の解釈は、特定のグループの障害者の孤児や未亡人を含むため、複雑である。1994年には、26万名の登録した失業障害者のうち、23万6,000の障害者が割当雇用制度の下で雇用された。イタリア国の南部においては明らかに被用者が少なく、失業者が多いというように、地域差が大きい。コメンテーターは、企業や公的施設が法律に規定されている義務を回避又は無視する傾向があることについて述べている。

優先雇用措置によって、ほとんどの視覚障害者が主に電話交換手、マッサージ・理学療法士や教師の仕事に就いている。視覚障害者は、就労中か否かにかかわらず、付き添い者の費用をカバーする目的の手当を受給している。

いくつかの地域では、賃金コストに対する補助や職場の改造のための助成金を出しているが、国家レベルでは、雇用主に対し、障害者の生産性の低さを補償することを目的とした一般雇用施策はない。

300以上のシェルタードワークショップがある。ユーザーは雇用契約を交わさず、必ずしも全ての者が報酬を受け取るわけではない。ワークショップを推進する保健・社会ケア機関は、ユーザーを、彼らの障害の特質又は重さの結果、一般雇用に就職させることのできない人びととみなしている。

雇用の最も優れた新たな形態は、社会協同組合の1つのタイプである労働統合協同組合である。社会協同組合の発展は、大型の精神障害者施設の解体と平行して起きてきた。これらの多くは、障害者や社会的に不利益な立場にある人びと(薬物依存者、アルコール依存者、非拘束刑に服役中の囚人を含む)の自治、責任、力を高めるために設立されたものである。いくつかの労働統合協同組合は、参加者が技能を獲得又は向上することを目的としている。訓練や技能の向上が主たる目的である。その他は、社会連帯と相互利益の枠組みにおいて、恒久的な雇用の場を提供している。収益活動は認められていない。経済的支援は地域又は地区レベルから受けられる。1993年の時点で、推定4,500人から5,000人の不利な立場にある者が社会協同組合に雇用されていた。

1994年には、イタリアの稼働年齢層の人口は5,120万人であり、稼働者数は2,268万人であり、失業率は11.3%であった。

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主題:
18カ国における障害者雇用政策:レビュー No.6

発行者:
ヨーク大学社会政策研究所 1997

発行年月:
1997

文献に関する問い合わせ先:
Publications Office Social Policy Research Unit University of York Heslington York YO15DD UK
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