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被災地支援センター

JDFみやぎ支援センター(JDF宮城)
仮設住宅訪問活動について

2014年7月

1)仮設住宅訪問について

2012(H24)年9月~2014(H26)年7月

  • 訪問した仮設住宅の数 132ヵ所 ※不在での再訪問や支援物資でのやり取りで何度か同じ仮設住宅に再訪問した数は入れていない。 (気仙沼市・南三陸町・石巻市・女川町・東松島市・仙台市・名取市・岩沼市・亘理町・山元町)
  • 障害のある方と出会えた数(手帳を保持していない方1名含む)49名
  • 物資提供した方の数 12名(内2名は、社協職員からの相談で、町営住宅に住んでいる方への手すり取り付け支援。仮設の自治会長からの情報で、仮設商店街の食堂を経営している方の息子さんへのマットカバーを支援) 物資支援したもの(手すり・杖・バスマット・介護用折りたたみベット・マットカバー 座椅子・液晶TV・インターフォン・光るチャイム・畳)
  • 訪問した自治体
     (気仙沼市・南三陸町・石巻市・女川町・東松島市・塩竈市・七ヶ浜・仙台市・名取市・岩沼市・亘理町・山元町)

2)震災時、どのようにして助かったのかについて、障害のある方々からの声。(お話を伺った中のごく一部)

1.震災時は、夫婦で神社のある高台の方に逃げた。ご主人が障害あるため、スムーズに逃げられず上の方にいた数名が来てご主人を支えながらなんとか高台に逃げることができた。助けてくれた人達の名前を聞かなかったことを悔やんでいる様子。(足に障害があり女川町医療センターのリハビリに通っている)

2.震災時は、女川町医療センターにあるデイサービスに行く日だったため助かった。家は流されたので、最初に2週間はデイサービスのある老健で過ごす。仮設に入る前の大半の期間は親戚のいる古川で生活していた。

3.ご夫婦でそれぞれの車で一緒に逃げたが、津波を見た瞬間体が動かなくなった。それを見たご主人が障害ある奥さんを車に乗せてなんとか助かったとのこと。そのため、車1台を失う。

4.震災時は事業所に通所していたため無事だった。家には戻らず、総合体育館に避難しその後小学校に移る。家は流され今の仮設で生活することになったと話す。(精神障害)

5.耳が不自由で話がかみ合わなかった。震災時は胸元まで水が上がってきて、竹にしがしがみついてなんとか助かったと話す。(聴覚障害)

6.震災時は、叔父が自転車で出かけていて探し回った。偶然に胸騒ぎがして小屋のちょっとした隙間を覗いてみたら、地震で落ちてきた本や雑誌に埋もれて身動きがとれない状態。叔父を引っ張り出して九死に一生をえた。(聴覚障害)

7.震災の時は、家族に連れられ高台に逃げて助かったとのこと。(視力障害1級)

8.震災では母親を亡くし、借りていた家が流させた。妹と一緒に必死で逃げて山の中で火を焚いて一晩を過ごしたと話す。

9.自治会長の奥さんは津波で流され今も見つかっていない。自治会長は日赤病院にいて、奥さんがいた自宅に行こうとしたが行けない状況になり仕方なく病院に戻って助かった。(器官拡張症)

10.震災時は自営でやっていた下宿にいた。必死で高いとこに逃げ、そこで知り合いの車に乗せられて逃げ切った。石巻に住んでいる娘と連絡がつくまで入谷のある方のお宅にお世話になった。その後、今の仮設が当たるまで娘と一緒に生活していたとのこと。(両足が不自由)

11.震災時は、外に出ないで2階に避難。1階は浸水したが2階に逃げたことで助かった。

12.高齢の母親を車椅子にのせて、知らない人が両脇の車椅子を抱えて高台に逃げたとのこと。親戚などの家を頼って生活していたが、ご主人が気を使うこともあり8ヶ月経ってやっと今の仮設に住むことになった。(両足が不自由)

13.病院にいたので大丈夫だった。(身体障害3級)


-平成26年度JDF宮城訪問活動記録(4月-7月)-


訪問の様子
4月、仮設住宅集会所にて・みみサポ庄子さん同行


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