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被災地支援センター

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みやぎ支援センターニュース 「ゆい」No.6

日本障害フォーラム(JDF)東日本大震災被災障害者総合支援本部・みやぎ支援センター

2011年4月23日発行
仙台市太白区・仙台ワークキャンパス内(5月以降転居)080-4373-6077 メール:jdf.miyagi@gmail.com
ホームページhttp://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/JDF_shienhonbu.html


 センターの活動は、被災された事業所への訪問調査に加えて、避難所や自宅でくらしている障害のある方、ご家族が抱えておられる課題の把握と対応などの取り組みをしています。また、訪問調査で寄せられた要望についても、県内で活動している団体や行政等の機関とも協力して、支援物資をお届けしています。活中からモデル的な取り組みも生まれ、再建・復興を支える活動につなげていきます。

★「NPO法人難民を助ける会」と連携して迅速な物資の提供へ

 避難所を中心に障害のある方の安否確認や生活のニーズを把握するため訪問調査を続けています。避難生活を送る方々には、まだまだ物資が十分に届いていないのが現状です。そういった状況の中、気仙沼市の生活支援センターからも食料や生活物資が足りず困っているという情報を受けました。対応を検討している中で今回「NPO法人難民を助ける会」と連携・協力し、車いす5台と車いすカッパ5つとレトルトごはんを段ボール2箱・ランタン型ライトを届けることができました。今回のニーズは生活支援センターから出てきたものであり、物資はセンターを通して地域の困難な状態にある障害のある方々にお届けできました。
 また、南三陸町にある避難所(平成の森)コテージで避難生活を送られている6名の障害のある方へラジオのイヤホンと夏物衣料・ボックスティッシュを届けに行きました。この避難所では、およそ8畳程のスペースで6人の方が避難生活を余儀なくされています。外出もままならず、先の見えない重苦しい暮らしをされています。しかし、届いた夏物衣料を見ると部屋の空気が一変、歓声が上がり「嬉しいです。」と笑顔になられました。南三陸町は未だに水道が復旧せず、まだまだ安定した生活を送れない状況が続いています。その中で、余暇や移動の支援というニーズが上がってきているので、現在調整中です。
 今回のように、「NPO法人難民を助ける会」と連携・協力することで、迅速に支援物資を集めることができ、物資を提供することが可能になりました。その結果信頼関係が生まれ、そこから次へのつながりが生まれてきたように思います。これからのセンターの活動は、緊急的な支援を行いつつも、更なる実態把握に努め、情報伝達や避難所生活などのニーズに応えていきます。

写真1:4月20日南三陸町避難所にて
4月20日南三陸町避難所にて

訪問累計(4月22日現在)

  支援員 避難所 市町村 障害者支援事業所 関係機関 自宅・その他
本日 40人 42ヶ所 9ヶ所 14ヶ所 9ヶ所 17ヶ所
累計 699人 430ヶ所 120ヶ所 238ヶ所 71ヶ所 104ヶ所

●訪問活動日誌から… 自宅にうかがったある男性の話

 「自分も片目が見えたら、何か役に立つことをするけど、片目も視力が悪くて遠近感がなくて…」とおっしゃられ、避難所に迷惑がかかると遠慮してしまい、傾いてしまった家に1人でこもって生活をされている当事者の方の聞き取りをしました。適切な支援も受けられないまま、孤独に過ごされている60代の方でした。伺った時にあった食料は、ペットボトルのお茶が4本だけで食事は1日1回とるかとらないかとのことでした。避難所以外でもこうした方がおられることを知り、少しでもお手伝いができればと思い動き出しました。
(訪問した支援員の記録の要約)

●支援活動に参加した支援員から●

○ 宮城市内に入った時は、たまたま震災の影響をあまり受けていない地域だったのでわからなかったが、震災の被害を受けた地域を自分の足で回ることで、改めて今回の震災の凄まじさを見せつけられました。復興までにはまだ長い時間かかるとは思いますが、一日も早くみなさんの笑顔が見られるように今後も協力していこうと今回のボランティアを通じて感じました。
(高橋さん 東京からの派遣)

○福岡から28時間かけ、福岡と熊本の仲間2人とやってきました。慌ただしくも、実に濃い内容の1週間でした。 一生忘れ得ぬ光景を目の当たりにし、この悲しみと辛さ、そして「みやぎ」の皆さんの復興にかける思いを、一人でも多くの人たちに伝えることが、帰っていく私に課せられた使命のように思っています。それぞれの「ふるさと」で頑張っていきましょう。
(川畑さん 福岡からの派遣)

写真2:あるミーティング会議の風景
あるミーティング会議の風景

○宮城に初めて訪れるのがまさか震災によるボランティアになるとは思いもしなかった。
初めて見る光景。海が全く見えない場所に船がある。潮の香りがする。
4階建ての校舎をまるごと飲み込んだ津波の爪痕。砂浜に作った砂山に重なった。
行き着かない支援者を待っている人たちを探す旅で達成感が得られないまま、知識のなさや力のなさを感じたけれど、自分にとってはどんな研修よりも勉強になった。
東京にもどっても助けを必要としている人がいる。
どこにいても宮城のために出来ることがあるし、震災の復興までには10年20年はかかると思うけどきっとみんなが助け合って希望を持っているかぎり大丈夫なんだと確信した。
一人じゃない、みんながいるよと言われたような気がする。
きっとまたいつか美しい海や温泉を目当てに宮城に来たいと思う。
(臼井さん 東京からの派遣)

今までの支援員・・・14都道府県  延べ120人の参加です。
(4/22現在)

<活動の記録>

4月18日(月) 被災障害者を支援するみやぎの会とJDFみやぎ支援センター共催の「第2回情報交換会」を開催した。
4月19日(火) 登米市の避難所へ訪問。JDFみやぎ支援センターのチラシを見てメール問い合わせをしていただいた方への調査と対応を行う。訪問チームの早い対応に感謝していただいた。女川町へはじめて訪問調査に入る。大きな避難所を中心に訪問する。視覚障害や発達障害のある方の情報を確認する。町のボランティアセンターとのコンタクトをとる。
4月20日(水) 気仙沼市(車いす5台とカッパ5つとレトルトごはんを段ボール2箱・ランタン型ライト)・南三陸町(ラジオのイヤホンと夏物衣料・ボックスティッシュ)へお届けにあがる。
4月21日(木) 毎日新聞(21日夕刊、22日朝刊宮城県版)へのみやぎ支援センターの記事掲載

障害のある方のよりよい地域生活を再建していくためにも
今は人が必要です。ぜひご協力お願いします!


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