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コンピューター・プレイセンターで遊びましょう-コンピューター・プレイセンタープロジェクトに関する図書

ヨーテボリ市

ここでは子ども達が、自分にできることをやってみせてくれます

「Äpplä 」(りんごの意味。綴りに間違い)マティアスは書きます。それに「fönstär」(窓の意味。綴りに間違い)。彼はすぐに何かおかしな箇所があるのに気がつきました。しかしそれが何かを理解することはなかなかできません。なぜならマティアスが書いた綴りは彼が発音するとおりだからです。
 マティアスが最も誇りを持てるのはコンピューターの前に座る時であり、それには大きな理由があります。
 文字を正しく綴ることは困難ですが、キーボードとマウスを扱うことにはなんの問題もありません。またゲームの『メモリー』やクロスワードパズルは鮮やかに解いてみせます。  マティアスは絵を描くことも好きです。彼は丹念にモチーフを選びます。そして最後には草原の中に立つ1頭の馬と、窓辺にいる猫の絵が出来上がるのです。今日はお祖父さんとお祖母さんがマティアスをコンピューター・プレイセンターまで送ってきて、そのまま立ち寄って見学しました。
 お祖父さんとお祖母さんは、彼が空をスウェーデンの旗のような青で塗り、窓枠を鮮やかな黄色で塗ると、これでは誇張しすぎだと少々文句を言いました。しかし彼はそうしたいのです。
マティアスは彼の絵がゆっくりと出来上がってくるにつれ、にっこりと微笑みました。
 マティアスは今6年生です。彼はサウンドカードの付いたコンピューターを家庭で使っていて、プログラムソフトをコンピューター・プレイセンターから借りています。どちらも彼が遊んだり文字を書いたりするのに必要なものです。

オスカルと『ヨークスと電車』

 オスカルは4歳です。オスカルもこの日、ヨーテボリのコンピューター・プレイセンターに来館していました。彼は『電車の運転をするヨークス』というプログラムソフトから始めました。しかし電車の貨物列車に乗っている四角、三角、丸を見分けるのはそれほど簡単ではありません。彼はその後、正しい図形が正しい場所にくるようにタッチパネルに触ります。始め、当然電車は行ってしまいます。面白いのはその後です。電車は汽笛を鳴らして消えてしまう時に手を振るのです。オスカルはバイバイ』と言うと、じれったそうに次の電車の呼び出しを手伝ってもらうのを待ちます。
 オスカルがこのように父親母親と共にボロースからこのコンピューター・プレイセンターに訪れるのは、3回目です。オスカルは体中が不安でいっぱいです。彼はほんの一時興味を示しましたが、まもなく別のコンピューターにとんでいったりおもちゃに飛びついたりし、またはおしっこがしたいと示すために父親の手を引っ張ったりしました。
 コンピューター・プレイセンターでの遊び時間が終わると母親のヤーナはアニカ・ピールプスに、オスカルがコンピューターで遊ぶようになる可能性についてどう思うか訊ねました。アニカは、オスカルは必ずコンピューターを利用するようになります、数ヶ月後にまた予約を入れておきましょうと答えました。

なんて幸せな日!

「ほとんどの子供達がコンピューターを利用することにより、喜びを感じます。」
アニカは主張します。コンピューター・プレイセンターに来て、コンピューターで遊ぶことに興味を示さなかった子どもはほんのわずかです。アニカは毎日、大喜びで遊ぶ子ども達に会っています。
 「なんて幸せな日なんだろう!」
ある男の子がコンピューターゲームの間に叫びました。
 コンピューター・プレイセンターでは子供達は、実際には自分に何ができるのかを示すことができるのです。彼らは自分の兄弟や友達と同じ条件で遊ぶことができるのです。他の時はいつも不安な気持ちの子供達が、長時間集中して座っていることができるのです。ペンを持っていることができない子ども達は塗り絵プログラムやアルファベットを扱うプログラムをとても喜びます。ある女の子は、両親がコンピューター・プレイセンターではいかに遊びがうまくいくかということに気がついた為に、学校用のコンピューターを手に入れることができました。コンピューターによって、彼女の学校生活はがらりと変わりました。
 『コンピューター・プレイセンターが大きな役割を果たすもう1つのグループは、軽度の機能障害を持つ子ども達です。』 アニカ・ピールプスは言います。彼らは常に自分を他の機能障害のない子ども達とを比べています。そしてそのほとんどが自分の方が劣っていると感じています。コンピューター・プレイセンターではこのような子供達が成長し、何か有益なことができるのです。

わずかな助成金

 ヨーテボリのコンピューター・プレイセンターは大都市にあるがゆえに、かなり小額の助成金しか受けることができません。養護教諭のアニカ・ピールプスがここで働く割合は彼女の全就労時間の65%で、作業療法士のエーヴァ・ホルムクヴィストが働く割合は25%です。このプロジェクトが始まった時に最も関わっていたのは、幼稚園教諭でありプロジェクトリーダーのエヴァ・オールソンです。現在彼女は自分の就業時間のほとんどをSIHの教材制作に捧げ、コンピューター・プレイセンターには月のうちの何日間か来るだけです。(SIH:学校における障害者問題の為の国立研究所)
 ヨーテボリのコンピューター・プレイセンターは、西スウェーデンの地方ハビリテーションセンターであるブレッケエステルゴードにあります。
 ボーヒュース県、エルブスボリィ、スカーラボリィ、ヴァルムランド、ハッランドおよびヨーテボリのランスティングはブレッケと契約を結んでおり、肢体不自由を持つ子ども達は検査と治療のためにブレッケに紹介されることになっています。子供たちはブレッケエステルゴードにある少人数クラスの学校に行くことができます。治療を受けるためにブレッケを訪れた子ども達はすでにコンピューターを使った遊びを体験しています。コンピューター・プレイセンターがここに設立された時、その事業が拡大されたというわけです。
 コンピューター・プレイセンターは未就学児の検査課と同じ建物に設置されました。それが多いに効を奏しました。
 コンピューター・プレイセンター周囲の環境は子ども達に優しく、また検査を受ける子ども達につきそってくる親達もコンピューター・プレイセンターがあるのを知ることができます。
「私達はコンピューター・プレイセンターをコンピューター視聴覚センターの近隣に設置する可能性について話し合っていました。しかし結局はここにある子ども達に優しい環境の方を取ったのです。コンピューター・プレイセンターの将来は、まだ決まっていません。私達に判っているのは1994 までの予算があることのみです。現在この事業が存続できるように運動しています。」
 エヴァ・オールソンとアニカ・ピールプスは言いました。

半年間待つ

 問い合わせは多数です。このコンピューター・プレイセンターの場所が決まる前にもう、親達は電話をかけてきて来館時間の予約を開始していました。アニカは自分が勤務する日には4人の子ども達を受け入れています。この3ヶ月間予約ノートはいっぱいでしたし、実際はその後の3ヶ月もそうでした。実際には予約できる期間ではなかったのですが。
 その一年半後約120人の子ども達がコンピューター・プレイセンターを訪れていました。何人かの子ども達は”再来館”なので、10回分来ていることになります。
 貸し出し用のコンピューターは3台しかないので、必要としている家族は1年待たなくてはなりません。しかし多くの家族はコンピューターをすでに持っているか、コンピューター・プレイセンターに来館した後に購入しています。プログラムを借りるだけなら待つことはありません。
 設立時このコンピューター・プレイセンターはこの事業を広報するために何度かオープンハウスを企画しました。マスメディアも力を貸してくれました。各ルポルタージュを見て何人かの親達が電話をしてきて、来館を希望しました。1例を挙げればオスカルの母親はローカルテレビの特集番組を見て、遊戯療法センター(Lekotek)職員から電話番号をもらいました。彼女もその他の母親達も来館手続きが簡単で、一度の来館の為に医師の紹介状を手に入れる必要がないのを評価しています。 待ち時間の方は子ども達が必要とするその他の施設と同様に長いのですが。
 「多くの親達はコンピューター・プレイセンターの情報を私達が様々な父母団体に送ったインフォーメーションによって得ています。この地域のほとんどの医療チームや県のリハビリセンター職員達はここへ見学にきてその後つながりのある親達に紹介しているのです。しかし相変わらずこの事業について知らない多くの親達がいることも分かっています。」

コンピューター・プレイセンターのネットワーク作り

 ハビリテーションセンターと医療チームの職員はコンピューターがどれほど多くのものを子ども達に与えられるか知っています。ほとんどの職員がすでに業務の中でコンピューターを使い、その他の職員も手に入れようとしています。ある県立ハビリテーションセンターなどは、コンピューター・プレイセンターに5回訪れてから、子ども達にハビリテーションの診療を続けさせるように親達に薦めています。私達が連絡を取っているハビリテーションセンターのいくつかは独自のコンピューター・プレイセンターを始めたいと望んでいます。恐らく私達は今までの経験を武器に、このネットワークの中で中心的役割を演ずることになるでしょう。
 アニカとエヴァは見学を望む全ての人々を受け入れています。ほとんどの医療チームはここを訪れていますし、ブレッケと協定を結ぶランスティング内の全ハビリテーションチームもそうです。また二人は父母グループ、言語療法士、支援器具コンサルタント、グループホームや更正施設(behandlingshem)の職員、それに特殊教諭課程の学生達なども受け入れています。コンピューター・プレイセンターのあるブレッケエステルゴード内の、他の様々な機関の職員達もコンピューター・プレイセンターについて知るようになりました。
 アニカとエヴァは父母グループや機能障害を持つ子ども達のために働く職員達向けの研修をも企画しています。ブレッケに検査に来る子供達がコンピューター・プレイセンターに来ることはありません。なぜならば検査課にもコンピューターがあるからです。しかし親達が来てコンピューターや様々なプログラムを見るのは大歓迎です。
 「視覚障害者専門ソーシャルワーカーと協力することにより多くの視覚障害のある子ども達をここに連れてくることができました。その結果ほとんどの場合、思っていた以上に彼らが画面を見ることができると判りました。それは彼らに熱意があり、またコンピューターが信頼のおける支援器具であるからに違いありません。子ども達がクリックする度に何かしら新しいことが起こり、音やきれいな色彩と共に驚くようなことが現れるのです。ですから常に好奇心が刺激されるのです。ある種の視覚障害を持つ子ども達にとっては、早期の視覚訓練はかかせません。それは彼らの将来の視覚に大きく影響するのですから。」
エヴァは言いました。
マティアスはマウスとキーボードの両方を使っています。イラストレーションプログラムで絵を描くことが大好きです。

1984年にできた最初のプログラム

 子どもとコンピューターに関してエヴァとアニカが築いてきた経験はコンピューター・プレイセンターにて惜しみなく発揮されています。実はエヴァはスウェーデンで機能障害を持つ子どもの為にプログラムを作成した最初の人間なのです。それは1984年のことでした。その時彼女はコンピューターを必要としている子ども達がいることを見てとったのです。なぜなら彼らは普通の方法では遊ぶことができないのですから。エヴァはクリックスイッチでコントロールできるようなイギリスとアメリカのプログラムを何種類か入手し、その結果機能障害を持つ子ども達はコンピューターで遊ぶことによりどんな可能性を得ることができるのか気がついたのです。
 ほとんどの障壁は子ども達の機能障害ではなく、プログラムでした。エヴァはある聴覚が鋭い優秀な技師と協力して『ダータレーク(コンピュータープレイ)』というプログラムパッケージを作りました。このプログラムパッケージはこの類のものの中では国内のベストセラーとなっています。
 10年間で得た見解から、エヴァは機能障害を持つ子ども達がコンピューターを用いることには利点しかなく、利用時間が長すぎるなどの危険はないと考えています。
 「すぐ傍には会話や共同作業ができるように気をつけることができる大人がいるべきです。コンピューターは子ども達が遊び易いように助けてくれますが、親達にとっての時間節約の道具ではありません。親達は子ども達の活動、喜び、熱意などを見たら彼らにさらにチャンスを与えたくなるでしょう。それは時間を取られることを意味するのです。」
 コンピューターがベビーシッターの役割を果たすという危険はありません。それは子ども達自身が調整します。重度の身体障害を持つ子ども達はつらくてそんなに長い間座っていることはできないのです。自閉症やMBD/DAMP注4の落ち着きのない子ども達はコンピューターの前にさえ、そんなに長い間座っていることはできません。

コンピューターは遊びの為”だけ”の道具ではありません

 家庭と学校、どちらにおいてもコンピューターを利用している子ども達はたくさんいます。肢体不自由を持つ子どもたちは、学校において支援器具として個人用のコンピューターを与えられます。それならば未就学児や肢体不自由以外の機能障害を持つ子ども達も、より活動的である為に、そして生活の質を高める知識や経験を得る為にコンピューターの助けを得るべきではないでしょうか。しかし支援器具としてコンピューターの支給を受ける権利は持っていないのです。
 「コンピューターは多くの事情により、様々な種類の機能障害の子ども達にとっては相変わらず日常的な支援器具としてみとめられていません。もし経済がこんなに厳しい時期ではなかったなら、より早く物事が発展していくでしょう。」
エヴァは言いました。