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コンピューター・プレイセンターで遊びましょう-コンピューター・プレイセンタープロジェクトに関する図書

リンシェーピング市

より多くの子ども達にコンピューターを支援器具として与えましょう

  その日は一本の電話で始まります。貸し出したコンピューター・プレイセンターのプログラムの1つがウィルスに侵されたのです。プログラムを借りた父親はとても困りました。父親は息子を職場の上等なコンピューターで遊ばせようと、プログラムを持って連れてきていたのですが、職場のコンピューターが全てウィルスに感染していたら大変です! 「貸し出ししたコンピューターがウィルスに感染してしまったことが何度かありました。このプログラムは以前から感染していたか、父親の職場で感染したのです。」
グニッラ・カールソンは話しました。グニッラは前回ウィルス騒ぎがあった通りに、プログラムをこのコンピューター・プレイセンターの技術者の所で持っていきました。彼が元に戻せることを願いつつ。   「このような状況下で、私達のチームは総計778回プログラムを貸し出してきました。ですからウィルス感染やその他の故障は何度か起こりました。またプログラムのコピーは禁止されているのですが、親達がコンピューターに有能であったが為に試みてしまったことも、残念ながら何度かありました。そうすると後でディスクに不具合が起こるので、私達はそれに気づくのです。そんなことをしたのは、ほんのわずかな人々なので大きな問題にはなっていません。しかしこのような時にはきちんと親達から説明を受けなくてはなりません。そうでないと、もう私達は製作者からプログラムを購入することができなくなってしまうのです。」
 グニッラ・カールソンは幼稚園の教諭で、同僚の作業療法士シャスティン・カーネブランと同じようにハーフタイムでコンピューター・プレイセンターで働き、残りの時間は隣室の地域ハビリテーションセンターで働いています。 コンピューター・プレイセンターの立ち上げが決定した時、その場所はごく自然にエークハーガ地域ハビリテーションセンターの隣に決まりました。エークハーガにはリンシェーピングに住む子どもの為に、(障害を持つ児童の)コミュニケーション支援課、コンピューター視聴覚センター、地域のハビリテーションセンター等があります。

オープンハウス

 今日のシャスティンとグニッラは少々疲れていました。コンピューター・プレイセンターで前夜、プログラムの説明会を行ったのです。15人の親達が集まり、どれが自分の子どもの役に立つのか、コンピューターやプログラムを試したのです。
 「親達は子ども達がいない場所で落ち着いてプログラムをよく見て、プログラムの貸し出し希望リストに記入することができました。この後私達は貸し出しプログラムを郵便で送る手配をします。」
 コンピューター・プレイセンターが開館して2年経ち、シャスティンとグニッラは約165人の子ども達を迎えました。
 「興味とはすばらしいものです!ここに見学にきて子どもと共に再来館しなかったのは一家族だけでした。今の所は希望者をそれ程長く待たせないで済んでいます。親達は申し込みをすると、割合すぐに来館をすることができます。その後何度か面会をしてからコンピューター一式の貸し出しリストに彼らの名前を加えます。もし彼らがコンピューターを持っていたら、最初の来館の帰宅時にプログラムや子ども達に必要なコントローラーを貸し出すことができます。」
 コンピューター・プレイセンターと名が付く施設があれば、親たちはそこでありとあらゆる可能性について知ることができます。そのことは親から親へも口コミで広がりますが、まずハビリテーションセンター、特殊養護学校の職員達や視覚障害者専門教師によって、人々に伝えられています。

エステルイェートランドとスモーランド

 このコンピューター・プレイセンターに来る子ども達のほとんどはエステルイェートランドに住んでいます。しかしグニッラとシャスティンはイェンシェーピング、オスカーシャムン、カルマールを訪ねたことがあり、間もなくエークシェーにも行きます。そこにはグニッラとシャスティンがコンピューターやプログラムやタッチパッド(styrplatta )、それにビニールの動物達等がぎっしり詰まった車でやってくるのを心待ちにしている人々がいます。ですから2日間滞在して多くの新規の人々と面会するのです。最近行ったカルマールでは二人はハビリテーションセンター、支援器具管理局(hjalpmedelsforvaltning)、養護学校などの職員達に会いました。夕方は親達の為にオープンハウスを行いました。来訪者は30人でした!次の日には12人の子ども達と会い、それでお開きとなりました。
 子ども達は毎回1時間づつコンピューターで遊ぶことができます。しかしグニッラとシャスティンは遠方から来る子どもの為に例外を設けています。実はよくあることなのですが。例えばイェンシェーピングやヴェステルヴィークから来る子ども達は、ちょっとしたお茶やおしゃべりの時間をはさんで、丸半日コンピューターを使うことができます。

自分で決める訓練

 その日の午後はアマンダとクリストフェルがそれぞれコンピューターを利用する番でした。アマンダは6歳で介助者のビルギッタと一緒に来ていて、ブリスシンボルボード(Blisstavlan) を持ってきていました。アマンダに一番合うのはタッチパネルウィンドウ(pekskaermen)とクリック&ハップンプログラム(tryck-handaprogrammen)です。彼女がもっとも思い通りに動かせるのは左手なので、画面を押すのはほとんど左手です。アマンダは何度かこのコンピューター・プレイセンターに来たことがあり、画面を押すと発射する幾つものロケットのことも、彼女が自分で停めるまで鳴り続ける赤い電話のことも知っていました。
 「話すのが困難な子ども達は、主導権を握る訓練を特に喜び、彼らが決定すると何かが起こるのを興味深く見つめます。これらは子ども達が問いかけに答えるばかりでなく、積極的に会話に加わっていく人間へと成長する助けになるのです。アマンダは言語障害がありますが、彼女は確実にコンピューターを学校でも利用して、他の人々とコミュニケーションを取るようになるでしょう。」  シャスティンは言いました。
 アマンダには双子の妹のマチルダがいます。マチルダは一度アマンダについてコンピューター・プレイセンターにやってきました。二人は自分達が互いに協力しあって、ペイント画面で塗り絵ができることに気が付きました。マチルダが矢印を移動して好きな色を選び、アマンダが色塗りを行うのです。
 「兄弟姉妹が協力して遊ぶ光景はよく見ることができます。機能障害を持つ子どもは自分の条件に合わせ、またその兄弟姉妹はただその遊びを奪ってしまうのではなく、両方が参加できるような、協力して遊ぶ方法をなんとか見つけるものなのです。障害のない多くの子ども達にとって、自分の兄弟姉妹が遊びに加わり自分と同じように積極的に中心の役割を果たすことは、新たな楽しい体験なのです。その良い例がオーサと彼女の兄です。オーサは12歳で肢体不自由と知的障害があります。少し前、オーサはここに兄を連れてきました。兄はオーサがコンピューターを操作できるのを見て大変感心し、妹をほめちぎりました。彼が妹を誇らしく思っているのは誰の目にも明らかでした!」

クリストフェルは学校でもコンピューターを使えます

 クリストフェルはコンピュータプレイに関してはベテランです。彼がコンピューター視聴覚センターを訪ねたのは4歳の時です。当時コンピューター・プレイセンターはまだありませんでした。 この家庭にはコンピューターが一台あります。クリストフェルは現在7歳であり、ちょうど小学校に入学したばかりです。彼が学校でコンピューターを使えることはすでに決定済みであり、学校がコンピューターを注文していて到着を待っているところです。
 「クリストフェルは数字やアルファベットの形をペンで書くことができ、また今後も訓練していくでしょう。しかしどのアルファベットを書くにも大変な時間がかかります。ですから彼が常に自分の手で書くことが妥当だとはいえません。そうだとしたら彼がクラスの授業についていくことなど不可能になってしまいます。今日は介助者が、クリストフェルの数えた数字を書きました。その方が早いからです。しかしそれは良い解決法ではありません。」
クリストフェルの母親、グンネル・ビョールリングは言いました。  クリストフェルがコンピューターとキーの高さを調整したキーボードを使い始める時、彼の学校生活はまったく変わるでしょう。同級生達とほぼ同じ速さで、自分の思い通りにものを書くことができるのですから。
 クリストフェルは今、コンピューター・プレイセンターから卒業しようとしています。彼はこの日プログラムを鮮やかにクリアーすると、残りの時間を使い何度か試行錯誤した挙句にメモリーというゲームの自己記録を1.25分から0.57分へと短縮しました。 コンピューター・プレイセンターがクリストフェルにとって充分ではなくなった今、彼が言葉や算数を習得し、遊びを続けられるようなプログラムを与えるのは学校の役目です。
 「クリストフェルと他の多くの子ども達にとって学校のコンピューターは当たり前の支援器具であり、彼らが就学前にここにやってきてコンピューターに慣れておくことは大変良いことです。それでなくても学校に入ったら目新しいことばかりなのですから。」 シャスティンとグニッラは言いました。

支援器具としてコンピューターの支給を受けることができる子どもはわずかです

 今日ではほとんどの職場ではコンピューターが当たり前の支援器具であるにも拘らず、個人的な支援器具としてコンピューターの支給を受けることができるのは重度の肢体不自由を持つ子ども達だけです。彼らでさえ読み書きを始める前にコンピューターを支給されるのは、特別な場合のみです。LDやMBD/DAMP、その他の機能障害を持つ子ども達だって学校や家庭でコンピューターを使うことができたら、どれほどうれしいでしょう。しかし個人的な支援器具としては支給されないのです。そうはいっても最近は、ほとんどの特殊養護学校にコンピューターがあるのですが。
 多くの家族が自分のお金でコンピューターを購入しています。一部の人々は様々な基金に補助金を申請しています。そのほとんどは何も得ることができません。しかし中には少なくとも経費の一部に対する補助金を得る人もいます。  「親達は多くの場合、自分の子どもがコンピューターを活用して喜んでいることに気が付くと、金銭的に余裕があるならばそれを購入するつもりでいます。それがなくても彼らは1台購入することを考えます。そしてコンピューター・プレイセンターへの来館が決定的な決め手となるのです。それは良いことですが、私達は家族全体の総合的な必要を考えるように薦めています。また私達が親達に少し待って様子を見るようにアドバイスすることもあります。それは彼らの子どもがコンピューターで遊べるほど、成長していない場合などが含まれます。またどんなコントローラーが子どもに最適なのか不明な場合もあります。それは親達がどのコンピューターメーカーから購入するのかということにも関わってくるのですから。」
  「また親達は、自分達に要求される事柄もあると、知っておかなくてはいけません。少なくても始めは親達も時間と手間をかけてコンピューターの使い方を覚えなくてはなりません。」
 シャスティンは指摘します。
 「一部のプログラムはディスクを挿入するだけで使えますが、多くの場合はプログラムをハードディスクに移して使います。それには少しレクチャーを受けて慣れる必要があります。」

判り易いマニュアル

 シャスティンはコンピューター・プレイセンターが始まる前に、もうすでにコンピューターの経験がありました。しかしグニッラは親達や子ども達に会うより先に、モニターの前の未知なる世界に遭遇したように感じました。彼女は何度か非教育的な仕様書とマニュアルに腹を立てた後、自分がしなければならないことを把握しました。グニッラはそれらの不可解な英語を判り易いスウェーデン語へと書き直したのです。それと同時に彼女がコンピューター・プレイセンターを訪れた親達に対して様々なサービスをしたことにより、その業務が彼女にとっての学習プロセスになったのです。彼女は今ではコンピューターやプログラムについてよく知っています。そればかりでなくこのような機器の前に始めて座った時不慣れな人がどのように感じるのかも分かっているのです。グニッラの作成したマニュアルは、どのコンピューター・プレイセンターにも置いてあります。
 現在グニッラとシャスティンは、コンピューターとプログラムに関する日常業務をほぼ全て二人でこなしています。コンピューター・プレイセンターには常駐のコンピューター専門家はいません。その代わり何か彼女達の手に負えないことが起こったときには支援器具管理局から一人職員に来てもらい、時給を支払うのです。
 またグニッラとシャスティンは彼女達のアイデアに従って新しいプログラムを作成することに興味を持つ人に会いました。ちょうど彼女達は彼に1つクリック&ハップンプログラム(trycka-handa programmen)の作成を依頼したところです。それはプレイヤーの一人が積み木をつんで、崩したくなったら崩してしまうというものです。

たこ

 リンシェーピングのコンピューター・プレイセンターが始まって間もなく、シャスティンの頭にたこのアイデアが浮かびました。コンピューター・プレイセンターにある多くのプログラムはわずかなキーで操作をします。プログラムを続けるenterキー、4つの矢印キー、スペースキー、それにプログラムを終了するescapeキーです。コンピューター・プレイセンターに来る子ども達の中にはキーボードのキーが使えないので、何か他の種類のクリックスウィッチ(kontakt)を必要とする子どももいます。クリックスウィッチはPCU切り替え機(omkopplare)によってキーボードに繋げます。
 マッキントッシュ、アミーガ、アコーンのコンピューターには使用法が簡単な切り替えスイッチがあるのですが、IBM用はありません。IBMのコンピューターでは、プログラムに入って、どの機能をクリックスウィッチで使うのか、入力しなくてはなりません。それにはほとんどの親達が持っていないようなコンピューターの知識が必要です。
 そこでシャスティンの夫と彼の同僚達は彼らのコンピューター技術を集結し、『たこ』を作成しました。彼らは7つの差込があるキーボードを作成しました。これを使えばコンピューターの知識などなくても子ども達が使うクリックスウィッチを接続できます。たこは、子ども達がキーボードを脇に置いて、コンピューターをクリックスウィッチによって操作するように設定してあります。

目をうるませるコンピューター技術者達

 「ほとんどのプログラマーやコンピューターの専門家達はこのようなプログラムを扱ったことがありません。彼らはこのような仕事を面白いといい、また時には彼らが作成したプログラムソフトで子ども達が遊んでいるのを見て、目をうるませることもあるのです。」
 たこは成功作品といえます。各地のコンピューター・プレイセンターやその他の施設の140館が『たこ』を購入しています。この国の各地で子ども達は『たこ』を無料の支援機器として手に入れることができます。しかしまだエステルイェートランドではできないのです。

コンピューター・プレイセンターの未来

 コンピューター・プレイセンターはプロジェクトが終了してもこのエステルイェートランドで存続します。責任者は全員コンピューター・プレイセンターの保持を望んでいます。しかしグニッラもシャスティンも彼らの給料や物品の購入資金はどこが支払うのかは、まだ判りません。まもなくランスティングは大きな改革を迎えます。ハビリテーション科は1つの独立した部署になります。恐らくコンピューター・プレイセンターはその部署の管轄になるでしょう。
 継続にあたっては、私達が研究し、知識を深めていく為の資金も必要です。私達は他のコンピューター・プレイセンターで働く人々と定期的に会わなくてはなりません。そうでないと私達の知識はしぼんでいってしまうでしょう。 コンピューター・プレイセンターに対しては様々な分野の職員が大きな興味を持っています。シャスティンとグニッラは約65組のグループの見学を受け入れました。二人は当初、月曜の午後を見学日と決めていました。しかしそれに条件をつけることにしたのです。
 「私達は機能障害を持つ子どもに携わる人々の見学だけを受け入れています。以前はカレッジや大学から見学に来る人々がいましたが、今はそれを受け入れる余裕がほとんどないのです。様々なハビリテーション分野で働く人々がたくさん見学に来ています。一部はコンピューターも取り入れています。しかし全ての施設ではありません。中にはコンピューターに対して不安感を持っているハビリテーション施設もあります。そのような施設から来ている子どもはわずかです。職員が親達にここに目を向けるように薦めないからです。」

新しいコンピューター・プレイセンターの開設を阻むのは経済です

 ハンディキャップインスティテュートは全国の病院のハビリテーション課に、独自のコンピューター・プレイセンターを開設したいかどうか訊ねました。それを望む課には、開設の為の研修と、先駆けて開設した8館が経験によって得た知識を提供しています。グニッラとシャスティンは彼女達の住む地域にもコンピューター・プレイセンターの開設を望むハビリテーションセンターがもっとあるはずだと思っています。しかし開設に必要な資金がなかなか得られないのです。
シャスティンとグニッラは、小児クリニックの遊戯療法にコンピューターを取り入れるべきだと考えています。 「小児クリニックには重い病気を抱え、健康な子ども達のようには遊ぶことができない子どもがたくさん来ます。遊びに使えるコンピューターはまさに彼らが必要としているものです。あるハビリテーション課がアミーガコンピューターと15個のプログラムソフトを借りて備えたところ、子ども達や若者達の人気の的となりました。その課の職員たちは今、自課のコンピューターを購入する為に様々な基金に助成金を申請しています。」

デイケアセンター内のコンピューター・プレイセンター

 デイケアセンターの職員達もコンピューター・プレイセンターに来館し、これは大人の知的障害者も楽しめる施設だと感想を述べました。
 「プログラムソフトのレベルは読み書きのできない多くの成人の知的障害者に合うでしょう。しかしプログラムソフト自体は余りにも子どもっぽいでしょう。彼らには大人の興味や人生経験に合っていて、しかも簡単なレベルのプログラムソフトが必要です。大人を対象としたコンピューター・プレイセンターはデイケアセンターと連携させて開設するべきです。デイケアセンターには多くの成人の知的障害者が来ていて、そこに慣れているのですから。」
シャスティンとグニッラは言いました。
 コンピューター・プレイセンターの対象年齢の上限は18歳です。リンシェーピングでは様々な例外を設け、18歳よりも少し上の若者達を受け入れてきました。一度はこんな失敗もありました。ある母親が電話をしてきて自分の息子について話し、コンピューター・プレイセンターに来館してもよいかと訊ねたのです。シャスティンは喜んで迎える旨を伝えました。そして彼らが現れた時、シャスティンはまず、自分が息子の年を聞くのを忘れたことに気が付きました。息子は20歳で、コンピューターが大好きだったのです。  コンピューター・プレイセンターはハビリテーション事業に所属せず独立している為、親達は来館やコンピューターとプログラムを借りる費用を払わなくてはなりません。その他にも彼らは旅費がかかる上に、仕事を休んだ為に損をすることになるのです。

料金は取りにくいものです

 グニッラとシャスティンは時折、料金を受け取るのが心苦しくなります。ハビリテーションに関しては、料金は取らないのが慣習なのですから。彼女達が料金の請求を忘れてしまうのも、恐らくそのためでしょう。少し前、一人の父親が息子を連れてやってきました。それは彼らにとって2度目の試みでした。最初に来館した時、男の子は泣いてコンピューターで遊ぶのを嫌がったのです。今回は大変上手くいき男の子は喜んで遊びました。彼らは午後いっぱいここで過ごした後、コンピューターと幾つかのプログラムを借りて帰りました。  「本当は250クローナの料金を請求するはずでした。しかし私はそれができませんでした。この父親はすでに(前回)それだけのお金を息子にかけているのですし、ここでお金のことを持ち出すのはさもしく思えたのです。父親は次の日電話をかけてきました。彼は自分がお金を払っていないことに気が付いたのです。」