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コンピューター・プレイセンターで遊びましょう-コンピューター・プレイセンタープロジェクトに関する図書

スンズヴァル市

今やヘンリックはピッカドールでシューティングができます

 スンズヴァルのコンピューター・プレイセンターでは、テディベアがのった特別注文のケーキを囲んで荘厳な開館式が行われました。子ども達はコンピューターを試し、招待を受けた政策決議者は彼らが配分を決定したお金がどのように用いられているのか見ることができました。
 病院長がそこにいました。病院長がテディベアののったケーキを食べていると、アンヌ・マリー・ヴェリカンガスがやってきて彼をヘンリック・ファンクヴィストが遊んでいるコンピューターのところへ連れていきました。 「この男の子は何歳ですか?」
 病院長はヘンリックの頭越しにアンヌ・マリーの方に振り返って聞きました。 「ぼくは4歳だよ。今英語を勉強してるんだ。ここにいるのはウィザードだよ。魔法使いっていう意味なんだ。」  ヘンリックはびっくりしている病院長に説明しました。
 今ヘンリックは6歳です。英語の単語をたくさん知っています。彼は特に2月に1度、筋肉トレーニングのためにハビリテーション科にやってくる週は、頻繁にコンピューター・プレイセンターにやってきます。それから一年後、彼は家庭でもコンピューターが使えるようになりました。彼は試験的に個人的な支援器具として就学前にコンピューターを与えられる子どものグループの一人なのです。これらの子ども達は後に就学前にコンピューターを与えられなかった子ども達と比較されることになっています。
 「少し前、保育園の職員がヘンリックはどのようにして読むのを学んだのかと聞いてきました。私は途方にくれました。実際のところどのようにしてこうなったのか、私は知らないのです。でもヘンリックは知っていました。あの子はコンピュータープログラムに助けられて、暗号文を自分で解読するようになったのですから。」母親のカーリン・ファンクヴィストはいいました。

コンピューターに出会う前の生活と出会った後の生活

 「ヘンリックの生活にいまやコンピューターは欠かせないものとなりました。時折私達はコンピューターとの出会いを時間の指標としています。コンピューターに出会う前、出会った後というように。ヘンリックにとって何かを自分ででき、何かを自分で決められるようになったのは大きな飛躍なのです。  これは彼が学んだ、読むことやその他有用なことのみを指すのではありません。今までできなかったことができるようになった彼の喜びもその中に同等の価値で含まれているのです。それまでおもちゃのピストルを持ち上げて手に持っていることさえできなかったヘンリックは、初めて『ピッカドール』によってシューティングをした時興奮の余り頬が赤くなりました。」 カーリンは言いました。
 初めてコンピューター・プレイセンターに来館した時、母と息子は目を見開きました。彼らはこんなことがコンピューターでできるとは思っていなかったのです。  「それにコンピューター・プレイセンター職員の女性達、アンヌ・マリーとモウド!彼女たちは必要な時には我が家に来て、プログラムをハードディスクに移してくれるんですよ。プログラムを売っている少年が家に来て私達を助けてくれたことさえありました。私は大変感心しました!このような、わずかでも人間的な行為を目の当たりにするというのはいいものです。重度の機能障害を持つ子どもがいるとどんなことでも煩雑になってしまう私達にとって、便利なコンピューター・プレイセンターができたことは、ごほうびをもらったようなものです。」  ヘンリックは時には一人で、時には友達と一緒によくコンピューターの前に座っています。始めのうちはプログラムを終えるまでに何時間もかかり、お母さんが彼をそこから抱き移さなくてはならないような状態になりました。  今ではヘンリックはコンピューターのことも、コンピューター・プレイセンターがどんなプログラムを選択するのかもよく判っています。また毎回自分がどんなプログラムを借りたいのかも分かっており、常に難しいプログラムと易しいプログラムを交互に借りてヴァリエーションをつけています。

心理学者の部屋の片隅

 スンズヴァルのコンピューター・プレイセンターは、ある心理学者が休暇を取っている間部屋の片隅で眠っていた一台のコンピューターから出発しました。そしてコンピューターにはほとんど触ったことのなかった二人の熱意ある女性達、アンヌ-マリー・ヴェリカンガスとモウド・ピエッレ。彼女達はコンピューター・プレイセンターを開館する他の人々と共に3日間の講習会に参加し、同センターにおける彼らのワーキングライフもスタートを切りました。講習会を終えてコンピューターを腕に抱えて帰途についた時にはもう、たとえコンピューター視聴覚センターが近くになくても、コンピューターに精通したセンター職員が近隣にいなくても、この計画はうまくいくと確信していました。
 「そしてうまくいきました!しかし私達はありとあらゆる失敗を重ねてきました。頼みの綱はコンピューターが期待通りに動かない時に電話で質問ができる他のコンピューター・プレイセンターや、ここに来て私達を助けてくれている優しくて理解があり、コンピューターに詳しい(来館者の)お父さん達です。」
 現在コンピューター・プレイセンターは永続的な事業に切り替わっている最中です。また技術的な問題も解決できる見通しができました。この建物の同じ階にある就学前の子ども達向けのハビリテーションセンターもまもなくコンピューターを導入する予定であり、そうなるとコンピューターの知識を持つ誰かが必要になるでしょうから。

2年間の学習年月

 モウドは作業療法士、アンヌ・マリーは特殊教育専門家です。彼らはコンピューター事業科で2年間学んでいる間に、何度も笑ったり悪態をついたりしました。しかし彼らがしてきたことは教育学における大きな利益であると常に確信していました。
 「私達はコンピューターを取り入れようとしているハビリテーションセンターや養護学校の職員の訪問を受けいれています。多くの人々は懐疑的ですが、もう否定もできないことを判っています。私達には彼らがどんな風に感じているのか理解できます。また私達が述べたことが、いつ彼らの頭の中を駆け巡るのかも判ります。私達も同じ試練をくぐってきたのですから。また私達が話してきた多くのことを、いつハードディスクがたった一言で語ってくれるのかということも分かっています。」
 スンズヴァルのコンピューター・プレイセンターほど人的資産を得られたセンターはありません。アンヌ・マリーはフルタイムで働いており、モウドは社会生活の75%をここで働いています。その残りの時間はハビリテーションセンターで働くのです。ハビリテーション科の医長アンナ-カーリン・エングストレームは最初からコンピューター・プレイセンターのアイデアに強い熱意を示していました。金曜日の午後から月曜日の午前中までの間に、彼女はこの事業を始めるための資金を用意してしまったのです。
 現在コンピューター・プレイセンターには2つの部屋があります。一室は何台ものコンピューターが並んだ広い部屋で、もう一室はコンピューターに疲れてぼんやりしてしまった子どもを世話する為の、ほとんど何もない小部屋です。アンヌ・マリーもモウドも場所や資金は足りていると考えています。しかし二人とも、モウドがフルタイムの職員としてコンピューター・プレイセンターで働けたらいいと考えています。ぜひとも彼女の力が必要なのですから。
 アンヌ・マリーはモウドが1979年より働いてきた就学前の子ども達の為のハビリテーション科と緊密な連絡を取っていくことは大事だと考えています。そうすれば彼女はミーティングに参加し、そこでの業務の中で子ども達の発達を見たり子ども達と連絡を取ったりしていくことができます。 ハビリテーションセンターに来館する子ども達が、初めてコンピュータープレイを試してみるためにコンピューター・プレイセンターをのぞいてみることがよくあるのですから。
 アンヌ・マリーは将来的には、より長期的で体系的なトレーニングの為に、ハビリテーション業務にコンピューターが組み込まれるべきだと考えています。しかしコンピューター・プレイセンターがその代行を務めるべきではないと、アンヌ-マリーは強調しています。コンピューター・プレイセンターは子ども達が遊ぶためにあるのですから。

これをするとどんな結果が得られるのですか?

 「時折、ここで提供しているのは遊びだということを、よく理解していない親達がいます。例えば一人の父親が質問をしてきました。『これをすると、どんな結果が得られるのですか?』と。またアルファベットや算数を教えてくれるプログラムはないのかと質問する親達もいます。彼らは子ども達が学校に上がる前に少し何かを訓練したいのです。しかしそれは子ども達にとってはプレッシャーです。子ども達は何か成果が期待されていると、すぐにそれを感じます。私達は親達が遊びを訓練にしようとコントロールしていたり、子ども達を見張っていてどうやってプログラムを進めるのか教えようとしていたりしていることに気が付いたら、私達が手本を見せるようにしています。親達を戒めるのではなく、ここで行われているのは遊びであることを示すのです。」
 「子ども達が同じ簡単なプログラムを何度も繰り返しているのを見ると、親達はがまんができなくなります。子ども達の障害には関わらず、親達は子どもに常に発達していてほしいのです。でも子ども達は繰り返しが大好きです。またそれを必要としているのです。」  毎日私達が子ども達に提供しているのはお楽しみの時間なのです。たとえば小さなカイサがコンピューター・プレイセンターに来るやいなやしたがるのは、お店の中をテディベアをカートに乗せて押していく遊びです。それを何度も繰り返します。カイサのお父さんは商店を持っているので、お店は彼女にとってなじみ深い場所だからです。またマルクスという男の子は、アンヌ-マリーの見せた遊びにすぐ夢中になりました。彼は画面に映し出された赤い機器が鳴るのを見て、電話で話すふりをし始めました。  「子ども達の喜びを見るのが私達の喜びです。また落ち着きのない子どもの興味を惹くことができたと感じた時もそうです。このような子どもが10分座っていられることが、時折すばらしい出来事になるのです。一部の子ども達はコンピューター・プレイセンターにいる一時間を細かく区切り、短時間づつコンピューターの前に座り、その他の時間はハビリテーションセンターの待合室のおもちゃで遊んでいます。」  「どの子どもがコンピューターによって最も大きな喜びを得たのかを言うことは 無理です。コンピューターは様々な子どもの様々な必要を満たしているのですから。重度の肢体不自由を負う子ども達や意思の疎通が困難な子ども達にとっては、自分に何かができること、それ自体が夢のような出来事なのです。情緒不安定性症の子ども達がここで得られたことは、それとは正反対です。わずかな間でも静かに座って目の前で起きていることに集中していられることが大きな成功なのです。」

コンピューター・プレイセンター来館のついでにイケア家具店へ

 コンピューター・プレイセンターへの来館を望む家族は、5回分のコンピューター・プレイセンターカードをあっという間に使いきってしまいます。約100人の子ども達が5回分の来館を終え、また来たがっています。ですから順番待ちの列ができます。近隣の子ども達は1時間の遊びの為にそんなに長い間並ばなくてもすみます。それにひきかえ遠くに住む子ども達は一日待たなければなりません。順番が回ってくるのも遅くなってしまいです。
 「家族達は朝ここに車でやってきて、午後コンピューター・プレイセンターで過ごします。ほとんどの人々はその夜ハビリテーション科で宿泊します。彼らは150クローナで良いサービスを受けて快適に過ごすことができます。次の日の朝、彼らは再びコンピューター・プレイセンターに来館し、午後はイケア家具店に行くのです。私達はイケア家具店に目を向け、彼らに少し後援資金を頼もうと考えています。私達のおかげでイケア家具店は多くのお客さんを得ているのですから。」
 スンズヴァル市のコンピューター・プレイセンターへは主にヴェステルノルランド、イェムトランド、ヘルシングランド北部等の地方からやってきます。しかし全ての人がここへ来る必要はありません。時にはコンピューター・プレイセンターが出かけていくからです。
 「私達はソッレフレオー市、エステルスンド市、フーディクスヴァル市に行ったことがあります。エステルスンド市には2度行きました。私達がエステルスンド市で親達や学校やデイケアセンターを対象に行ったオープンハウスで余りにも多くの親達が申し込みをしてきたからです。現在エステルスンド市のハビリテーションセンターは資金を得て、独自のコンピューター・プレイセンターを設立している最中です。」

コンピューターは養護学校では重要です。

  彼らはまず子ども達と親達の為に、スンズヴァルで何度も見学会を行いました。コンピューター・プレイセンターが開館した時には、オープンハウスに30人の子ども達がやってきました。また就学前の児童専門ソーシャルワーカー、視覚障害者専門教師、支援器具アドバイザー、デイケアセンター職員、養護学校の教師達とアシスタント達等ハビリテーション分野における様々な職業の人々も見学に来ました。モウドとアンヌ・マリーは養護学校が興味を持ってくれたことを特に喜びました。コンピューターはほとんどどこの養護学校にもありますが、しかし多くの学校がそれを教育上の支援機器として用いることに困難を感じています。
 「私はコンピューターの利用は子ども達だけでなく、大人にとっても大きな飛躍になると思います。彼らは機器やプログラムに慣れたら、新しい教授法を見つけ出すでしょう。また強い興味もあるはずです。先日マルメー市のエレーブダータ社(生徒用コンピューターの意味)が来て、彼らが学校の生徒達向けに作ったプログラムを紹介したのですが、100名の人々がやってきてプレゼンテーションを聞き、試していきました。」  アンヌ-マリーは述べた。