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国連世界情報社会サミット報告会

講演3

国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所障害福祉研究部長
河村 宏

講演をしている河村氏の写真

 こんばんは。いま紹介いただきました河村です。私はこれから30分の時間をいただきまして、今回のサミットが何であったのか、そして、これから私どもの共通の関心だと思いますが、すべてのいろんな種類の障害をもつ人にとって、それから世界中のありとあらゆる場所にいる障害者、あるいはその家族、そしてともに歩んでいる人々にとって、このサミットが今後どんなことが期待できそうなのか。何をやればいいんだろうか、というようなことについてお話を申し上げたいと思います。

 まず、このサミットがどんなものだったのかということが概略、ほとんどこれはウェブからお借りしていますが、そのままコピーをして使わせて頂いています。2003年の12月10日から3日間、スイスのジュネーブで世界情報社会サミットの本番がありました。3日間です。ところが、この3日間を準備するために、2年間の準備期間がありました。なぜそんな長い準備をしたのか、というところが1つ問題です。実はこのサミットが狙っているのは、まずは、1つはデジタル・デバイドと呼ばれる情報格差が、いわゆる情報社会、情報通信技術が発展することによって格差が開いていく、それをどうしたらいいのかという社会的な問題を議論する、というのが中心のテーマです。これはよく誤解されるのですが、情報社会サミットだから、技術的な問題のサミットではないか。ましてや日本では担当の役所は総務省でした。それも、その中の通信に関わるところが中心だったと思います。国際的な国連の中の分担では、ITU(通信連合)でした。つまり、どうも技術屋的な色彩が強い、そういう準備プロセスでした。ところが、よく考えてみると、社会的な問題を取り上げるサミットです。ITUはそういう社会的な問題にこれまで取り組んできた実績がないです。率直に言って。電波の割り振りとか、通信規格とか、そういう技術的なものを国連ができる遥か以前からずっと世界中で調整をする、そういう役割をしてきていますので非常に地味な、縁の下の力持ちのインフラのところを国際標準したり、調整をしたりしてきた団体だったのです。

 ところが、デジタル・デバイドというのは南北格差の問題がまずあります。これはもう非常に激しい国際的な対立をはらむ問題であるわけです。そして社会的な格差も含むわけです。この社会的格差の中には当然、アクセシビリティをめぐる障害者と非障害者という問題が1つあります。もっと細かく見ると、いわゆる感覚機能、見える、聞こえる、あるいはモビリティ。だいたい手で操作しますから、手で操作できる、できない。それから見たものが理解できるかどうか。認知、あるいは知的な、それぞれの場面での障害ということがすべてそこに当然盛り込まれて格差というものが考えられなければいけない。非常に複雑な問題であるわけです。さらには、文化的な問題もあります。言語です。特に今のインターネット、あるいはいわゆる情報通信技術が媒介としているメディア。言語的に見ますと、英語が圧倒的に多い。では、例えば日本のアイヌの言語文化。今日もいらしていますが、書記文字を使わないろう者の方の手話の文化。あるいはオーストラリアの先住民族。先進国にもいます。アメリカの先住民族。そういった人たちが使っている言語のコンテンツはどうするのかというような問題もあります。ユネスコなどは、そういう部分を強調しています。世界中で今、言語文化が死に絶えようとしているものがたくさんあります。これをどうやって保存、発展するのか。そういう観点からこのサミットを見ていきたいというのがユネスコの大きな柱でした。そういうふうに、およそ電波の割り振りや通信規格の議論からかけ離れた、ありとあらゆる社会の問題、生身の人間が直面している問題を、この情報技術が発展する中で、さらに悪く格差が拡大しないように、どのように格差を縮め、全ての人がこの技術を享受すると言いますか、人権宣言で言われているように、文化的、科学的な成果を全ての人には享受する権利があるのです。その立場から見て情報通信技術が社会にとっての分裂を深めるような要素にならないためにはどうしたらいいのか。あるいは、もっと積極的に、ソーシャルインクルージョン、社会的な統合を進めていくにはどのようにしたらいいのか。という問題意識が、実はメインテーマであったという事です。その事が、正直言って、日本の報道を見ましてもほとんど触れられていないと言うふうに思います。したがって、本当の意味で関心を持つべき人たちの声が本当に届いているのかというのが準備プロセスでも常に問題になっていました。

 ところが、サミットで1つ今までにない前進もありました。それは、何人かの方は覚えていらっしゃると思いますが、リオの環境サミットというのが、だいぶ昔にありました。サミットというと、リオデジャネイロであった環境サミットというのがマスコミにも大きく取り上げられたことがはしりではないかと思います。あの時は世界中の環境について問題意識を持つ市民団体、NGOが、国の政府代表達が集まるサミットを周りで取り囲む形で、会場の外で思い思いに集会を開きアピールをし、宣言を採択するという、内と外に分かれてサミットの取り組みが行われました。当然、警備もものすごく厳しくて、いつデモ隊がなだれ込むかという緊張感の中で行なわれてきたのが、これまでのサミットだったと思います。ところが、情報社会の中心的な存在になっている技術、インターネットの技術ですが、これは実は政府の決定で広がってきたものではありません。全くその逆です。政府は国際規格をISO(世界標準化機構)を中心に通信規格を決めて、「これでいこう。」と決めたものがありました。ところがそれとは別のもっと簡単に、「こうやればうまくつながるよ。」という人たちがはじめ、それがなんとなく世界中をつないでいった。最初はもちろん大学の研究者やコンピューター技術の研究者、それから世界中で物理データを同時に使いたい物理の研究者、そういった人たちが作った技術、それが、いわゆる「defacto」とよく言いますが、既成事実として世界中で標準として使われてきた、というのが「インターネット・プロトコール」と呼ばれるものです。インターネットの通信規格です。もともと政府が主役ではないところに今のインターネット社会は築かれました。情報社会をどうするかという議論の時に、インターネットを除いては話にならない。どうしてもインターネットのことを取り上げなければいけない。しかし、それがかなり中心になる。だとすると、これまでインターネットを育て、使い、発信し、受信してきた世界中の数億の人たちを差し置いて、政府だけで、しかも外交官中心の、私は悪口を言うつもりはありませんが、外交官が詳しいのは手順です。交渉もうまい。ところが中身は、そんなにすべての問題について知っているはずがない。中身については、どうしても専門的な見地、あるいは、実際の社会でのみんなのコンセンサスというものが必要になります。もし外交官と一握りの専門家だけでこのインターネットのことを議論して決めても結局それは誰も、見向きもしない。ただ、上のほうで政府が何か決めた、それを執行しようとしても、なかなかその通りには世の中動かない。そういうものになってしまうという意味で、いわゆる市民社会が厳然たる実力をもっている世界がインターネットの世界です。このことが反映している、というのが1つ有ります。もうひとつは、世の中全体の動きが政府だけでは決められないよと。やはり、Stake holderと言う言葉よく言いますが、関係する人みんなが参加してコンセンサスを作っていかないとうまくいかないという一般的な流れというものがあり、実は国連のサミットの歴史で初めて、市民社会の代表者にもこれを開く、そして市民が一緒に参加するサミットを初めてやりましょうという風に、国連が決定していたのです。どのように実質的に作るかはまだまだ問題がありますが、原則として、このサミットは政府だけでやるのではなく、政府と市民社会と産業界、あらゆるマルチ・ステイク・ホルダーという言い方をしますが、あらゆる関係者がみんなでつくりあげるサミットであるという立場でもともと構想された会議です。これは一歩大きく前進したことだと思います。

 この中で、窓口は開かれているということになっていて、開かれてはいるが、ウェブの上でこっそり開かれていただけです。なかなか中身は分からない。確かにドキュメントはウェブで全部公開しています。あらゆる地域でやった会議のドキュメントもみんな公開しています。これほど会議の資料をオープンにしながらやったサミットも珍しいのではないかと思います。それほど公開されていますが、これはある意味で情報の渦でありまして、そのなかから何を拾ってどう読むか、ということはなかなか分かりません。何でもあるけれども、その中から、自分がほしい情報を取り出すことが極めて難しい。そういう状況のなかで準備会議が行われました。
 準備会議は大きく、3回ありました。1回2週間です。それを3回やる。あろうことかそれだけでは足りないということで、急にその中間で1週間の会議を2回いれました。それでも足りなくて、最後の12月10日の直前にも、また2日間やっています。なぜそんなにやるのか。まとまらないからです。やはりそれだけもめる要素があったということです。

 主たる要素は、インターネットの管理の仕方です。それを国際的な管理にするのか、今のようにアメリカが中心で管理をするというやり方でいくのか。もうひとつは、南北問題です。このままでいったら、ますます南北の格差が開く、これは誰もが認めることです。それは世界の緊張をもたらし、さらには、社会的悲惨を南だけでなく、緊張の結果として北の国にももたらす。みんな分かっています。ではどのように格差を解消するのか、それがなかなか合意に至らなかったということです。実は、その裏に隠れて、全く報道されませんでしたが、先ほど裏話としてご紹介があったように、このサミットの宣言を巡るやりとりがありました。

 いくつもの流れがありますが、その中の1つに私が関係してきた障害に関する記述をサミットの基本宣言と行動計画の中でどのようにするのか、ということでした。なかなかこれは簡単ではない話です。どうしてかと言いますと、いわゆる市民団体というのはそれぞれの課題を担って、サミットの準備課程に参加しています。そういういろんな課題の中の1つとして、障害の問題が往々にして見られます。例えば、女性差別の問題。これはこれで重要な問題ですが、女性差別の問題とかインターネットは特に青年についてもっと配慮しながら進めるべきだというグループもいました。子どもが大事だというグループもいました。たまたま高齢者が大事だというグループは来ていませんでしたが、結構そういう性別、エイジグループという感じで来ていました。それから先住民族の代表も来ていました。アフリカの地域の問題、あるいはラテン・アメリカ、アジアの地域の問題で来ているグループもいました。それぞれがそれぞれの切実な問題を抱えてくるので、どうしても、このことを宣言の中に盛り込んでもらいたいというものがみんなそれぞれありました。私どもも障害の問題を言うわけです。すると、何かこれは大事だというときに、それはすごく障害にかかわる問題だから必ず障害のことを考慮してもらわないと困ると言うと、「そうだ!」と他のグループも婦人も、子どももとなる。確かにそうです。何か発言して出す度に、なぜ障害者だけ特別に書くのかというふうに、すぐまた後から議論が出てきて、じゃあこれも入れましょう、あれも入れましょうと、誰も反対できないので、どんどんつくわけです。で、全部ついた後で最後のテキストを見ると、なんでこんな長いのか? これは外交官が言うのです。外交官は長いテキストはダメだと言うわけです。個々の要求を担ってくる人たちは、やはりここで一言言わざるを得ないわけです。当然言いたいわけです。私も障害というだけじゃなく、もっと細かく言いたいのです。ところがよく考えてみると、もし500ページの宣言ができて誰が読みますか。確かにそうです。全部書いてはある。逆に誰も読まなくなる。なにが焦点だかわからない。そうすると結果として、提案したものが入ったり、削られたり、攻防戦みたいなことをやっていたのですが、その度に、理解してもらうことが大事だと考えて、プリントを作って、会場のビラ撒きをするというようなことをやっておりました。印刷設備もありましたし、インターネットも完備していましたので、先程、阿部さんから紹介もありましたように、原稿をつくって世界中の仲間にメーリングリストで流して意見を求めるわけです。するとこれはいい、だめだと色々来ます。それを今日の何時までに出さないと間に合わないとお伝えして、その意見をその時刻で締め切って、私のできる範囲で取り入れて、それをビラにして、外交官に配るわけです。配っていると、だんだん顔なじみの人も出てきまして、ちょっとこれはどういう意味だと説明を求められたり、休み時間になると暇な人も結構いまして、おもしろがって話しに来る。いろんな接点がそこでできました。それで一番大事なことは、結果よりも問題を理解してもらう。そこの重要な条約とか宣言の基礎・決定に関わる人たち1人1人がどういう期待がこれに寄せられているのかを理解してもらうことが何よりも大事ではないかということで、文言にこだわるよりは、やはりなぜそういうふうにこれが必要だというふうに思うのかという理由をできるだけ具体的に書いて、私の記憶では4回ぐらいビラを出しました。結構みんなよく読んでくれてまた。最後のほうでは、一番はっきり意見を表明したのは、メキシコの代表でしたが、配ったビラを手に持って、その中の書いてある通り、引用して、たまたま私はそのとき議長に配るのを忘れていまして、壇の上にいましたから。下にいる人には配りましたが、議長だけそのビラはどこにあるのかと探したんで、すぐ走っていってお届けしました。やはり、ちゃんと説明すればわかってくれるものだということがよくわかりましたし、結局、そういうプロセスを経るために、1回2週間もある長丁場なものも逆に、変な風に納得できた感じでした。

 そういうプロセスを経て12月10日から3日間、これは第1ラウンドのサミットです。今日の出だしの話にもありましたが、第2ラウンドというのが一緒にセットされている極めて珍しい2ラウンド制のものです。第2ラウンドはアフリカのチュニジアで開かれる予定です。これには人権グループからの激しい反対があります。チュニジアは人権侵害をしている国だから、そんなところで開いてはならないというグループが、Eメールリストで非常に活発に声を挙げています。従いまして、みんなが賛成してチュニジアでやろうと言っているわけではないのですが、一応、チュニジアでやる予定になっています。私が思うには、多少人権侵害があったとしても、このように市民もきちんと市民グループも公開で受け入れなければいけないということが、最初から規定されているサミットですので逆にそこで積極的にいろんな要求、人権問題も含めて参加し、そこで現地で合流をするという取り組み方をしてもいいのではないかと私は思っています。

 この3日間の中で、いくつかの障害に関わる宣言文だけではない、もう少し、みんなが参加して「うん、これか」ときちんとわかって帰っていく、そういうことをやったほうがいということで、3つ企画しました。この企画をした立場ですが、実は、最初に私がここに参加したときは日本障害者リハビリテーション協会に勤めており、国家公務員ではありませんでした。従って、もろにNGOという立場で動けたのでNGOのグループミーティングに出て、そこでテーマ別でグループをつくり、どんなテーマでもいいから、何人か集まればグループがつくれるということが先程申し上げた第2回目の二週間の会議の中でありました。そこで私は誰か「障害」と言ったらそこに行こうと思っていましたが、とうとう最後まで「障害」についてのグループを提案する人がいなかったので、おそるおそる手を挙げて、障害に関するグループをつくりたいと言ったら、会場から「賛成」という声があがりました。たった3人で旗揚げしたのですが、障害についてのグループをつくることができました。一回つくるとグループ代表が集まって、その後、市民社会グループとしての大きな市民社会グループの会議の中で政府グループとの対話をどのように進めるかというサイクルがありまして、全体の様子がわかるという効果がありました。三人しかいない中で私が言い出しっぺだから責任者になれと言われて責任者をやりまして、その後、ずっといまだにその責任者を引き継いでおります。私は、国家公務員ではありますが、サミットに行くときには、政府代表ではなく、研究職の公務員ということで、「専門の研究に行く」という立場です。世界の障害者のリハビリテーションをいかに前進させるのかが私の研究テーマですので、そのために役に立つ研究の場と位置づけで出させていただいています。

 従って、NGOを含む研究・実践グループの、英語では、focal pointといいますが、世話人みたいなものを今務めさせて頂いています。そういう形でサミットにかかわり、何か企画の提案をしろと言われて、3つの提案をしました。

 1つは、この開会式に市民社会グループ代表が、1人発言の挨拶をします。いろんな候補があがったのですが、その中で、どう考えても私にはキキ・ノードストロームさん、国際障害同盟、IDA(International Disability Alliance)の会長さんですが、文字通り、世界の国際障害者団体の合議をする場所で、国連に障害者の声をひとつにして意見を言う、そういう役割をする団体ですが、その代表者であり、5人のお子さんのお母さんであるという意味で、女性の立場も代表できる。そして、非常に足繁く発展途上国に行かれていまして、世界盲人連合の会長さんなので、途上国の視覚障害者の支援というものをずっと深く関わっておられるという意味で途上国の実情もご存じである。どうみても他の候補者よりもキキさんの方が優れているということで、推薦したわけです。幸い、最終的に、私の推薦とは無関係に、公平に審査をして、ITUの事務局長からキキさんにぜひ挨拶をしてもらいたいが、本人の承諾を得てほしいという連絡がきまして、それで、本人に快く承諾をしていただいた、という経過があります。やはり、全体のプロセスを通じて、ほとんど障害者自身が参加をしてこなかった、そういう欠点があります。その欠点を補うために、開会式の挨拶に点字の原稿をもって挨拶をなさる方が、登壇することは非常に意義のあることだったと思います。それは、象徴的にすべての、いろんなタイプの障害を持つ世界中の人たちが、このサミットに期待を持っているということをいろんな形で表せる、集約したものだと思います。非常によかったと思います。2つ目は、グローバル・フォーラムということで、あ、キキさんの写真をちょっと。会場で撮りました。小さいですが、スクリーンに写っているのがキキさん。小柄な感じの金髪で色白な方で、5人も育てられたとは信じられないですが、元気いっぱいの方です。

 もう1つの企画というのは、グローバル・フォーラムという、これはできるだけ障害者自身の方達が参加をして、フォーラムをもってほしい、という意味で提案したものです。グローバル・フォーラムというものをやりました。情報社会における障害者の問題を考えるグローバル・フォーラム、というのが正式な名前です。詳しい紹介は、日本障害者リハビリテーション協会のウェブサイトの方にあります。ここでは、実は非常に重要な宣言をいたしました。グローバル・フォーラムで独自の宣言をして、これからの方向性について明らかにしたわけです。宣言もすでに日本語に訳されてリハビリテーション協会のウェブにありますので、これもご覧いただけたらと思いますが。かいつまんで要点を申し上げますと、情報コミュニケーション、情報そのものとコミュニケーションをすること、それから情報とコミュニケーションに関わる機器、システム、それらへのアクセスというのは、基本的人権である、ということです。それは、チャンスがあったら使ってもいい、あるいは贅沢なものということではなく、今や基本的人権、なくてはならないものであるということを、あらためて宣言をしています。これがなかなかですね、本音ではそう思ってない人が多いです。例えばインターネット。私どもは盲ろうの方とコミュニケーションを図るには、多分インターネット以外にはないのではないかと私は思っています。隣にいれば別だけれど。手紙を書いても難しい、ダイレクトに会話をしようとしても触覚で対話できるのは、ずいぶん先の話だろうと思う。でも、もしその盲ろうの方が、1つは今の技術だと点字を知っていればいちばんチャンスですが、仮に点字まで知らなくても、何らかの形で触覚で選べる、そういういくつかのキーワードをつないで送り出すと、相手側に文章、あるいは絵で送られる。それを見て、今度はそれに返事をすると、触覚で触って分かる形で返事がくる。それは可能だと思います。いまの技術でも可能だと。つまり、それほど大きな大発見をしなくてもできる、というところがミソです。インターネットが何故そんなに可能性があるかというと、ありとあらゆるものが自由に付け加えられる、開かれた規格になっているのが重要な点だと思います。

 それにいちばん近くて遠いのが、テレビとDVDです。これは、見たところは似たものですが、インターネット動画もそうですが、がんじがらめに規格が決まっていて、その上、更に何重にも鍵をかける規格まで決まっている。その規格の中には、なんと地域によって、その地域を超えて持って行ったら使えないという鍵まで規格で決まっている。先程マルチ・ステイク・ホルダーの参加という言い方をしましたが、利害に関係のある人が決めるのと正反対のプロセスで決まっています。いつの間にか、蓋を開けてみたら、業界の申し合わせで、デジタル・ビデオは1回しかコピーできない。新聞報道にありましたが、「そんなの聞いたことない、業界だけが決めた」と私は言いたい。1回だけしかコピーできないなんて、誰がどうやって決めるのかということです。それから日本で使っているDVDはアメリカでは使えない。逆もそうです。アメリカの装置を日本へ持って来なければ、アメリカから持ってきたDVDはかけられない。つまり、そんなような世界を勝手に分割する。これも消費者の意見をきかずに勝手に決めているわけです。つまり、インターネットの場合はそれの逆です。ウェブは皆さん「表示」を開くと、裏まで見えますよね。ソースコードまで見えます。完全に公開しています。ですから、鍵を掛けるのと全く逆です。この完全に公開するからこそ、みんながアクセスできるチャンスがある。そういう意味でこの基本的人権であるという情報コミュニケーションおよびICTへのアクセスということを具体化していかなければいけない。それが幾つか、そのための提言というのが他の部分にもこの宣言の中で書いてあります。つまり基本的人権であるということは、それがなければ普通に生活するのに支障がある。参加するのに支障がある。同時にそれを実現するための技術的手段は既にある。あるいはちょっと工夫すればできる、手の届くところにある、という両方を含めて宣言しているのです。

 そろそろまとめに入らないといけないわけですが、このグローバル・フォーラムで先程ご発表いただいた皆さんからの、結構ユーモアあふれる部分もありましたし、とても感動する部分もありました。それから少し他の発表者の方たちに触れますと、全盲の方、手話を使われる方に、今度新しくドイツでテレビ電話にさらに字幕をつけたようなテレシップというものを開発したもの、それの発表の時に出演していただきましたし、知的障害者が自分で声と絵でメールをする、そういうシステムの紹介もイギリスからありました。スウェーデンからは読み書き障害、ディスレクシアの方がご本人が登壇されてスウェーデンで開発しているシステムの紹介。これはDAISYのシステムを発展させたものというふうに見られますが、それも紹介されました。日本から、先程ご発表いただいた、けやきの郷とべてるの家から行っていただいて非常によかったなと思ったのは、精神障害の分野での取り組みというのは、世界的に見ても本当に遅れていると思うんです。それについて、大きな励ましになる、とてもいい事例の発表をしていただいたと思います。自閉症については、重い障害であることは確かですが、重い障害であるがゆえにとことん研究し、熱意を込めて、これまで実践を重ねてこられた成果、そしてそのノウハウをインターネットを通じてアウトリーチをしようとしている。そういう形でみんなのノウハウを今の情報コミュニケーション手段を使ってもっと世界に広がっていかなければいけない。それはどうやったらできるのか、ということについての糸口を示して頂けたという意味で、大変意義の深い発表だったと思います。

 私自身は、その場を借りまして、災害のとき、あるいは今、鳥のウイルスが急に問題になっていますが、そういうウイルス、あるいはHIVなどで情報を得る間もなく犠牲になっている障害者が発展途上国にものすごく多いというレポートを聞いております。イランの地震のときも、ほとんど障害という観点では報告がありませんでしたが、最も弱い立場にあった人たちが障害者ではなかったのかと思います。つまり、この情報とコミュニケーションというのは基本的人権であると同時に、ある意味で命綱である。この命綱をどのようにいち早く、障害をもつからこそ活用してこの社会的な格差をなくし、安全、或いは安心して暮らしていけるようにするのか、社会参加できるようにするかというのが特に強調されなければいけない、これからのサミットのテーマではないかと思うわけです。

 幸い、サミットの際には9000枚ほどCD-ROMをスイスの人たちが中心になってつくってくれまして、今日お手元に日本障害者リハビリテーション協会から配られたCD-ROMが入っていますが、それと同じフォーマットのDAISYというフォーマットで、中国語、アラビア語、英語、スペイン語、ロシア語、フランス語の6カ国語でつくりました。ドキュメントを6カ国語でつくり、そして9000枚配布しました。恐らく、サミットの参加者の何人かは希望していますが、それを持って帰って見て、こうすれば様々な障害がある人が読める文献、理解できる文献が可能だということを、現実のそれがつくられて配られていることを体験してもらえるのではないかと思います。そして今度の2005年、もう来年の11月に、チュニジアで行われるますサミットでは、このグローバル・フォーラムをもっと発展させて、もっと長い期間現地で交流できるような場にしてそれぞれのテーマ別、地域別に交流を深めながら、その後の取り組みを展望していく機会を設けると同時に、もう一つは行動計画の中に、具体的にもっと障害について、一方でユニバーサルデザインが大事だと思います。もう一方で1人1人の障害とユニバーサルにデザインされたものをつなぐ支援技術というものが必要です。この両方をもっと発展させることを国際的な共通理解にして実践を深める取り組みができればと思っています。

 以上で時間を超過して申し訳ありませんが、私のサミットについてのご報告とさせていただきます。どうもご静聴ありがとうございました。