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平成18年度
地域におけるインターネット・パソコンを利用した障害者情報支援に関する調査研究事業報告書

基調講演
「より良い支援の実現のために」

畠山卓朗
星城大学 リハビリテーション学部教授

皆さん、こんにちは。畠山です、よろしくお願いします。

今ご紹介をいただきましたように、現在、大学に勤めて5年目になります。それ以前の28年間は、臨床現場、リハビリテーションセンターなどの臨床現場で、主に重度の肢体不自由の障害のある方の、生活支援といいますか、サービスと機器開発に取り組んできました。今日はその中で、いろいろ学ばせていただいたことを皆さんにお伝えしていきたいと思います。(スライド1)

IT支援ということなのですが、私の話は、少し皆さんがっかりなさるかもわかりません。ITにならないかもわかりませんけど、とにかくよりよい支援のためにということでお話をさせていただきます。

まず最初に、皆さん、今日ここにお集まりの方ということでは、「支援」というキーワードと、それからもう一つは「技術」というキーワードがあると思います。そういう意味で、皆さんがお使いの福祉用具とか福祉機器、あるいはその使いこなしも含めて「支援技術」という言葉を使わせていただきます。 障害のある利用者さんと、それからここにおられる、障害のある方ももちろんたくさんお見えになりますけれども、その方を支えておられる支援者、という言葉を使わせていただきます。利用者さんと支援者の方がここにいまして、いい支援技術があればそれでうまく物事が動いていくかというと、そうでもないように思うのです。ここに何か、大切なものが必要ではないか。これはクイズではないのですが、最後のほうで私なりの考え方をお話したいと思います。何か大切なものがあるのではないか。そんなことをずっと考えていたことがあります。
今日お話させていただきますのは、3つの点に触れて、お話をさせていただきます。(スライド2~4)

1番目に、動機を引き出す。動機というとやる気ですね。私は常に今、学生さんを目の前にしていかにやる気を引き出すかというので戦っているのですが、まさにそのやる気です。
それから、2番目が、機器活用で生まれる生活の流れ。機器を活用していく中で、実は生活が作られていくというお話をさせていただきます。
それから3番目に、これは短いのですけれど、よい気づきに出会うために、という3つの話題でお話をさせていただきます。

この方はお風呂場で滑って、浴槽の縁に首のあたりを強くぶつけました。具体的に言うと、頸椎ですね、首のあたりの骨の頸椎の4番目を強く損傷しました。肩から下がほとんど麻痺した状態になってしまいました。(スライド5)

口にチューブをくわえ、息を吹いたり吸ったりします。圧力がずっと黒い管の中を通って白い……ごめんなさい、視覚障害の方にもなるべくわかるようにお話しますけれど、わからなければわからないということをおっしゃってください。この人はベッドで、座位、座る形で座っておられます。ベッドの上で座る姿勢でおられますけれど、目の前にはオーバーテーブルという幅の狭いテーブルがあります。そこに白い箱がありまして、口でくわえたチューブが白い箱の中に伝わっていきます。先端が2つに枝分かれしておりまして、両側に小さな風船がついていると思ってください。片側はしぼんでいます。片側は最初からふくらんだ形をしています。チューブが枝分かれして2つに分かれているんです。息を吹きますと、しぼんだ風船がぷくっと膨らんで、表面で軽いスイッチをカチッと押します。今度は息を吸われますと、膨らんだ形の風船がしぼんで、ちょっとわかりにくいのですが風船の中にスイッチが入っています。それを、風船の内面でカチッと押すんですね。とにかく2個のスイッチを使えるようになるんです。息を吹いたり吸ったり。

そのスイッチが、やはりオーバーテーブルの上に乗せられたテレビのリモコンにつながっていまして、この方が息を吹きますとテレビのリモコンの電源ボタンを押したことになります。今度は息を吸いますと、チャンネルをプラスってありますよね、チャンネルを順番に上げていく。それにつながっている。非常に単純な道具です。これは私が3時間くらいで組み立ててお届けしたんですね。現在では市販品で売っています。
ただ、実はこの方にお会いしてから実際に使っていただくまでに、1か月かかりました。なぜ1か月かかったのか、そのあたりをちょっとお話します。
病院で訓練を受けて、ベッドの上で座れるように訓練を受けて、家に帰ってきた。でも何もされないまま、天井を見て生活されている。なんとかしたい。当時は保健婦さんと呼んでいましたけれど、保健婦さんからのニーズが私どもに伝えられました。私はエンジニアです。リハビリテーションエンジニア、それから作業療法士、担当の保健婦さんと一緒にチームを組んででかけていきます。

まず最初の日、私のほうから「どんなことでお困りですか」と申し上げましたら、「いや、誰が呼んだんですか、何も困ってない」とおっしゃいました。「ああ、そうですか」とその日は帰ります。1週間後に、今度は私一人で訪ねていきます。「こんにちは、近くに来る用事がありましたので顔を出させていただきました」。「いや、もう特に何も困ってないですから」と繰り返されます。 実は私は3週目も4週目も通うんですね。何をしているかというと、私にはオーダーが出ていまして、とにかく4回通ってください。4回通ってニーズがなければ、終わりましょう。そこで訪問を終わりましょう。嫌がられるんですね、3週目はもっと嫌な顔をされた。
今日が4回目です。「今日が最後ですね」と、保健婦さんが運転をしながら、私は助手席に乗っていました。保健婦さんのほうから、「そういえば、あの人は野球監督をしてたんだって」、「へえ、どこの監督ですか」と聞いたら、ジャイアンツにS選手という選手がいました。有名な選手。若い方はご存じないですけど、うなずいておられる方にはなんとなく近いものを感じるのですが、学生に言ってもわかりませんね。へえ、と言ってそんな会話をしている間に、家に着きました。こんにちはと入っていきましたらもう怒っておられて、「もう来るなって言っただろう」っていうふうな、もう最初から怒っておられます。私が思わず口から突いて出たのが、「野球お好きなんですってねえ」って震えながらしゃべったんですね。そうしましたら「どこのファンだね」と言われまして、ごめんなさい、私は東京で話すと怒られるかもわからないんですが、アンチジャイアンツって言ってしまったらちょっと嫌な顔をなさって、嘘をつけばよかったと思ったのですけれど、でも野球の話だけは続いたんです。楽しみだね、と。野球はちょうど夏の時季で、ナイター放送をやっていて、保健婦さんとしきりに話されていました。保健婦さんのほうからも、実は今日で訪問が最後です、ニーズは何にもないのと聞いていらっしゃる。何にもないとおっしゃいました。今度もう一つ、保健婦さんが最後の言葉をおっしゃったんです。どうせ駄目だろうけれど、ダメモトという言葉がありますね。駄目だろうけれど、もしあったら言ってみたら。実は私たちの支援の中では、ふざけているように聞こえるかもわかりませんけれどそうではないんですね。どうせ駄目だろうからとおっしゃったのが、このテレビのチャンネルを変えることでした。電源ではないんですよ。保健婦さんが「どうして」と言うと、奥さんが台所に立っている時なんか、忙しそうにしている。野球放送が始まりそうなのだけれど、というときに、そんなのは奥さんに頼んだらと言うのですが、自分でこうなってしまったし、ただでさえ申し訳ない、だから我慢するということを奥様のおられないところで小さな声でおっしゃいました。とにかく今日は帰りましょうと帰って、1日おいて、これは半分ちょっと押し売り状態かもしれません。無理矢理、「とにかく使ってみてください、本当に申し訳ありません」と言って使っていただいている様子です。息を吹くとテレビが点いて、息を吸うたびにチャンネルが変わっていきます。少しずつ表情が変わってきました。目の表情も変わってきました。「ありがとうございました、これが動くことがよくわかりました、もうこれで今日を最後にしたい」と言いましたら、「いや、来たいんだったらもうちょっと来てもいいよ」ってこの方からおっしゃったんですね。

私たちの支援の中では、こういう場面ってあるんですね。まったくこちらを振り向いてくださらない方が、ふっと振り向いてくださる瞬間があるんですね。これが、実は私たちにとってもとても大切な瞬間というか、それを期待しているんですね。
とにかく使っていただくことになりました。1週間後にこの方から、奥さんを通じて電話がありました。もしこういうことが、テレビの電源操作、チャンネル操作ができるのであれば、電話を受け取ることができないか。「もちろんできますよ」、今ちょっと画面の右下に電話機、白っぽい電話機の様子が映っていますが、これは実はNTTさんと一緒に製品化をお手伝いした「シルバーホンふれあいS」という、息でダイアリングできる電話機があるんですね。月々550円で借りることができます。NTTの福祉料金です。こんな電話機をご紹介できますよ、かかってきたときには息を吹きますと送受話器を取り上げなくてもスピーカーとマイクでお話ができるんです。それをご主人にお伝えくださいと電話で言いましたら、それを聞いたご主人が、電話の向こうで聞こえたんですけど、「なんで最初から教えなかった」と怒っておられるようなんですね。私はちょっと意地悪な気持ちが出て、「奥さん、確か何もいらないとおっしゃってましたね」って、それをまた奥さんが伝えてですね、「謝っておけ」というやりとりがありました。これはちょっと余分な話をさしあげました。

今ずっとお話をさせていただいている様子を、これは実は私たち、振り返ってみるとよく感じるのですが、スモールステップの原則という言葉があるそうです。とても低い踏み台なんですね。ですけれど、私たちからみると、「え?それが大事なの」ということが、実は人の気持ちを動かすことがあるということを思います。逆に、私たちから見て「こういうのを使ってもらえないと駄目だよね」とか「これこそ本当の支援だ」という先端的な技術とかですね、自分の中でこれを試してみたいというときに、失敗してしまうことがあるんですね。それは、よくよく後で反省してみると、私たちの価値観であって、利用者さんの価値観ではなかったということに気づきます。
それから、まずは小さなステップから、それから後は継続的に接近したり、その人のニーズに接近したり、あるいはとにかく継続的に関与していく中で、少しずつ何かに近づいていくというのが私たちの支援の大切さではないかというふうに、これはもう皆さんが日々感じておられることをここでお話しただけだと思います。(スライド6)

よく、先ほどの「動機を引き出す」、「やる気を引き出す」には、2つの要素があると言われていますね。これは和田秀樹さんという方が本の中で書いておられるのですけれど、外発的動機と内発的動機がある。外発的動機は何かというと、よく、へんな言葉かもわかりませんけれど、飴とムチとかですね、美味しいものを目の前に与えたり、ムチで叩いたりというのが、ちょっと怖いのですが、そういう要素と、もう1つは内発的動機は内から自然に湧いてくるということですね。外発的動機は、何かすると褒美がもらえる、褒美がもらえるから頑張ろうという、これも決して悪いわけではないですね。それから、何かしないとたいへんなことになる。原稿を出していないと後でたいへんなことになるとか、日々感じているのですが、学生さんなんかはレポートを出さないとたいへんなことになる。これも動機なんですね。もう一方で、内発的動機は、先ほどから申し上げましたように内から湧いてくる、あ、自分はできるんだということに気づく。これは自己有能感というような呼ばれ方をしますね。自分ができるんだ、自分もできるんだ、あるいは場合によっては他人よりもできるかもわからない。そんな気持ちを引き出すことが、実は大切なのだろうと思います。
これは、実は技術の素晴らしさというよりも、ちょっとした技術でもそれを引き出すことがあるのかもしれない、そんなことすら思います。(スライド7,8)

2番目の話題に移っていきます。機器活用で生まれる生活の流れ。(スライド9)
これも私が横浜市の総合リハビリテーションセンターで、ここは在宅訪問サービスをやるということで、特徴があるんですね。必要に応じてスタッフがチームを組んでどんどんでかけていく。先ほどの方もそうなのですが、そこで出会った場面をご紹介したいと思います。
今画面に映っているかた、申し訳ありません、肢体不自由の方が続きますけれど、皆さん、別の障害に接しておられる方はとらえ直しながらちょっと考えていただけるとありがたいです。(スライド10,11)

この方は今ベッドに横たわっておられまして、気管切開をして喉に穴をあけまして、人工呼吸器をお付けになっています。ALS、筋萎縮性側索硬化症という難病です。実はこの映像を撮らせていただく3年前までは、横浜の緑区から東京の霞が関まで毎日通勤電車で通勤されていた方なんですね。3年後の今の様子なのですが、人工呼吸器をお付けになって、この方が自由に動かせるのが右手の人差し指だけという状態です。5ミリ程度。操作力も非常にわずかな力しかありません。皆さんの頭を、ちょうど朝の6時というふうに戻していただきたいですね。このお宅の時計は6時を示しています。この時刻というのは、このお宅ではまだ誰も目を覚まされていません。奥様は毎晩深夜2時、3時まで及ぶ介護で、慢性的な寝不足状態で、まだ目を覚まされていません。朝6時にこの方はぱっと目を覚まされます。この方の生活は、右手の人差し指から始まるんですね。筋萎縮性側索硬化症とか、あるいは筋ジストロフィー、そういった方の場合は、たとえば指先が動く場合、動かす距離ですね、移動距離はとても小さい。数ミリ程度ということもあります。操作力もとても小さいですね、100グラム以下。0グラムにほとんど近い場合もあります。ただし、指先の巧みな動作、とんとんとんというような動作が残っていることがあります。巧緻性のある動作、巧みな動作ですね。カチカチカチという、右手の人差し指に付けたスイッチを、指先をカチカチと動かします。そうすると、今テレビの上に環境制御装置という黒い箱が乗っかっています。指先をカチカチカチと動かすと、ランプが順番に押した数だけ動いていきます。そして、今度は目的のところ、たとえばテレビというところで長めに押されます。そうするとテレビがぱっとつきます。これは身の回りの電気製品を操作するための道具なんですね。朝のニュース番組を15分ほどご覧になります。しばらくしてからまたカチカチカチと、テレビをいったん消して、それからしばらくしてから、今度は同じテレビなのですが、そこにコミュニケーションエイドの電源をご自分で入れられて、文章を書き始めます。ただ1個だけで操作できる、1個のスイッチだけで文章を書ける方法があります。順番にランプが動いていって、かちっとやると今度は縦に動いていって、3回押すことで文章を作れる道具があります。1時間ほど文章をお書きになります。発症してからこれまでずっと自分が辿ってきた経過、それからご自分がこれからどうなっていくのかということをおわかりになっていますので、家族一人一人に対するメッセージを書かれます。指先だけで1時間というのは実はとてもたいへんなのですが、1時間文章を書かれまして、そしてパソコンに文章をご自分で保存されます。そして、いったん脳を休める意味でテレビを切って、しばらくしてからまたテレビを点けて、チャンネルを回して別の番組をご覧になります。時計は朝の7時半です。

何をお話しているかということですね。実は7時半になると奥さんがようやく「おはよう」と顔を出されます。何をお話していますかというと、私たちの生活の流れとはまったく違います。朝起きて顔を洗ったりトイレへ行ったり、そういうことはできません。でも、この方なりの生活が、ここで営まれているということをぜひおわかりいただきたいのです。
残念ながら、この方の指先が動かなくなりました。若いスタッフが額の上にスイッチを貼り付けて、眉毛を上げると皺ができますよね。距離が短くなります。額の距離。かちっとくっつく。というかこれ、いいから作ってみようというときに気をつけていただきたいのですが、電気の知識が十分にない人がやると感電事故を起こしたりしますから、もしやられるのであれば、右側に、薄い映像で申し訳ありませんけれど、光ファイバーを眉毛のあたりに持ってくるんですね。これで感電する心配はありません。そして眉毛で光を反射させるとか、そういう方法があります。眉毛の上に、ちょっと紙をつけて反射物をつけたりします。こういう方法を使いますけれど、これを作ってくれました、若いスタッフが。ただ、私たちは、もう先ほどご紹介した生活の流れは無理だろうと思っていました。そうしたら、見事にそれは違っていました。この方が、その後の約10年ですね、この額だけで、額を何回も動かすというのはたいへんだと思うのですが、額だけで先ほどご紹介したような生活を営んでおられました。
あるとき、この方がパソコンの画面に書かれた言葉、自分で生活を組み立てられるというのは、生きている実感がするということをおっしゃいました。それから、私たちが訪ねて行くと、よく奥様に向かって、パソコンの画面上で「お茶をお出しして」とか「椅子をお薦めして」という、家族の長としての役割もされていました。(スライド12、13)

最終的には、小冊子も発刊されました。
今、この前に映しているスライドは、逆三角形で下から生活、遊び、創作、それから一番上の社会参加という3層になっているんですね。これは実は私たちが普段営んでいる生活をここで表しているつもりなんです。生活があって、遊んだり何かを作ったり、それからここに皆さんがお集まりのように、まさに社会参加している。この横幅を生活とか活動の幅というふうに考えていただきたいのですが、これが私たちの生活です。ただ、先ほどご紹介しましたように、特に進行性の疾患をお持ちの方の場合、病状が進行して行きますと、社会参加が奪われて、そしてさらに遊んだり何かを作ったりということが奪われて、さらに進んでいくと生活すら奪われてしまう。最後は生命維持だけの段階になってしまう。そんな場面に出会います。(スライド14)

私たちは実は、こういう場面で相談を受けることがあるんですね。これも間違えてはいけないのですが、これは私自身が間違えていたことなのですけれど、一見すると「ああ、何もできない方なんだ」、こう支援者がそもそも間違えてしまいがちなんですね。表情がうまく、表情筋を動かせない方を見ると、「ああ、この方は何も表情ができない方なんだ」、でも目の表情を見落としたりしていることがあります。今日お話してきましたように、生命維持段階にある方においても、人の支援とそして支援機器、福祉用具とかそういうものをうまく活用することで、生命維持段階にある方が、ご自分なりの生活を営んだり、あるいは遊んだり、電話回線を通じて囲碁で遊んでおられる方もおられます。それから、好きな写真、駅でカメラのシャッターを切れるようにしてくれというニーズがありまして、好きな野鳥を撮られて、市民ホールで写真展を開かれて多くの人に囲まれた、そんな場面がありました。まさに立派な社会参加だと思います。私たちとは、自分の、支援者の価値観ではなくて、それぞれの人にとっての価値観に目を向けていくということが必要ではないか、そんなふうに思います。

3番目の話題です。(スライド15~18)
よい気づきに出会うために。先ほどから、一番最初にこんな絵をお見せしました。利用者と支援者がいて、支援技術がある。素晴らしい支援技術があればそれでいいのか。すると、そうではない。これは実は単純なことなのですけれども、私は「気づき」ということだと思います。とにかく気づかなければ、いい支援はできない。私自身が気づかないで支援を失敗してしまったことは、いくらでも、失敗のデパートというくらい、これは余計な話なのですけれど、私は失敗学会の会員なんですね。言うと皆さん、お笑いになるのですが、これは本当のことです。本当に入りました。いっぱいの失敗があるんですね。でも失敗から学んで成功につなぐという意味で大切だと思うのですけれど、この、気づかなければ失敗してしまうということで、最近出会った言葉で「セレンディピティ(serendipity)」という言葉があります。これはよくテレビなどでも紹介されていますけれども、偶然の幸運に出会う能力。能力がいると言われるんです。宝くじを買ったら当たったって、そうじゃないんですね。なにかAというものを一所懸命追い求めていると、Aには届かなかったのだけれどBというもっと素晴らしいものに出会ったという。でもそれも、Aを見つけられなかったということでがっかりしていると、Bすら見落としてしまうという、実はそういう能力がいる。こういう能力を磨きたいと私は思っています。
ただ、気づかなければ、このセレンディピティも生きてこない。そういう意味で、私はよい気づきに出会うために、これは特に在宅訪問の支援の中で本当に感じていったことで、とにかく利用者さんと場と時間の共有を重ねる、一回こっきりではなかなか見えてこない、少しずつ見えてくる。ここは、私たちが見えてくるだけでなくて、利用者さんも私たち支援者が見えてくる。双方向なのだと思います。それから、先ほども申し上げましたように、先入観を排除する。何となく勉強していくと、後遺症がこうなんだとか、こういう場合にはこうすればいいという、マニュアルサービスにどうも行ってしまう自分を感じるんですね。だけど、そういう中で、やはり自分の先入観がどんどん入って行ってしまう。それから、私たちは何か道具をお届けしたときに、私が作ったものを使ってくれなくて、もっと自分で工夫されて何かされてしまった場合に、がくっと来ることがあるんですね、支援者としては。なんで使ってもらえなかった、これは失敗だと思うのですけれど、実はそうじゃないということを前に教えられたことがあります。だって、利用者さんがうまくいったら、それは成功じゃないかというところになかなか気づけない自分があるんですね。だから、相手の価値観に接近するということを、私自身が難しいのですけれど、そんなことを考えています。
それから最後に、角度を変えてみる。普段とは違う角度から見ないと見えてこないものがあるように思います。これは次の、最後の部分でお話します。

最後の部分ですけれど、私はこの世界に、この世界というか支援の世界に入ってもう三十数年経つのですけれど、それ以前は電子工学専門で、ロボットの開発をしていたのですね。最初にひょんなことからこの世界に入ったときに、まず利用者さんとお話ができること、それを目標にしていました。コミュニケーションが下手ということもあって、ただ、実はそれだけでは仕事ができないということに後で気づいてきます。現在私は3つの視点、利用者さんと接する場合に3つの視点を持っています。これを押しつけるつもりはありません。皆さんなりの、考えるときの材料にしていただければと思います。(スライド19,20)

まず、最初に利用者さんと出会う場面を思い浮かべていただきたいのです。少し離れたところから「こんにちは」と声をかけながら近づいていくのですけれど、少し距離があるんですね。そうすると支援者に映ってくる視野には、比較的若い方で、たとえばここに今絵で描いてある様子では、ベッドに座られて、背もたれを上げて座ることができるんだ。それから、絵には描かれていませんけれど窓があって、今日は窓が開いていて気持ちいい風が入ってくるとか、それからベッドの置かれている位置もわかります。これは在宅訪問の場合ですね、家の中にぽつんと置かれていたり、交差点のような場所にあったり、これは全体をつかむという意味でとても私は大切だと思います。これはちょっと冷たい表現に聞こえるかもわかりません、「観察者の視点」というふうに、ここでは呼ばせていただきます。とても全体像をつかむという意味では大切です。(スライド21)
ただ、これだけでは仕事ができませんので、利用者さんに近づいて行って、そうするとこちらを振り向いてくださったり、あるいは覗き込んだりして、利用者さんの表情とか、あるいは息遣いなんかも感じ取ることができます。これを、私が最初に目指していた「対話者の視点」と、コミュニケーションできればと言っていた、ただ私はここから入ったのですけれど、よく言われました。もうちょっと離れないと利用者さんのことが見えないよ、近づきすぎだということでよく叱られました。私が尊敬するソーシャル・ワーカーからよく言われました。(スライド22)
ただ私はこの2つの視点でずっと仕事をしてきたのですけれど、もう1つこの先に視点があることを教えられました。ご覧になれる方はちょっとよくご覧にならないとわからないのですけれど、支援者と利用者さんの距離は変わりません。でも利用者さんがあっちを向いているんですね。あっちというかこっちというかよくわからないのですが、あっちのほうを向いているんですね。こちらを振り向いてくれていないのです。そうすると、ああ、横顔というと、そうじゃないんです、ここで申し上げたいのは、利用者さんのとらえている世界が、どこまで支援者に見えるのかなというのが、これはちょっとわかりにくいと思うのですけれど、とりあえず「共感者の視点」と呼ばせていただきます。(スライド23)

今お話したように、3つの視点、観察者、対話者、共感者。私にとってはこの3つの視点が大切です。(スライド24)
でも、3番目の視点というのは、私には見えていませんでした。実はそれを教えてくれたのは、もう既にお亡くなりになっているのですけれど、国立療養所南九州病院の筋ジス病棟に入院していました轟木敏秀さん。彼が24歳のときに、私は初めてお会いすることになりました。それから11年間、彼は生きました。筋ジストロフィーのデュシェンヌ型の彼です。今画面に映っている様子では、ベッドに完全に水平状態で横たわって、人工呼吸器をつけて、幸いですね、気管切開をした当時は声を出せませんでしたけれど、この状態では声が出せます。ただ、ベッドの背もたれを上げたり、これは心臓に負担があるということでできません。側方を向く、横向けの姿勢も負担があるということで、できません。天井を見ているだけの生活なんですね。(スライド25)
1995年に、「我が分身たち」というNHKの映像が流れました。40分間の放送なのですけれど、最後の3分間の映像を実は私はこの物作りでお手伝いをさせていただいたのですけれど、物作りしているときには道具の意味が本当にはわかっていませんでした。この映像が流れて最後の3分間の中で、普段とは違う世界があることに気づきました。(スライド26)

私はこんなふうに思っています。IT支援というのは、やはり生活支援の一環として、あるいは生活の流れの中で支援していくんだ、ITだけが先にあるのではない、そのあたりを思いながら、いつも反省しながら、仕事をしています。

どうも、長時間ありがとうございました。失礼します。