音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

  

報告書 英国ソーシャルファームの実地調査報告会

【基調報告】「英国の最近のソーシャルファームの動向」

炭谷 茂
恩賜財団済生会理事長
日本障害者リハビリテーション協会会長
ソーシャルファームジャパン理事長

どういう肩書で話せばいいのか、今、一瞬悩みましたが、この日本障害者リハビリテーション協会の方においでいただきましてどうもありがとうございます。私はこのリハビリテーション協会の会長を務めております炭谷と申します。このサンライズ、かなり経営が苦しく赤字でございます。ぜひ皆さん、格安の料金になっていて、サービスも大変良いので、研修、宿泊などいろいろな機会にご活用いただければ大変ありがたいと思っております。

今日はまず、今年の7月に我々3名がソーシャルファームの調査、打ち合わせということで、英国に行って参りました。費用は東京都民生活協同組合の助成金を頂きました。上野先生は自費で行かれましたので、ずいぶん出費されたと思いますが、一緒に行っていただいて大変成果が多かったと思っております。

そこで、今日私の方から「英国の最近のソーシャルファームの動向」についてお話をします。これは後ほど寺島先生、上野先生にお話をして頂くことになっております、個別のお話をお聞きするにあたり、全体のアウトラインをつかんで頂いた方がわかりやすいのではないかと思いまして、私がお話しすることにいたしました。ですから、今回の調査だけではなく、これまで私どもが得た知見をもとにしてお話を進めさせていただきたいと思います。

1 英国の歴史からの考察

まず、英国のソーシャルファームについて考えるにあたって、歴史的な視点という面で考えることが非常に重要だと思います。何の関係があるのかというように思われるかもしれませんが、英国のソーシャルファームについては突然出てきたわけではなく、英国の長い歴史の中でソーシャルファームが必然的に出てきたと私は考えております。そこで、1に書きましたけれども「英国の歴史からの考察」としました。

(1)戦後の障害者対策

① 1942年のベヴァリッジ報告に基づき、ナショナルミニマムの確保を国の責任で行う障害者に対してNHSによる包括的な医療保険サービスの提供、国民保険による年金、各種手当の支給、公的扶助による援助を行う

まず、戦後の障害者対策をどのように英国は進めてきたのか見ますと、これは詳しい方が多いので、釈迦に説法のようになりますが聞き流していただければと思います。戦後、英国の障害者対策は飛躍的に進んできたと思います。1942年にベヴァリッジの報告が出ました。これによって、英国の福祉国家のアウトラインが出来ました。それを着実に戦後、制度化されてきたというように思います。

英国の福祉国家の中核となったのは、ナショナルヘルスサービスだと思います。このナショナルヘルスサービス、NHSと略されますが、NHSは大変包括的な医療制度であります。当初から、予防から治療、そしてリハビリテーションという包括的、コンプリヘンシブな制度であったと思います。ですから障害者に対してもこの包括的なナショナルヘルスサービスによって、しっかりした医療が受けられてきたと思います。ナショナルヘルスサービスについて批判をする日本の人たちがいますが、大方を見れば、大変うまくいっている医療制度だろうと思います。

福祉国家のもう一方の所得保障についても比較的、英国においては完備されていると思います。年金については、障害年金が支給されるようになっておりますし、それ以外にも、税金に基づく各種の手当が支給されます。例えば、介護に要する費用、車などの移動の費用、そのようなものについては、各種手当で出されます。日本でいえば介護保険によって出されるものが、税金によって、社会保障の学問の世界では社会手当と呼ばれますけれども、そういうもので支給されております。そして、年金も社会手当でも不十分な人は最終的に、日本でいう生活保護が適用になっています。ある意味では、漏れのないような仕組みになっていると思います。私は、昭和50年頃、障害者対策の勉強で英国に行きました。昭和50年頃は、日本の障害者対策はそんなに進んでおりませんでしたので、ずいぶん完備されているとたいへん感心をした記憶がございます。

② 障害者福祉サービスは、地方自治体が担当

障害者主体のキメの細かいサービスの提供
住民によるボランティア活動が活発

一方、福祉はどうでしょうか。これは、主に地方自治体が担当をしています。例えば障害者の居住施設とか、また障害者が家庭にいらっしゃる場合のホームヘルパーの派遣事業、このようなものは地方自治体が担当しておりました。NHSは国営といっても少し性格が違います。日本でいう現在の独立行政法人に近いと思います。一種の準国営です。もちろん、年金等は全て国、福祉は地方自治体というように3つに分かれています。この3つはできるだけ連携をとる形で障害者対策が万全を期されてきました。ですから、一般的には大変優れた制度だと私は思っておりました。一方、②のところに書きましたが、住民によるボランティア活動も大変盛んです。キリスト教精神に基づくボランティア活動です。きめ細かい、公の制度から漏れたところは、住民同士が助け合っていく形で進んできたと思います。

③ 障害者雇用対策は、1943年のトムリンソン報告に基づき1944年の「障害者(雇用)法」により実施

ジョブセンター
職業リハビリテーションサービスの提供
割当雇用制度、保護雇用

一方働く面がどうかということが③でございます。障害者の雇用対策については、戦前にトムリンソン報告が出されています。これは、障害者も働けるようにしなければいけないという大変有名な報告書ですが、この報告書に基づいてすでに戦前「障害者(雇用)法」というものが制定されました。これが基本になりまして、ジョブセンター、日本でいう職業安定所と考えればいいでしょう。職業紹介所といいますか、そういうところで、障害者専門の雇用官を置いて仕事を斡旋しようと、また職業リハビリテーションを推進する、いわゆるクオーターシステム、企業は、何パーセントの障害者を必ず雇いなさいというような制度を導入したり、保護雇用というものを導入したりという形で、障害者雇用の面についても福祉国家の一環として相当整備をされてきたと思っております。これが英国の戦後の立ちあがりの時代の福祉の障害者対策でございます。

一方、このような制度が立ちあがりましたが、徐々に世界の福祉の影響を英国も受けて参ります。1951年、デンマークのバンク・ミケルセンによってノーマライゼーションの思想が出されました。これは、福祉関係の世界において、戦後一番大きい影響を与えた思想だと思います。デンマークを発祥としてヨーロッパ全体、当然英国にも影響を与え、アメリカにも影響を与え、やや遅れて日本にも影響を与えたというのは、ご存じの通りでございます。ノーマライゼーションの思想というのは、特にアメリカでは、1964年に公民権法、これは黒人の人種差別を主に狙いとしたものでございますけれども、この公民権法の制定は障害者の差別問題にも大きな影響を与える画期的な法案であったと思います。続きまして1990年に有名なADA法、「障害を持つアメリカ人法」が作られました。これは、私自身、厚生省で仕事をしていた時、当時、ADA法は、福祉の関係者にとっては毎日、口にするような衝撃的な法案でした。アメリカが福祉の面で主導権を握るということは、比較的少ないですが、障害者の人権という面に関しては、アメリカが主導権を握った時期があると思います。バンク・ミケルセンのノーマライゼーションは、カリフォルニアのバークレー校の自立運動に火をつけます。障害者も社会の中で暮らせるようにすべきではないかということがアメリカのカリフォルニア大学のバークレー校を発祥地として起こったということはご存じの通りです。

そして、これは日本にも大変な影響を与えます。英国も同様です。英国もこの国際的な潮流にのってノーマライゼーションの見地からバリアフリー化、物理的なバリアフリーだけではなく、教育面でのバリアフリー、それから、住民の間の差別をなくそうというソフト的な面にも相当力を入れられました。その流れをくんで、英国の場合、1995年には障害者差別禁止法という法律が作られました。アメリカに5年遅れて1995年に英国で障害者差別禁止法ができました。

これらの動きを見ていて、私の持論ですが、特に精神障害者の分野では欧米に比べて日本は30年遅れているということを以前から言っておりましたけれども、ようやく今年の6月に障害者差別解消法が出来ました。しかし、施行はもう少し先の3年後です。ようやく追いついてきたと思いますが、やはり私の言う、特に精神障害者の分野ですけれども30年は遅れているというのは、あながち誇張ではないです。よく、30年も遅れているわけはないだろうとお叱りを受けますが、私は、この差別禁止の法令の伸展から見てもそんなに外れたことを言っているつもりはないわけでございます。

このように、終戦直後は、福祉国家の制度面で体制が整って、徐々にソフト面、障害者の人権の確保、差別の禁止、ノーマライゼーションの伸展というような中身の問題に移ってきました。だいたい年代にすれば1960年代前後から起こり始めたのではないかと思っております。

(2)1980年代以降の動き

① 1980年代後半~1990年から障害者、失業者、外国人、ホームレス、薬物依存症の者等に対して社会的排除の動きが強まる

次に(2)です。これが我々の頭にある典型的な英国像ですけれども、その英国像は1980年代後半変わって参りました。英国というのは教会を中心にして障害者も差別せずみんな助け合ってやっている福祉社会だというように思いこんでいたところ、そうではなくなりました。どうも英国も他の国の例外ではありませんでした。障害者や失業者、外国人、ホームレス、薬物依存症の人に対して社会的排除の動きが強まってきました。それまでは地域社会の中でみんな助け合っていこうという、絆がとても強かったのですが、日本もそうでしょう。地域の絆が薄くなってきました。英国もそのような状況になってきて、社会的排除、このような異質な人達を社会から追い出そうというような動きが出てきたわけでございます。ノーマライゼーションだけでは間に合わなくなりました。ノーマライゼーションはどちらかといえば障害者の方々が入りやすいように環境を整備するそういう面です。それだけでは、排除の動きは止められなくなってきたわけでございます。ここに大きな思想の転換を余議なくされたわけでございます。

② ブレア政権 ソーシャルインクルージョン政策を推進

第3の道として「福祉から就労へ」と政策の重点を移行

そして、1997年に労働党のブレア政権が登場いたします。ブレア政権はこの問題を直視して国政の一番重要な問題という形で取り上げることになりました。この問題を解決するために、ソーシャルインクルージョン、社会的な排除に対抗して、そのように社会から追い出されやすい人達を社会の中に引き込む、障害者、貧困者などを社会の中に引き込むというソーシャルインクルージョンという政策を国政のトップの課題として取り上げることになりました。そのために、総理の直轄の下に社会的排除対策室という組織を新設して、民間のNGOの人間を室長に招いて対策に本格的に乗り出したわけでございます。

そして、当時は第3の道、これはロンドン大学の社会学者のギデンズの考え方を取り入れたわけですけれど、第3の道、今までお話ししたように英国社会は福祉国家ということで福祉に重点を当てた、いわば給付面に重点を置いてきたわけですけれど、それだけではどうもうまくいかなくなりました。だんだん対象者も多くなって、財政的な行き詰まり、それももちろんありますが、社会的な排除に対抗するためには、雇用、実際に一緒に働くことによって人と人との結びつき、そして何よりも障害者の人権、障害者の尊厳性ということを考えれば、一緒に社会の中で働くと言うことが重要です。単に医療を提供する、それからお金を提供する、そういうものでは障害者の人権、個人の尊厳というものは保てませんでした。ここに大きな思想転換がありました。ここが非常に重要なところで、現在の英国の社会福祉はこの部分に着目しないとほとんど理解できません。昔のように英国は福祉国家でなんとか、NHSがあって、国民保険制度があってなんて言っていると、それは全く現在の動きは理解が出来ないわけでございます。一種の障害者の人間としての回復、いわば解放運動に近いと言ってもいいと思います。そのためにも、就労、社会の中で働くということに英国の社会保障政策が思想転換をしているわけでございます。

③ 民間からは先進的動き

CANの活動

このような政権の動きに対応して、③、民間からは先進的な動きが出て参ります。これは我々、ソーシャルファームジャパンの方でも一度呼んだことがありますが、CANという団体がその例でございます。コミュニティ・アクション・ネットワークという民間の団体です。10年ちょっと前にできました。アンドリュー・モーソンという牧師が第2のスラム街であるブロムレイ・バイボウという地域、ちょうどロンドンオリンピックが開催された地域ですけれども、そこの地域を立て直しました。失業率が50パーセント近く、半分近くが失業者であり、そしてその地域は犯罪が多発していました。この地域を何とかしなければいけない、そのためにとった手法は、みんなで働く場を作ろうという手法でこの地域を立て直し、そしてロンドンオリンピックまでここで開催することができるようになりました。そして、ここでは失業率が50パーセント近くありましたが、今では、英国の平均よりもはるかに低く数パーセントまで低下したわけでございます。

④ ドイツ、イタリア等のソーシャルファーム運動の影響

一方、国際的な潮流も影響を与えます。イタリアをスタートとする今日のテーマであるソーシャルファーム運動です。これがおこって参ります。イタリアだけではなくてドイツに波及いたします。ドイツ、オランダ、デンマークやスウェーデン、ノルウェー、フィンランドなどのスカンジナビア諸国、さらにギリシャやフランスやベネルクス三国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)、いわばヨーロッパ全体にソーシャルファーム運動がおこりました。これがちょうど1970年代後半からこのブレアが登場した1990年にかけて一層高まって参ります。

⑤ 1980年代後半にソーシャルファームが始まる

ソーシャルファームUKの設立

このような政治の動き、民間団体の動き、そしてヨーロッパのソーシャルファーム運動というものの影響を受けて1990年代後半から英国でもソーシャルファーム運動がおこって参りました。そしてそれらに対してみんなで集まって情報収集しよう、それからいろんな研修会をやろう、何よりも政府と交渉するためにソーシャルファームUKという団体が出来ました。それは私が理事長を務めておりますソーシャルファームジャパンの一種のカウンターパートになるような団体でございます。そして、ソーシャルファームUKは、その他に例えばスコットランドにはソーシャルファームスコットランド、ウェルズにはソーシャルファームウェルズというものができ始めたわけでございます。今から4年前、ソーシャルファームUKの幹部でキャッシー・ベイカーさんをお招きして、全社協の灘尾ホールで説明会を催しました。なかには4年前のことですから、参加していただいた方もいらっしゃると思います。

以上が英国のソーシャルファームの動きであります。ですから、ソーシャルファームが突然出てきたわけではなくて、戦後の障害者対策の歴史の中で、ある意味では必然的に誕生してきたということをご理解いただきたいです。そして何よりも重要なのは、あくまでこれは技術論ではなくて、障害者の人権の確保、障害者の尊厳性の確保、さらに言えば、障害者の一種の解放運動だろうと思っております。

2 今回の訪英で感じた最近の動き

そこで、今回の訪英で感じた最近の動きについてお話をしたいと思います。限られた調査期間でございましたので、必ずしも十分ではないかもしれませんけれども、私自身は3点の事を感じました。

(1)ソーシャルファームを巡る状況は、混沌として分散的になり、一定方向が定まっていない

ソーシャルファームUKの影響力の弱体化
広報活動の失敗か

私ども英国を中心としてヨーロッパのソーシャルファームの動向をこれまで8年間程度にわたって勉強してきました。しかし、今回英国に行って、少し様子がおかしいなと思ったのが正直なところでございます。ソーシャルファームを巡る運動は、英国の場合は非常に混沌として分散して、一定方向に進んでいないという印象を持ちました。これは、逆に言えば行ってよかったと思います。

英国について、ソーシャルファームが充実し始めていると思っていました。これまで英国の方を何度も招いて勉強して参りましたので、そう思っておりました。しかし、実際行ってみると、中心機関であるソーシャルファームUKの影響力が大変弱体化しておりました。会長のミシェル・リグビー(Michele Rigby)さん、女性について年齢を言うと大変失礼なので言いませんけれども、それ相応の年齢をした女性でした。実際にお会いして、組織の長としての迫力は伝わってきませんでした。ソーシャルファームUKの力が衰え始めたのではないかということを正直にはそう言いませんでしたけれども、そう感じられました。我々の理解していたソーシャルファームUKは、英国のソーシャルファーム全体を取りまとめて政府と交渉するような団体であると理解しておりました。形式的には、その通りですが、その力を失っているのではないかと思います。政府の方も、ソーシャルファームUKの存在はもちろん知っていますが、我々が日本に招いた時ほどの力は残念ながら感じませんでした。本来ソーシャルファームUKは政府側と対等の立場でやり合う、例えば「今度こういうことをやるから調査費をくれないか」とか、「もっと宣伝をしてくれないか」とか、「政策のどこかに位置付けてくれないか」というようなことをやるのが、ソーシャルファームUKの存在価値であり、それに属しているソーシャルファームも、なぜソーシャルファームUKに属しているのかというと、我々が一体になってナショナルセンターがしっかりと機能して、政府と交渉して、お金を貰ってきてくれるというような期待感があったからです。それで、ソーシャルファームがみなソーシャルファームUKに属していたのだろうというように私は推測しました。しかし、先ほどのリグビーさんという会長に私自身、実際にお会いしてお話を伺ってきましたけれども、どうも今一つ歯切れが悪いです。政府との関係があまりうまくいっていないなと思いました。

そして、活動費もだんだん少なくなってきた原因とういうのは、広報活動が失敗したのではないかと言っていました。ソーシャルファームUKの以前の会長であるサリー・レイノルズさんという女性、この方は大変パキパキしていて、やり手だなという印象を受けましたが、この方がソーシャルファームUKを離れました。離れた理由は、内部の権力争い、イデオロギー争いではないかなという感じを持ちましたけれども、サリーさんという前ソーシャルファームUKの会長の話をお聞きすると、広報活動がうまくいかなかった、政府との関係がギクシャクしたために、ソーシャルファームUKが力を失ったということでした。そういうこともあって、英国のソーシャルファームはどこへ行くのかちょっと良く分らないと言うのが皆様方に正直なところ報告しなければいけない点だと思います。これが第1点です。

(2)代わってアメリカの影響を受けた社会的企業家が台頭している

社会的目的をビジネス手法により実現
障害者等の事業における位置に懸念

第2点は、代わって力を持ってきたのは、ソーシャルエンタープライズ、日本語に訳せば、社会的企業です。これがソーシャルファームUKを追い落としてソーシャルエンタープライズUKが力を持ってきて、この分野については、我々がやりますと言うようにお株を奪ってしまったというのが実状だと思います。しかし、この会長にもお話をお伺いすることができましたけれども、私は何かしっくりしないところがございました。これは何かと言えば、アメリカのビジネス的影響を受けています。

社会的企業と言うのは、例えば、福祉とか人権とか社会的目的を有することを企業としてやろうというのがソーシャルエンタープライズの定義です。そのようなものが非常に強くなった、いわばビジネスの面が中心となりました。だからソーシャルエンタープライズ、社会的企業では、障害者の存在が従業員としては出てきますが、企画したり経営したりするところには、ほとんど関与していないのではないかなと思わざるをえませんでした。本来、我々がソーシャルファームをやろうと思ったのは、障害者の方々が一緒になって働く、それこそまさにインクルージョンです。従来通り、単に言われた通り働いているのでは、やはり個人の尊厳という意味では今ひとつ前進しない、この部分に私は非常に疑問と言うか、現在の英国の動き、ソーシャルエンタープライズの動きについて、少し警戒してみなければいけないのかなというように思いました。これはいろいろな評価があって、私の主観的な判断も大変多いです。

(3)障害者等の生きがい、やりがいのある職場が実現されるかが課題

大陸型のソーシャルファームの価値
ドイツ、北欧、オランダ、ベルギー等の大陸では典型的なソーシャルファームが発展
日本の取るべき道は?

それから結論になりますが、障害者の生きがい、なぜ我々がソーシャルファームをやっているかと言えば、障害者の人権の確立、個人の尊厳、やりがいのある仕事、そういうものに戻らなければならないのではないかと思いました。それがたまたま、ドイツのソーシャルファームをやっている人も、一緒にこの会合に参加をしていました。これは大変良かったです。英国はちょっとおかしいぞと言うことが、ドイツでソーシャルファームをやっている人からお話が出ました。やはり英国のソーシャルファームは変質してしまったと、我々よりも直接的に自信を持って話して下さいました。ですから、私自身の個人的な感想から言えば、我々が目指すべきなのはやはり大陸型のソーシャルファームではないかなと思います。英国はやはり、アメリカの影響を受けてややビジネス的な手法が強くなりすぎたと思います。

人によっては、そうしないと持続可能性がなく、うまくいかないのだと言う人もいらっしゃるかもしれません。それは、まさに価値判断です。何のために我々はこの仕事をしているか、私はあくまで障害者の自立の促進、個人の尊厳、そのようなものを主体においてやっております。単にビジネスとしてやるのであれば、私はこういうことをやるつもりは全くありません。やる意味がないです。単にビジネスとして成功したいのであれば、アメリカ的なソーシャルエンタープライズというやり方が大変有効だと思いますが、そのようなことのために貴重な時間やお金を費やす必要が私自身はありません。これは、それぞれの人生の価値判断の問題だろうと思います。ですから現在、ドイツや北欧、オランダ、ベルギーなどの大陸諸国の方が、私が言ったようなソーシャルファームがはるかに盛んで、英国やアメリカに対する批判的なスタンスをとっています。ですから、EUの方が従来型のソーシャルファームに対しての財政的な支援をやっています。そこで日本のとるべき道は、大変大きな岐路に立っていると思います。

3 英国の「ソーシャルファーム」の特色

英国のソーシャルファームの特色というものをみていきたいと思います。

(1)対象者の多様性

① 障害者
  学習障害
  精神障害

② 元受刑者
③ ホームレス等

まず、対象者の多様性。これはもちろん、ソーシャルファームは、障害者を中心、特に精神障害者、学習障害者を中心にして発展しました。障害者が中核を占めているわけでございますけれども、その他、今日も後ほど寺島先生、上野先生からお話がありますけれども、元受刑者やホームレスなど社会的に何らかの仕事を得にくい人も対象にしているわけでございます。

(2)仕事の種類の豊富さ

付加価値の高い仕事
成長性
独自の分野

仕事の種類の豊富さです。これは大変感心しました。それぞれ個性があります。いろいろとたくさんの事をやっております。例えば、後ほど上野先生からお話があると思いますが、ウェルズの「ブリストル・トゥギャザー」という団体がございます。ここは、古家の修理・販売をやっています。非常に付加価値が高いものでございます。後ほど送られてきた「ガーディアン」という新聞記事(1)によりますと、収益率が14%という大変大きい利潤の仕事をしているということが載っておりました。それから、成長する分野、これはロンドンの「バイクワークス」ですので寺島先生がお話しされるでしょう。倍々ゲームで増えていくということを説明してくれました。今年度は、日本円で2億円以上を目指すと大変元気がよろしかったです。このように、他人がやっている分野ではなくて独自の分野を開拓しているということで、大変印象深かったです。

① リユース、リサイクル

家具・家電「トラック2000」
中古自転車「バイクワークス」
古家「ブリストル・トゥギャザー」

具体的な中身をみてみますと、リユース、リサイクルが一番多いです。今回、訪れたところも、そういうところがたいへん多いです。ウェルズにある「トラック2000」という団体は、家電や家具のリサイクル、リユースをやっておりました。中古自転車、これが「バイクワークス」という、ロンドンのスラム街(貧民街)でやっている事業ですけれども、大変成功しておりました。私は釜々崎で中古自転車のリサイクル事業のお手伝いをしたことがありますが、ロンドンのバイクワークスをみたら比較できませんでした。そこで、これをやっている理事長の山田に、「ロンドンの事業を一回勉強しなければならない」と資料を送っておきました。それから、古家は、先ほどお話しした「ブリストル・トゥギャザー」という団体がたいへんうまくやっておりました。

② 農業

「リバーサイド・コミュニティー・マーケット」

それから、農業です。農業のソーシャルファームがたいへんいろんなところで試されておりますが、我々がお話しを聞いたのは、ウェルズにある「リバーサイド・コミュニティー・マーケット」これも大変良い農業をやっておりました。できたのは、3年前か4年前、まだ新しいですけれど、住民の方が出資をして、住民の方々が買います。そして障害者の方々が有機農法、自然農法的なことでやっているというやり方でした。また、ウェルズも中心市街地の空洞化、市街地の空洞化は、世界の先進国共通の現象ですけれども、ウェルズもそうです。空洞化があります。そこに市場を開いて人通りを復活させる、そういうようなこともやっておりました。

③ 街路樹の管理(2)

それから「街路樹の管理」、これは、我々がソーシャルファームジャパンとして以前お招きしたものでございます。

④ 清掃事業(3)

ビル
河川敷

「清掃事業」、これも今回の調査ではなく以前お招きしたものの中に入っているものです。

⑤ 公文書の整理(4)

それから「公文書の整理」

⑥ 観賞用水槽のレンタル(5)

それから観賞用水槽のレンタル、これは、「アクアマックス」という、学習障害の方が中心になって大変はやっているということで、これも実は今回の調査ではなくて、以前、お招きしたものに入っております。

⑦ 美術作品の製作

「スタジオ306コレクティブCIC」

それから、美術作品の製作、「スタジオ306コレクティブCIC」これはロンドンにあるので寺島先生がお話ししてくださいます。一例だけをあげましたが、この他に、たくさんの種類の仕事をやっているわけでございます。

(3)意欲的な若者が中心に

社会的に意義ある仕事への熱意
経営に熟達
高い学歴
行動力
 「バイクワークス」のJ.ブレイクモア
 「ブリストル・トゥギャザー」のP.ハロッド

そして、この担い手はみんな意欲的な若者が中心となっておりました。ですから、例えばオックスフォード大学を卒業した男性、ハロッドという人ですが、この方が「ブリストル・トゥギャザー」という古家のリサイクル事業をやっていて、うまくいっていました。なかなか顔もブレア並みにいい顔をしていました。私は、10年後は、必ず彼は政治家になるのだろうと思います。労働党から出て、国会議員になるのだろうと思います。まだ若いですから、10数年後には、英国の総理になるだろうと思います。非常に頭もいいし、国民うけするような顔、そういう感じを受けました。経営が非常に熟達しています。例えば「バイクワークス」というロンドンのスラム街でやっている、急成長している自転車のリサイクルですけれども、奥さまが経営を勉強されて、アドバイスをされました。また会計事務所も助力しているそうです。経営に熟達しているということを知りました。そして何よりも行動力があります。若いことも影響しているでしょう。若者が非常に熱心にやっているというように思いました。

(4)まちづくりに発展

「リバーサイド・コミュニティー・マーケット」
衰退しているカーディフの活性化
住民が出資、購買、就労
市場のにぎわい

まちづくりの発展に貢献、非常にこれも印象深かったです。特に、「リバーサイド・コミュニティー・マーケット」というウェルズにあるソーシャルファームですけれども、ここは先ほど言いましたように、住民がお金を出して、住民が買って、まちの中でマーケットをやるということで、まち全体の活性化、衰退しているカーディフの活性化に役立っています。ソーシャルファームをまちの活性化、日本も地方都市が衰え始めていますから、ソーシャルファームは、きっとこのような面でお役に立てるのではないかなと思っております。先ほどお話しした、若者がソーシャルファームで働いている、経営者になっています。ですから若者の失業者、大学を出てもなかなか働かない若者がいますけれども、こういうソーシャルファームに乗り出してくれる、こういうものも、英国の経験からいえば期待できるのではないのかなと思います。

(5)企業等の協力

バークレー銀行が「バイクワークス」に援助
CANに英国航空、英国ガス、コカコーラなど多くの企業
チャールズ皇太子が「トラック2000」を激励
マーガレット王女がCANの支援

企業等の協力、これは非常に多いと思いました。例えば、英国の大手の銀行であるバークレー銀行が、「バイクワークス」とう中古自転車に援助しています。ロンドンには、バークレー銀行の支店がたくさんあります。その前にレンタル自転車が置いてあります。バークレーのシンボルカラーの色の自転車が置いてあり、観光客の人は自由にお使いくださいというようになっています。バークレーの一種のCSRだと思うのですが、その自転車を提供しているのが、バイクワークスです。提供しているというか、バークレー銀行が買い取っているのだと思います。そういう面で、バークレー銀行が支援をしています。

それから、以前、お招きいたしました「CAN」という団体です。CANという団体は、非常に行動力がありますので、英国航空、英国ガス、コカコーラなど多くの企業から支援を受けていました。

それから「トラック2000」です。ウェルズの方で家具・家電をやっているソーシャルファームですけれども、そこへ行ったら、急な6,7段の階段がありまして、ここにチャールズ皇太子が来てくれた、そして、来てくれた証拠としてここで転んだというのです。チャールズ皇太子が転んだ階段というのです。元工場であった、ほんとに汚いソーシャルファームなのですが、こういうところを皇室が応援をしている、大変立派なことだと思います。また、マーガレット王女などもCANの支援をしております。

(6)ソーシャルファイナンスが援助

最近はソーシャルインパクト・インベストメントと称する
英米に大きなうねり

ソーシャルファイナンス、これも非常に印象深かったです。やはり、資金面はどこも苦しいです。しかし現在の投資家の中には、単に金儲けではなく、社会的意義のあるものに対しては投資をしたいと思っています。現在は、ソーシャルファイナンスという言葉を使うよりもソーシャルインパクト・インベストメントという言葉を使うようになったようでございます。これは、ここ1,2年の現象ですけれども、社会的に衝撃を与えるような投資をしたいということです。それをやっているリッチャーという40歳くらいの人、彼にも会うことができました。これがソーシャルファームの助けにもなるのではないかということを言ってくれました。日本では、このようなことが非常に不足しております。ソーシャルファイナンスというものがもっと出てくる必要があると思います。むしろ、こういうことをやりたいという投資家もかなりいらっしゃるだろうと思います。

(7)国、地方自治体のスタンス

① 障害者の就労促進政策を強力に推進

雇用年金省が中心
ソーシャルインクルージョンを図る
財政支援策
 サポートワーカー(手話、介護者など)
 建物設備改良
 移動費用
  など幅広く対象
精神障害と若年者に重点
 早期の対応
新規起業手当を今年1月14日より自営に

国、地方自治体のスタンスです。これは先ほど冒頭で時間をかけまして英国の障害者対策の歴史をお話ししましたけれども、まさにこの保守党政権、キャメロン政権に代わりましたけれども、思想としては全く同じです。障害者もこれからは就労ということに重点を置いていかないと障害者の本当の人権というものを確立できないということは、労働党政権と全く同じです。ですから、就労促進政策が強力に推進されているというお話をお聞きしました。これは、雇用年金省が中心になって進められています。そして私が言った、ソーシャルインクルージョンをこれによってはかりたいということを言ってくれました。そのための財政支援策、例えば、働くためのサポートワーカー、それからバリアフリーにするための建設設備改良、移動費用などこういったものに、どれだけでもお金を出しますといいます。ほんとかなと思ったのですが、どれだけでも支援しますと予算は無制限にあるような感じで言っておりました。

そして、これからの政策は精神障害者と若者に重点を置いていくと言っていました。特に、日本でも精神障害者の就業率は17パーセントしかありません。英国も精神障害者の増加、精神障害者の就業の困難性ということに直面しています。そのために、これからは精神障害と若者に重点を置くという話でした。また、今年の1月14日より新規事業手当、自分で仕事を作ろうという人に対する手当を、自営業に対しても支援していこうということが国でなっているようでございます。

② 「ソーシャルファーム」を評価

社会政策に位置づけ
上記の施策の利用可能

そこで、ソーシャルファームの評価については、国は社会政策上に位置づけているというように思っております。先ほど、政府とソーシャルファームUKとの関係があまりうまくいっていないとお話ししましたけれども、政府自身は、別に、ソーシャルファームとソーシャルエンタープライズを差別する理由はないわけですから、ソーシャルファームとしていい事業が出てくれば、これを支援しようと、特に今お話しした援助が利用可能であるというようなことを言っておりました。

③ ソーシャルファーム固有の財政援助や法制化の動きはない

しかし、ソーシャルファームの固有の財政援助や法制化の動きは今のところなくて、いわば上記の政策を利用するということになります。

(8)レンプロイ工場の退場をどのように考えるか

戦後の障害者雇用対策の中核を担ってきた
日本にも多大な影響を与えた
障害者のニーズに応じられなくなった

そこで、一つの話題提供ですけれども、レンプロイ工場の退場をどう考えるか、これは先ほどから私の方で、ソーシャルファームの目的としての障害者の自立とか個人の尊厳、そのような問題と非常にレンプロイの障害者施策からの退場ということと大変関係が深いのかなと思っております。私も昔、昭和50年頃、障害者対策の勉強で英国へ行って、レンプロイ工場を見てきました。その時も感じました。こんなものでいいのかなと正直思いました。でも、日本では、レンプロイはモデルになると毎年、何百人、この中にもたぶん、「そういえば私も今から30年前、レンプロイ工場に行きました」という人が何人かいらっしゃるでしょう。聞くと、「日本人の方は毎日いらっしゃいます」と言っていました。それほど世界の障害者対策=レンプロイ工場だったのだと思います。ご存じのように1945年、障害者法に基づいて特に戦争で傷ついた人達を対象に仕事を作らなければいけないということでレンプロイ工場が作られたわけでございます。一時は一万人近い人が働いていました。100近くの工場があったわけでございます。それが、今では完全に姿を消しました。新聞報道によりますと先月末、10月31日で最後のレンプロイ工場が消滅したと報じられております。

なぜ、レンプロイ工場がそうなったのか、いろいろな理由があると思います。私はやはり障害者の対策の原点というものを失い始めたのではないかなと思います。私自身も昭和50年頃、レンプロイ工場を見てこれでいいのかなと思いました。仕事の内容が単純で本当にこれで生きがいのある仕事づくりになるのかな、いわば大企業からの下請け的な仕事が多かったです。それぞれの障害者の能力が発揮できる仕事だったのかなと疑問に思いました。人によっては、財政的な効率化のためにレンプロイが犠牲になったのだという人も日本人の中にはいます。その評価はしていかなければいけないのですが、私は、レンプロイが先月末でこの地球から消え去った理由は、やはり障害者の仕事の本来のあり方というものから考えてみなければいけない、障害者のニーズに応えられなくなったのではないかなと思っております。

4 訪英を通じて考えた日本のこれからのソーシャルファームの方向についての私の考え

今回の訪英を通して考えた日本のソーシャルファームの方向について私の独断の考えを羅列してお話をして締めたいと思います。

(1)障害者等の尊厳ある生き方の確保という原点の確認

ソーシャルインクルージョンの施策は推進
大陸型のソーシャルファームを基本に
詳細を調査する必要

まず、何回もお話ししていますけれども、ソーシャルファームを考えるにあたっては障害者等の尊厳ある生き方の確保という原点をやはりしっかりとおさえなければいけないのだろう思います。その場合、やはり大陸型のソーシャルファームが基本になると思っております。ですから、我々は今まで英国を主に勉強してきましたけれども、これからは大陸のソーシャルファームをしっかり勉強する必要があるのだろうと思いました。

(2)英国で成功している経営手法は取り入れる

ニーズのある事業
付加価値の高い事業

しかし、英国も捨てたものではなくて、これまでお話ししたようにうまくいっているものも大変多いです。ですから、英国で成功している経営手法というものを取り入れていく、ニーズある事業、付加価値の高い事業を大変うまくやっております。

(3)中核となる指導者の出現が重要

日本にも熱意のある若者は多い
活躍できる場所の開発

中核となる指導者、大変若い、経営感覚のある、そして情熱のある若者がやっております。日本にも是非こういう人達が育ってほしいと思います。

(4)ソーシャルファイナンスの普及は必須

ソーシャルファイナンスの普及、これが重要だと思います。

(5)公的制度の導入は必要

公的制度の導入です。日本ではこれからというところですけれども、立ちあがり分の財政援助、法人格の問題、税制上の問題、研修制度、このような公的助成も、やはりソーシャルファームを普及していくためには必要だろうと思っております。

ちょうど時間がきたようでございます。どうもご清聴ありがとうございました。


(1)参考資料

(2)国際セミナー「世界の障害者インクルージョン政策の動向」
  基調講演「ソーシャルファームの普及・拡大の戦略」
  http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/conf/co20060115/kityo.html

(3)国際シンポジウム「ソーシャルファームを中心とした日本と欧州の連携」
  報告1 英国のソーシャルファーム‐真の雇用創出‐
  http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/conf/110130_seminar/report_1.html

(4)国際セミナー報告書「障害者の新しい雇用‐インクル―シブな雇用の実現」
  講演3 「ソーシャルエンタープライズの設立‐ホワイトボックス・デジタル社の経験から‐」
  http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/conf/100131seminar/barker.html

(5)国際セミナー「世界の障害者インクルージョン政策の動向」
  講演2 「身近なところにヒントを探してみよう」
  http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/conf/co20060115/kouen2.html