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「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念フォーラム 大阪フォーラム報告書

10月22日【RI/総合リハ】

10月22日 全体会
差別との戦い -中国で過去10年に我々が経験し学んだこと

Mr. Wang Xinxian(ワン・シン・シアン)
中国障害者連合会副会長

 皆 様
本日第12回RI A/P会議に参加し、差別という題目で皆様にお話しし、差別について考えや経験を皆様と分ち合えることは私にとって大きな喜びである。私は、中国障害者連合会と、同連合会のDeng Pufang会長を代表して本会議の開催を祝し、本大会が成功裡に終わるよう、心より望んでいる。

偏見と差別の問題は長年人類の歴史に存在してきた厄介な問題であり、起きてはならない多くの悲劇を引き起こしてきた。中国においては何千年も続いた封建制度という歴史的背景ゆえに、障害者に対して根深い否定的な誤解が存在した。20年前でさえ、障害者は教育、雇用、行政サービスヘのアクセスなど多くの面で不当な扱いを経験していたのである。

中国が外部世界へ門戸を開放し、改革政策を採用した1980年代後半、中国障害者連合会が設立された。本連合は多くの事業を成し遂げ、業績をあげてきた一方で、障害者の権利を守るために偏見と差別に対する長く苦しい戦いに直面してきたのである。政府の指導的役割もあり、市民社会のあらゆる階層からの支援と、とりわけ我が国の障害者の積極的な参加により、当連合会は今日までこの戦いを制してくることができた。ここで、我々が経験した基本的な経験を皆様と分かち合いたい。

1.障害者の権利保護のための法的手段の強化

 中国の憲法では、すべての障害者はすべての健常者と同等の権利を有すると定めている。しかしながら、同連合会が関わってこれらの権利を確実に履行するために、1990年、全国人民代表大会で「障害者保護に関する中国人民共和国法」と呼ばれる特別な法律が採択された。こうして障害者の権利は初めて国法の形で包括的に規定されたのである。この法律に従い、例えば雇用法や教育法、刑法、婚姻法、女性保護法、児童保護法など中国の法律制度の主要36法においても特別な条項が追加または改訂された。行政レベルでは障害者保護法を施行するため、中央政府は障害者のための教育規定といった制令を出す一方で、省レベルの地方議会や郡、さらには市町村レベルまで、地方の状況を考慮して、障害者基本法を施行する政策や施策が採用された。以来10年以上が経過したが、我が国はその間、障害者の権利を保護するための法的枠組みを確立してきた。これはあらゆる形の差別と戦う強力な武器となっている。同法の施行についての広報キャンペーンや議会の点検や法的支援援助サービス(2001年だけで9万人以上の障害者が法的支援サービスを受けている)など、これらの取組みにより一般大衆の考え方や意見は劇的に変化した。

2.障害者に対する人々の態度の変化に対し、政府が主要な役割を果たしてきた

 障害者に対する一般大衆の態度を変化させるために、中国政府は大変な努力を傾け、主要な役割を担ってきた。中国は、「国連・障害者の十年」や「アジア太平洋障害者の十年」などの多くの活動に積極的に参加してきた。中国は国連の提案に応え、政府内の全レベルで特別な組織を設立し、障害に関するあらゆる課題に対応している。中国政府は障害者のための事業を国家の経済社会開発計画に組み込み、障害者に関する第5次5ヵ年事業計画を実施している。

3.一般大衆の意識を高めることにより障害者が能力を発揮できる環境を築く

 20年前、障害をもった人たちは役立たずで家族や社会のお荷物と見なされていた。マスメディアの広報活動を通じて多くの人々が参加する「障害者を支援する日」や「障害者を支援するボランティア」などにより、今日では障害者の否定的イメージは目にしたり、聞くこともなくなった。障害者への理解と尊敬と配慮と支援、そして健常者と同等な基盤での障害者による完全参加の促進が広く受け入れられた社会的モラルとなっている。友好的な環境が障害者の従来の否定的イメージを変え、障害者の能力と社会発展への貢献に今まで以上に焦点があてられるようになっている。

4.障害者の参加と自己達成の精神を奨励する

 障害をもつ人々に自尊心や自信、自己達成、独立独行の精神を促し、促進させることにより、障害者の潜在的能力を見出し、彼らの夢や生き甲斐を実現させ、社会に貢献する。中国障害者連合会はモデルとなるような障害者を表彰し、称えるために2つの国内会議を開催し、さらに優れたパラリンピック選手や特別な芸術家を披露するための多くの特別なイベントを催し、また一般社会で障害者に対する積極的なイメージを創り上げた人々を表彰してきた。

政府、市民社会、そして障害者組織の協同努力により、障害者の地位は大いに向上した。障害者の権利は保護され、実現されている。この10年で600万人以上もの障害者がリハビリテーション・サービスを受けてきた。障害をもつ児童の教育権は義務教育制度で保護されている。1万人以上の障害をもつ青年が、現在大学やその他の高等教育機関で学んでいる。およそ250万人もの障害者が職業訓練を受けている。「割当雇用制度」を採用し、自営や保護雇用を奨励することにより、障害者の雇用率は80%にも達し、さらに多くの障害者がサービスの利用者や生活保護受給者ではなく建設的な生産者となっている。その他、貧困緩和/社会保障プログラムを通して、貧困ライン以下の障害者の人数は1992年の2,000万から現在の1,000万に激減した。障害者は今や、余暇や娯楽の時間に多様な文化的生活を享受することが出来る。

言うまでもなく、世界最大の発展途上国である中国は障害者の雇用分野で比較的低水準で始まり、雇用は依然として経済社会発展の包括的レベルに遅れをとり、多くの試みと問題に直面している。多くの場合、差別に関して障害者が必要としたもののなかには同等の機会とアクセス可能な環境が欠けていた。偏見と差別との戦いおよび平等と完全参加の共有という目的を達成させる道のりはいまだ長く続いている。

新世紀に入り、経済社会発展に伴う我々の共同の努力を通して、我々の社会に差別をなくし、すべての人たちが共有するという我々の高尚な目的が達成されることを心から願う。その実現に寄与できるよう、さらに熱心に協力しようではないか。


フィジーにおける障害者差別防止への国の努力と活動
-現状、課題、および将来の展望-

Setareki Macanawai(セタラキ・マカナワイ)
フィジー障害者インターナショナル(DPI)フィジー

1.はじめに

 フィジーは総人口80万人余りの国であり、近年、社会的、経済的さらに政治的にも問題を抱えている発展途上国であるが、この国の障害者は、特に過去10年間においては、国の開発への取り組み、ならびに総合的障害者プログラムとサービスへの活発な参加、およびインクルージョンの広がりという面で比較的恵まれた状況におかれている。一般的に、フィジーの障害者は、無視、否定、拒絶、隔離といった扱いをうけている。なぜなら、彼らは家族の恥と不名誉であり、食事はもとより、いちいち世話が必要な哀れみの対象であり、かつ慈善と善意を施される者とみなされているからである。障害者には能力が全くなく、しばしば悪魔にのろいをかけられたため、あるいは前世の行いが悪かったために、障害を背負ったと思われている。一般的に、フィジーの社会は、田舎でも都会でも家族員に多大な責任と期待がかけられている。家族のなかに障害者がいるとその者はそのような要求に応えられないため、稼ぎのない扶養者となり、生涯家族の負担となるのである。しかし、障害者に対する人々の態度と期待は最近では良い方向に向かっており、ほとんどあらゆる生活の場に障害者が参加するのは珍しいことではなくなっている。

わが国で最初に障害者向けに提供された公的サービスは、1960年代の初期に始まった特殊教育である。当時、多くの子どもたちが国内で流行したポリオに感染し、何らかのリハビリテーションと教育的な介入を必要としていたために、フィジー赤十字社によりケアセンターが運営された。1967年には、スバにある肢体不自由児協会という組織に教育省から教師たちが派遣され、その結果、それがスバでの最初の特殊学校となったのである。当初、この施設は身体障害児のために設立されたが、国の唯一の特殊学校であったので感覚障害児や知的障害児もまた受け入れることとなった。1970年代の初期には、知的障害児、視覚障害児および聴覚障害児の増加に伴い、フィジー盲人協会と知的障害児協会という2つの非政府組織が形成され、特定の障害グループごとの特殊学校が設立された。しかし、聴覚障害児は今日まで最初の特殊学校にそのままとどまっていたが、最近になってようやくスバに聴覚障害児のための学校が設立された。1970年代、特に1980年代の半ば頃になると、他にも特殊学校や施設がフィジーの主要都市部を中心に設立された。これらの特殊学校と施設では、教育省から提供される教員により、障害の種別をこえた包括的なプログラムが提供され、近隣の村や集落からの様々な障害をもつ児童たちを受け入れている。インクルーシブ教育政策がないため、メインストリーム教育への取り組みは専ら特殊学校自らが推進している。特殊学校はまた、シェルタード・ワークショップや一般の産業で障害者の職業訓練や職業斡旋も行っている。1980年代の初期には、障害者運動がフィジーにも伝わり、国内の障害の種別をこえた自助組織であるフィジー障害者協会が設立された。以後、わが国の障害者関連問題に率先して取り組み大きな役割を果たしてきている。
わが国の障害者の総人口は今日でもまだ把握されていないが、それに関してはインクルージョン・インターナショナル・アジア太平洋地域(委員会)、フィジー障害者協会およびフィジー全国障害者協議会の共同作業を通じて国内の障害者調査を行うことでかなりの成果があがっている。

2.害者差別防止のための国家的努力

  • 前のセクションでも述べたが、フィジーでは政府が公に障害者のためのサービスを始めてからまだ日が浅く、1960年代の後半になってようやく、当時慈善組織を設立した民間関係者と教育省を通した政府との共同事業で特殊教育学校を提供したのがその始まりであった。フィジーの障害児・者に初等教育を受ける機会を与えるというこうした重要なサービスの提供は、障害者のニーズ対応に向けた、この国での非差別への意義ある第一歩であったといえよう。現在、国内には17の特殊教育学校があるが、そのほとんどが主要都市部に集中している。この取り組みにそって、特殊学校における活動の指導監督と、人材、財政支援およびスタッフ研修といったニーズに確実に対応・対処するために教育省本部内に特殊教育ユニットが設立された。これらの活動の多くは1970年代から80年代の初期にかけて行われた。しかし、フィジーの障害者の苦しい立場や願望に国民の関心が向けられたのは、1981年の国際障害者年とその後のことである。国際障害者運動は、1980年代の半ばに国内でも活発化し、障害者に関する問題への障害者の参加と存在感のレベルが高まってきた。
  • これらの成果を達成したにもかかわらず、フィジーではまだ有効で適切な障害関連法や政策の準備が整っていなかった。解決の糸口として実現化されたものに、1994年にフィジー政府により制定された障害者のためのフィジー全国障害者協議会(FNCDP)法がある。これは今でも障害者に関わる問題を専門に扱う法律である。全国障害者協議会法により全国協議会が主な調整と政策立案の組織として設立されているが、この組織は大臣が指名する議長と地区委員会(西部、北部、中央および東部)の各議長、4名から7名の障害者にサービスを提供している組織の各代表、保健、教育、労働、国家計画、地域開発および多民族問題各省の事務次官またはその代表、および社会福祉長官とFNCDP常務理事からなる。大臣は定期的に追加の委員を選任することができる。組織的には、教育・訓練と雇用、保健、法律、住宅、運輸と環境、およびスポーツとリクリエーションの6つの諮問委員会をおける。これらの諮問委員会はフィジーの障害者の状況を改善するために特定の勧告を行い、計画実施の手助けをし、適切な活動を推奨する役割を担っている。公平に言って、FNCDPの設立は、わが国が国連アジア太平洋経済社会委員会(UNESCAP)の1993年から2002年までの「アジア太平洋障害者の十年」と、特に国の調整機構の樹立に関する行動課題の実施に参加・署名したことの直接の結果である。
  • 1997年フィジー諸島共和国憲法にも国内の障害者のために有益な条項が含まれている。特に重要なものは、第4章の権利規定という条項であり、その第38条の1に万民は法のもとに平等の権利を与えられること、さらに第38条の2には、国民は障害などの様々な事由で他の人々を直接・間接に関わらず不当に差別してはならないこと、第38条の4には、障害者はすべての公共施設を利用できる権利を有すること、および第38条の5では、公共施設の所有者は障害者が妥当なレベルで利用できるようにしなければならないことと規定している。第39条では、万民の基礎教育を受ける権利と平等に教育施設を利用できる権利が規定されており、そのなかに、障害者が障害をもつという事由で差別されてはならないこと、および障害者の教育施設の利用と入学を拒否してはならないことが明記されている。
  • また、1999年フィジー人権委員会法の第17条で障害を差別の事由とすることを禁じている。これは雇用、仕事への応募、免許や商売、職業や専門職の認可、住居、土地またはその他の施設の提供、および教育へのアクセスと参加分野における差別に対して適用される。フィジー人権委員会は、特に障害者の基本的人権と特権の促進と認知という面で障害者に恩恵をもたらすための戦略とイニシアチブとに熱心に取り組んでいる。
  • 最後に、現政権によって採択された2001年社会公正法は、差別を受けているグループや部類に属する人々が差別を受けないグループや部類に属する人々と同等のアクセス(の権利)を達成できるよう、援助政策と規定された差別是正プログラムをつくることにより憲法の社会公正条項(第5章に含まれる)の実施を目指している。この条項のもとに、障害者のための2つの特別プログラムが編成された。一つは、障害をもつ学生のための教育機会の向上。二つめは、障害者のケアとリハビリテーションの調整である。教育省と社会福祉局がそれぞれこれら2つの差別是正プログラムを実施している。

3.将来の展望

 フィジーの障害者差別防止に関する国レベルでの将来の展望としては、政府・民間部門の双方の努力が不可欠であり、障害者と障害当事者組織が関与することが重要である。障害者と障害当事者団体が果たしている重要な役割は、特に障害者関連プログラムに直接に携わる部門や機関の人々にはますます認知されるようになり,評価はいっそう高まってきているようである。フィジー障害者協会とその提携組織は、フィジーの障害者に関する活動により多くの障害者が積極的に参加して貢献できるよう唱導的役割を果たし続けていかなければならない。
同様に、1993年から2002年の「アジア太平洋障害者の十年」やさらに2003年から2012年までのその延長などの地域的な活動の影響は大きなもので、フィジーなどの発展途上国が障害者の生活の質を向上させるために障害者プログラムや政策を策定する際の励ましと手助けになっている。これにより、フィジーはアジア太平洋地域の諸国との共同作業と協力のもとに、障害者の権利と尊厳を向上させ保護するためにさらにインクルーシブな社会と、障害者にやさしいシステムをつくることを期待している。


インドにおける障害者差別禁止への取り組み

Dr. Uma Tuli(ウマ・トゥリ)
RIアジア太平洋地域教育委員会副委員長 社会正義・エンパワメント省 主席コミッショナー インド

 手元の推計によると、インドの人口の5%が何らかの形の障害に苦しんでいる。これはパーセンテージとしては低く思われるが、人数に換算すると5,000万人という驚くべき数字であり、数カ国の全人口に匹敵する。このように、明白なことだが、障害者問題は侮れない問題なのである。

大きな数を引き合いに出す場合、忘れがちなことだが、私達は単に統計値を扱っているのではない。人間をテーマにしているのだ。一般に社会の周辺に生活している人、社会の進歩の周縁部の、さらに周縁に置かれた人々を。

この手に負えそうもない挑戦は、革新的かつ大胆な取り組みによってこそ対処することができる。インドでは障害者を非障害者と対等の立場にするため一連の施策を講じているが、その手段となっているのは次の3つの画期的立法である。

  • 1992年インドリハビリテーション評議会法
  • 1995年障害者(均等機会、権利保護と完全参加)法
  • 1999年自閉症・脳性麻痺・知的障害・重複障害のある人々の福祉のためのナショナルトラスト法

 1992年インドリハビリテーション評議会法は、リハビリテーション分野の専門家と職員の研修に関する規則とモニタリング、リハビリテーション分野の研究と特殊教育の促進、および中央リハビリテーション登録の維持管理について定めている。

1995年障害者法は総合的な法律であり、とりわけ(障害)認定、情報の共有、国民の啓発、施設、教育、訓練と雇用へのアクセス、障害原因の予防などを目標とする。法の実施に向けた行動は本格的にスタートしており、現在進行中である。障害者の総合的リハビリテーションの多部門にわたる仕事に対する自らの責任に、州政府も中央省庁も敏感になってきている。関連省庁/部局による障害者福祉向け資金提供についても集中性が確保されるよう取り組みがなされている。

ナショナルトラスト法は、自閉症、重複障害などを持つ人々の存命中や、彼らの両親や家族がいなくなって面倒を見てもらえないときの措置の種類についての彼らの両親や家族の最重要関心事の一つに対応している。

サービスを受けられない人々にサービスを提供するために、社会正義・エンパワメント省は次の機関を設立した。

国立視覚障害者研究所、デラドゥーン
国立整形外科的障害者研究所、カルカッタ
Ali Yavar Jung国立聴覚障害者研究所、ムンバイ
国立知的障害者研究所、セクンデラバード
国立身体障害者研究所、ニューデリー
国立リハビリテーション訓練研究所、カタック

障害者へのサービス拡大と総合的リハビリテーションに向けていくつかの計画も承認されている。

100以上の地域で包括的なリハビリテーションサービスを提供しており、そのためにすでに30の機能本位のセンター(CRC)がある。

5つの複合地域センター(RRC)がジャムアンドカシミール、マディヤプラデシュ、ウッタルプラデシュ、アッサム、ヒマチャルプラデシュの諸州について承認されている。

諸州の政府はこれらのセンターの運営に必要なインフラとサポートを提供している。

脊髄損傷者と肢体不自由者のための4ヵ所の地域リハビリテーションセンターが中央政府の後援する計画で承認されている。それらは、国内のさまざまなところで脊髄損傷者向けのサービスを強化することになるだろう。

新しい4段階計画、つまり、州、地域、街区と(グラム)村評議員会レベルでインフラをつくる障害者リハビリテーション国家計画が州セクターで、承認された。

インド義肢製作公社(ALIMCO)は、最近認可された4ヵ所の義肢装具製作センター設立計画により義肢装具を増産している。

その他の取り組み 

 障害者の起業活動を支援するため、1997年に国家障害者財政/開発法人(NHFDC)が設立された。国家資金供給機関(State Channelising Agencies, SCA)を通した障害者への長期低利貸付の他に、NHFDCでは障害をもつ起業家への資金援助を行う少額貸付制度も実施する。この制度で、受益者1人当たり10,000ルピー(約200ドル)を手にすることができる。障害者のために活動しているNGOも少額貸付制度に申請する資格がある。これらのNGOは直接、または自助グループ(SHG)を通して受益者への貸付を推進することになる。

障害者のリハビリテーションのために活動しているいくつかのボランティア組織は、社会正義・エンパワメント省から譲渡された包括補助金制度により強化されている。これには、必要であれば特殊学校をはじめ、インクルーシブ教育、職業訓練、所得創出活動、および必要ならば特殊学校を含む、その他のリハビリテーションプログラムを設けている機関を支援することも含まれる。

このほか、社会正義・エンパワメント省は法に基づいて設立された中央調整委員会と中央執行委員会ならびに同省の組織した小規模の省庁間グループの会合を通して、他のすべての中央省庁、州、連邦直轄領を定期的にフォローアップすることで、法実施の進捗状況のモニタリングも行う。さらに、雇用、バリアフリー施設、州調整委員会と州執行委員会の規約、州/連邦直轄領による障害者のための州政府レベルの専任コミッショナーの任命など、様々な重要問題が独自に取り上げられている。

障害者のための主席コミッショナーは法の実施のモニタリングに責任を負っており、準司法的な権限を持つ独立の当局者として州や連邦直轄領を訪問したり、中央省庁、部局その他の当局から報告を求める。

差別禁止

 インド副総理閣下、シュリ・ラル・クリシャン・アドバニ、デリーの主席大臣、シーラ・ディキシット女史および他の高官達、バリアフリーの地下鉄に乗車

差別禁止の領域では、列車のコンパートメントやその中のトイレ、バス、船、飛行機および待合室は、車椅子利用者に便利なように改造されている。他の多くの要求事項の中で、視覚障害者のために交通標識に音声による信号機の設置も命じている。法(第46条)ではバリアフリー建物環境を作ることが義務づけられている。我が事務所ではこのようなバリアフリーの環境作りを優先事項としており、国内で運動の先頭に立つべくアクセス検査委員会を設立したことをここで報告できることを喜ばしく思う。いくつかのハイライトは次のとおり。

  • 5回の全国的なワークショップが、官僚とNGOの統合グループにインド全域のアクセス検査について研修するためにデリー、グワハティ、ハイデラバードで開催され、それらでは現在トレーナーを養成しており、アクセス検査委員会も創設されている。ラージャスターン州では、今年度中にすべての公共建築物をバリアフリーにするようにとの命令が出されている。州政府書記局と32地区の収税官事務所はすべてアクセス可能となっている。
  • カルナタカ州と マハラシュトラ州もバリアフリーの交通機関作りで先行している。教育局はすべての教育機関にスロープとアクセスしやすいトイレを設けるよう指示を出した。郵便本局、最高裁判所および公社の建物を対象にアクセス検査が行われている。
  • グジャラート州では、州政府のすべての建物がバリアフリーである。学校その他の建物もアクセスできるようになっている。
  • チャンディガル検査委員会はすべての公共建築物の検査を行い、スロープもつくられた。住宅局の建物にはスロープがついている。州立博物館と高齢者ホームはアクセス可能となっている。
  • マディヤプラデシュ州グワリオールの収税官事務所はバリアフリーになっている。可動式トイレも設置されている。
  • タミルナドゥ州は全地区事務所と書記局の建物をバリアフリーにするため、15万米ドルを配分した。
  • グワハティでは、国立幼児発育研究所長が研究所の建物をアクセスしやすくしただけでなく、アクセシビリティに関する章を同研究所の研修課程に入れるようにした。
  • パンジャブはアクセシビリティを推進するために20万米ドルを配分した。主任建築技官と検査委員会メンバーはCCPD事務所の配布したガイドラインとマニュアルに従っている。
  • アンドラプラデシュ州では、23の収税官事務所すべて、州議会および書記局の建物はバリアフリーになっている。
  • デリーの多くの建物がやはりバリアフリーになっているのは心強い。政府の建物、映画館、礼拝所、商店街、教育施設もここに含まれる。
  • ムンバイの国立インクルーシブ教育センターは、アクセシビリティに関する全国大会を開催した。
  • まもなくデリーに開通する地下鉄には、障害者にバリアフリーのアクセシビリティを確保するための規定がある。
  • 音声交通信号の第一号機がデリーに設置され、社会正義・エンパワメント大臣であるDr. Satyanarayan Jatiaが除幕式を行った。アーマダバードにも1機ある。

 さらに、デリーの障害者のためのコミッショナーが、間接税、輸送交通、教育、保健の諸部局と共同して、クラブ、学校、映画館、公園その他の公益事業の建物で必要とされるバリアフリー・アクセスを達成するためのアクションプランを策定した。

都市開発局は、バリアフリーの建物環境に向けたガイドラインと命令を発行した。

すべての国有銀行は、全国の店舗をバリアフリー化する取り組みを加速する気になっている。障害者のための主席コミッショナーの事務局から、すべての巡回議事堂、Inspection Bungalowにバリアフリーのトイレを備えた1室を、また全州の主要道路のガソリンスタンドにもアクセス可能なトイレを設置するようにとの命令が出された。

建築物をアクセシブルなものにするためのガイドラインを含む「バリアフリー環境マニュアル」が発行された。

すべての人に教育を

 差別禁止の促進を可能にする発展のもう1つの重要な要素が、教育へのアクセスである。他の多くの発展途上国と同様、我々は、協力し合って、普遍的な初等中等教育の提供に努めている。したがって、障害児向け教育施設を作るという課題はとてつもなく大きい。挑戦に立ち向かおうという意志が官僚、議員、ボランティア組織、障害児の両親から等しく示されているのは喜ばしいことである。インドのグジャラート州の実例を紹介しよう。54のボランティア組織がネットワークで結ばれ、すべての人に教育の機会が与えられる基本的枠組みを作っている。グジャラートは水不足と農業の不足に悩まされている半砂漠であり、同時に工業化した州である。それでも、インクルーシブ教育を成功させようと決意した人々の相乗効果と結束により、1994年には1,400人をわずかに超えていた入学者数が、2002年3月頃には3万1,000人以上へと驚異的に上昇した。最も重要なのは、障害のある女子生徒の比率が2%から38%へと劇的に上昇したことである。

国内の他の数州でも同じように励みとなる傾向があることを報告できる。私自身が非常に喜ばしく思ったのは、国内のインクルーシブ教育プログラム指導の可能性に関するブレーンストーミング会議のために集まった名門私立学校の校長の反応である。この場合もまた、民間セクター、政府およびボランティア組織が集結してデリーの試験的プロジェクトを具体化している。

このインクルーシブ教育分野において我々が今なすべきことは、教育政策に携わり、影響を与える教育行政官をより数多く仲間に迎えることである。これが達成されれば、真に統合された社会が、子供たちが成長して大人になる10年から15年後までに出現するかもしれないというのは、きわめてわくわくすることである。

Sarva Shiksha Abhiyanの全国プログラムと地方初等教育プログラムを通してインクルーシブ教育を推進しようという取り組みも行われている。同時に、法第29条では当該政府に十分な教員養成と人材開発を保証するよう命じている。インド・リハビリテーション評議会は国内各地で教員養成について称賛に値する業務を行っている。

障害者のための主席コミッショナー事務所には、特に雇用と教育に関する差別問題で準司法的な権限を与えられている。新しい傾向がすでに現れていることをここに報告できるのは嬉しい。差別的措置がわかると、政府部門であれ法人部門であれ、我が事務所から関係者に電話するだけでその問題を十分処理できることが多い。これは2つの理由によると思われる。まず、社会的責任とその責任に対する理解が浸透したこと、次に、裁判の手続を踏めば障害者の権利が確実に保護されるようになるということへの理解である。したがって、雇用者はいっそう理解を示し、障害者に惜しまず仕事を与えるようになった。言うまでもなく、法律には差別禁止手続きの保証に当たって果たすべき重要な役割がある。この手続きは法の第47条にも明記されている。障害者のための主席コミッショナーとすべての州コミッショナーは法により、登録および、可能な場合は障害者の苦情を解決する準司法的な権限を持つ。

この事務所はまた自分で行うという原則に立ってこうした問題に取り組んでいる。これは、ただでさえ弱者である障害従業員を、大抵は非常に複雑かつ面倒なことの多い裁判手続の負担から解放した。我々の将来の展望と課題は、移動裁判所を設立して、できる限り被害にあった人々の自宅近くで裁判が行われるようにすることである。

社会的公正の達成に向けた取り組みに必要なのは、政府、非政府、国際、市民といった社会の結束である。ライオンズやロータリーなどの社会団体は「各自が1人ずつ雇用する」という原則に意欲的に取り組んでいる。法人部門には、社会正義・エンパワメント省が任命した専門家委員会によって特定された職について訓練や雇い入れを行うよう申し入れが行われている。

各省庁も障害者の潜在能力に注目し始めた。このほど、デリーでワークショップが開かれ、23省が参加したが、そこでは視覚障害者がコンピュータとタイプライターの技能を実演した。このワークショップは肯定的な反応をもたらした。

もう1つの注目すべき発展は地域に根ざしたリハビリテーションサービス(CBR)の強化である。ボランティアと政府の両部門間のすぐれた相乗作用が必要とされている。

医療委員会

 すべての州と連邦直轄領の障害者手帳に関するガイドラインが政府から出されている。このガイドラインでは、傷病兵の証明書の発行についても定めている。インドの全29州と6連邦直轄領のうち、17州と4連邦直轄領が障害者に医療証明書を発行するため、別個の医療委員会を設立した。他の州と連邦直轄領はどこも地方本部にある政府病院を通して証明書を発行している。

我々の前にある将来の課題とは何か?

 最も優先すべきなのは、障害者の人権と市民権は当然のことで、障害者擁護は、法の前での実際的な平等の問題にはもはや焦点を合わせなくてもよくなるよう前向きに仕事を続けることである。国内における様々な法律の制定とその施行は、我々がすでに道半ばまで達したということを示しているが、頂上に達するまでのあと一押しが、大抵は最も難しい段階であるということを絶えず自身に言い聞かせなければならない。

次に、知的障害の人々を自ら代弁者にするよう努めなければならない。これは世界の多くの場面で起きている。そもそも、糸口を開いたのはインドであった。国立知的障害者研究所は年次会議を開いており、そこではこうした人々がワークショップに集まって、自身の認識とニーズを明確に表現する。同時に、政府は知的障害者にも採用枠を広げるよう努めている。

あらゆる障害者にとって、最も効率的に必要な補助具が入手できるようにするという重大なニーズもある。必要に応じてボランティアや政府組織のネットワークを通じて無料で配布される補助具や装具に関する制度もある。こうした補助具や装具の積極的な研究開発プログラムは政府の科学技術局が支援している。ポリオを患った子供向けのカリパス作りに炭素繊維の使用を先駆けて行った科学者が我が国の現大統領、APJアブドル・カラムであることは、大変に誇らしいことである。この問題に対する彼の意識が高いことから、障害者分野はきっと益をこうむることになるだろう。

障害者部門で我が国、我が政府、そして私のような国民が直面している難題は、膨大な数の障害者に実際にかつ意味があるように手を差し伸べ、その才能の発見と育成を行い、最後に平等と公正という原理に基づき、(彼らが)威厳をもって暮らすことができるようにするという事実は変わらない。

国内とおよび国際ボランティア機関は政府と共同で相乗効果をあげつつ仕事をすすめなくてはならない。障害者の組織はこの平等化の過程でいっそう大きな役割を果たすようになるべきである。

予防と早期介入の促進に向けた社会意識を生み出すことは、我が国の最も大きな難題の1つである。10から15もの言語と数十の方言が使われているからだ。この難題に立ち向かうために、政府は大衆啓発プログラムを整備している。

今や、我々一人一人は障害者に不屈の精神と力を植え付けるまで、目覚め、立ち上がり、彼らのために働き続けるべきである。インド哲学の長所に西洋を取り込み、広く功績を認められているインドの哲学者、ヴィヴェーカーナンダ師が次のように言っている。「力は命、弱さは死。力は至福、永遠不滅の命。弱さは絶え間ない重圧と苦難」

各人が能力、才能、方向そして使命を持っている。必要とされるのは「機会」である。

我々全員が協力して障害をもつ仲間にこのような機会を提供し、力と威厳を与えることができる。それは疑いもなく難しい課題ではあるが、確実に達成できる課題でもある。


障害者に対する差別をなくすための国家的な取り組みと対応
-現状、今後の取り組みおよび見通し-

Helen Meekosha(ヘレン・ミーコシャ)
オーストラリア女性障害者協会会長 オーストラリア

1.イントロダクション-状況の変化

 充実した福祉と法制度を備えた先進国であるオーストラリアでは、人権問題の推進派と反対派との間で政策論争が行われている。過去には前進が見られたが、現在では横ばい状態、あるいは後退してしまっている。
現在、障害者の人権が脅かされる、重大な時機にある。

2.はじめに-国際障害者年(IYDP)で生じたこと

IYDPの主張
  • オーストラリアにおけるIYDPの目的は、完全参加および世論の変化を通じて障害者の現状を打破することにある(オーストラリアNGO IYDP委員会およびIYDPユニット、1980年)。

国際障害者年(1981年)-オーストラリアの場合

  • オーストラリアにおけるIYDPの目的は、完全参加および世論の変化を通じて障害者の現状を打破することにある。
  • (オーストラリアNGO IYDP委員会およびIYDPユニット、1980年)

「あなたの態度が私の障害(Your attitude is my disability)」(1981年)から「態度の障害(Disability with Attitude)」(2002年)へ

  • “障害者(handicapped)”から“障害をもつ人(people with disabilities)”へ、そして“ユーザ”から“消費者”へ。
  • IYDPは、障害が創造的な光景の一部である、新しい空間や場所からなる世界を創造するきっかけとなった。
  • 2002年に、私たちには「態度の障害」があるとしたが、これは(障害者の)強さを賛え、障害、視覚障害、聴覚障害等を賛えるためである。

現状

  • 1990年代は、新たなリベラル思想により、1980年代の「権利」に基づく体系が危機にさらされている。
  • サービスの民営化および外注化、適格基準の厳格化。
  • 多くの障害者が職探しを強制されている。
  • サービスや給付に際して、依然として医療モデルが多用されている。

政府や国の役割について

・グローバル化 - 福祉および社会給付を揺るがしている。
・オーストラリアでは、社会的権利の考え方が拒絶され、社会を市場として捉える考え方にかわっている。
・市場では、売り手と買い手は同等の力を有していることを前提としている。
・政府は、サービスの提供に関して、NGO、特に従来の慈善事業に依存している。

社会および政治的環境について
・障害者が社会的に排除されるのは、健常者の態度だけが問題ではない。深く根ざした社会的な慣行、構造および伝統を反映したものである。
・政治的変化をもたらすには、障害者の現状を正確に伝えるだけでは不十分である。障害について政府に十分理解させるまでの持続的な行動が必要である。
・障害は、依然として社会的に不快なものとみなされている。そのため権利獲得のための闘争でなく、社会的により受け入れやすいよい感じを与える戦略が広まっている。

現行法-障害サービス法 (DSA)、1986年

  • IYDPがDSAの道筋をつけた。
  • DSAは、より広範囲な社会的変化を目的としたものではなく、サービスの提供を中心としたもので、(変化のための)実際的な強制戦略を持たない。
  • 消費者コンセプトは、個人の適切な目標が非障害者と同等に生活できることを目指した「ノーマライゼーション」という考え方を認めたものである。
  • しかし、政府の財政危機により、これらの限られた見通しすら危うくなっている。
  • 主な慈善団体がいまだ支配的で、クライアントに対する説明責任もほとんど負っていない。

現行法-障害差別撤廃法 (DDA)、1992年

  • DDAは、社会正義、歴史上の重要段階、アクションプランや基準といった点で国際的な動向(米国)を反映したものである。
  • しかし、個人の権利は、合理的な配慮(reasonable accommodation)や過度の困難(undue hardship)による制約を受け、制度化するには個人の自己犠牲を伴う。
  • 法の下での平等を前提とし、実際の力の違いを無視している。

障害差別撤廃法(DDA)に影響を及ぼす3つの問題

  • 人権および機会均等委員会(HREOC)への支出削減(40%)。
  • 調停が困難なケースの公聴会を行う権限をHREOCから剥奪(連邦裁に移行)。
  • 障害差別撤廃委員長(Disability Discrimination Commissioner)の廃止。

現在の政策環境

  • NGO 2000の障害レビューにより、カテゴリーの医療化を強化 ― それは早急な後退であり、給付へのアクセスも同様である。
  • ノーマライゼーションの考え方が現在も支配的である。
  • 障害者運動-医療カテゴリーによる分割の危険性も認識され始めているが、医療的に定義されたグループになおある程度の前進がみられる。
  • 相互義務および福祉依存
    • 社会的権利としての福祉から統制としての労働福祉への移行。
    • 障害者コストの認識。

政策の展開

  • 歴史を振り返ると、政府によるアプローチが大変に重要であることがわかる。政府によるアプローチがないと、進展が鈍る。
  • 1980年代に障害を福祉問題としない動きがあったが、それが逆行し、福祉問題とされるようになった。
  • 福祉ニーズは主に職場によって満たされるため、障害者にとって有給就業が重要との考え方がオーストラリアにはある。

1990年代および21世紀における障害者運動の展開

  • 遺伝子工学技術と障害をもつ女性に及ぼす脅威。
  • (障害による)束縛から解放する新通信情報技術へのアクセス。
  • 障害者に対する制度、公衆および家庭内での暴力に対する意識の高まり。
  • 非伝統的な性役割や理想的な体形に関する懸念。
  • 障害者のグローバルネットワーク。

オーストラリアにおける障害者運動の今後の課題

  • 歴史を是正し、障害者文化を発展させる。
  • 抗議活動、ネットワーク作り、ロビー活動、参加を通して完全な市民権を求めるにより、新たな枠組への移行。
  • 障害者運動の強さである同情心を認識すること。
  • 国際活動、特にアジア太平洋地域における活動にたずさわること。

主張: 女性と運動

  • 女性や多様な人々の排除。
  • 女性問題、女性の参加が無視されている。
  • WWDA (http://www.wwda.org.au)開設以降、各種人権問題をめぐって幅広い運動が盛り上がりをみせている。

さらなる主張

  • 障害者はこの世の中に属し、生活している。
  • しかし、その世の中を変えていく必要がある。
  • 単にそれに適合させるのではなく、障害者として場を想像する必要がある。
  • 障害者も教師になれる。障害者にも提供できる特別の知識がある。

障害者自身の教訓

  • 混乱の世の中を生きており、今後もそれが続くと予想される。
  • 障害者は健常者の世界にただ単に適応していくことはできない。しかし、健常者の世界が障害者の存在にあわせ、全面的に再調整することもないと思われる。
  • したがって、障害者が自らを弱者として認めてしまうと、障害者は無力な者とされてしまう。
  • 障害者は、一致団結してはじめて強くなれる。

今後の課題


韓国の障害者差別禁止法制定の努力

Dr. Kim, Hyung Shik(ヒュン・シク・キム)
RIナショナルセクレタリー 韓国

はじめに

 「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念フォーラム組織委員会の求めにより、障害者差別禁止法制定に向けた努力が近年韓国でどのように進展しているか報告できるのは、喜ばしいことである。特に、新しくリハビリテーション・インターナショナルの韓国国内事務局長に任命された者としてこのような機会を与えられたのは、大きな喜びである。
近年、障害をもつ人々およびその組織は、多くのバリアにより障害をもつ人々が他の人々と共有すべき人権を依然として行使できないこと、またそのような悩みが人々に認識されていないことに懸念を強めている。差別の撤廃とは、すべての人が、住宅、交通、教育、雇用、情報、文化、レクリエーション、スポーツなどの不可欠なサービスを公正、公平に受けられるということである。簡単に言えば、地域の中で普通の生活を営む権利と機会を得るということである。障害者差別禁止法制定に向けた努力は、障害者政策を福祉重視型から人権重視型へ転換すること、また障害をもつ人々が等しい機会を得られるよう体制および組織に変化させることを意味している。
障害者政策の転換は一朝一夕には生まれない。実際、将来の韓国障害者差別禁止法は、1980年初めに始まり、1981年の国際障害者年によって勢いを増した過去20年にわたるこの領域の法制上の発展をベースに制定されることになる。
しかし、金大中政権が2001年に国家人権委員会を設立した時、事態の進展を示す明るい兆しが突如として現れた。ただし、同委員会も障害をもつ人々の置かれた厳しい状況に人々の注目を集めることはできなかった。
障害者白書(1999年)によると、障害をもつ人々の87%が差別や人権侵害を受けていると考えており、96.2%は実際に差別を体験している。1998年の「障害者のための韓国障害者人権憲章(Korean Disability Human Rights Charter for People with a Disability)」の採択は、差別撤廃運動の始まりを画するものだった。
ここまでの背景説明と共に、私の報告書は以下の分野を取り扱う。

1)障害者関連法
2)韓国の現況
3)法案
4)いくつかの未解決の問題

1)障害者関連法

(1)「障害者福祉法 (1981、1999)」

 障害者福祉に関する基本的な法律であって、差別禁止に言及し(第8条)、選挙権、障害の予防、情報アクセス、社会条件の改善、文化施設の改良、財政的支援について定められている(第23条)。しかし、差別禁止の言及は具体的ではなく、差別禁止条項の違反に対する罰則規定もない。

(2)「障害者雇用促進・リハビリテーション法 (1999)」

 第4条では、何人も障害のために雇用、昇進、養成、その他人事管理の面で差別されることがあってはならないと、具体的に規定されている。しかし、この条項も、罰則規定がないために名目上のものにとどまっている。

(3)「特殊教育法 (1994、1997)」

 第13条では、特殊教育適格児童の校長による入学拒否を禁止している。これに違反した場合には、同法第23条により、1年の懲役刑または1,000万ウォンの罰金が科せられる。これは、具体的な罰則を定めた唯一の規定である。これにより、多くの差別が阻止されているが、罰則規定を知らない人も多い。

(4)「障害者アクセス法 (1997)」

 この法律により、交通権、情報アクセス権など「各種アクセス権」が保証されている。しかし、障害をもつ人々にとってアクセス権とは実際にどのようなものなのか、明確さに欠けるために問題がある。

2)韓国の現況

 韓国で障害者差別禁止法を制定しようという活動は、障害者団体によって始められている。そのなかで中心的なのは、韓国異能者権利研究所(Research Institute of the Differently Abled Rights)である。同研究所は、障害をもつアメリカ人法(ADA)の精神とアプローチを採択した「包括的障害者差別禁止法」と題する法案を2年かけて立案した。その後、この法案は1999年に韓国議会に提出された。議会は、「包括的禁止法」の理念は韓国の法的伝統を反映しておらず、障害者問題は文部省、労働省、厚生省にまたがる事項であって、同法の採択・施行に関して一省庁の専権事項とするのは難しいと回答した。しかし、障害者白書が発表され障害をもつ人々の窮状が浮き彫りになると、人々と諸団体が現状を打破しようと団結したのである。
2001年4月、市民団体と障害者団体が共同で障害者差別禁止法を書き直し、立法委員会に提出した。しかし、障害問題を扱っているために、同法は福祉委員会にまわされた。福祉委員会は、その検討は時期尚早であると判断し、関連資データを調査する時間がさらに必要であると表明した。実際、同法案は2省庁にまたがる政治的に厄介な問題となっている。
最新の変化としては、障害者団体の間に運動と資金の面での協力関係が生まれている。特に、韓国異能者権利研究所とオープン・ネットワークは、韓国政府が包括的障害者差別禁止法を最終的に採択するように、戦略的に協力して運動している。全国脳性麻痺協会などの団体は、障害者統合法、非拠出型障害者年金法、重度の障害をもつ人々固有の問題に配慮したリハビリテーション基本法などの単独法の採択を主張している。しかし、これらの法案はまだ実行に向けての合意に達していない。

運動の進捗状況に関する情報を共有し、同法の採択に向けて戦略を強化するため、2002年10月24日に関係する障害者団体のパブリック・フォーラムを開催しようというのが、現在の状況である。

3)法案

 法案は以下の諸点を含んでいる。

(1) 障害をもつ人々、差別的行動などの重要概念の定義

(2) 法案に基づき、障害を理由とした差別が不当とみなされる分野

  1. 雇用
  2. 教育
  3. 不動産取引
  4. 公共施設の整備
  5. バリアフリー環境
  6. 情報アクセス
  7. 選挙権
  8. ジェンダー
  9. 法的サービス

(3) 障害差別撤廃委員会

 障害差別撤廃委員会(DDC)が大統領委員会のひとつとして設立された。これにより、障害により差別されていると思う人は苦情を申し出ることができ、その苦情が正当であると判断された場合には、改善措置を取ってもらうことができる。この委員会は、障害者福祉法に基づく障害者福祉調整委員会に替わるものである。
DDCは独立した団体として苦情の解決を図り、以下の職務を果たさなければならない。

  1. 差別の実態調査を行う
  2. 障害者差別の基準、差別防止手順、および一般的ガイドラインを策定する
  3. 障害者の権利、その他関連する政策に関する提言を行う
  4. 障害をもつ人々の人権について調査を行う
  5. 障害者の権利に関する教育・広報活動を推進する
  6. 障害者の権利獲得を推進している個人、障害者団体に協力する
  7. 海外の障害者団体、および関連する国際団体に協力する

4)いくつかの未解決の問題

 障害者差別禁止法を推進する運動では、解決すべきいくつかの厄介な問題に直面する。なかでも主なものは、次のとおり。障害者関連の現行法の上手な運用を図るのではなく、独立した法律を制定する必要があるのか。制定したところで、本当にうまく機能するのか。法律は一般市民から十分な支持を得ることができるのか。市民の支持を得るには、何をしなければならないのか。どうやって差別を証明できるのか。新しい法律は障害をもつ人々にどのような変化をもたらすのか。他の国は、社会立法が他にあるにも関わらず、なぜ障害者差別禁止法を別個に制定しなければならなかったのか。
このような問題に答えられることとは別に、われわれが気にかけているのは、障害者差別を禁止する他国の現行法の不備である。例えば、ADAは、概念が曖昧かつ不明確なために、事態の予測が難しいことや同法の実施を妨げる物的・人的不足により問題を抱えている。英国の障害者差別撤廃法(1995年)でも、障害をもつ人々および障害者団体は、同法は「複雑で紛らわしく、曖昧で、しばしば理解するのが難しく、欠点だらけだ。適用範囲の広さと実用性の点でも、名ばかりのものだ」と考えている。フィリピンは、早くも1991年7月に、ADAにならって独自の障害者差別禁止法を採択したが、障害をもつ人々の声を反映していないので、非常に形式的で包括的すぎて差別の実態に影響を及ぼすことができない。

障害者差別禁止法:福祉重視から人権へのパラダイムの転換

 最後に、「なぜ独立した障害者差別禁止法が必要なのか」という質問に答えよう。それは、障害者政策が従来の福祉重視型パラダイムから人権重視型パラダイムに転換しているからに他ならない。これがパラダイムの大きな転換であるといえるのは、最も広い意味で解釈した場合、人権尊重は権利宣言、国際条約、慣例を単に遵守し、法的枠組みやプロセスを独立した強固なものにするだけにとどまらず、はるかに重大なものを必要としているからである。人権を尊重するには、われわれもまた、社会の発展、積極的な参加型社会の推進、強固な社会奉仕精神の育成、自立と助け合いの調和に関わらなければならない。したがって、人権と障害者に対する差別は密接に関係している。さらに、人権という概念は現在の人間の最も大きな理想の一つであるという点も強調しなければならない。人権の尊重があってこそ、創造活動の豊かな可能性が生まれるのであり、このことだけでも、人権は尊重するに値する。人権の尊重には、人類を一つにまとめ、平和、正義、相互尊重に基づく社会をもたらす可能性がある。これは、現在の戦争や紛争、偏見や差別で苦しむ世界にあっては不可能な夢のように思われるが、夢のままにしておく余裕などあるのだろうか。


10月22日 全体会

向後3年間(2002年7月~2005年7月)における障害者(PWD)のための貧困軽減プログラム
-通称「バリアフリーのフィリピン」-に関する優先重要課題
テーマ:障害者と非障害者が助け合い、協働して、よりよいコミュニティと幸福な社会を築くこと

Richard D Arceno(リチャード・アルセノ)
貧困撲滅委員会障害者センター代表 フィリピン

はじめに

 国家貧困対策委員会(NAPC)は、フィリピンにおける貧困軽減プログラムを、政府機関、地方自治体、民間部門、および国際組織と共同して率先遂行するために、共和国法8425に基づいて創設された。一般大衆レベルでの民主的参加を促進するために、14の基本セクターが、その委託事項を支援するように命じられた。そのセクターとは、NGO、漁民、農民、土着民、都市貧困者、非正規労働者、正規労働者と季節労働者、協同組合、災害・惨禍の被災者、婦人、高齢者、若者、子供、および障害者(PWD)の各セクターである。

これらの基本セクターの中で、障害者(PWD)は、その障害と様々な社会的・肉体的バリアの故に、社会的な最弱者となっている。フィリピンの障害者は過去30年の間、深刻な貧窮と社会的排斥および孤立を経験してきた。このような状況下で、国家貧困対策委員会・障害者部門が中心になり、市民社会、実業界、国際組織、およびフィリピン政府の間に協力体制を築くことにより、フィリピンにおける障害者の生活水準を向上させることが望まれている。

この目的[ビジョン]を達成するために、以下のような大々的な貧困対策プロジェクトが提案されている。

3年後までに、100万人の障害をもった子供と若者が、初等、第二次、および第三次の教育を受ける。同様に、約50万人の雇用可能な障害者のために職が創出され、その結果、障害者を抱える20万家族の生活水準を、国連人間開発指数に定められた最低基本必要基準に従って、向上することができる。

I.主目的

1. 障害者セクターに統一性と協力関係を育むこと

  統一性とは、障害者組織の原理原則と自主性とをないがしろにすることを意味するのではなく、第三の解決選択肢または「ウィン・ウィン・パラダイム」(お互いにメリットをもたらす共通基準)を創り出すことを意味する。統一性とは、PWDの権利と全体的福祉の増強に関する同セクターの統一活動であり、同セクターの生活水準向上のための協力活動でなければならない。

2.あらゆる社会問題の中で同セクターを見える形にすること

 見える形にするということは、日常における定例的社会活動の中でPWDがその場にいるということだけに限らず、障害者セクターとフィリピン社会全体に影響を及ぼす意思決定に障害者が積極的に参加することでなければならない。

3.障害者セクターの生活水準を向上させること

 障害者の生活自立目標を達成するための主な要素は、教育、訓練、および雇用に対する投資を増やすことである。これらは社会的・経済的な流動性を高め、同セクターをコミュニティと国家発展のためのパートナーとして認識することを可能にする。

4.障害をもつ子供と若者の未来を開くこと

 障害をもつ子供と若者の未来は現下にある。同セクターは、彼らがセクターのプログラム、プロジェクト、および活動に積極的に参加できる友好的な環境を創らなければならない。この問題の取り扱いを誤ると、この国の障害対策運動は疑いなく消滅するだろう。

II.中核戦略プログラム[プロジェクト]

1.教育

1. SPED(特別教育)局の創設

  • 特別な子供の教育へのアクセス機会を広げること
  • 障害者のための基本教育サービスを合理化すること

2. 地方特別教育センターの創設

 障害をもつ子供の父母を、父母の会または社会的協同組合に組織化する。
父母の会の現状での重点事項

  • 地方自治体および父母と教師の会(PTA)の地方学校基金の配分に関する陳情
  • 障害をもつ子供(CWD)の学校サービス、特に移動問題と視覚障害者に関するバランガイ車の使用
  • 技能訓練の創設と、最貧層に属するCWDの父母に対する小規模生活計画の設定
  • 重度障害をもつ子供に対する代替的教育のための現行コミュニティー・ベース・リハビリテーション(CBR)・プログラムとの調整
  • 新しく建設された学校校舎へのアクセスに関する法令順守の監視
  • 包括的統合配達社会サービス(CIDSS)およびKapit-Bisig Laban sa Kahirapan(KALAHI)プログラムとの緊密化
  • 窮乏家族のための基本的な健康管理プログラムの作成

期待される成果:

  • CWDの父母の会の組成
  • 学校での[基礎的な]読み書き能力を備えたCWDの増加
  • SPED[CWD]プログラムのための地方自治体(LGUs)資金の配分

3. 障害者のための教育プログラムの徹底的な見直し

 教育省(Dept. Ed)、高等教育委員会(CHED)、および技術教育・技能開発局(TESDA)の三つの主要国家行政機関は、直ちに会合を持って、PWDのための教育プログラムの見直しを行い、障害者のための包括的な国家教育プログラムを作成しなければならない。

4. 障害者のための統合教育評議会の設立

 何よりも障害者のための教育目的を達成することがこのプログラムの主要課題である。

5. 第二次、第三次教育を(非正規教育でさえも)受けることができる障害者の人数を増やすこと

問題領域:

  • 単科大学と総合大学に、現在の入学者に関して、障害学生の組織(SWDO)を設立する。これは、障害学生に関心を向けるネットワーク(CODOS NETWORK)との調整によって進める。
  • 情報技術、金属・木材業、食品加工および包装、手工芸品作製、その他に重点を置く
    身体障害をもつ若者(YWD)の代替的教育プログラムのための私的教育奨学金支援プログラム(PESFAP)にアクセスする。
  • これらの提案の実現のためには、下記の組織との緊密な協力活動が不可欠である。
    高等教育委員会(CHED)、技術教育・技能開発局(TESDA)、教育省(DepEd)、およびフィリピン娯楽ゲーム社(PAGCOR)

2.雇用

  • 雇用条件に適った障害者と技能蓄積のデータベース化
  • コミュニティ生活者である障害者のデータベース化
  • 賃金雇用されている障害者のデータベース化
  • 生活術訓練プラン(障害者のための能力増強プログラム(CBPP))の作成。
    起業家的で協力的なマネジメントと生活術の訓練に重点を置く。
  • 国の戦略分野に障害者のためのワーク・センターを設立する。
  • 障害者の製品・サービスに関するプリント・カラーのディレクトリー・アドレス、および、実際の仕事を表示するウェブサイト(eコマース)の創設
  • 国の戦略地域(セブ市、イロイロ市、ダバオ市、ナガ市、バギオ市、マンダルヨング、およびケソン市)におけるPWDの製品とサービスを陳列する事業開発センターの設立
  • 自宅でできる仕事などの雇用代替プログラムの作成と、移動現場監督のためのサービス車の提供
  • 下請けの仕事に関して雇用主と意見交換の場を設ける。
  • 代替的PWD自助組織として、障害労働者協同組合を創設する。
  • 障害者のための経済自立法の制定または大統領からの行政命令を陳情する。GAA(障害者の製品・サービスを支援する)に組み入れる。
    民間会社に社会的責任の一環として購入を奨励する。その代わり、インセンティブ[報酬]制度を作り、この目的のために政府およびNGO共同体は言うにおよばず、民間会社の積極的な参加を促す。
  • 農業関連事業によって障害者のための地方における仕事を起こす。障害者は、製品包装に従事し、能力増強、コード化、およびマーケティングを手伝う。
  • 賃金雇用のために、高度に都市化した市の市長と協力する。
  • アクセス可能車の提供と、雇用者への奨励策の提供
  • これらの目的の実現のためには、下記の組織との緊密な協力活動が不可欠である。
    労働雇用省(DOLE)、技術教育・技能開発庁(TESDA)、通商産業省(DTI)、農業省(DA)、公務委員会(CSC)、および協同組合開発庁

3.アクセス可能性

  • 障害者組織の代理となるDOTCおよびLTOと調整して、車両登録の年度更新の最終発行前に、公益企業の車のためにステッカーを発行する。
    同様に、LGUは障害者を調査活動に組み入れて、公共施設および事業用建物の建設に関わる建築許可書の承認を監視しなければならない。
    試験地域は、国家資本地域(NCR)、カガヤン・デ・オロ市、バギオ市、ナガ市、イロイロ市である。この目的のために一連の説明会を開催する。
  • コミュニティ・ボランティア・グループ(できれば障害若者友の会)を組織し、アクセシビリティ法の順守状況を監視する。説明会を催し、継続的な協力体制を作る。情報交換組織としてのロータリークラブ、学生組織と協力し、全国青年委員会と全国青年共同ネットワーク(NYCN)、さらに、キリスト教家族(CFC)、協同組合、およびNGOと会合を持つ。
  • これらの目的の実現のためには、下記の組織との緊密な協力活動が不可欠である。
    運輸通信省(DOTC)、陸上運輸局(LTO)、メトロマニラ開発庁(MMDA)、内務地方自治省(DILG)、地方自治体、全国青年委員会(NYC)、キリスト教家族、ロータリークラブ、ライオンズクラブ、ジェー・シー・インターナショナル、Klwanlsクラブ&CODE-NGO、フィリピン企業基金、およびフィリピン建築家協会

4.住宅供給

  • 障害者のための社会的アクセシブル住宅プログラムを創る。第1計画では、全ての中層ビルディングの一階部分は障害者にとってアクセス可能なものとする。
    ユニットの大きさを標準の25sqfから40sqfに拡大する。支払期限を利率の引き上げ無しに15年から25年に延長する。頭金を20%から10%に減らす。
  • 第2計画では、HUDCCはNHA経由で、手ごろでアクセス可能な土地をPWD住宅供給プロジェクトに供給する。支払期限を利率の引き上げ無しに15年から25年に延長する。頭金を20%から10%に減らす。
    住宅建築費用と土地開発のためのその他費用は、政府開発援助(ODA)、フィリピン慈善宝くじ協会(PCSO)、およびフィリピン娯楽ゲーム社(PAGCOR)を資金源としている。
    安定した職業に就き、できれば協同組合のような自助グループに属している障害者が受益者となれる。
    第1段階は、ダバオ市、セブ市、バギオ市、カルーカン市、ナガ市。
    第2段階は、イロイロ市、タクロバン市、カガヤン・デ・オロ市、ジェネラル・サントス市、ケソン市、サン・フェルデナンド、ラ・ユニオン。
    第3段階は、全国。
  • これらの提案の実現のためには、下記の組織との緊密な協力活動が不可欠である。
    住宅都市開発協調評議会(HUDCC)、住宅市街地委員会(HULRB)、国家住宅庁(NHA)、住宅開発互助基金(HMDF)、社会福祉開発省(DSWD)、全国障害者福祉協議会(NCWDP)、フィリピン土地銀行(LBP)、社会保障制度(SSS)、政府サービス保険制度(GSIS)、フィリピン慈善宝くじ協会(PCSO)、フィリピン娯楽ゲーム社(PAGCOR)、人間性居住環境、協同住宅供給基金、日本政府、および国際協力住宅同盟。

5.保健および補助サービス

  • DOH、DSWD、CODE NGO、NSO、バランガイ同盟、およびDILGと協力して、全国身体障害調査を行う。
  • 障害の定義は、RA(共和国法)7277または障害者のための大憲章による。
  • 情報交換と調査政策研究のためにコミュニティ・ベースのリハビリテーション・センターを設立する。
  • 障害者のための基本的な健康管理プログラムを作成し、フィリピン健康手帳および代替的社会保障制度へのアクセスを推進する。
  • 障害者信託基金の設立を陳情する。
  • これらの提案の実現のためには、下記の組織との緊密な協力活動が不可欠である。
    日本政府(一般交付援助金)、合衆国政府(US援助金)、オーストラリア政府(Aus援助金)、国連開発計画(UNDP)、世界保健機関(WHO)、保健省(DOH)、バランガイ同盟(Lob)、内務・地方自治省(DILG)、およびCODE-NGO。

6.文化、スポーツ、および観光

  • 観光省(DOT)およびフィリピン・コンベンション・観光産業協会(PACTI)と協力して、障害者のためのパスヤル・アラル・プログラムを作成する。情報技術(IT)を活用してPWDを観光活動[振興]に巻き込む。
  • すべての地域の障害者のためにアクセス可能なスポーツ施設を提供する。チェス、ダーツ、スクラブル、一般大衆ゲーム、テーブルテニス、ローリングボールのような障害者に人気のある室内ゲームを用意する。このプランに関しては、PHILSPADAおよびPSC委員のMike Barredoと綿密な調整を図る。
  • 障害者を視覚芸術と芸能に参加させる。
  • 下記の組織との緊密な協力活動が必要。
    観光省(DOT)、フィリピン・スポーツ委員会(PSC)、PHILSPADA、文化芸術国内委員会(NCCA)、フランス大使館、文化芸術に関する大統領顧問(Leticia Shahanl長官)。

7.統治と立法

  • 障害者のための特別登録を行い、アクセス可能な投票所を用意する。
    この目的のために選挙委員会(COMELEC)と調整を図る。それが不可能であれば、全体的な特別登録の間、PWD有権者に登録のチャンスを確実に与える。
  • 地方での主張、移動、生活に取り組んでいる障害自助グループの状況について綿密に調査する。
  • 彼らの積極的な参加(社会的、経済的、政治的、文化的な)のための将来性とプログラムを確かなものにする。
  • あらゆる地方、都市、および自治区におけるOPDAのためのキャンペーンを3メディア戦略を用いて強化する。
  • 大統領室または行政命令に基づく、OPDA創設法案の通過を陳情する。
  • バランガイ開発評議会、ローカル開発評議会(LDC)、プロビンシャル開発評議会(PDC)、およびリージョナル開発評議会(RDC)に代表者を出すことについて陳情する。
  • すべてのDOHリージョナル事務所の中に、リージョナル・ベーシック・セクター評議会事務所を確実に設置する。
  • 地方におけるCIDSSおよびKALAHIプログラムの推進に参加する。
  • 障害者経済自立法(障害者の製品・サービスを支援する)の制定を陳情する、またはPGMAによって署名されるEOを起草する。
  • 障害者のための大憲章の改正、白い杖法、20%割引カード(運賃、薬品、食品)法、聴力障害者施設法の可決を陳情する。
  • これらの提案の実現のためには、下記の組織との緊密な協力活動が不可欠である。
    選挙委員会(COMELEC)、地方自治体、NCWDP、下院および上院、UNDP、DILG、自治区・都市の市長連盟、地方知事連盟。

8.調査および政策研究

  • 障害の研究を行うために、TESDA、CHED、DEP-ED、国立単科大学・総合大学、地方国立単科大学、および私立単科大学・総合大学との調整を綿密に行う。障害に関する文献はフィリピンでは非常に限られている。
  • CODE NGOとの連携を強め、同目的を追求する。
  • 研究成果についてのフォーラムを催す。
  • 蓄積データは、PWDのための政策立案、プランおよびプログラムの作成のために大変役に立つ。
  • 下記の組織との緊密な協力活動が必要。
    教育省、高度教育委員会、技術教育・技能開発局、私立学校協会、国立総合大学・単科大学を含む総合大学・単科大学。

9.ネットワークと紐帯づくり

  • 障害者支援基金(PDAF)を創設し、その活動に関する陳情を強める。
  • 国際寄贈団体のODAの10%を障害者プログラム[プロジェクト]に配分させるべく、彼らとの緊密な関係を築く。
  • LGUsの教育予算の10%を障害をもつ特別な子供たちと若者に回させるべく、彼らとの緊密関係を築く。
  • 下院および上院のCDFの5%をPWDのプログラムとプロジェクトに回させるべく、彼らと調整を図る。
  • 民間企業に対して、彼らの年度予算の5%~10%をPWDに対する社会・コミュニティ活動[プロジェクト]のために回すことを奨励する。同じように民間企業に対して、障害者の製品・サービスを支援するように促す。
  • 障害のある起業家に対して特別融資支援窓口を開かせるべく、政府金融機関(GFIs)および商業銀行との緊密な関係を築く。

10.情報、教育、およびコミュニケーション

  • 障害者の生活水準向上に関して、政府、ビジネス、民間部門からの完全な支持を引き出すために、ソーシャルマーケティング・プランを作成する。<重要な実行分野は以下の通り。
    1. ウェブサイトの創設
    2. 四半期報(タガログ語と英語)
    3. パンフレットとチラシ
    4. 月刊NAPC-PWDアップデート
    5. 障害者の積極行動関連のステッカーとポスター
    6. 障害者貧困問題に関する優れた提唱者に対する褒賞と顕彰
    7. 3メディア宣伝を活用すること
    8. Ugnayan ng May Kapansananプログラム(身体障害問題を毎週議論する定例フォーラム)を創ること
  • 下記の組織との緊密な協力活動が必要。
    NCWDP、フィリピン情報庁(PIA)、フィリピン・デイリーインクワイアラー、GMA 7、ABS-CBN 2、IBC 13、ABC 5、RPN 9、NBN 4、3メディア・アプローチ、DZMM、DZRH、DZBB、その他。 

11.人権と障害者法違反の監視

  • 書類の法令違反。重大な違反の場合はメディアの注目を求める。
  • 違反の犠牲者には助言を与える。
  • フィリピンにおける障害者の人権に関する条約の草案を作成する。
  • この目的のためにDFAおよびUNと調整を図る。
  • 下記の組織との緊密な協力活動が必要。
    人権委員会、司法省、NCWDP、国連人権委員会、フィリピン・デイリーインクワイアラー、GMA 7、ABS-CBN 2、IBC 13、ABC 5、RPN 9、NBN 4、3メディア・アプローチ、DZMM、DZRH、DZBB、その他。

12.倫理と内政問題

  • セクター評議委員会メンバーおよびセクター代表者の行動規範に関する実行基準を作成する。
  • 評議会メンバーとセクター代表者の違反に関して、セクター評議会に対して適正な行動を推奨する。
  • 評議会メンバーの積極的参加と協力を促すための戦略的行動を明示する。

III.権限付与手段

  1. ルソンから3人(南ルソン、NCR、中央ルソンの活動を含む北ルソン)、ビサヤスから2人(中央および南ビサヤス)、ミンダナオから3人(中央、東、および南ミンダナオ)のセクター代理人を選出する。
  2. 障害者貧困軽減プログラムの局地解決のために、NAPC-PWDプロビンシャル・コーディネーターを指名する。
  3. DOHと調整して、リージョナル評議会メンバーのリージョナル事務所を確実に設置する。
  4. これらの中核プログラム[プロジェクト]の実現を監督・監視する委員会を組成する。
  5. 政府、ビジネス、民間部門、国際組織、障害者組織、および障害者を支援するGOsと緊密な関係を築く。

IV.期待される成果

  1. 障害をもつ100万人の子供および若者たちに初等、第二次、および第三次の教育を受けさせる。
  2. 2.50万人の雇用条件を満たす障害者に対して雇用を創出する(PWD雇用のための特別な地方3団体の設立、ビジネス開発センターの設立、障害者のためのカラー冊子・サービスカタログの作成、ウェブサイトの創設)。
  3. 肉親に障害者を抱えた20万家族の生活水準を向上させる。
  4. 障害者人権差別に反対する国民運動の形成、または全国身体障害者同盟の組成。
  5. 特別教育法の可決、すべてのLGUsにOPDAを創る行政命令、またはOPDA創設法案の可決。
  6. SHEDの制度化(アクセシブルで手ごろな住宅供給、ワークセンター、および経済自立プログラムの統合)。
  7. PDAFの創設、GAA1%の制度化、障害者のための信託基金。
  8. 政府開発援助(ODA)を毎年定期的に受ける。
  9. 障害者人権の国際条約に関するフィリピンの批准。
  10. アジアの多くの国々が参加する障害者人権国際会議の2004年マニラ開催。
  11. 障害者フォーラムのマガジン[会報]の発行(四半期刊)。
  12. 障害者の全国的なデータベース化。
  13. CWDまたはYWDのためのLakbay Aralの制度化(サマーキャンプ、芸術・文芸コンテスト、視覚芸術および芸能を含む)。
  14. あらゆる地域で障害友の会(障害者擁護者)を組成する。
  15. 障害者の全体福祉のための社会的契約署名者を強力な擁護者グループに組み入れる。

 さらなる詳細については、「バリアフリーのフィリピン」構想の実現に興味があり、支援を惜しまない方々は、下記に手紙を書くか、電話をするか、訪問をしてください。
国家貧困対策委員会-障害者全国活動センター、ケソン・メモリアル医療センター(前の労働者病院)、P. Tuazonプロジェクト4、ケソン市。
eメールアドレス: napcpwd@edsamall.com.ph
電話・ファックス:(632) 9131625

注記:

 RDAが重点を置くのは主として以下の事項である。

  1. SHEDプログラム(MS. Haraとの調整を密にする)
  2. 特別な子供たちの父母を動員する。
  3. 全国身体障害調査
  4. OPDA
  5. MTCを操作可能にする。
  6. 書籍「我々はできる」の発行とビデオ文書化
  7. 初等、第二次、第三次レベルでの障害者インクルーシブ教育に関する全国評議会の創設
  8. 障害者リーダーの地域ネットワークの創設(NCRに関してスタート。Prof. Patricia Lontocと調整する)
  9. 障害者自主グループの地域会議を、政府地域事務所、LGUs、民間部門との調整により創設する(地域評議会メンバーがこの責任を果たす)。
  10. 障害のある有権者の大量登録
  11.  障害者友の会(地方コミュニティ・ボランティア団体)の創設
  12. すべての政府病院に対する会議資金の提供、医療会社への保証、豚肉と鶏肉の供給、洗濯(ベッドシーツ、枕、クリーニング物)のために、DOHとの緊密関係を築く(フィージビリティ・スタディを実施する-至急)。
  13. フィリピン健康手帳の更新
  14. 全国および地域事務所のための、MOAのDOHとの契約(至急)
  15. MOAのTESDAとの契約更新
  16. 社会契約の署名者を招集する(障害者のための最新の国の貧困問題を提示し、彼らの約束を得る)。
  17. NAPSが実施する12万の交付金に関して提案を行う(至急)。
  18. 障害者のための統治提案書をBBMC気付UNDPに出す。
  19. 将来性構築に関する提案書をCIDA、フィンランド、ニュージーランドに出す。
  20. 住宅供給、ワークセンターの設立、車椅子と物品の寄贈、および結集と連帯活動(eメールによる)に関して、ICA、USA、日本、オランダ、ロンドン、ドイツ、UNESCAP、ILOのネットワークを活用する。
  21. アジア太平洋地域における障害者の10年間活動の頂点を極める。
  22. セクター代理人に対して任命書を送る。

NAPC-PWD評議会事務局 (任務と責任)

  1. 専門スタッフは、ポジションペーパー、ビジネス提案書、伝達書類の作成、およびプロジェクト監視を担当し、重要取引のフォローアップを手伝い、調査を行う。(週手当1500ペソ)
  2. PRスタッフは、すべてのソーシャルマーケティング資料の作成、メディアとの関係強化、および会議の計画・書類作成を担当する。資金調達と、月次・四半期・年次報告の起草を手伝う(週手当1500ペソ)。事務局代表者と、障害者グループ、私企業、政府、民間部門、国際機関との間の良好な関係を維持する。eメール、ウェブサイトを扱う。
  3. 管理スタッフは、評議会会議のスケジュールを立てるが、評議会メンバーの旅行と会議会場の予約、会議に必要な資料の作成、金融取引の書類提出も行う。事務局代表者の旅行の予約を扱い、事務用品とすべての事務所備品を管理し、法律文書とその関連データを保管する。来状・出状書類を整理し、来訪者記録簿とスタッフのDTRを扱う。評議会メンバーのNAPSへの旅費日当のチェックを行う。給与事務その他を行う。(月6,000)
  4. 運転手[連絡係]は、連絡業務を行い、事務局代表者会議を手伝い、外の仕事がない場合は事務所内の仕事を手伝うか、車を点検し、きれいにする(BBMCが引き受けるが手当は週300)。

日本における「障害のある人に対する差別を禁止する法律(JDA)」の展望

北野 誠一
桃山学院大学社会福祉学部教授

1.はじめに

 2001年11月に日本弁護士連合会第44回人権擁護大会の第1分科会は、「障害のある人に対する差別を禁止する法律の制定をめざして」というテーマを高々と掲げた。また12月には、国連承認のNGO団体である障害者インターナショナル(DPI)日本会議や日本障害者自立生活センター協議会(JIL)等の共催する第7回障害者政策研究会全国集会が、「私達がめざす障害者差別禁止法」のテーマのもとに開かれた。
ほぼ時を同じくして、権利擁護の中心的団体である日弁連と障害当事者運動の中心的団体であるDPI等が、それぞれの草稿法案の公表も含めて「障害者差別禁止法」について取り上げたことは意義深いことであるのみならず、そこには歴史的な必然性が感じられる。
この小論では、2.で20世紀の終わりに生み出された「障害者差別禁止法」にむけた四つの大きな歴史的展開を概括し、それをふまえて3.で今後の「障害者差別禁止法」にむけた取り組みの全体像を示しながら、日弁連が取り組むべき課題を呈示したいと思う。

2.「障害者差別禁止法」を生みだす4つの動向

(1) 自立生活運動の展開

 まず何よりも地域で当たり前に自立生活をする生活主体者としての障害者が地域に登場してきた。これこそは30年にわたる日本の自立生活運動の成果そのものである。地域で一市民として自分らしく生きようとする自立生活に対して、そのあたりまえの営みを抑圧したり、同じ市民としての権利を踏みにじるような差別や偏見との対決が真に必要となってきたのであり、それを根拠づける「障害者差別禁止法」が俎上にのぼってきたのである。
私達は現在さまざまな欠陥条項との戦いを進めているわけだが、それもまた同じ流れの中にある。たとえば薬剤師法に対する、全日本聾唖連盟を中心とする多くの障害者団体の連帯による欠格条項の戦いの中で、聴覚及び音声言語による絶対的欠格事由をなくさせたことは運動の大きな成果である。しかしそのことが大切なのは、早瀬くみさんのような聴覚障害者が、「私も同じ市民としてあたりまえに薬剤師になりたいし、また薬のことで困っている地域で暮らす仲間も支援したい」という思いがあってこそ生まれてくるのである。そして戦いは続く。それは彼女が次に薬剤師の国家資格に基づいて民間の製薬会社等に就職するときに必要になってくる戦いである。国家資格があっても採用を拒否する会社があるとすればどうなるのか。まさに就職と雇用における差別を禁止する「障害者差別禁止法」が必要となってくる。

(2)「社会福祉基礎構造改革」にともなう動向

 それは2000年4月より始まった高齢者の介護保険とそれにともなう「社会福祉基礎構造改革」、そして2003年4月より始まる障害者の支援費制度の流れである。それはこれまでの市町村と施設との措置に基づく契約から、サービス利用者と指定サービス事業者との利用契約への転換とそれに伴う制度の変更である。これまではともかく市町村行政が福祉サービスに関して最終的な責任を負っていたわけだが、これからはサービス利用者とサービス提供者との直接的契約関係となるのであり、双方の権利や利害と義務が直接にぶつかり合うことになる。そのために利用者を支援する仕組みとして、施設における第三者による苦情解決制度や第三者によるサービス評価事業、あるいはサービス利用援助事業や成年後見制度といった仕組みを国はおこしたわけである。
といえば聞こえは良いが、なにせ日本の障害者福祉の現状は圧倒的に売り手市場であり、少々質が悪くても買い手はあるわけで、下手をするとサービス提供者の選択権だけがまかり通りかねない。
つまりは売り手市場であろうとなかろうと、サービス利用者の諸権利を明確に規定した法律と、その権利を擁護するシステムが必要不可欠なのである。日本の現在の法制度では、サービス利用者である障害者の権利を守ることはできない。
たとえばアメリカカリフォルニア州の法律では、施設においてサービス利用者が自治会や入居者委員会を作ることを法的に権利として認めているのみならず、それに対する干渉を禁じている。それはカリフォルニア州法22編第6部第8章87592条入居者委員会(Resident Councils)で次のように表現されている。「施設は、関心を持つ入居者が入居者委員会を作ることを認め、場所を提供し、会議の案内を掲示し、またそこに参加を希望する入居者が会議に参加するための支援を提供しなければならない。意見を自由に表現するために、毎回の会議の一定の場面では、職員は出席を許されない。入居者は参加を奨励されるが強制はされない。入居者委員会の目的は、理事者と共に活動プログラムを豊かにすることによって、すべての入居者の生活の質(QOL)を改善し、また施設で提供されているサービスについて話し合うことや、個別の問題点などについて勧告することなどである。」
確かに日本においても良心的な施設では自治会や入居者委員会の活動は奨励されており、支援もされている。中にはそれなりの権限を認めている施設もある。しかしである。それはあくまで一部のサービス提供施設による善意の試みなのであって、決して権利ではない。利用者が法律をたてにそれを要求することもできなければ、逆に理事者から押しつけられて作られた非自治的自治会を拒否する法的根拠もない。
このことは施設オンブズマン制度についても全く同様である。アメリカの場合は連邦法に基づいて各州が法で規定した施設オンブズマン制度(長期ケアオンブズマン)を持っており、施設オンブズマンは一定のトレーニングを受けた市民ボランティアであるが、本人の担当の施設をいつでもどこでも自由に立ち入る法的権限(9720条)を持つだけでなく、利用者が認めれば利用者に関するすべての記録等を調査する権限(9723条24号)も有しており、それを妨害すれば罰則規定(9773条)も存在している。
日本のように一部の施設による善意の試みなのでは決してない。
何度も言うように、法律に権利として規定されていなければ、それは一部のサービス提供者による善意の取り組みでしかあり得ない。
私は何もサービス提供者の善意の試みを否定しているわけではない。現在ではそれは大切な試みである。しかし善意ややさしさは、引っ込めることも簡単である。そのサービスがなければあたりまえの一市民として生きてゆくことができない障害者にとっては、善意ややさしさは危険である。なぜなら常にそれをしてくれる人達の顔色を窺い続けることが必要となるからである。権利とは相手の顔色を窺わなくとも当然提供されるものであり、かつ提供されなければ不法行為として訴えられ、敗訴し、その仕事を続けてゆけなくなるものである。障害者が一市民として地域で暮らしてゆくためには、施設のサービスや在宅のサービスを自分達の手で改革すると共に、地域住民の権利擁護が活用できるような法に基づく権利が必要不可欠である。
日本の障害者差別禁止法は、アメリカのように教育問題や住宅問題や施設問題において一定の権利法が形成された後にできたADAと同じというわけにはいかない。全体としてそれらを包括する差別禁止法とならねばならない。

(3) 日本の政治状況

 戦後半世紀を超えて、日本の政治状況はようやくに官僚支配の問題に気づき始めた。というよりも1990年代からこの十数年の日本政治の混迷は、官僚支配に基づくお任せ主義の破綻に他ならない。戦後の廃墟からの復活と高度経済成長の目標のもとで、政-財-官が一枚岩で突き進んでいる間は、政治のイニシアティブが問われることはそれ程なかったと言えよう。ところが現在においては、これまでの制度疲労が目立ちながら、日本のすべての市民の将来を見据えた政策を誘導できる政治や政党が見あたらない。もはや経済至上主義に基づいて、商品やサービス生産者や提供者のみを中心に考えてきたこれまでの日本の政治-経済-社会構造をすべて大改革すべき時なのである。規制緩和と市場原理の徹底は、商品やサービス利用者にとっても利益があるとする考え方は真理の一面でしかない。
福祉サービス等のヒューマンサービスにおいては、サービスの質や中身はサービス利用者とサービス提供者との共同の創造的産物であって、ただの商品の提供と消費ではないからである。そのプロセスにおいては極めて濃密な人間関係が存在するために、そこでの権力構造が大きな問題となるのである。
考えてみるがよい。そのサービスがなければ生きてゆくことに困難な人が、そのサービスを提供する人に対してどのような立場にあるのかを。そのためにこそヒューマンサービスの利用者の権利と権利擁護の仕組みを二重にも三重にも構築することによって初めて、対等の権利関係に近づくことができるのである。それでも情報の圧倒的な偏りとサービス選択のさまざまな制約、さらに一旦契約すれば困難な他のサービスの利用等に問題は山積みである。
それでも消費者契約法に見られるように少しずつサービス利用者の権利規定が、日本でも始まりつつある。また強制力に問題があるものの、ハートビル法や交通バリアフリー法のような障害者が地域で生活することを当然と考える法律も制定されてきた。各党の若手議員を中心として、問題意識の高い議員が増えてきたことも、日本の新しい政治の流れを感じさせる。
心配なのは、障害者の差別禁止法について、いまだに障害者基本法の一部の手直しで事足れりと考えている政治家や官僚達がいることである。
アメリカのADAの形成・獲得に障害者団体のみならず、政治や政策の担当者が多大のエネルギーを要したのは、それを小手先の改革とせずに、まさに障害者に他のアメリカ市民と対等の権利性を保障し、そのために必要な配慮(Reasonable Accommodation)を怠ることは差別であるとしたことである。
つまりはすべてのアメリカの企業や商品やサービス提供機関に障害者が他の市民と対等にサービスを利用するために必要な配慮を義務づけたのである。車イス障害者は段差解消のみならずサービスを利用できるような配慮を、聴覚障害者は手話通訳や文字案内等の配慮を権利として位置づけたのである。
もちろん障害者の側が差別に対して不服申し立てをする仕組みや、その第三者機関の調査権限や調停権限なども規定し、さらに裁判ともなれば懲罰的賠償責任も明記したために、裁判になる前に和解し、救済されるケースも多く、迅速な対応が可能となっている。このような強制力のある救済手段を含む実効性のある権利法となるためには、障害者基本法の一部手直しでは不可能だと思われる。是非とも障害者差別禁止法を勝ち取りたいものである。

(4) 国際的動向

 1990年にアメリカでADAが、1995年にイギリスではDDA(Disability Discrimination Act)が成立し、現在では40カ国以上が障害者の差別を禁止する法律を有している。また国連は1993年の第48回総会で、「障害を持つ人の機会平等化に関する基準規則」を定め、「政府は障害を持つ人の完全参加と平等の目的を達成するための措置の法的根拠を作る義務がある」とした。さらに国連の経済的社会的及び文化的権利に関する委員会は、昨年8月で我が国が「障害者差別禁止法」を制定していないことは問題であり、「差別を禁止する法律」を制定すべき事を我が国に勧告している。2002年にはDPIの世界会議が札幌で開かれることもあり、国連の「障害を持つ人の機会平等化に関する基準規則」の条約化にむけた動きが活発化するものと思われる。
実際に2001年11月の国連総会第3委員会で障害者権利条約に関する決議案が採択され、12月の国連本会議(総会)で同決議案の正式採択が決まっている。その中身は、「国際条約への提案を検討するための特別委員会の設置」と「それに貢献する地域レベルでの会議やセミナーの開催」が主なものである。
一部の政府や特定の団体のボス交で物事が決まるのではなく、真に国内外の草の根の障害者運動に根ざしたものが形成されなければ、中身のない“条約”となる危険性もある。

3.今後の日本の「障害者差別禁止法」にむけた取り組みの全体像

 今後の「障害者差別禁止法」にむけた取り組みの全体像は〔図-1〕のとおりである。少しそれを図に書かれてある順に説明してみたいと思う。

(1) 障害者の差別実態と法の必要性の明確化(a)

 このこのとがきっちりとできなければそもそも「差別禁止法」を苦労して獲得する意味がないだけでなく、すべての国民にその必要性を納得してもらうことはできない。
これはアメリカのADA形成・獲得(形成は主に法案作りまでを中心とする概念で、獲得は法案をロビー活動や運動に基づいて法として勝ち取ることを中心とする概念)の立役者のPatrisha Wright によれば(注1)、最も大切であるだけでなく、地域のすべての障害者団体がお互いにお互いの困難を理解し合うことで団結を深め合い、また差別を受けた体験を表現する中で、これまでの抑圧された状態から、それを超えて差別を許さない権利主体者としてエンパワーメントしてゆくきっかけとなる(b)。

(2) 研究機関・調査機関による国レベルでの調査(c)

 アメリカではこれを行ったのは主に障害者関連のシンクタンクによる調査研究であった。特に国際障害者センター(ICD)とハリス調査研究所の行った全米の障害者の実態調査は有名である。それは障害者が他の市民と比べてアメリカの市民生活を十分に享受できていないことを明らかにした。実は私の属する定藤記念福祉研究会もそのような調査をしたいと思っているわけだが、残念ながら私達にはまだアメリカのような大規模な調査を行う力量はない。これからであろう。

(3) これまでの差別に対する裁判闘争(d)

 実は日本の障害者差別に対する裁判闘争は玉置訴訟等以外はほとんど負け続けている。それはある意味では当然であって、差別を明確に規定してその差別に対する障害者の権利性と実効性ある救済を規定した法律がないわけだから、負けるわけである。私達は法律のどの部分にどのような規定がないがゆえに権利性を阻まれたのかについて、その法律の問題点とそれを変革する視点を獲得する必要がある。
日本においては、日弁連を中心とする権利擁護団体がこの作業をきっちりと進めるべきである。アメリカでは多くの弁護士を擁する障害者の権利教育援護機関(DREDF)を中心とするアドボカシー団体がその作業を着実に積み上げてきたことが大きい。障害児者の教育差別、就労差別、住宅差別、施設での人権侵害等のそれぞれについて、膨大な裁判事例が蓄積されているだけでなく、それらの分析に基づいて勝ち取るべきADAの法内容が明確化されてきたわけである。

(4) 障害者団体(運動)の連帯(Coalition)の形成(e)

 ある意味でこれは日本において障害者差別禁止法を形成するにあたっての最大の難関である。
ADAにおいては最後まで全国レストラン協会等がエイズ等の感染症者を食品を取り扱う部署からはずすことを求める修正案を強硬に後押しし続けたが、障害者団体は分裂せずにそのような偏見による修正案を拒否し、仲間を守りきったのである。一旦団結が崩れれば、それは相互の疑心暗鬼の中ですべてを空中分解させる可能性すらあったのであろう。
私はこれが日本の最大の難関と述べたが、その前途について決して悲観的ではない。というのは、障害者差別禁止法を戦い取る前哨戦としての欠格条項の見直しの戦いにおいて、日本における障害者団体が見事な大同団結(コーリション)を形成しつつあるからである。特に視覚障害者団体・聴覚障害者団体・肢体障害者団体のみならず、知的障害者団体やてんかん協会や精神障害者団体等がお互いの意見を交換しあいながら連帯関係を形成しつつあることは、大いなる前進だと言える。この経験はより大きな戦いの糧となるに違いない。

(5) 他の人権諸団体との連携(f)

 日本にはアメリカの市民権法にあたるものがなく、アメリカの黒人運動のような市民権法の獲得から学びうるような団体を持たない。それでも(14)にもあるように男女共同参画社会基本法や人権擁護法(案)等が参考となるし、何よりも部落解放運動や女性運動や在日外国人運動や消費者市民運動等との連携がなければ、障害者差別禁止法を獲得することはできない。

(6) 専門職団体やサービス提供団体との連携(g)
Patrishaは専門職団体やサービス提供団体との連携は資金面での援助をも含めて大切であると述べているが、日本ではそのことはどの程度まで可能であろうか。私見では、それはまさに障害者団体の団体としての連帯の質と量にかかっていると言っても過言ではない。その質と量が一定超えれば、多くの団体はおのずと連携に参加するに違いない。つまりは専門職団体やサービス提供団体にとって、高齢者とともに最大のコンシューマーである障害者団体を敵に回すようなことは、彼らにとって得策ではないからである。

(7) 政治(政党)と行政とマスコミを含む全体的な社会的機運の醸成(h)
これには2002年のDPI世界会議(i)にむけた障害者団体の取り組みや、RIアジア太平洋地域委員会やRNNの動き(j)との連帯や、国連及び世界の障害者団体や支援団体との連帯等(k)が関連している。
PatrishaはADA形成・獲得においてマスコミがむしろ反対のキャンペーンを張ったために、すべてのADAの支援団体は情報統制をして、マスコミに情報を提供しないことによって、マスコミに力を与えなかったと述べている。
日本では逆にマスコミの支援がなくては障害者差別禁止法の獲得は非常に困難である。最近では各障害者団体ともマスコミとの関係作りが巧になったが、マスコミが常に支援の側にまわるとは限らない。特に経済事情の厳しい時代である。ネガティブキャンペーンを張られる可能性が全くないとは言えない。
常にマスコミ関係者に正しい障害者問題の認識を持ってもらえるように、レクチャー関係を作り上げておくことが大切である。

(8) 日本の法体系に位置づけられた法案の形成(l)

 これには障害者関連諸法制の検討(m)や他の権利法の検討(n)、さらにアメリカADA、イギリスDDA、カナダ人権憲章等の検討や各国の法律の形成・獲得のプロセスの検討(o)が不可欠である。
アメリカのADAについても市民権法(Civil Rights Act) やリハビリテーション法との関係のみならず、ADA制定前から差別禁止法として制定されていた公正住宅法(Fair Housing Act)や航空機アクセス法(Air Carrier Access Act) や障害者教育法(Individual with Disabilities Education Act)との整合性や関係の整理が問題となったわけである。
アメリカ市民権法との関係でいえば、ADAは文字通り障害者の市民権法そのものである。ところが、ADAを障害のあるアメリカ人の権利法(Americans with Disabilities Rights Act ADRA)ではなく、障害のあるアメリカ人法(Americans with Disabilities Act ADA)と命名したことには、一定の政治的配慮があったと言われている。つまりADAが黒人運動のように、一定の割合での優先入学や割り当て雇用を求める積極的差別是正策(Affirnative Action)と運動しているというニュアンスを避けるためであったといわれている。
ADAが求めたのは、それ以上のものであった。つまり障害者が市民生活に実質的に参加するためには、生活分野ごとの差別を事後的に禁止するだけでなく、その生活分野のシステムの基本構造を事前にバリアフリーにするための合理的配慮(Reasonable Accommodation)が不可欠だからである。
ADAはその概念をリハビリテーション法504条とその施行規則から学んだのである。つまりリハビリテーション法504条が連邦政府とその補助金の受領機関に合理的配慮を要求していたのに対して、それを民間団体を含めたより包括的な市民生活全体の差別を禁止する仕組みに変えたのである。
また障害者教育法や発達障害者支援と権利に関する法からは、「最も制約の少ない環境(the Most Integrated Setting)」を選択する権利に関する法理を受け継いだ。
さらに公正住宅法でHIVのメンバーとの連帯のもとで、すべての障害者に対する民間センターをも含む住宅差別を禁止する法理を受け継いだ。
そして最後にADAを公民権法のようにすべての生活分野を包括する法とするのかどうかが議論された。その結果、ADAによって、既存の法の解釈が弱められることを避けるために、ADAはリハビリテーション法504条や障害者教育法や公正住宅法を包括する一般法ではなく、1990年までに獲得された障害者関連法をそのままの形で切り離しておいて、残された雇用と移動交通及び公共民間サービス及び電話リレーサービスの分野のみを扱う差別禁止法として法案化されたのである。
これら一連の作業の中心を担ったものが、全米の障害者団体特に全米自立生活センター協議会(NICL)と弁護士を中心とする権利擁護団体であったことは言うまでもない。
日本の障害者団体と日弁連を中心とする権利擁護団体との連帯が今後の日本におけるJDA獲得のカギと言えよう。

(注1) Patrisha Wright When to Hold“Em and When to be Hold”Em Lessons Leamed From Enacting The ADA DREDF 2000以下のパトリシア氏の引用はすべてこの論文による。

[図-1] 今後の日本の「障害者差別禁止法」にむけた取り組みの全体像の図

[図-1] 今後の日本の「障害者差別禁止法」にむけた取り組みの全体像


タイの障害者に対する差別防止に向けた努力と取り組み
-現状・課題・今後の展望-

Nareewan Chintakanond (ナリワン・チンタカノンド)
社会福祉協議会事務局長 タイ

 2001年、国連はタイに対しフランクリン・デラノ・ルーズベルト国際障害者賞を授与した。この名誉ある賞は、国連障害者に関する世界行動計画により奨励されている障害者の完全参加という目標に対して、瞠目すべき進歩のあった国に毎年授与されるものである。対象となるのは障害者に関する法律や教育、職業、アクセシビリティ、コミュニケーションといった分野であり、あらゆる社会活動における障害者の完全参加、平等を促進することが求められている。

タイでは障害分野の発展に向けて、障害者に対する差別を防止する以下のような取り組みが行われてきた。

1.障害者を対象としたタイで初めての法律は、障害者リハビリテーション法B.E.2534(1991年)である。この画期的な法律は政府や民間部門、学術分野、障害当事者団体などによる協同努力の成果であり、障害者の参加および平等の拡大を目指す出発点となった。同法では障害者が医療・教育・職業リハビリテーション、職業紹介、地域生活支援といったサービスを受ける権利を認めている。しかし、そうしたサービスの提供を希望する障害者は登録しなければならない。

2.省令B.E.2537(1994年)が障害者リハビリテーション法B.E.2534(1991年)に則り公布された。

a) 労働社会福祉省は、障害者のためのリハビリテーション法B.E.2534(1991年)に基づき、障害者の雇用に関する省令を公布した。同省令によれば、従業員200人以上を擁する企業は従業員200人あたり、いずれかの部署で働く能力のある障害者1名を雇用しなければならない。それを望まない企業は障害者リハビリテーション基金に納付金を納めることが義務付けられている。一方、障害者を雇用している雇用主は、障害者に対する人件費の2倍の額が税から控除される。こうした制度により、現在、全国で5,968人の障害者が企業に雇用されている。
障害者が企業や政府機関で働くことを望まない場合は、障害者リハビリテーション基金に無利子のローンを申請し、本人自身の自営プロジェクトを立ち上げることができる。同基金はリハビリテーション法B.E.2534(1991年)に従って設立されたもので、障害者に融資を行ったり、さまざまな関連機関を支援することを目的としている。タイ政府は1993年の基金の設立時に2,500万バーツを予算計上し、以後毎年2,000~3,000万バーツの予算を計上している。このほか基金は産業界からも寄付や献金を得ている。これまでに基金は16,137件、合計3億1,300万バーツにのぼる融資を、障害者が自らの農業や商業プロジェクトを立ち上げるのを支援するため、提供してきた。

b) 公共保健省は、医療リハビリテーション・サービスおよび治療や機器の費用に関する省令を公布した。同省令によれば、1991年の障害者リハビリテーション法に従って登録した障害者は、13種類の医療リハビリテーション・サービスを受けることができる。すなわち、診断的臨床検査やその他の特殊検査、カウンセリング、薬剤、外科手術、看護、理学療法、作業療法、行動療法、心理療法、社会サービスおよび社会療法、言語・聴覚・コミュニケーション療法、機器や補助具の利用である。障害者が医療リハビリテーション・サービスを受け、義肢、装具や何らかの補助具を使用しなければならない場合、医療施設はそのような器具を障害者のために手配しなければならない。医療施設で準備できなければ、医療サービス局のシリントノン国立医療リハビリテーションセンターに連絡し、そうした器具を要請することができる。

3.労働者災害補償法。1994年に制定された同法は、労働中に傷害を負った被用者を保護するもので、これにより労働者は医療費や補装具や機器、身体的・精神的リハビリテーションの補償を受けることができる。さらに同法によれば、パトゥム・タニ県のバンプーンにある労働リハビリテーションセンターで特別な職業リハビリテーションを受けることもできる。同法はまた、職場の安全と健康を促進するものである。

4.1998年に前首相が承認し、署名したタイ障害者権利宣言。同宣言は障害者に対するタイ国民の誓いである。

5.1999年12月3日の国際障害者デーに障害者のアクセシビリティに関する省令を発表。同省令では、建物や輸送、その他のサービスなど公共の施設をすべての障害者が利用できるようにしなければならないと規定している。
バンコクおよびその近隣5県の公共輸送を管轄するバンコク公共輸送公社は、バスを利用する視覚障害者の多い地区の路線に音声ガイド付きバスを配備した。さらに、全路線のバスに障害者優先席のためのステッカーが貼られている。

6.政府は1999年を「障害者教育年」にすることを宣言した。国家政策の一環として、「学校へ行きたい障害者は、すべては学校に行くことができる」という看板を全国すべての学校の正面に掲げた。障害者リハビリテーション法(1991年)によれば、障害者は幼稚園から大学まで教育を受ける権利を有するとされる。

タイでは障害者のための学校制度は、普通校と類似したカリキュラムをもつ障害者の特殊学校(ほとんどが全寮制)と、高校レベルまでは障害者が全てのレベルに参加する権利のある普通校、生徒に年齢制限がなく、ボランティアによって授業が行われる非正規の教育システムに分けられる。

さらに、病院内にも慢性疾患による障害をもつ幼児を対象とした学級がある。また、タイ政府は以下の特殊学校を設立した。

  1. 聴覚障害児のための学校     13校
  2. 全盲および弱視児のための学校  8校
  3. 知的障害児のための学校     8校
  4. 身体障害児のための学校     2校
  5. 聴覚障害児および知的障害児のための学校 6校(それぞれの特殊学級に分かれている)
  6. 視覚障害児、聴覚障害児および知的障害児のための学校 5校(それぞれの特殊学級に分かれている)
  7. 病院、入所施設または財団内の特殊学級 10校

 今後の計画や課題としては以下の分野を強調しなければならない。

1.障害者法ならびに国の障害者計画に対するモニタリングと評価のメカニズムを強化し確立する。

2.障害者に対する意識を高め、障害者擁護、政策の策定、障害者の地位向上のモニタリング、情報やコミュニケーション・テクノロジーへのアクセス、建物環境や公共輸送のインフラの整備を図るため、障害者をトレーナーおよび助言者として養成することを支援する。

3.あらゆるマスメディアが障害についての特別コラムやプログラムを設けるよう奨励することにより、障害者だけでなく一般の人々や障害者の家族が障害に関する知識を深めることができるようにする。

4.障害児の自立を促進するため、その家族を支援する。

5.障害に対する一般市民の意識を高め、バリアフリーな環境への政府の戦略を奨励することで、障害者が社会のメインストリームに参加できるようにする。

6.女性の参加機会を増やすため、彼らが補助具を活用するように奨励する。

7.特に農村地域におけるCBRプログラムを促進するよう政府やNGOを強化・奨励する。

 障害者のために私たちが努力してきたことはすべて「完全参加と平等」という目標を達成し、障害者が社会のなかで幸せな生活を送れるようにするためのものである。