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「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念フォーラム 大阪フォーラム報告書

10月22日 第25回研究大会
第25回総合リハビリテーション研究大会:総論

関 宏之
第25回総合リハビリテーション研究大会実行委員長
大阪フォーラム組織委員会事務局
大阪市職業リハビリテーションセンター所長

はじめに

 「総合リハビリテーション研究大会」は、リハビリテーションに携わる専門家の相互理解を深めることを目的として1977年(昭和52年)に東京で開催された「リハビリテーション交流セミナー」に端を発し、以来、「国際児童年」、「国際障害者年」、「アジア太平洋障害者の十年」などの国際的な取り組みに呼応する専門家集団によるセミナーとして定着し、第11回大会(1988年)から現在の「総合リハビリテーション研究大会」と名称を改めて今日に至っている。
当方では、第15回大会(1992年)、「就業・生活支援」をテーマにした昨年の「第24回研究大会」に引き続き3度目の大会事務局をお引き受けすることになった。
この度の「第25回研究大会」は、「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念フォーラム・大阪フォーラムとして実施される4つの会議、すなわち、第12回リハビリテーション・インターナショナル(RI)アジア太平洋地域会議、アジア太平洋障害者の十年推進NGO会議(RNN)「アジア太平洋障害者の十年」推進キャンペーン大阪会議、国際職業リハビリテーション研究大会と並ぶ主要会議として、また札幌で開催されるDPI(Disabled People’s International)世界会議、あるいは、滋賀で開催されるアジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)の「アジア太平洋障害者の十年」最終年政府間ハイレベル会議とも連動している。
本研究大会の実行委員長をお引き受けしたものの、大阪フォーラム全体の後方支援をする「大阪フォーラム組織委員会」事務局長を兼務しており、また、詰めの大切な時期に病で現場を離れており、組織委員会はもとより研究大会の実務や実行のあれこれを大阪フォーラム事務局次長の正井秀夫氏(大阪市更生療育センター副所長)に委ねた。正井氏に衷心より感謝する次第である。大阪フォーラムの余韻が覚めやらないこの時期に、本誌に「第25回総合リハビリテーション研究大会」のあらましと意義について掲載して頂くという光栄に恵まれたことについて、日本障害者リハビリテーション協会および関係者の皆様に深く感謝します。

企画にあたって

1.会場設定

 本研究大会は、大阪フォーラム2日目の10月22日に大阪市舞洲(まいしま)障害者スポーツセンター(アミティー舞洲)で開催することとした。市内の中心部から離れており、移送や交通アクセスなどのいろいろなトラブルや混乱も想定されたが、バリアフリーの徹底や重度障害者の利便性を配慮しているという点で、海外からの参加者には是非とも訪れて頂きたいわが国最高級のスポーツセンターであり、また、筆者が所属する大阪市障害更生文化協会が運営していることから、利用上の融通性・柔軟性が担保されるということも選定理由の一つである。
また、アジア太平洋障害者の十年推進NGO会議「アジア太平洋障害者の十年」推進キャンペーン(RNN)大阪会議と連携して開催し、午後からは、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に会場を移し、広大で複雑な敷地内の設備、利用客の受け入れに関するバリアフリーの状況や、開設以前から筆者も参画して積極的に進めてきた障害者の雇用状況を検証し、「大阪フォーラム組織委員会」が主催する交歓会を行うこととしており、ロケーションとしてUSJに最も近い場所にあることは参加者の移送を考える上で大きな利点であった。

2.テーマ設定

 メインテーマとして「ともに生きる地域づくり(Inclusive Society)」を掲げ、障害のある人も障害のない人もともに社会を構成し、ともに当たり前の社会生活が実現される社会を招来できるようにという思いを示したもので、障害当事者やわれわれ関係者だけの思い込みにではなく、広く国民から障害者問題が理解・共有されて大きなうねりとなるようにという願いを込めている。
また、研究大会では、アジア太平洋障害者の十年「最終年記念フォーラム」キャンペーン委員会および今大会を期して全国レベルで展開されてきた「アジア太平洋障害者の十年」国内推進キャンペーン(2001~2003年)と連動して、第1分科会「ハードルのない地域:バリアフリーを考える」、第2分科会「当事者性について考える:自立生活」、第3分科会「障害者を締め出さない社会:欠格条項について」、第4分科会「障害者プランの現状と新障害者プランの課題:安心して暮らせるコミュニティー、自由に移動できる町、やさしさにあふれた社会づくりを求めて」、の4分科会を設定し、大阪フォーラムが掲げる「障害者の権利実現へのパートナーシップ」の実現への確かな手応えを掴んでいただく引き金になることも願った。
いずれの分科会テーマも障害のある人を取り巻く<過去と現在>の社会環境を検証し、確かな<未来>を展望しようとするものであり、わが国の最も実践的なオピニオンリーダーの方々に分科会のコーディネーターやシンポジストをお願いした。
各分科会コーディネーターの皆さんのご協力を得て本研究大会の総括をすることができた。大阪フォーラム全体からみれば、ささやかな会議にすぎなかったが、そこで討議された内容は、<障害者の権利実現>というテーマを実現させるためにいかにして方略を再構築し、実践するかという遠大な内容で、その詳細は本誌に掲載されている通りである。

おわりに

 「リハビリテーション」が医療行為と結びつくことはあっても、「人権」や「人の暮らし」と結びつくことは稀である。しかし、「総合リハビリテーション」を標榜するからには、「リハビリテーション=人間復権」というプリミティブな語源に立ち戻って、障害者としての<役割期待>を前提とした議論に終止符を打ち、人間としての<アイデンティティー>や<望ましさ>に関する概念を明らかにし、その実現を可能にする手法を提示すべきである。
その機会を同研究大会を通して提供できたことは大いなる喜びではあるが、その継承に関して重大な責任があることも歴然としている。「総合リハビリテーション研究大会」は、それぞれの専門性に立脚しながらも人々の<望ましい暮らし>を展望し、<生きにくさ>の実態を指摘し、その改善を求めて行動する、だからこそ<権利実現>に固執するのだと、いう覚悟が求められている。
〔「リハビリテーション研究」(日本障害者リハビリテーション協会発行)114号(平成15年3月)より転載〕


10月22日 第25回研究大会
第1分科会:ハードルのない地域-バリアフリーを考える

辻 一
社団法人大阪脊髄損傷者協会会長
大阪フォーラム組織委員会アクセス担当部会長

はじめに

 この分科会は、筆者の司会で、4名のパネリストと共に、バリアフリーの問題点と、その効用について、また、これからの課題とそのための技術的な対処法についてディスカッションしました。
パネリストとそのテーマは次のとおりです。
河村宏氏(日本障害者リハビリテーション協会情報センター長)「日本における情報バリアフリーキャンペーン-障害者放送協議会の活動から」
末田統氏(徳島大学大学院工学研究科教授)「身近になった情報化社会における課題」
三星明宏氏(近畿大学理工学部社会環境工学科教授)「ハードルのない地域-バリアフリー・ユニバーサルデザインを考える」
赤塚光昭氏(清水建設株式会社関西事業本部)「インターネットに出会った聴覚障害の私の体験」
司会の辻はまず、自身の福祉のまちづくりへのかかわりについて、当事者(現在脊損歴27年)として、1970年代に福祉的配慮のまちづくりの必要性が問題提起されながら15年以上たっても一向に進展しない状況を変えるために、1988年の春から大阪府庁に日参して、政策担当職員に海外の情報提供を頻繁に行うと共に、社会生活の中でのさまざまな行動制約を共有する体験の機会を設けて意見交換するなどの根回しをした後、1991年秋、当時の中川大阪府知事との懇談の機会を得て全国初の福祉のまちづくり条例の制定を提起し、1992年に実現させたことなどを説明しました。
続いて、最近の日本のまちづくりに関するいくつかのトピックスを紹介して、まちづくりが進む中で新たに出てきた障害当事者のニーズや意見、特に一部のマナーに欠けた人のためにバリアフリーを守るバリアや制限を設ける必要性が高まっている状況などを紹介し、バリアフリーやまちづくりは既に社会資源化していること、また、これからのまちづくりに求められるものとして、個々人の特性への対応と個人のライフステージの時間的環境的変化に対応できる柔軟性の必要を意見として述べました。
それを受けて、パネリストが順次それぞれのテーマについて発表を行いました。以下、パネリストの問題提起と発言の要約を記します。

日本における情報バリアフリーキャンペーン
-障害者放送協議会の活動から

 河村宏氏は、最終年記念フォーラムキャンペーン委員長として取り組まれた「大阪フォーラムに向けた情報バリアフリーに関する調査」と「障害者放送協議会の活動」について報告されました:
情報バリアフリーについて、情報社会は21世紀の現代社会を特徴付けるキーワードであり、情報社会に参加できるか否かで社会生活が異なる。障害のある人についても、情報とコミュニケーションの保障が無ければ自立のための教育や職業訓練の機会も得られず、積極的な社会参加も不可能であり、同じコミュニティーの構成員として、他の障害のない構成員と同等の情報を得られるかどうか。特に教育・選挙・雇用など社会生活全般の情報へのアクセスが重要である。
この情報社会では情報機器が大きな役割をしており、デジタル・デバイド(情報技術、特に情報機器を使いこなせる人と使いこなせない人の間に生じる経済的格差:Digital Divide)はきわめて現実的な脅威であり、すべての人のアクセスを考えない無秩序な情報社会の構築は差別的である。
さまざまな障害に対応するICT(情報とコミュニケーションの技術:Information and Communication Technologies)の急速な発展が、その研究と開発の成果を集積し共有する道を同時に提供することによって、アクセス保障に向けた組織的な取り組みの可能性を切り開いている。その例として、日本においては、1998 年9月、アジア太平洋障害者の十年を総括する19団体が、情報保障を求める障害者放送協議会を結成し、著作権委員会・放送バリアフリー委員会・災害時情報保障委員会の3つの委員会を設け、障害者の情報アクセス権は「知る権利」や「教育を受ける権利」を支え、「生存権」を保障するための最も基本的な権利であるとして、著作権法の一部改正の実現や、放送に関する提言および緊急災害時の情報サポートに関する提言等の成果を挙げ、2002年10月15日に内閣総理大臣と関係省庁に対する共通の要望書を提出した。また、通信と放送が相互に関連しあって新しいチャンネルが作られるように働いた。この情報チャンネルは全ての障害をもつ人がアクセスできるように、字幕、手話を全ての放送につけることや、著作権の配慮(利用に際しての制限緩和)を目的としている。
大阪フォーラムは、国際的に大きな動きになっている障害者の権利に関する国際条約の制定に向けてお互いに情報交換する機会である。

身近になった情報化社会における課題

 末田統氏は、身近になった情報化社会における課題として、高齢者や障害者に配慮した規格整備、更には開発途上国の貧しい人たちへの情報操作能力の保障が国際社会の最大の課題になっていることを挙げ、最新の情報機器、特にコンピューターの機能的進歩と利便性(利用のしやすさ)の向上と可能性について報告されました:
国際化社会の情報をいかに多くの人が利用できるようにするかについては、米国のリハビリテーション法508条(2001年6月発効)が、法的拘束力を持っていろいろな情報機器のアクセシビリティー基準を設け、障害によって、(1)連邦職員の電子技術情報の利用と国民の連邦政府の情報・データベースへのアクセスが差別されないこと、(2)アクセシビリティー基準の実現に過度の負担がある場合は代替手段を提供する義務があるとしていることと、わが国ではアクセシビリティ・ガイドラインが作られたものの、法的拘束力が無いために普及していないことが先例となる。現在、経済産業省が平成15年に向けてアクセシビリティー基準の作成に向けた委員会を設置して作業を進めているが、欧米に比べて10年以上遅れているといわれるわが国の障害者・高齢者が現状から抜け出せることを期待したい。
また、情報社会では、ITに関する障害と、ITが取り除く障害があり、情報技術の発達の際にはいろいろな障害の人がいること、デジタル・デバイド(情報格差)を考慮して、いろいろな人が使えるようにする必要があり、わが国の取り組み例として、国による機器やソフトウエアなどの情報バリアフリー技術の研究開発や、バリアのない情報社会作りに際しては、非常時の情報の保障(生命)、在宅就労と移動の支援と保障(社会参加)、平時における情報の保障(QOL:生活の質の向上)のための情報バリアフリー標準化委員会が設けられて、障害者本人の身体の特徴にあったソフトウエアが提供されたり、いろいろな機器を使い易くするための「障害者配慮事項」という工業規格が作られている。
なお、最新の情報機器の発達による可能性の例として下記の最新技術を示されました:
ブルートゥース(青い歯):高周波無線を利用した家庭内などの短距離の通信システムで、パソコンを中心にして各種情報機器をつないだ情報生活を実現する。また、家庭内のさまざまな家電機器や身の回りの機器をネットワーク化して音声コントロールで操作できるようになることで、簡単に快適な生活環境ができるようになる。しかし、発声発話に障害のある人への保障など新たな課題がある。
スマートダスト(賢い塵):1mm程度の大きさで、情報処理機能はもちろん、太陽光発電から赤外線発射装置までを組み込んだひとつの細胞のようなスマートダスト部品の開発が可能になってきたので、それが普及すれば情報機器が画期的に安くなり、より多くの人たちが使えるようになると思われる。
ウエアラブルコンピューター(身につけるコンピューター):ICのますますの小型化でコンピューターを着用して活動することが可能になり、また、情報をインターネットを通して外部と交換できるようになるので、情報の中で生活することがごく普通のことになる。

ハードルのない地域-バリアフリー・ユニバーサルデザインを考える

 三星明宏氏は、バリアフリー、ユニバーサル・デザインを志向する最前線での取り組みの中で、当事者・住民参加、行政や技術者の創意工夫、合意形成、バリアフリー概念の拡大、ユニバーサル・デザイン、地域活性化がキーワードと感じておられ、各地で新しい質を持つ計画や設計事例が輩出することを期待される立場で意見を述べられました:
ノーマライゼーションの流れの中でバリアフリー化が進み、屋外空間に関する「交通バリアフリー法」、公共的建築物の「ハートビル法」、これらの各種指針基準、自治体の「福祉のまちづくり条例」などの法律も出そろってきた。この最終目的は高齢者や障害者の自立である。
バリアフリーを根幹にすえたユニバーサル・デザインは、ものづくりの設計思想として始まり、まちづくりの考え方に広がってきたが、使えない人があってはならない公共空間においては本来前提とすべきものであった。しかし、従来は「平均的」人間を前提として、「声の大きい人」や利害関係に左右されてきたところに問題がある。
まちづくりにおけるユニバーサル・デザイン思想の特徴は結果としてのデザインだけではなく、そのプロセスを重視するところにあり、生活者の目線に立った「下から」のプロセスを基本にした参加型であるべきである。また、質の高いまちづくりは五感に立脚したきめ細かさが求められるので当事者参画なくしてはありえない。また、最新の情報技術の活用や、医療と福祉の分野との結合による一体化したまちづくりなどが期待される。

インターネットに出会った 聴覚障害の私の体験

 赤塚光昭氏は、聴力障害者として早くにインターネットに出会い、活用されてきた体験を具体的に述べられました:
パソコン通信の利用は聴力障害者にとっての連絡手段として画期的であったが、所属するプロバイダの会員間に限られたものであった。しかし、1991年、家族の留学によって接したインターネットは、文字だけのテキスト形式のものではあったが、プロバイダを超えたオープンな利用が可能であった。しかも瞬くうちに図や写真入のホームページ形式が利用できるものに発展した。
聴力障害者として情報面で孤立した生活を送っていたが、インターネットの普及で多くの情報を獲得できたことは、Eメールの利用、外国にいて日本のリアルタイムの情報が得られる、会社内でも他の人に頼まなくても連絡ができるなど、以前と比べると画期的で、インターネットはまさに聴覚障害者にとって情報革命といえる。
今後は、瞬間的に意思が伝えられる手話の利用ができるテレビ電話の普及と、24時間体制で強制的に災害緊急連絡を知らせるインターネットとCATVが融合した体制が望まれる。

●ディスカッションから

 パネリストの発言が一巡して、改めてパネリストの意見・感想をお聞きしました:
河村氏 最新の技術を社会に導入する時に、計画・デザインの段階であらゆる障害をもつ人達が参加していくことが大切だという確信を深めることができた。まちづくりという点では、そこに住んでいる人、居合わせた人で考えるということ、全体的な環境作りには皆が一致できる要求を満たすことが大切である。
末田氏 災害時のライフラインの確保が大切。それは地域によって随分違うものだと思う。CATVは中央基地で情報を管理している点に問題があり、地上電波によるテレビ・ラジオ放送の情報提供が非常に重要だと思う。
三星氏 技術屋の目としては欧米に目が向いていて、アジアにあまり目が向いていなかった。そういう点でアジアに向けた支援が必要である。また、情報のバリアフリーは格差が大きい。高齢者などが取り残されて享受されていない。
赤塚氏 聴覚障害者には情報障害がある。これは、健聴者が外国で言葉の違いによる情報障害があるのと同じである。
各パネリストのご意見をお聞きして、司会として意見を補足しました:
司会(辻)バリアフリー、ユニバーサル・デザインの求めるところはアクセスフリー(自由に使えること)であり、アクセスビリティー(物の利用のしやすさ)、ユーザビリティー(サービスの利便性)は社会資源であるという認識をもってほしい。
アジア・太平洋地域では、モンスーンや雨が多い。日本では通常の木造建築物は建築基準法で地面から60cmの空間を設けなければならない。これは我々障害者の大きなバリアであった。開発途上国にはそれぞれの社会環境・社会背景があるが、これからバリアフリーな環境を作っていくうえで日本のまちづくり条例等で解決が図られた先例を取り入れて考えていかれてはどうか。
我々障害者は、これまでは夢(目的・希望等)を追ってきた。しかし、バリアフリー、アクセシブルな環境が整った今は、サクセス(人生の成功)を目指し始めている。また、そのための努力をすべきである。それを支えるのが移動の自由と交通の自由であり、幅広い情報アクセスの保障であり、これがバリアフリーの大きな課題であり、ここに私達の夢と現実の世界の壁がある。
* * *
最後に、フロアから聴力障害者2名、視力障害1名の発言をお聞きしました:
坂上氏 私達は聴覚障害者の情報保障を実施している。自らの手でCS放送のテレビ放送を行っている。これは、緊急災害時の情報保障にも役立つと思われている
河村氏 大切なことは当事者がどのような物を望んでいるのか。何を必要としているのか。それがきちんと反映されていることだと思われる。様々なニーズを取り上げて、特に緊急災害時の情報保障というのは、異なる地域ごとに、きめ細かく、誰一人として取り残されることのないように行われることが大切と思われる。これらのことを含めて、国連ESCAPの「琵琶湖宣言」で情報とコミュニケーションについて発言される予定である。
坂上氏 ハートビル法・交通バリアフリー法には聴覚障害者のニーズがほとんど盛り込まれていない。この中で、全ての人々の参画とはどういうことなのか。情報アクセシビリティーという言葉では、字幕、または日本語の書き言葉がメインになっているが、手話が言語になっている聴覚障害者には、どういう対処がなされているのか。
河村氏 交通バリアフリー法には聴覚障害者のことも(音声情報として)盛り込まれているが、車いす・視覚障害者に比べて、聴覚・内部・知的・精神障害者はガイドラインへの記述事項が少ないことは事実である。あとは、個々の現場の問題である。情報アクセシビリティーでは手話に関することは未だ研究中でユーザーの方の積極的な参加によって進めることが必要と思う。
大矢氏 聴覚障害者として、以前ほどファックスが使われていないということを訂正したい。Eメールはろう高齢者では使えないことが多く、その方達を視野に入れる必要があり、援助して見守らなければならない。自分の思いどおりに行動できない人々のことも考慮して、「対等」という考え方をもつのも大切だと思う。ハートビル法では聴覚障害者のニーズがあまりふれていない。(会場である)この建物(アミティ舞洲)自体も聴覚障害者に対する配慮があまりないと思う。緊急時に対応できる状態も含めて計画して頂きたい。
野々村氏 視覚障害者として、著作権の事で情報保障が阻まれている。東南アジアの方などは個人ではなく社会の貧富の差による格差が大きいので、パソコンの音声ソフトが高くて買えない。情報保障では盲ろう者にとって、機器による保障には限界があるので介助による保障にしてほしい。
司会(辻)米国の映像産業が3度目の著作物の大幅な保護期間の延長を図るなど、米国の著作権法が大きく影響して、実際に情報保障が阻まれていると思う。日本としては、できれば無償で各国語版の音声変換ソフトを作って提供するなどの支援を行っていかなければならない。また、いつの時代でも、機器による情報保障でも、介助による情報保障でも当事者が大きな声を上げて要望の実現を図っていかなければならない。当事者および当事者団体の積極的な役割が求められる。



10月22日 第25回研究大会
第2分科会:当事者性について考える-自立生活

尾上 浩二
DPI日本会議事務局次長

新障害者基本計画のキーワード

「自立生活・当事者参画」

 本稿執筆時点で新しい「障害者基本計画」の策定に関する意見募集が行われている。来年度からの十年間の新基本計画についてのパブリックコメント募集だ。その新障害者基本計画骨子案の中で基本的な方針として、次のように述べられている。
「21世紀に我が国が目指すべき社会は、障害の有無にかかわらず、国民誰もが相互に個性を尊重し支え合う共生社会とする必要。
共生社会においては、障害者は、社会の対等な構成員として人権を尊重されるとともに、自己選択と自己決定の下に社会のあらゆる活動に参加、参画し、社会の一員としてその責任を分担」。
次の十年の障害者計画が目指す社会像として「共生社会」が掲げられている。そして、その共生社会の実現に当たって、「自己選択・自己決定」、「参加・参画」が重要なキーワードとなっていることが分かる。
こうした次の十年のキーワードになるであろう「自立生活」、「当事者性、並びにその参画」が、当分科会のテーマであった。当日は、アジアをはじめ海外からの参加者も含め80名以上が参加する分科会となり、このテーマに対する関心の高さが示された。

自立概念、当事者概念をめぐって~根底にある医療モデルから社会モデルへの転換

 まず、3人のシンポジストから発題を頂いた。最初に、天理市障害者福祉団体連合会会長の八木三郎氏は、自ら車いすを利用する立場から、日本の社会が障害者をどのように捉え、対応してきたかを中心にお話し頂いた。
「現在、日本でもバリアフリーと言われるようになってきたが、かつてに比べると大きな変化だ。14歳の時に、両親と一緒に飲食店に行った。しかし、あからさまに拒否された。14歳の自分は泣きながら抗議したが、受け入れてもらえなかった」と痛切な体験談を披露された。
歴史的な経過についての資料も準備して頂いた。当日は時間の関係で詳しく述べられなかったが、自立概念の変遷も紹介されている。身辺自立や職業自立・経済的自立という考え方から、人生の主体者としての自立まで多岐に渡る概念をふまえた上で、1982年の身体障害者福祉審議会答申から次の定義を紹介された。
「自立生活とは、四肢マヒなど重度障害者が介助者や補装具等の補助を用いながらも心理的には解放された責任ある個人として主体的に生きることにある」。
さらに、今後の展望として、「ノーマライゼーションと社会参加の実現、エンパワメントとバリアフリー社会、主体性・自己決定の尊重と支援」をあげられた。その中で次の例を紹介された。
「最近、空港でレストランを利用することがあった。最初対応した店員は、バイキング方式なので車いすの方は…というような対応だった。その後、別の店員が出てきてコーナーの近くに席を取って、もし何か必要があればお手伝いしますと言ってくれ、利用することができた。最初の店員も悪気があってというわけではないが、結果的に排除につながる。私たちが求めている支援、社会のあり方というのは、後者の店員のような対応だ」。
「自己決定を尊重する」こと、主体性と支援との関係について示唆に富む提起だった。
続いて、DPI日本会議・常任委員の樋口恵子氏は、1981年シンガポールでの第1回DPI世界会議への参加やアメリカの自立生活センターでの研修等により、エンパワメントされ自立生活運動を進めていくようになってきた体験を話された。
日本初の本格的な自立生活センターであるヒューマンケア協会創設に参加し、その後、JIL(全国自立生活センター協議会)の代表として自立生活センターの推進に取り組んで来られた。
自立生活センターが目指したものの一つに「自立概念の変更」をあげられた。「身辺自立、経済的自立ではなく、自己選択による生活=自己決定権の行使を目指した。だからこそ、最高決定機関の51%以上の障害当事者がいる当事者主体の組織であること、代表・事務局長など社会的な顔と頭脳を障害者が担っていること等が要件となっている」と、自己決定を基本とする自立概念と、それを体現した当事者主導組織としての特徴を紹介された。
現在、全国110ヵ所以上となった自立生活センターの活動が果たしてきた成果として、(1)医療モデルから脱却し、地域の福祉サービスの核になったこと、(2)ピアカウンセラーを社会的な存在として国の事業の中で位置づけたこと、(3)家族型福祉・施設型福祉から自己決定権を重視する地域福祉への転換、(4)建築物・公共交通機関のバリア除去とその法制化、の4点をあげられた。
今後の課題としては、「支援費制度への移行を前に、全国にくまなく自立生活センタ-を立ち上げ、当事者の視点でニーズに応じた量と高い質のサービス提供団体を作ることが求められている。ただ、一方で、この間ピアカウンセラーとして活動してきた仲間が過重な活動の中で亡くなるという悲しい現実もある。安心感と、選択と自由を自分のものにして生きていくために、人材養成が緊急の課題だ」と述べられた。
自立生活センターの果たすべき役割の大きさと、一方で仲間が過重な活動を担わざるを得ない厳しい現実をふまえた提起だった。
最後の発題として、全日本手をつなぐ育成会・常務理事の松友了氏から、障害者の親・家族という立場から、当事者概念について提起を頂いた。
「ICF関連の委員会や国際障害者同盟(IDA)等の会議で、当事者とは何か、その中に親や家族は入るのかといったことが議論になっている。
私たち知的障害の分野では、知的障害のある当人のことを英語では[Self-Advocate]と表現し、『本人』という日本語を使用している。彼/彼女らだけを『当事者』と呼ぶには、少なくとも親の間では抵抗がある。それは、親自身が『当事者』の一人であるという意識があるからである。
また、障害のある当人は『障害者自身』ではあるが、障害により発生する種々の課題に関しては、親(家族)も『当事者』であるという事実があるからである。これは、(ここで言う)知的障害が発達期の障害(発達障害)であり、それ故に家族全体が巻き込まれる、という構造的な前提がある。その意味では、他の発達障害も同様といえるであろう。
同時に、知的障害という障害特性の問題と、「発達期以降においても(成人してからも)親(家族)の扶養義務を求める現行の福祉制度が、親をして『当事者』意識をもたせる」と、家族全体が巻き込まれ、またそれを扶養義務として求める社会の中での親の自己意識についての提起があった。
松友氏は、当事者性を把握するに当たっての心理的な立場性を、次のように提起した。
「物事の判断に関して、心理的な『一人称』の立場性を、『当事者性』と規定し、きわめて重要な要素と考える。それは、客観的な事実や数量的デ-タを越えた、感情(情緒)的・主観的な実感であり、それゆえ『実存的な感覚』と表現することもできる」。つまり、心理的に「一人称的」的立場を持って受け止めているかが、当事者性の把握のポイントであるとした。
近年、医療モデルから社会モデルへの転換が進められてきている中で、親・家族の立場性をどう捉えられるかという問題意識が、今回の提起の背景にある。

障害者本人と家族、社会のバリアをめぐって議論

 以上の発題を受けた後、会場からの意見提起も交えての討論に移った。会場から出された意見としては、「当事者参画の意義は分かるが、障害者を排除している社会の側にどう気づかせていくかも重要ではないか。特に、医療機関では閉鎖的な環境になりがちで、バリアに気づきにくい」、「バリアフリーというが、まだまだ教育や就労の場面ではバリアの壁は厚い」といった、現状のバリアに対する批判的な意見が沢山出された。
現在、ノーマライゼーションやバリアフリーが理念としては掲げられることが多くなってきたが、まだまだ実態との乖離が大きいことを背景にした意見である。また、「『当事者としての親』との提起だが、知的障害や精神障害の場合は、障害者本人と親の意向が食い違うことが多い。そうした場合どう考えるか」との提起もあった。
これについては、脳性マヒ者の団体である「青い芝の会」が障害児殺し減刑嘆願運動に対する批判を行ったこと等の紹介が、松友氏からあった。ただ、その中で、障害児家庭のいわゆる「親子心中事件」は、決して「心中事件」とは呼べないこと、親が障害を持つ子どもを殺した上で、自らも自殺するということで、障害児殺し事件であること等の指摘もあった。生存の最も基本的な場面でも、障害者本人と親では立場が違うことの提起であった。
さらに、現実的な場面で言えば、いろいろな障害者関係の委員会で、親の意見が、いつの間にか、障害者本人の意見と同一視して取り扱われるという問題点もあげられた。本人の意見と、親・家族の意見はそれぞれ別であるという認識が一般的に不足している。
当日司会だった私は、これらの議論を非常に興味深く受け止めた。私は学生時代から障害者運動に参加しているが、今回の討論は、その当時の会合の議論を彷彿とさせた。その意味では、「古くて新しい問題」とも言える。今、あらためて自立とは何か、当事者とは誰か、障害者本人と親の関係は、といった基本的・原則的な部分に関わる論点をしっかりと押さえていくことが重要である。
国際障害者年以降提起されてきたノーマライゼーションやインクルージョンという考え方が理念レベルにとどまることなく、具体的な実践として進められていく局面に入っている。そして、それらの実践は、これまでの「保護・更生」という枠組みからの大きな転換を、本来伴うものである。そうした大きな枠組み転換を前にして、あらためて基本的原則を確認しながら、具体的な実践を進めていく大切さを再確認できたと思う。

「保護・更生」から「自立・権利」への枠組み転換を

 今回、シンポジストからも日本での自立生活をめぐる政策や運動の歴史について紹介があった。現在、自立生活運動として概括される取り組みは、日本ではすでに30年以上の歴史を持つ。
1970年代初頭は緊急施設整備5か年計画等に象徴されるように、入所施設整備中心の施策が進められていた。また、鉄道やバス等の交通機関での乗車拒否、レストラン、映画館等での入店拒否は日常茶飯事であった。
そうした当時の社会状況の中、障害者からの異議申し立てとして、自立生活運動は始まった。かつては、重度障害者の自立生活を求めることに対して、「異端の主張」と見なされることすらあった。1981年の国際障害者年とその後の「国連障害者の十年」、「アジア太平洋・障害者の十年」等によりノーマライゼーションの考え方が日本でも広く紹介されるようになった。ノーマライゼーション理念の浸透とともに、自立生活が当然の主張として認められるようになってきた。
また、1990年代に入ってからは、障害者基本法やハートビル法・交通バリアフリー法等、ノーマライゼーションの実現、障害者の参画にとって重要な法律も制定されてきている。しかし、これらの法律には、いずれも障害者差別禁止や権利規定が明記されていない。それは、単にそうした条項があるかどうかではなくて、問題のとらえ方、枠組みの問題である。
先述した通り、日本における障害者政策は、長年「保護・更生」をその基本理念にして進められてきた。そうした枠組みからの転換が求められる時期に、現在、私たちは際会している。
国際的な障害者権利条約の流れも追い風になり、障害者差別禁止法制定に向けた動きが、障害者はもちろん、弁護士などの関係者も含めた動きとして始まっている。これらは、いずれも、「保護・更生」という旧来の枠組みから、「自立・権利」という新しい枠組みへの転換を進めようとする試みである。
そうした枠組み転換の中にあって、冒頭にも述べた通り、自立・当事者参画は最重要とも言えるキーワードであることを再確認しておきたい。
自立については、分科会のシンポジストからの提起にもあった通り、自立概念の明確化・転換が重要である。これまでのADL自立、職業自立から、自己決定・選択を基本概念にした自立論に変わってきた(また、当事者の立場からすれば変えてきた)。そして、その変化の背景には、医療モデルから社会モデルへの転換があることをしっかりと押さえておきたい。自己決定を核にした自立をイメージする時に、社会との関わり、社会参画の中で捉らえておくことが、とりわけ重要だと思われる。自立の考え方は一定変わってきているが、実際の介護サービスの内容は、「居宅内での介護」に限定されがちで、社会モデルというには程遠い現状にあると思う。
また、当事者参画に関連して、今回、最終年フォーラムの一連の会議に参加して気づいた点がある。札幌のDPI世界会議を皮切りに、大阪、滋賀と国際会議が日本で相次いで行われた。それらの国際会議で共通してテーマになったのが、「障害者権利条約制定」である。そして、そうした障害者権利条約の議論の中で、“Nothing about us, without us”(我々の関与無しには、何も決めさせない)ということが繰り返し語られた。つまり、権利条約制定をはじめとする様々な決定過程に当事者参画を求めているわけである。
DPI世界会議で採択された「札幌宣言」では、障害者権利条約制定について、「我ら自身の声」、当事者参画を強く求めている。その部分を以下に紹介して、本稿を終えたい。

 「我々は、市民的、政治的、経済的、社会的及び文化的に於ける全般的な権利を反映した特定の国際権利条約を要求する。そして、条約の信頼性、正当性及び効率性を保証するため、障害者の独自な視座を反映させる強力なモニタリング機構を備えることを要求する。
我々は、この法律の作成にあたり『我ら自身の声』を要求する。我々に関するあらゆるレベルのあらゆる事項に関して意見が反映されることを要求する。」



10月22日 第25回研究大会
第3分科会:障害者を締め出さない社会-欠格条項について

牧口 一二
大阪フォーラム組織委員会副委員長
障害者欠格条項をなくす会共同代表

いつまで障害者を半人前扱いし、かつ危険視するのか

 われわれのシンポジウムは手話通訳、英語通訳、パソコンによる要約筆記と協力スタッフがそろって……いざっ、という段になって、英語通訳者から「通訳にはシンポジストの発言と同じぐらいか、それ以上の時間がかかりますよ」と言われて、進行役の私はドッキ。<それじゃァ5人のシンポジストに十分話してもらえない。そして会場とのやりとりなどできっこないよォ>とつぶやき、大いなる不安を抱きながらのスタートとなった。
ところが、アジア太平洋障害者の十年最終年記念「大阪フォーラム」という国際会議の一環だったが、英語が必要な参加者は(途中で何度か声をかけてみたが)結局、一人も来られなかった。進行役の私としては<助かったァ>けれど、喜んでいいのか(悲しむべきでしょうね)、外国では欠格条項に関心がないのか、やはり日本の状況がひどすぎるのか、ちょっと複雑な気分だった。
100年以上も見直されることなく放置されてきた障害者にかかわる欠格条項。この理不尽な法律の壁によって、いったい何人の先輩障害者たちが無念な思いに身を焦がしたことだろう。そのことを想うにつけ、これからの後輩障害者たちがもつ無限の可能性を摘み取ってはならない。子ども(特に障害児)は、不可能を可能に変える計り知れない力を秘めている。これこそ社会の共有財産ではないか。それを摘み取るような社会に未来はない、と断言できる。
このシンポジウムは、テープ起こしされて何かの機会に発表されるだろう(そうなることを願うほど深まりがあったように思う)。ぜひ多くの人に伝わってほしい。特に法律の是非を預かる国会議員と各省庁の人たちに。そして未来を生きる若き障害者たちに。
この稿では、シンポジウムの報告というより、司会を担当した私の思いを織り交ぜながら綴ってみたい。ゆえにシンポジストの発言は要旨にとどめることをお許し願いたい。

障害者の社会参加より、これは締め出しか

 シンポジウムはまず、全国の自治体を対象に行われた欠格条項の総点検キャンペーン、郵送によるアンケート調査(都道府県・政令都市:回収率56/59の94.9%および市区町村:回収率1,552/3,234の48.0%)、そのワーキングチームの瀬山紀子さんに結果報告をしてもらうことから始まった。
単なる自治体の条例・規則の点検にとどまらず、採用試験時に障害者への適切な配慮をしているか否か。公的住宅の入居や公的施設の利用、議会の傍聴などはどうか。また、条例・規則になくても実質的な制限の有無まで踏み込んで調べられていた。
瀬山さんの指摘によると、欠格条項はないものの、例えば採用試験の応募要綱に「活字印刷文による出題に対応できること」、「心身ともに健康である人」、「自力で通勤し勤務遂行が可能なこと」など、実質的な制限が多く見られるとのこと(表面的に否定しないで、障害者に余計な心配をさせるのはタチが悪いよ)。また「採用試験時の適切な配慮は?」との問いに「受験を希望される障害者がおられなかったので」との回答が結構あったらしい(必要なければ配慮しない、なんて他人事のよう。障害者を雇用したくないのかナ)。

基本的な環境まだまだ、まず整備が急務

 さて、いよいよ本題に入る。まず、「聴覚障害をもつ医療従事者の会」の舟田縁(ゆかり)さん。彼女は補聴器を使う。中学生の頃から、化学が好きで薬剤師を志すことになるが、「耳の聞こえない者には免許を与えない」という欠格条項にショックを受ける。でも、自分は補聴器を使えば対面の会話や電話も可能なので該当しない、と薬学系の大学をめざした。が、受験さえ拒否され、周囲の説得もあって、やむなく断念した。しかし、好きな道をあきらめ切れずに、紆余曲折のすえ、診療放射線技師をめざして国家試験に合格。今は放射線技師として9年目。だが、欠格条項のあいまいな文面に、もし免許を剥奪されたらという心配と恐怖がつきまとう、という。
患者、医師、看護師とのコミュニケーションに気を使う日々だが、それ以上に学会では専門的な知識をもつ通訳者がいないなど情報保障はまったくなく、何よりも主催者の理解が得られない。働きやすい職場にするにはこうした基本的な環境整備こそまず急がなければならないと強く訴えられた。
舟田さんは2001年2月に「聴覚障害をもつ医療従事者の会」を結成された。発足時の会員は9人、口コミで現在は24人。会員の状況はまちまちだが、共通点は聴覚障害者が医療現場で働く難しさだ。途中から耳が聞こえなくなって退職を余儀なくされた人は相当いると思われる。また、(欠格条項のため)近くに似た立場の先輩がいなくて孤立状態になり、聴覚障害の自分を責めている人もいるという。
「聴覚障害をもつ医療従事者の会」はどのようなサポートがあれば働きやすくなり、各自が能力を発揮したりできるか、会員相互が考え方や工夫について意見を交換した「事例集」を出版したく企画しているとのことである。
舟田さんがまとめに語られた「聴覚障害者として、医療従事者としての“自分探し”になればと願い、また、医療関係の資格取得をめざす聴覚障害の若い学生を支援したい」という会の趣旨が、私の心に強く響いた。

セルフコントロールは当たり前の常識

 次は、大阪精神障害者連絡会「ぼちぼちクラブ」の下村幸男さん。彼は19歳のとき、統合失調症と診断され、3ヵ月間精神病院に入院。退院後2年間ほど就職したが、ちょっとしたことで誇大妄想やそう状態になり、23~28歳の間に5回入退院を繰り返すことに。
その後、仲間の「陽だまりの会」と、歌声サークルで愛妻と、そして「ぼちぼちクラブ」と、さまざまな出会いで10年が経ち、今は病気が友達の心境。波はあるが、ありのままに生きていこうと思っている、とのこと。
欠格条項については、精神病院に入院中、運転免許証の更新で外泊する際、婦長が「ほんまはアカンのに」と言った。あとで欠格条項のことと知り、思い出すと腹が立つと。
状態が悪いときは運転など絶対しない。非常に悪いときは外出もできない。「飲んだら乗るな! 乗るなら飲むな!」の精神を貫いている。こんなことは精神障害者なら当たり前の常識で、つねに自分の症状と向き合ってセルフコントロールしている。薬が効きすぎるときも運転しない(薬をきちんと飲んでいるから運転できるが)。「命が惜しいし、それより人を傷つけるのが怖いから」と語られた。
今回の「欠格条項見直し」で、下村さんは自分の状態が絶対的欠格(門前払い)に当たるのか不安になり、「運転免許証と精神障害者手帳を一緒に持ち歩けないなぁ」と言われる。彼はバイク歴20年、「違反も事故も人並みにやってきた」と言いながら、どんな大きなバイクでも乗れる免許証が自慢のようで、「かなり自慢しています」と会場を笑わせた。今は授産施設で作った弁当をミニバイクで配達している。「仕事上とても大切な免許証、愛する妻とドライブするための免許証、ヨメさんの次に大切な(「次にですよ」と念を押し)免許証」と、またも会場を笑わせて、最後に「なぜ、精神障害者イコール危険なのか」と怒りを込めて締められた。
2002年6月の道路交通法の改正で、絶対的欠格から相対的欠格(場合によっては認める)になったものの、医師の診断書などが必要となった。「絶対に事故を起こす可能性なし」と証明できる医師などいるわけがない。欠格条項を知らないまま免許証を取得し、車で仕事をしている精神障害者が多いと思われる。免許証を奪われれば死活問題である。医師の診断書が必要となれば、やむなく通院をやめ、薬がもらえなくなる人もでてくるだろう。悪循環になる。今回の改正は見直しの趣旨に逆行した「改悪」と言わなければならない。

最初から「危ない、ムリ」と決めつける

 3人目は、肺高血圧による心臓機能障害で在宅酸素療養中の岸本めぐみさん。彼女は現在、自宅で建築用コンピュータ製図(CAD)の仕事をしている。あまり動けない体だからこそ車の運転は暮らしに大きな比重を占める。仕事のほか、好きな音楽のグループ活動、視覚障害の夫とのドライブに欠かせない。
子どもの頃、ヘレン・ケラーの先生サリバンに憧れ、中学生の頃に子どもを産めない体と知って、教師という仕事への思いがいっそう募る。けれど学生時代、階段は2階で息が上がり、体育も半分は見学、遠足も別ルートでついていく状態。でも、教師になれば自分と同じような体のしんどい子らの対応にまわる役割があると信じていた。
府立高校で数学の講師を3年間しながら、教員試験に5回挑戦するが、面接で「教師の仕事は体力が一番。遠足の引率ができますか」などの質問が相次ぎ、教師への道をあきらめざるを得なくなる。その折、「教師」という職種が障害者の雇用率から除外されていると知り、強い疑問を抱かれた。「子どもたちの共育の場がこんなことでいいのか。障害者が排除されて当然になってしまう」。
その後、車の普通免許を取得されて障害者の職業訓練の仕事に就く。1998年に体調が悪化して在宅酸素療法を取り入れる。
そこで、2001年4月、酸素ボンベを持って免許の更新に出向くと、「突然、別室に呼ばれて…」からの経過は臨場感があった。
突然、別室に呼ばれて、「原付には乗れませんね」と。「乗れます」と抵抗すると、アクセルやブレーキが指示通り踏めるか調べられて、非常に動揺(車の免許を奪われたら、どこにも行けなくなる)。その後、「三輪か四輪でないと危ない」と何度も繰り返され、私の話は聞き入れられず、言う通りに書くよう誓約書まで取られる。見た目だけの判断で決めつけられ、肝心の原付適性検査は一切なかった。実際に「限定付き」免許証を手にしたとき、言いようのない悔しさと悲しさに立ちすくむ。原付は16年もの間、通学、通勤、どこへ行くにも一緒だった大切な足だ。
しばらくして、夫や視覚障害の友人に「絶対おかしい」と言ってもらえ、免許を取り戻す気力が沸いてきて免許試験場に電話したが、「処分や対応は間違っていない」の一点張り。途方にくれていた頃、インターネットで「障害者欠格条項をなくす会」の存在を知る。
夫と友人、「なくす会」の人々に励まされ、結局、弁護士にも相談できて診断書を添えて異議申立書を提出。やっと要望が認められ、原付の適性検査のあと、ついに「限定なし」を奪い返す。
その際、免許試験場の所長に「酸素ボンベを持っているだけで偏見をもたないよう、指導を徹底すること」を約束させたと付け加えられた。
岸本さんは言う。教員資格と車の免許、2つの体験から世の中が障害者をどのように見ているのかをいやというほど実感した。障害や病名に先入観をもち、最初から「危ない、できない」とレッテルを貼る。そのため免許が更新できなくて、苦しい期間を強いられたが、決して一人ではできなかった。多くの支援と励ましのおかげだ。それと何よりの収穫は、「障害者を思い込みで判断するのは間違っている」と考える人々が大勢いると知ったことである。最後まであきらめないで本当によかった、私も欠格条項の撤廃を訴え続けていくと力強く結ばれた。
さまざまなところに欠格条項がある。「あれもダメ、これもダメ」と締め出すより、「どうすれば可能になるか」を考えるべきだ。できる方法を模索もしないで、ただ制限を加えるのは安直で、許せない人権侵害である。

急がれる「差別禁止法」との連動

 ここで3人の発題を受けて、「障害者欠格条項をなくす会」事務局長の白井久美子さんが、現状認識とこれからの課題を語られた。
この4年、多くの省庁と話し合ってきたが、もし欠格条項をなくすと、「能力に劣る者」や「危険な人物」がなだれ込むかのように錯覚する人が多かった。まさに偏見である。国家試験など幾重ものハードルがあって、法律の縛りがなくなったからと言って、すべての障害者が医師になるわけがない。「なぜ、障害者に限って試験に合格してもダメなのか」と説明を求めても、合理的な答えが返ってきたことがなかったとのことである。
今、政府が見直しの対象にしている63制度は、欠格条項を全廃したもの、絶対的欠格から相対的欠格にしたもの、逆に細かな条件を付けて締め付けを強化したもの、と結果は大きく異なっている。例えば、栄養士や調理師の条項は全廃したが、医師法や診療放射線技師法などは絶対欠格から相対的欠格に移行しただけである。道路交通法は、見直し本来の趣旨(障害者の社会参加を促す)に逆行して権利制限を強めた。こういう結果になったのは、欠格条項の見直しを打ち出した政府の方針があいまいで、判断を各省庁に委ねてしまった反映であると、ここ数年の政府の動きを総括された。
これからの課題については、2003年から10年間の「新障害者基本計画」の中でも「(1)欠格条項見直し作業を継続し、各省庁に任せず、政府としての明確な方針を示し、包括的な作業を行う中枢機関が必要。(2)相対欠格となったものは5年後には廃止する方針を。(3)検討委員に知的・精神障害者が一人もいないのは問題であり、政策検討の過程からの参画を」と内閣府に提起しているとのことである。
また、欠格条項をなくす方向と密接に連動している障害者権利条約や差別禁止法の制定が重要な意味をもつ。これらは国際的な流れにもかかわらず、日本ほど数多くの差別法が横行している国は他にない。排除されないだけでなく、必要なサポートは当然の権利として、「サポートを行わないことも差別」と明記した「差別禁止法」の制定が急がれる。まだまだ問題が山積みしていて、これからが大切な時期だと語られた。

教育や福祉の専門家も人権意識が低い

 少しの休憩をはさんで、会場の参加者とシンポジストの質疑応答に移った。会場には聴覚障害の方が多かった。欠格条項の問題に早くから取り組んできたのは、聴覚障害者たちである。
まず、全日本ろうあ連盟の人から、日本全体の人権意識の非常な低さ、そしてまた、教育者や福祉専門家の人権意識もそんなに高くないとの指摘があった。
なぜ、日本では人権意識が育ちにくいのだろうか。「権利」になじみにくい体質がある。今も障害者や高齢者、そして子どもの問題は「福祉」の枠組みで語られることがほとんどだ。福祉そのものは悪いものではないが、日本では「人権」をごまかす意味で使われることが多いように思われる。
「勇気づけられた」、「勉強になった」、「励まされた」など好意的な感想が目立ったが、それだけ問題が切実になっていると感じた。
舟田さんたちの「聴覚障害をもつ医療従事者の会」から出版予定の「事例集」への期待が大きく、いつ完成するのかと問われた。「どんなに急いでも1年後。資金の準備もこれから。ただ、付帯決議で5年後に(あと4年後)欠格条項が見直されることになっていて、なんとしても間に合わせたい。実際に資格をもつ聴覚障害者の工夫やサポートのあり方は、後輩の参考になり、また行政に働きかける際の非常な武器になる」と舟田さん。資金援助を申し出る聴覚障害者の団体が現れて、エール交換をしていた。いい本を作ってほしいと心から願う。

障害者が事故を起こしたら、被害者は…

 下村さんの発題を受けて、聴覚障害者からも運転免許の危機を訴えられた。「現実問題として、ある人の子どもが交通事故で死亡した場合、加害者に聴覚障害があると分かると、どうしても障害が原因にされてしまう。いくら別の問題と言っても、まだまだ被害者の家族にきちんと分けて考えてもらえるほどの意識が広がっていない。どこまで説得できるだろうか」という、つらい重い発言だった。
下村さんは、「ボクも事故ったら、精神障害のせいにされるだろう。だからと言って、『おとなしくしていろ』と言うのは違うと思う。でも、分けて考えてくれる人が必ずいると思う」と熱っぽく語られた。
被害者の家族はもとより、市民も感情的になるだろうが、冷静に考えてくれる人を増やさなければならない。それには、こうした話し合いを何度も何度も繰り返していくしかない。下村さんが言われるように、冷静に判断できる人は必ずいる。
考えられない奇異な事件が起こると、われわれは原因を探りたくなる。二度と起きないことを願ってのことでもあるが、不安を解消したいからでもある。このとき予断と偏見が恐ろしい。じっくり構えた冷静さがほしい。
障害者にかかわる欠格条項は、予断と偏見から生まれた。法律の立案者たちが、例えば目を閉じて、全盲者には「あれはダメ、これはムリ」と決めたにすぎない。法律で締め出さなくても、社会の安全を維持するには別のさまざまな、より的確な方策があるはずだ。
法律は、「取締り」のみで機能している、との錯覚を、多くの市民が抱いているのは悲しいではないか。法律には、一人ひとりの暮らしを応援し、幸せを育てる役割もあるのだから。 



10月22日 第25回研究大会
第4分科会:障害者プランの現状と新障害者プランへの課題

楠 敏雄
DPI日本会議副議長

はじめに

 今年(2002年)は、私たち日本の障害者運動にとって、最初の大きな分岐点の年となった。
まず、今年は1993年から始まった「アジア太平洋障害者の十年」の最終年にあたり、この10年間の取り組みの評価と、今後の「新十年」に向けた課題に関する検討が進められてきた。また今年は、4年に一度開かれる「DPI(障害者インターナショナル)」の第6回世界大会が10月15日から札幌市で行われ、それに続いて10月22日からは、RNN(アジア太平洋障害者の十年推進NGO)会議が大阪において開催された。更に、これにRI(リハビリテーション・インターナショナル)のアジアブロックレベルの集会などを組み合わせて、「最終年記念フォーラム」として大々的に実施された。
一方、日本政府が93年の障害者基本計画に基づいて95年に数値目標を盛り込んで発表した「障害者プラン」も最後の年を迎えており、今後の「新障害者プラン」の策定も間近に迫っているといわれている。私たちとしてもこの政府の新しいプランを念頭におきつつ、当事者側からのより積極的な提案を準備する必要がある。
また同じく93年の改正によって、かなりの前進がみられたとはいえ、権利性の欠如など多くの課題が残されてきた「障害者基本法」についても、その抜本改正や新たな「障害者差別禁止法」の制定も求められている。この他、DPI世界大会の主要なテーマの一つである国連レベルの「障害者権利条約」に関しても世界各国の障害者と連携した働きかけを強めなければならない。
このように山積みの重要な課題を前に、今年から来年にかけて私たち日本の当事者運動は文字とおりその力量と真価が問われる時といっても過言ではない。

第4分科会の報告と討論から

 「最終年記念フォーラム」の行事の一環として持たれた「第25回総合リハビリテーション大会」は、障害を持つ当事者の主体性を重視しつつ、学識経験者や現場の専門家などの共同の企画立案によって、「共に生きる地域づくり(“Inclusive Soceity”)」をメインテーマに4つの分科会が持たれた。すなわち、第1分科会ではバリアフリーの課題、第2分科会では自立生活運動の課題、第3分科会は欠格条項について、そして私がコーディネーターを務めた第4分科会は、「障害者プランの現状と新障害者プランへの課題」をテーマに充実した討論が展開された。
第4分科会においては、冒頭に「DPI日本会議」の金政玉氏と、「全障連(全国障害者解放運動連絡会議)」の姜博久氏の2名が当事者の立場からレポートを行った。金氏は市町村障害者計画の策定状況を報告したが、氏によると2002年5月現在で都道府県および政令都市の95%が障害者計画を策定しているものの、市区町村では83%であり、この内具体的な数値目標を盛り込んでいるのは66%にとどまっているとのことである。
更に、障害者の単独の計画を策定している地域となると3分の2以下の2,089市町村しかなかった。また、北海道、佐賀、神奈川の3道県内の市町村では、未だに計画の策定率が50%に届いていない有様であった。これらの計画策定にあたって、何らかの方法で実態把握を実施したところは7割近くあるものの、障害を持つ当事者委員や障害者関係団体を加えた「障害者施策推進協議会」を設置しているのは、3分の1程度であり、さらに当事者委員は全国で200人しか参加しなかったと報告されている。このような障害者フォーラムの調査や内閣府からの発表をみても、障害者計画の内容が未だに極めておざなりであり、私たちとしては今後の計画の内容の抜本見直しと、そのための当事者参画の徹底を各地域ごとにしっかりと求めていく必要があろう。
金氏の報告を受けて姜氏は、各種のサービスを利用する側の立場から、市町村間で、質、量ともに著しい格差があること、施策が依然として縦割りで障害者のライフステージに対応するものとなっていないこと、当事者参画のシステムが未だに未確立であり、しかも参加する代表が旧来の団体を中心とする形式的なものとなっていることなどを指摘した。
3番目のシンポジストとして発題した弁護士、「大阪アドボカシー法律事務所」の池田直樹氏は、アドボカシーを法的に推進する立場からまず権利擁護を4つのプロセスに分類した。すなわち、手続きや交渉などを支援する権利行使、証拠保全や訴訟といった権利侵害からの救済、マスコミなどメディアを利用した権利の広報、そして権利の制度化などに向けた運動など、新たな権利の創出である。次に権利行使を主張する対象としては、年金や生活保護などの制度の適応を決定し運用する国や自治体などの行政機関、住宅、雇用、移動、施設利用などの社会資源の活用、扶養、相続、財産管理といった家族関係が挙げられる。更に、権利侵害の温床となりやすい入所施設の課題として、専門家主導の運営のあり方の見直し、第3者評価など利用者を孤立させない外部からの声を反映させるシステムづくり、職員の質の向上やチェック体制のコンプライアンスルールの確立、権利章典の公表などの重要性を指摘した。また、行政サービスなどの社会資源を利用者が有効に権利として活用する上での課題としては、行政手続の簡素化と簡便な利用の推進、行政関連情報のスムーズかつ容易な入手方法の確立、権利侵害の救済時の担当者や窓口などのシステムの確立、更に権利擁護アドバイザーをどこでどのように育成するのか、地域に密着した当事者などNPOとどのように連携するのか等々の課題が出された。
続いて報告に立った大阪市障害者就業・生活支援センターの小林茂夫氏は、就労支援の立場から幾つかの重要な提言を行った。氏はまず基本計画の一つに、より明確に雇用・就業促進の政策を位置づける必要性を強調し、そのために雇用率達成に向けた年次計画の推進、雇用率適応除外制度の緩和に伴う雇用創出、「障害者生活就業センター」など支援施設の計画的拡大、地方自治体レベルでの就業政策の確立を訴え、更に厚労省としての障害種別や課題の枠を超えた総合的、一体的支援方策を打ち出すべきことを前提に、特例子会社の奨励策、就業支援センターの機能強化策、「企業内授産」の拡充、能力開発とスキルアップのためのシステムづくりなどの具体的施策の必要性を強調した。
5番目の発題者の兵庫県立リハビリテーションセンターの澤村誠志氏は、欧米諸国の障害者施策の実情と日本の施策を対比しながら、障害者プランのあり方について鋭い指摘を行った。氏はまず日本の福祉関係の予算、とりわけ在宅福祉に関わる予算が北欧やカナダ、英国などと比べて著しく低い点を指摘し、グループホーム、福祉ホームなどの社会資源や、ホームヘルパーなどの人材を育成するためにも在宅ケアへの思い切った政策転換が必要であると訴えた。更に地域リハビリテーションの推進の観点から、幼児期からターミナルケアに至るライフステージに対応するために縦割行政の打破が急務であるとし、その上で日本の政治家のノーマライゼーションの理念にたった明確なポリシーと差別禁止法の制定が不可欠であると強調した。
最後のシンポジストとして発言した関西学院大学教授の大谷強氏は、新しい障害者プランにおいては、ICF(国際障害分類)という新たな障害概念に則したものでなければならないこと、及び日常生活の豊かさを実現しうる市民的な計画を目指すことの2つの重点的方向を提起した。一点目に関しては、「国際高齢者年」の5つの原則である自立、参画、ケア、自己実現、尊厳などとの関連を重視し、とりわけ活動力(Activity)と参加(Participation)に力点をおくことを強調、また第2点目については、当事者が自己選択に基づいた活動を行う多様の機会と場を用意すること、社会の中で多種多様な人々と係わり合い自己実現を実感できる雇用、就労の支援、自由に行動し、充実した生活を送る街づくりの具体化を促した。
6名のシンポジストによる報告や提起はいずれも極めて重要な内容で、それらを2時間半の時間内で掘り下げることは困難であったが、コーディネーターからのまとめとして今大会の成果を踏まえ、当事者と専門家による連携を深め、政府、行政の側に、障害者が地域でより豊かに安心して生活できる障害者プランを打ち出すように求めていく必要があること、それと並行して「障害者基本法」の抜本改正や「障害者差別禁止法」の制定など、法整備を図ることを分科会参加者の総意として確認した。

「障害者プラン」の実績と評価

 1995年に政府が打ち出した「障害者プラン(ノーマライゼーションプラン7ヵ年戦略)」は、それまでの施設収容中心の施策から地域福祉、在宅福祉へとかなりの修正を試みたことが見てとれる。このことは、「各施策分野の推進方向」の項目においてより顕著である。すなわち、最も強調されている冒頭の項目では、「地域で共に生活するために」というテーマが設けられ、その中では住まいや働く場、活動の場の確保、地域における障害児療育システムの構築、介護などのサービスの充実、障害者施設体系の見直し、社会参加の推進などが掲げられている。数値目標がはっきり示されているのも、これら最初の施策に関連してある。
例えば在宅サービスの中の障害者向けホームヘルパーについては、平成14年の目標値45,300人に対して、13年の実数で高齢者ヘルパーとの専任分も合せると、5,6407人となっており、達成率は125%とされている。また、ショートステイについては13年末が3,636人分で、目標の4,650人分に対して76%の達成率となっている。更に、グループホーム、福祉ホームについては、目標値が20,060人分とされたのに対し、前年末で18,788人分で達成率は94%と報告されている。
これに対して、利用者の地域生活拠点ともいえる市町村生活支援センターなどの設置状況を見ると、身体障害者に関するセンターは設置目標690ヵ所に対して13年末で215ヵ所とわずか31%に過ぎなかった。また、知的障害児(者)の地域療育等支援事業は同じく690ヵ所の目標に対して13年末で390ヵ所と57%にとどまっており、更に精神障害者地域生活支援センターについては、650ヵ所の目標に対して296ヶ所46%というありさまである。これに反して、施設サービスの面では身障療護施設が25,000人分の目標に対して、24,195人分が整えられ、更に知的障害者更生施設については95,600人の目標に対して101,040人分と目標数を超える設置率である。
次に、目に見える形で実績が示されている施策としては、生活環境に関わる項目である。中でも鉄道駅舎へのエレベーターやエスカレーターの設置は1994年のいわゆる「ハートビル法」の施行や各自治体レベルでの「福祉のまちづくり条例」制定の影響も受けて、かなりの成果が報告されている。これをハートビル法の対象とされている一日の乗降客が5,000人以上、地上から5メートル以上の駅舎に限って比較してみると、まずJR関係6社の合計では、エレベーター設置対象駅が692駅の内で、実際に設置した駅は2001年3月現在で309駅設置率34%、エスカレーターは366駅設置率は39%であった。一方大手民鉄15社の合計751駅中、エレベーター設置駅は352駅で42%、エスカレーターは439駅58%だった。更に営団および9つの公営地下鉄については、548駅中エレベーターは396駅、エスカレーターは514駅とされている。また中小の民鉄では、全国の180ヵ所の対象駅中エレベーターの設置駅は85ヵ所、エスカレーターは110駅となっている。
障害者の自立と社会参加を阻むバリアの除去を最重要の目標とした「障害者プラン」だったが、最も成果があがりにくく、しかも評価の困難な課題が「心のバリア」、すなわち国民の意識であろう。2001年9月に内閣府の行った世論調査によると、「ノーマライゼーション」という理念を理解している人はわずか21.7%に過ぎず、障害者と直接関わった経験のある人も58.8%にとどまっていた。また、家庭で障害者の問題を話題にしたことがある人は56%、ボランティア活動などへ機会があれば参加したいと答えた人が65%だった。ただ、「ノーマラーゼーション」の考え方を支持するか否かについては、80%の人が支持すると答えており、また身内に障害者がいるとか、障害者に関連する仕事をしている人も合せて50数%おり、働きかけ次第では偏見や心の溝を埋めることは十分可能と思われる。
このように「障害者プラン」に掲げられた施策については、数値目標の達成率で見る限りかなりの成果が上がっていることは確かであろう。しかし、95年当時に出されたホームヘルパーやグループホームなどの地域生活支援のための数値目標自体が非常に低く設定されており、当事者運動の立場からすればこうした結果のみから手放しで評価することはできない。現に今なお地域の社会資源が乏しいために、孤立した在宅生活や隔絶された施設での生活を強いられている多数の障害者が存在しており、私たちはこのような現実から目を逸らすことはできない。
厚生労働省はこの間ようやく、「施設からの地域移行」の方向を打ち出したが、長年にわたる隔離主義、保護主義の流れを変えることは、それほど容易ではない。私たちは「障害者プラン」の評価を行う上で、これまでの歴史的背景をしっかりと総括しておく必要がある。一方、駅舎へのエレベーターの設置や点字ブロックの敷設、道路の段差の解消など、物理的障壁の改善については、確かにかなりの進展が見られるように思われるが、公営地下鉄や大手民鉄に比較してJR各社の取り組みは依然として遅れており、ITの情報面における格差の問題も含め、障害者や高齢者にとってバリアフリー社会の確立にはまだまだほど遠い状況にあると言わざるをえない。

「新障害者基本計画」の特徴と残された課題

 現在日本政府は21世紀の「少子高齢化」や「福祉の基礎構造改革」、さらには「支援費制度」の導入に対応すべく、2003年から12年までの10年間の障害者施策の基本方向を示す「新障害者基本計画」の策定作業を急いでおり、各都道府県などにその素案を提示している。

1)素案の基本的骨格

 「素案」においては、基本的方針として、(1)社会のバリアフリー化の推進、(2)利用者本位の支援、(3)障害の特性を踏まえた施策展開、(4)総合的且つ効果的な施策の推進の4点を掲げているが、この内(2)の「利用者本位」は言うまでもなく、「支援費制度」を踏まえた内容である。また、(3)についてはこの間指摘されてきた「縦割り行政の弊害」を意識したもので、行政機関相互の連携、広域的・計画的施策の推進、施策体系の見直しの3つの方向が示されている。
次に、重点的に取り組まれるべき課題として、(1)活動し、参加する力の向上-リハビリテーション、ユニバーサルデザイン化の促進、IT革命への対応など、(2)活動し、参加する基盤の整備-自立生活のための基盤の整備、経済自立基盤の強化、(3)精神障害者施策の総合的取り組み、(4)アジア太平洋地域における域内協力の強化(新十年への対応)の4つのテーマを取り上げている。
一方、分野別施策については、これまでの計画よりも一層きめ細かく提起されており、啓発広報をはじめとする8つの項目に分られているが、中でも(2)生活支援、(3)生活環境、(5)雇用就労、(7)情報・コミュニケーションの施策については、従来より積極的な内容が目につく。次に、これら特徴的な施策について検討を加えてみたい。

2)生活支援

 生活支援では「支援費」のもとでの「利用者本位」の生活支援体制の整備をめざして、新たに「ケアマネージメント」の体制と従事者の育成が打ち出され、それらの相談窓口として、障害種別にこだわらぬ総合的な運営が明記されている点は注目に値する。また、地域における財産管理など、地域福祉権利擁護事業や人権侵害への対応がより一層強調されている点も評価できる。更にこれまで軽視されがちであった障害者団体や本人活動への支援が明記されたことの意義は非常に大きい。すなわち「様々なレベルでの行政施策に当事者の意見が十分に反映されるようにするために、当事者による会議、当事者による政策決定プロセスへの関与などを支援することを検討する」という文章は、これまでの政府の姿勢をようやく転換する兆しが覗えるものとして評価できよう。ただ、これまでややもすると「形式的な参加」や「一方的な陳情行動」に終始しがちだった当事者参加のあり方、とりわけ施策決定プロセスにおける当事者の位置づけや役割に関しては、ほとんど具体的な記述はされておらず、大いに不満の残るところであろう。

3)在宅サービスの充実

 在宅サービス関連の施策では、ホームヘルプサービスの量的、質的拡充のための事業者の育成と、障害特性を理解したヘルパーの養成研修が重視されている。更に、住居の確保としてグループホーム、福祉ホームの量的、質的充実や地域での自立生活を支援するための情報提供、訓練プログラムの作成の他、ここでも改めて当事者による相談活動の必要性が強調されている。また、精神障害者の地域生活支援のための「ケアマネジメント」の活用や退院促進に向けたサービスの整備、当事者による相談なども新たに掲げられ、更に盲、聾者、難病患者など、各種障害への対応も記述されている。しかし、現在の「障害者プラン」で示された様々なサービス量の数値目標に対しては、的確な検証がなされていないため「拡充」という言葉が、単なる努力目標に終わるのではないかとの懸念も残る。中央政府はもとよりいずれの自治体においても「財政難」ばかりが口にされ、「サービスは事業者まかせ」といった傾向が顕著だからではなかろうか。

4)施設サービスの再構築

 「『障害者は施設』という認識を改めるため、保護者、関係者、および市民の理解を促進する」。これは施設サービスの再構築という施策項目の中で記されている文章であるが、これまでの厚労省関係の文章ではほとんど見られなかったものである。更にここでは「障害者本人の意向を尊重し、入所(院)者の地域生活への意向を促進するため地域での生活を念頭においた-中略-援助技術の確立などを検討する」とも書かれている。更に「入所施設は地域の実情を踏まえて、真に必要なものに限定する」とか、「障害者施設は各種在宅サービスを提供する在宅支援の拠点として地域の重要な資源と位置づけ-後略」など、耳を疑いたくなるような内容が記載されている。
施設サービスのあり方を見直し、地域生活への移行を促進する上で、最大のネックとなるのはやはりこの素案でも指摘されているように、「保護者、関係者、市民の理解」であろう。「親なき後は、安定した基盤の入所施設で一生預かってほしい」という家族の強いニーズや、「障害者は自分たち専門家の管理と指導の下で、生活し訓練するのが最適」と捉えがちな施設関係者の意識を変えることは決して容易なことではない。また、介護サービスやグループホームなど、地域生活のための条件整備も不可欠なことは言うまでもなく、こうした課題に関してもより具体的に新プランの中に盛り込まれるべきであろう。

5)生活環境

 生活環境の関連では、この間の「交通バリアフリー法」の制定や「ハートビル法」改正を踏まえ、バリアフリー社会やユニバーサルデザインの一層の進展を図るべく「住宅、建築物、公共交通機関、歩行空間等生活空間のバリアフリー化を推進し、自宅から交通機関、街中まで連続したバリアフリー環境の整備を推進する」と力の入った記述をしている。具体的な項目として目につくのは、バリアフリー化された住宅ストックの形成、窓口業務を行う官庁施設の障害者等全ての人の利用に配慮した高度なバリアフリー化の推進、鉄道駅、バスターミナル、航空旅客ターミナル、鉄道車両などのバリアフリー化の推進、単独では公共交通機関を利用できないような障害者などの移動の確保のためのSTSの活用、ITS(歩行者のための道路交通システム)の研究開発などである。
今後の課題としては、これらバリアフリー関連の様々な成果をどこでどのように検証するのかという点である。各自治体や個々の民間事業者に委ねていては一体的な改善は計られない。「重点地区構想」の進捗状況を障害者など利用者の参加によって、定期的に点検を行うシステムを市町村レベルでしっかりと確立する必要がある。

6)その他の施策の特徴と問題点

 積極的な施策の転換の方向が見られる上記の施策項目と比べると、教育、育成の施策はほとんど変化が見られない。時代の流れに対応した「特殊教育のあり方」に関する審議会などの答申を受けて、わずかに「特別支援教育」や「個別支援計画」といった観点が取り入れられているものの、全体の流れは相変わらず旧来の「特殊教育」の枠組みから一歩も出ていない固定的な分離教育の路線を堅持しているように思われる。文部科学省が当事者の願いを踏まえて、一日も早く「サラマンカ宣言」など国連諸機関の勧告に基づいて、「原則統合」へと転換を計るよう強く求めたいものである。
雇用、就労の施策では、一向に進展しない民間企業の法定雇用率に相当の焦りを抱いていることが窺えるが、「雇い入れ計画の策定命令などの指導の厳格化」などを記述している以外には、有効な施策は出されていないように思われる。一方、遅れている精神障害者については、「雇用義務制度の対象とするための検討を進める」とし、また採用後の発病者に対しても「円滑な職場復帰」と雇用安定のための施策の充実を計るとしている。更に、除外率制度についても欠格条項撤廃の影響もあり、「2004年度より段階的に縮小を進め、一定の準備期間をおいて廃止を目指す」と明言している。
雇用部門で特に注目すべきは、総合的な支援施策の推進の項において、福祉、教育など諸機関との連携や、「障害者就業生活支援センター」を通じた支援、「ジョブコーチの活用」など、重度障害者への一貫した就労支援システムの構築に踏み出そうとしている点である。また、障害者の雇用形態の弾力化やトライアル雇用の促進、授産施設、小規模作業所など「福祉的就労」との連携といった施策も重要であろう。
その一方で、こうした就労支援システムをどのように活用し、各企業へ派遣できる体制やノウハウをどのように蓄積していくのかなどが、より明確化されなければならないだろう。
情報コミュニケーションに関しては、情報のバリアフリー化を推進するために、障害者のIT活用を支援する技術者の養成の他、ISOやICなど障害者に使いやすい情報通信機器、設計指針のガイドラインの作成が強調されている。更に社会参加促進のための情報手段として、選挙の際の電子投票、SOHOやテレワークなどの活用による就労のための取り組みの推進などもあげられている。しかし、この新プランでも指摘されているように、障害の種別や地域間によっていわゆる「デジタルデバイド」を生じさせないようにするための総合的なシステムの確立が不十分であり、個々の障害者のニーズに対応した情報提供やより木目細かな指導体制の確立などが急がれなければならない。