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「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念フォーラム 大阪フォーラム報告書

10月23日【RI/RNN/総合リハ 合同プログラム】

-アジア太平洋障害者の十年における成果のレヴューと今後の課題-

Narong Patibatsarakich(ナロン・パティバツァラキ)
前タイ上院議員 タイ

 タイにおいては、政府とNGOは緊密な協力のもとに活動している。
タイ社会福祉協議会(NCSWT)は、ソーシャルワークを実施している民間団体間の調整や障害関連団体が実施するリハビリテーションへの支援を主な目的とする非政府組織である。協議会は、障害をもつ人々に対する支援とリハビリテーションの実践の場として、グッドウィル・インダストリー委員会を持つ。
政府およびNGOの支援を得て、障害をもつ者とその家族は、居住する地域社会に積極的に関わるようになってきた。雇用と教育の機会の増大とともに、より積極的かつ生産的に、社会生活に参画するようになった。
もっとも大きな成果は、世界人権宣言50周年に際し、1998年12月3日に承認され、前首相が署名した「障害をもつタイ人の権利宣言」である。
以下に、障害をもつ人々に関するタイの成果を幾つか例示する。

  1. 政府は、1999年を「障害をもつ人々の教育年」と提唱した。また、文部省は、研究の実施、カリキュラムの策定、教材の開発、人材の教育、アドバイスやカウンセリングの提供、施設の提供等の支援を行う障害者教育情報センターとしての役割を担う、13の地方特殊教育センターと、63の県特殊教育センターを設立した。
  2. 政府は、2002年を「障害をもつ人々の雇用促進年」と定めた。障害をもつ人々は、以前に比べて高い生活水準と、より良い雇用機会を得ている。
  3. 自立生活の概念を推進するために、1998年、シリントン国立医療リハビリテーションセンター内に、自立生活技能訓練ユニットが設立された。このセンターが特に力を入れているのは、治療およびリハビリテーション制度・水準の発展、医療リハビリテーション技術・知識の向上、および独立した生活を助ける支援の提供である。また、現在は補装具等の支援機器を開発するために、タイのみならず近隣諸国の専門家を訓練する、アジア太平洋補装具専門家カレッジを設立する計画に取り組んでいる。
  4. 全国IT委員会の下に、障害をもつ人々・恵まれない人々のためのIT小委員会が設けられた。小委員会の任務は、障害をもつ人々がたやすく利用できるような技術の開発と、補助具や支援機器を利用するためのサービスの提供である。
  5. 障害をもつ人々の苦境について一般の人々を啓発する重要な活動として、毎年11月はじめから12月3日まで、国際障害者の日を祝う様々な行事が実施される。障害関連NGOや自助組織の参加も奨励されている。
  6. 1999年にフェスピック・ゲームが成功したことを受けて、政府は、1999年以降、毎年の国内スポーツ大会開催県は、同じ会場で障害をもつ人々のためのスポーツ行事を開催することと定めた。
    2003年1月16日~19日、タイ・スポーツ機構が、国内障害者スポーツ大会をチェンマイにおいて開催することになっている。
  7. 国際レベルでの貢献として、タイと日本政府が協力してタイに設立する、アジア太平洋開発センターがあげられる。このセンターは、障害をもつ人々と関連機関のための情報センターであり、アジア太平洋地域における地域協力の中心としての役割も担うことになる。
    また、タイ社会福祉協議会は、社会福祉局と協力して、2006年に第13回RIアジア太平洋地域会議を主催することを提案した。

アジア太平洋障害者の十年の評価とポスト十年への取組み

Chung Duk Whan(D.W.チャン)
エデンハウス 韓国

 私は35年前、大韓民国の国家代表柔道選手として活躍していたが、1972年、練習中に思わぬ事故で全身麻痺、障害者となった。その後、約11年間にわたり職業的重度障害者の職業リハビリテーションの必要性を切望していたが、83年10月頃にエデンハウスという職業リハビリテーション施設をスタートすることになった。

最初は3坪程度の小さな店舗から始め、現在は、社会福祉法人エデン福祉財団を設立し、職業リハビリテーション施設エデンハウス、エデン障害者総合福祉館、職業リハビリテーションセンター・エニーハウス、職業リハビリテーション研究所、エデン障害児ハウス、青少年読書室を運営している。
職業リハビリテーション施設であるエデンハウスを簡単に説明すると、86名の障害のある勤労者と28名の職員が、勤労基準法に従い最低賃金以上の給料と退職金を得ている施設である。エデンハウスはゴミの分別が簡単にできるような環境にやさしいゴミ袋を生産し、政府・市・軍・区に納品している。

今回、この大阪フォーラムに参加することができ、この場で職業リハビリテーションを中心として、アジア・太平洋障害者の十年の成果を発表できることは大変うれしく思っている。アジア太平洋障害者の十年の間、職業リハビリテーションに関する努力など、短い時間で評価するのは大変むずかしいが、重要なポイントのみ整理すると次のようになる。

一つ目は、職業的重度障害者に対する福祉理念の転換である。
韓国は相当の期間の間、重度障害者のリハビリテーションを保護の次元でアプローチしてきたが、この十年の間、徐々に生産的福祉という新しい理念が設けられるようになった。

二つ目は、障害に対する概念と観点を医療的モデルから社会的モデルに拡大し、1992年にWHOの活動と参加に制限のある心臓・腎臓・精神障害などを障害概念に含み、障害範囲をよりいっそう拡大した。

三つ目は、障害者の社会統括を促進し、共に社会を変えていくために、障害者のエンパワメント運動のような国民の認識を改善し、リハビリテーションの基盤強化のために努力してきた。

四つ目は、情報技術社会と労働市場の雇用パラダイムに合わせるため、ユニバーサル・サービスと、ユニバーサル・デザイン概念を導入し、障害の壁を徐々に取り除こうとしている。これを通し、障害のある人々の地域社会参加がもっと拡大できるとの展望をもっている。

五つ目は障害者福祉館など、地域社会中心のサービスを提供するためのシステムを構築できるよう努力し、その結果、全国的に90ヵ所あまりの地域福祉館を設立し、運営をしている。

六つ目は競争雇用がむずかしい障害者のために作業所プログラムの体系を構築した。障害の程度別に、作業活動施設・保護作業施設・職業訓練施設・勤労作業施設に体系化をし、200ヵ所の施設を運営している。

七つ目は障害者雇用を職業リハビリテーションを通し全人的サービスの提供を開始し、支援雇用・競争雇用の拡大を通して、障害者の社会統合を誘導した。

八つ目は障害者作業所で障害者たちが生産した製品の活性化のために、生産品を政府・地方自治体・公共団体等に、優先的に販売するよう、優先販売制度を設けて、障害者の雇用機会を拡大するきっかけを作った。

最後に、300人以上の企業に2%の障害者を義務的に雇用するような制度を定着させ、少しずつ障害者の根本的な雇用差別を解消するために、障害者差別禁止法を制定するなど努力を続けている。私は職業リハビリテーションを通じて経済的、社会的に障害者たちが自立し、すべての障害者たちが一つになることを祈っている。

みなさん!
職業リハビリテーション施設の現場でお会いしましょう。


アジア太平洋障害者の十年の評価とポスト「十年」への取り組み

高田 英一
全日本ろうあ連盟副理事長

1.その前提

 「アジア太平洋障害者の十年」は1981年「国際障害者の十年」の継続であり、発展である。
「国際障害者の十年」に先立つ1980年には国際保健機関によって「国際障害分類」(ICIDH)が発表され、障害の階層性が明らかにされ、従来のいわゆる障害の医学モデルから社会モデルへ脱却が図られた。
それは障害者の権利主張の根拠を社会的に明らかにしたものといえる。そしてそれらの理念に基づいて1982年に「障害者に関する世界行動計画」が国連総会において採択され、その実現のために1983年から1992年までを「国連・障害者の十年」と規定された。また、1990年には「障害者に関する世界行動計画」の実現に向けた指針として「障害者の機会均等に関する国連基準規則」が国連総会において採択されている。
これらの事柄が「アジア太平洋障害者の十年」の基盤として用意されたことは重視する必要があり、この基盤において障害者は未来に確信をもって運動に取り組めるようになった。

2.アジア太平洋段階における国際的障害者運動の結集

 「アジア太平洋障害者の十年」の開始に呼応して「地域障害者組織ネットワーク」(RNN)が結成された。そしてその主催によって「アジア太平洋障害者の十年キャンペーン集会」が1993年の沖縄から始まり、今日の大阪集会までアジアの国々の持ち回りで逐次各国で開催された。

  1. それは開催国の障害者を励まし、政府が障害者施策を決定する上で大きな役割を果たす
  2. アジア太平洋地域の障害者組織の情報交換を密にして相互の協力、支援体制を強化する
  3. 日本の障害者組織もアジア太平洋地域の実情を学ぶ

 などの成果を上げることができた。

3.エスキャップ(アジア太平洋経済社会委員会)との協力
エスキャップに障害者問題を検討するタスクフォース、現TWGDCが設置され、NGOとエスキャップの連携が深まった。それは国連行動計画のアジア太平洋地域における具体化といえます。国連機関の協力は障害者運動を大きく励ましました。
その成果

4.国内的成果(1)
「アジア太平洋障害者の十年」によって、それまで対立しているといえないまでも、協調が不十分であった運動側としての障害者サイドと受け皿としての行政サイドが協力体制を強化して、総合的な施策確立と実施への展望を開くことができた。
それは障害者側が全障害者及び関係者組織を網羅する「新アジア太平洋障害者の十年推進会議」を結成し、行政側も引き続き総理府に「障害者施策推進本部」を設け、これまでの厚生労働省任せであった障害者施策を全省庁対応としたことによって可能となった。

5.国内的成果(2)

  1. 障害者を差別する法規の全体的、抜本的改正
  2. バリアフリーテーマの浸透と具体化
    移動の障害となる道路、建造物が改善され、情報、コミュニケーション保障が前進、聴覚、視覚障害者のためのテレビ「字幕・手話」、副音声番組が拡充され、手話通訳事業が法制化された。さらに聴覚障害者を中心とする「CS障害者放送統一機構」が発足、「目で聴くテレビ」放送を開始するなど障害者は自らの情報保障を強化した。
  3. 国際協力事業団(JICA)を中心とする障害者リーダー研修会の開催、各国の障害者リーダー育成に大きな意義があり、日本に対する友好と信頼関係を深めることになった。
  4. 国民レベルで障害者に対する理解が浸透し、マスコミも障害者の権利主張に的を射た記事を掲載するようになった。

5.前進の集約

 障害者に関わる理念、テーマが定着、昇華した。
同時に「アジア太平洋障害者の十年」における実践と成果は新たな課題をもたらした。
バリアーフリーの理念はユニバーサルデザインに昇華した。
バリアーフリーは障害者に限定されるようなテーマですが、ユニバーサルデザインは万人に関わるテーマと理解される用になった。
インテグレーションはインクルージョンに昇華した。
インテグレーションは主流と非主流を認知すると共に、主流への参加の呼びかけです。インクルージョンは全てが対等平等であり融合への呼びかけである。
ICIDH(国際障害分類)はICF(生活機能と障害の国際分類)に昇華した。ICIDHは障害者の問題に過ぎないが、ICFは万人に関わる問題である。
この理念、テーマの昇華は何を意味しているのであろうか、障害者の問題は万人の問題ということが明らかになったということである。障害者と万人の利益、幸福は一致するということなのである。

6.新たな課題

 「第二次アジア太平洋障害者の十年」は特に国連における「障害者権利条約」の制定が課題となっている。国際的な影響力をもつわが国の政府に対する働きかけは特に重要である。
「アジア太平洋障害者の十年」は全障害者組織の結集という点で、なお不十分な面を残した。日本の障害者組織も、国際的な国際障害同盟(IDA)にならい、それぞれの分野別に組織を確立し、家族、専門家組織も含めて、それぞれの組織が対等平等の立場を尊重した持続的な全国的統一組織すなわち日本障害同盟(JDA・仮称)の結成が求められている。
そして、アジア太平洋地域においてRNNの発展的解消としてのAPDFの結成とその運動の強化が待たれている。
「第二次アジア太平洋障害者の十年」は、また「びわこミレニアムフレームワーク」の実現を図る十年である。それは全障害者組織を結集した運動によってこそ実現する。
「完全参加と平等」は障害者の目標であるだけでなく、平和を愛し、進歩をめざす全人類の目標である。障害者はその先頭にたつ意気込みをもって頑張りたい。 以 上


ベトナムにおけるアジア太平洋障害者の十年
-(1993年~2002年)の推進-

Duong Thi Van(D.T.ヴァン)
ブライト・フューチャーグループ ベトナム

 ベトナムにおける障害をもつ人々の数は約500万人、総人口の6%以上を占めている。社会における権利と義務を有する彼らを社会に受け入れ、物心両面における要求を満たすことができるよう、段階を追いながら生活環境を整えていく必要がある。ベトナムを豊かで力強く、平等で民主的な文明社会にするために、障害をもつ人々も、できる限り地域の人々と等しく社会福祉の恩恵を受け、高い目標を掲げられるようにしなければならない。

 10年が経過した今日、障害をもつベトナム人の生活に大きな変化があった。2001年12月10日~15日、ベトナムは第9回「アジア太平洋障害者の十年」推進キャンペーン会議を首都ハノイ市で開催する栄誉を得た。ベトナムの関係省庁は、地元のNGOおよび国際組織(UNESCAP:国連アジア太平洋経済社会委員会とRNN:アジア太平洋障害者の十年推進NGO会議)と連携し、キャンペーン開催を成功させた。
開会式には1,700人以上の参加者と招待者が出席した。この中には、ベトナムの61省・市からキャンペーンの各行事に参加した、700人を超える障害をもつ参加者が含まれている。また、このキャンペーンにアジア太平洋地域の37ヵ国・領地から500人の参加者を得たのは、光栄なことであった。
これに加え、ハノイの大学生300人がボランティアとして、障害をもつ参加者の介助にあたった。

キャンペーン会議は、ベトナム大統領、副首相、ベトナム政府高官、在ハノイ各国大使、国連機関、国際機関、海外NGOの代表者達を暖かく迎えた。在ベトナム日本大使は、2001年ハノイキャンペーン会議に対する小泉純一郎首相の祝辞を代読した。
キャンペーンでは、「アジア太平洋障害者の十年」の目標が過去9年間においてどの程度達成されたか、進捗状況についての意見交換が行われた。11の目標分野において、118の勧告が定められた。2001年ハノイキャンペーンは、成功と感動をもたらした。ベトナム全国およびアジア太平洋地域の国々から、多くの障害をもつ参加者が参集したこれ程大きな会議を開催したのは、ベトナムにとって初めてのことであった。
このキャンペーンの成果は、障害をもつ人々の現状に即した勧告が定められたことである。地域諸国の政府や国際機関は、これを把握することによって、最適な支援のための行動計画を策定できるであろう。
障害に対する一般社会、および障害をもつ当事者の認識は、変化してきた。十年が経過した今、人々は、支援があり、良い条件が整えば、障害をもつ弱者は社会に参加できるということを認識した。第9回のキャンペーンで展開された事象は、障害をもつ人々の社会への参加を明確に実証した。

ベトナムの開放(国際社会への参画)と平等な参加をめざすドイモイ(刷新)政策のおかげで、障害分野の情報や国際協力が得られるようになった。また、政府は「障害者に関する政令」、障害関連の宣言や決議、アクセスに関する建築規則・基準等を発布した。2001年初頭に全国障害調整協議会(NCCD)が設立されたことは、障害をもつベトナム人に対する政府の関心の現れである。

障害をもつ人々は自らの状況を認識し、障害を原因とする困難を克服し、教育、雇用、スポーツをはじめとする社会活動に参加する際の障壁を取り除こうと努力を払うようになった。また、ベトナム障害者スポーツ協会や、自助グループの活動に興味を持つようになった。多くの障害をもつ人々が、スポーツの試合や文化的行事において、金メダルを獲得している。自助グループは、障害関連規則の改正・調整に対する勧告作成に貢献した。

障害をもつ人々も就労できるようになってきたが、就職するためにはまだ困難が多い。特に生産性の低い山間部や地方における障害をもつ人々の生活水準は低い。障害に関する情報は偏っており、都市部のみにしか提供されていない。地方においては、補装具の普及が不十分である。

こうした中、政府機関および障害者関連団体が、2年をめどとして、雇用プログラム、ベトナム障害者事業・企業協会の設立、公共部門の仕事へのアクセス、障害をもつ人々の自助グループあるいはクラブの設立・運営、障害および統合教育に対する啓発を実施するという計画を承認したことを知り、喜んでいる。

また、障害をもつ人々のための地域協力プログラムが提案されている。例えば、リハビリテーション、リーダーシップ、バリアフリー、地域協力による障害者技能訓練(例:数ヵ国に設置されているリハビリテーション訓練センター)、障害者団体間の経験・情報交流(例:キャンペーン会議、IT競技会等)、CBRプログラム等である。

過去のキャンペーン会議を評価した後、社会への統合および社会経済活動への完全・平等参加を各国で推進する活動を、これまで以上に明確に打ち出した、次の十年の新たなキャンペーンを開始することが必要である、と提案したい。

我々の努力と協力により、次の十年を成功に導けることを願っている。そしてこの機会に、ベトナム政府、大阪フォーラム組織委員会、RNN、スポンサー、国内および国際機関等、障害をもつベトナムの人々を支援してくださったすべての皆様に、心からの感謝の意を表したい。

ご清聴ありがとうございました。


「アジア太平洋障害者の十年」以降:地域間協力の新たな枠組み

Venus M. Ilagan(ビーナス・イラガン)
DPI世界議長 フィリピン

A.国連障害者権利条約を促進するための貴組織の姿勢、びわこミレニアムフレームワークへの貴組織の対応、第2の「アジア太平洋障害者の十年」(2003年~2012年)のための新たな地域内障害NGOネットワーク機構が果たす役割と活動に対するあなたの期待について: 

 ポスト「アジア太平洋障害者の十年」以降は、アジア太平洋地域に住む私たちにとって特別の挑戦を提起している。というのは、この地域は、推定6億人といわれる世界の障害者のうち約60%が住んでいるばかりでなく、世界で最初に地域内障害者の十年を始め、実施にあたっては、貴重な経験をしたり見識や知識を得たりした地域だからであり、また、最善の努力をしたにも関わらず、設定した目標を十分に達成したとは言えないことに気づき、更に改善するため自ら再びチャンスを作り出したからである。

さらに、障害者の権利と尊厳の促進及び保護に関する包括的かつ総合的な国際条約への道を開いた国連総会決議56/168が採択されたということは、障害者の権利条約を起草する長くて退屈なプロセスが始まることを告げるものである。

私たちは世界で最も障害者人口が大きい地域に住んでいるという事実を省みれば、このアジア太平洋地域が率先して障害者権利条約の起草、採択、批准に向けて積極的な役割を果たし、より大きく関与するための努力をすることは、私たちに課せられた責務であるといえる。

障害当事者や障害者団体の期待と熱望が種々様々であること、経済的、社会的、文化的環境が国や地域によって実に多様であることを思うと、条約に対して共通の立場を示すために行動を共にすることは困難な挑戦になると思われる。つまりこの挑戦には、協調、友好、そして恐らく共通の目標のための犠牲さえも要求される。もし、大胆に言うことが許されるのであれば、よく知られている言葉である“共通の善”のために働くことの名において、障害当事者団体及び支援団体間に見られる無益な競争とライバル意識は後回しにして、協力、友好、パートナーシップを育てなければならない。共通の目的を追求するために共に働くには、個別で偏狭な関心事は除外しなければならない。

B.ポスト十年(2003-2012)において、新しい地域内障害者NGOネットワーク機構はどのようにして功を奏するような役割を果たすことができるか

 私の意見としては、私が言及した、最近の進展がもたらした挑戦に応じる適切な方法は、延長される「十年」およびその後を通し、地域内協力の促進のために私たちに期待されている仕事をいかに進めていくか、について既に合意されている諸原則や機構に従い、遵守することである。

私たちこの地域に住む者は、現「十年」の実施期間中、貴重な経験をし、十分な知識を得た。これらは、さらなる協力、および、努力と諸資源の相補性の基盤として使うことができる。もし、共通の目標達成に向けて私たち自身および諸団体が真剣に取り組もうとするなら、私たちの間にどんな個々の違いがあったとしても協働の方法を見つけることができるはずである。ここでもっとも重要なのは、全ての人のために役立ちたいと私達が願うことである。

ご存知の通り、DPIアジア太平洋ブロックは、新役員体制を選出したばかりであり、私が彼らの代弁をしたり一定の問題に対する彼らの立場について発言したりすることはできない。しかしながら、もしアジア太平洋地域の新体制に選出されたDPIのほとんどリーダーと共に仕事をした私の経験に基づいて考えるならば、彼らは全員、この地域の障害者の権利とエンパワメントの承認に関するどのようなイニシアチブであっても追い求めるという大儀のために一生懸命尽くすだろうことは疑いの余地がない。


アジア太平洋障害者の十年を超えて
-パネルディスカッション-

JB Munro (J.B.マンロー)
国際育成会連盟アジア委員会(II) ニュージーランド

 私が代表を務めるインクルージョン・インターナショナル(II)は、知的障害者を子どもにもつ親の団体が1960年に国連の協議資格を取得して設立した国際的な非政府人権組織である。IIの総会は、現在、100以上の加盟各国をそれぞれ代表する団体から構成される。IIは、知的障害児・者ならびにその家族を擁護し支援している。 

私はアジア太平洋地域を代表する評議委員である。私たちは他の国際NGOと協力して、地域や国内外の政策立案者に障害者のニーズや権利を認識し考慮するよう働きかけている。1945年に国連が設立されて以来、私たちが支援し擁護している人々がUN組織内で認知されるよう苦闘してきた。

私たちは「びわこミレニアム・フレームワーク」の意図ならびにそれが障害者権利条約の推進に重点を置いていることを称賛する。障害の程度や ラベリングに関係なく、次の10年間にすべての障害者が地域の生活へ完全に参加し、平等な機会が保証されるようになるには、障害者のために働くすべての機関はさらに一致団結しなければならない。

残念ながら、次の10年も地域や国内外の障害者問題を理解しない多くの官僚、政策立案者、議員たちにより、障害者に対する無視や差別は継続されであろう。 

将来の新しいフレームワークでは、障害者支援のために設立された多くの機関やグループ、組織がそれぞれ、すべての障害者を抱合できるようにする法律の改

正を目指してより密接に協働しなければならない。
世界レベルでは、7つの国際NGO---その大半がここに参加している---が国際障害同盟(IDA)を結成した。IDAとは組織ではなく、障害者権利条約を強力に推進するための世界レベルのネットワークである。過去10年間のRNN(活動)を継続するために、私たちは大阪から、アジア太平洋地域レベルで同様のネットワーク作りを推進しリードしていかなければならない。国内レベルでは、それぞれの国でそれを実行し更には地域レベルでも行っていく必要がある。「団結すれば耐えられ、分裂すれば倒れる」。

障害者をめぐる問題が実際に良い方向に変化していくには、私たち自身をはじめとして、支援者や同種のマイノリティグループを巻き込むようにしていかなければならない。共に活動することにより、私たちは意識を変えることができる。変化をもたらすことができる。コミュニティの主流に参画するためにはまず、障害問題を強調する必要がある。これはまさにパラドックスであるが、障害者が社会に受け入れられるためには、障害者に目を向けさせ、障害者として認識されるようにならなければならないのが現実である。

協力し団結すると同時に、すべてのレベルにおいてそれぞれの個別組織を維持することが、私たちの求めるインクルーシブな社会、すなわち多様性を人生の一部として受け入れ、インクルージョンや受容、パートナーシップという私たちのビジョンが達成される社会へと変化するよう働きかける確実な方法である


地域障害関連NGOネットワークの新たな出発協力とネットワークの強化

Mr. Benny Cheung(ベニー・チェン)
RIアジア太平洋地域委員会次席副会長
中国香港特別行政区

 多くの国における歴史と経験から、障害をもつ人々を受け入れる、障壁のない社会を実現するためには多くの要素が必要であることがわかっているが、特に政府の施策、社会の取り組み、十分な資源等が共通要素として挙げられる。以下にいくつかの課題を示す。

  1. 障害をもつ人々が力を合わせて、自らの権利と平等な機会を擁護することができること。社会の指導者、教育者、政治家となった障害者の例は多い。日本では衆議院議員八代英太氏、アメリカではRI会長レックス・フリーデン氏が、障害をもっている。
  2. 障害をもつ人々のための権利、機会、サービスに関する明確な国の政策があること。障害をもつ人々の生活向上をめざす、関連政府省庁の積極的な取り組みに関する基本的使命と行動指針を、国の政策として策定する。
  3. 実践的な行動計画を展開していくための十分な資金があること。資金が不足しているために、多くの行動計画が実現できていない。どうしようもない状況の例が、障害原因の予防である。ほとんどの国において常に重要であると考えられているのに、障害原因の予防に費やされる資源はごくわずかである。
  4. 高度な技術やより良い健康状態に手が届かない数多くの障害をもつ人々がいること。交通事故は依然として多く、特に多くの途上国において顕著である。また、平均余命が長くなったということは、高齢になって何らかの慢性病や障害をもつ者が増えることを意味している。脳卒中のような、障害を伴う病気にかかる人が多くなる。すべきことは数多くあるのに、資源が限られている。
  5. 異なる状態にある人々を受け入れるために、一般の人々の啓発を続けること。障害に関する根拠のない思い込みや、異なった状態にある人々に対する差別は、多くの場所で散見される。差別のない社会の実現のためには、一般の人々に対する啓発活動を行い、異なる状態にある人々を受け入れることが不可欠である。
  6. 行動計画実施のために、知識と経験があること。行動計画を実際に推進していくために、知識と経験を積み重ねていくという過程を経る。莫大な知識と経験の蓄積を共有するとともに、入手できる資源を最大化することが重要である。
  7. 地域における障害者関連NGOが啓発、予防、リハビリテーション、権利擁護等の活動推進を主導すること。しかし、地域のNGOの多くにとって、これらの課題に取り組み、発展させるための経験や資源はいまだに十分でない。資源不足のために、多くの国やNGOは、今ここで開催されているような地域会合を開催することもできない状況にある。

 これらの課題に対する取り組みを推進するために、地域のNGO間のきずなを強化したり、新たにするのに考えうるいくつかの選択肢があると思われる。以下に、そのいくつかを示す。

  1. できれば国際的な財団や企業からの資金を得て、権利擁護、障害予防、啓発活動等の成功例を収集し、活用できるように編纂し、地域のNGOに配布する。また、リハビリテーション分野のコンサルタントや、より望ましくは障害をもつリーダーおよび権利擁護者、といったトレーナー(訓練者)は、地域におけるNGOが行動計画を推進するにあたって、実践的な支援を行うことができる。RIをはじめ、UNICEF、WHO等の国際機関が協力を強化することで、より多くの国やより多くの人々がこれらの領域で蓄積された資源から受ける恩恵を最大化しうる。
    国内及び地域内のNGO間の協力、縦横の関係を構築することが必要である。
    こうした国内団体の成功例としては、すべてのリハビリテーションサービスならびに障害者の自助組織の包括的団体、ないしは意見集約(団体)として機能する、日本障害者リハビリテーション協会や香港心身障害者協議会などがある。これらの包括的団体は、障害をもつ者の生活の質を高めるという共通の使命を持つNGO間の協力を、促進することができる。
    これら包括団体間の連携・協力は、障壁のない万人のための社会を実現するという目標を達成するために必要な、ネットワークの構築、経験の共有、資源の選別に、大いに役立つ。
  2. IT利用の増大は、情報普及や啓発に有用である。地域のすべてのNGOに、支援・情報・訓練を提供するようなリハビリテーション関連のe基盤を整備することが考えられる。リハビリテーション関連のe基盤を構築するために、ビル・ゲーツ基金あるいはマイクロソフトに働きかけるべきではないだろうか。
    近年におけるIT利用の増大は、通信および情報の共有という点で、障害をもつ者に無限の機会を与えている。これまで以上にITの利用を推進し、支援し、奨励しなくてはならない。
  3. ニーズ、専門技術、関心、必要な支援等の各分野で、適切なNGOが活躍できるような指導プログラムが必要である。国内、地域内で共通の使命を持つ複数のNGOとその対象グループをマッチングさせることである。リーダーシップ研修が強化され、またさらに発展されるべきである。進んだ取り組みを実施しているNGOおよび(ないしは)国がこれらの分野で主導権を発揮し、指導していく。国連障害者権利条約は、交流、ネットワークおよび資源の普及の大変有用なな場となりうる。関係を構築し、情報を交換するための時間がほとんどない一回限りの会議と比べ、指導プログラムは多くの場合、焦点を絞り、個人に着目した、長期のものとなる。
    多くの大きな多国籍企業での指導プログラムが、訓練、指導員の養成、職員の意欲向上の観点から、非常に効果的な方法であったと証明されている。
  4. 地域のリソースパーソンとして活躍してもらうため、障害をもつ人々のリーダーの中核グループを特定すべきである。障害問題に関する意識向上、権利擁護、リハビリテーション、訓練等の、様々な技能と知識を持つこの中核グループは、支援を必要とする地域のNGOに対し、広範な訓練を提供できる。また、もっと重要なことは、その地域の団体と共同して、インクルーシブな社会を目指す啓発活動を支援できる点である。ハリー・ファン氏が述べた「80の方法による世界一周」を発足させた障害をもつ3人の人々が、最も良い例である。

 すべての人に平等な社会を共に築いていくための考えを幾つか述べてきた。皆様からの意見や提案をいただきたい。RNNが総括し、大阪を去るまでに、地域の行動計画を策定するためのブレーンストーミング・セッションの機会がある、と理解している。この行動計画により、これまで我々が確認してきた考えや提案のいくつかを実践できることを願っている。方法は様々であっても、大切に思い、心にかけるすべての人々の生活向上に貢献したいと願うことにおいて、変化をもたらすことができるはずである。

ご清聴ありがとうございました。ご意見をお待ちしています。


「ポスト十年への取り組みを考える
-新たなRNNの枠組みと活動を中心に-」

小椋 武夫
世界ろう連盟アジア太平洋事務局(WFD)

1.アジア太平洋地域事務局活動について

  • 世界ろう連盟の地域事務局への関わり
  • アジア太平洋地域におけるろう者の一般的な状況と課題
  • 地域事務局の活動方針

 私は世界ろう連盟の組織に入っているアジア太平洋地域アジア太平洋ろう者地域事務局長を務めている。ろう者の立場で述べさせていただきたい。
アジア太平洋地域事務局は、1983年(昭和58年)イタリアで開かれた第9回世界ろう者会議開催時に、アジア太平洋地域事務局の日本設置を世界ろう連盟からの要請をうけ設立された。
この地域事務局は、代表者会議を各国持ち回りで毎年開催し、各国のアジアのろう者の福祉向上のために活動している。
アジア太平洋地域の対象国は52国であるが、今回の代表会議に参加できたのは、19ヵ国で、まだまだ半分に満たない参加状態である。
先週10月17日から19日、大阪ビックアイで、アジア太平洋地域代表会議が開かれて、19ヵ国から60名の多くの参加を頂いた。
各国のろう代表者の話によると、アジア太平洋地域の多くの政府が、政情安定化の為、国家発展・社会開発動力を中心に施策を行なっているので、ろう者団体には国家から補助金も無く、聴覚障害者の福祉問題に悩む状況のなか、なかなか組織化が困難となっている。また聴覚障害者に関する教育環境はまだ整備されていない。
現実には、よりよい生活を求めて社会的、文化的側面から議論しなければならないところだが、先程述べたように、経済的要因があるために、ろう者の組織作りに立ち遅れがあり、そう言った議論には至ってはいない。
アジアのろう者の殆どはろう者組織を結成しようと努めているが、手話通訳制度、テレビの字幕放送など情報面での保障がない。また、就学出来るろう者は少なく、社会に出ても安い給料で働かされ、なかでも聾女性への待遇はひどいものである。そのため生活も困窮している。政府側もそうしたろう者に対する具体的施策が無いことからも組織結成への展開は見られない。
また手話に関する教材や技術指導の出来る人材が不足しており、口話法が主であったために、手話までは改善されていない。ろう教育の教材も少なく、勉強出来ないろう者の子供たちが多く存在する。
ろう者組織が結成できれば手話通訳を養成し、福祉制度を作ることなどが出来るはずだが、種を蒔いても政府の支援である水が無く、育てられないという状況があり社会的視点に欠けている。
この問題が解決されるためには政府の大きな助けが必要になる。全体的には、教育も労働も文化もまだまだ模索段階にあり、まずは、組織の問題、教育の問題をどのように解決していくべきなのか、そのためにはどのように活動していくことが望ましいのか、それぞれ深刻で考えるべき問題は山積している。

地域事務局として今後の活動方針は

  • Eメールやホームページを通して、加盟国協会との連絡をより一層密接に情報交換の推進を図る。
  • ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマー、北朝鮮など多くの国のろう者組織は未結成、未加盟であり、その組織結成を援助するため、情報を集めるとともに世界ろう連盟アジア太平洋地域事務局への加盟を働きかけていく。
  • 国際交流センター-JICAの「アジアろう者リーダー研修」事業など国際協力に関する情報を加盟国組織に周知させる努力をする。
  • 各国のろう者組織が自国の手話の発展に努め、手話の学習・普及と手話通訳者の養成を図る必要がある。
  • ろうあ者の全人間的な復権を目指す。つまりろう者の権利や資格、尊厳というものを、法的にも社会的にも行政的にもきちんと保障していくということをめざしていく。

2.「新・アジア太平洋障害者の十年」における取り組みについて

A 「新・アジア太平洋障害者の十年」の意義の明確化

 1992年障害者の完全参加と平等を掲げて取り組まれてきたアジア太平洋障害者の10年間は、地域代表者会議に参加出来る機会が増え、16ヵ国のろう協会組織が結成されるなど聴覚障害者団体の動きも多くなされ、その関係者間の交流も大きく促進されるようになった。この10年の意義は大変大きなものだと思うが、残念なことに、この10年があることすら情報を持たなかったろう者が多い。
1982年から始まった「国連・障害者の十年」の時、国また公共機関から多くの呼びかけがあって、その時はこの10年の意識がはっきりとしていた。しかし次の「アジア太平洋障害者の十年」に関する情報がだんだん少なくなり、キャンペーン会議に参加するろう者が少ない傾向にあった。この「アジア太平洋障害者の十年」が最終年に近づくと、初めてこの10年があるのに気づいたろう者が多い。その理由には、ろう者に対する情報提供の場が無い、テレビに字幕がない、手話通訳による情報伝達がない等、情報を取得する側にも提供する側にも大きな問題があったと思う。
この問題を重要な課題として、次の新しい10年にきちんと取り組んでほしいと思う。

B キャンペーン会議を始めとするあらゆる会議への参加機会の保障

 10年間のキャンペーン会議を見ると、ろう者の参加はとても少ない。このキャンペーン会議だけでなく、各国障害者会議の研修参加と発表にも参加出来る機会が保障されていない。なぜならば、ろう者は聞こえないことからコミュニケーション手段がなく参加の呼びかけがわからなかった。また、呼びかけがあったとしても理解するのが困難なために、会議に参加出来なかったという情報面での問題があったからである。参加機会が無くなると、ろう者の能力開発、自己研鑽の機会を失うことになる。次の新しい10年からは参加できる機会を保障していかなければならない。

C 障害者の状況を把握する現地調査の強化

 アジア太平洋地域の多くの国には、社会福祉サービスが充実されていない現実があるが、予算を作って障害者の実態や障害者からのニーズを調査する動きが見られない。特に盲・ろう・肢体などの障害者の区別が把握されていない。
障害者の生活状況を調査するならば、障害者施策に反映し、充実したものになる。つまり、行動障害、教育状況など明確的に調査を実施することにより、正確なデータを収集するならば、障害者にどんな支援が必要なのか判断出来る。
私たちの事務局では予算の関係から調査が出来ない状況が続いている。
次の新しい10年にきちんと実態調査を行えるように話し合ってほしいと思う。

D アジア太平洋全体の障害者の教育環境と福祉制度の格差を無くすための努力

E 障害者団体の交流による情報交換の促進

F 障害者の組織作り等の課題に対する協力の意義と重要性の確認

 最初に話した通り、教育環境、ろう者組織作りの整備が重要な課題である。人権教育を構築していくためには、手話などを含めたろう者のための教材の開発、研究を進めていくこと、人と関わる力を育てていく、ろう者自身の主体的な学びを大切にしなければならない。
1994年12月、国連で「人権教育のため国連10年」と採択された。全ての人は教育を受ける権利を持つと書いてある通り、人権教育は全ての人間性を培い、生きる力を育てる教育として展開しなければならない。
またろう者組織作りの主な目的は、民主的な集団という形で、互いに励まし合う人間関係を作り、ろう者生活に起きている問題を解決する取り組みが出来る場であることだ。またいろいろな活動を通して自主・自立性を育てるという意味でも集団作りは重要である。

G 政府への非軍事的な外交による地域の安定化の働きかけ

 アメリカの同時テロ事件、アフガニスタン爆撃などの影響により、アジア太平洋地域代表者会議にアジアのろう者の参加が少なくなり、またろう者活動の自由が奪われ、活動が出来なくなったという状況が起こっている。
平和は絶対的なものだ。平和がベースにあれば、人権・障害者の自立・差別撤廃も可能になる。平和は完全なる公的福祉だと私は考える。視点を変えて、平和の反対は何?戦争か? 戦争が起きたら、人間の人権は守られるだろうか、命の尊厳も奪われる戦争状態のなかで、人間の本質的な自立は求められないし、認められないということになる。各政府に軍事的政治を無くすように働きかけることが大切である。


盲ろう者にとってはこれからが最初の10年

福島 智
世界盲ろう者連盟(WFDb) 東京大学先端科学技術研究センター 助教授

 私は9歳で失明し、18歳で失聴し、全盲ろう者となった。私が盲ろう者となったのは今から21年前、ちょうど国際障害者年の年である1981年のはじめのことだった。そのときまで私は全盲だったわけだが、全盲の生活と全盲ろうの状態とはまるで違うということに、私はそのとき気付いた。18歳で全盲の状態から盲ろう者になったとき、とてつもなく大きな衝撃を私は受けた。それは私の周りからこの現実世界が消えてなくなってしまったような衝撃であった。ここで、もう1度強調させていただきたい。盲ろうの状態というのは、単一のろう、あるいは盲の状態とは、まったく、そして根本的に異なるものなのだということである。

さて、「世界盲ろう者連盟」は2001年10月に発足した。現在は各国において、それぞれの国の盲ろう者団体が同連盟への加盟の準備をすすめると共に、WFDb執行委員会においては、組織運営のための基本的な問題を討議している段階である。
ところで、20世紀における世界でもっとも有名な障害者はおそらくヘレン・ケラーではないだろうか。ヘレン・ケラーはまさしく盲ろう者である。そして、彼女が世界各国の障害者福祉施策や運動に与えた影響は計り知れない。
ところが、こうした彼女の努力にも関わらず、盲ろう者の国際的な組織は20世紀中には結成されず、彼女の死後33年をへて、世紀を越えた2001年にようやく設立されたのである。どうして、このように盲ろう者の国際組織の結成は遅れたのだろうか。
それは盲ろう者の抱える困難が他のさまざまな障害者が抱える困難を「結晶化させた」ものだからだと思う。すなわち、コミュニケーションの手段、情報入手の機会、移動の自由、のすべてに極めて大きな制約を持っているからである。そのために盲ろう者の組織は「最後に」作られたのではないだろうか。

では、私たちはこれからどのような取り組みをして行くべきなのだろうか? 私は三つのことを提案したいと思う。第1に、「盲ろう」という独自の障害について、社会の理解を得るためのとりくみである。
第2に、各国のおける盲ろう者の実数と実態を把握することである。このとりくみには、各国政府の他、WBUやWFDなどの視覚障害と聴覚障害に関わる障害者組織の協力も期待している。
そして、第3に、まだ盲ろう者の団体が未整備の国々において、盲ろう者の組織が誕生するように、情報提供や人的な面での援助をしていくということである。この取り組みについても、WFDbだけではなく、他の障害者団体の協力がとても重要だと思う。
「新しいアジア太平洋障害者の10年」は盲ろう者にとっては、「初めての10年」である。盲ろう者の自立と社会参加が実現されるなら、他のすべての障害者においてもそれらは実現されるであろう。アジア太平洋地域の多くの障害者の未来を輝かせるために、盲ろう者はたとえ小さくとも鮮やかな光を放つ「水晶」として前進していきたいと思う。


幅広い障害者運動における「精神障害者」の位置づけMary O’Hagan

(メアリ・オヘイガン)
精神医療利用者・生還者世界ネットワーク(WNUSP) ニュージーランド

 本論では以下について述べる。

  • 精神疾患と診断された人々が体験する問題について
  • 精神障害者と他の障害者との共通点と相違点の分析
  • 精神障害者はこれまでどのようにして他の障害者と国際レベルで協力してきたか
  • 協働の必要性について

 私は以前ニュージーランドで精神医療サービスを受けていた当事者である。障害者運動では精神障害をもつているという言い方で紹介される。私は若い頃、数年の間、精神病院の入退院を繰り返していた。私の人生で最も辛い経験であった。自分の気分の変動だけでももてあましたのに、一番辛かったのは他の人の私に対する反応であった。しかしながら、私は他の多くの当事者ほどには迫害や排斥を受けてはいない。

どこの国でも当事者は精神疾患に見舞われた時の話をする。しかし聞いていてさらにやりきれないのは、彼らが自分を恥じる気持ちを話す時であり、自分が選んだわけでもないことで他者から拒絶された体験を語る時である。

数多くの当事者が施設に閉じ込められたり無理に治療を受けさせられたり、肉体的、性的虐待を受けたり、また無視されたりするときの恐怖を語っている。

抗精神病薬の副作用で永久的に外観が損なわれてしまう遅発性ジスキネジアなど、精神医療が原因で深刻な被害を被っている人は何百万人もいる。電気ショック療法により永久的に記憶を失う人もいる。人格を永久的に破壊する脳外科手術のロボトミーを受けさせられる人もいる。

必要な時に精神医療サービスを利用することができないと言う人の数は増えている。これは利用できるサービスの数が十分でなかったり、サービスがあってもあまりに管理的であったり、自分が望む支援が提供されなかったりするためである。

精神障害を患う何百万もの人が、発言権が持てない劣悪な施設やホーム、ホステルで、またはは荒れ果てた宿泊施設や刑務所、あるいは路上で暮らしている。それなりの地域に住もうとしても、招かれざる客というメッセージを受け取ることが多々ある。

働く意志のある精神障害者の多くが一般の労働市場で雇用されることは決してない。シェルタード・ワークショップ(授産施設)で単純労働に従事し、わずかな手当を受け取るのが関の山だ。あるいはコミュニティに貢献する機会を持つこともなく居間やデイケアセンターで生涯を過ごすのである。

世界中の精神障害者は自分たちのコミュニティの下層にいて、職もなく、貧困にあえぎ、希望を失い、然るべき住処もなく、孤独や搾取といった耐えられないほど多くのストレスに苛まれている。

他の種類の障害をもつ人の多くは、精神障害者の話を聞いて自らの体験と酷似する部分があることに気付くに違いない。障害の種類が何であれ、障害者は貧困や失業、平均以下の住居や施設、また他の人から隔離されることがどのようなものかを知っている。管理された、温情主義的なサービスを受けさせられることがどのようなものか分かっている。私達は実に数多くの問題を共有しているのだ。

しかし違うところもある。

先ず、精神障害者が社会参加するうえでの障壁は、物理的というよりは社会的なものだという点である。長い階段があったり、点字による表示がなかったりするのとは違って、私たちが遭遇する障壁は目に見えない。それは主に人々の心の中にあるのだ。精神障害者は他のどのような障害者グループよりも恐れられ、また排斥されていると私は思う。私たちに対する障壁は他の人々の態度であり、他の人々から私たちが乱暴で、思いがけない行動を取る、無能な人間だと信じられていることだ。

二番目の違いは精神障害者の場合、自らの意に反して閉じ込められたり、治療を受けさせられたりする可能性があるということである。1970年代初期に始まった精神障害者の運動に参加している人の多くが、無理強いで行う治療に反対する運動を展開している。他の障害者運動と同じように私たちの運動も自己決定権の追求がその根底にある。

精神医療ユーザー・サバイバー運動は、より広範な障害者運動と共に進められてきた。しかし二つの動きは、問題も哲学も多くの点で共通していたにもかかわらず、常に協働してきたわけではない。理由のひとつは、異なったタイプの障害を抱える人々はお互いを非難し合ったり、また互いの障害に対して気詰りな気持ちになったりすることがあるからである。この問題は克服されなければならない。社会の私たち以外の人々が私たちに対して行っていることで、私達が止めさせようとしているのと同じことを、お互いにやっては絶対にいけない。

しかし、米国にも日本にも、そして英国やニュージーランドにも、精神医療ユーザー・サバイバー運動とより広範な障害者運動の素晴らしい連携の例はある。

また、近年は国際レベルで多くの協力も行われている。新設された世界精神医療ユーザー・サバイバー障害ネットワークは、国連の「障害者の機会均等化に関する標準規則」の監視を担当している特別報告者、Bengt Lindqvistの専門家パネルの一員として迎えられた。この専門家パネルには他の国際障害者団体の代表も参加しており、1995年から2001年まで毎年会合を開いている。

専門家パネルに代表を送っているDPIなどの組織は、1998年に国際障害同盟(IDA)を結成し、世界精神医療ユーザー・サバイバー・ネットワークもメンバーに加わっている。IDAの目的は、国際レベルで障害者のための主張をするより強い力を生み出すことである。IDAのメンバーの一部は、障害者権利条約を国連の協議事項に載せるためにロビー活動を活発に行った。ニューヨークで最近行われた特別委員会の会議には世界精神医療ユーザー・サバイバー・ネットワークや支援連合インターナショナル(Support Coalition International)をはじめ、精神障害者の代表が数多く参加した。

精神障害をもつ人々は強制治療の問題を国際レベルで提起し続けており、強制治療を停止するために他の障害者団体からも多くの支援を受けている。現在の大きな課題は、新しい障害者権利条約の中で同意に基づく治療に対する私たちの普遍的な権利がはっきりと謳われるようにすることである。精神科医や精神障害者の家族など、強制治療は私たちのためになると考える多くの強力な利害関係グループがあるため、私たちには他の障害者の支援が必要である。

残念ながら、世界精神医療ユーザー・サバイバー・ネットワークはアジア太平洋障害者の10年には関わっていない。精神障害者は地域的な障害者の活動に関わりたいと考えており、これからのアジア/太平洋における活動に大いに関与することを楽しみにしている。

最後に、障害者団体の人々に以下のことをお願いしたいと思う。地方レベル、全国レベル、地域レベル、あるいは国際レベルのどこでみなさんが活動しているにしても、精神障害者に門戸を開いてください。これには多くの理由がある:

  •  私たちには共通の課題がたくさんある
  •  私たちは自己決定権と人権を尊重する共通の哲学で行動している
  •  より広範な障害者運動は、国際的に、また多くの国々で発展しようと力を尽くしている精神ユーザー/サバイバー運動に、さらなる力を与えることができる。
  •  精神ユーザー/サバイバー運動は、より広範な障害者運動にさらなる力と多様性を与えることができる。

 精神障害をもつ人を参画させるためには、精神を患った人は、乱暴で、思いがけない行動を取る、無能な人間であるというあなた自身の考えを変える必要があるかもしれない。また私たち当事者も、他の障害者に対する自分達の態度を振り返る必要がある。私たちはみな、異なる「文化」と直面する固有の問題に関してお互いを教育する必要がある。

古い諺にあるように、「団結すれば耐えられ、分裂すれば倒れる」のである。だからこそすべての人に団結をお願いする次第である。