音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

アジア太平洋障害者の10年の評価<完全参加と平等<へのNGOの展望

オーストラリア

アジア太平洋障害者の10年(1993-2002)および今後におけるオーストラリアの障害を持つ人々の参加

Bryan Woodford, ACROD Australia

要約

オーストラリアの障害を持つ人々の生活の質の向上と、公平な社会参加の拡大は、目覚しい進歩を遂げた。そしてオーストラリアでの成果は、この地域の他の国々に対してモデルとなるだろう。

オーストラリアでは、障害を持つ人々にとって、政府の政策や社会全体を通して大きな社会的な変化が続いている。その変化は人口の増加、人口移動の増大、教育機会の拡大、交通の発達、通信技術の発達や、グローバリゼーションの結果によって促進された。この変化は、1970年代に端を発する平等思想によって推進された。

本稿は、オーストラリアの障害者施策の成果についての現状と歴史的経過を述べたものである。それは「アジア太平洋障害者の10年」の行動課題の政策分野の達成に向けての成果を示すものであり、オーストラリアの障害を持つ人々の完全参加と平等に対する障壁を明らかにする。

目次

序文

  • 1.アジア太平洋障害者の10年(1993-2002)

背景

  • 1.オーストラリアの障害者の状況
  • 2.アジア太平洋障害者の10年の行動課題実行の予備的評価
    1. 国内調整
    2. 法律
    3. 情報
    4. 国民の啓発
    5. アクセシビリティとコミュニケーション
    6. 教育
    7. 訓練と雇用
    8. 障害の原因と予防
    9. リハビリテーション
    10. 福祉機器
    11. セルフヘルプ組織
    12. 地域協力
  • 3. 障害者の完全参加への障壁

序文

  • 1.本稿の目的は、アジア太平洋障害者の10年の行動課題(1993-2002)の主要な12の政策分野で生じた結果について、 オーストラリアの障害者の状況を評価することである。 この「10年」間のテーマと目標は、アジアと太平洋地域における障害者の完全参加と平等の促進である。 本稿は、行動課題の政策分野の達成に向けての成果を示し、オーストラリアの障害者の完全参加と平等に対する障壁を明らかにする。
  • 2.オーストラリアの障害を持つ人々の生活の質の向上と、公平な社会参加の拡大は、目覚しい進歩を遂げた。 そしてオーストラリアでの成果は、この地域の他の国々に対してモデルとなるだろう。 アジア太平洋障害者の10年の期間にわたり、障害者団体や他の関連団体との連携の下で、 オーストラリアの連邦,州、地方などのすべてのレベルの政府は、政策、法律,サービスの発展に関わってきた。
  • 3.障害者の完全参加と平等の追求のためには、あらゆるレベルの政府が継続的な責任を負うことが必要である。

1.アジア太平洋障害者の10年(1993-2002)

A. 背景
  • 国連・国際障害者年(1981)は、国際社会で障害問題に対して重大な関心が寄せられた10年の始まりとなった。 「障害者に関する世界行動計画」が1982年に宣言され、ひきつづいて、国連・障害者の10年(1983-1992)がもたれた。 アジア太平洋経済社会委員会は、1992年にその決議を48/3によって、アジア太平洋障害者の10年(1993-2002)を宣言したが、 これは1992年以降も障害者に関する世界行動計画をESCAP地域で遂行するための新たな刺激を与えるためであった。 アジアと太平洋地域における障害者の完全参加と平等に関する宣言は、1992年の北京で、 アジア太平洋障害者の10年(1993-2002)を立ち上げるための会議(政府間会議)で採択された。
  • アジア太平洋障害者の10年(1993-2002)行動課題は1993年に第49回総会で承認されたが、 その構成は次の12項目の主要政策領域となっている。すなわち、国内調整、法律、情報、国民の啓発、 アクセシビリティとコミュニケーション、教育、訓練と雇用、障害の原因の予防、リハビリテーション、福祉機器、 セルフヘルプ組織、地域協力である。各々の政策領域は、アジア太平洋地域の障害を持った人々の完全参加と平等を促進する 政策の動きに直接関係した目標のリストを含んでいる。
  • 10年計画の目標達成の進み具合を評価するはじめての地域会議が1995年にバンコクで開かれ、 行動課題の遂行についての73の目標が採択された。さらなる検討会議が1997年に開かれ, 1999年には、107の強化目標が採択された。行動課題はESCAP地域の政府にとって障害者関連計画の策定と遂行をガイドする 効果的な政策手段となった。
  • オーストラリアでの障害者の10年は2002年12月で終わる。 アジア太平洋障害者の10年最終年ハイレベル政府間会合が,2002年10月25日から28日にかけて日本の滋賀県大津市で開催され、 ESCAPの開催で日本政府がホスト国となる。 会合は10年間の目標達成の評価、とりわけ107項目の行動課題に対する強化目標の達成度を評価するもので、 この10年を過ぎたあとの行動の枠組みを考えるものである。

2.オーストラリアの障害者の状況

  • オーストラリアの総人口は約1900万人で,そのうち19%は障害者で、360万人以上である。 (1998年、障害者・老人・介護者調査、オーストラリア統計局)。
  • 家族が依然として障害者サポートの大黒柱であり続けている。このことはデータによって示されているが、 日常生活でひとつかそれ以上のサポートを必要としている大多数の障害者(170万人)は、配偶者、 身内の者あるいは友人から介護を受けている。この「家族」という社会資源の量的な大きさが主要な推進力となって、 1992年以降、「介護者」のサポートニーズへの認識が高まった。
  • 家族サポートのネットワークの外側には、必然的に二つのサポートサービスの流れがあった。 それらは主流のサービスシステムの中(例えば、保健、教育)の中で提供されているものと、 障害者向けの専門家による/特殊なサービスであった。 この障害者に対するサポートの二つのアプローチに起因する重複やすき間を最小化することに関心が次第に向いてきている。
  • オーストラリアの3つのすべてのレベルの政府が、10年を経過した後も、障害者の生活の質の向上と、 障害を持つ人々がそれぞれのライフスタイルを求めて社会参加をしていく権利に対して責任を取り続けることが願われる。 この報告書は,この10年間のオーストラリアでの変化の一部でしかないが、成果の一部を選んだものでもある。

3.アジア太平洋障害者の10年の行動課題の実施状況に対する予備的評価

A. 国内調整
  • 1986年の連邦障害者サービス法の成立は、障害者向けサポートを目的としたサービス提供をするための 財源確保の長期的改革への手筈を整えることと、障害者がメインストリームサービスを利用することをさらに便利にした。
  • この改革戦略の結果、オーストラリアのすべての州と準州政府が各自の障害者サービス法を制定し、 1991/2までに(連邦と州・準州という)2層のサービス提供の調整方式が出来上がった。 州・準州の法律は、1991年から連邦・州/準州協定を結ぶことを可能にしたが、ここには障害者の特殊サービスに対する 連邦の役割と州/準州の役割の輪郭を描くという目的があった。
  • 連邦司法省は、障害者がメインストリームサービスや政府機関を利用しやすくすることを、 国内規格を使うことによって徐々に促進している。
  • 国家障害者諮問委員会は、連邦障害者局に支えられているが、連邦政府に対して障害者問題への勧告をしている。 この委員会は、自らが注目する重要分野を毎年選んでいる。1990年代後半から、ほとんどの州/準州政府は、 障害者問題やサービス提供に関する政府への助言者の役割としてある種の顧問集団を作っていた。
  • 政府外のものとしては、多くの非政府団体があり、資金の圧倒的部分を連邦政府によって提供されているが、 それらは特定の構成団体を代表する「主要団体」として活動している。これらの団体は、連邦政府に対して, それぞれの異なった観点から障害者問題について助言しロビイングを行なう。 例えば、ACROD(オーストラリア障害リハビリテーション委員会)は、障害者問題についてサポート団体としての 視点から焦点を絞っている。オーストラリア介護者協会は、介護者の観点から問題を重視しており、オーストラリア障害者協会は、 障害を持つ人の立場から問題に重点的に取り組んでいる。連邦政府による2000年からの一連の試みがあり、 それは主要団体の数を合理化することと、主要団体が政府批判をしないよう「口封じ」をするというものだが、 今日まで成功していない。
B. 法律
  • 障害者のアクセス権を規定する数多くの開拓的な法律が、「障害者の10年」に先立って制定された。1993年までに、 オーストラリア政府は、以下のことを行なった。
    • 障害者サービス法1986を制定。これは個々のサービスを規定するものではなく障害者へのサポートサービスに対する資金構造や方法を改革する法律であった。
    • 連邦在宅地域ケア法(1986)の制定。
    • 障害者差別法1992の制定,この法律は障害者が、すべての活動の中で不必要な差別を受けることなく公平に扱われるように求めている。この法律を監視するために、人権及び機会均等委員会が1992年に設置された。
    • 1992年末までに、すべての州政府と準州政府は、各自の障害者サービス法を制定した。(例えば、障害者サービス法1992、クイーンズランド)。
    • 連邦と州/準州の障害者協定がすべての州政府と地方自治体との間で、1992年までに結ばれた。
    • 1988年のプライバシー保護法が,2001年12月以降には,すべての非政府組織にも拡大適用された。
  • オーストラリア障害者の10年の間に、障害を持つ人々に対する機会均等の国連標準規則が採用されたが、 これは連邦政府に連邦障害者計画(1994)を着手させることになった。
    この法律は、10年計画となっており(5年毎に評価が行なわれ)、障害者差別法(1992)のもとで連邦政府が責任をどのように取る かという枠組みを述べている。その枠組みの中で述べられた平等なアクセスのための目標分野は、 アジア太平洋障害者10年行動課題(1993-2002)の中で述べられた12の主要政策分野を示している。
  • 10年の間に、NCP(国家競争政策)が、1999年8月に策定された。NCPは、オーストラリア社会内部のすべてのレベルで、 政策とサービス提供の様相を根本的に変えた。具体例としては、営利団体が政府に資金提供を求めることができるようになったことで、 それらの資金提供は従来、非営利団体のみに限られていた。サービスとサービス部門/サービス産業間の「競争」の出現は、 共同し連携のとれたサービス提供のための連邦政府の取り組みにとって有害だと考えられている。
  • 連邦政府の障害者問題に関する諮問機関である国家障害者諮問委員会は、1999/2000に、 連邦/州政府間の障害者協定の下で作られた義務の分担を確認し、障害者サービス提供への質が高く国家的に一貫したアプローチを 開発することを、委員会の主要目的分野のひとつとして謳っている。
  • 欠落
  • 2000年7月には、物品サービス税が、オーストラリアで導入された。すべての年金受給者は、 さまざまな物品やサービスの予想される値上がり分への相殺として4%の増加年金を受けとった。 よく紹介される年金受給者の事例に示されているように、この4%の増加分は実際の物品やサービスの値上がりを 相殺するには少なすぎる。
C. 情報
  • 正確で定期的に更新された情報へのアクセスは、障害者に対するサービスの計画や実行をするのに, また権利擁護をするのに極めて重要である。オーストラリアでの障害の出現率に関する情報は二つの主要な情報収集過程を 通じてオーストラリア政府によって収集されている。これらの過程は、ABS(オーストラリア統計局)によってなされているが、 これはオーストラリアの公的統計機関である(1975年発足)。
  • ABS(オーストラリア統計局)は、オーストラリアの総人口の国勢調査を5年毎に実施、調査結果は通常は2年以内に、 さまざまな形式で広く公開される。5年サイクルの最後の2年は、次回調査で使われる質問の検討にあてられる。 サービスプランニングのために使われている最新のデータは、1996年国勢調査によるものである。2001年調査のデータは, 間もなく明らかにされる。
  • 1988年から、ABS(オーストラリア統計局)は5年毎の障害者・高齢者・介護者調査に着手した。 総人口調査のように、データは照合に時間を要する。最新の利用可能なデータは1998年調査によるものである。
  • AIHWは、オーストラリア保健と福祉協会法(1987)の規定によって設立,運営され、 連邦政府の保健及び高齢者担当大臣の管轄下にある。保健と福祉協会法は、障害者と高齢化も含む社会傾向の分析と、 幅広い問題提起を連邦政府に行なう。
D.国民の啓発
  • オーストラリア国民は、国民啓発のための多くの手段をもっている。 連邦政府は、連邦法や,連邦政府の政策/実行などの変化を全国に普及させるための良い手段を発展させてきた。 その内訳は以下のとおりである。
    • テレビや新聞を通じたメディアキャンペーン
    • 公開セミナー
    • 出版物,例:障害者局の障害者ニュース
    • ウェブサイト(例:家族コミュニティサービス省のウェブサイト、www.facs.gov.au)
    • テーマ年,週、曜日(例:国際ボランティア年、障害者アクセス週間(Disability Access Week),国際障害者の日)
    • 国民会議(例:国民家族コミュニティ会議)
  • 10年間の最も顕著な国民への啓発活動は、2000年シドニーパラオリンピックの開催であった。
  • 主要な連邦政府の情報は、しばしばさまざまな形態(例えば、点字、オーディオテープ、他言語、拡大文字、 簡単な英語によるホットラインなど)によって公開されており, すべてのオーストラリア人に情報入手が平等に保障されていることも記さなければならない。
  • 連邦政府の障害者問題に関する諮問機関である国家障害者諮問委員会は、1999/2000にまた、 主要な政策分野のひとつとして国民への啓発活動の推進と、障害を持つ人々の能力と要求の理解、 地域に参加する権利を容認することを挙げている。
  • 政府以外のものとして、国民への啓発キャンペーンはまた、主要団体によって引き受けられているが、 資金の制約から、あまり頻繁に行なわれていない。常に主要な政策問題/政治の趨勢に関して国民への啓発を高めることに 携わっている主要団体は、ACOSS(オーストラリア社会サービス協議会)である。この組織は、主要な非政府組織と協同して、 特定の問題について一致した地域セクターの見解を形成している。
E. アクセシビリティとコミュニケーション
  • 既存の環境へのアクセスについては,オーストラリア政府は「国内基準」の導入という方法で対応しようとしてきた。 1997年に、オーストラリア建築基準委員会の技術委員会は、BCA(オーストラリア建築基準)を障害者差別法に合うようにするための 一連の変更を提言した。BCA(オーストラリア建築基準)の、アクセス関連の改正が1999年1月に施行された。
  • 1996年6月には、ATC(オーストラリア運輸審議会)から利用しやすい公共輸送基準草案に対する 「原則的な」同意が提出された。規制の影響評価調整草案は、1998年8月に公開協議へと発表された。 1999年に、ATC(オーストラリア運輸審議会)は最終的なRIS(規制の影響評価調整)の結果に照らして基準草案を審議した。 今までのところ、連邦政府は,これらの基準を法律の改正によって行なっていない。いくつかの州政府 (例:クイーンズランド) では、法的な拘束力は無いが、「国内アクセシビリティ基準」によるアクセシビリティへの 目標を採用している。
  • それ以前まで州によっていたタクシー補助金計画の全国共通化は,2000年に達成された。
  • 2000年には,「人権及び機会均等委員会」は,オーストラリア全土で車椅子のタクシーの利用しやすさに関する調査を実施したが, 現時点で何も結果が出ていない。
  • 1999年に連邦政府は、金メダル障害者アクセス計画(Gold Medal Disability Access Strategy)を設けたが、 これは雇用、建築、観光、輸送という4つの主要ビジネス分野に対して障害者が商品やサービスを利用しやすくすることを目的として 奨励したものであった。
  • 1997年2月に連邦政府の情報の利用しやすさに関する問題の討議資料が出された。 現在まで作業委員会は,連邦政府の情報やコミュニケーションの利用のしやすさを改善するための選択肢がないか調査をしている。
  • 1995年には、連邦政府は「ネットワーキング・ザ・ネーション」と呼ばれる全国的なキャンペーンを行ったが、 これは特に遠隔地や地方のコミュニティーがコンピューターやインターネットにアクセスすることを目的としていた。
  • 1995年からHREOC (人権及び機会均等委員会)は、全面的な調査に着手した。2000年に、HREOC(人権及び機会均等委員会)は、 耳が全く聞こえない人や,聴覚障害を持った人たちがよりわかりやすい映画を作る方法を調査した。2001年7月に、 シドニーとメルボルンの中心ビジネス街の映画館で,試験的に字幕をつけた映画が2ヶ月間にわたり上映された、 この試験結果はまだ判明してはいない。
  • 連邦政府は,障害者局を通じて,障害者の国内会議への参加を援助するために限られた資金援助を毎年行なっている。
  • 2000年に、連邦政府は、1800番の電話番号でつながる「ケアリンク」を設立する資金を出した。ケアリンクは、 細かな資格基準を含む政府,非政府両方のナショナルデータベースである。
  • 1997年に教育,雇用、訓練及び青少年担当大臣は、教育における障害基準の開発に関する討議書を発表した。 これらの基準によって、国民教育訓練統計センターが2000年に設立された。 その役割は、訓練や教育の分野のタイムリーで適切なデータを提供すること, 及び国民の教育と訓練に関する統計の開発と提供を調整することであった。
  • 1999年に、家族・コミュニティサービス省は特別ニーズ補助金計画の運営方法を変えた。 この構想は、障害を持つ子供または発達の遅滞した子供に、児童ケアーのようなメインストリーム活動に参加する機会を 与えるものであった。
    G. 訓練と雇用
  • 雇用基準は1998年2月に,公開協議に出された。
  • 1989年に連邦政府は、総理大臣年間優良雇用主表彰を設けたが,これは障害を持つ人々,その家族、 介護者や障害者団体を勇気付け、障害を持つ人々の雇用に多大な貢献をした地域の企業を推薦するものであった。
  • 1999年に、総理大臣年間優良雇用主表彰は、2000年シドニーオリンピック開催と金メダル障害者アクセス計画 (Gold Medal Disability Access Strategy)の開始を記念して、一層充実された。これらの表彰制度は、 ビジネス発展という社会の主要分野での障害者雇用問題の認識を広めることに焦点を合わせていた。 2000年に、総理大臣は最初の金メダルアクセス賞(Gold Medal Access Award)の表彰をした。
  • 2000年に、オーストラリア政府は、仕事を探している障害者を含むオーストラリア人に利用可能な援助の改良と拡大をするため 「オーストラリア人の協働計画」(The Australians Working Together strategy)を修正した。
  • 1997年に、CRS(国家リハビリテーションサービス)は、「センターリンク」と契約をすることで、 障害を持つ人々の就業を援助するために障害者の個別評価と、適切で競争力の高いワークセンターに紹介することを行った。
  • 1996年、政府は障害者雇用部門の全面的改革を始めた。政府補助金の包括補助モデルから結果に基づく補助モデルへの 転換が試みられている。対事業所サービス(保護作業所)の主要な調査は、1999/2000年に行なわれ、その結果に基づく勧告の実施は, 目下進行中である。雇用サービスの質確保の新しい枠組みもまた、現在実施中である。
  • 利益団体の参加で,競争は助長され続け、促進され続けるだろう。
H. 障害の原因の予防
  • NHMRC(全国保健医療研究委員会)は、連邦政府によって、1992年(全国保健医療研究委員会法,1992)に法制化された。 この機関が,研究資金の確保と勧告を行なうことで、4つの法的責任を勝ち取った、それは、オーストラリア全土の個人と公衆の健康を 高めること、さまざまな州や準州での一貫した健康水準の発展を助長すること、オーストラリア全土の医学研究および訓練、 公衆衛生研究及び訓練を推進すること、医学に関わる倫理問題の検討を推進することであった。
  • 1999年、連邦政府は医学研究の資金を、NHMRC(全国保健医療研究委員会)に割り当てられるように2倍に増やした。
  • 2000年,NHMRC(全国保健医療研究委員会)を通じて、新しい医学研究賞が設立された、バーネット賞である。
  • 連邦政府は、オーストラリア家族問題研究所(1980年設立)に対する資金提供の義務を負い続けている。 この研究所は、オーストラリアの夫婦や家族のあり方に影響を与える要因の研究や検証を促進するのが目的である。 いくつかの研究には,障害の家族への影響が含まれている。
  • オーストラリアは健康医療委員会を通して、障害を予防するための資金、PBS(医薬費給付制度)を提供し続けている。 多くの医薬品がPBS( 医薬費給付制度)にリストアップされることで,特に連邦政府年金受給者に対して手ごろな値段で、 障害を予防するか機能的障害の影響を軽減することになっている。
  • オーストラリアはまた、特殊な障害研究を目的とした古くから創設された独立した調査機構を持っている。 これらの機構は、政府の資金か、慈善基金によって資金提供されている(あるいは,両者の混合である)。 例えば、精神保健研究機構である。
I. リハビリテーション
  • 第一次大戦後に,オーストラリアは積極的なリハビリテーションサービスの提供をしてきた。 国家的レベルで、連邦リハビリテーションサービスは、発育障害や後天性障害者が、仕事を探し仕事を維持するのを援助してきたが、 たとえ仕事に就かない援助であっても、意味のある活動についてもまた提供されてきた。州政府レベルでは、 労働災害補償に関係する州の基準によるリハビテーションサービスが加えられている。
  • 2002年に連邦政府は、復員軍人局によって提供されている復員軍人集団へのサポートサービスの範囲を拡大した。 在宅地域ケア計画の中で資金提供されているサービスと同様のサービスに資金提供することにしたものであった。 現在のところベトナム帰還の復員軍人はこれらのサポートサービスの利用をすることができる。
J. 福祉機器
  • 福祉機器は、制限付きではあるものの在宅地域ケアプログラムを通して利用できる。 このプログラムは連邦政府によって最も多く資金提供され、州政府レベルで運営されている。 このプログラムに含まれている機器は、日常生活用務に重点が置かれている。(例、トイレやシャワーの手すり)。
  • いくつかの州政府もまた、電動式,手動式車椅子や会話補助器具、尿漏れ防止機器などの幅広い範囲の福祉機器を含んでいる 医療援助計画を持っている。
    K. セルフヘルプ組織
  • セルフヘルプ組織は、集団としての力量を強め、エンパワーメントを達成し、 政府や他の市民社会組織に対して権利を主張する力を強め、政策決定過程に参加する手段を提供している。
  • オーストラリア国内には、セルフヘルプ組織に二つの層があり、それは単一障害の団体と、州または連邦の団体である。
  • 単一障害の団体は,ほとんどの場合、例えばダウン症候群のようなペアレントサポートグループから発生している。 これらの団体は、さまざまな資源からの一回限りの補助金と団体の資金収集活動で財源を確保しており、 いくつかの団体は主に州政府から継続的な補助金を受けている。広範囲なボランティアの労働提供がこれらの団体を特徴付けている。
  • 州と連邦機関の障害者団体(例、ACROD(介護者協会)) は、より公的なものとなっており、 通常は経営者側によって繰り返し資金提供されている。州レベルでは、これらの団体は会費とは別に、 もっとも多くを州政府からの資金提供によって財源確保している。連邦レベルでは、主要団体への資金提供として連邦政府によって ほとんどが資金提供されている。
  • これらのさまざまな団体は、自分の団体が他のある集団に対する上位の「主要団体」であると考えるなど複雑な関係となっており、 このことは2000年の連邦政府による主要団体を「合理化する」ための触媒となっている。
L. 地域協力
  • 家族コミュニティサービス省は、国際訪問などの手段を通して他の国々との連携を強調,促進しているが、 代表団の派遣、他国からの研修視察、国際フォーラムへの参加などである。
  • OECDへのオーストラリアの代表団は、公使(社会政策)の身分として設けられた。 オーストラリアとOECDの雇用労働社会問題委員会との交流を促進するだけでなく, OECDの他の理事たちとの交流を広げるためであった。
  • 2002年にACRODは、アジア-太平洋地域での障害者向けサポートサービスの展開に対する援助を再開した。

4.障害者の完全参加への障壁

  • オーストラリアの地形と地方や僻地に分散している居住者の存在は、常に均質なサービスの利用に障壁となるだろうし、 オーストラリアの地方や僻地に居住する障害を持つ人々が利用しやすいサービスの提供にとっても障壁となるだろう。 (都市部の居住者と比較して。)
  • 他文化や民族的背景をもつ障害者の数が増加しつつあるが、これらの障害者に対して、各レベルの政府が均等で利用しやすい、 適切なサービスを提供する能力があるのか疑問である。
  • 連邦政府と州政府の中で、政府からの補助金を受けている非政府サービス団体がマスメデイアで「反政府的」 意見を述べることを制限しようとする困った流れが強まりつつある。これは言論の自由を制限し、 セルフヘルプ組織と主要団体が政府とその他市民団体に対して、まだ満たされていないニーズや緊急の事態/問題に関して権利擁護をする 能力を引下げるものである。
  • 現在の連邦政府は、結果にもとづく補助とマイルストーンにもとづく補助(インテイク、評価、訓練、就職などの 「マイルストーン」ごとに補助金を算定する方式:訳者注)に焦点をあてているが、これが資金的に存続できない組織の数が増大する 要因となっている。多くの連邦機関によって策定され「効率的」に配分された資金の使い道が、この(資金的に成長できない組織を 増大させているという)状況のもう一つの要因である。特に組織運営のための諸経費として使われる資金が増加しているという事実で あり、例えば保険費用の急上昇やユニオンアオードの条件が拡大し続けることなどである。
  • 2002/2003年度の連邦予算は、明らかに障害者プログラムから防衛省へと資金を移している。 この決定は、障害者プログラムに予算増額が起きなかった最近2年間に続いて起きた。
  • 最近の連邦政府による「圧力」は、組織に対して、ボランティアの活用を増やすことと企業の社会貢献活動/協同からの 資金提供を求めることを促している。この関係筋、つまり必ずしも継続的に資金提供がなされるわけではなく、 また価格の上昇を埋め合わせるだけの額が提供されるわけでもない関係筋の財源へのシフトは、 非政府団体によるサービス提供活動の存続を危うくしている。
  • 今まさに高齢化している障害を持つ人々のサービスニーズについての研究は,ほとんどされていない。 この調査は、高齢者になされてきた伝統的なサービスが障害を持つ人々に対して妥当かどうか、 十分かどうかということを明らかにするはずである。

(訳:日本社会事業大学大学院 吉田滋)