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アジア太平洋障害者の10年の評価<完全参加と平等<へのNGOの展望

マレーシア

障害者の10年(1993-2002)の評価:10年間の完全参加と平等の促進におけるNGOの取り組みの影響

I 障害活動に関する前置き

マレーシアでは障害は伝統的に慈善家や共感的な人々により、慈善的側面から見られてきた。マレーシアは社会的国家ではない。しかしながら、州のレベルで極貧困者に対して必要に応じて経済的支援や施設ケアを提供するなどの支援をするために社会福祉局が設立された。

したがって、障害者問題は自発的な福祉組織(宗教か地域かに基礎を置く非政府組織(NGO)として分類されている)によって支持され取り組まれてきた。しかし、これらのNGOは孤立して活動している。(大部分は経済的支援を求めるためにしばしば競合状態にある。) つまり、社会の中で尊重されるべき人間として、独立した、意味のある、満足な生活を送るために、障害者をエンパワーする時代に向かって、パラダイム転換を図ろうと、障害者に関する社会の意識を変えるために協力しようとはしないのである。

1980年代に、福祉局は農村地域で障害児のためのプログラムとして、CBRの概念を導入した。保健省は、そのアウトリーチ・プログラムを拡大した。いくつかのNGOは、国外の技術的、専門的援助を受けて、自主的に健全なリハビリテーションに焦点を当てたCBRプログラムを導入した。

II 「10年」の衝撃

当初、障害者の10年はNGOからの自発的な支援を集めなかった。その理由は、NGOは個別の多様な目的を追求しており、障害者の完全参加と平等の促進に向けての'連帯感'を欠いていたためであった。

キャンペーン99は、障害者や障害者問題に焦点を当てる必要性を雪達磨式に大衆に気付かせる力を与えた。それは、マレーシアが「行動課題」の目標を達成するために、「10年」を支援する地域会議をホストした時であった。

リハビリテーションインターナショナル(RI)やNGO地域ネットワーク(RNN)の会員であるマレーシアリハビリテーション協議会(MCR)はマレーシアの社会福祉局からキャンペーン99を組織する責任を委ねられた。

1997年からMCRは障害者に関係するNGOやサービス提供者がキャンペーン99への参加に関心を持つよう、一連の全国的な'地方巡業'を行った。このクアラルンプールでの国際会議は、障害者やその親やNGOに新たな希望と視点を創造した。この会議によって彼らは、障害者問題を促進し提唱するための直接的あるいは間接的方法をより積極的に見つけ出すようになった。

MCRはその後、障害者に関係する団体の協働の取り組みのための触媒作用の役割を果たした。つまり、双方が満足するような障害者ニーズの解決のために対話を促進し、政府組織と協働して機能したのである。

後に、MCRは(「10年」の)目標の達成度を評価するために、クアラルンプールで国内リハビリテーション会議を組織した。その会議のテーマは"障害者のエンパワーメントにむけて"であった。 欠点が協議され、勧告が以下のようになされた。

  • リハビリテーション―早期介入計画
  • 教育
  • 人的資源の開発
  • 知的障害者(persons with learning disabilities)へのサービス
  • 地域に根ざしたリハビリテーション(CBR)
  • 公共的施設へのアクセス
  • 財源(政府の報奨金)
  • 国民の啓発
  • 一般的課題(問題)

2002年には、一連の地域に分けられた研修会を通して次の10年の活動に向けての規約の草稿を作成しようとしている。これらの研修会では、これまでの欠点を評価し、「10年」を延長する必要性などの情報を収集することになっている。

III 行動課題の目標の達成に向けて

アジア太平洋障害者の10年(1993-2002)の間におけるマレーシアの発展

アジア太平洋障害者の10年の間に、マレーシアでは障害者の利益のための行動課題の目標を促進するために、NGOレベルで多くの活動や行事が組織された。

これらの活動や行事は、MCRの加盟団体と共同するか、もしくは他のNGOと共同して、MCRによって実行された。政府はこれらの活動の多くに精神的な支援や財政的な支援を行った。                    

その活動や行事は行動課題に沿ったもので、以下の内容を含む。

1 国内調整

マレーシアの障害者に直接的あるいは間接的に関係する障害者問題の様々な側面において国内調整のためのイニシアチブは発揮された。

最も注目すべき点は以下の通りである。

1・1 障害者のためのそして障害者のサービス供給組織のネットワーク強化

MCRは国の障害者のニーズに応じるサービスを供給する組織のネットワークを強化するための主導権を握っていた。MCRはパハンのセレサ・ヒル・ホームズで1998年4月25日から26日までブレーンストーミングセッションを催した。全20の加盟団体が国や州のレベルでの障害者のための事業を調整するMCRの役割の見直しに参加した。これは以下の戦略を含む5年計画の策定につながった。

  1. 会員権を強化し、各州の草の根レベルの障害者に手を伸ばすためのMCR規約の修正
  2. 障害者のためのホリスティックリハビリテーションに関係する種々の問題に関して、より効果的に取り扱うための特別な小委員会の設立
1・2 国家的なCBR

1996年に、MCRはCBRのための全国的な調整組織の設立構想を議論するために多数の障害者関連団体を呼び集めた。このことは社会福祉局によって認められ、国立CBR調整委員会として知られるようになった。

以下はその2つの重要な業績である。

  1. ネットワーキング、情報の共有化、集会、セミナーやスポーツを通しての障害者のためのCBRプログラムの全国的発展
  2. 障害者のための国のCBRカリキュラムの発表
1・3 障害者のためのスポーツ

MCRのネットワーキングの取り組みは障害者ための2つの独立した国のスポーツ団体の設立につながった。最初は1989年に設立されたマレーシア・パラリンピック協議会であった。障害のあるチャンピオンは、スポーツにおけるその偉業を顕彰して、数千リンジットにのぼる金、銀、銅賞を政府によって与えられた。

もう1つのスポーツ団体は知的障害者のためのスペシャルオリンピックスであった。これは1990年代後半に設立された。

1・4 国内アビリンピック

MCRはマレーシアのアビリンピックの水準を高めるために多くの取り組みをした。この目的に向かって、MCRはオーストラリアのパースでの1995年のアビリンピックに参加した。

今年(2002年)の日本での大阪フォーラムの時に、MCRは国際アビリンピック協議会の一員として受け入れられた。その間に、MCRは2003年の国内アビリンピックを開催することを計画している。それによって、インドでの2003年11月のアビリンピックに参加する障害者の準備をするためである。

1・5 文化と芸術

2001年に、MCRは障害者の間で芸術と文化を促進するためのベリースペシャルアート委員会を立ち上げることを決めた。この委員会は、1990年代前半の設立以来効果的な発展を果たせなかったVSAマレーシアという組織の機能を引き継いだ。

MCRのVSA委員会を通じて、国際芸術祭が成功のうちに組織され今年(2002年)開始した。今MCRは、全国障害者合唱団を結成する過程にいる。

2 情報

障害者のための雇用やサービスの情報を扱うことに関してもまた、多くの先駆的取り組みがなされた。これらはMCRの会報やNCSWの広報(社会福祉協議会の雑誌)やNCBMたより(マレーシア視覚障害者全国協議会の雑誌)やマレーシアの視覚障害者協会による"盲人の希望"など種々の出版物を含んでいる。

3 国民の啓発

MCRは障害や障害者についての国民の啓発、そして障害者の生活の質を改善することに利用できる事業や活動についての国民の啓発を引き起こすための多くの活動を組織した。これらは、展覧会やポスターコンテストや手工芸品の販売を含む。

MCRの加盟団体であるマレーシア視覚障害者協会は、スーパーマーケット地区に視覚障害者による手工芸品やマッサージの店を開くことでより大きな役割を果たしている。

4 アクセシビリティとコミュニケーション

1980年代後半から1990年代の間に、NGOは政府と共同して障害者のためのアクセシビリティとバリアフリー環境に関する幾つかの文書を作成した。これは以下のものを含む。

MS1183,part8(1990)―建物の設計と建築における火災対応細則

M.S1184/1991-建物の外側での障害者のためのアクセスにおける実践規則

当初、この仕事を調整する政府機関はマレーシア基準産業協会(SIRIM)であった。現在、その責任は建築産業促進委員会(CIDB)によって引き継がれている。

MCRは障害者のアクセシビリティに関心のあるグループから成る、障害者に率いられた小委員会を立ち上げた。これは、障害者に優しい環境を主張するためのもので、実際的には立法組織に対して働きかけている。先ごろ(2002年10月6日に)労働大臣がMAB(マレーシア視覚障害者協会)で夕食会を主催した際、クアラルンプールのブリックフィールズを障害者のための模範となるバリアフリーの場とするという意見が上げられた。政府は熱心にその考えを受け入れた。政府はMABに提案を練り上げるために他のNGOと仕事をするよう指示した。

5 教育

MCRは聴覚障害者に情報や技術を伝えるために加盟団体の一員であるマレーシア聴覚障害者連盟と熱心に仕事をしていた。MIMOSからの支援で、ICTポータル(「入り口の門」の意味)が設立された。それによって、今では多くの聴覚障害者がICTを経験している。このことは、聴覚障害者の教育において彼らにとっての大きな助けとなっている。

1995年に、視覚障害者を支援する組織の取り組みもまた、教育においての躍進を見た。約30年の"受け入れ拒否"の後、政府はついに視覚障害者に対して教育訓練の扉を開くために視覚障害者を支援するNGOからの要求を受け入れた。その結果はじめてすくなくとも30人の視覚障害者が、多くの教員養成機関に受け入れられた。

その間、MCRは知的障害(learning disabilities)の子どもにたいして教育の機会改善のために教育省の特殊教育課と対話集会を促進しつづけた。

6 訓練と雇用

2002年に、肢体不自由者は(MCRからの支援で)人的資源省に対して、障害者のための雇用における覚え書きの作成を始めた。大臣は好意的にその覚え書きを受け入れた。このことは後に、人的資源省による障害者のための雇用の実践規則作成につながった。

その間にも、視覚障害者のためのマッサージ技術訓練を改良したり、障害者の保護工場の施設を調査したり、といった取り組みがなされている。2001年に、視覚障害者のための組織がマッサージに関して、第6回WBU(世界盲人会連合)アジア太平洋セミナーを開催し、MAB(マレーシア視覚障害者協会)がそのマッサージ講習に関して、政府から公式な承認を得ている。

2002年に「10年」を終えるにあたって、MCRは人的資源省や社会福祉局と協働して障害者のための雇用に関する一連の研究会を組織した。一般に障害者のため、特に知的障害者(the intellectually disabled)のために保護された産業の"村"の発展に主眼点が与えられた。

7 リハビリテーションサービス

すでに述べたように、社会福祉局や他のNGOと協働し、国中のCBRプログラムの発展と促進を通して、障害者のためのリハビリテーションサービスを促進しようという方向に多くの取り組みが向けられている。1994年3月に、サラワク社会福祉協議会がクチンでCBRセミナーを開催した際、重大な展開が生じた。1999年に、そのセミナーの代表者数名が全国レベルのCBR調整組織を提案し、MCRに伝えた。そして最終的にMCRはその傘下にNCBRCC(National CBR Coordinating Committee)を設立する責任を持つことになった。

NCBRCCは、その教育の小委員会を通して、子どもの訓練のためのカリキュラムの指針を含んだマニュアルを作成した。これはCBRセンターに所属するCBRワーカーの技術を高めるためのものである。この一連の指針は社会福祉局に提出され、同局はその実行に同意した。現在、NCBRCCはそのマニュアルを使用して、CBRワーカーと両親のための、一連の州レベルでの次々と伝達していく方式のトレーニングを行っている。

NCBRCCは、NGOやCBRセンターと協働し、社会福祉局の支援を受けて、正規の学校教育を受けていない若い障害者に自立生活の能力付与をするための職業リハビリテーション訓練プロジェクトをはじめた。

8 補助器具

マレーシア聴覚障害者連盟や、肢体障害者協会や、マレーシア視覚障害者協会(MAB)などは、障害者にとって補助器具が役に立つようにするための事業を展開することにおいて大変活動的である。MABは、例えば、視覚障害者に適応できるコンピューター設備を供給するために、政府から2億RMの補助金を得た。この補助金は政府の2001年の予算提出において公表された。

機能の遂行を改善するためや、身体の変形を予防し、減少させるための簡単な補助器具の作成や改造は病院の作業療法士や私企業への委託によって行われている。

9 セルフヘルプ組織

2002年8月に開かれたアジア太平洋障害者の10年の研修会では、マレーシアにおいてセルフヘルプグループの発展を促進し成し遂げるために、障害者個々人による取り組みと並んで、NGOと政府によっても多くのことが成されたということが重要な発表であった。障害者の間で様々な種類のセルフヘルプの開始が以下のように確認されている。

(A) 個人主導

これらは、藤細工やマッサージなどの職種の企業を含む。例えば、幾つかの視覚障害者のグループは政府からの支援で1980年代にパハンのテメロウで藤を原料とした製品の家内工業を立ち上げた。一方、多くの視覚障害者のグループは同じ時期にクアラルンプールのブリックフィールズでマッサージ会社を立ち上げた。

(B) 単一障害のセルフヘルプ組織

そのようなグループには、マレーシア視覚障害者協会、身体障害者協会、マレーシア聴覚障害者連盟などを含む。1980年代そして特に1990年代に、これらのグループは障害者のニーズや権利を表明し、社会において障害者の生活の質をいかに改善するかという示唆を与えるために政府機関だけではなく他のNGOも巻き込んでますます活動的になった。

(C) 障害種別を超えたセルフヘルプグループ

そのような積極的に障害者を支持する組織がマレーシア障害者連合(MCD)である。

(D) 障害者と非障害者の統合されたグループ

マレーシアリハビリテーション協議会がこのタイプの組織の例である。1999年にMCRの規約が改められ、障害者が組織の選挙活動に参加することが規定された。協議会に選ばれた15人のメンバーの中で、少なくとも副会長の1人は障害者で、少なくとも他の3人の協議会メンバーも障害者でなければならない。結果として、このことは障害者がより活動的にMCRの活動に参加する道を開いた。

(E) 両親支援グループ

そのようなグループの幾つかは、知的障害者の活動を支援するために作られた。そのようなグループの中で最も著名なのが「威厳とサービス」(DAS)である。この集団の活動は最終的には「声をあわせて」(United Voice)、つまりマレーシアにおける最初の知的障害者グループの確立に結びついた。このグループは今、クアラルンプールで自分達のクラブハウスを作るための取り組みを支援してもらっている。

(F) グループホームと自立生活センター

ペラックのテロックインタンのベサニーホームはペラックの知的障害者のために多くのグループホームを設置してきた。これらのグループホームを通じて、知的障害者は自立生活を送ることや中古品店を経営することやレストランで働くことを学ぶ。その間に、肢体不自由者の何人かは、セランゴアのクラングに自分達の自立生活センターを設立した。

(G) 障害のある女性

この間、既存のセルフヘルプグループによって障害のある女性の問題の小委員会をもうける努力がなされてきた。障害のある女性はまた、組織のために政策を練り上げる中央委員会において、活動的な役割を演じるよう奨励されている。マレーシア視覚障害者協会が良い例である。

10 障害の原因予防

MABなどの組織は積極的に予防活動に参加している。促進事業には白内障手術キャンペーンや眼球提供キャンペーンや例年の世界視覚デーなどを含んでいる。

NCBRCCは病気の治療だけに焦点を当てるのではなく、心身の快適状態について親や地域を教育するために、健康の専門家やCBRセンターと密接に活動している。

11 立法

NGOは障害者法を制定するために政府と密接に活動している。この法律が2003年までに採択されることが期待されている。

12 国際調整

加えてMCRは、積極的にこの側面の活動に関与している。RNNのメンバーとしてMCRは、アジア太平洋障害者の10年を促進するための事業の一部として、キャンペーン99を組織することを支援した。

MCRはまた2001年からVSAインターナショナルのメンバーとして登録している。MCRには今年クアラルンプールで開かれる障害者のための国際文化芸術祭を組織する責任がある。最近では、2002年10月の大阪フォーラムで、MCRは国際アビリンピック協議会のメンバーになっている。

この関係で、MCRは今積極的にマレーシアでの国内アビリンピックを促進しており、障害者が国際アビリンピックに参加する準備をしている。

IV 次の10年へ

政府組織と協働して、マレーシアのMCRやNGOは障害者問題に取り組む手段を先駆的に追求してきた。同時に、これらはこの国においてアジア太平洋障害者の10年を促進することを支援する積極的な役割を演じている。

障害者問題は認識されつつある。しかし「10年」の目的を達成するには、なされた勧告に関連した行動計画がまだ完全には実行されていない。障害者の10年の延長によって、1993年から2002年までの10年の終わりになされた勧告の具体的な成果を見るはずである。

MCRは成熟の年月を経てビジョンを育ててきたが、次の10年の終了時までには障害者には正当な参加と平等が与えられると確信している。もしもNGOが各組織の主要な使命保ちつつも、この参加と平等という共通の目標にむけて傾倒するならば。

MCRは、非個人的な課題目標をもち、また様々な省との強い連携による共同支援の機能を備えているので、障害者の地位や生活の質の向上に関するNGOネットワークの協働における媒介者であり続けられるであろう。

マレーシアリハビリテーション協議会(プアン・カティジャ,MCR事務総長)

訳:日本社会事業大学大学院 森地徹