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第3回アジア太平洋CBR会議

9月1日、全体会1 基調講演

福田暁子さんの講演のメモ(本人作成)

みなさん、こんにちは。

福田暁子と申し込ます。世界盲ろう者連盟の事務局長をしております。また、この地球と呼ばれる惑星のいち市民でもあります。

みなさんの前でお話ができることを光栄に思っております。特に2015年は我々にとって試金石となるような年でありますよね。今日と言うのは、私の、そしてあなたの残りの人生において一番若い日なのであります。だから、何をはばかることがありますか、立ち上がって行動を起こすのです。だいたいよくあるのは、人は聞くだけ聞いて、何も行動しない・・・こりゃ、困ったもんです。何のために参加されているんですか?そして、私はなんでスピーチをしているんでしょう?

何度このようなカンファレンスやミーティングに参加したのに、行動を起こさないのでしょう?

私自身に問いかけております・・・

自己紹介をいたします。私は30代の女性で、実際には今月38歳になります。おー、全く信じられないことです。子どもはおりません、旦那もおりませんー予定もございませんーまあ、チャンスがまだないっていうことですね。非常にフリーであります。

日本の南の地方の九州の出身です。18歳の時に大学に入るために東京に引っ越し、自立生活を始めました。そして20年、あれやこれ、それやこれをやりまして、今皆さんの前にすわっております。

私は生まれつき弱視で、また脳と脊髄を壊してしまう多発性硬化症という病気が加わりました。

今は全盲ろうです。どういうことかというと、全く見えなくて全く聞こえません。通訳介助者を通して、触手話というコミュニケーション方法を使って、情報を受信しています。前は耳が聞こえていたので、発声することはできますが、手でしゃべることも時々あります。また、人工呼吸器と酸素を載せた車いすを使っています。こちらが毎日持ち歩いている酸素ボンベです。ご心配なく!爆弾のように見えますか、全く違いますから!私は「平和」という言葉を非常に好んでおります。

私は「孤独のプロ」と言えるでしょう。

全盲ろうというのは、たくさんの人が目の前にいても、混んでる新宿駅にいても、私にとっては誰もいないんです。何も聞こえてこない静寂の中でひとりぼっちなのです。私は、あなたが目の前に立っていても、私に触れない限りあなたがいることすらわかりません。

視覚と聴覚が完全になくなったとき、まるで社会から完全に切り離されて宇宙人になったような気がしました、まあ事実ではありますね。

盲ろうになって一番ショックだったことは、他にも私のような盲ろう者がたくさんいると知ったことです。私は居場所を見つけたようでした。しかし、同時に、まだ誰ともつながっていない盲ろう者のことをいつも想っています。それが私の原動力にもなっています。

伝えたいのです。「私はひとりぼっちじゃなかった。あなたもひとりぼっちじゃない、そして私たちは孤独ではないんだよ」と。

CBID(地域に根ざしたインクルーシブな開発)―これ、障害者になんてパーフェクトな仕事なんでしょう!

3つのシンプルな手順を説明します。

1.達成したいことを決める。夢はでっかく!

2.コミュニティに飛び出して、どうやったら目標達成できるのか方法を探す。他の人を巻き込む。決してあきらめない。道は必ずあります、ただし、探し続けなければ道はない。

3.どうやって成し遂げられたのか、公開しましょう

この時点で、あなたは気づくはずです。障害を持つひとりひとりがコミュニティの財産であり、社会変化を起こす主体であると言うことに。これはよりより社会を創ることにつながります。これまで障害者というのは保護の対象だったように思います、ですが、2015年からは違います。

私自身が自分のコミュニティで行っているいくつかの例を紹介したいと思います。

私が住む東京都武蔵野市では、地域自立支援協議会というものがあり、市の職員やソーシャルワーカー、そして障害当事者が住みやすい街作りのために協働しています。

私は障害当事者部会の部会長をさせていただいています。いろんな背景、障害のことなるメンバーがいます。これは骨の折れる仕事ですが、自分たちの経験を共有し、声を届けています。

昨年、別の部会である権利擁護部会と共同で談話会というか、茶話会を始めました。これはご近所さんとおしゃべりをしながらお互いのことをより知るための企画です。この企画を通して、人とのつながりをつくり、しいては地域に根ざしたインクルーシブ開発になるものであります。

他には・・・たまに私は一人で電車に乗ります。今では最寄り駅の駅員さんたちは盲ろうの車いす利用者のガイドに慣れ、非常に適切な方法でサポートしてくれます。私は手を差し出し、駅員さんは私のてのひらに文字をかいて、会話をします。

他には・・・病院じゃなくて在宅生活を続けたいと思っています。なので、介助者が派遣されます。このようなイベントや友人とおしゃべりしたりしたいと思っています。なので、通訳介助者が派遣されます。これらは、過去の障害のあるリーダーたちがなしえた成果ですけれども、よく考えてみてください。私は生きてるってだけで、雇用を産み出しているわけですからね。

ここら辺で終わりにしなければなりませんが、言わせてください

私には夢があります。いつの日か、費用負担なしにあなたと好きなときに、おしゃべるすることができる日が来ることを

私には夢があります。いつの日か、すべてのお店に入れて、商品を触って、買い物を楽しむ日が来ることを

私には夢があります。いつの日か、我々は弱者として扱われるのではなく、コミュニティにおいて価値のある存在だと扱われる日が来ることを

私には夢があります。貧困というものはなくなり、ここに多くの専門家の皆さんが現在の仕事を失職されることを

私には夢があります。みなさんの国で再会できること!・・・私が安全で楽しめるようにしておいてくださいよ。空港で足止め食らうとか嫌ですからね。

こういうフレーズをよくきくと思います。「私たち抜きに、私たちのことを考えないで」でも、私はちょっと加えたいんです。こういう風に「私たち抜きに、私たちのコミュニティにはありません」と。

ご静聴ありがとうございました。